2話
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「私がまだ一介の神官だったころ、ツェリ子爵家の領地の神殿にいた時期がありました。アイリス様は慈善活動を積極的になさっていて、特に救貧院には週に何度も通っていらっしゃったのです」
聞いたことのない話にロッタは目を見開いた。そもそもアイリスの話は屋敷の禁忌のように扱われていて、娘であるロッタも話題にしづらい雰囲気があった。侯爵家にいたころの話もできないのに、嫁ぐ前の母のことをロッタが知らないのも無理はない。
「立ち振る舞いだけでなく、心も穏やかな、美しい方でした。彼女がネグロ侯爵家に嫁ぎ、私が本殿にお仕えすることになっても、昔のよしみで季節ごとに手紙をいただいておりました。そんなある日、アイリス様から急なご連絡をいただきました」
「連絡……ですか?」
「ええ。生まれてくるだろう子供に、命の危険があるかもしれないという連絡です」
その瞬間、体の中心に重い衝撃が走る。机の下でゆっくり右手を左手で包むが、手の震えは収まらなかった。
「それは、」
「お嬢様の命の危険を知らせる手紙でした」
「……それで、どうなさったのですか?」
絞り出すようにして、ロッタは神官長に問いかける。
「もちろん、すぐに向かいました。私が子爵領にいたころお世話になったご縁もございますが、それ以上に、アイリス様が今までにないほど取り乱したご様子だったのです」
ロッタが生まれてすぐに亡くなってしまった母。しかしロッタの記憶の中では彼女はいつも笑っており、少しも辛そうな様子など見当たらなかった。
「ただ私が侯爵領に着いた頃には既にご覚悟をなさった様子でした」
神官長はふとロッタを見た。今ならまだ引き返せると訴えかけるような視線。しかし彼女はすでに答えを知っている気がしていた。
「……母は、わたくしの命と引き換えに、自らの命を差し出したのですね」
――ああ、言ってしまった。口に出した途端にもうそれしか答えはないのだと気が付く。
「お嬢様の
それは余りにも負荷がかかることだった。身体が魔力を放出しようとするときを除き、基本的に魔力は持ち主の元に戻ろうとする。胎内にいるのなら尚更その力はアイリスの身体を蝕んだはずだった。
「アイリス様の必死の努力によって、お嬢様がお生まれになったころには、少なくとも数日では命の危険がないほどにまで魔力は移されておりました。しかしまだ足りなかった。私は彼女を落ち着かせようと、お嬢様が多くの魔力を持っていたとしても、今は危険がないということを伝えました」
神官長は一旦言葉を止めて水を飲んだ。
「しかしアイリス様は万一のことも考えてほとんどの魔力を移し、決してあなたの元へ返らないよう、何重にも結界を張ったと聞いています。そのときにはすでに私は侯爵領を立ち去っておりましたから、詳細は存じ上げません」
出来れば当たって欲しくないと考えていた予想が現実になった。そして長年にわたる父の彼女への冷遇の原因を同時に知ることになった。彼女は机に置かれた水を眺めながら、生まれたばかりの頃を
「実際にお嬢様はアイリス様と同様、魔力への耐性は高かったのです。ただ、それ以上にお嬢様の持つ魔力量は膨大でした。例え規定値まで魔力を減らせてもふとした瞬間に暴走することがあるかもしれない。アイリス様はそのようにお考えになったのでしょう」
きっとそれだけではなかったのだろう。アイリスは妊娠中にすでに彼女の限界を超える魔力を体内に持っていて、最後の力を振り絞ってロッタの生の可能性を広げたのだ。ロッタは記憶の中の、夢の中の彼女を
それから数分も経たないうちに神官が時間を告げにやってきた。彼は部屋の異様な空気をみて目を丸くしたが、すぐに気を取り直すと最初と同じようにロッタに恭しく頭を下げて退室を促した。
「……今日は、貴重なお時間をいただきありがとうございました」
「お嬢様、先ほども申し上げた通り、彼女はお嬢様のことを一心に思っていらっしゃった。決してご自分を責めぬよう」
ロッタは神官長の言葉に軽くうなずいて踵を返そうとした。しかしふと気になって彼を見る。
「それにしても、なぜ、母は神官長に助けを求めたのですか」
このような場合は魔力や魔法に精通した、もっと最適な人物がいたはずではないか。失礼を承知で彼女は尋ねた。
「……それは、時期が来ればお分かりになるでしょう。私が申し上げられるのはここまでです」
「一体、」
「お嬢様、申し訳ございませんが、次のご予定がございますので……」
彼女は困惑した顔で神官長を見た。しかし彼は優しい目をしながらも、それ以上のことを話すつもりはないようだった。
「お嬢様に神々のご加護がありますように」
神官に促されながら、ロッタは部屋を後にした。立ち去るときにふと見えた神々の像が、こちらをじっと眺めているような気がした。