デイジー・ベル
マリエシティはアローラ地方、ウラウラ島に所在する町の一つだ。休暇にアローラを訪れる観光客は後を絶たず、特にマリエシティはオリエンタルな雰囲気が漂う町並みが人気だった。
年明けに帰省した時とは全く違う心情を抱えたリネアは杖にすがりつくように実家へ戻ってきた。
ドアを開けて、懐かしい家の匂い。だがリネアの目の前はまっくらで何一つ感情を持てない。
「リネア!?一人で帰ってきたの?おじいちゃんは?」
驚いた母はリネアがボロボロになっているのを見て心配する。そもそもリネアがガラルでどうなっているのか全く知らないのだ。
「ほ、ホエルオー…」
「ホエルオーは岬にいるわよ、それよりも膝が擦りむいてるわ…手当てしましょう」
「いいの……また、夜に戻るから……」
マリエシティのはずれ。岬に行き大声で呼んだ。
「ホエルオー!!」
波の音とは違う、尻尾が海面を叩く音。空気を揺るがす咆哮が聞こえて一分も絶たないうちに目の前にやってきた。海水を割って浮上したホエルオーはリネアの頭を濡らす。
「ホエルオー!沖まで、連れてって」
両腕ですがりつく様子には痛々しい。久々の再会はもっと明るいもののはずだった。それでもホエルオーは静かにリネアを背に乗せた。町から離れるにつれて海水よりもしょっぱい涙が溢れてリネアは夕暮れまで泣き続けた。
ガラルを離れて二日目が経った。リネアはいつもより長くベッドに入っていたが昼前になると部屋から出る。ホエルオーのモンスターボールを持ってまた一人で岬へ向かう。
両親はガラルで一体何があったのか尋ねるが絶対に口を割らなかった。自分の罪を反復するように口に出したくもない。
ホエルオーの背にうずくまり続けたって何も変わらない。このままずっと貝殻のように閉じこもっても罪が消えることはない。今ごろSNSがどうなっているかくらいいちいち聞かなくても理解できる。ならばいっそのことどこか遠くに消えてしまいたい。リネアの耳に届かない場所でもなじられているとわかっても、その方が楽だった。
◆
太陽は嫌なほど照っている。ガラルを身一つで飛び出したキバナは翌朝にアローラ諸島の一つメレメレ島のハウオリシティにたどり着いた。
観光案内所の地図を広げてリネアの実家であるマリエシティの名前を探す。
マリエシティはここから一つ島を超えたウラウラ島にあることがわかった。観光名所でもあることから船の定期便は多く、昼にはマリエシティに辿り着けそうだ。
チケットを買い、鉄道へ乗る。キバナが一歩街へ出れば話しかけられることは当たり前だった。今は誰も彼も、キバナはただの乗客。経歴も異名も知らないただの人間。リネアが逃げた場所など今でも確信はないが、マリエシティに近づくほど確信が生まれる。逃げた先はきっとここなのだと。
チャレンジャー時代の頃のように、キバナはマリエシティに行くため歩き続けなければならないだろうと予想していたが、それ以外の困難があった。
マリエシティ直行便はなく、アーカラ島・カンタイシティまで向かう。アーカラ乗船場にようやくウラウラ島行きの船があった。
観光客ならこれもまた旅の醍醐味なのだろうが今のキバナはそうではない。焦燥感を鎮めながらようやく目的地にたどり着いた。
マリエシティでのリネアの実家は全くわからない。かといってリネアの知り合いだと急に押しかけていいものかわからない。頭の中でロクな回答を出せないまま町の中でリネアが行きそうな場所を覗いていた。
「今日もあのでっけぇホエルオーいなかったよな」
「また背中に乗せてもらえるかおばさんに聞きに行こうよ」
子供たちの賑やかな声を聞き逃さなかった。キバナは慌てて呼び止める。
「なぁ!そのホエルオーって、いつも海にいるのか?」
「誰?」「でっけー!」「身長何センチ?」
キバナは苦笑いしながらしゃがみ、目線を合わせる。
「そのホエルオーに会いたくてきたんだ。ちなみに190センチ」
「でっか!」「ホエルオーじゃん!」
無邪気な様子に付き合う。子供の忖度のないコミュニケーションは非常に懐かしい。
「ホエルオーはいつもはずれの岬から見えるよ。でも最近岬にいないんだ」
「そうなのか…」
