デイジー・ベル
リネアがいつも通りジムへ向かう道中、名指しで声をかけられた。知り合いと思いきやそうではない。初めて聞く声であるのはもちろん、トゲトゲしい口調の持ち主は知り合いにいない。
「リネアさんは去年のエキシビジョンマッチにダンデ選手とタッグを組みましたよね?あれはあなたから声をかけたんですか?」
「え、ええと、失礼ですがどなたでしょう?」
「ここに名札をつけています。怪しい人物ではありません」
名札と言われてもリネアにはその景色は見えない。困っていると見かけたジムトレーナーであるレナが慌てて割って入った。
「ナックルジム関係者への無差別な取材は禁止されていますよ!」
「取材じゃないですって、聞いてただけじゃないですか」
「じゃあ何なんですかその名札は!思いっきり番組名書かれてますよ!」
レナのおかげでリネアは危機を免れた。とは言えあの取材の男性がなぜ「エキシビジョンマッチの参加」について質問をしたのかわからない。
自分の手を強く握っているとレナは肩を握ってジムの中へ連れていく。
「ああいうの来たら無視していいからね、それか遠慮なく私を呼んで」
「ありがとうございます……でも、どうしてエキシビジョンマッチのこと聞かれたんでしょう」
「それは……いえ、よくわからないけど、タチの悪い取材は話を盛られてあることないこと書かれるわ」
リネアはゴシップに疎い。それは必然的に情報格差が発生していることに直結していた。故に自身が置かれている立場を知ることは今の段階では不可能だった。
野生ポケモンがナックルシティに入り、住民に危害を加える前にジムトレーナーたちが追い返す。そんな仕事をリネアも任されていた。すっかりナックルジムに馴染み人間関係は良好。このまま人の助けになる仕事を続けていけたらいいなと考えていた。
「なぁ、あの杖の子」「ああ、あの噂だろ」
リネアは声が聞こえた方向を見てしまう。明らかにリネアの話をしていたが顔を向けた瞬間話を止めた。
「次の地区にいきましょう!」
「あ、はい!」
リョウタの呼びかけに応じて駆け足で向かう。
いくら情報が無いとはいえ、リネアの身の回りで起きる異変に気がついてはいた。
今のようなことだけではない。駅のホームへ向かうとそれまで話していた声がシンと止んで代わりに鈴の音が響く。電車が到着するアナウンスだけがいつも通り構内を騒がせる。その違和感にじんわりと汗をかいて逃げるように電車へ飛び乗る。
買い物をしていると突然写真を撮る音が聞こえ、話しかけられてSNSに掲載する許可すら求められる。純粋に応援の気持ちからきている言葉では無いことは明白だ。丁重に断った後、後ろから微かに聞こえてしまう。「あの噂本当っぽいよね」と。
日常生活が何かによって侵食されていく。これは目が見えても“みえない”ものだ。リネアは直感でそれを理解し、自分の手に負える範疇にないことすらわかっていた。
一方、キバナはガラルリーグ運営の長であるダンデに呼び出される。キバナもダンデがその肩書きを背負っていることを理解した上で執務室を訪れた。
「ああ、きてくれたかキバナ」
「どうも、今回は委員長と呼べばいいか?」
いつものにこやかな笑顔から、ダンデが憂いを帯びる。
「そうか…やはり、キバナも察していたか」
「そりゃもう、オレさまのダイレクトメッセージはぱんぱんだ。リネアのことでな」
ソファーに座り、改めて話をする。
ことの発端はエキシビジョンマッチでダンデとリネアが組んだ時だ。多くの観衆、多くのテレビ中継がされていた。当時の視聴率は年末であることも合い余ってその年の最高記録を更新した。
そして、SNSにも映像が多く出回る中で誰かがポッとつぶやいたのだ。
“もしかして目が見えてないんじゃないの?”
