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気持ち悪いくらい毒々しい茜色の中を歩いた。 人気がなくなった校舎に足音が大きく響く。 この建物を学び舎とする子供達は鐘の音を合図に仲間同士での簡単な別れの言葉と明日への小さな約束をかわし、それぞれちりぢりに帰ってしまった後だ。 ここに残っているのはここを職場としている自分“達”だけ。 知らず早くなる足音と鼓動が連動する。 そしてある教室の前でルーカス・アマトは足を止めた。 いつもどおりだ、落ち着けと、自身に言い聞かせるように深い呼吸を数回し、思い切って開けた。 扉の向こうにいた人影もいつもと変わらない。 「あ、あぁエイ……いやサイバじゃなく~ってぁわっ!!」 人影に向かっていつものように話しかけたはずだったルーカスの言葉は声音と共に見事に裏側へと引っ繰り返ってしまった。 『小さな約束』 ああ、みっともない。 思わぬ自身の失態にルーカスは呆然とした。 あれだけ落ち着こうとドアの向こうで頑張ったのに、どう呼びかけていいのかすら判らない。 教室の入り口で突っ立っているルーカスの顔が切り替えの早い信号機のように赤くなったり青くなったり と忙しない。 「……エイドリアンでいいよ、ルーカス」 ややあって掛けられる同僚の声は柔らかく、その中に気遣う意図を感じ取ったルーカスはばつが悪くなっ たのかこめかみの辺りを人差し指で軽く掻いた。 そして、一息ついて“いつものように”口を開く。 「そろそろ帰ろうか、『エイドリアン』」 アパートで再会した時から随分と減っているとはいえ、体と顔に残る包帯は痛々しい。 だが夕焼けを背にした中心で“彼”は以前と変わらない微笑を浮かべていて。 「ああ」 短い返事もいつもどおり。 ルーカスは安堵と共に確信した。 どうやら、俺の日常も戻ってきたらしい、と エイドリアンと一緒に教室を出、程よい距離を取りながら一緒に歩いた。 メリディアナを襲った怪物はいなくなったが、奴が壊していった建物が元に戻るはずもなく、未だに残って いる。 それもいずれは消える、それは判っているのだけど。 町の傷跡を見つめるエイドリアンの目が耐えるように揺れる。 多分エイドリアンは後悔しているのだろう、自分の存在が引き起こしたこの惨状に。 だが、被害がこの程度で済んだのも“彼女”の働きの所為によるものだ。 彼女、サイバーシックスを狙っていた者達はいずれ彼女の存在の有無関係無く、同じ事をこの町に仕掛けてきただろうから。 むしろメリディアナの恩人だろうが、当の本人は自身の存在の特殊さの為か、頑なにそれを認めようとし ない。 卑屈になることはないのだ、と隣の“彼兼彼女”に理解してもらいたいと思っている。だがそこへたどり 着くまでにはまだまだ時間は掛かりそうだ。 ま、何とかなるだろう。 時間はある。 ゆっくり少しずつ彼女に伝えていけばいい。 「せんせぇー―!」 沈む気分を新たな決意で浮かび上がらせた俺とエイドリアンの前に女生徒が走ってきた。 「どうしたんだ、ロリ。もう家に帰ってなくちゃいけない時間だろ」 終礼の鐘はとっくに鳴ったというのに未だ学校に居残っていた学生に向かってエイドリアンが放ったのは 教育者としてごく当たり前の言葉だ。 だがロリと呼ばれた生徒は気にした風もない。 彼女の場合普段からこんな感じなので、注意した教師も今更気にしていないが。 「先生、あのね。ちょっとちょっと」 「ん、なんだい。ロリ」 珍しく真面目な顔をしている生徒に何か相談事だろうか、とエイドリアンは目線を合わせるように少しかがんだ。 ちゅ 小さな音と共に軽い感触。 「ちょっ、ロリ!!!!」 右頬を押さえ、思わず大声を出したが、ロリは遠くへ走っていってしまった後だった。 「先生、またねぇ!」 明日の再会を約束する女の子の楽しそうな声が夕焼け空に響く。 「おーい、大丈夫か?」 不意打ちに固まってしまった同僚に数秒程度の間をおいて声を掛けた。 からかう意図は無く、むしろ気遣うつもりで声を掛けたのだが。 「……誰でしたっけ、すぐに収まるって言ってたのは?」 頬を押さえたまま真っ赤な顔をしたエイドリアンが俺を睨んできた。 以前俺は、積極的にアタックしていたロリに困り果てていたエイドリアンにアドバイスした事があった。 その時の事を覚えていたのだろう。ほんの少しの恨みがましく聞こえるそれは俺のアドバイスという名の予測が外れた事を指摘していた。 あの時のロリの感情は思春期の子供にありがちな一時的なもの、つまり麻疹のようなものだろうと考えていた。だからこそ、ああ言ったのだ。 まさかこうなるとは予想外だった。 そんな事を言うなら、今横にいる同僚が実は女性だったというのもロリの一件を遥かに超える予想外の事実というか、反則というか……普通夢でも思わない。 だけどまぁ、な。 「いい子だろ」 これは間違っていない。 恨み節にウインクして軽やかに返した俺の言葉にエイドリアンは一瞬きょとんとした顔をしていたが、それも俺のアドバイスだったことを思い出したのか、柔らかく微笑み口を開く。 