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DEAR+1 この時の為の



夜の病院は静かだ。人の気配が減ったからか、徐々に温度が下がっていくと感じる。外観からも分かるように、非常に大きな病院だ。その為受付ロビーも広い。来院患者が帰った病院は嫌に静かだった。定期的に足を運んでいると言っても、年に数度の頻度だ。しかし、何年もの間通ってきた羽梟にとっては、来る度に憂鬱は気分を味うだけだった。羽梟に持病があるという訳では決して無い。
入院患者の食事が始まる頃だろう。自分の胃袋も空っぽに近かったが、構ってなどやらない。係りに待てと言われ待たされること数分。近くのエレベーターが開き、中から白衣姿の人物が現れた。

この病院の院長、阿沙田 吉光(あさだ よしてる)。眼鏡をかけた白髪交じり髭面のこの男とは、訪れる度に顔を合わせている。院長は羽梟に軽く会釈し、にこやかに挨拶をしてきた。

「こんばんは羽鳥様。そろそろお見えになる頃だと思っていましたよ。」
「お世話になっております。・・・できれば、早く済ませたい。」
「ええ、参りましょう。」

院長を先頭に、3人でエレベーターに乗る。動き出したエレベーターの階層表記は数を増していき、20を数えたところで止まった。扉が開き、部屋がいくつも並ぶ廊下に出る。三人は迷うことなくある部屋の前で歩みを止めた。

厳重にセキュリティのかかった病室の扉。取り付けられた認識装置が院長と羽梟の顔をスキャンし、眼球・顔立ち・頭蓋骨形状・血管等を調べ認証を始めた。すると、装置が人の言葉で挨拶をしてきた。

『コンニチハ、ドクター阿沙田。』
「やぁ、ごきげんよう。お客様だよ、開けておくれ。」
『入室パス、クリア。入室ヲ許可シマス。オハイリクダサイ。コンバンハ。ミスター羽鳥。4ヶ月ト、2日ブリデスネ。』
「ああ。」

人の声に限りなく近い機械音が院長と羽梟に話しかける。この病院には、この様に言葉を使う機械が取り付けられた病室が幾つもある。
所謂、人工知能(AI)を搭載したセキュリティプログラムだ。カメラに映る人間や物を認知し、特定の人物や物だけを承認し入室を許可する。何らかの特殊な病室に限り、この人工知能セキュリティが入室権限を管理している。
管理能力もさることながら、コミュニケーション能力もそれなりに進歩しており、簡単な会話ならば人間同士が話すように会話ができる。

『ミスター羽鳥。顔ガ強張ッテイマスヨ。リラックス、リラーックス。』
「この顔は生まれつきだ。」
『ウフフ、失礼シマシタ。』
「あはは」
『くっ』

こう言ったシステムは今では珍しい物ではないが、妙に人間味のある所が時に良し悪しだと羽梟は眉間を寄せる。元々の強面は本当にどうしようもないもので、怒っていなくとも怒っていると思われてしまうのが羽梟の顔だった。気持ちよく笑うなども無く、皺の寄った眉間に吊り上がった目元とへの字の口元、それらを見る人は緊張に身を固めるが、本人にとっては眠る時も変わりないほど普通なのだ。

AIと羽梟ののやり取りに思わず笑ってしまった院長と鴉。
鴉に至っては口を手で押さえたが間に合わなかったようで、未だに肩まで震わせている。
院長は兎も角、鴉へ睨みを向けると「失礼しました」と頭を下げたが、やはり反省の色は見られない。

『私はここで待機致します。』

何事もなかったかのように扉の横で待機する鴉。用心棒だ言わんばかりに壁に背を向けた。羽梟は呆れかえりながら院長と共に入室した。
入った部屋は窓が一切ない病室。院長が扉を閉めると、羽梟の目にはここに配備された医療機器が幾つも見て取れる。その機器から伸びる無数の管が床を這い、一つの患者用ベッドへと向かっていた。
ベッドの近くからはピッ、ピッと心拍の波を知らせる音が一定の間隔で鳴り、モニターには上下する放物線が走っている。
機械音と靴の音だけが嫌に耳に響き、自分たち以外の人気など感じられるものではなかった。
ベッドに近づいた羽梟は、そこに寝ている人物を見下ろす。齢60は超えているだろう男性が一人、ベッドに横たわり幾つもの管に繋がれながら静かに息だけをしている。

