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「ギーマさん、今日の昼はどこにいたんですか?」
「……おいおい、きみ時計は読める? 子どもはもう寝る時間だぜ」
「いいんです。この時間に起きようと、ちょっと昼寝をしましたから」
燦燦と照りつける陽射しの下、汗ひとつかかずにサメハダーたちに餌をやっているはずの彼の姿は今日の昼の浜辺にはなかった。代わりに真っ黒な波打ち際にふらりと、上空を舞うドンカラスにひとことふたこと話しかけながら彼がやって来たのは時計の針がてっぺんを指して通り過ぎた深夜だった。誰かが砂浜にぽつんと忘れていったさみしい浮き輪に腰かけるぼくと、革靴に砂をびっしりとくっつけて、一歩歩いてそれを押し寄せる塩水に流してもらって、そしてまた一歩歩いては砂をくっつけて、無駄なことを繰り返すギーマさんと、まんまるの月だけがここにいる。
「あのね、ぼく、人探しをしているお兄さんに会いました」
「ほう」
「すっごく強そうなお兄さんでした。最初はちょっと怖い人なのかなと身構えちゃったけど、話してみたらとても礼儀正しかった」
昼間、浜辺に現れた男の人のことを話した。見上げるような長身で、がっしりした体つきの大きな男の人だった。ギーマさんは、ふうん、とぼくの言うことに相槌を打った。頭上でドンカラスが、更に相槌を打つようにギャアと鳴く。
怖い、といっても、ぼくがそう感じたのは彼自身の隙の無さと、連れていたポケモンたちの確かな強さに対してだ。意味も無く何かを傷つけたりするような人では無いというのは、「すまない、少しいいだろうか」とこちらに近づいてきた彼のまっすぐな目を見て、すぐに分かった。まっすぐだけど、何かひどく焦っているような目だった。
はるばるイッシュから来た彼は、人を探しているのだと言った。どう見ても観光に来ている様子ではないなあと思っていたが、それは正解だったようだ。彼の説明してくれたその人は、ぼくがよく知っているひとのような見た目をしていて、でもぼくがまるで知らないひとのような性格をしていた。話を聞いているあいだ、白と黒から出来ているぼんやりとした霧のようないきものが、瞼の裏で何度も何度も像を結ぼうとしているのに、その寸前で、彼とぼくとの間で何かが食い違っている奇妙な違和感のせいで、ふっとかき消えてしまう。ぼくから見えたあの人が間違っているのか、それとも彼が見ていたあの人が間違っているのかは知らない。
だからぼくはその男の人に、ごめんなさい、よくわかりません、と答えてしまった。彼はひどく残念そうにしていた。何でも、こんな風に遠くまで来るための連休をそう簡単に取ることのできない仕事をしていて、もう今夜の飛行機でイッシュに帰らなければならないのだという。
「最後に、邪魔をしてしまってすまない、なんて謝られてしまいました。……特訓とかしてたのならともかく、ぼく、今日はアシレーヌと遊んでただけなんですけどね」
「変わらないねえ。おおらかな人が多いこの辺ではちょっと浮くな、その生真面目さは」
ふふっ、と吐息だけで笑ったギーマさんは、水面に映る月をじっと見ている。いつの間に脱いだかわからない革靴が、生白い素足のかたわらにぽいと投げられて、ひっくり返っていた。
「やっぱりあのひと、あなたのことを探していたんじゃないですか」
「……さあ、人違いかもしれないな。だからきみは知らないと答えたんだろう」
「昼間は隠れていたんでしょ、あのひとが来るのを知ってて」
「私は、誰にも見つからない場所にいただけだよ。偶然ね」
悪びれる様子もなくギーマさんは言う。世間ではそれを「隠れていた」と言うんだ。こういう屁理屈を捏ね回すようなおとなにはなりたくないなと思いながら、ぼくは浮き輪から腰を上げた。
「ぼく、ひどいことしちゃったかな」
真っ黒な空を見上げて呟く。イッシュ地方がどの方角の海の先にあるかは分からないけど、今日の最後の飛行機はきっともう、飛んでいってしまった。両手いっぱいの後悔を乗せて。
月の前を横切るように、ドンカラスがくるりと円を描いて飛んでいる。「あれはね」ギーマさんの青い目は、空の月をじっと見ている。
「あれはねえ、まあひとこと話せばすぐに分かるだろうが、真面目な男だよ。どこまでも真面目で正直で頑固で冗談が通じない、おまけに年下で後輩のくせして私に説教を垂れるとんでもない堅物で……」
きっとその視線の向いているずっと先に、彼を待つ人のいる場所があるのだろうとぼくは思った。
「……私みたいな奴と一緒にいては、いけない男だよ」
ああこれは告白なんだ、とぼくは悟る。同時に、なぜあの人にギーマさんのことを「知らない」なんて答えてしまったのかをなんとなく理解して、色褪せた後ろ髪を、真っ黒の襟巻を、着流しの袖を、物言わぬ夜の風が撫でていくのをただ見ながら、ひっそりと唇を噛んだ。
≫アイラブユーが聞こえない
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