「だからおばさんにホエルオーに乗せてくれって頼みに行こうと思うんだけどおじさんも来る?」
「いいのか!」
この際おじさんと呼ばれたことには目を瞑ろう。キバナは自分の運と子供たちに感謝しながらホエルオーを海で泳がせているというおばさんの家へ向かった。
町の奥、狭く隠れるように所在する家の門戸を子供たちは開けていく。しょっちゅうここへ訪れているようだ。
「おばさーん!」「遊びに来たよー!」
玄関の奥から女性の声が聞こえた。ガラガラとガラスの玄関をスライドさせる。玄関を開けた女性は、一度だけ顔を合わせたことのあるリネアの母親であった。
「あっ……あなた……」
キバナを見て目を丸くしている。
「お世話になっております。ナックルジムのジムリーダーをしています、キバナです」
アローラはジムという体制ではなくしまキング・しまクイーンという扱いになっている。そのため子供たちは聞き慣れない単語に首を傾げていた。
「ごめんねみんな、今日はホエルオーはお休みなの。また今度ね」
「えー!」「まぁいいや、遊びに行こうぜ!」「海岸まで競争な!」
また走り去っていく。元気な背中を見送ってもう一度リネアの母親へ向き直った途端、深々と頭を下げていた。
「ええっ!?顔を上げてください!」
「いえ!うちの子のリネアのことでしょう!何も言わずに逃げてきたんだとわかっています。その他の事情は、分かりませんが……こうしてキバナさんがアローラまできた理由は、察します」
母親はそれでも顔を上げなかった。
「どうか、お引き取りください!リネアには私が強く言っておきます!ですから、今だけはどうか……」
「ホエルオーがいないのは、リネアさんが連れているからですか」
何も言わない。だが状況はキバナの言った通りだと示している。
「すみません、オレはリネアを連れ戻しに来たわけではないんです」
「……では、一体」
「ただ会いたいだけです」
下げていた頭をゆっくりと起こす。不安そうな顔つきにキバナは微笑む。それだけでキバナの意図は通じた。代わりに、堰を切ったように母親は問いかけた。一体ガラルで何が起こっているのか。リネアが何かしてしまったのか。居場所はあるのか。不安が堪えきれず涙を流す。
「正直にお伝えすると、リネアさんの視覚障害を申告せずガラルのチャレンジャーになったことが問題視されています」
「そんな……」
「ですがガラルリーグはリネアさんに責任はなく、根本的な問題はチャレンジャーになる条件の設定の甘さだと、昨日名言されました。リーグも、オレも、リネアを保護するつもりでいます」
「じゃあ……どうしてリネアはあんなに落ち込んでいるの……一昨日の夜、膝を擦りむいたままボロボロで帰ってきたんです!何度聞いても何も言わずに、引きこもってしまって……!」
肩をさすり、落ち着かせながら伝えた。
「オレはリネアさんと話して、伝えたいことがあります。どうかリネアさんがどこに行ったのか教えてくれませんか」
手が震えている。母親は涙を拭いながら歩き出す。キバナもすぐ後ろについていき、はずれの岬へと案内された。
あんなに高かった太陽は傾き始めている。
「リネアが帰ってきてからずっと、ホエルオーの背中に乗って沖までいっています……夜遅くまで戻らないんです」
地平線よりもさらに遠い場所まで行っていることだけは分かった。キバナはボールからフライゴンを出す。
「少し会いに行きます!」
颯爽とフライゴンの背に乗り飛んでいってしまった。引き止められるはずもない。アローラまで来た彼の姿は責任あるジムリーダーのものではなかった。母親はすぐ表現できる言葉が見当たらなかったが、程なくして頭に浮かんだ。
◆
ムム、とホエルオーは小さく鳴いた。リネアは日に焼けてしまった首裏をさする。
「ごめん、岬にもどろうか…お腹すいたよね」
リネアは指示したはずだが青い巨体は動かない。どうしたものかと首を捻るとホエルオーの背中に何かがやってきた。翼がはためく音、人の呼吸音。リネアは体を硬直させる。
誰なのかわからないが怒られるかもしれない。恐怖が先行してオンバーンを出す。
「だっ、誰!?」
「リネア、オレだ、キバナだ」
は?
