鳴いても咲っても

事件はすでに終わった。
全ては闇の奥へと消えて表に出るべき人は掬い上げて送り出した。故にこれ以上やることもない。生涯の全てをかけてでも成し遂げるべきタスクを十代後半で終わらせたリンコウは燃え尽きた灰のようになっていた。
これから先は消化試合。やってもやらなくてもいい小さな出来事を義務感で拾い上げては処理する日々。西日が目に差し込むことすら疎ましいと思わない。きっとリンコウは感覚をどこかに置いてしまったのだろう。

「リンコウさん、ようやく話がつきました」

かつてリンコウが事件を解決した後、目の前の人物──ヤクジロウはリンコウを慕い彼女のために金銭面やもともとの家業を立て直した。今はビル管理とその警備会社によって収入を得ている。幸運にもリンコウはヤクジロウのように多くの者に慕われて生きながらえていた。

「リンコウさん」

椅子に座ってぼうっとしているリンコウの肩を揺さぶる。するとようやくヤクジロウの存在に気付いたようだ。ああ、と椅子を座り直す。

「ロドスの件、話がつきました。来月ロドスの艦に共に向かいましょう」
「ロドスの件……?」

首を傾げていると目の前の右腕はしばし無言を貫いた。10秒を超えたあたりで痺れを切らし、ヤクジロウはもう数十回は説明したであろう内容を伝える。

「リンコウさんの顔の札のことです。最近は輪をかけて物覚えが非常に悪くなったり、反応が緩慢です。なのでロドスに札を剥がすよう依頼を出しました」
「今更だよ、そんなに気にしなくていいのに」
「よくありません。俺たちを救ってくれたリンコウさんの力になりたいと皆思っています。けど日に日に植物のようになるあなたを見るのは、少なからずショックなんです」

顔の右半分、目を覆うように張り付く青い札は何をやっても取れない呪いだった。もちろん水に濡らしても、燃やそうとしても無駄である。これについてはリンコウ自身考えるのをやめていた。

「でも私のボーッとすることと札は何の関係性があるの?」
「わかりません。ただ一縷の望みをかけて、治療をしてもらうべきです」

記憶の連続性はあるが、新しい単語や人の名前を覚えづらい。そしてリンコウは未だ気付いていないが人より聴覚、触覚、視覚の反応が遅い。これは最近になって発症したものである。
様々な医療機関を訪ねたが源石病の兆候はなく、医者はサジを投げるばかり。
ヤクジロウは藁にもすがる思いでロドスとコンタクトをとったのだ。もちろんロドスも慈善団体ではない。リンコウの治療や病理解析に警備会社としての業務提携を結ぶことになった。そんな話は、リンコウはすっかり忘れてしまっているが。

こうしてヤクジロウについていきリンコウはロドスへと足を踏み入れた。


ロドスは街一つを背負っているような規模であり、到着した早々、ヤクジロウは改めて業務提携だけで医療を受けられる幸運に感謝した。とはいえ肝心のリンコウはぼうっとしたままヤクジロウについていくだけのオートマタとなっている。
早速ドクターとの面会があったのだがリンコウの症状は類を見ないものであったためその場で軽い触診をしていた。左目にライトをかざしても瞳孔の収縮、拡大はゆっくりとしている。呼びかけへの応答も時差があった。

「なるほど、これは精密検査をしないといけないね」

無貌のドクターはそう言うが極東でも精密検査は行われた。それでも原因不明かつ札を剥がす方法すらない。ヤクジロウは医療スタッフに連れて行かれるリンコウの背中を見ながら、静かに検査結果を待つしかなかった。

数日後。相変わらず空を見つめるリンコウの側でヤクジロウはロドスの地図を睨んでいた。何せ広すぎる上に似た区画が多く、一度迷子になると二度と帰ってこられないのではないかと恐怖すら感じる。せめて病室の周辺だけでも覚えなければと奮闘していたところにドクターが現れた。

