なんでもない話をしよう

 
やはりリーグ四天王とはかなりの激務なのではないか。久方ぶりに会った知人などから心配そうに尋ねられたりすることはあるが、体力的なことだけに関してならこれが意外とそうでもない。極端なことを言ってしまえば、ポケモンとともに旅立つことを決めたその日にだって挑むことのできる(勝てるものかはともかく)各地のジムとは異なり、バッジを全て揃えたそれなりのトレーナーで無ければ足を踏み入れることすら出来ないリーグはまず、挑戦者の数の分母そのものが違うのである。

その上、待ち受ける四天王とチャンピオン、すべてを一度たりとも引き返せない連戦で打ち破らなければならないルールとなれば、当然だが挑戦者にはジム戦とは比べものにならない準備が必要となる。決して安価ではない傷薬を揃え、ポケモンに持たせる貴重な道具やきのみを吟味し、そして作戦を練る。全てを投じた万全の備えを以てしても勝利を掴めなかったとして、挑戦者が再びリーグの門をくぐるまで、ほんの数日程度の準備期間では到底足りることはない。己に足りなかったものを考えることさえ放棄し、とにかく繰り返し挑戦しているうちに運が向けば勝てるだろうなどという浅はかな考えを持つトレーナーでは、そもそもここまでたどり着くことが出来ないというのは言うまでもないだろう。運を味方につけることはできるが、運だけに縋るのは愚か者のすることだ、というのは勝ち負けというものに対して潔い美学を持つ同僚の弁である。つまり、引っ切りなしに挑戦者が現れ息つく暇もない、などという状況はまずあり得ないというわけだ。それに、全てのバッジを手にした熟練のトレーナーであろうと、どうしても埋めることの出来ない圧倒的な実力の差の前にすべてを諦め、二度と現れなくなる者も少なからず存在するのが事実である。

しかし挑戦者がそう多くはないということは、一度の敗北が四天王の立場を大きく揺るがすということだ。あまりに戦績が振るわなければ引退を余儀なくされる場合もあるし、そもそもそんな事情で空いてしまったイッシュ四天王の椅子のひとつを勝ち取ったのが、他ならぬ自分自身であった。ほんの少し気を緩めてしまえば、やっとの思いで摑み取ったこの立場を、前任者と同じく次の誰かに譲り渡すことになるだろう。そういった意味で、リーグでの緊張感のある日々は精神的には大きな負荷である。だが、逆にその重責を自らの糧にすることもできずに、何がリーグを守る四天王か、とも思う。負けても失うもののないぬるま湯に浸っていては、きっと闘志は萎み、成長は止まってしまう。気を抜けば押し潰されそうなプレッシャーの中で、勝利に繋がる一手を叩き込む瞬間こそ、イッシュリーグ四天王がひとり、レンブの何よりの喜びであった―――のだが。


「それにしても最近、ほんっとにヒマですよねぇ……はい、またアタシがいちばん」
「あら……」
「またか……」

黒い手袋に包まれた指が、レンブの手元からカードを1枚抜いていく。やがて、気の抜けた勝利宣言とともに数字の揃った2枚のカードをぱらり、と広げてみせたのはまたしてもシキミだった。彼女はテーブルの隅に置かれた箱に手を伸ばし、有名店のロゴが入った入った菓子の包みを三つ、鼻歌交じりに取り出す。
残されたふたり、レンブとカトレアは互いの手元のカードをじっと睨み合った。ひと足先にゲームを抜けたシキミは、部屋の隅に向かって手招きをしている。

「でも、私ひとりでこんなにたくさん食べられませんから……ほらシャンデラ、おいで。一緒におやつを食べましょう」

彼女が焼き菓子の包みをそっと開くと、やさしいバターの香りがあたりにふんわりと広がる。主同様にヒマそうな様子であたりを漂っていたシキミのシャンデラが匂いに気づき、すうと紫色の炎の跡を引きながら彼女の手元に近寄る。と思ったら、目にも留まらぬ早さで焼き菓子をぱくりと頬張った。やはり高級な菓子というのは匂いからして違うし、それはポケモンにだって分かるのである。喜んだシャンデラが、しゃらん、とガラスのかけらを重ねるような声で鳴く。それを見たカトレアは薄らと微笑んでみせた。

