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デイジー・ベル

 その時誰もが思ったに違いない。世界の終わりというものは突然電源を落とされる様なものだと。
 いつもの空から覗く禍々しいヒビ割れに人もポケモンも見上げることしかできなかった。


 ちょうど前日、ニュースはイシヘンジンの行動を特集していた。キバナは特に深い感想を持つことはない。テレビの映像は、たまにワイルドエリアで見かけたことのある行動ばかりだった。輪になって、行進して、気が済んだら解散する。
 普段ワイルドエリアに行くことのない人にとっては珍しい行動だと思うだろう。ニュースの後半では専門家の解説もあり、視聴者をオカルト信者にすることを防いでいた。

 するとスマホロトムが着信を知らせる。メールの送り主はリネアだ。思わずニンマリと笑みを浮かべて椅子に腰掛ける。何せ明日はデートの日だ。お互い明日を楽しみに仕事をしていた。

『明日楽しみですね。新作映画もわくわくします』

 リネアらしい言葉を読んでキバナはすぐ返信した。明日が待ち遠しい、という文面を送る。そのまま明日の天気をチェックする。
 降水確率は10% 気温も安定し過ごしやすい天気。思わず鼻歌を歌いながらご機嫌であるのには訳がある。
 明日のデートコースの一つにバラ園がある。雨だったら断念していたが穏やかな気候ときた。キバナは天運が味方したと内心ガッツポーズだ。
 そわそわしながらコーデを考えたり、準備をしているとあっという間に日付が変わりそうになる。目覚ましをセットして浮かれた心のまま瞼を閉じた。
 そう、事件はデート中に起こったのだ。

 いつもキバナがリネアの家へ向かい、合流する。リネアの可愛い格好を一番乗りで見るためだ。今日は事前に少し歩くと伝えていたからか、ハーフパンツと青いワイシャツのカジュアルなコーデだった。

「かわい〜〜!」
「本当ですか?茶色と青だし色がケンカしないか心配で……」
「大丈夫だ!ていうかリネアはなんでも似合うな〜!」
「よかった、キバナさんはどんな服着てるんですか?」

 毎回このやりとりをするためにリネアを迎えに行っているしデートをする日の最初の楽しみだった。
 両手でキバナの服を探す。それが可愛くて両手を握るとリネアは花が咲いたような表情をする。

「もうっ、キバナさんじゃないです!」
「いいだろ?手繋ごうぜ」
「後で!」

 そのままキバナの服を握らせた。ニット生地は柔らかく質感がいい。リネアはキバナが着る服の生地を確かめているだけなのだが、キバナから見れば腹を撫でられていてくすぐったい。我慢しきれずに抱きしめると腕の中できゃあきゃあと笑った。

「すごいふかふかのニット!」
「だろ?黒いニットと青いジーパン」
「青?似てる色ですか?」

 言われてみれば、リネアの青いシャツはどちらかといえば水色に近い。キバナのダメージジーパンも薄い水色だ。

「ああ、偶然お揃いの色だな」

 些細なことでリネアは奇跡だと言って喜ぶ。キバナにとってはなんてことないありふれた色の重なりだ。けれどリネアが喜ぶのなら奇跡と言うに等しく、愛おしく思える。奇跡のような女が言うのだから、間違いはない。
 頭にキスして深く手を握り合った。今日という日を楽しみにしていた分、リネアと映画館へ向かう道のりまで輝いている。優しい風が吹いて、いい天気だとありふれた会話ができる。別になんのピンチもなければトラブルだってないのにキバナはリネアと過ごせる時間を大切に思えた。

「ふふ」

 リネアが突然笑う。何かおかしなことを言ったつもりはない。ただなぜ笑ったのか知りたくてどうした?と声をかける。

「キバナさんといると、いろんな景色が見える気分になるんです。変だなぁって思って」

 なんて可愛いのだろう。キバナはリネアの言葉に胸がときめき、支配される。言葉の代わりにリネアの手を心臓へ当てるとまたおかしそうに笑った。

「キバナさん心臓おっきい!」
「リネアエネルギー満タンだからな」
「なにそれ!もう!」

 鈴が転がるような笑い声。それが聴けるのなら喜んで道化にでもなれる。リネアは気づくことはできないがキバナから向けられる眼差しは慈愛という言葉だけでは足りなかった。


 ──パキン

 何かが割れる音が響いた。キバナとリネアが驚いたのはその音の発生源だ。
 “特定”ができない。地面に落としたような音の発生ではない。広範囲に響く音は例えるなら飛行機が空へ飛ぶエンジン音だ。

