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1.目覚めるとそこは

 違和感は最初からあった。私が寝転がっていたのは、使い慣れたふかふかな布団の上ではなかったからだ。背中の感触が、硬く冷たい。寝返りを打ってベッドから落ちたのかとも思ったけれど、どうやらそういうわけではないようだ。
 体を起こそうとするものの、指先一つ動かない。感覚もない。あまりにも全てが億劫おっくう過ぎて、このまま二度寝を決め込んでしまいたい欲求に駆られてしまう。学校に行かなきゃとは思うものの、体が動かないのでは仕方がない。頭ばかりが徐々に冴えてきて、客観的に自分の状況について考えられるようになってきた。
(これが金縛りってやつなのかなあ)
 呑気のんきにそんなことを考えてしまう。なるほど、体は寝ぼけているのに頭の中だけ目覚めている状態は、金縛りとよく似ている。体が動かない分、普通ならパニックになったり怖がったりするものなのだろう。超常現象と結びつけたくなる気持ちも分からなくはない。
 過去に色々・・とあったせいもあり、我ながらずいぶんと肝が据わってしまったものだと思う。まあ、世の中に起こりうる不思議なことなんて、だいたい理屈で説明できてしまうものだ。口の減らないうちの兄風に言うならば“どんなに意味不明なことに直面しても思考は停止せず、整理して、吟味して、判断して、結論を下す――そうすれば、大体の真実は見えてくるもんだ”といったところだろうか。自分の神経の図太さに呆れ、思わず笑みがこぼれそうになった。
 とりとめもなく無意味なことを考えている内に、次第に全身に感覚が戻ってきたことに気が付いた。長時間の正座でしびれた足に血液がめぐっていく時のように、じわりと熱を感じた後、独特の痛みが広がっていく。まだ自由にとはいかないけれど、体が動くようになるというだけで、安心感は全然違う。それにともなって、ようやく重いまぶたがゆっくりと上がった。

