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Touch wood

男は彷徨っていた。
終わりのない旅路にただ足を進ませるだけの道のり。
どれほどまでこの行為が気怠く、苦しいものか思い知らされた。

瀬香がいない。

どこを歩いても、まるで初めからこの世界に存在しなかったかのように痕跡は消えていた。
跳ねるイントネーションと鈴のように笑う声。そばにあった優しい温もりがいないだけでこんなにもダメになってしまう。

始まりはとある街のプラントを検査したことだった。
日銭を得るために瀬香と共に向かい、プラントが落ち着いているのを確認する。
プラントもヴァッシュと瀬香の来訪に少し驚いていたがヴァッシュが額を当て、対話をすると緩く微笑んだ。

「元気になってよかった」

ヴァッシュが覚えている瀬香の優しい言葉でさえすっかり朧げになってしまった。
ともかくその後の記憶はぷつりと途切れている。

ヴァッシュは赤いコートを失い、ただ一人、砂漠のど真ん中で倒れていた。
ここはどこだ、瀬香はどこだ、と当てなく彷徨う。
砂漠しかない地獄のような場所。街もなければ人もいない。己以外の命はない。
瀬香がいないだけで、たったそれだけで苦しいはずなのに、変わり映えのない夕日が差し込むだけの世界。

何が起こっているのかヴァッシュには把握する術がない。精神がおかしくなりそうだった。
ひたすら歩いて出口を探すだけ。
そもそも出口はあるのか?瀬香はここにいるのか?なぜ記憶が一部飛んでいる?

何の刺激もない世界でヴァッシュはとうとう気を失い、頭がおかしくなりかけ、いつの間にか自分が笑い声を出していることに気づいた。腹は減らない、暑くも寒くもない。常に目に夕日が差し込む。体の老化は感じられない。
そんな状態で正気を保つ唯一の方法は、自傷だった。爪を剥ぎ、痛みで気を紛らわせる。次第に血は止まるが傷は治らない。ならば次は腕を切る。
そうしてただひたすら、瀬香と出会うことだけを考えた。

まだ歩ける、まだ進める。瀬香が寂しい思いをしているかもしれない。絶対、一人にさせない。必ず迎えにいく。
覚悟を持って一歩ずつ踏み締める。


そうして歩き続けて1年が経過した。
ヴァッシュはただひたすら瀬香との思い出を反芻しては自傷を繰り返す。
すると目の前に今まで見たことのない黒い空間が湧き出た。
初めての見知らぬ現象。例えそれが不可解なものであってもヴァッシュは走る。息を切らしながら、その空間が小さくなる前に飛び込んだ。

飛び込んだ先でヴァッシュは強く全身を打つ。
砂漠ではない。固められた地面に顔面から飛び込んだのだから当然痛い。
しかしヴァッシュが顔を上げるとそこは砂漠の「砂」の文字すら見当たらないほど、豊かな緑に包まれていた。
体は非常に軽い。多くの雲が浮かび、優しい風がヴァッシュを迎える。
乾燥した空気とは違った、みずみずしい匂い。

肺いっぱいに息を吸い込んではく。
悲しいくらい懐かしい気持ちに包まれてしまった。
草花の匂いは瀬香を思い起こすに十分だ。

ここはどこだろう。体を起こすと、すぐそばにベンチがあった。
そのベンチには黒髪に大きなメガネをかけた少女がポカンとヴァッシュを見ている。
およそ1年ぶりの人間。

「ごめん、ききたい、ことが…」

久々に声を出すと体がよろめいた。
1年間休まずに歩き続け、さらには幾重にも自傷を重ねた。
その限界がきていたのだ。呆気なく倒れ込む。
重力が軽くなったためか今までの傷口から血が一気に流れ出ていく。

「うわ!ちょっと大丈夫ー?
ぎゃー、すごい傷だらけ〜」

呑気にヴァッシュの傷を確認するや否や、全く同じ見た目の“少女たち”がストレッチャーを持ってきた。
複数名で協力しヴァッシュを乗せ、あれよあれよと病院へ運び込まれる。

