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1.目覚めるとそこは

 しかしそうなると、気になってくるのはこの遺跡の外はどうなっているのか、という点だった。耳をましてみるものの、そこは静寂に支配された暗がりがあるだけで、物音一つ聞き取れない。どうやら近辺に、私以外の生き物はいないようである。あの猫娘の“声”や足音も、すっかり全く聞こえなくなっていた。部屋の風化度合いから見ても、よほど長い間、誰の侵入も無いまま放置されていたのだろうということくらいしか読み取れない。
 部屋の有様を観察している内に、いつの間にか手足のしびれはだいぶ取れてきていた。この分なら、すぐにでも自由に動き回れそうだ。しかし、何だか妙に肌寒い。ふと自身の格好を見下ろすと、棺桶ベッドに寝かされていた私は入院着のような薄手の服を身に着けた状態であったことに、今さら気が付く。人目があるわけではないから、別段慌てる必要は無いのだけれど、落ち着かないのも事実である。
 問題があるとすれば、服よりも靴だ。この地下遺跡でいつまでもぼんやりしていて仕方がないし、人の気配のない所というのは嫌いではなかったけれど、さすがに静かな遺跡の地下で一人きりというのは心細い。地上に出るために探索すべきなのだろうけれど、割れた天井から落ちてきたと思しき土砂があちこちに散乱しているし、床材もひび割れて散らかっている。足場のコンディションは最悪だ。
「素足で歩き回るのはいやだなあ……せめて靴とかあればいいんだけど」
『音声認識:ロッカーは解凍済みです。解錠致しますので、取っ手を引いて中身をご確認ください』
「わあ!?」
 完全に無人の廃墟だと思って油断していた私は、突然どこからか降ってきた声に驚き、再び飛び上がりそうになった。同時に、床の一部分がガタガタと音を立てながらせり上がってくる。床から出てきた四角い柱には、小さな取っ手と扉が付けられていた。金庫、だろうか。
 音声は、合成音声のようだ。よく見ると、棺桶ベッドの内側にスピーカーらしきものが設置してある。声はここから聞こえらしい。そういえば、目を覚ます直前にも、同じような声を聞いた気がする――まだ夢の中なのに、目を覚ます前というのもおかしな話ではあるけれど。
 私は温度の無いマシンボイスに従い、小さな扉の取っ手に指をかける。少し力を込めると、さび付いたドアノブのような感触と共に、扉が開いた。中には見覚えのある外出用の服とブーツ、ウェストポシェットが鎮座している。もちろん、どれも私が愛用していた物だ。
「うわ、ご都合主義……やっぱりこれ、夢の中だからってこと?」
 何やら作為的さくいてきなものを感じないでもないけれど、夢の中の出来事にいちいち理屈を求めても仕方がない。私はあえて深くは考えずに、慣れた手つきで服を着て、ブーツとウェストポシェットを身に着けた。ウェストポシェットの中には、一度溶けかけた個包装の飴玉あめだまが数個と、原形を留めないほどボロボロになった財布と硬貨、そして壊れた携帯電話。飴玉以外は役に立ちそうにない。
 はからずして靴を手に入れた私は、いよいよ棺桶かんおけベッドからい出してみることにした。踏みしめた床のタイルは、風化しきって変質しているのか、体重をかけるとばきりと簡単に砕けてしまう。この場所が無人になってから長いであろうことは、間違いなさそうだ。
 よく見れば、あちこちに散らかっている土砂や砂埃の上に足跡が見受けられた。かなり新しい。靴跡ではなく、犬か猫のような小さな足跡だ。それは部屋の入口から小さな歩幅で真っすぐに棺桶かんおけベッドの前まで続き、Uターンして数倍の歩幅で立ち去っている。
「さっきの猫っぽい子の足跡かな。あ、それってつまり……」
 この足跡を追いかければ、外に出られるかもしれないということだ。あの猫少女が遺跡内で暮らしている可能性もあるが、その場合はあの子のねぐらに到達することができるだろう。こんなジメジメとしたよく分からない遺跡の一室で一人きりぼんやりしているより、よほど面白そうである。
 そうと決まれば、さっそく行動だ。ところどころかられてくるかすかな光を頼りに、私は足跡を追って歩き出した。
 しかし、獣人。耳や尻尾しっぽが付いている程度のものではなく、まさに半獣半人といった姿の亜人種。子供であったために怖ろしげな風貌ふうぼうではなく、むしろ愛らしい外見ではあったけれど、その身体能力は明らかに人間を超えている。それは、先ほどの猫娘が残した足跡を見れば、一目瞭然いちもくりょうぜんだ。
 私が入れられていた棺桶かんおけベッドに近付く足跡の間隔は、私と大差がないように見える。体格的にも妥当だとうな歩幅だろう。けれど、私と目が合って驚いた猫娘は、その数倍の歩幅で走り去っているのが足跡から見て取れる。1歩が3mを超える歩幅で走り続けるなんて、オリンピックの陸上選手でも無理だろう。見た目は華奢きゃしゃであったけれど、その筋力は絶対にあなどってはいけない、ということだ。
 そうなってくると、ますます獣人の存在が現実味を帯びてくる。あの姿がコスプレの類でないのなら、どのような生態をしているのだろう、などと考えてしまう。知性はどの程度あるのか。文化レベルはどの程度なのか。言葉は通じるのだろうか。そもそも意思疎通は可能なのだろうか。気になることは山盛りである。いや、夢の中のできごとに現実味も何もあったものではないのだけれど。
 問題の足跡は、積もった砂埃すなぼこりの上にしっかりと残っているので、追跡は簡単だった。部屋から飛び出した足跡は、すぐに元の歩幅に戻っていたからだ。いったん立ち止まり、周囲――特に私が眠っていた部屋、もっと言うなら唐突に目を覚ました私が追って来ないかどうかを確かめるために耳と鼻を研ぎ澄まし、差し迫った危機は無いと判断してから立ち去った、といった所だろう。
 所々で足跡を見失いそうになりながらも、暗闇に慣れてきた目で通路を進み、階段を上る。エレベーターのような物も見えたが、遺跡がこの有様では動いたりはしないだろう。たとえ動いたとしても、誤作動で閉じ込められた李落下したりしてはたまらない。私は地道に足跡を追って階段をのぼっていくことにした。
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