17話
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
シンと静まり返る奥宮に、少女たちの話し声が聞こえる。女官たちは部屋に待機する数人を除いて、全員部屋の外に出ていた。部屋にいる女官たちでさえ、距離を置いて穏やかに二人の様子を見守っている。
「それじゃあ、レングランドは一度辞めるということ?」
「はい。よく考えたのですが、少なくとも一年は研究をしている暇などないでしょうし、それ以降もどうなるか分かりません。ですから一旦レングランドを離れ、余裕が出来たら再び在籍できるよう掛け合いたいと思っています」
「そうなの……。だけど、そうよね。今後結婚の話も出てくるでしょうし」
ネイディアの体調はロッタと話しているうちに随分良くなったようで、枕にもたれかかるように上半身を起こしている。ロッタが訪れてから一時間。二人はポツポツと近況を話し合う。
彼女たちがこれほど親しげに話し込んだのは数年ぶりだった。というのも、かつて、ネイディアがロッタに言い放った言葉が、長い間彼女たちの心の距離を遠ざけていたからである。それはロッタが未だに怒っているということではなく、ネイディアの罪悪感と、それを察したロッタの気遣いが上手く噛みあわないことによって生まれたものだった。
会話の合間合間に、ネイディアがふと見せる悲痛な表情を、ロッタは複雑な心境で眺める。
『あのまま、彼が目覚めなければよかったのに』。今ならその言葉が、恨みよりも寂しさによって発せられたものだと理解するのは難しくない。
二人の話し声が急に途切れる。気まずい沈黙と、どこか落ちつかない様子のネイディア。ロッタは目を伏せた。そしてしばらく考え込んだのち、意を決して顔を上げた。
「ネイディア様、少し聞いていただけますか? ……わたしの、家族の話です」
『家族』という言葉に、彼女は僅かに肩を揺らす。二人が、暗黙のうちに遠ざけてきた話題に、踏み込むことを恐れているような表情だ。しかしロッタは彼女の恐れには気づかないフリをして、穏やかに話し出す。
「ご存じのように、わたしは生まれてすぐに母を亡くしました。父はそのことでわたしを遠ざけ、王都にいらっしゃったこともあり、ほとんど関わりなく過ごしました。母の記憶はありませんし、父の記憶も……ほとんどありません」
ネイディアは初めて聞くロッタとネグロ侯爵の話に言葉を失った。そういえば、と彼女は思い出す。ロッタからネグロ侯爵の話は一度も聞いたことがない。
「昔、わたしを愛してくれたのは兄様たちだけでした。二人の愛情が、わたしをどれほど救ったか分かりません。わたしの世界には兄様たちしかいなかった。それが王都に来て、たくさんの人に関わるようになり、徐々に広がっていきました」
「わたくし……」
「ネイディア様」
ネイディアの声は震えていた。その表情、態度、口調は、ロッタに謝ったときから何一つ変わらない。ネイディアは彼女が自分の元から去ってしまうのではないかと怯えていた。
……今でも何一つ変わらずに怯えている。
ロッタは白く細いネイディアの腕を手に取る。そして彼女の手を握ると、自分の顔の横に持ってきた。ネイディアがまだ幼いころ、ロッタが彼女に対して何度かやったように。ロッタがまだ幼いころ、エリックがロッタに対して繰り返しやったように。
「あなたにとってのわたしが、わたしにとっての兄たちのような存在であればいいと思っていました。本当に、本当にそうなりたかった。だけどわたしは、肝心な時にあなたのことを考えてあげられませんでした。そのせいで長い間、ずっとあなたを苦しめていたことを、心の底から後悔しています」
ロッタの左右の瞳から、一筋の涙がこぼれた。それは頬を伝って床に落ちる。ネイディアの境遇を一番理解し、寄り添うことが出来たのは彼女のはずだった。しかしあの発言と、その後の縋るような謝罪が、ロッタに正面から向き合うことをためらわせた。ずっと、ネイディアが気にしているのを分かっていたはずなのに。
ネイディアは目を丸くして彼女を眺めていた。しかしロッタの言葉と涙の意味を理解した途端、苦しみを吐き出すように嗚咽を漏らす。せきを切ったようにとめどなく涙がこぼれる。
「ちがうの、……違う。すべて……すべて、わたくしが、わるかったの。……あなたのお兄様に取られて、……もう会いに来てくれないのではと、勝手に思って……。ごめんなさい……! ……ごめんなさい、ロッタ」
室内にはしばらくの間、重く寂しい気配が漂った。
しかしそれでも、二人の手は握られたままだった。