初めは小さな火種で、コメントを見た人もそんなわけあるかと反論していたが徐々に情報が集まり始めた。いつも杖をついている、鈴を鳴らしている、階段を登る時に杖で距離を測った上で“足元を見ていない”、サーナイトが常にそばにいる。
明かされていない事実を明かすのは人間のサガだ。そしてとうとうインフルエンサーまでもがその事に意見し始めたら止めることなどできない。今SNSはリネアの視覚問題で燃え始めたばかりだった。
「チャレンジャー推薦状とガラルリーグに登録されたリネアくんの情報……そのいずれにも視覚のことは明記されていない。キバナ、彼女の目についていつ知った?」
「……さぁ?」
「はぐらかさないでくれ。正直、オレは彼女と面と向かって会ったのはエキシビジョンマッチの時だ。そしてその時に視覚について知った」
「リネアを罰するつもりか?」
ライバルでもあり友人でもある二人の間に緊張が走る。なぜならキバナはリネアを心から好きだからだ。あんなに努力しているのに今更過ぎたことを掘り返され、騒ぎ立てるSNSにうんざりしつつ、怒りを覚える。
「いいや、そもそもガラルリーグには出場者の条件は“推薦状があるかどうかのみ“だ。障害がある者は出場してはならないというルールは存在しない。オレはリネアくんを守るために状況を確認したいだけだ」
ダンデはキバナを真っ直ぐ見つめる。バトルの時と同じ熱さを感じて、ついため息が出る。
「……オレさまもバトルの時に気づいた。大体の奴らがそうだろ。あいつは障害を持っているとバレないために訓練を重ねてきた。これまでの人生の大半を使って……」
重たい沈黙が続く。キバナの目の前でリョウタ、ヒトミ、レナと戦っていたあの時、キバナは確信を持てずにいた。客観的であればあるほどリネアの偽装は完璧だった。だからこそ当事者としてバトルをした時の衝撃は忘れられない。バトルで感動を覚えるなど後にも先にもリネアだけだ。
「リネアくんのチャレンジャーとしての功績は剥奪せず、リーグとしてルールの規制が甘かった旨を公表する。しかしそうするとリネアくんの障害を明かさなければならなくなる」
「……」
真実を明かすということは、リネアがこれまで願っていた「目が見えなくてもバトルはできる」という希望を打ち消すことになる。軽率にバトルをすれば後ろ指をさされるだろう。過剰に保護する者も現れるだろう。それはリネアの気持ちを無視した決断だった。かといってこのまま放置すれば火は燃え盛る一方だ。ナックルジムにまで影響するのは目に見えている。
「リネアくんに、オレから説明したい」
「いや、オレさまが伝える」
ダンデはキバナに気を遣った。だがそこで自分から伝えると反論するのも想定していた。ダンデは苦しい予想の的中に眉をひそめて微笑む。
「そうか……」
「ただ……決断には時間をくれないか。リネアに、選ばせたい」
「ああ」
キバナは表情に何の感情も浮かばせることなくローズタワーを後にした。SNSを開けばリネアのことばかり。バトルの内容ではなく個人の容姿を舐め回すように見ている。無意識に奥歯を噛み締めたままナックルジムへ戻った。
活気あふれるジムはここ最近静かだ。リネアもその事を薄々感じ取っているのだろう。
「リネア、話がある」
ジムへ戻り早速リネアに声をかけると重々しく頷いた。別室へ移動し、パイプ椅子に座らせる。半分物置きと化した空き部屋は寒々としている。キバナは隣に座り手を握る。
「真面目な話だ。リネアも勘付いているかもしれないが、目のことでいろいろ言われてる」
「……私が、チャレンジャーだったから、ですか?」
「ああ。同時にリーグ運営委員会にも火が移ってる」
「私が黙ってたからですか?」
「違う、お前は何も悪く無い」
いや、どうなのだろう。キバナは中立的に伝えようと思ったが傷つくリネアの表情を見て擁護を口にしてしまった。
「わ、私が、謝罪すれば迷惑をかけずに済みますか」
「……いいや、それでは鎮まらない。チャレンジャーの推薦条件を曖昧にしていたことを主に指摘されてる。リネアがバトルをすることと、関係はない」