「早速、リンコウさんの詳細な検査結果が出たよ」
「どうでした?」
「うん、まず一つ勘違いを解消しなければならない」

勘違い、という言葉に呆気に取られる。何を思い違えていたのかわからずヤクジロウは混乱した。

「リンコウさんの顔にある札……これはただの札が張り付いているんじゃなくて正確には埋め込まれている」
「え……ちょっと、どういう意味ですか」

ドクターは近くの簡易椅子に座り足を組んだ。ヤクジロウは事実を知りたくてたまらない様子だ。足元はタンタンと床を叩いている。

「正確には電子デバイス。かなり旧型だ。そして眼球の部分には源石が入っている」
「げ、源石!?じゃあリンコウは源石病なんですか!?」
「落ち着いて。源石は埋め込まれたデバイスを機能させるための装置だ。眼球をそっくりそのまま源石と入れ替えている。だが、これを剥がすとなるとかなり危険が伴う。極東で何度も精密検査をしたと思うけど、何もわからない、よりは“関わりたくない”が医者たちの本音だったんだろう」

愕然とした。頭の中が真っ白になっている。しかしヤクジロウはリンコウよりも、リンコウの過去を知っている。それ故にドクターのいう事実を裏付ける情報が何度も脳内を行き来していた。

「続けて説明するね。これはまだなんとも言えないけれど、おそらくリンコウさんの反応が緩慢であるのはこのデバイスが原因かもしれない。すごく雑に言うとリンコウさんの症状は拒絶反応だ」
「拒絶反応……」
「すっかり癒着し、適合しているせいで痛みは伴っていない。けれど慢性的な反応の遅れ、新しい記憶・情報の欠如はデバイスが反応を阻害しているのではないかと我々は仮定している」
「なら、手術は……リンコウはもうこんな有様で、よほど強く呼びかけないと反応がないんです。早く手術していただけませんか」

フルフェイスに隠れた表情。ドクターでさえも言葉を飲み込んで静かに伝えた。

「手術しデバイスを外すことは可能だ。けれどその過程で源石を外さなければならない。むき出しの患部に源石が少しでも触れれば、源石病になってしまう」

むしろ今まで源石病になっていなかったのが奇跡だ。だがその奇跡がヤクジロウを責め立てている。
デバイスをつけたまま、植物状態になるのを見届けるか、源石病に罹患させるか、究極の選択を迫られる。

「無論、手術の際は細心の注意を払う。それでも源石病になる可能性は非常に高い。我々としては手術をおすすめしたい。正直、源石病に罹るのは時間の問題だ」

ヤクジロウは考えがまとまらず、掠れた声で決断を先延ばしにした。ドクターはこういった反応を何度も見てきた。今回もまた、静かに病室を出る。ヤクジロウの嗚咽を背にしながら廊下を進んだ。



決断を出せないまま時間だけが過ぎていく。明日には決めなければと思えば思うほど、思考を鈍らせる。ドクターの説明を聞いて今日は二日目だ。良い加減腹を括るべきと自分に言い聞かせてリンコウがいる病室の扉を開けた。

「リンコウさん、入ります」

どうせこのノックも聞こえやしない。ヤクジロウは擦れた考えのまま一歩踏み入れるが、ベッドはカラ。一瞬止まり、それから慌てて部屋中を探す。

「リンコウさん!?」

ベッドの下、絶対に隠れられるはずないのに棚の後ろなどを覗くが求める姿はなかった。ヤクジロウは地図を片手に部屋を飛び出した。


一方、一時間前に部屋を出たリンコウはふらふらと彷徨っていた。いつもはリンコウという体を後ろから操作している感覚だが今日は違う。目の中に意志が宿り手足を動かしたくてたまらなくなった。
すると食欲をそそる良い匂いがリンコウに届く。丁寧に作られた出汁と優しく染み渡るしょうゆ。ツンとつつくようなからしもあるに違いない。
誘われるように匂いの元へ進めばあっという間に到着した。

