1話
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「ルーナ、変に気を遣っているだろう」
コトコトと揺れる馬車の中、ジーンは向かい合う彼女に断定するようにそう言った。一方ルーナはギクッと肩を震わせて、視線をさまよわせ、そして何事もなかったかのように気を落ち着かせてから口を開く。
「な、なんのこと?」
「バレバレだよ」
誰から見てもぎこちない動きに、ジーンは最早追及する気も起こらなかった。可愛い。しかし、少しばかり気まずい。アマリーとヒューイの仲を取り持ってから、ルーナは恋のキューピッド役がすっかり気に入ってしまったのだ。恐らく、彼女はジーンとロッタの仲を邪推し、手助けしようと思っているのだろうと、ジーンは予想した。そしてそれはおおむね正しかった。
「もしかして、迷惑だった?」
シュンとしてこちらを窺う妹に、ジーンは思わず言葉に詰まる。
彼はミリエルやルーナが、アマリーの恋愛成就のためにどのようなことをしていたのか詳しくは知らない。協力したのはパーティーでの父の足止めだけであり、聞こうともしなかったから。ただ、アマリーたちの事情と自分の事情はまったく違うだろうという認識はあった。
「ルーナが気を効かせてくれるのを嫌だと思っているわけではない。だけどもう少し待ってくれないか? ルーナの手を借りたいときはそう言うよ」
ジーンはなだめるような口調で彼女を説得した。それが功を奏したのか、ルーナは力強くうなずく。窓の外には数人の使用人たちが見える。いつの間にか馬車はネグロ侯爵邸の敷地に入っていた。
「使用人たちが出払っていて、本当に何もないんですけど……」
「いや。こちらが急に押しかけてきたからね」
そうは言いつつ、客間は温まっており、軽食も用意されていた。ルーナたちは侯爵邸の一番豪華な客間に通された。
「ネグロ邸ってこんな感じなんだね。ちょっとうちとは違うよね?」
ルーナは、ボールを投げてもしばらく返ってこなさそうなほど高い天井を眺め、視線をロッタに移す。
「ネグロ家はエアデルトの文化の影響を受けているから、この屋敷もエアデルトとクレセニアの建築技術を融合させたものなの」
「ああ! 確かにこの雰囲気、エアデルトで見たかも!」
荘厳で力強いエアデルトの街並みを思い浮かべて、ルーナはもう一度周りを見た。一つ一つは線が細いのだが、どこか威圧的な雰囲気を放つ。優美なクレセニアの街並みに慣れている人間にとっては冷たく映ってしまうだろう。
「そういえばディレシアの王城を見たとき、少し懐かしそうにしていたね」
「しばらく帰っていないんです。エリック兄様と領地を回った時も、結局ネグロ侯爵領には行けませんでしたし」
「南の方から視察したって言ってたもんね」
「ええ。全てを回るには一年では足りなかったみたい。出来れば一度帰りたかったんだけど」
『帰る』という言葉から彼女の心境が窺い知れる。六つまでしか過ごしていなかったとはいえ、ロッタにとってネグロ侯爵領は故郷なのだろう。しかし同時にジーンは、エリックがなぜ彼女を侯爵領に帰したがらないのか、理解できるような気がした。あそこには彼女を疎むネグロ侯爵が隠居しているからである。
それにしても、とジーンは辺りの気配を探る。いくら新年で休暇と祝い金が出されるとはいえ、これほどまでにひっそりとしている屋敷は初めてだった。最低限の護衛はいるのだろうが、先ほどから人の足音がほとんど聞こえない。
「ロッタは毎年この時期は、どう過ごしているんだい?」
単純な心配から出た言葉だった。ロッタは決まりが悪そうな顔になる。
「ランデン兄様がまだパーティーに駆り出されていないときは、二人で過ごしていたのですが……。今は、一人です。二人ともこの時期は忙しいので」
ルーナは分かりやすく眉を八の字にした。一人で過ごすには余りにも寂しいと、同情するような顔である。しかしロッタは安心させるように言葉を続ける。
「だけど、それも今年が最後だと思うと案外惜しいものです」
「君にとっては来年が一番忙しい新年になるかもしれないな」
「はい」
朗らかに笑うロッタにつられて、ジーンも柔らかな表情を浮かべる。そのとき、彼の心を満たしたのは諦めだった。
もう少し早く分かっていればと、彼はどこかで思っていた。もう少し早くこの感情の正体に気づいていれば、彼女を遠ざけることが出来たかもしれないのに。彼はレングランド学院で、初めて彼女に会ったときのことを思い出す。
クラスメイトの妹。ネグロ侯爵令嬢。恐らく母親に似たのであろう、澄んだ瞳の少女。ただそれだけ。今思えば、出会わないでいるか、何も気づかず永遠に友人のままでいるかの二つのみが、ジーンにとって最良の選択肢だった。
しかし、気づいたときには遠ざけられないほど近付いていた。彼女の強さも、優しさも、そうであるがゆえの弱さも、とっくに理解していた。
今ではもう、どちらも選べない。