「でも……」
震えている手を強く握った。キバナの唇すら震えてしまう。歯を噛み締めて心を鬼にする。リネアの顔を見てしまうと緩んだ言葉を選んでしまうから、目を閉じて俯いた。
「リーグは…ダンデはリネアを守ると言ってる。だが、そうするためにも、目のことを打ち明ける必要があるんだ」
リネアは黙り込んだ。
「もしかすれば、今までみたいにバトルはできないかもしれない。けど、今の段階で公表して波風が落ち着けばバトルもできるはずだ……」
今リネアの顔を見ることはできない。己の無力さに打ちひしがれる。
「ここ最近、パパラッチも横行してる。ほとぼりが冷めるまでは……長めの休みをとって安全な場所に……」
キバナの手に涙が落ちた。つい顔を上げるとリネアは呆然としたまま泣いていた。胸が苦しくなって抱きすくめる。
「き、キバナさんに、ご迷惑、を」
「そんなもん気にすんな!」
「ダンデさん、も、ジムリーダーの、皆さんにも……私は、なんてことを」
「リネアはバトルがしたかっただけだ!そうだろ!?何も悪くない!」
「でも私は障害を黙っていました!」
キバナが感じていた矛盾をリネア自身の口から放り出された。びくりと腕が震えて緩める。リネアはキバナの肩をそっと押し返す。
「……公表に同意します。それから……ジムも、お休みをいただきます」
「リネア……」
「もっと早く言えばよかった……こんな、大事になるくらいなら……チャレンジャーにならなければ……」
リネアは椅子から立ち上がる。静かに部屋を出て取り残されたキバナは追いかけることなどできなかった。リネアにとって都合のいい言葉を選んでいた。そう自覚したからだ。
◆
ガラルリーグ運営委員会は、前回大会のチャレンジャーであるリネア選手に関する一連の報道およびSNS上の反応について、慎重に状況を注視しております。
当該大会におけるチャレンジャー推薦制度につきましては、当時の規定に基づき適切に運用されており、身体的事情の申告を義務付ける明確な規定は設けられておりませんでした。そのため、リネア選手の大会参加は制度上認められたものであり、前回大会における成績および功績を否定するものではございません。
一方で、本件を契機として、リーグ運営の在り方や競技環境の公平性について、さまざまなご意見が寄せられていることを真摯に受け止めております。今後の制度運用および具体的な対応につきましては、関係各所と協議のうえ、慎重に検討を進めております。
また、本件に関連して、選手個人に対する過度な取材行為や誹謗中傷、憶測に基づく発言が確認されております。これらの行為は、選手の競技活動および私生活に重大な影響を及ぼす可能性があるため、当委員会としては強く自制をお願い申し上げます。
ガラルリーグ運営委員会
────────
キバナは朝からこの声明文をみて頭を抱える。確かにSNSからリネアを守ろうという意志はあるが保護するかどうか、リネアに対しどう守るのかが明らかにされていない。さらに声明文の背景にはどちらかというと「火消し」の目的が見え透いている。
キバナの想定通り、結局は何も決まっていない点が指摘されていた。さらにはリネアが謝罪会見を開くべきという意見さえ出ている。
これじゃあ晒されたも同然だ。
たまらずダンデに電話をする。繋がった瞬間キバナは湧き上がる怒りを抑えられなかった。
「ダンデッ、あの声明文はどういうことだ。リーグはリネアを守ってやるんじゃないのか」
「キバナ、落ち着け。オレもそのつもりだ。今はこの声明文を出して追加でリネアくんへの保護について出す」
「初っ端からリネアの保護を出すと特別対応してるって見なされるからか!?」
「ああ、そうだ」
あっけらかんとした肯定にキバナは愕然とする。
「いいか、キバナにとっては耳が痛い話だろうが、リネアくんは意図的に黙っていた。そうする理由はすぐわかるはずだ」
「言えばチャレンジャーになれないだろ!」
