BARステラアビス

 


―――あなたが私を大切にしてくれるのは、やっぱりかわいそうだからでしょうか。

空になった手元のグラスに視線を落としたまま、彼は呟く。しかしサマヨイが口を開く前にはっとしたように顔を上げて、すぐに申し訳なさそうな苦笑いを浮かべてみせた。バーの控えめな照明の下でも、不意にこぼされる本音と、“しっかりした大人”であろうとする意識の境目を以前よりも克明に捉えてしまうことが、サマヨイにはどうしても苦しかった。

「……いや、本当、どうしようもないですよね。同情を誘うために自分から昔の話をしたくせに、今度はただ哀れまれているだけかも、なんて言い出すのは、身勝手もいいところだ」

そう言って目元を押さえて、カジはため息をついてしまう。彼が相手の気を引くための小道具としてあまりに気安く過去を差し出すものだから、それをすっかり塞がった古傷だと思い込んだ連中は気まぐれに、撫でるように愛でたのだろう。実際は未だにぱっくりと開いたままじくじくと陰鬱な熱を持つ、生の傷口を抉るのに等しい行為だと、当の本人すら気がつかないまま。他者への加害であり無意識の自傷でもあるそれを止めたいと思う気持ちに愛だの恋だの憐憫だのと名札を貼りつけることは正解なのかと、サマヨイはずっと答えを出せずにいる。

「あなたは人を傷つけたけど、同時に自分も傷つけていたんだろうね。だから正直、あなたに対して“かわいそうだ”と思う感情が私の中に少しもないとは、言えない」

でも、それが全てではないから安心してほしい。そう続けると、カジは少しほっとしたように小さく息をついた。サマヨイは少しだけ口をつけたグラスをテーブルに置く。とある友人からおすすめされたB-52のきれいに分かれた色の層が、時間の経過とともにその境目をじわりと失いつつある。色々な気持ちが混ざって溶けて、たとえ変な色になっても、何の風味なのかうまく説明できなくても、ただとても好きだと言える味になってひとつのグラスに収まっていればいい。それでは、まだ安心ができないのかな。

「……変なことを聞いて申し訳ありません」
「あなたに嘘は吐きたくないんだ。それにばれちゃってから気まずいし、半分くらいは自分のため」
「あなたのそういう素直なところ、けっこう助かっているんですよ。色々とひねくれてしまった大人ですから」

カジはきっと、ぽつんと落ちたインクの染みのような哀れみがそのうち見えなくなるくらい、あまくてまるくてきれいなものだけで互いの胸の中を埋めていけたらいいのにと思っているし、そんなものは手放せない幼さの描く絵空事だともわかっている。しかし、そう願うことを臆病者同士の傷の舐め合いだと誰かから揶揄されようと、今日より明日が少しでも良くなるのならそれでいいと、サマヨイは思う。こんなにも弱い自分たちは、ふたりでいなければ大切なものを取りこぼしてしてしまう。

「……こういう気持ちとかあなたと私の関係に、辞書に載ってる言葉で名前をつけなきゃいけない決まりなんてどこにもないよ」

ね、とサマヨイが笑いかければ、彼もまた、少しぎこちないながらも笑顔を見せた。次の一杯は同じものにしたいとか、帰り道が同じことがうれしいとか、思い描く明日の中にお互いの姿があるとか、それだけで今はいい。ただ、それだけで。

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