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「アローラの海に面白いトレーナーがいる」―――たったそれだけの噂話を追って、わたしは海を渡った。観光帰りの知人の土産話の中にほんのひとかけらだけ混ざっていたのは、私のよく知る男のことのように思えたが、しかしまるで知らない、会ったことも無い誰かのようにも感じられた。か細い糸を手繰り寄せるように足跡を辿って、ようやくたどり着いた常夏の陽射しの下、そこで見つけた男に纏わり付いていたのは紛れもなく「死」であった。わたしは瞠目した。

「見つけ、た……」

人の輪の中で朗らかにわらっているのが似合う男であったが、時にそこから一歩外れたところでぽつりと、ぼんやりと、ただとおくを見つめることが一等似合う男でもあった。ああ見えて、ほんのひとにぎりの近しい者を除いた殆どの人間に気を許してなどいないことを窺わせる横顔にそなわっていたのは、彼の連れ歩くしなやかでうつくしいけものにも似た貪欲さと、そしてひとにぎりの憂いであった。ここまで克明な死ではなかったはずだった。
生白い首にゆるく絡み付いた薄布も、まっさらな砂浜には似つかわしくない革靴を濡らす透き通った水も、纏わり付くその全てが死であったことにわたしはおそれを抱いた。つまり彼は観光客で溢れかえる真夏のビーチのはじっこで、すこししめったまっさらな着流しの裾を、すっかり白く染まった後ろ髪を、血の気の足りない指先を、それらをほんのわずかのちからでくいと引かれれば、容易く足を踏み外してしまう崖のふちに立っていた。

「ギ……」
いつのまにか、すっかりからからに渇いた喉が、それ以上のことばを音にすることを拒んでしまった。しかし彼は、軽く手を振り、まるで昨日の夜に別れた同僚に朝の挨拶でもするような軽い声で、やあ、とわたしに呼びかけた。眩しすぎる白砂にべたりと横たわった何年もの歳月をなかったことにするかのような口調に、わたしはくらりと、陽射しのせいではない目眩を覚えた。
「わたしは、お前を……」
ずいぶんと隈の濃くなった瞳がこちらをじいと見ている。あたたかな南国の風が、冗談のように細い首に絡み付いた死を棚引かせている。彼を連れて行こうとしている。着流しの合わせから覗く肌の青白さから、つい目を逸らした。
「服が気になるかい? どうだ、悪くないだろう」
「……よく似合っている」
わたしが他人の見た目に対して世辞を言える質ではないことを彼はよく分かっていたし、実際これは世辞などではなかった。身に纏う全てが彼によく似合っていた。つい怖気を誘われるほどに。この世のものではないものと見紛うほどに。
「おや、ありがとう。君に服を褒められるなんて初めてだ」
「私は、お前を」
「少しは気の利く男になったということかな」
「お前を……」
彼ほど悪知恵のはたらく、もとい、賢い男であれば、痕跡ひとつ残さず異国の地に逃げ果せることなど造作も無いはずだった。それがどうしたことか、まるでちいさく千切ったパン屑を入り組んだ森に落としていくように、あちこちに微かな足跡を残していった。だから、それは。たとえわたしのうぬぼれであっても、もう構わないのだ。この男にニヤニヤと笑われることなど、不本意ながらとうの昔に慣れてしまった。

「お前を、連れ戻しにきた」

先の言葉の続きを告げると、打ち寄せた波がふたりの足をざぶんと濡らした。彼は、しばらく黙っていた。

「……イッシュのリーグに? 無理だよ、もう後任がいるだろう。どこかの誰かみたいに突然消えたりなんかしない、真面目でまともな後任が」
「いや、そうじゃない」
「では君は何を、」
「“そこ”から」

彼ははっとしたように目を見ひらいて、今にも泣き出しそうなこどものように、すこしだけ口元をゆがめて、やがて観念したように、ふふふと笑った。
なるほど君が、そんなふうに泣いちまうくらいさびしかったというのなら、しかたがないな。そう言って、わたしの記憶に残るそれとまったく変わらない、意地の悪い笑みを見せた。わたしは泣いてなどいない。そうか、ならばわたしにそう見えただけだ。ひとつふたつことばを交わした後、彼が袂から取り出した何かが、ぽいと放り投げられた。美しい放物線を描いた、錆びたコインが一枚、ざざん、とふたたび打ち寄せた波に攫われて、とおくに、二度とだれの手も届かないとおくに、とおくに、流されていったのを見た。



≫黒い海
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