「そうだ、なれない。オレがさせない。キバナもそうするはずだ」
言葉が詰まる。髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら唸った。
「今のお前は、リネアくんに肩入れしすぎている」
「当たり前だろ!あんなに頑張ってんだぞ!?」
「頑張っているから危険な目に合わせていいとでも?」
「そうは言ってねぇ!」
「キバナ……このまま議論を交わしても平行線だ。リーグでできること。オレができること。できる限り尽くしていく。リネアくんの選択肢を狭めることになったとしても、少しでも明るい未来を見せてやれるようサポートするのが今の精一杯なんだ」
頭ではわかりきった事を言われて無性に苛立ちが収まらない。まるで負けを宣言するかのような屈辱さえ感じる。
「……リネアくんのことは任せる。後のことは、こちらに一任してくれ」
「………」
返事はできないまま電話を切った。キバナは着替えてリネアの家まで走る。まだ住所を知られていないようだがいつ何が原因で特定されるかわかったものではない。
黄土色の玄関をみてチャイムを鳴らす。壁越しに音が聞こえるが返事はない。取材を警戒しているかもしれないと察して声をかけた。
「オレだ、キバナだ!」
だが返事はない。スマホロトムで連絡しても反応はない。焦ったくなり、つい電気メーターを見る。すると無人同様、1ミリもメーターは動いていなかった。
まさか、居ないのでは?と気づく。キバナは慌ててナックルジムへ向かう。いつものジムリーダーの格好をしていないラフなキバナに人々は驚きながら眺める。
ジムを開けたばかりのヒトミでさえ驚いていた。
「き、キバナさま!?」
「リネアの書類どこにある!」
「え、ええと…」
アドバイザーになる際、書類を書いてもらった。そこにはリネアの祖父の住所が書かれている。
「悪い!しばらく留守にする!」
「ええっ!?」
電車を乗り継ぎ、シュートシティ方面の山奥。住所と地図アプリを頼りにキバナは急いで走った。番地を何度か目で確認した後、息を吐く暇もなくチャイムを鳴らす。
面倒そうに玄関がゆっくりを開かれる。ドアを開けたのは以前一度会ったリネアの祖父だった。
「朝からすみません!」
「き、キバナさん、どうしてここに」
「リネアさんは、帰っていますか」
「いいえ、うちには居ませんが……」
そうですか、と言い深く頭を下げて次の思い当たる場所へ足を進める。だが、服をむんずと掴まれて行手を阻まれた。
「キバナさん、昨今のうちの孫のことで世間を騒がせています。まずはその件、謝罪します」
「いえ、オレのほうこそ……リネアさんを守れなかった。責任はオレにあります」
「リネアは、きっと逃げたんでしょう」
「へ」
祖父は玄関を開けたまま家へ上がり込む。呆然とするキバナに振り返った。
「上がってください。少し落ち着かれるといい」
「は、はい…」
リネアが逃げた。その意外すぎる事実にキバナはショックなのか、安心なのか、よくわからない感情を持った。
リネアは強くてしなやかだ。竹のように節々が分厚く、雨風に負けない柔らかさで折れることはない。そんな偶像を立てていた。
「どうぞ」
リビングには幼いリネアの写真。バッジをゲットした眩しい笑顔の写真だって飾られている。
勧められるままに椅子に腰掛け茶を口にした。
「リネアは人の目を気にする子です。きっと多くの方にご迷惑をおかけしたことに罪悪感を覚えたんでしょう」
「以前も、こういうことが?」
「アローラの家から逃げ、ガラルへ来たこともその内の一つです」
ハッとさせられた。幼馴染からの暴言が酷いこともガラルへきた原因の一つだと思い出す。
「私にも責任があります。幼い頃から逃げ癖のあったリネアを追い込み、一人でできるよう厳しく育てました。そして、心を通わせているはずのキバナさんに相談もせず、頼ることもせず、また一人で逃げ込ませてしまった……」
