6話
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とぼとぼと戻ってきたロッタを見て、フィーネは何も言わず後に付いていった。ともに控えていた侍女たちは、心配そうな表情を浮かべながらもフィーネに倣って静かに付き従う。リュシオン達が前庭から立ち去ったことで役目を終えた兵士たちは、ロッタが廊下に出る頃にはすっかり自分たちの持ち場に戻っていた。
廊下は彼女たちを除いて誰もいなかった。凍て返る朝の空気がロッタの手足を冷やしていく。
リュシオンに言われた通り彼女は大人しく部屋に戻ることにした。彼の立場から考えてみると、魔法も上手く扱えず自分の身も守れないような人間に関わられると面倒なのだろう。それにこれはロッタに関わりがあるようでそうでもない問題だ。むやみに首を突っ込むなという彼の意見は一理あった。
「お嬢様、前方にヘクトル様がいらっしゃいます」
フィーネは廊下の向こうからやってくる一団の姿にいち早く気づきロッタに注意を促した。心ここにあらずといった様子だったロッタも彼女の言葉に慌てて意識を向ける。そして先頭を歩く少年と後ろの官吏の姿を認識した瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。
金茶色の髪に同じ色の瞳を持つ少年。彼はロッタが以前に話をした王太子と顔立ちが似ていた。立ち振る舞いも貴族のそれであり、一見するとどこにも問題はないように見える。しかしロッタの目には『異質』なように感じられた。明らかに彼自身に何らかの魔法が掛かっている。今はほとんどないとはいえ元々膨大な
しかし問題はヘクトルよりもむしろ後ろに控える文官の方だった。彼の赤みを帯びた茶色い瞳を見た瞬間、ロッタは首を掴まれたような息苦しさを感じた。
(あれは、平原で見た……)
魔物に襲われたときに彼女たちを遠くで眺めていた男。ロッタの記憶では、彼は緑の長い髪と赤い瞳を持ち
震える身体を叱咤してロッタは平静を装って彼に近付いた。ヘクトルはロセット伯爵の養子、ロッタはクレセニアの貴族とはいえネグロ侯爵の令嬢だ。複雑な宮中の礼儀作法に則ればここはヘクトルが礼を尽くす場面だった。
案の定ヘクトルは一定の距離まで近づくと立ち止まって頭を下げる。
「ネグロ侯爵令嬢にご挨拶申し上げます」
そのまま前を通ろうとしていたロッタは声を掛けられたことに驚いて足を止める。無礼というほどでもなかったが、通常身分の高い相手に自分から声を掛けるのは失礼な行いだった。
しかしそれとは裏腹に彼の身のこなしは文句の付けようもないほど洗練されていた。それがかえってリュシオンやルーナたちの疑念を抱かせたように、ロッタもまた心の中で眉をひそめる。
「私はヘクトル・レオン・ロセットと申します。以後お見知りおきいただければ幸いです」
「顔をお上げください。クラリス・ロッタ・ネグロと申します。こちらこそ、お会いできて光栄です」
自己紹介をされたからには挨拶しないわけにはいかずロッタは彼と同じように礼をした。
「ネグロ侯爵のご活躍はかねがね伺っております」
「……そうですか。それは父も喜びます」
意図が読めない会話にロッタはあっさりとした返事しかできなかった。しかしヘクトルは彼女の様子を気にする素振りも見せず、表面的な会話をいくつか続けた。侍女から聞いていたイメージとは全く違う人物像にロッタは困惑した表情を浮かべる。
「ご歓談中申し訳ございませんが、もうそろそろ」
いくつか言葉を交わしたあたりでヘクトルの後ろに控えていた例の文官が彼に声を掛けた。『申し訳ない』という言葉に似合わず抑揚のない声だった。ヘクトルは慣れたように「分かった」と告げる。しかしロッタは文官が話に割って入った瞬間、僅かに肩をこわばらせた。それはフィーネをはじめ周りのほとんどの人間が気づかないほど僅かな動きだった。
「無作法をお許しください」
「とんでもございません」
「では失礼いたします」
ヘクトルはそう言って一礼すると彼女の通ってきた道を歩き始めた。後を追う文官がロッタを一瞥して目を細めたことは誰も気づかなかった。
ロッタは再び自室で長い時間を過ごすことになった。一日のほとんどは窓の外をボーッと眺めている。侍女たちは気を利かせて本や紅茶や、暇つぶしが出来そうなものを持ってきた。しかし今のロッタには気になることが多すぎる。読書をしようにも頭の中で勝手に考察が始まってしまうのだ。彼女はそのたびに頭を振って再び外を眺めるばかりだった。
フィーネは直接ロッタから事情を聞いてはいなかった。しかし急に事件の話題を出さなくなった彼女からある程度察したのだった。フィーネもまた、事件について口にすることはなくなった。
ルーナが発った次の日の夜――
ロッタは規則正しい生活を再現するかのように、夕食を食べてくつろいでから寝台に入った。何もすることがないというのもある意味苦痛である。暇を持て余して、なおかつ読書も刺繍もする気が起こらないときは結局、睡眠が一番なのだ。少し前に部屋を訪れたフィーネは快眠のための香りや明かりを持ってきた。どこまでも優秀な女性である。
(クレセニアに来る気はないかしら……。しっかり勉強して学校を出たらきっと、今よりずっと世の中のためになるのに)
ロッタは彼女と過ごすうちに侍女のまま一生を終えるのはもったいないとさえ思うようになっていた。しかし女性の自立に抵抗を持つ人間も多いクレセニアでは難しいのかもしれない。
(そう考えると実力主義のエアデルトで教育を受けた方が彼女のためにもなるのかも)
商人や職人の国として発展してきたエアデルトでは実力主義の考えが広く普及している。出自や性別がどうであれ、優秀ならそれでいいと考える人間もクレセニアと比べて多かった。女性ながら活躍する貴族や騎士もいるそうだ。だからこそ庶子の問題がこれほどまでに深刻になってしまったのだが。
ただエアデルト国内での支援となると自分の手の届かない範囲になってしまうのが心苦しかった。残念ながら彼女にエアデルト出身の知り合いはいない。ロッタは少しの間あれこれ考えていつの間にか眠りに落ちていた。