「見ぃひん顔やね。そのカッコ、もしかして入院しとるんとちゃう?」

笑みを作るループス族の男性を見た後、今もぐつぐつと煮込まれている屋台の商品……おでんを見る。

「おなか……すいたかも」
「食事制限とかされとるん?」
「さぁ……」

男は暖簾をひらりと退けると、ようやくお互いの顔を見ることができた。
リンコウはくたくたのシャツと無精髭の男の目を見る。オッドアイで、ロクに手入れされていない耳と尻尾の毛並み。まるで裏路地にいる薄汚い小動物だ。
そして男はリンコウを見る。顔の半分を札で覆われた鬼族の女。情報屋でもある男はその人物は一体誰なのかを十分すぎるほど知っている。
顔に出さなかったが、内心、ゲェッと思っている。

「なんや、ロドスにカイダ警備の社長さんがおるなんてびっくりしたわ」
「私を知ってるの」
「知ってるも何も有名やで自分。その札、忘れようとしても忘れられへんわ」

しかしロドスにいるということはやはり源石病に罹患しているのかもしれない。歩き回っているため初期症状なのだろう。ぼんやりとした視線はおでんに向けられている。

「座りや、リンコウさん」
「え」
「お腹すいとるんやろ?今日はサービスしたるわ」

以前、リンコウを見た時はもっと覇気があった。見たもの全て破壊するような殺気さえ感じ、依頼されでもない限り近づかないでおこうと当時から決めていた。
だが今はそんな殺気微塵も感じられない。むしろ迷子で困っているような顔つき。こういう時放っておくのが一番なのにどうしてか手を伸ばしてしまう。

「どれも美味いで」
「うーん……」

リンコウが指さした食材を皿によそう。ふわりとリンコウの顔にかかる湯気で自然と笑みを浮かべていた。

「いいにおい」
「せやろ?ゆっくり食べや」

箸を使い大根を割る。一際白い湯気を出したので、ふうふう、と息をかけた。

「……おいしい」

病人とは思えないほどパクパク食べる様子は気持ちがいい。男が次の食材を切っている間によそった分は全て食べてしまった。汁も飲み干して満足している。

「お代わりいれよか」
「ううん、大丈夫。ありがとうございます。えっと……名前は」
「ロドスではマツキリって名乗っとる」
「マツキリさん……忘れてしまうかもしれないけど、ご馳走様でした。とてもおいしかったです」

朗らかに笑うリンコウにマツキリも頬を緩める。そうこうしているとタイミングよくリンコウの保護者が現れた。

「リンコウさん!やっと見つけた!」
「ヤクジロウ」

マツキリはまたしてもゲェッと思う。もちろん知らぬ顔で仕込みを続けていた。

「おでんおいしかった」
「おでん?って、森内……なんで情報屋がここに」
「奇遇やなぁ〜俺てっきりロドスに転職されたんかと思うてましたわ」

ヤクジロウは森内と呼ばれたマツキリを睨み、財布を取り出した。

「釣りはいらねぇ」

多く支払ってでも早くこの場から離れたいようだ。マツキリもまた、ヤクジロウに返答する。

「まいど。それで、どっか悪いん?」
「関係ないはずだ。いきましょう、リンコウさん」

リンコウはヤクジロウに連れられるがまま、おでんの屋台を離れた。無造作に置かれた紙幣をマツキリは見やるが、結局ポケットに突っ込んでしまった。



ヤクジロウは手術を決意した。その代わりにもう一つ決断を先送りにして。

「……我々としては、認可できない」

ドクターの冷たい声はヤクジロウを責めている。なぜなら右目に内蔵されている源石は取り出さないで欲しいと伝えたからだ。

「確かに源石病になるのは時間の問題かもしれない。でも体内の源石を取り出さずにしておけば、そのぶん源石病にかかるリスクも減らせるはずでしょう!」
「デバイスによってリンコウさんの意識を阻害している話はしましたね。デバイスがあるのは見えている部分だけではありません。眼窩に本体がある可能性も」
「なら、デバイスを取った後に確認すればいいはずです」

ドクターは小さなため息をついた。ヤクジロウに何を言っても無駄だと確信する。同時にロドス製薬の限界を感じた。ロドスは源石病を取り巻く問題解決に尽力しているがそこに強制力はない。各国の政治機関と協定を結んでいても執行力などあるはずがないのだ。だから今は、ヤクジロウの希望的観測がロドスの工程を増やすだけなのだと示すことはできなかった。

