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■17歳くらいのマツミナです




「なあ、もしかしてだが、マツバには私くらいしか友達がいないのか」

最近妙に滑りの悪い玄関の引戸の施錠をようやく終えたぼくに、ミナキくんはなんの脈絡もなくこんなことを言うものだから思わず気の抜けたような声が漏れた。

「は?」

不意の問いかけにぼくの浮かべた疑問符を肯定と受け取ったのか、ミナキくんは勝手になんだか気まずそうな苦笑いを口の端に乗せている。しばらく何かを考えるように視線を巡らせてから、だってこんなふうにいきなりやって来たって、いつも相手をしてくれるのだからと言った。そんな消去法ではなく、もしほかに友達がいたって約束があったってきっとぼくは君を迎えにいくよと伝えるために口を開くのが億劫になってしまうくらいには、七月の空に鎮座する太陽が遠慮と容赦のない熱を振り撒いていた。四角い青の真ん中に縫い止められて動けないあれは、きっと自由に歩き回れる地上のぼくらのことが羨ましくて憎らしいのだ。ミナキくんの白いシャツと、半袖から伸びる腕が眩しくて、ぼくは目を細めた。

「……気がつくのが遅いよ、十年くらい」

鍵をポケットに突っ込みながら答えると、ははっ、と彼が笑う。

「ああ、薄々感づいてはいたがやっぱりそうか。君は思っていることが顔にも口にも出ないからな。寂しくはないか? もっと頻繁に遊びにきたほうが良いだろうか」
「……。ぼくからしたら、ミナキくんに友達が多いほうがよっぽど謎だけど」
「その代わりケンカもするぞ。どうやら私には多少無神経なところがあるようだからな」
「知ってる。今まさにやられたところだし」

歯を見せて笑うミナキくんはまったく悪びれていない。そしてぼくが怒ってなどおらず、その性格を直せとも言わないことを知っている。でも、これからもちょっと無神経なひと言でぼく以外とぜひケンカしてくれたらいいと思っていることを、きっと知らない。指の隙間からぽろぽろと水をこぼすように、人とのつながりを少しずつ失っていけばいいのだなんて考えてしまうのは、ぼくが悪い人間だからだろうか。

「さて、行こうか」

なんだか嬉しそうに言う彼の首筋を伝う一筋の汗から、目を逸らした。


■ ■ ■


さて、なぜこんな盆地の夏の一日でいちばん暑くなるような昼下がりにこうして出歩いているかというと、ミナキくんがどうしても寄りたいところがあると言うからだ。今から行くとポケギアに連絡を寄越したわずか30分後にエンジュ着、うちに荷物を置いたかと思えば即「出かけよう」と来たものだから、相変わらず常人とはスピード感が段違いだ。ぽつぽつと他愛もない話をしながら歩くこと10分、ぼくたちは目的地に到着した。

「ここのプリンアラモードがどうしても食べたかった」

景観を守るために色味が抑えられているエンジュの建物の例に漏れない、シックなレンガの店構えは古ぼけたドアベルの音色でぼくたちふたりを迎え入れた。東西の塔をつなぐ大通りから少し外れた裏道、仕事をリタイアしたマスターが趣味でやっているようなこぢんまりとした喫茶店はいつも静かで居心地が良い。今の客はカウンター席に腰かける老紳士がひとり。店内ラジオからは、ポケモン子守唄のゆったりしたオルゴール調のメロディが流れている。

「いらっしゃいませ」

マスターに軽く会釈を返し、ぼくらは迷わず店のいちばん奥のボックス席に向かい合って座る。この店にはミナキくんがエンジュに来る度ふたりで、ぼくはひとりの時にもたまに訪れている。ひとつ手前のボックス席は冷房の風が直接当たって、コーヒーを一杯飲み終わる頃には少し体が冷えてしまうのを知っているくらいには常連と呼んでいいのかもしれない。

「アイスコーヒーでいいよな?」
「うん」
「他には」
「ぼくはコーヒーだけでいいかな。君が来る前に、お昼しっかり食べちゃったし」
「そうか。……すみません、アイスコーヒーをふたつと、あとプリンアラモードを……」