「おいしい、って言ってます。ありがとう」
「ええ、お気に召したようで何より」

常ならば張り詰めたような緊張感が漂っていることの多い四天王の控え室に、今はなんとも場違いなようにも感じられるおだやかな空気が流れている。それがいいことなのか悪いことなのか、レンブには今ひとつ判断がつかない。

シキミの言うとおり、近頃のイッシュリーグの様子をひと言で表すならば、只管にヒマであった。これに尽きる。とにかく挑戦者が少ない。プラズマ団を名乗る連中が起こした騒ぎの直後で、更に伝説の竜の1匹を従えてそれを鎮めた少女が新チャンピオンに就任したばかりともなれば、一時的な挑戦者の減少は頷けよう。元通りの日常は徐々に戻っていくものだとは理解しているが、しかしそれでもリーグに漂う空気が弛緩している事実は否めなかった。各々普段通りのトレーニングにこそ励んでいたものの、その成果をぶつける実戦の機会に、ここしばらくは恵まれていないのだ。

現に今日も、今ここにいない四天王のひとりが挑戦者の最初の相手となるため受け持ちのエリアに出ていたところであるが、つい先ほど挑戦者が敗退したことを伝えるアナウンスが早々に流れた。誰も言葉にこそしないものの、控え室には落胆の気配が満ちたところだった。
というわけですっかり手持ち無沙汰になった我々は、カトレアの提案で、彼女の執事が差し入れに持ってきたという菓子の詰め合わせを賭けてカードゲームに興じている。
カードを通して相手の表情を読み、嘘を見抜き、逆にこちらの考えを悟られぬよう平静を保つ精神を鍛える修行―――などと称してはみたものの、出てきたばかりでもう自室に戻るのも詰まらないから、という理由の暇つぶしの要素のほうが大きいことは言うまでもない。つい先ほどまでバトルの様子を映していた壁の大型モニターには、今は我らが同僚の名前と、彼が挑戦者を無傷で退けたことを示すモンスターボールのアイコンが四つ、並んで映されているばかりだ。

「そういえば……」シキミの席の前でちょっとした山のように積み重なった菓子を見ながらふと、レンブは尋ねる。
「シキミ、こんなことをしていて小説のほうは大丈夫なのか?」

なるべくシンプルなものがいい、と三人で選んだゲームはババ抜きだ。最初にあがった者は箱からお菓子を三つ、次に抜ければ二つ、そして最後まで残った者は一つ、好きな物を取っていく。そのルールで何度か対戦を繰り返すと、あっと言う間にシキミの手持ちの菓子の数がトップに躍り出た。
やはり小説家という職業柄、人の様子を観察するのが得意なのだろうと感心する反面、その小説家の仕事である原稿のほうは果たして進んでいるのかと、つい心配になったのだ。ちなみに「いつもお嬢様がお世話になっておりますので」とカトレアの執事が持ってきた手土産はおそらく店で購入できる中でいちばん容量の大きなものを選んでいるので、シンプルかつ上品なデザインの箱にはまだまだたくさんの個包装の菓子が収まっている。

「あ……それ聞いちゃいますか?」レンブの予感は的中していたようで、シキミはがっくりと肩を落とした。「実はあんまり大丈夫じゃなくて、きのう電話で頼み込んで締め切り延ばしてもらったばかりなんです……」

なかなか良いバトルもできないし、創作意欲も湧かなくて。ため息をつきながら泣きそうな声で呟いたシキミは、基本的に自室にこもって執筆活動を行っていることが多い。最近こうして控え室を訪れるようになったり、外を散歩したりするのをよく見かけるということは、つまりだいぶ行き詰まっていて気晴らしを求めている証拠である。