リネアは初めて素っ頓狂な声を出す。そのくらいキバナの登場は予想していなかった。出されたオンバーンにキバナは頭を撫でて横を通る。そしてフライゴンとオンバーンは頭を寄せて挨拶を交わしていた。
「な、なんで」
「少し話がしたい」
「嫌ですしたくないです!」
完全なる拒絶にキバナの足が止まった。瞼を固く閉じる様子は恐怖を表す。
「もうガラルには帰らない!ずっとここにいる!」
膝を抱えて閉じこもるのでキバナは同じく腰を下ろした。
「それでもいい。ただ伝えたいことがある」
「聞きたくないです!だって私が悪いのは分かってます!謝っても解決しないことをどう責任取れって言うんですか!!」
リネアの言うことはもっともだ。ただ正義と公正の名の下に振りかざされる正論ほど強いものはない。
「あの時約束しただろ」
キバナはいつもリネアに大切なことを伝える時、リネアがもっとも予想外である言葉と行動を口にする。それはリネアはいつだってキバナを“見ている”とわかっているからこそだ。
「命をかけるほどの無茶をリネアはしてきた。チャレンジャーの時からずっと」
この後の言葉を知っているからリネアは顔を歪ませた。
「だから今度はオレが命をかける番だ」
「かけないでくださいそんなの約束してないっ!」
ホエルオーの背中に涙が落ちる。リネアがたまらずあげる声は怒号と悲哀に満ちている。
「じゃあオレが勝手にかける。ただオレは、リネアの味方になりたいだけだ」
こうなったらキバナが止まるわけがない。その強さをリネアはよく知っている。リネアが焦がれるほど眩しく見つめていたから。
「それを伝えたくて会いに来た。今のガラルはリネアにとって苦しい場所だって十分わかる。なんなら無理に戻る必要はない」
「じゃあ味方になる意味なんてないじゃないですか!私のためにキバナさんが迷惑を被る必要もないです!黙って逃げたのにどうして……!」
キバナはしばし黙って、つぶやいた。
「オレがそうする理由なんて、ほんとは分かってるだろ?」
ただ泣き叫んだ。キバナはリネアを抱きしめることはしない。ただじっと泣き止むのを待ち続けた。リネアの体から涙が全て出ていくのと夕日が落ちるのは同じだった。
ホエルオーは夕日が一際強く輝く時、水を空へ噴き出した。瞬間的な豪雨とも思える水量が肌に当たり痛さまで感じる。リネアとキバナ、そしてフライゴンとオンバーンまでもがずぶ濡れになってしまった。
突然水をかけられたことでふにゃふにゃと怒り出すフライゴン。シャツで顔を拭ってやった後ボールへ戻した。
「潮でべたべたする……」
「もう日が暮れる、帰ろうぜ。リネアのお母さん心配してたぞ」
「お母さんに会ったんですか……?」
「ああ。事情もオレから説明させてもらった」
ホエルオーの海水のおかげで涙は引っ込んだようだ。ただ事実を知られたことで黙りこくる。
「オレはこのまますぐガラルに戻る。だからリネア、連絡無視だけは絶対にナシだ!いいな!」
「は、はい……」
「おいおい連絡する。それまでガラルのことは忘れて休め」
黙って逃げたことすら叱らず、キバナはリネアを受け入れた。その優しさが鋭い痛みを持ってリネアの心情を刺した。どろりとした、重たいものが胸の内に溢れる。
リネアはフラフラと立ち上がってキバナに近づいた。母親が言っていた通り膝を怪我している。
「帰ろう。もうあたりは真っ暗だ」
灯台の灯りが見えた。マリエシティの方角がわかる。キバナが灯りを見ているとリネアはそっと体を寄せた。
会えなかった日はたったの二日。シフト上二日くらい顔を合わせないことだってある。それなのにまるで一年以上会えなかった恋人のように抱きしめ合った。
「キバナさん」
「ん? え」
ぐい、と頭を掴まれて引き寄せられる。勢いに負けてキバナの唇はリネアとかち合わせた。
未だ涙で潤うリネアの瞳。キバナは至近距離で見てしまう。重力よりも強い力で寄せ合い、キスを繰り返す。
いつしかリネアはキバナの頭を押さえ込みキスを受け取る。キバナはリネアを抱きしめながら逃がさない。海のざわめきにキスのリップ音がかき消された。
◆
ガラルリーグ運営委員会は、前回大会に関する一連の事案を受け、今後の競技運営体制について検討を行ってまいりました。