注文を済ませ、色褪せたメニューをぱたんと閉じたミナキくんが、ふといやに神妙な面持ちになって囁く。「あとでほしいって言っても分けてやらないぞ」……言わないよ。

「こんなに良い店が徒歩圏内にある幸せを噛み締めるべきだ」
「そうだよ、こんなに近くだから、好きなときに好きなものを食べに来られるんだ。あっち行ったりこっち行ったり忙しい君と違って」
「この贅沢者め」

ほどなくして、まずアイスコーヒーがふたつ運ばれてきた。昔ながらの大振りなフロートグラスにたっぷりなみなみと注がれたコーヒーを見てまずおいしそうとか思うより先に、この客入りで店の採算は取れているのかを相変わらず心配してしまう。ぼくもいろいろと大人になったものだ。
言葉少ないマスターは、ごゆっくり、とだけ残してカウンターの中に帰っていった。続いてプリンアラモードを載せるガラスの器が食器棚から静かに取り出されるのを、ミナキくんはこっそり横目で追っている。子供みたいである。

「ミナキくんはお昼食べたの?」
「食べた。クチバ港の売店のたまごサンドがけっこううまくてよく買う」
「……え、うわ、朝はスクランブルエッグじゃないか。たまごばっかりだな」
「こら、つまらないことに千里眼を使うんじゃない。……それはさておき、マツバに友達がいない話に戻るが……」

アサギの海の向こう、彼がいたどこかのホテルの朝食メニューに飛ばしていた意識を戻すと、ミナキくんはぼくの目をじっと見ながらストローに口をつけていた。

「まだ続くの、それ」
「続く。あのな、私は本気でもったいないと思っているんだぞ。君はけっこうおもしろい奴なのに」

彼の言う「おもしろい」は、「愉快である」なのか「興味深い」なのか、それとも「一緒にいて楽しい」なのか。未だに聞くのが怖いぼくはふうんと気のないふりをした相槌を打ちながら、ガムシロップをひとつ手に取る。

「ここではおじいちゃんおばあちゃんなんかには特に可愛がられてるし、君もそうやって良く言ってくれるけど……でも……」
「うん」
「……まあ、余所では妙な目で見られるようなこともあるってこと」
「……うん?」

意図的に曖昧さを残した言葉選びにいまいちピンときていない様子でストローをちゅうちゅうと吸っていた彼だったが、やがて何かに得心がいったというように「ああ」と声を出した。

「スクールの連中のことを言ってるのなら、それは僻みというやつだ。強いんだろ、君」
「ハッキリ言うなぁ……まあ、そういうのもあるかもしれないけど……」
「そっちこそ否定しないんだな」
「行き過ぎた謙遜は時に失礼だからね。というかそれは客観的にも事実だし。ほら」

財布からトレーナーカードを抜き出してテーブルの真ん中に置くと、ミナキくんは目を丸くした。そこに記録されているトレーナーとしての様々な情報と、目の前に座るぼくの顔を交互に見遣っている。

「え、え、これ、エリートと書いてあるが」
「先月に昇格して、そういえば言ってなかったなと思って。ぼく、また一歩ジムリーダーに近づきましたので」
「どうしてすぐ教えてくれないんだ。これってけっこうすごいことなんじゃ」
「まあどうせ君はそのうちこっちに来るし、その時でいいかなって」
「えぇ……」

しばらく困惑したような表情でいたものの、やがて彼はてのひらに収まってしまうようなカードを両手でおそるおそるつまみ上げ、そっとぼくに返した。バトルに本腰を入れているわけではない自分が触れることに、罪悪感のようなものがあるのかもしれない。

「……ともかくおめでとう。ひとまず今日は私のおごりで、ちゃんとしたお祝いはまた後々」
「なんだ、じゃあお昼抜けばよかった」
「あのなあ……」

冗談だよと笑って、ぼくはミナキくんから受け取ったトレーナーカードを再び財布にしまった。
ジムバッジの取得数や大会での成績などを総合的に判断された結果、ぼくは所謂エリートトレーナーの肩書きを得た。ジョウトの各地から集まったトレーナーズスクールの同期生たちには「ジムリーダーの身内だから贔屓されてるんじゃないか」とでも言いたげな目で見られることもあるが、むしろ修行だの何だのと家のことをこなしつつ、バトルでも成果を出しているのを誉めてほしいくらいだ。不正を疑われる謂われなどないと証明するには、あれこれ言うよりも実力を示すほうが早い。これまでずっとそうしてきた結果だと思っている。
しかし、彼ら彼女らから注がれる視線に時折混じるのは、ミナキくんの言うような妬み嫉みだけではないとぼくは常々感じていた。