「今の……なんですか?」

 エコーロケーションをほんの少し会得したキバナよりよりもリネアがその音の異常性に気づいている。ポケモンから発するものではない。機械でも、もちろん人でもない。
 リネアを抱き寄せ周囲を見る。誰もが今の音なんだろう、とただ首を傾げている中で、キバナは見つける。

「は……?」

 いつもの空から覗く禍々しいヒビ割れ。内側から覗く黒は誰かがこちらを見ているような深淵だ。
 キバナが気づくと他の人も、ポケモンも見上げる。突拍子もない、事前告知のない異変に誰もが無言だった。

 ハッと我に帰る。呆けていい場合ではないと自分を叱責した。

「リネア、今、よくわからないが空がひび割れてる。嫌な予感がするからここからジムに戻れ」
「え?ヒビ割れ…?」
「オレはリーグに報告する。埋め合わせは必ずするから、な?」

 リネアの手を離したがまたリネアがキバナの手を手繰り寄せる。

「待ってください、キバナさん、危険です」
「大丈夫だ、オレさまにはポケモンたちがついてる。それに、ナックルシティのドラゴンストーム、キバナさまだぞ?何を心配することがある!」

 リネアの頬を片手で撫でながら、リネアのスマホロトムの地図案内アプリを起動する。

「すぐジムに戻る。安心しろ」

 そう言ってキバナはリネアの元を離れた。キバナがリーグへ連絡し、ヒビ割れの報告をしている間にもヒビは大きくなっている。そして割れた空のカケラがワイルドエリアへ落ちていた。
 現地で調査に入っていたリーグスタッフも危険を察知し、避難を呼びかけている。
 まさに世界の終わりと言うに相応しい演出だ。キバナの手のひらから汗が出る。せっかくリネアとデートするためのコーデだったのにと内心悪態をついた。

 異常事態にダンデはもちろんチャンピオンまで召集される。最初はブラックナイトの余韻かという考察もあったのだが肝心のムゲンダイナは今も大人しくチャンピオンに従っている。だとすると全く別のポケモンが原因だ。

『おかしな言い方になるが、今は“空が割れているだけ”に留まっている。リーグスタッフには身の安全を確保しながら避難を呼びかけるよう指示している…だが』
「ヒビが広がったらどうなるか……だろ?」

 通話越しのダンデの声は重い。キバナはワイルドエリアから空を見上げている。

「ダンデ、一つ訂正だ。遠くからみれば空がひび割れているように見えるが実際は“空間が割れてる”状態だ。オレさまは伝説のポケモン絡みだとにらんでる」
『近づいたのか?』
「まさか!SNSで投稿されてる写真を見てみろよ。ヒビに角度がついていたり、そもそも見えないってやつらもいる。つまりヒビは二次元状態だ」
『なる、ほど?』
「うん、まぁ理解しなくてもいい。解決には至らないわけだしな。ただ、ソニアがいるだろ?伝説級のどいつかを調べるには有益かと思ってな」

 リーグは仕事が早い。ポケモン研究所とリアルタイムで繋いでおり、テレビ通話越しにソニアが調べ始めたようだ。

「オレさまはこのまま監視を続ける。あの様子だと、いつ何が出てもおかしくはないからな」
『ああ、気をつけるんだぞ』

 どうせなら何か出てきてほしい。伝説級であれポケモンであればデートを台無しにされた鬱憤が晴れるからだ。
 今か今かと待ち構えている時、キバナの目の前で異変が起こった。
 カケラがまた一つ地上へ、黒い結晶として落ちていくかと思われたが逆再生されたようにひび割れの中へ吸い込まれていった。キバナは身構える。ワイルドエリアに人がいないことを確認してリーグへ通話を開いた。

