5話
夢小説設定
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言い訳は? と聞かれると、事を
「俺がわざわざ気を遣って時間を作ってやったのに、出て行く前より帰ってきたあとの方が暗くなっているのはどういうことだ?」
「そうですね。途中から流されました」
「おまえはもう少し上手くやるやつだと思ってたんだがな」
「私もです」
珍しく皮肉の一つも出ず、素直に落ち度を認めるジーンに、リュシオンは追及をやめた。飄々としているがこれは相当こたえている。焦燥ももちろんあるだろうが、判断力の低下も原因だろう。何を隠そう、彼らはこの数日一睡もしていないのだから。彼はジーンから目を離し、執務室の隅から隅までを見渡した。
(それも当然と言えば当然か)
そこには彼らの腰ほどにまで積みあがった書籍と書類の山。しかも一つではない。今や執務室は紙の山岳地帯と化していた。
新年が明けたころから、何があったのか、ジーンは開き直ったようだった。婚約式のときのような動揺は一切無くなっていた。リュシオンは立場上、なけなしの反対をしてみたが、この友がそんなことで自分の意見を曲げる人間だとも思っていない。普段は最終的に折れることが多いジーンだが、いざというときはリュシオン以上に頑固なのである。
最初は身内の攻略から。あとで聞くとルーナにはすでにバレていたらしいが、その流れでミリエルはあっさり合意したらしい。リヒトルーチェの女性陣は情報網が発達しているようで、遠くエストランザ伯爵領にいるアマリーもこの話を知っていた。
(あれほど戦慄しているジーンは滅多に見られないだろうな)
リヒトルーチェ、恐るべし。もしくは女性の情報網が恐ろしいのかもしれない。
しかしここでもとんとん拍子に話は進まなかった。最初にして最大の障壁、アイヴァンは当然断固反対した。貴族の結婚は家同士の結婚。しかも由緒正しいリヒトルーチェ公爵家の嫡男の相手なのである。他にも候補はいる中で、なぜわざわざ面倒な家を選ぶのか。アイヴァンの意見は当主としてまっとうなものだった。……自分が恋愛結婚していなければ。ジーンは上手く父の弱点を突き、いくつかの『条件』を満たしたあとならば好きにしろと言わせることに成功した。それが次の三つである。
一つ目、アイヴァンから回される仕事をすべてこなすこと。
二つ目、エリックの合意を得ること。
三つ目、上記の二つを満たしたうえで、ロッタの社交界デビューまでに彼女自身の合意を得ること。
その結果完成したのが、彼らを埋めるような紙の山岳地帯。
(悪魔のごとき所業だ)
遠回しどころか、分かりやすい妨害工作である。ヒューイに対しては他人かつやりすぎると娘に嫌われるという強迫観念から、無意識のうちに働いていた手加減が、今回は一切排除されていた。息子であるがゆえに徹底的だった。そして自分が請け負っていた仕事がリュシオンとジーンに回されることに味を占めた国王は、アイヴァンのやり方に口を挟まない。リュシオンは父に軽く殺意を覚えた。
「失礼いたします」
三回のノックと共に、執務室の扉がそっと開く。顔を覗かせたのは目の下を青黒く変色させた文官。クライン伯爵の部下だ。彼は書類が部屋の外へ流れ出さないのを確認し、扉を限界まで開ける。
「またか」
「はい……」
リュシオンのうんざりした声に文官は肩を縮こまらせた。扉の外に見えるのは追加の仕事。
「本棚の端がまだ空いているから、そこに置いてくれ」
動線を確保するために開けられた道以外は、ほとんどが埋まった。しかし恐ろしいのは、これがたった二人の人間から回された仕事だということだ。
「公爵はまだ参考文献を揃えて押し付けてくるだけ慈悲があるな」
「そうですね。エリック殿は見た目こそ少ないですが、裏を返せば必要な資料は自分で探せと言っているのと同じですからね。倍の時間がかかります」
ジーンはそびえ立つ左側の山々と、なだらかな丘陵地のごとき右側を順に眺める。嫌がらせの質としてはエリックの方が数段上だった。
公爵を攻略してからでは時間がないと踏んだジーンは、公爵とエリックを同時に説得するという暴挙に出た。その行動はさらに彼らの仕事を増やすことになったが、それはある意味ジーンの読み通りとも言える。今は文字通り死にそうなほど忙しいが、仕事を出す側も無限にストックがあるわけではない。押し負けるか、耐えられるかが、この勝負の肝である。
上司の上司であるリヒトルーチェ公爵の鬼のような采配を『慈悲』と言ってのける二人に、文官は思わず憐れみの視線を投げかける。かくいう自分も上司の私的な事情のために数日間眠れていないのだが、それを含めたとしても彼らの現状には同情を禁じ得ない。
お二人とも、頑張ってください。文官は心の中で最大限の応援を送り、ペコリと一礼して部屋を出た。何をして怒らせたのかは知らないが、若いうちはそういうこともあるだろう。身分上雲の上の存在に見えていた青年二人の印象は、今回の一件によって多少身近になった。