「そうか……なんというか、あまり無理しすぎない程度に頑張ってくれ」
「はぁい……」

四天王として心躍るようなバトルを楽しめないことが、小説家としての彼女の執筆活動に悪影響を与えているというのはなんともシキミらしい。言われてみれば、彼女が愛用の手帳におきにいりのペンでさらさらとことばを書き留める様子が見られなくなってから、ずいぶんと久しいように感じられた。

「あら、余所見をしていていいのかしら。次はあなたがカードを引く番よ」
「む……」

シキミの半分ほど、そしてレンブよりやや多いくらいのお菓子を持った現状2位のカトレアが、不敵に笑ってみせた。レンブはテーブルを挟んで彼女に向き直る。
強力なエスパーの彼女に、パートナーたちの操る不思議な力と同じ物を使われでもしたらまるで歯が立たないのでは、と初めは危惧していたが、しかしどうやらカトレアは人の心を読んだり未来を予知したりといった方面の能力にはあまり秀でていないようであった。ついさっきの対局の最中にも、彼女の手札に潜むジョーカーをかわしてカードを取り去っていくシキミに「アタクシに透視能力があれば……」と唇を尖らせているのを見た。正直ちょっと面白かったが、機嫌を損ねてしまうと申し訳ないので黙っていた。一見クールなようで、案外ころころと表情のよく変わる女性である。

「さて、どちらを引いたものか……」
ふむ、と唸る。カトレアのほっそりとした手が持っているのは2枚のカードだ。対するレンブの手元には、数字のカードが1枚、つまり彼女の持つカードのどちらかがジョーカーだ。これからそのジョーカーを躱して数字のカードを引くことができれば、レンブの勝ちである。試しに彼女のカードの手前まで伸ばした指を左右に動かして様子を窺ってみるが、カトレアの様子に然したる変化は読み取れなかった。それどころか、僅かに首を傾げてふふふと笑ってみせる。彼女の肩にかかる美しい髪が、きらきらと波打った。

「残念ね。アタクシ、何年もかけて感情のコントロールを覚えたの。ちょっとのことでは動揺したりしないわ」
「……仕方が無いな。こうなれば直感で行くしかなかろう」

よし、と気合いを入れて、レンブはカトレアのカードに手を伸ばす。生来、相手の裏を搔いたり揺さぶりをかけたりといった小細工に頼るような質では無いのだ(得意ではない、とも言うが)。ともかく、引くのはこちらから見て右のカードと決めた。

「では……」
「おや、なんだか楽しそうなことをしているね」

と、レンブの指先がカトレアのカードを1枚引き抜いた瞬間のことだった。控え室のドアを開けた細身の男が、テーブルの上に広げられたカードを目にして弾んだ声をあげる。まったく目ざとい奴だと、レンブは引いたばかりのカードの数字を確認する前に裏にしてテーブルに伏せ、小さく息をついた。勝負は一時中断だ。
シキミとカトレアからの「お疲れさま」という労いの声を受けながら、つい先ほど挑戦者との対戦を終えたばかりの四天王のひとり―――ギーマがこちらに向かってやってくる。その後ろから音も無く歩いてきたしなやかな黒豹は、さきほどの挑戦者をひとりで退けた彼のレパルダスだ。どうやら帰り道のポケモンセンターで回復してもらったようで、つややかな毛皮に覆われた体にはかすり傷ひとつ見当たらなかった。久方ぶりのバトルを終え、そのまま大好きなご主人と一緒に歩いてきたらしい彼女は楽しげに、長い尻尾をゆらゆらと揺らしている。

「君たちがカードとは珍しいな。次は私も入れてくれ」
「どうしましょう。少し手加減してくれるなら、考えてもいいかも?」

だって私たちじゃ、ギーマさんにはまるで敵いませんし。そう言うシキミに、「手加減ね……」とギーマは顎に手を当てて何かを考えている。
マイペースなレパルダスは気持ちよく勝てたことにすっかりご機嫌なのだろう、ごろごろと喉を鳴らして主人の足元に擦り寄った。ギーマはその背中を撫でながら、口の端を吊り上げた。「そうは言っても君たち、どう見ても手を抜いている私に勝っても、それはそれで悔しいだろ?」

