初めてのチョコの味

2月のとある日曜日。
もうすぐ大君と知り合って、初めてのバレンタイン。
当日は平日だから、今日は大君の部屋でちょっと早めのバレンタインデート。
前日に作ったチョコレートはチョコ好きの大君にとても喜んでもらえたし、美味しいって言ってもらえた。
そこまでは良かったんだけど、大君のファンの女の子がチョコを渡しに家にやって来て、状況が一転してしまった。
一人だけならまだしも、立て続けに何人もやって来る。
大君のご家族はみんな出かけてるし、大君が全部対応するしかない状況だ。

「どうやって、うち調べたんだよ…。」
「すごいね、わざわざ家まで渡しに来るなんて。」
「…そこ、感心しなくていいよ。」
「だって、私がもしその立場だったら、そんな勇気ないもん。」
「久莉奈はその立場じゃないんだから、そんなこと考える必要ないだろ。」
「そうだけど…。」

女の子達のガッツに初めは感心していたけど、何人も来られるとさすがに気まずくなってきた。
最初はただ苦笑いしていた大君も、何度目かの対応を経て申し訳なさそうな表情になる。
このままじゃ雰囲気がどんどん悪くなって、せっかくのバレンタインデートが全部台無しになっちゃう。

…チョコは渡せたし、今日はもう帰った方がいいのかな。

「…何度もごめん。」
「ううん。…でも、今日はもう帰るね。」
「えっ、何で!?」
「せっかくチョコを持ってきてくれたのに、邪険にはできないでしょ?」
「だからって、帰らなくても…」
「だって…そんなに申し訳なさそうにされちゃうのも、つらいから。」

本当は申し訳なさそうにしていることよりも、インターホンが鳴るたびに大君が部屋を出ていくことの方が何倍もつらい。

私はバッグとコートを持って立ち上がる。
零れ落ちそうな涙を堪えながら、それを気づかれないように大君から顔を背け、ドアに向かう。

「ちょっ…待てって!」

慌てて立ち上がった大君が私の右腕を掴み、後ろを向かせる。
その勢いで私はよろめいてしまい、大君の胸の中に顔を埋める格好になる。
バッグとコートが私の手から離れ、床に落ちる。
そんなのお構いなしに、大君はそのまま私を強く抱きしめた。

「帰るなって!俺がいてほしいのは、久莉奈だけだ…!」
「…だって、また来たらどうするの?」
「無視する。これ以上、久莉奈との時間を邪魔されたくない。」
「でも…」
「じゃあ、外に出よう。今まで来たのだってもらうの断ってるんだ。外出ちゃえば気にしなくて済むだろ?」

女の子達への嫉妬、寛容になれない自分への苛立ち、みんなに優しい大君を独占したい気持ち…。
色んな感情が入り混じって、とうとうそれが涙となって零れ落ちてしまった。
小さく身体を震わせる私に、大君が慌てふためく。

「久莉奈…ごめん、泣くなよ。」

つらそうな声を上げながら、大君が私の背中をさすってくれる。
けど、その優しい手つきで却って私の感情が揺さぶられ、涙を落とさせる。
なんて言っていいのかわからず、顔を上げることも出来ず、私はただ大君の胸の中で涙を零し続ける。

「…ここ座って。」

大君は私の両肩を掴んで体をそっと引き離すと、私をベッドに座らせる。
隣に座った大君が私の顔を覗き込むけど、泣き顔を見られたくなくて、私は下を向いて顔を背ける。

「…ごめん、困らせたいわけじゃ、ないの。」

こう言うのが精一杯だった。
感情がぐちゃぐちゃで上手く言葉に出来ない。

「…久莉奈」

ふいに名前を呼ばれ、私の頬に温かいものが一瞬だけ触れた。
驚いて顔を上げると、息がかかりそうなほど近くに大君の顔が。
視線がぶつかると、顔を真っ赤に染めた大君が視線をそらす。
それで頬に触れたものが何なのか、察しがついてしまった。
頬に残った感触が熱を帯びて、その熱が顔中に、そして全身に伝わっていく。
思わず、大君の唇が触れた部分にそっと触れる。

「今…」
「ごめん。…なんか、体が勝手に動いちまって…」
「ううん…」

頬だけど初めてのキス。
今度は驚きと恥ずかしさで、どうしたらいいかわからなくなってしまった。
しばらくの沈黙の後、ふと大君が私の顔を覗き込む。

「涙、止まった?」
「…そういえば…」

言われて初めて、涙が止まっていたことに気付く。
さっきのぐちゃぐちゃだった気持ちも、涙もどこかに吹き飛んでしまったようだ。
改めて大君の顔を見る。
また目が合って私がはにかむと、大君もどこかほっとした様子で表情を緩めた。
大君の大きくて温かな手が、私の頬を優しく拭ってくれる。

「本当にごめんな。最初からどこかに出かけてれば良かった。俺の配慮が足りなかったよ。」
「…ううん。大君のせいじゃない…とは言い切れないけど、私もこうなるなんて思わなかったし。大君て人気あるんだなぁって改めて思っちゃった。」
「俺は久莉奈がいてくれれば、それでいいんだよ。チョコだって久莉奈がくれたのがあれば十分。」
「でも、チョコ大好きじゃない。たくさん貰えた方がいいんじゃないの?」
「う…好きだけどさぁ。チョコはいつでも買えるんだし、久莉奈との時間の方が大事。」

仕返しとばかりに、少し意地悪な事を言ってみる。
大君は気まずそうに一瞬視線を泳がせると、今度は私の頭を撫でる。
その心地よさに暫く浸っていたけど、優しい表情だった大君の顔つきがだんだん変わっていく。
大君は何も言わず、ただジッと私を見つめる。

「…大君…?」

その視線に捕らえられ、私の視線は大君から外せなくなる。
いつの間にか動きが止まっていた手が、私の肩に回される。

やがて、ゆっくりと大君の顔が近づいてきて、私の唇に大君のそれが重なった。

静まり返った部屋で、自分の心臓の音だけが聞こえる。
ふわっと、チョコレートの甘い香りが鼻を掠める。
ゆっくり顔が離されてそっと目を開くと、また息がかかるほど近くに大君の顔が。
今度はお互いジッと見つめ合う。

───ピンポーン

何度目かわからないインターホンの音に、私の肩が小さく跳ねる。
でも大君は変わらず、私を見つめたまま。

「出ないの?」
「出ないよ。これ以上邪魔されたくないって言っただろ。」
「でも」
「これ以上、外を気にするの禁止。でないとまたキスするぞ。」

大君がイタズラっぽく笑う。
その言葉に、私は思わず視線をそらす。

「…わかった。」
「…わかっちゃうのかよ。」

大君は苦笑いをすると、また私にキスをした。

「わかったって言ったのに…」
「今のはしたかったからしたの。ダメか?」
「……ずるい。」

恨めしそうに見る私に、大君は照れくさそうにニッと笑った。

「で、どうする?どこ行く?」
「ううん、ここでいい。」
「何で?」
「ドキドキしちゃって、今は大君と外歩くの、恥ずかしい。」
「…ここにいたら、俺、キスしまくっちゃうけど?」
「えっ!?じゃ、じゃあ外行こう!」
「もうダメ。ここでいいって、久莉奈が言ったんだからな。」
「えっ、あの…」
「…ぷっ、冗談だよ。じゃあ出かけようぜ。」

大君は立ち上がってにっこり微笑むと、私に手を差し出す。

私、きっと大君には一生敵わないな。
……それでもいい、だからずっとこの人と…。

「…うん。」

そんな願いを込めて、私はその手をそっと取った。
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