6話
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王女の出生に関する噂は彼女が生まれて10年以上が経つ今でも消えることはなかった。つまり、彼女は王妃キーラとベルフーア公爵の間にできた子供なのではないかという醜聞である。ロッタは恐らくそれについて何も知らないだろうし、知ったとしたら尚更王女に肩入れするだろう。エリックにとってそれは好ましい状況ではなかった。
侯爵家の行く末に一番の障害となるのは国王でもリヒトルーチェ公爵でもなく、王妃キーラだった。彼女がネグロ侯爵家の出身である以上、その一挙手一投足は必ず侯爵家の命運を握る。彼女は侯爵家を高みに引き立てたが、同時に崖っぷちにも追いつめた元凶だった。
そしていずれ王妃と決別しなければならないとき、ロッタが一番気にするのはネイディアである。従妹とはいえ切り捨てるときには容赦のないエリックや、そもそもロッタ以外の『血縁』に興味の薄いランデンはともかくとして、彼女は余りにも優しすぎる。特に守るべきだと認識した相手を自分を犠牲にしてまで守ろうとするのは、アイリスの血を受け継いでいるからだろうか。
エリックはこの機に二人の距離を遠ざけたかったが、ロッタはやはり一筋縄ではいかなかった。
「兄様が帰ってるの?」
階下から見知った声が聞こえてくる。兄というだけで純粋な愛情をくれた可愛い妹。そして時々彼にも分からない奥の深い瞳をしてこちらを見つめてくる最愛の妹が、『個人としての』彼には何にも代えがたい宝物だった。次点は生意気な弟である。
朝と同じように控えめなノック音が響いた。返事をしてすぐに開く扉。
「渡してくれた?」
「もちろん。喜んでいらっしゃったよ」
「本当? 何かおっしゃってなかった??」
彼はロッタを見つめた。
「兄様?」
「そうだな……。また宮中に来てほしいとおっしゃっていたよ」
返事は王妃に妨害されるだろう。それなら伝えない方がきっといい。彼は顔を綻ばせるロッタを見ながら、言い訳のように繰り返した。
「ところでロッタ、私からも話があるんだ」
夕日が山の向こうに沈むまで長い間続いていた雑談に、終止符を打ったのはエリックだった。久しぶりに兄妹水入らずの時間を楽しんでいたロッタは何事かと続きを待つ。すっかり暗くなった室内を、エリックは
「今日の会議でエアデルトの話が議題に上がったんだ」
『エアデルト』という言葉に反応して、ロッタの表情は一気に硬くなった。
「内容は、エアデルト国王が原因不明の病で倒れたので、クレセニアの白魔法使いを派遣してほしいという要請への対処についてなんだけどね」
「え……。ご病気なの?」
「ああ。だがこれは非公式な事実だから、ここだけの話にしてほしい」
ロッタは何故兄が自分にその話をしたのかが読めなかったが、事の重大さに深くうなずくしかなかった。
「結局腕利きの白魔法使いを派遣することで話がまとまった。ロッタ、ここからが本題なのだけどね。君はユリウス王太子と婚約しているだろう? そこで今回のエアデルトの危機に、ネグロ侯爵家が何も言わないというのは侯爵家にはもちろん、クレセニアとしても都合が悪いというのは分かるね?」
「ええ」
「そこでこの派遣に侯爵家の人間も加わることになった。私は、ロッタを推したいと思っている」
エリックはどこまでもロッタを気遣いながら話した。それが彼の中でほとんど決定事項となっていたとしても、出来ることなら彼女の合意の上で話を進めたいと思っていることが彼女にも伝わってくる。
「兄様、私にやってほしいことがあるの?」
ロッタは以前は父が、そして今は兄がネグロ侯爵家を担う重要な人物であると分かっていた。そして十数年を過ごすにつれて、彼女が『ネグロ侯爵令嬢』だからこそ出来ることがあるということも。しかしエリックはそんな彼女の発言に困ったような、悲しそうな顔をして首を横に振った。
「ロッタの望むことだけをしなさい。無理に婚約を進めたり、侯爵家のために行動しなくてもいい。私はただ、一度王太子に会って君が納得する未来を選んでほしいんだよ」
ロッタはエリックの意図が分からず困惑した表情で見つめ返すばかりだった。兄が言うことはほとんど正しいと思ってきたが、今回ばかりは彼女の意思で決めていいはずがない。そもそも今までの自由は15歳を迎えるまでの猶予期間だったはずなのだから。エリックは席を立ち、言葉を失う彼女の隣に座って手を取った。
「私の力不足でロッタを政治に巻き込まざるを得ないけれど、君の人生まで政治に左右されなくてもいい。大丈夫、後のことは心配せず、軽い旅行だとでも思って過ごせばいい」
エリックは彼女の目を見て断言した。ロッタは未だに浮かない顔をして兄を見る。
「もし結婚したくないって言ったら、どうにかしてくれるの?」
「ああ」
「本当に?」
ロッタは握られていた手に自分の手を重ねた。そんなことが本当に出来るのかという疑いが半分、それをしてエリックが危機に陥らないかという心配が半分。エリックはその手に目を落として、もう一度彼女を見た。
「約束するよ。誰も傷つかない。ロッタも、私も、侯爵家も」
ロッタは彼の言葉を聞いて不意に彼の後ろの窓が目に入った。少ししか経っていないような気がしたが、外はすっかり暗くなり、高級邸宅街ということも相まって街灯の周り以外街並みも見えない。彼女はつい昼間に思った疑問をエリックに投げかけてみたい気がした。しかし心で感じる漠然とした不安が言葉になって出てくることはなかった。
小さく開きかけた口を一度閉じて、もう一度開いたときには違う言葉が飛び出していた。
「分かった。わたし、エアデルトに行くわ」