13話
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昼食を食べ終えてから彼女は随分昼寝をしていたらしく、ルーナたちはすでに丘に登っているだろうとのことだった。ジーンは何事もなかったようにいつも通りの態度でロッタに接した。調子が狂うのはロッタである。
「近くで見るとすごくきれいな水ですね。底を泳いでいる魚まではっきり見えます」
舟から身を乗り出すようにして、彼女は精一杯はしゃいでみせる。普段の二人なら静かに穏やかに雑談を楽しむのだが、今のロッタにはそれが耐えられなかった。ジーンは無理をしている彼女に優しく目を細める。
「ロッタは王都より地方が好きなんだね。以前エアデルトに行ったときも、ディレシアよりレブン村にいたときの方が生き生きしていたし」
「う……実は、そうなんです。どこまでも広がる平野とか、のんびり過ぎていく時間が懐かしくて」
「やっぱりネグロ侯爵領の思い出かい?」
彼女は乗り出していた身体を元に戻した。先ほどまでの気まずさは消え去っていた。緩んだ表情で、ジーンを見つめながらも心ここにあらずといった様子で話し出す。
「暮らしていたのは六歳までなのですが、それ以降も夏や冬の一時には帰っていました。エリック兄様がレングランドを卒業するころくらいまで。街道があるので商人はたくさん通るのですが、城で出来ることは少なかったんです。兄様たちと遊んだり、時計塔から街の様子を眺めたり、読書や音楽、刺繍とか……。すごく穏やかな日々でした。兄様たちの今の様子では考えられないくらい、ゆっくり過ごしていたんですよ」
思い出は多少美化される。実際にはランデンに振り回されたり、読書や刺繍が嫌で外に出たりしていたわけだが、それでも彼女にとっては幸せな記憶だった。王宮や魔法師団で多忙を極める彼らを見ているとなおさらである。
聞けば聞くほどロッタがいかにネグロ侯爵家、ネグロの遺産を大切に思っているかが分かってくる。だからこそ彼は、両家が不利益をこうむらない方法をずっと模索していたのだ。
(だが、今は、……今は言わない)
ジーンは遠い目をして思い出にひたるロッタを目に焼き付けた。きっと、次に彼が口を開いたとき、彼女は現実に引き戻されるだろうから。
「ご存じのとおり侯領は北にあるので、エリック兄様は避暑もかねて領地運営に行きました。そんなことならわたしも連れて行ってほしかったのですが……」
「それは難しいだろうね。社交界デビュー前の令嬢が、ゆっくり夏を過ごすのはほとんど不可能だ。侯領でパーティーを開くなら別だが」
「ですよね」
「ロッタ、そのことについて、私から一つ頼みたいことがあるんだ」
急に深刻みを帯びたジーンの声色に、ロッタはきょとんとして小首をかしげた。内容の想像がまったくつかなかったために、その直後、彼が言ったことに対する反応が遅れてしまったのは仕方のないことだった。
「……ロッタ。君がデビューした最初のパーティーで、最初のダンスを私と踊ってくれないか。エリック殿でも、ランデンでも、君が懇意にしているどんな貴族でもなく、私と踊ってほしい」
舟の中が、時が止まったように静まり返った。ロッタは、彼の言葉の意味を理解すると、みるみるうちに驚きをあらわにする。困惑が身体中を支配して、思考とともに動きも停止した。
「で、ですが、そんなことをしたら、社交界中の噂になりますよ」
しばらく止めていた息を吐き出し、再び吸ったあとに出てきたのは、あるかないかも分からないような抵抗だった。ロッタは心のどこかで、冗談だと言われることを期待していた。居心地のいい関係が、彼の一言で変化してしまうことを無意識に恐れていた。
しかしジーンは本気だった。彼女が何を願っているかすべて分かった上で、彼はもう迷わなかった。
「そうだね。私はそれを望んでる。君がたくさんの男に出会う前に、君の心が欲しいんだ」
ロッタの頬を、触れるか触れないかの距離で彼の手が撫でる。優しい微笑みが彼女をとらえて離さない。ロッタは、彼のその笑顔が自分だけに向けられるものだったことを、そのとき初めて知ったのだった。
時間が欲しいという彼女の返答を聞き、ジーンはあっさり引き下がった。
舟が対岸に到着するころ、日はすでに傾きかけていて、どこからか聞こえてきた喧噪もすっかりなりを潜めていた。ジーンはルーナたちが丘を下ってくるのを見つけた。流れるような仕草でロッタに手を差しのべる。彼女は少し目をみはったのち、やはり彼の手を取った。ルーナが二人に気づくころにはいつも通りの表情に戻っていた。