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紅葉の季節真っ盛りのエンジュの街に、催し物の下調べをすることもなく帰ってきたのが彼の運の尽きだ。ご近所の大半から「ジムリーダーのとこの兄ちゃん」と半ば住民扱いされているミナキは、マツバの屋敷に荷物を置いてひと息つく間もなく町内の秋祭りの準備に連行されていった。肉体労働班ではなく祭りの運営委員会として指示出しに当たるマツバを当初は恨めしそうな目で見つめていたが、いざ作業が始まれば神社の境内にてきぱきとテントを建て(さすが野宿経験者だ、手慣れている)、屋台で使う食材の詰まった段ボールを運び、最終的にはご婦人方と談笑しながら甘酒の鍋までかき混ぜていたのだから、やっぱりやるべきことはやる男だと感心してしまう。駆け寄ってきた子どもに、熱いから気をつけるんだぜ、と声をかけながら紙のカップを渡す様子を、マツバは別のテントから眺めている。まるで、どこにでもすぐ馴染んでいける水のようだ。流れて、少しとどまって、そしてまた流れて、戻ってくる。


■ ■ ■


「まったく、相変わらず人使いが荒いったらないぜ。明日は一日中筋肉痛だな……あと、おそらく一生分の甘酒の匂いを嗅いだ」
「いやあ悪いね、ぼくが好きに使ってやってくださいなんて言って君を貸し出したばっかりに」
「なんて奴だ、友人を大安売りするとは」
「でも調べものとかでお世話になってるだろ。受けた恩は地元に還元しないと。貴重な若手なんだよ、君」
「それはそうだが……」

いや、そこは地元じゃないって返すところだろ、とマツバが笑うと、そういえばそうだな、みたいな顔をするのがおかしい。
二人とも大勢で囲む賑やかすぎる酒の席はあまり得意ではないし、何よりそれなりに多忙の身である。日付が変わる頃まで付き合わされては流石にたまらないと、片付け後の打ち上げはそこそこのところで抜けてきた。歩いて十分程度の帰り道、すっかり冷え込むエンジュの秋の夜は静かだ。となりを歩くミナキの横顔が、月明かりに照らされて青白い。

「やっぱり君はすごいな。ここは自分の生まれた街でもないのに、どんなところにもするっと溶け込んで、まるで最初からそこにいたみたいに振る舞える。羨ましいよ」
「まあな。いちいち人見知りしていたらやっていけないだろう」

生まれた時からろくに変化のないコミュニティの中で過ごしてきた自分には、とても真似などできないことだ。称賛を込めて言えば、ミナキはいつもの人好きのする笑みを見せた。礼儀正しい、元気がある、親切だと周りから彼を褒められる度、マツバはまるで自分のことのように、いや、それ以上に嬉しい気持ちになるのだった。しかし、ふと厚い雲が月を覆い隠したその時、透き通った清流を思わせる笑顔が唐突に曇るのが、マツバの目には映った。

「だが、【どこにでもいられる】というのは、同時に【どこにもいなくてもいい】ことでもあるのかもしれないと、思う時があるものだ」
「……え」

心臓を、ぎゅうと引き絞られるような、驚くほど平坦な声音。マツバが思わず掴んだミナキの手は少し冷えていた。

「なんだよ、それ……」何かあったのか。そう問うと、ややあって「いや」と、これまた淡白な返事が返ってきたが、マツバは俯いた顔をあげられない。隣にわずか半歩の距離、ほんのさっきまで談笑を交わしていたはずの相手の顔を見ることが恐ろしい。

「なら、そういうこと、言わないでくれよ……」

絞り出すように告げれば、雲に遮られて薄くなった明かりの中、よく目を凝らさなければ見えなくなってしまった影のうちひとつが、もう片方にすっと寄り添った。同時に強張っていたマツバの肩に温もりが触れて、僅かばかりに緊張が和らぐ。

「……冗談だよ。冗談だ。そんなに驚かれると何も言えなくなってしまうな。悪かった」

それから、ほんのすこしの間だけ、ふたつの影がひとつに重なって、また別れた。そして、雲が流されて再び青白い月の光が地面にこぼれ出した時には、彼はいつもと変わらない笑みを浮かべていたのだった。

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