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「もっと、悔しくてたまらなくて、夜も眠れなくなるくらいには荒れるんじゃないかとも思ったが、けっこう落ち着いた気持ちでいる。だからあまり心配しないでくれ」
「そうなんだね」
だから心配なんだけど、などと口にすることはできず、マツバは曖昧に笑うことにした。縁側で青いアイスバーを齧っているミナキの隣に腰を下ろすと、甘えるように肩に重みが寄せられた。次はいつここを出て、どこに向かうのか彼に聞く必要がなくなったのは幸せなことなのか、不幸なことなのか、きっと誰にもわからない。夕焼け色のエンジュの空で、ヤミカラスがカアと鳴いた。
「どこか遠いところの、役者の話を雑誌で読んだことがある。舞台から降りるとほっとするのは、プレッシャーから解放されたからではなく、さっきまで演じていた“役”を容れる器でしかなかった体に、もとの自分が帰ってくるからだという」
何故か今、そんなことを思い出した。そう締め括ったミナキがアイスの最後のひとかけらを口に放り込むと、残された棒の先端には「はずれ」の文字。
「たとえば自らの肩書きを、外から一枚ずつ剥がしていって、最後に残るものが“わたし”の正体なのだとしたら、」
手袋越しではない体温が、指先に触れた。ふたつの翠色が、マツバのことをじっと見ている。
「……君は、わたしに何者であってほしい?」
答えを与えたら、“そう”なってしまうのだという、根拠のない確信が何故かマツバにはあった。彼を抱き止めて、ただ何も言えずにいると、ふふふと笑う声がした。
「君は真面目すぎる」
次の朝、ミナキはいなくなっていた。次はいつここを出て、どこに向かうのか彼に聞かなかったのは幸せなことなのか、不幸なことなのか。きっと、誰にもわからない。