「わかりました。ですが、これだけはお伝えします。源石がどのような状態か判明していません。つまり、いつ何かの拍子に源石がリンコウさんの皮膚を突き破る可能性もあります。そして我々の手も、常に空いているわけではありません」

ドクターは病室を出た。部屋は万が一のことを考え、密閉ができる特殊な病室だ。源石がリンコウの頭蓋を突き破り、炸裂した場合、他の部屋へ被害が及ばないよう配慮している。
そんな部屋で、ヤクジロウはリンコウのそばにいた。

「おなかすいた……」

ぽつりと呟く声に小さな苛立ちすら覚える。ヤクジロウはリンコウのために苦悩している。

「……夕食は足りませんでしたか」
「ううん……なんていうか、おでん食べたい」
「……」

結局リンコウは一人で病室を離れてしまった。常につけている源石病制御装置は廊下の影の中で怪しく光っている。背中を見送り、近く行われる手術に向けてヤクジロウは心の準備をしていた。


リンコウがふらふらと歩くと昨日と同じくおでんの屋台がある。店主であるマツキリがリンコウを見ると、口角を上げて笑った。

「リンコウさんいらっしゃい」
「私のこと、しってるの」

マツキリは昨日と同じセリフに目を丸くさせた後、つい顔を逸らした。ただおでんを食べさせただけの相手なのに、動揺してしまった。それを瞬時に自覚した。

「そりゃ、リンコウさんは有名人やから。おでん食べていかへん?」
「ちょうど、おでんを食べたいと思ってた」
「ならホンマええとこにきたなぁ。ついさっき営業始めたんや。本日一番目やで」

リンコウが椅子に腰掛けるとポケットに違和感を感じた。取り出すとそこには小さな小銭入れがあったのだが、付箋が貼られている。何気なく読み上げた。

「まつ、きり、へ……誰だっけ……文字は、ヤクジロウだけど」
「……ちょい見せてくれん?」

渡された付箋の裏に、マツキリに宛てたメッセージが書かれていた。ヤクジロウらしい心配りだが、肝心のリンコウについては書かれていない。金は持たせている、とだけだ。

「俺宛やな」
「マツキリさん?」
「そ、俺の……コードネームや」
「へえ」

付箋は用済みだ。マツキリは手元のカウンターに適当に貼っていたのだが、細い腕がマツキリに伸ばされる。源石病抑制装置はやはり相応しくない。そう思わされるが気を取り直して意図を尋ねた。

「なんや?」
「ふせん」
「ああ、はいよ」

手のひらに乗せて、文字をまじまじと眺める。

「今日もおすすめよそいどくな」

手元は大根、ちくわをのせつつ、目の前の子供っぽくなってしまったリンコウのことを考えてしまう。
リンコウが代表取締役を務めるカイダ警備は小規模かつ堅実な会社だ。いわゆるカタギの会社ではあるものの、多くの社員はリンコウの家──ヤクザの被害者であった。当時、どうして被害を受けていた家の嫡子について行くのかと思わされたが、リンコウの顔に貼られた札を見てどういう扱いを受けていたのか想像がつく。

「私は、新しいことを覚えられないから、おでんってかいとく」
「お〜、ええ心がけ……」

ガリ、と小指の爪の角に噛みついて無理やり引きちぎる。赤い血が皮膚の下から溢れていた。

「何しとるん」
「おでん」
「無視か!?ペンが欲しいなら言えばええやん!」

先ほどの付箋に赤い文字で「おでん」と書いている。マツキリは困ったようにため息をついてカウンターの内側から絆創膏を取り出した。
リンコウのそばに近寄り、小指の血をティッシュで押さえ止血を確認する。

「こういうことする前に相談するんやで」
「相談」
「せや。痛いやろ?そういうの見るの苦手なんや」

絆創膏を貼って保護するが意外と傷は深い。ヤクジロウにクレームが出ないよう祈るばかりだ。

「帰ってちゃんと消毒するんやで」
「ありがとう」

こんな子供が、自分の家を壊滅させ両親を逮捕に導いたなど、今のマツキリには信じられなかった。
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