「ヒビ割れたところから風……いや、空気が吸い込まれている!そっちから何か見えるか!」

 リーグ本部は監視カメラを総動員させヒビ割れの中を覗こうとするが漆黒に覆い尽くされている。だが現場にいるキバナは違った。

「赤い何かが、こっちを見てる!」
『キバナ!そこから離れろ!』
「もちろんそうしてる!だが、強まる一方だ!街にも被害が出るぞ!」

 現にワイルドエリアの草花、石が穴の中へ吸い込まれていった。そして無抵抗なポケモンさえ。
 だが、穴から赤い何かがいるのだとすれば、攻撃をすれば吸い込みは止まる可能性が高い。キバナはハイパーボールの中にいるフライゴンを見た。

「飛べるか、フライゴン!」

 大きく鳴き声をあげてボールから自ら出る。その背に乗り込みキバナは最後の通話をした。

「赤いヤツに攻撃する!あとは任せるぜダンデ!」
『待てキバナ!』
「解析はそっちに任せる!」

 音声通話からビデオ通話に切り替える。ダンデのスマホロトムには黒い穴に向かってフライゴンが攻撃する映像。幾度かの攻撃の直後に吸い込みは激しさを増し、キバナの声を残して通話は途切れた。
 その時刻からキバナは音信不通である。


 不安を覚えたナックルシティの住民は堅牢な作りであるナックルジムに退避していた。人々はポケモンの仕業だの、世界が終わるだのと言って不安になっていた。もちろんジムトレーナーも同じ気持ちだったが何も言わずに避難者の受け入れを続ける。

 リネアもジム内で不安がっている人たちを安心させるために温かいお茶を作っていた。気休めであっても、風が強い外から避難してきた人にとっては落ち着ける飲み物は必要だろう。

「どうもありがとう、お茶を飲んでちょっと安心したわ」
「よかった、たくさん作っていますからいつでも飲んでください」

 そんな中、マナーモードにしていた端末から着信がある。スマホロトムを連れて別室で応答した。

「はい、リネアです」
『リネアくん、ダンデだ。今大丈夫かい?』
「はい、大丈夫です。ヒビ割れの件ですよね」

 ダンデは無言になる。リネアは脳裏に嫌な予感がするが、わざと跳ね除けた。

「どうされたんですか?」
『……落ち着いて聞いてほしい。キバナとの連絡が途絶えた』

 世界が終わった。リネアはそう感じた。急に辺りの電源が落とされて触れても何も感じない、無の地獄となる。
 リネアは何も言えず、ただショックを受けるだけだ。

『現地調査は危険だ。だからこそ、君の力を借りたい』
「え……」
『キバナが最後に残した映像。音声だけは鮮明に聞こえているが画面は真っ暗で何も見えない。これを解析するにも時間がかかる。まずは君の耳でどういう状況か、読み取ってほしい』

 それはもう二度と会えないかもしれないキバナの声を何度も何度も聞くことになる。苦しさで声が出せない。けれどダンデも急を要するからとリネアに連絡をしたのだ。こと音に関してのスペシャリストはリネアだと。

 震える声で返事をした。

「ローズ、タワーへ……行きます……」
『強風で危険だ。オレが迎えにいく』
「いいんです!一人で、いきますから!」
『いいや、そうされるとオレが困るんだ。キバナからしつこくどやされるからな』

 通話は繋げておこう、と言ってダンデがリザードンの背に乗る音が聞こえる。リネアがいるナックルジムまで、リネアを励ましながら。
 こうして励まし、迎えにいくのは酷なことを要求する贖罪でもあった。二人がお互いをどれだけ尊重しているか痛いほどダンデは理解している。さらにリネアがどれだけ一人で心細いかも。
 だからダンデがリネアを見つけた時は、ダンデまで胸が引き裂かれるほどの苦痛と苛立ちに襲われた。キバナ、君はなんてことをしているんだと怒鳴りつけてやりたい。
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