「ああ、知っている」と 男性の姿とのギャップの所為だろうか、その声は夜にしか姿を見せない彼女のそれと同じはずなのに、何故か彼女自身の言葉よりも甘く聞こえ、 『……知っているわ』 先刻のロリの言葉と似て異なるものだった。 エイドリアンを誘う少し前、終礼の鐘と共に帰ろうとしていたロリを引きとめた俺は、エイドリアンとサイバーシックスに関するいくつかの話をした。 この女生徒はエイドリアンの正体を知っている。それなのに彼女が復帰した後も以前と変わらない好意を向け、迫っている。 意中の男性にするように。 正直面白くなかった、だがそれだけじゃなかった。 彼女、サイバーシックスのことを知らないわけじゃないだろう、エイドリアンにも彼女なりの事情があっての事だったに違いない。 実際、彼女から打ち明け話を聞かされた訳じゃないが、見当はつく。 嫌がらせのつもりなら即刻やめろ、と忠告するつもりだった。 『……知っているわ』 嫉妬半分お節介半分だった俺の忠告に対するロリの返事はあっさり短く強いものだった。 こうしてロリと話をするのは二度目だな。 エイドリアンをからかうのをやめろ、とこうしてロリを呼び止めたことがあったのを思い出した。 その時のロリの言葉は“エイドリアンに彼女がいる”という衝撃的なものだったが、今日のはそれを遥かに上回る破壊力を持って俺をぶちのめした。 『あたし本気だもん』 『……はぁ?』 この時の俺はものすごく間抜けな顔をしていたんだろう。 一瞬タチの悪いいつもの冗談だと思ったが、爆弾発言の主の普段にない表情はその可能性と希望を見事に粉砕してくれた。 『だって悔しいじゃない』 ロリの目線がわずかに下がる。 『あたし本当にエイドリアン先生のこと好きだったのよ、なのにこんなのってないじゃない』 それは仕方がないだろう、と言いかけた。 『実は女だったからって、簡単に無かったことになると思う?』 え? 慰めの言葉が口の中で消える。 『あたし、今もエイドリアンのこと好きよ、大好き。 だからあんたの忠告なんて聞かない。 あたしは今までどおり変わらないんだから。 それに、ねぇ そうしないとあの人またいなくなっちゃうかもしれないでしょ?』 ちょっとだけ悪戯っぽく笑って見せたロリに返す言葉がなかった。 エイドリアンの、サイバーシックスの不安定さにロリも気がついている。 その存在を確固とした物とするために彼女は彼女なりに何とかしようとしているのだろう。 ずっと傍にいて欲しい。 彼女に笑ってて欲しい。 その思いは俺も同じだ。 そして、 あぁ、その……なんだ。 俺達が彼女もしくは彼に向ける想いも同じだ、多分。 何だか、あまり認めたくない真実だが。 『負けないわよ』と宣戦布告するロリに俺も負けないと口の端を上げて返す。 そして二人で笑った。 『あんたが、』 『まさか君が』 『『恋のライバルになるなんて!!』』 こんなのってありか? 反則だぞ、なぁ? 「ルーカスどうかしたのかい?」 掛けられた声にはっと現実に引き戻されると小首を傾げたエイドリアンが俺を見ていた。 「いやぁ、何でもないさ」 心配無用と、自分の頭をがしがし掻いてエイドリアンに浮かんだ心配げな表情を打ち消すように笑う。 これはロリと俺の秘密。 お前が知らなくてもいいことだ。 だけど、エイドリアン。 お前とサイバーシックスがこの世界を愛しているのと同じくらいの強さで俺達に想われている事をお前は知っているか? 本を読むように、参考書を読むように簡単に理解できない事だと判ってる。 柔軟なようで変に頑固なあの性格ならなおさらだ。 だから俺達は少しずつ時間をかけてゆっくりと、話をしたり時々触れたりしてかけがえのない明日へつなげていく。 その中で彼女も少しずつ知ればいい。変わっていけばいい。 ロリとの一件は考えもしていなかったが、これもきっと彼女にとってプラスの何かになるのだろう。 黙り込んだ俺を気遣うように顔を近づけたエイドリアンに、ちょっとした悪戯心で彼の頬に正面から顔をくっつけると、何とも形容しがたい悲鳴を上げると同時に左頬を押さえ、飛びずさった。 ……ちょっと待て、何だこの差は。 軽く脅かすつもりでやったこととはいえ、悲鳴まで上げることはないだろ。 ロリの時と随分違うじゃないか。 結構傷つくぞ、これ。 「……いぃっ、いきなり何するんだ、ルーカス!!」 間をおいて騒ぎ出した同僚にロリの真似だと返答すると脱力したのかその場でしゃがみこんでしまった。 「驚かせて悪かったよ、エイドリアン」 未だ蹲るエイドリアンに近付いて一緒にしゃがみ込み小さな子供をあやすように肩をぽんぽんと叩いた。 はあぁ、と盛大なため息を漏らす彼(女)笑いがこみ上げてくる。 『先生、またねぇ!』 ロリと交わしていた小さな約束を俺もこいつとしてみようか。 「週末、暇か?」 ん?と顔を上げたエイドリアンの目を見つめ、繰り返し訊ねた。 「あー、予定はないけど」 「なら、出かけないか?」 ようやく立ち上がり歩き出したエイドリアンに合わせて俺も歩く。 「本屋を探すのかい?」 「そうだな、買い物して映画を見て……ロマンス映画は嫌いだったか?」 「大丈夫、付き合うよ」 「映画の後は食事して、それから……」 週末の打ち合わせをしながら二人で歩く。 気持ち悪いくらい毒々しかった夕焼けはいつの間にか柔らかくその色を変えていた。 END |