「………。」

何をしても目を覚ますことのない相手に、羽梟にはかける言葉もない。

院長も近くに来て首を振った。

「社長、長きに渡り、私達は効果が見込めるであろうあらゆる手段を尽くしてきましたが、…残念ながら、やはり成果は得られませんでした。」

「……。」
「近年、脳及び脳幹の機能蘇生に成功した奇跡的な事例があるにはあったのですが…、…AVANの医療技術が世に残っていれば、確実に救えたでしょう…。」
「…そうかもな。」
「前回の面会でもお話し致しましたが、どうなさいますか…?」

羽梟は目を閉じ、深い深い息を吐いた。

結局どんなに時間と資材を費やしても、どうにもならないのだろうと言う諦めと、本音ではこうなることを望んでいただろうと言う自問自答。
何にせよ。無駄なことなのだ。
このままだろうが死のうが回復しようが、自分はこの人物を許すことなどできないのだから。覚悟を決めると言うことでもなく、どの道こうするしか他に無いのだ。

「…延命治療を止めてくれ。」
「分かりました…。では、こちらにサインを。」

この病室に入室する前までにこやかな表情だった院長。治療の術を模索に模索を重ねるも、やはり打つ手など無かった。少なからず、院長の心境は羽梟と共有できるものだった。
慎重な面持ちで羽梟に誓約書が手渡される。誓約書には多くの行数で項目が連なっていた。羽梟は慣れた視線で全てを斜め読む。
一番下の記入欄に、特に迷うこともせず、ただゆっくりと自分の名前を記した。

「それでは、延命治療を終了致します。御見届けを。」

羽梟が頷くと、院長は静かに装置の停止ボタンを押す。

すぐに周りの機器が停止していくのが分かった。
相変わらず顔色すら変えることなく眠り続ける人物を見やりながら、老化以外記憶の中の顔と何も相違ない顔を見る。
本当は、見たくもない顔なのだが、まるで味気なく詰らないドラマでも眺める様に、羽梟はぼぉっとその顔を見つめた。この手で殺してしまえたらと何度思ったことだろう。だが悲鳴一つも上げることない生き物を殴り殺したとて、やはり結果的には虚しいだけだっただろう。

殺人罪を自ら背負う訳にもいかず、見込みのない延命治療を長々と行ってきた。どんなに憎い相手だろうとも、本音はともかく常識の範疇で血縁者を放棄することはできなかった。
ピッピッと変わりないシグナルを伝えていた心拍音が徐々に弱まっていく。

ぶつけることも叶わなかった数え切れぬ程の恨み言が、心臓停止を知らせる音と共に、虚しく何処かへと消えていった。

今後の手続きで院長と会話し、1人病室を出る羽梟。
扉が開いた事に反応した鴉が声をかけ、主の疲れがにじみ出る顔色に何があったのかが分かった。

『主?』
「もう、終わらせた。」
『…左様ですか。』

吐き捨てられた羽梟の言葉を理解する鴉は、契約を通して自分に流れ込んでくる僅かな主の感情を掬い取る。嬉しさ、とも違う。悲しみ、とも違う。憎しみ、とも違う。ただただ、疲れ果てた開放感が染みこむようにじんわりと流れ込んできた。

何も言わずに背を向け去ろうとする羽梟。
その背中に、セキュリティシステムのAIが感情の無い労りの声を投げかける。

『ミスター羽鳥。チョット寂シイデスガ。サヨウナラ。オ元気デ。』
「…ああ。」

それっきり、振り返る素振りも見せずにエレベーターまで向かう。主を追わない鴉は、羽梟が退室した病室の扉に目をやる。扉には「羽鳥 鷹目 様」と、ぽつんと患者名が記されてあった。

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