ヴァッシュは疲れ切った脳では処理が追いつかなくなっていた。
ただ思うのは、瀬香はどこにいるんだろう、寂しい思いをしているに違いない、早く迎えにいかなきゃ、ということ。

「瀬香……」

名前を呟いたら呼吸器をつけられ、麻酔を流される。
一瞬で視界は暗転した。


次の目覚めは、非常に体が重たく苦しいもの。
というのも麻痺していた痛覚が復帰したのだ。
全身をどれだけ傷つけただろう。また瀬香に心配をかけてしまう、と反省する。

「お〜、起きた」
「君、は」

大きな丸ぶちメガネをくい、と上げる。

「私はルシアナ・エステヴェス
そしてここは幻界病棟ライゼズ
医者の目の前で倒れるなんてラッキーね」
「ありがとう…助けて、くれて…」

素直な感謝に満足げに頷く。
しかしヴァッシュは次の瞬間に起きあがろうとするのでルシアナは全く同じ見た目の“少女たち”を呼びつけて集団で拘束した。

「うぐぐ…地味に力が強い…」
「絶対安静!!何勝手に動こうとしてるの!!」
「そうだそうだー」「仕事増えちゃうじゃん!」

同じ見た目だけではなく同じ声。
ヴァッシュは目の前の少女たちは全て“同一人物”であると感じた。
目を丸くさせて全員を見やる。
するとルシアナも悟ったのか、その場のルシアナを全て集めて一人の存在となった。ショートカットの少女からセミロングの女性へ変化する。

「驚かせてごめんなさい
私はこういう力があるだけのただの医者」
「いや…すっごいもん見ちゃったな、と…」
「それを言うならキミも
いくつも致命傷があるのにどうして生きているのか不思議なくらい」

そうだ、手術を受けたのだ。
今までのヴァッシュが受けたのだ傷をもちろん見たはずだ。

「それに何もないところから出てきたよね
キミは一体何者?」

ルシアナは椅子に腰掛けてヴァッシュと対峙する。
質問に答えを返したからと言って何かされるわけではないのは分かりきっている。つまり単なる好奇心で質問されているのだ。

「…僕は…エリクス
僕の恋人を探して彷徨ってた
そしたらここに出てきた
記憶を失っているわけではないけどそれ以外のことは何が何だかわからない
僕に何が起こったのかも、ね」
「ふうん…恋人をね…まぁここではそういうのは日常茶飯事ね
ともあれ傷が塞がるまでは外出禁止だから」
「それはそうなんだけど、早く探してあげないといけないんだ
僕がいなくてきっと心細いはず
それに一人だと何かと危ないんだ」

ヴァッシュ──エリクスはまた起きあがろうとするがその瞬間右腕にちくりと針が刺される。
え、と見やると安定剤が投入されていた。
ヘロヘロになりながらエリクスはベッドに落ち込んでいく。

「ダメです
けどまぁ、患者の精神的ストレスをケアしてあげるのも医者の勤め
知り合いに良い人がいるから今度紹介してあげるわ」
「いい、人ってぇ…?」
「裏事情に詳しい秘密結社
怪しいとこじゃない、むしろ世界を守っている人たちだから安心して」

ルシアナたちはまた分裂してそれぞれの仕事に戻っていった。
ぽろぽろと分裂する様はなんだか不思議で、エリクスでさえも理解が追いつかない現象だった。
しかしそれが罷り通っている世界だとすればもしかすると瀬香はここにいるかもしれない。

ぐったりする体は全身包帯まみれで消毒の匂いが鼻につく。
これはどうやってもしばらくは動けそうにない。
堪忍してエリクスはそのままじっとする選択を受け入れた。

    ◆

パドマは腕の手当てを受けて応接室に招かれた。
その場にはヴァッシュ、ウルフウッド、ダリがいるだけでない。
先程散々追いかけてきたザップや他メンバーまでも集合していた。