シキミとカトレアは顔を見合わせる。やがて二人の口から同時に、ふふ、と笑いが漏れた。

「まあ、それもそうですけど」
「確かに、ギーマのいうことは一理あるわ」

リーグ四天王なんてものをやっているくらいだ、物腰が柔らかだったり一見おとなしそうに見えたとしても、なんだかんだでここにいる全員がもれなく筋金入りの負けず嫌いなのである。たかだかお遊びと言えども、明らかな手加減やハンデを相手に背負わせた上で得た勝利を素直に喜べるかと聞かれたら、答えはノーに決まっている。

「まあ、それはさておき、さっきの勝負はどうなったんだ? レンブがカードを引いていただろう」

空いていた席に座りながらギーマが目線で促すと、カトレアは首を振って、手元に残された1枚のカードを表にした。

「残念ね。アタクシの負け」
僅かに頬を膨らませた彼女の手の中にあるのは、ジョーカーのカードだ。と、いうことはつまり。レンブが先ほど伏せておいたカードを表に返すと、それは今手札にあるものと同じ数字である。思わず拳をぐっと握りしめた。

「どうだ。格闘家の直感もなかなか捨てたものではないだろう」
「いくら超能力で机やソファを持ち上げられても、こういうのはうまくいかないものね……」

はぁ、とカトレアがため息をつく。苦手なタイプであるエスパー使いに読み勝つことが出来てついはしゃいでしまったが、些か大人げなかっただろうか。レンブは誤魔化すようにごほん、とひとつ咳払いをして、テーブルの上に広がった捨て札の中に手札を放った。

「ねえギーマ、ちょっと」

一連の様子を何やらニヤニヤしながら眺めていたギーマだが、ふとカトレアにスーツの袖口をくいと引かれたことに気づき、視線を向ける。

「アタクシの仇を討って欲しいわ」

ふんわりとした儚げな見た目の少女の口には相応しくない、なんとも物騒なおねだりである。悪戯っぽく小首を傾げて、カトレアはレンブから回ってきた菓子の箱をギーマに見せた。シキミの取り分ほどの量ではないが、まだ色とりどりのパイやマフィンが並んでいる。「報酬はこれでいい?」そう尋ねられたギーマは、楽しげに笑ってみせた。

「なんだ、賭け試合だったのか。君も意外と不良のお嬢様だな」
「執事には内緒ね」
「勿論だとも」

わるだくみをするように笑うカトレアとギーマは意外と仲が良い。生まれ持った高貴さのようなものを言動の端々に常に滲ませていところがあるので、きっとお互いへの共感が少なからずあるのだろう。
もっとも、定期的に家から執事がリーグを訪れているカトレアに対して、ギーマからは出自や家のことに関する情報の断片すら流れてくることがない、といった違いはあるが。そして、それはおそらく意図的である。

「よし……いいぜ、我らがカトレアお嬢様のお願いを聞いてあげようじゃないか」
「なっ……!」

レンブが物思いに耽っているうちに、何やら交渉が成立していたらしい。いつのまにかカトレアと席を交代してレンブの目の前に座っていたギーマは、テーブルの上にばらまかれたカードに手を伸ばしていた。
ジョーカーを1枚だけ外したそれらを一旦ひとつにまとめ、トントン、とテーブルを叩いて揃えると、次の瞬間、まるで手品か何かとしか思えないような手つきでカードを滑らせシャッフルを始めた。なんの変哲もない紙製のカードの束が、まるでひとつの生き物のように彼の両手の間を行き来する様を、レンブはただぼうっと見つめてしまう。

「じゃあ、私はレパルダスを見ていますね。ギーマさん、この子におやつをあげても?」

絨毯の上でゆったりと寛いでいるレパルダスの傍らにしゃがんだシキミは、よく手入れされた毛並みをやさしく撫でてやっている。

「ありがとう。頑張ったご褒美だ、シキミにおいしそうなのを選んでもらうといい」

レパルダスがご機嫌な鳴き声をあげるのと同時に、パチン、と小気味良い音を立ててシャッフルが終わった。裏返されたまま手際よく配られてくるカードを確かめながら、レンブはげんなりとした視線をギーマの手に向ける。カードを扱う彼の本職のディーラーもかくやとばかりの指捌きを見た時点で、元から大して無かった勝算がすっかり消え失せた気分である。

