19話
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王妃の後を追い大勢の女官や官吏が出て行くまで、王太子とロッタは何も言わずにその様子を眺めるばかりだった。しばらくして部屋が元の落ち着きを取り戻したころ、部屋に控えていた侍女たちが思い出したように紅茶と菓子の準備を始めた。
「どうぞおかけください」
立ち去る様子のない王太子を前にして、ロッタはそれ以外にかける言葉が思い浮かばなかった。真っ直ぐな金茶色の髪に、晴天の空のように青い瞳を持つ端整な顔が彼女に向く。秋に15歳になるロッタに対して彼は20歳。政略結婚では5、6歳差など珍しくもなく、時が経てばそれほど気にする年の差ではないとはいえ、彼女には想像以上に王太子が大人びて見えた。
「改めて謝罪を。母が君に失礼した」
「い、いいえ、王太子殿下に謝罪いただくことではございません。頭をお上げください」
素直に頭を下げる王太子にロッタは目を
その後しばらく彼はロッタと雑談を楽しんだ。ネグロ侯爵家のこと、両国の文化のこと、エアデルトの歴史のこと……。王太子はロッタにエアデルトに関する知識をかいつまんで話したが、同時に彼女の行う研究に強い関心を示した。僅か14の少女がこれほどまでに魔法についての知識を持っていることを驚きをもって知ったのだった。
「思わず長居をしてしまった。興味深い話をありがとう」
「お礼を申し上げるのはわたくしの方です。さしたるおもてなしもできず、申し訳ありません」
「いや。……今度、晩餐に招待しよう。そのときにでも話の続きを聞かせてくれ」
ロッタは彼の言葉に快く返事をした。王太子はそれに軽くうなずくと部屋を後にしたのだった。
片付けが進む室内で、ロッタは無意識に力のこもっていた身体をほぐす。近くの侍女に少し休むと伝えて、誰もいない隣の部屋に移動した。
彼は少なくとも暗君にはなりそうにない。一つ一つの受け答えが丁寧で、エアデルトや周辺国に対する知識はリュシオンと比べても勝るとも劣らないだろう。きっとこれからも両国は同盟国として良好な関係を維持していくだろうし、将来王太子とリュシオンが共に国王になれば、それは一層確実なものになる。
彼女の主観から言えば、王太子との結婚は明らかにある程度の幸せを保障するものだ。具体的には、前世での暴力や酒にまみれた結婚生活とは程遠いものだということである。彼女の基準がそれであるなら、少なくともネグロ侯爵家一派の期待通り、大人しく結婚することが最上の選択のように思われた。
――しかし、それでいいのだろうか。
ここ最近、何度も何度もロッタの頭を過るのはたった一つの疑問だった。そしてたった一つの言葉でもあった。
『大きな不幸の後にはものすごい幸運もある』
すっかりぼやけて曖昧になってしまった記憶の中でも、天使の言葉は切り抜かれたようにはっきり覚えていた。
(わたしは、また、不幸に流されるだけの人生を送ることにならないかしら)
嵐の前の静けさのように、きっと何かが起こるだろうという不安だけが残る。ロッタを敵視する王妃と、聡明な王太子を交互に思い浮かべ、彼女は近くの寝台に身体を沈めたのだった。
外で絶え間なく鳥の声が聞こえて、ロッタは思わず目を開けた。重い身体を起こして初めて自分がいつの間にか寝ていたことに気づく。それも随分経っていたらしく、最後に見たときには開いていた窓が、鍵をかけてカーテンまで閉められていた。
おかしなほど空腹を感じることにロッタは嫌な予感を覚える。ボーッとする頭を押さえながら、彼女は隣の部屋を覗いた。
「お嬢様、おはようございます」
「……『おはよう』?」
部屋から出てきた彼女に気づき、掃除していた侍女が挨拶をした。その予想外の言葉にまとわりついていた眠気がすべて吹き飛ぶ。侍女はそんな彼女がおかしかったのか、思わずといった様子で微笑み、次いで咳払いをした。
「はい。昨日王太子殿下がお帰りになったあと、少し休むとおっしゃって、そのままお眠りになっていたのです」
侍女によるとほとんど一日寝ていたらしい。確かに彼女の記憶では昼食も夕食も取った覚えがないので、これほど空腹なのも頷けた。なぜだかあの後リュシオンたちが訪ねてきて、ロッタがすっかり夢の中だと聞くとしばらく待って帰ったらしい。必死で隠してはいるがどこか面白そうに語る侍女に、彼女はお門違いな恨み言を心の中で呟いた。
ロッタはすぐに湯浴みをして朝食を取った。丸一日近く食べ物を口にしていなかったからか、お腹は空いているのに少ししか食べられなかった。ただここは宮殿であり、ロッタは客人である。食べたいときに食べたいだけ食べればいいと言われ、素直に従うことにした。
「そういえば、昨日控えていた侍女と顔ぶれが違うわね」
「ええ。お気づきになりましたか」
その侍女は、昨日一日、それも数時間しか傍にいなかった侍女たちを目の前のご令嬢が覚えていることに驚く。そして次にロッタの口から出てきた言葉に更に驚くことになった。
「だって昨日、名前を聞いたもの」
彼女たちが仕える宮殿のやんごとない人たちは、侍女の顔など一々覚えないことが多い。それは彼らが非情なのではなく、その必要がないからだ。長い間王宮にいる人間は、王族や貴族に仕える仕事とはそういうものであると割り切って働いている。しかしロッタのように自分たちを一個人として認識してくれる人間に会うと、どうしても感動せずにはいられないのだ。
「王太子殿下がご手配下さいました。あの者たちは見習いを終えたばかりでしたので、ご不便だろうとお考えなさったのでしょう」
「そう。それなら、彼女たちは解雇されずに済んだのね」
「はい。……お嬢様の寛大なお心遣いに、皆感謝しておりました」
侍女の言葉にロッタは軽くうなずいただけだった。香りが豊かな紅茶を嗜んでいると、軽く扉を叩いて女官が入ってきた。侍女たちが一斉に礼をする。
通常女官は高い教養を持つ、
女官の機嫌を損ねると王宮を出て行かなくてはならないどころか、最悪家族にまで危険が及ぶ。侍女たちは宮中で暮らす王族や出入りする貴族たちのみならず、女官にまで気を配らなければならなかった。
「リュシオン殿下がお呼びです。すぐにマティス卿のいらっしゃる宮殿までお越しくださるようにと、言付かっております」
昨日の用事と何か関係があるのだろうかと一瞬考えたが、ロッタはすぐに返事をして女官のあとに続いた。