その結果、選手の多様な背景や競技環境への対応を目的として、公式バトルにおける新たな支援体制として「競技支援・監督責任者」制度を導入することといたしました。
本制度は、選手本人の競技資格や実力評価に影響を与えるものではなく、公式バトルにおける安全管理および競技環境の調整を円滑に行うため、リーグが認めた責任者が指導・監督の立場から関与するものです。
本制度の運用にあたっては、競技の公平性を損なうことのないよう、慎重に判断を行ってまいります。
今後、当該制度の適用対象となる選手が公式バトルに参加する場合、事前にリーグ運営委員会が認定した競技支援・監督責任者を登録し、当該バトルにおける競技環境の管理および必要な対応について責任を負うものといたします。
なお、本制度の具体的な運用方法および今後の対応につきましては、引き続き検討を進めており、決定次第改めてお知らせいたします。
ガラルリーグ運営委員会は、すべての選手が安心して競技に臨める環境の整備に努めるとともに、個人に対する誹謗中傷や過度な取材行為については強く自制を求めます。
ガラルリーグ運営委員会
──────────
ガラルリーグ運営委員会より発表された新制度に基づき、
私、ナックルジムリーダー・キバナは同委員会と協議の上、リネア選手の公式バトルにおける競技支援および監督責任を担う立場となりました。
本対応は、リーグが定める制度運用の一環として行われるものであり、特定の選手に対する例外的措置や、競技結果への影響を意図するものではありません。
今後、リネア選手が参加する公式バトルにおいては、
競技環境の調整および運営上の対応について、私がリーグ規定の範囲内で責任を負うこととなります。
なお、本件に関連した個人への誹謗中傷や過度な取材行為については、競技運営および選手保護の観点から、適切ではないと考えます。
関係各位におかれましては、リーグおよびジムの方針をご理解いただき、冷静な対応をお願いいたします。
以上、運営体制に関する報告として、本声明を発表いたします。
ナックルジム ジムリーダー
キバナ
──────────
リーグの声明文に次いで出されたキバナの声明文。この件は瞬く間に多くの人の目に映る。どう足掻いても特例措置だと揶揄する声は鎮まることはない。けれどこれで堂々と公的に、書面に、キバナはリネアの隣に立つことができる。どう思われようがキバナの決意は揺るがない。
リネアはアローラへ帰ってしまってから一ヶ月後。キバナはリネアとのメッセージのやり取りを続けていたが突然ガラルに帰ろうと思っている旨を明かされた。
騒動は少しずつ鎮まる兆しを見せているが一部ではまだ強い主張をしている者もいる。無理に戻る必要はないと伝えたがリネアの意志もまた固い。
キバナはエンジンシティの駅の構内でリネアを待っていた。キバナほどの身長がある存在は稀である故に口々からキバナだ、と感嘆の声を挙げられる。
ちりん、と鈴の音が聞こえた。キバナはいつもの杖をもつリネアに近寄り声をかけた。
「久しぶり、リネア」
「キバナさん、お久しぶりです」
久々に見たリネアの顔は、一ヶ月前ホエルオーの上で見かけた表情と全く違う。
「それから、こんなところで話すべきことではないのですが……声明文を聞きました。本当にありがとうございます」
「言っとくが特別扱いじゃないからな!リネアのバトルを買ってるから責任者になっただけだ!」
ハッキリ言うと同時にリネアの姿をちらちらと覗く一般人に牽制する。面と向かって向き合う覚悟もない者がリネアのことで口を挟む権利はない。
「はい、キバナさんは一番最初に私のバトルを褒めてくださいました。一生の宝物です」
可愛い言葉にキバナの胸が苦しくなる。
「だからキバナさんに負けないくらいたくさんバトルして、ジムリーダーになります」
「あ……ええ……?リネアさん……?」
「もちろんアドバイザーも続けます」
「なん……え?初耳なんだけど……」
ニコ、と強気に笑うリネア。声明文なんて本当は必要なかったんじゃないかと思うが、きっとキバナの声明文があったからこそリネアは決断したのだろう。