「まったく、初めから勝ち目のない勝負はあまりしたくないものだな……」
「まあまあ。負けるかも、と思っていても戦わなきゃならない時ってやつがあるんだ。君も男なんだからわかるだろ?」
「すくなくとも今この時ではないことはわかる」
「意外と理屈っぽいんだから……」配り終わったカードの中から、同じ数字を捨てていく。残った互いの手札の数はほぼ五分と言ったところだ。レンブの手札に入っていないジョーカーは、つまりギーマがぱっと広げて見せたカードの中に潜んでいる。

「では、君に先攻を譲るよ」
カード越しに、青い瞳がこちらを見ている。全てを見透かしているようにも、なにかから意図的に目を逸らそうとしているようにも思える奇妙な視線は出会った頃からレンブにはどうにもむず痒く感じられて、しかし不快ではなかったし、今では密かな興味すらも引かれている。


■   ■   ■


「ふむ……さてはこれがジョーカーか?」
「ギーマお前、うるさいぞ。そんなもの素直に答えるわけがないだろう」
「カードを選ぶとき相手に話しかけてはいけない、なんてルールは無いだろ? ……ああ、なるほどわかった、こっちだな」
「だから知らんと言っている、……あ」
「私の勝ちだ」

ぴっ、と手の内からカードが抜き去られていくと、レンブの元に残った手札はジョーカーの1枚だけになった。最後の数字が揃った手札をテーブルに置いて勝利宣言をしたギーマに、ギャラリーのふたりから感嘆の声が上がる。

「まったく、君は正直すぎるんだ」

言うまでもなく結果は散々である。最初の手札の中にジョーカーが入っていなかったことを喜んだのも束の間、二手目でジョーカーを引かされてから、たったの一度もそれをギーマに返すことのできないうちに負けてしまった。レンブの様子を窺いながらカードの前で指を動かしては、次々と数字のカードを引き抜いていく。彼の繰り返す質問は、答えそのものよりも相手の反応を見るためのものだと途中で理解したものの、理解したからといって対処できるわけもなく。

「ありがとう。約束通り、これはアナタに」
「ああ、どうも。部屋に戻ったらみんなで頂くとしよう」
カトレアから菓子の詰め合わせの残りを箱ごと受け取ったギーマは、ちらりと横目でレンブのことを見遣った。妙に真剣味を帯びた眼差しに、ぎくりと体が強張る。

「しかしレンブ、君は考えていることがすぐ顔に出るな。気づいてないだろうが、君は焦るとまばたきの回数がものすごく増えるんだぜ」

「なっ、まさか」指摘に身体が強張った。ほんの一瞬と言えど、瞬きの間に周りが見えなくなるその一瞬こそが、格闘技でもポケモン勝負でも命取りであったりするのだ。何があっても目を瞑るなと教え込まれて鍛錬に励んできたはずだが、無意識のうちにそうなっているとしたらそれは死活問題である。「いや、まさかそんなはずは……」内心冷や汗をかきながら問いかけると、ギーマはやがてふっと口元をゆるめて、

「うん、嘘だ。瞬きは増えないけど、ほら今の顔だぞ、君は動揺するとそういう顔をするんだ。覚えておくといい」
「……まったくお前は……」

ギーマはけらけらと愉快そうに笑っている。彼の愛猫もまた、シキミに与えられていたクッキーのちいさなかけらを口の端にくっつけたまま笑っていた。やはりポケモンがトレーナーに似るというのは本当らしい。