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「…………ねこだ」
 目の前には、砂とコケに覆われた小窓があった。その向こうから、猫が私を見下ろしているのが見える。 とがった三角の耳。瞳孔どうこうの細い独特の瞳。ふらふらと揺れる尻尾。褐色かっしょくの肌かと思ったそれは、産毛のような細かな毛が生えそろっているだけのようである。どう見ても猫だ。
 しかし同時に、それは人でもあった。一対の腕と脚を持っていて、手にはしっかりと物をつかむための指がある。二本の脚で、しっかりと立っている。どこかの民族衣装を思わせる、貫頭衣かんとういのような簡素な服を着ている。どう見ても人だ。
 先端が赤みがかった短い髪を持つこの子は、たぶん女の子だろう。彼女は私を見下ろしながら、肉球のついた指先で小窓の土を払っている。私と目が合うと、猫っぽい女の子は聞き慣れない言葉を発した。
ⵚⵙⵙⴱ ⴹⵙⵥⵎⵧⵎⵚゴォヅ モーナヌグ
「わあ! 猫がしゃべった!?」
「!」
 思わず素っ頓狂すっとんきょうな声を上げた私は、思わず飛び起きようとして小窓に頭を強打する。猫だか人だか分からない少女はその様子に驚いたようで、一瞬だけ尻尾の毛をボワッと逆立てると、一瞬で視界から消えてしまった。
「なんだったの、今の……人間、じゃなかったよね。しっぽ、本物っぽかったような……」
 目が覚めたと思ったけれど、どうやら私はまだ居眠りの真っ最中であるらしい。でなければ、さっき見た物に説明が付きっこない。
 あれは間違いなく、人間ではなかった。顔立ちは可愛らしい女の子のようではあったけれど、ふわふわな毛の生えそろった耳は、明らかに獣のものであった。尻尾もアクセサリのような物ではなかったように思う。なにより、走り去る時にちらりと見えたかかとの高い足の形が、犬や猫そっくりに見えた。あんな生き物が、現実に存在するわけではない。つまり、これはきっと夢なのだ。
 そうと分かれば、驚くことなんて何もない。支離滅裂しりめつれつ滅茶苦茶めちゃくちゃなのは当たり前だ。凝り固まったかのような体に活を入れ、私は自分の状況を再確認した。
 どうやら自分は、箱のような物の中に寝かされているらしい。学校の各部屋に設置されている掃除用具入れのロッカーより、一回り大きいくらいだろうか。ベッドとしてはだいぶ狭い。
 寝転がっっている私の眼前……つまり、箱の上部には小さな小窓があり、まだ土やこけが残っている。ようやく動くようになった腕に力を入れると、このベッドらしきものをふたしていた物は、あっさりと持ち上がった。そういえば目を覚ます直前に、アンロックがどうとかって声を聞いたような気がする。しびれの残る上半身を起こすと、きしむような痛みが脳裏のうりを駆け巡った。もちろん、ぶつけたばかりのおでこも痛みを訴えている。
「うう、いたた……夢の中じゃ痛みを感じないなんて、大嘘じゃん……」
 誰にともなく不満をもらしてみたけれど、当然のように返事は無かった。
 辺りを見回して最初に気が付いたのは、私が寝かされているベッドについてだ。ベッドと言うか、細長くかなり狭いそれは、まるで棺桶かんおけのようである。さしずめ今の私は、棺桶かんおけふたを開けて出てきた吸血鬼、といったところだろうか。
 ただ、その棺桶を連想させる箱のようなベッドには、何やらよく分からない機械がつながれていた。色んなボタン、計器、ディスプレイなどが付いたそれは、何のための機械なのか私には分からない。夢の中のできごとということで、意味の無いオブジェである可能性も高い。しかし棺桶かんおけベッドにつながっている機械は、砂埃を被りつたが絡んでボロボロな様相ではあったけれど、先ほどまで動いていたのかまだかすかに熱を持っていた。無意味な物にしては、妙にリアリティがある気がする。それに、こんな機械には見覚えなんて無いはずなのに、奇妙な胸騒むなさわぎがするのは何故なぜだろう。
 次に気が付いたことは、この部屋についてだ。自宅の寝室とは程遠い雰囲気であるこの場所は、どうやら地下にあるらしい。部屋自体は薄暗く、空気はやや湿ってかび臭かったが、木の根の侵入によってひび割れた天井のずっと上から幾筋いくすじもの光がれているため、なんとか周囲を見渡すことができる。それほど深そうには感じないが、天井に空いた穴から地上に上がるのはさすがに無理だろう。さっきの猫娘は、ここから落ちてきたのかもしれない。照明器具がえ付けられていた痕跡が天井に残っているものの、蛍光灯らしきものは割れたり外れたりしていて、どれも機能しそうには見えなかった。
 元は小ぎれいな部屋だったのだろうけれど、棺桶かんおけベッドと床をう無数のケーブル類以外に何も無い殺風景な様子は、非常に無機質なものに感じられた。壁や床のタイルはがれ放題だし、ヒビも縦横無尽じゅうおうむじんに走っているし、こけのような何だかよく分からない植物も生え放題になっている。無人になってどれだけの間放置されていたのか、私には想像もできない。なのに、私が眠っていた棺桶かんおけベッドの機械だけは先ほどまで動いていたようだというのだから、おかしな話である。いや、夢の中のできごとなら、別におかしくても問題は無いのか。
「こういうの、なんて言うんだっけ……遺跡?」
 そう、遺跡だ。建物は老朽化ろうきゅうかなんて言葉が生易しいレベルでち果てていて、完全に古代遺跡のような状態になってしまっているのである。それにしては機械や蛍光灯といった物が設置されているのは奇妙と言えば奇妙だろうか。統一感の無い夢だな、と呆れを含んだ失笑が口かられた。



イラスト:akasanngg様
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