選択肢を狭めてしまうだろうと思ってばかりいたキバナの意志と反してリネアは明日の方向へ飛ぼうとしている。
「じゃあ……まずは腹ごしらえだ!行こうぜ!」
「はい!」
改札を抜けてキバナとリネアは手を繋いで走り出した。
年明けに帰省した時とは全く違う心情を抱えたリネアは杖にすがりつくように実家へ戻ってきた。
ドアを開けて、懐かしい家の匂い。だがリネアの目の前はまっくらで何一つ感情を持てない。
「リネア!?一人で帰ってきたの?おじいちゃんは?」
驚いた母はリネアがボロボロになっているのを見て心配する。そもそもリネアがガラルでどうなっているのか全く知らないのだ。
「ほ、ホエルオー…」
「ホエルオーは岬にいるわよ、それよりも膝が擦りむいてるわ…手当てしましょう」
「いいの……また、夜に戻るから……」
マリエシティのはずれ。岬に行き大声で呼んだ。
「ホエルオー!!」
波の音とは違う、尻尾が海面を叩く音。空気を揺るがす咆哮が聞こえて一分も絶たないうちに目の前にやってきた。海水を割って浮上したホエルオーはリネアの頭を濡らす。
「ホエルオー!沖まで、連れてって」
両腕ですがりつく様子には痛々しい。久々の再会はもっと明るいもののはずだった。それでもホエルオーは静かにリネアを背に乗せた。町から離れるにつれて海水よりもしょっぱい涙が溢れてリネアは夕暮れまで泣き続けた。
ガラルを離れて二日目が経った。リネアはいつもより長くベッドに入っていたが昼前になると部屋から出る。ホエルオーのモンスターボールを持ってまた一人で岬へ向かう。
両親はガラルで一体何があったのか尋ねるが絶対に口を割らなかった。自分の罪を反復するように口に出したくもない。
ホエルオーの背にうずくまり続けたって何も変わらない。このままずっと貝殻のように閉じこもっても罪が消えることはない。今ごろSNSがどうなっているかくらいいちいち聞かなくても理解できる。ならばいっそのことどこか遠くに消えてしまいたい。リネアの耳に届かない場所でもなじられているとわかっても、その方が楽だった。
◆
太陽は嫌なほど照っている。ガラルを身一つで飛び出したキバナは翌朝にアローラ諸島の一つメレメレ島のハウオリシティにたどり着いた。
観光案内所の地図を広げてリネアの実家であるマリエシティの名前を探す。
マリエシティはここから一つ島を超えたウラウラ島にあることがわかった。観光名所でもあることから船の定期便は多く、昼にはマリエシティに辿り着けそうだ。
チケットを買い、鉄道へ乗る。キバナが一歩街へ出れば話しかけられることは当たり前だった。今は誰も彼も、キバナはただの乗客。経歴も異名も知らないただの人間。リネアが逃げた場所など今でも確信はないが、マリエシティに近づくほど確信が生まれる。逃げた先はきっとここなのだと。
チャレンジャー時代の頃のように、キバナはマリエシティに行くため歩き続けなければならないだろうと予想していたが、それ以外の困難があった。
マリエシティ直行便はなく、アーカラ島・カンタイシティまで向かう。アーカラ乗船場にようやくウラウラ島行きの船があった。
観光客ならこれもまた旅の醍醐味なのだろうが今のキバナはそうではない。焦燥感を鎮めながらようやく目的地にたどり着いた。
マリエシティでのリネアの実家は全くわからない。かといってリネアの知り合いだと急に押しかけていいものかわからない。頭の中でロクな回答を出せないまま町の中でリネアが行きそうな場所を覗いていた。
「今日もあのでっけぇホエルオーいなかったよな」
「また背中に乗せてもらえるかおばさんに聞きに行こうよ」
子供たちの賑やかな声を聞き逃さなかった。キバナは慌てて呼び止める。
「なぁ!そのホエルオーって、いつも海にいるのか?」
「誰?」「でっけー!」「身長何センチ?」
キバナは苦笑いしながらしゃがみ、目線を合わせる。
「そのホエルオーに会いたくてきたんだ。ちなみに190センチ」
「でっか!」「ホエルオーじゃん!」
無邪気な様子に付き合う。子供の忖度のないコミュニケーションは非常に懐かしい。
「ホエルオーはいつもはずれの岬から見えるよ。でも最近岬にいないんだ」
