4話
夢小説設定
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「とりあえず座ろうか」
何も言わないロッタに気を遣ったのか、ジーンは再び腰かける。彼女もそれにならって隣に座った。しかし会話が続かない。ぼんやりと窓の風景を眺めつつ、彼女は黙って紅茶を飲む。マティス卿が退席したのだからジーンの正面に座ればよかったと、既に遅い後悔をしながら。
今まで幾度となくジーンと二人きりになることはあったはずなのに、なぜか今日は適当な話題が出てこなかった。ロッタは、以前ミモザがジーンについて言っていたことを思い出す。『何をとっても完璧』。それはロッタも同意するところだった。彼女はカップを口に添えながらチラリとジーンを窺う。
そして、完全に目が合った。
優しそうに微笑まれて、ロッタは危うく紅茶をこぼしそうになる。慌ててテーブルにカップを置く。
「な、何ですか、今の」
「何のことかな?」
「……いえ。いえ、何も」
「複雑な髪型だね。よく編まれている」
彼女の動揺に気づかない様子で、ジーンは青い花が編み込まれた髪を興味深そうに見つめる。
「わたしにもどう編まれているのか分かりません」
「そうなのか」
メイドたちが数十分かけて試行錯誤していたのを、ロッタはただじっと耐えていただけだった。少しでも頭を動かそうものなら数人からたしなめられるのは必至である。ジーンは下ろしていた手を彼女の耳の後ろに持ってきた。髪に触れるか触れないかの距離で手を止める。彼の行動を硬直したまま眺めていたロッタに視線を移し、先ほどと同じ優しい表情を浮かべる。
「だけど、綺麗だよ」
ロッタは完全に固まった。無意識に両手に力を籠めると、同時に彼の顔を眺めていることが出来なくなった。視線を外し、次いで顔を背ける。声にならない声が彼女の思考を埋めるが、何も考えていないのと同じくらいまとまりが付かない。顔に熱が集まるのを感じて、穴があったら入りたい気分になる。
(ちょっと待って、だけど、社交辞令なのでは……?)
もっともらしい意見が頭を過った途端、彼女は急激に落ち着きを取り戻す。服や髪型を褒めるのは会話の常とう手段だ。笑顔が破壊力抜群なだけで、ジーンとしてはただ会話の糸口を探していただけなのかもしれない。
その結論はある意味で彼女をなおさら恥ずかしくさせた。ただの社交辞令にこれほど照れる人間がいるだろうか。ロッタは再びジーンを見た。彼も彼女を見ていた。
「ありがとうございます。ですがそんなに見ないでください」
「なぜ?」
「まだ社交的な会話には慣れていないんです」
親戚との交流で、散々美辞麗句を並びたてられてきたために、以前よりは成長したのではないかと心のどこかで思っていたロッタは素直に反省した。一方ジーンは宙に浮いた手を下ろし、彼女に分からないようため息をつく。
「ジーン様は」
しかしロッタの声が聞こえた途端、取り繕うように穏やかな表情に戻した。
「笑顔がとても優しいです。もちろん、普段から分け隔てなく優しくて親切な方なのは知っていますが、笑顔が一番素敵です」
彼女は純粋な笑顔を浮かべた。ジーンは呆然とそれを眺め、特に考えた様子もなく口を開く。
「誰にでも、というわけじゃないよ」
ジーンにとって、それは口説き文句に他ならなかった。この場に第三者がいたのなら、そしてまったくうがった見方をしないのであれば、その人も十中八九口説き文句だと認識するだろう。しかしロッタにとって、その言葉は正反対の意味に聞こえた。空が厚い雲に覆われるように、彼女はどこか悲しげにうつむく。
「はい。ですが、それは仕方のないことです。ジーン様のお立場なら、誰にでもというわけにはいかないでしょう」
彼女の脳裏に浮かぶのは、欲にまみれた親戚たちの表情だった。もちろん、親戚の中にはツェリ子爵のように、純粋に彼女の成長を喜んでくれる人もいる。しかし一族の大半が望むのは、やはりネグロ侯爵令嬢としての彼女なのだ。貴族として生きる以上、その期待は当然のこととして受け入れなければならない。そしてジーンも貴族である以上、敵対するネグロ侯爵家の人間に優しくできないのは当然である。
理解していても、彼女は湧き上がる胸の痛みを無視することはできなかった。
「それでもわたしは、ジーン様に表面的な笑顔を向けられたくはありません。今のように気軽に話せなくなるのは、とても寂しいです」
本心を隠すように、ロッタの表情は相変わらず乏しかった。しかし薄茶色の瞳からは、寂しいという言葉通りの大きな感情の波が見て取れた。
「私は決して……」
彼女の誤解を解こうと話し始めたジーンだったが、近づく足音に口を閉じる。非常にまずいところで時間切れになってしまった。彼はロッタに向き直り、確信をもって彼女の瞳を見返す。
「君の心配は杞憂に終わるだろう。だからそんな顔をしないでほしい」
え? とロッタが意味を理解しようとしたところで扉が開いた。一仕事終えてきたリュシオンとマティス卿が顔を出す。マート卿が、無事、ロッタの研究成果を魔法研究所で発表することを許可したようだった。