スクリュードライバー

週末の深夜、とあるオフィスビルの一室。
電気が消えて真っ暗な中、私の目の前のパソコンだけが皓々と光を放っている。
終業間際になって至急の仕事が出来てしまい、こんな時間まで1人残業をするはめになってしまった。

「はぁ、疲れた…って、もうこんな時間!?」

集中力が切れてしまい、パソコンから目を離す。
壁に掛けられた時計を見ると、もう0時を回っている。

「今日こそ早く帰れると思ったのになぁ…。」

折角の金曜、仕事もひと段落したし美味しいものでも食べて帰ろうかな、なんて数時間前までは思っていたのに。
けど、いくら嘆いても仕事は終わってくれない。
天井を見上げて凝り固まった首を解し、またパソコンに視線を戻す。

───ガチャ

その矢先、入口のドアの開く音がした。
ここからだとそちらは見えなくて、誰が来たのかはわからない。
鍵をかけていたし、同じ会社の人なんだろうけど…深夜に私1人というのもあって、警戒心に身が強張る。

「あれ…中瀬さん?」
「もっ、諸星さん!?お、お疲れ様です。」

そこから姿を現したのは思わぬ人だった。

諸星大さん。
私より2年先輩で、営業部のエースだ。
学生時代はずっとバスケをしていて、全国大会に何度も出ていたとか。
背が高くてかっこよくて仕事も出来るから、社内でも取引先でも女性人気が高い。

…斯く言う私も、彼に憧れている1人。
けど諸星さんは私の部署で行っている業務の担当ではないし、時々挨拶を交わすだけの関係。
所謂、高嶺の花、雲の上の人だ。
そんな人が急に現れた事に動揺して、心臓がドキドキと大きな音を立て、体中が熱くなる。

「お疲れ。こんな時間まで残業?」
「はい、今日中に終わらせないといけない仕事があって。」

にこやかに諸星さんが私の机の前までやってくる。

…社内が真っ暗で良かった。

きっと顔が真っ赤だし、憧れの人と初めて話すのに、深夜の疲れ切った顔なんて見られたくはない。

「…諸星さんは、どうしたんですか?」
「あぁ、接待で終電逃してさ。会社の近くだったから始発までここで待とうと思ったんだけど…まさか、まだ人がいると思わなかったよ。大変だな。」
「い、いえ…諸星さんこそ、こんな時間までお疲れ様です。」
「ん?あぁ、サンキュ。」

深夜でお酒を飲んだ後とは思えない爽やかな笑顔に、視線が釘付けになってしまう。

「…てか、俺がいたら仕事の邪魔だよな。他行くよ。」

諸星さんは申し訳なさそうに私の机から離れる。
緊張してどうしていいのかわからずいたのを、誤解されてしまったようだ。

「わっ、私の事は気にしないで平気です!ここで休んでて下さい!」
「いや、でも…。」
「大丈夫です!もうすぐ仕事終わりそうですし。」
「そうか?…じゃあ、遠慮なく。イビキ、うるさかったらごめんな。」

どんなに疲れていてもイビキなんてかかなそうな爽やかさで、入口のそばにある応接室へ入っていく。
ソファがあるからそこで休むんだろう。

思わず引き止めてしまったけど、初めて好きな人と2人きりなんて…私の方が気になってしまう。
仕事は終わらないし諸星さんは寝るだろうし、2人きりと言っていいのか微妙なところだけど…。

───ガチャ

諸星さんが応接室に入って少しも経たぬ間に、また入口のドアの開く音がして顔を上げる。
続いて鍵を閉める音。

トイレかな…でも、それならわざわざ鍵かけないよね。
結局、他の所に行っちゃったのか。

ちょっと残念だけど、緊張していたし気が楽になった。

「…さあ、もうひと頑張り!」

自分に言い聞かすように声を張り上げ、仕事に戻る。

5分か10分か、どのくらい経ったのかはわからないけど、三度入口の開く音。

諸星さん、戻ってきた…?

入口の方から姿を現した諸星さんは、応接室に入ることなくこちらにやって来る。
その手にはレジ袋が2つ。

「今、平気か?」
「はい。買い物に行ってたんですか?」
「あぁ、ちょっとコンビニに。はい、これ。」

そう言って、諸星さんは袋の1つを私に差し出す。

「見た感じ、何も飲み食いしてなさそうだから、夜食買ってきた。」
「…そういえば…」

確かに、お昼から何も食べてなかった。
急に体が空腹を意識しだしたのか、このタイミングでお腹がきゅう~っと大きな音を立てる。

「あ…その…」

恥ずかしくてお腹を押さえて俯く。

「ははっ、何か食った方が仕事捗るだろ?俺も接待で碌に食えなかったし腹減ってるんだ。一緒に食おうぜ。」
「…ありがとうございます。」

さすが営業部のエース、よく見てるし気づかいが細かい。

…そういえば私の名前も、知っててくれてたな。

応接室に移動して、袋から買ってきてくれた物を出してテーブルに並べる。
私のご飯は、ヘルシーで且つ私好みの物。
お茶も私がよく買うやつだ。

さすがに…たまたまだよね。

「さ、食おうぜ。」
「はい、いただきます。」

諸星さんはこの時間にしてはしっかりめなご飯。
余程お腹が空いていたのか、大きな口を開けてがっつくように食べている。
でも、その所作はキレイでどこか品の良さを感じる。

