15話
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
散々互いに言いたい放題言ったあと、先ほどと同じような奇妙な沈黙が落ちる。庭園では赤や黄色に色づいた木々が、ちらほらと木の葉を落としていた。豊穣祭まであとひと月足らず。彼女の誕生日はその期間中に訪れる。
ここになってようやくロッタは冷静さを取り戻した。同時に、彼女は彼女自身が、ジーンをどう思っているのかを理解した。
相変わらずふてくされた表情のランデンをそっと見る。これはもう、ジーンの話を出した途端いなくなってしまうパターンである。ロッタは、何か別の話題がないかと考えを巡らせて、もう一つ重要な相談事があったことを思い出した。
「……ね、兄様。わたし、昔の記憶をどんどん忘れていっちゃうの」
「は?」
突然何を言い出すんだ。ランデンは怪訝な顔で返事をする。しかしロッタは気にせず続けた。
「ずっと覚えていたくて何度も思い返すんだけど、思い出すたびに減ってるわ。絶対減ってる」
――それは、最近特に感じるようになった違和感。ロッタには、『クラリス・ロッタ・ネグロ』になる前の記憶がある。何かが原因で彼女は転生の輪に乗らずに転生した。それが何だったのかはもはや思い出せないし、前世の記憶ももうほとんどなくなっていた。転生前に話をした天使の姿もおぼろげだが、彼との会話ははっきりと覚えている。それが彼女に『前世の記憶』が本物だと確信を与える唯一の事柄だった。
忘れた記憶が何とは言えない。分からないし、きっとランデンに言っても無駄なことだ。しかしロッタにとっては重要なものだった。ずっと覚えていたかった記憶だった。
ランデンは彼女を一べつした後、あぐらをかいたひざに片肘を乗せ、手の上に背を丸めて顎を置いた。
「そりゃあ、覚えていたいことが多すぎるからだろーが。新しく入ってくる思い出が多すぎて、もう昔のことなんざ覚えてらんねーんだろ。分かり切ったことを深刻そうに言うな」
ロッタは本当にどうでもいいといった態度のランデンの横顔をまじまじと見つめる。温かな日差しを受けて、話している間に寝そうな表情だった。
「昔のことをずっと覚えていたいと思うのは、おかしいかしら?」
「さあな。思い出は増えていく一方なんだ。少しくらい忘れてもいいんじゃねーか?」
「……そっか。そうよね」
ランデンは彼女の葛藤など知らずに言っていた。しかし彼女にとってその言葉は、今までどこかで抱いていた罪悪感をやわらげるものだった。『彼女』がいなければロッタはもっと深い孤独を感じていたに違いない。それでも、申し訳ないという思いから、縋りついていたのはロッタの方だったのかもしれなかった。
あの父親でも満足だということを、兄たちがどれほど幸せをくれているかということを、今の生活がかつてのロッタには考えられないほど恵まれているということを、分かっておくために縋りついていたけれど。
忘れてもいいと、どこからか聞こえた気がした。
「兄様ってちょっと哲学的なんじゃない?」
「おまえの哲学の基準が『空が青い』程度のものだったらな。つーか、いつまでこの下らねえ会話続けるんだ」
「ね、兄様、わたし思ったんだけど、……お父様って、ちょっとわたしに酷すぎるわよね」
ランデンは丸めていた背を伸ばしてロッタを見た。焦げ茶色の瞳が珍しいものを見たかのように開かれる。しかしそれは一瞬の間に、面白そうに細められた。
「やっと気づいたか」
今度はロッタが肩を抱いた両腕に顔をうずめて、ランデンをいたずらっぽく見上げる。
「それから、兄様たちはわたしのこと、ずっと大好きよね」
ランデンはそれには答えず、代わりに左手でぐしゃぐしゃと、彼女の真っ直ぐな髪をかき混ぜる。いつもなら抗議の声をあげる彼女も大人しくされるがままになっていた。
「兄様」
「今度は何だよ」
「わたし、とっても恵まれた生活してるけど、でも、もう少し幸せになりたいわ。だから決めた」
「……ほらな。お前は俺に相談する気なんざ、元々無かったってことだ。余計な時間取らせやがって」
あーあ。ランデンは言葉のようなため息のような声を発しながら、ごろりと芝生へ寝転がった。彼女は髪を整えながら立ち上がる。顔は屋敷を向いていた。エリックのいる書斎には白いカーテンが掛かっていて、風が吹くたびにはためく。
「だが言っておくが、お前の男の趣味は最悪だぞ」
「兄様より百万倍素敵な人よ」
「何だともう一度言ってみろ」
「ひゃ、百倍くらいにしといてあげる」
ランデンが立ち上がる前に、ロッタは駆け足で屋敷に向かう。彼女の逃げ足は、長年の鍛錬の賜物で、凄まじい俊敏性を持っていた。