異界からの稀人、と称されたことを思い出した。
それが何を意味しているのか今はわからない。

「どうぞお座りください」

包帯に身を包まれた執事、ギルベルトに席を勧められる。
パドマを見るなり席から立ち上がっていたヴァッシュは心配そうに見つめる。

「痛くない?」
「うん、もう平気よ」

それよりも、と部屋に集まる総勢7名を見やる。
あれだけ殺気立っていた人たちが今や鳴りを潜めている。その違和感に落ち着かない。

「改めて、我々は秘密結社『ライブラ』
私はクラウス・V・ラインヘルツ
事情があったとはいえ襲撃し、彼女を負傷させたことを謝罪する」

彼らの代表である赤髪の大男は丁寧に頭を下げた。
彼の行動が総意なのだろうが、一部納得いかない顔をしている。というかザップなのだが。

「怪我は、気にしないでください
こうして手当もしてくれたことだし」
「そう言っていただけると心が休まる」

ぶはぁ、とわざとらしくウルフウッドはタバコの煙をはいた。

「んで?あんたらなんでワイらを襲ったんや
こちとら右も左もわからん善良な市民やで」

「善良な市民が十字架のような銃器を持っているはずないのでは?」

「こちとら過酷な世界で生きとるんや」

ツェッドの指摘ももちろんなのだが、ノーマンズランドで生きてきた者としてはある意味真だ。
それでもパニッシャーは行き過ぎではあるが

赤髪の男はスカーフェイスに視線を向けた。
アイコンタクトでスカーフェイスはプロジェクターの投影を始める。

「クラウスの情報開示を選択した
君たちに我々が知っている情報を伝えよう
僕はスティーブン・A・スターフェイズ」

それからこの場にいるメンバーの名前を順に伝えられるがダリ、ウルフウッド、パドマはすぐに覚えられず難しい顔をしている。
ヴァッシュはうんうんと頷いていた。

「さて、この街の名はヘルサレムズ・ロット
異界(ビヨンド)と人界が混ざる混沌とした街
本来”人間“しかいない世界と”人ならざる者“が生きる世界が何故か交わる場所だ
おそらく君たちも異界からやってきたのだと推測する」
「なんだ、僕たちみたいな人…ヒト?は沢山いるんだ」
「ああ、それは断言しよう」

では何故襲われたのか。
理由としては、現在のHLは通常の3倍の重力がかかっていること。
HL内に重力異常を検知しているがそれは街を転々としている。そのため張り込んでいたら何もないところからヒトが出てきた。
HLの地図が映され重力異常を検知した場所が記されている。

「いくら異界と繋がっているとはいえ境界はあり、多くはそこからやってくる
例外は君たちだ。そのため今回の重力異常に関わる者たちとして君たちの捕縛を行った、というわけだ」
「ほんならはよ帰らせてくれへんか」
「ま、帰り方は分からんがのぅ」

スティーブンはにこりと笑顔を見せる。
ヴァッシュとウルフウッドは思わず背筋が凍った。
先程まで戦っていたためにその笑顔の裏に何かが隠れていることを知っている。

「そこで我々は取引をしたい」

クラウスは4人の目を見た。

「君たちが元の世界に帰る手助けをしよう
その代わりにこの重力異常の解決に手を貸してくれないだろうか」

強面であることは変わらない。なんならパドマは今も少しだけ怖いくらいだ。
しかしヴァッシュはソファーから立ち上がる。

「名乗るのがまだだったね
僕はヴァッシュ
取引なんて堅苦しい言葉はナシでいこうよ」

右手を差し出す。クラウスはその手を見て不器用に微笑んだ。
がしりと握手を交わす。

「はぁ〜…やっぱこうなるんやなトンガリ…」
「そりゃそうだよ!ワンフォーオール!オールフォーワン!」
「へいへい」

ヴァッシュはそのままパドマとダリを見る。
二人は少し顔を見合わせて同時に肩をすくめた。

「ま、妾はニコについていくだけじゃからの」
「もちろん、出来ることがあれば手伝うわ
元の世界に帰る手掛かりもあるだろうし」

ここに同盟は締結された。
大暴れしたHLには夕日が差し込み影を深くさせる。
そんな時に帰ってきたのはもう一人のライブラメンバーだった。

「ただいま戻り…ウワ眩しい!!?
なにこれ!?誰!?何っすか!?」
「おー陰毛ヘッド
街中探索は楽しかったか?」
「ちょ、今そういうのじゃないですって!
そこの人めちゃくちゃギラギラしてるの何ですか!?
ヒト!?」