「そうなのか…」
「だからおばさんにホエルオーに乗せてくれって頼みに行こうと思うんだけどおじさんも来る?」
「いいのか!」
この際おじさんと呼ばれたことには目を瞑ろう。キバナは自分の運と子供たちに感謝しながらホエルオーを海で泳がせているというおばさんの家へ向かった。
町の奥、狭く隠れるように所在する家の門戸を子供たちは開けていく。しょっちゅうここへ訪れているようだ。
「おばさーん!」「遊びに来たよー!」
玄関の奥から女性の声が聞こえた。ガラガラとガラスの玄関をスライドさせる。玄関を開けた女性は、一度だけ顔を合わせたことのあるリネアの母親であった。
「あっ……あなた……」
キバナを見て目を丸くしている。
「お世話になっております。ナックルジムのジムリーダーをしています、キバナです」
アローラはジムという体制ではなくしまキング・しまクイーンという扱いになっている。そのため子供たちは聞き慣れない単語に首を傾げていた。
「ごめんねみんな、今日はホエルオーはお休みなの。また今度ね」
「えー!」「まぁいいや、遊びに行こうぜ!」「海岸まで競争な!」
また走り去っていく。元気な背中を見送ってもう一度リネアの母親へ向き直った途端、深々と頭を下げていた。
「ええっ!?顔を上げてください!」
「いえ!うちの子のリネアのことでしょう!何も言わずに逃げてきたんだとわかっています。その他の事情は、分かりませんが……こうしてキバナさんがアローラまできた理由は、察します」
母親はそれでも顔を上げなかった。
「どうか、お引き取りください!リネアには私が強く言っておきます!ですから、今だけはどうか……」
「ホエルオーがいないのは、リネアさんが連れているからですか」
何も言わない。だが状況はキバナの言った通りだと示している。
「すみません、オレはリネアを連れ戻しに来たわけではないんです」
「……では、一体」
「ただ会いたいだけです」
下げていた頭をゆっくりと起こす。不安そうな顔つきにキバナは微笑む。それだけでキバナの意図は通じた。代わりに、堰を切ったように母親は問いかけた。一体ガラルで何が起こっているのか。リネアが何かしてしまったのか。居場所はあるのか。不安が堪えきれず涙を流す。
「正直にお伝えすると、リネアさんの視覚障害を申告せずガラルのチャレンジャーになったことが問題視されています」
「そんな……」
「ですがガラルリーグはリネアさんに責任はなく、根本的な問題はチャレンジャーになる条件の設定の甘さだと、昨日名言されました。リーグも、オレも、リネアを保護するつもりでいます」
「じゃあ……どうしてリネアはあんなに落ち込んでいるの……一昨日の夜、膝を擦りむいたままボロボロで帰ってきたんです!何度聞いても何も言わずに、引きこもってしまって……!」
肩をさすり、落ち着かせながら伝えた。
「オレはリネアさんと話して、伝えたいことがあります。どうかリネアさんがどこに行ったのか教えてくれませんか」
手が震えている。母親は涙を拭いながら歩き出す。キバナもすぐ後ろについていき、はずれの岬へと案内された。
あんなに高かった太陽は傾き始めている。
「リネアが帰ってきてからずっと、ホエルオーの背中に乗って沖までいっています……夜遅くまで戻らないんです」
地平線よりもさらに遠い場所まで行っていることだけは分かった。キバナはボールからフライゴンを出す。
「少し会いに行きます!」
颯爽とフライゴンの背に乗り飛んでいってしまった。引き止められるはずもない。アローラまで来た彼の姿は責任あるジムリーダーのものではなかった。母親はすぐ表現できる言葉が見当たらなかったが、程なくして頭に浮かんだ。
◆
ムム、とホエルオーは小さく鳴いた。リネアは日に焼けてしまった首裏をさする。
「ごめん、岬にもどろうか…お腹すいたよね」
リネアは指示したはずだが青い巨体は動かない。どうしたものかと首を捻るとホエルオーの背中に何かがやってきた。翼がはためく音、人の呼吸音。リネアは体を硬直させる。
誰なのかわからないが怒られるかもしれない。恐怖が先行してオンバーンを出す。
「だっ、誰!?」
「リネア、オレだ、キバナだ」
は?