やっぱりスポーツしてたし、たくさん食べるのかな。

私の手が止まっていたからか、こちらをチラリと見た諸星さんと目が合ってしまった。

「あ、あの、いつもこんな遅い時間まで接待するんですか?」

見入っていた事を悟られないように、話を振ってなんとか誤魔化す。

「ん?まぁ、終電逃すことはあんまねぇけどな。」
「大変ですね…営業の方って。」
「中瀬さんの部署も、いつも残業しまくってて大変そうだよな。」
「今は、納期近くて追い込み中だったんで…。」

話し上手聞き上手な諸星さんのおかげで、少し緊張も薄れてきたしお腹も人心地が付いた。
やる気も戻ってきたし、本当にあともうひと頑張りだ。

「ごちそうさまでした。あの、おいくらでしたか?」
「あぁ、いいよ。頑張ってる中瀬さんに俺からの奢り。俺が勝手に買ってきたんだし。」
「でも…」
「いいからいいから。それより、仕事終わったらまたここ来てよ。」
「え?…わかりました。ありがとうございます。」

押し問答になりそうなので素直に厚意に甘え、応接室を出る。

…今度、何かお礼しよう。

申し訳なさはあるけど、気にかけてもらえたことや今度話かける口実が出来た事が嬉しくて、表情が緩む。
今日1番のやる気を漲らせて、席へ戻った。

***

「んんーっ。」

椅子の背もたれに身を投げ、思いっきり背伸びをする。
先方の確認作業があるからその結果待ちだけど、なんとか終わらせることが出来た。
暫く時間かかるだろうし、その間に諸星さんの所へ行くことにする。

───コンコン

寝てるかもしれないし、控えめにノックする。
少し間があって、ドアがそっと開かれた。

「すみません、寝てましたか…?」
「大丈夫、呼んだの俺だし。仕事終わったか?」
「はい。先方の確認待ちですけど、一応終わりました。」
「じゃあ、入って。」

わけも分からぬままさっきと同じ位置に座ると、缶を1つ渡された。

「お疲れ。」
「…スクリュードライバー?」
「『風』な。ノンアルだから安心して。酔わせようなんてつもりはないから。」
「えっと…これは?」
「中瀬さんの仕事が終わったら、乾杯しようと思って買っといたんだ。俺はノンアルビール。」

まさかそこまでしてもらえるなんて、思わなかった。
私の事なんて気にせず、ただ寝る事だって出来たのに。
ビールの缶を向けられて、私も慌てて缶を開け乾杯をする。
その優しさと笑顔がとても素敵で、なんだか涙が溢れそうになる。
それをぐっと堪え、悟られないようになんとか誤魔化そうと、どうしても気になってしまった事を尋ねる。

「あの…何でスクリュードライバーにしたんですか?」
「ああ、中瀬さん好きだろ?飲んでるとこ前に見たし。」

他意はなくて適当に買ってきただけなのだろう、馬鹿な事を聞いてしまった、と思ったけど…。

「…諸星さん、さすが営業部のエースだけあって凄いですね。」
「何が?」
「諸星さんとは忘年会くらいしか飲み会ご一緒したことないのに、私が何を飲んでたか覚えてて下さったなんて。さすが『愛知の星』ですね。」

かつてはバスケ部のエースで、そう呼ばれていたらしい。
どこかで聞いたそれをふと思い出して、つい口にしてしまう。
それに対して、諸星さんは少し恥ずかしそうに首を掻く。

「…何でそれ知ってんの。…って、そうじゃなくて。」
「え?」
「俺が営業だから覚えてたんじゃないよ。…中瀬さんだからだよ。」

その言葉に心臓が高鳴る。
私だって初心じゃないし、馬鹿でもない。
でも、相手は営業のエースで、高嶺の花。
きっと…揶揄っているだけ…だよね?

「ど…どういう意味ですか?」
「…どういう意味だと思う?」

ジッと私を見つめる目。
射貫くようなその目に、諸星さんから視線をそらすことが出来ない。

「…中瀬さん。」
「は、はい。」
「今度…2人で飲みに行かねぇ?その『意味』はその時に話すよ。」

…期待して…いいの…?

その時、私の携帯が鳴った。
ビクッと大きく肩が跳ねる。
さっき以上に心臓がドキドキしている。

「す、すみません、出ますね。」
「…あぁ。」

応接室を出て、慌てて自分の席に戻る。

「もしもし…はい、はい…わかりました。お疲れさまです。」

電話を切ってホッと胸を撫でおろす。
パソコンの電源を落として、再び応接室に戻る。

諸星さんはこちらに背を向けて窓際に立ち、缶を片手に外を眺めている。
その姿が様になっていて、つい見惚れてしまう。
諸星さんは私が入ってきても、こちらを振り返ろうとしない。
まるで、私が声をかけるのを待っているかのように。

「諸星さん。」
「…ん?」

意を決して声をかける。
諸星さんがゆっくりこちらを振り返る。

「これから…行きませんか?」
「え?」
「…2人で飲みに。」

これから、と言うのは流石に予想外だったのか、諸星さんは驚いた表情を見せる。

「…いいのか?」
「はい、仕事終わりました。今の電話、先方から確認完了したって連絡です。」
「それもあるけど…そうじゃなくて。」
「え?」
「2人きりだけど、いいのか?いや、誘ったのは俺だけどさ…。」
「…はい。せっかくなら、アルコールの入ったスクリュードライバーで、改めて乾杯したいです。」

「…それで、その後にさっきの『意味』を…教えて下さい。」

***

「あの時、俺がスクリュードライバーを買ってきたの、もう一つ理由があるんだよ。」
「理由?何ですか?」
「スクリュードライバーのカクテル言葉だよ。知ってる?」
「いえ…知らないです。花言葉みたいなものですか?」
「そう。スクリュードライバーのカクテル言葉は…『あなたに心を奪われた』」
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