カードを指さして「これがジョーカーかな」などと鎌を掛けるとき、ギーマは必ずレンブの顔をじっと見つめる。もしそのカードが本当にジョーカーであったとする。違うと言って目を逸らしたら逆にそれが事実であると認めてしまうことになるが、だがその目をまっすぐに見つめ返したところで、あっさり嘘を見破られそうだ。ならばいっそのこと、裏の裏を搔いて「そうだ」と本当のことを答えてみたならばどうなる―――そんなことを考えているうちにペースを乱されに乱され、そして向こうの嘘やハッタリにはあっさりと引っかかり(今のまばたきの回数が云々のくだりだってまさにそれだ、)結果このザマである。

「やっぱり、あくタイプの使い手にはそういうテクニックも必要なんでしょうね。ゴーストタイプもわりと搦め手で戦う子が多いので、なんとなくわかります」
「そうだな。技にはトリッキーなものが多いし、それを扱うポケモン自体も気難しかったりする」
でも、そこがいいんだ。ペーパータオルでレパルダスの口元を拭いてやりながらギーマは呟く。おいしかったかい?と尋ねれば、レパルダスはうにゃあ、と尻尾をぱたぱたさせて、たいそうご機嫌だ。その様子を座ったまま眺めていたカトレアは、ギーマとレンブを交互に見遣ってから、ギーマに向かって尋ねた。

「それにしてもアナタ、レンブには随分と意地悪なのね」
「いやいや、そんなことはない」

そんなことあるだろう、と言いかけてレンブは口を噤んだ。不本意ながら今は何を言ったところで負け惜しみになってしまう―――などと思っていたら、ギーマは不意にレパルダスをボールに戻した。彼の持ち物には珍しい、随分と年季の入ったボールの表面に走る細かな傷を、指先でつうとなぞって、

「……と言ったら嘘になる」

ふっと眉を下げ、はにかむように笑ってみせた。

「実はさっきの君との勝負は、この子の仇討ちでもあるんだ。練習試合であのローブシンにこっぴどくやられてるからね。トレーナーとして多少ムキになってしまった」
「まあ、だからあの子はレンブにだけあまり懐かないのかしら」
「……あまりそうストレートに言わないでくれ。流石にへこんでしまう」
確かにあのレパルダスに自分はあまり好かれていないのではと日頃から薄々感じてはいたが、こうして改めて言葉にされると胸にぐっさりと刺さるものがある。レンブが腕組みをしてため息をつくと、「君は本当に正直だ」ギーマは彼にしては珍しく、声を上げて笑ってみせた。戦利品である菓子の箱を抱え直し、レパルダスの収まるボールをスーツのポケットへと仕舞い込む。
「アタシもそろそろ戻りますね」山盛りの菓子を抱えたシキミもシャンデラをボールに呼び戻した。景品もなくなったところだしお開きか、とレンブも席を立つ。カードを揃えてプラスチックのケースにしまっているところだった所謂言いだしっぺのカトレアも、「楽しかったわ」と満足そうだ。

「まあ、でも……」
部屋を去る直前、ドアの前でふと立ち止まったギーマが、こちらを振り返る。
「そういう真面目で正直なのも、悪くない」
ふたつの青い瞳は、ただレンブのことをじっと見ていた。

「その正直さを最後まで曲げずに、敵を真正面からねじ伏せて、大切なものを守りきることのできる本物の強さを持っているのなら。それは素晴らしいことだと私は思う」

それは茶化すような響きや皮肉っぽさを一切含んでいない、まっすぐな言葉だった。それだけ言うと、ギーマは普段のように眉尻を下げてひらひらと手を振り、控え室を去って行く。

「…………」
まるで詩や文学めいた小難しい言い回しや専門用語のようなものを並べ立てているわけでもないはずなのに、時に彼の言葉はひどく難解である。意味はわかるがその意図に触れることができない、と言っていい。それは「知らないから」だと知っていた。ギーマの足元にあるものを、背景にあるものを、視線の先にあるものを、あまりにも知らなすぎる。
人の感情の機微というものに決して聡いとは言えない自覚のあるレンブではあったが、自分を見つめる彼の目の中に、ほんの一抹の「さみしさ」のようなものを、確かに見た気がした。


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