リネアは初めて素っ頓狂な声を出す。そのくらいキバナの登場は予想していなかった。出されたオンバーンにキバナは頭を撫でて横を通る。そしてフライゴンとオンバーンは頭を寄せて挨拶を交わしていた。
「な、なんで」
「少し話がしたい」
「嫌ですしたくないです!」
完全なる拒絶にキバナの足が止まった。瞼を固く閉じる様子は恐怖を表す。
「もうガラルには帰らない!ずっとここにいる!」
膝を抱えて閉じこもるのでキバナは同じく腰を下ろした。
「それでもいい。ただ伝えたいことがある」
「聞きたくないです!だって私が悪いのは分かってます!謝っても解決しないことをどう責任取れって言うんですか!!」
リネアの言うことはもっともだ。ただ正義と公正の名の下に振りかざされる正論ほど強いものはない。
「あの時約束しただろ」
キバナはいつもリネアに大切なことを伝える時、リネアがもっとも予想外である言葉と行動を口にする。それはリネアはいつだってキバナを“見ている”とわかっているからこそだ。
「命をかけるほどの無茶をリネアはしてきた。チャレンジャーの時からずっと」
この後の言葉を知っているからリネアは顔を歪ませた。
「だから今度はオレが命をかける番だ」
「かけないでくださいそんなの約束してないっ!」
ホエルオーの背中に涙が落ちる。リネアがたまらずあげる声は怒号と悲哀に満ちている。
「じゃあオレが勝手にかける。ただオレは、リネアの味方になりたいだけだ」
こうなったらキバナが止まるわけがない。その強さをリネアはよく知っている。リネアが焦がれるほど眩しく見つめていたから。
「それを伝えたくて会いに来た。今のガラルはリネアにとって苦しい場所だって十分わかる。なんなら無理に戻る必要はない」
「じゃあ味方になる意味なんてないじゃないですか!私のためにキバナさんが迷惑を被る必要もないです!黙って逃げたのにどうして……!」
キバナはしばし黙って、つぶやいた。
「オレがそうする理由なんて、ほんとは分かってるだろ?」
ただ泣き叫んだ。キバナはリネアを抱きしめることはしない。ただじっと泣き止むのを待ち続けた。リネアの体から涙が全て出ていくのと夕日が落ちるのは同じだった。
ホエルオーは夕日が一際強く輝く時、水を空へ噴き出した。瞬間的な豪雨とも思える水量が肌に当たり痛さまで感じる。リネアとキバナ、そしてフライゴンとオンバーンまでもがずぶ濡れになってしまった。
突然水をかけられたことでふにゃふにゃと怒り出すフライゴン。シャツで顔を拭ってやった後ボールへ戻した。
「潮でべたべたする……」
「もう日が暮れる、帰ろうぜ。リネアのお母さん心配してたぞ」
「お母さんに会ったんですか……?」
「ああ。事情もオレから説明させてもらった」
ホエルオーの海水のおかげで涙は引っ込んだようだ。ただ事実を知られたことで黙りこくる。
「オレはこのまますぐガラルに戻る。だからリネア、連絡無視だけは絶対にナシだ!いいな!」
「は、はい……」
「おいおい連絡する。それまでガラルのことは忘れて休め」
黙って逃げたことすら叱らず、キバナはリネアを受け入れた。その優しさが鋭い痛みを持ってリネアの心情を刺した。どろりとした、重たいものが胸の内に溢れる。
リネアはフラフラと立ち上がってキバナに近づいた。母親が言っていた通り膝を怪我している。
「帰ろう。もうあたりは真っ暗だ」
灯台の灯りが見えた。マリエシティの方角がわかる。キバナが灯りを見ているとリネアはそっと体を寄せた。
会えなかった日はたったの二日。シフト上二日くらい顔を合わせないことだってある。それなのにまるで一年以上会えなかった恋人のように抱きしめ合った。
「キバナさん」
「ん? え」
ぐい、と頭を掴まれて引き寄せられる。勢いに負けてキバナの唇はリネアとかち合わせた。
未だ涙で潤うリネアの瞳。キバナは至近距離で見てしまう。重力よりも強い力で寄せ合い、キスを繰り返す。
いつしかリネアはキバナの頭を押さえ込みキスを受け取る。キバナはリネアを抱きしめながら逃がさない。海のざわめきにキスのリップ音がかき消された。
◆
ガラルリーグ運営委員会は、前回大会に関する一連の事案を受け、今後の競技運営体制について検討を行ってまいりました。