「……やっぱり、ライバル視とかだけじゃないな。気味悪がられる、っていうか、そこまでいかなくても近寄りがたいと思われてるというか。そういうふうに感じるときはあるよ」

コーヒーにガムシロップを垂らすと、黒い水面に浮かぶ氷が透明なとろみに押されてからりと動いた。ミナキくんはなにも言わず、ただぼくの言葉に耳を傾けている。
代々不思議な力を持っていると言われるエンジュのジムリーダー、その縁者である自分であったり。その生態に関する謎は未だに尽きず、癖のある性格や能力から使い手もそう多くないゴーストタイプのポケモンたちであったり。そういった馴染みのないものに対する好奇や恐怖の感情は、人間誰しも持っていたって仕方ないのだ。

「それにこの街も、」少し声を潜め、続ける。「……昔ほどではないけど、まだ少し閉鎖的な空気があるところにはあるんだ。そもそもぼくだって他人に対してグイグイいけるタイプじゃないし、取っ付きにくいと思われてもそれはおあいこなんだよ」

そう締めくくり、ぼくがようやくストローに口をつけると、ミナキくんは窓の外に目を向けた。しばらくうーんと唸りながら何か考え込んでいたようだったが、やがてこちらに向き直って、

「私はそういう空気ってやつをあまり感じたことはないが」
「鈍感だ」
「いや、少なくとも、君や君の周りの人たちは私にとてもやさしいという意味で言った」
「…………ああ、そう……、…………それはどうも」

どういたしまして、と言われて、そして沈黙が降りた。これはいったいどういうやり取りだろう。次の話題を探すべきか、そもそもこれでこの話は一旦終わりでいいのかとぼくが思い悩み始める絶妙なタイミングで、テーブルの真ん中に一皿のプリンアラモードが現れる。

「お待たせしました」

カラメルソースのたっぷりかかったプリンの上にはきれいに絞られた生クリーム、てっぺんを飾るさくらんぼ、脇をカラフルなフルーツが固める。プリンアラモード、と聞いて頭に思い浮かべたものを実際に形にしたら、きっとこうなるに違いないというような安心感がある。待ってましたと言わんばかりにぱっと目を輝かせたミナキくんがお礼を言うと、マスターは目元の笑い皺を深めた。
あかるい翠色の目は、今年はもう過ぎ去ってしまった若葉の季節の色だ。でも分厚い窓ガラスからこぼれる夏の陽射しの中でもきらきらと輝いて見えて、なんだか眩しい。デザートスプーンを構えた彼は、プリンとクリームと一緒にさくらんぼを真っ先に掬い取って口に運び、満足そうに頬を緩ませている。
昔からそうだ。ショートケーキのいちご、一番好きなおかず、缶の中に一枚しか入っていない星のかたちをしたクッキー。大切なものは誰の手にも触れられないところに持っていくように、真っ先に食べてしまう。

「うまい……」
「よかったね」
「これなら大通りに店を構えたって十分やっていけそうなものだが」
「わかってないな。こういうひっそりした裏道にあるから雰囲気が出るんじゃないか」
「……それもそうか」

もしこの店が表の通りにあって観光客でごった返すようになってしまったら、こんなふうにゆっくり話もできやしないだろう。これはお気に入りの宝物が誰にも見つからないでいてほしいと願うような、ささやかな独占欲だ。ただ、この店の場合あまりに見つからなすぎると潰れてしまう危険がついて回るのが悩ましい。ミナキくんが悲しむ姿は見たくない。