遅れて帰ってきたのはレオナルド・ウォッチ。
彼の能力を知っている者ならば誰もがその発言に目を見開く。

「失敬」

クラウスはポケットの鏡をヴァッシュに向ける。
しっかり映る姿。おとぼけ顔を見てパドマ、ダリ、ウルフウッドは思わず鼻で笑った。

「安心したまえレオナルド君
彼は吸血鬼(ブラッドリード)ではない」
「うう…直射日光浴びた気分っす…」

何はともあれ、実際の行動は明日からとなる。
ギルベルトの手配とチェインの案内で手厚い保護…ならぬ手厚いもてなしを受けて立派な食事をいただくのだった。


スティーブンは残業に追われ、ツェッドは自室へ戻る。
K・Kは夕飯に間に合うかもと言って早めに帰り、チェインは案内が終わったら人狼局に戻る。
ザップは家までレオを送った後女遊びをすると言いながらルンルンで帰る。
クラウスもまた今回の騒動で後処理をしており少々忙しそうだった。

異界からの稀人、4名は男女に分かれて部屋を案内されたがダリはパドマを連れて男部屋を訪れた。

「邪魔するぞ
早速じゃが確認したいことがある」

ヴァッシュとパドマは首を傾げる。
ウルフウッドは吸い切ったタバコを灰皿に潰した。

「ワイもや
トンガリ、お前やっぱりワイの知っとるトンガリやないで」
「はぁ!?薄情なやつだな〜!!」
「ワイの知っとるトンガリは女好きやないし襟足が黒色や!」

流石にこの情報に眉間の皺を深めた。

「それに、妾はニコ、ヴァッシュと旅をしておった
無論ヴァッシュのことは知っておるが、そこのヴァッシュは“初対面”なんじゃろう」
「そう、だけど…」
「逆にそこの嬢ちゃんをワイは知らん」

パドマはぶるりと身を震わせた。
青い顔をしながらウルフウッドに言う。

「その嬢ちゃん呼び気持ち悪いからやめてくれる?」
「ドリル娘」
「サイテー!!もっとマシな呼び方ないの!?
やっぱりこいつウルフウッドだわヴァッシュ!!」

そう。
ピシャリとダリが声を挟む。

「お互い偽物などではない
本物じゃ
だが“食い違い”が多い」
「つまり、並行世界からそれぞれ来てる…ってこと?」
「そう考えるのが妥当じゃろうな
ちなみに直前まで何をしておった」

ヴァッシュとパドマは飛行型巨大ワムズと戦っていた。
ウルフウッドとダリは“過酷な戦い”の後で疲弊していた。
これだけでも並行世界の存在を裏付けるに十分だろう。

「まぁ詳細は明日以降じゃな
今考えても仕様があるまいよ」

急にやってきたダリは急に去っていく。気まぐれな風のように部屋を出ていった。

「並行世界……」

想像もつかない、漠然とした事象、言葉に否応なしに不安を募らせる。
ヴァッシュはパドマの肩を叩いて視線を合わせた。

「大丈夫、俺は俺だしウルフウッドもウルフウッドだ
ダリのことは詳しく分からないけどウルフウッドと行動していたなら安心だろ」
「おう、その点はある意味安心してええ
ダリはワイの魂食いたがっとるからな」
「え……逆に不安じゃないそれ」
「勝手についてきとるだけや」
「あんな小さい子をほっといてるの…?」

ウルフウッドはとうとう青筋を立て、ツッコミをいれる。

「ワイが悪いみたいに言うなや!」

こんな口喧嘩…もといじゃれあいも今は何故か懐かしい。
ヴァッシュとパドマは笑い合って気持ちをほぐしていた。
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