その結果、選手の多様な背景や競技環境への対応を目的として、公式バトルにおける新たな支援体制として「競技支援・監督責任者」制度を導入することといたしました。
本制度は、選手本人の競技資格や実力評価に影響を与えるものではなく、公式バトルにおける安全管理および競技環境の調整を円滑に行うため、リーグが認めた責任者が指導・監督の立場から関与するものです。
本制度の運用にあたっては、競技の公平性を損なうことのないよう、慎重に判断を行ってまいります。
今後、当該制度の適用対象となる選手が公式バトルに参加する場合、事前にリーグ運営委員会が認定した競技支援・監督責任者を登録し、当該バトルにおける競技環境の管理および必要な対応について責任を負うものといたします。
なお、本制度の具体的な運用方法および今後の対応につきましては、引き続き検討を進めており、決定次第改めてお知らせいたします。
ガラルリーグ運営委員会は、すべての選手が安心して競技に臨める環境の整備に努めるとともに、個人に対する誹謗中傷や過度な取材行為については強く自制を求めます。
ガラルリーグ運営委員会
──────────
ガラルリーグ運営委員会より発表された新制度に基づき、
私、ナックルジムリーダー・キバナは同委員会と協議の上、リネア選手の公式バトルにおける競技支援および監督責任を担う立場となりました。
本対応は、リーグが定める制度運用の一環として行われるものであり、特定の選手に対する例外的措置や、競技結果への影響を意図するものではありません。
今後、リネア選手が参加する公式バトルにおいては、
競技環境の調整および運営上の対応について、私がリーグ規定の範囲内で責任を負うこととなります。
なお、本件に関連した個人への誹謗中傷や過度な取材行為については、競技運営および選手保護の観点から、適切ではないと考えます。
関係各位におかれましては、リーグおよびジムの方針をご理解いただき、冷静な対応をお願いいたします。
以上、運営体制に関する報告として、本声明を発表いたします。
ナックルジム ジムリーダー
キバナ
──────────
リーグの声明文に次いで出されたキバナの声明文。この件は瞬く間に多くの人の目に映る。どう足掻いても特例措置だと揶揄する声は鎮まることはない。けれどこれで堂々と公的に、書面に、キバナはリネアの隣に立つことができる。どう思われようがキバナの決意は揺るがない。
リネアはアローラへ帰ってしまってから一ヶ月後。キバナはリネアとのメッセージのやり取りを続けていたが突然ガラルに帰ろうと思っている旨を明かされた。
騒動は少しずつ鎮まる兆しを見せているが一部ではまだ強い主張をしている者もいる。無理に戻る必要はないと伝えたがリネアの意志もまた固い。
キバナはエンジンシティの駅の構内でリネアを待っていた。キバナほどの身長がある存在は稀である故に口々からキバナだ、と感嘆の声を挙げられる。
ちりん、と鈴の音が聞こえた。キバナはいつもの杖をもつリネアに近寄り声をかけた。
「久しぶり、リネア」
「キバナさん、お久しぶりです」
久々に見たリネアの顔は、一ヶ月前ホエルオーの上で見かけた表情と全く違う。
「それから、こんなところで話すべきことではないのですが……声明文を聞きました。本当にありがとうございます」
「言っとくが特別扱いじゃないからな!リネアのバトルを買ってるから責任者になっただけだ!」
ハッキリ言うと同時にリネアの姿をちらちらと覗く一般人に牽制する。面と向かって向き合う覚悟もない者がリネアのことで口を挟む権利はない。
「はい、キバナさんは一番最初に私のバトルを褒めてくださいました。一生の宝物です」
可愛い言葉にキバナの胸が苦しくなる。
「だからキバナさんに負けないくらいたくさんバトルして、ジムリーダーになります」
「あ……ええ……?リネアさん……?」
「もちろんアドバイザーも続けます」
「なん……え?初耳なんだけど……」
ニコ、と強気に笑うリネア。声明文なんて本当は必要なかったんじゃないかと思うが、きっとキバナの声明文があったからこそリネアは決断したのだろう。
選択肢を狭めてしまうだろうと思ってばかりいたキバナの意志と反してリネアは明日の方向へ飛ぼうとしている。
「じゃあ……まずは腹ごしらえだ!行こうぜ!」
「はい!」
改札を抜けてキバナとリネアは手を繋いで走り出した。