「こういう細い通り、エンジュにはけっこう多いが、子供の頃は怖かったな。日が落ちると真っ暗で、近くを通るのも嫌だった」

ふと、彼がそんなことを言う。

「どうしたの、急に」
「ひっそりした裏道、なんて言うから」

ああ成る程、と納得すると同時に、ぼくもまた釣られて昔を思い出した。今はまだ明るい時間だが、夕暮れ時に大きな屋敷の塀や木の影が落ちると、エンジュのあちこちにある細い裏道に続く曲がり角はまるで暗闇がぽっかりと口を開けているように見える。それを幼い時分のミナキくんはお化けが出るとずいぶん怖がって、前を通りすぎるのも怖いと手を握られたのには頭を抱えたものだ。外で遊ぶ時は日が落ちる前に帰ったり(それはそれとしてまだ遊びたい、なんてわがままを言うものだからまた困った)、なるべく暗い道が目につかないよう遠回りをしたりと、今となっては笑える思い出のひとつだが。

「タマムシは夜も賑やかなところが多いから尚更だよね」
「何よりこの街の神秘的な雰囲気と相俟って、昔は本当に怖かった。なにも見えない道の奥に得体の知れないものが潜んでいそうで」

その内のひとつを奥に進めば、実際はこんなふうにプリンアラモードの美味しい喫茶店があったりしたわけだが。ミナキくんはまた、スプーンを口に運んだ。
もちろん危ないからという理由で裏道を子供だけで通り抜けることは大人から禁じられていたが、無知な幼い目線からは、馴染みのない街というのは時に必要以上に恐ろしく見えるものだ。自分にも心当たりがあった。

「逆にぼくなんかは、そっちの街が怖かったけどね」頭に浮かぶのは、ミナキくんの生まれた街のことだ。「まるでなにか大きないきものに飲み込まれて、心臓の音を聞いてるみたいだった」

いつもそちらで面倒を見てもらってばかりで申し訳ないからと、何度か彼の生家のあるタマムシシティにお呼ばれしたことがある。夜になっても眩しい街の瞬きは不規則なように見えて実は一定のリズムを刻んでいると気がついたとき、自分は巨大な生き物に飲み込まれていて、ここは既に体の中なのではないかと不安になったりしたものだ。次の朝になったら何事もなく帰れたけれど。

「私はずっとタマムシ暮らしだったから、そんなふうに思ったことがない。マツバはなかなかに詩人だな」
「何だそれ。本業の人に怒られるよ」

くすくすと肩を揺らして笑いながら、ミナキくんはミルクを手に取った。たっぷりと注がれたこの店のアイスコーヒーの半分は甘いものに合うブラックで、残りの半分にはミルクを入れて味わうのが彼のルールらしい。

「そういうものだよな。なかなか研究が進まないゴーストポケモンも、お化けが出そうな暗闇も、音と光の点滅も、ひとには見えないものが見える奴も。みんなお互い怖いんだろう。自分の常識の外にいる存在ってやつは」
「……それ、友達のいないぼくに対する慰め?」
「どうだろう。私は思ったことを喋ってみているだけだから。好きに受け取ってくれればいいし、なんなら聞き流したっていい」

そんなことを言われたら、逆に聞き流せなくなるだろう。ぼくがソファの背もたれからわずかに背中を浮かすと、ミナキくんは口の端に軽く笑みを乗せて続けた。

「君がこう、世間の大多数における最大公約数という意味での常識というやつから、ふらりと離れていってしまったように見えるときはたまにある。でもきっとそれは、私たちには見ることの叶わない世界の常識にしたがって動いているときなのだろう」
「……」
「私には、特別な力なんてものはないよ。だが君をひとつずつ知ることで、君の内にあるもうひとつの常識に歩み寄ることはできる。ずっとそうしてきた。だから気味が悪いなんて思わない。もちろん驚かされることはあるが」

ーーー特に驚いたのはあれだほら昔あっただろう、あのお寺の、今は取り壊された古いお堂の前を通りかかったとき。君は突然立ち止まって屋根の上を指さして……、……。

そうして、ミナキくんはなんでもないように昔話を続ける。彼の手元のグラスの中で、コーヒーの黒い水面に垂らされたミルクがゆっくりと落ちて、からからと笑うように氷が鳴く。やがていびつなマーブル模様を描いてコーヒーと混ざりあい、境目を失くしながら底へ底へと沈んでいった。

それを見つめていたぼくが、なんでかも分からず、どうしようもなく泣きたいような笑いたいような気持ちになっていることを、きっと、君は知らないのだ。

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