祖父は語る。だがそれを言うならキバナも同罪だと思った。個室で話した時、中立で話そうとした。ガラルリーグとなんら変わらない立場を取ろうとした。さらに感情に負けてリネアへ無責任な擁護まで口にした事実。
「そして、何よりチャレンジャー推薦状をもらえた際、視覚障害について書かないよう指示したのは私です」
キバナへ深々と頭を下げる。
「申し訳ございません」
涙が込み上げてきそうだ。何故、ここまで孫を思う人が謝罪しなければならないのか。孫の夢を応援したいという気持ちまで踏みにじられている。
「……オレは、リネアさんは悪くないと、本気で思っています」
「そのお気持ちだけで十分です」
「リネアとバトルする度に!スゲェって思うんです!あんな強いトレーナー、今まで見たことない!なのに、どいつもこいつもリネアの見た目ばっかり見てやがる!目が見えなくてもバトルができることを、誰も見ちゃいない!」
嗚咽混じりに怒りを撒き散らした。祖父は黙って聞く。言葉にしたことで冷静さを取り戻したキバナは打って変わって静かに謝罪した。
「すみません。取り乱しました」
そんなキバナに向かって微笑む。
「リネアを愛してくださりありがとうございます」
溢れた涙を自分で拭っている途中でそんな言葉を恥ずかしげもなく言うものだから、つい目を丸くした。遅れて顔に熱を持つ。
「い、いや、オレは……そう、かもしれません、が」
「リネアの“見る目”は正しかったということが証明されて私は嬉しいです」
「その、あと五年猶予期間を設けると話し合ってますンで……ええと」
しどろもどろするキバナはテレビで見かける姿と大きく違う。目の前にいるキバナこそが等身大なのだろう。祖父はつい笑ってしまった。
「リネアは幸せ者だ。やはりそれだけでも、チャレンジャーになった価値はあると、確信しました」
「いえ、その……ありがとうございます」
「キバナさん、お忙しい中重ねてご無礼を承知でお願いします。どうか、リネアのそばにいてやってください」
膝の上に乗せる拳を強く握る。
「守ってくれとは言えません。ただ、居てやるだけでいいんです……多くは望みません。どうかお願いします」
リネアの祖父と話して、キバナはリネアが逃げたことへショックを受けてよかったと思った。リネアはキバナが思うほど強くもない。ただ必要に迫られて強くなってしまっただけなのだ。本当は、泣き虫で甘えん坊で寂しがり屋で、人のことばかり気にしてしまう……なんてことない人物像。
大人として、リネアへ強い好意を寄せる者として、キバナ自身としてやるべきことに一本の道が見えた。
「オレは、リネアさんが好きです。努力家で、真面目で……とにかく、いろんなリネアさんが好きです。ありがとうございます。オレがやるべき事を見出すことができました」
キバナはもう一度祖父へ頭を下げて、家を後にした。
SNSでは憶測が憶測を呼び油が注がれ続ける。一方でキバナはそんなことより足を動かし、リネアを追いかけた。
本日最後の便…船のチケットを買い、乗り込む。船が出す汽笛の音を聞きながら夜の潮風を浴びた。
「リネアさんは去年のエキシビジョンマッチにダンデ選手とタッグを組みましたよね?あれはあなたから声をかけたんですか?」
「え、ええと、失礼ですがどなたでしょう?」
「ここに名札をつけています。怪しい人物ではありません」
名札と言われてもリネアにはその景色は見えない。困っていると見かけたジムトレーナーであるレナが慌てて割って入った。
「ナックルジム関係者への無差別な取材は禁止されていますよ!」
「取材じゃないですって、聞いてただけじゃないですか」
「じゃあ何なんですかその名札は!思いっきり番組名書かれてますよ!」
レナのおかげでリネアは危機を免れた。とは言えあの取材の男性がなぜ「エキシビジョンマッチの参加」について質問をしたのかわからない。
自分の手を強く握っているとレナは肩を握ってジムの中へ連れていく。
「ああいうの来たら無視していいからね、それか遠慮なく私を呼んで」
「ありがとうございます……でも、どうしてエキシビジョンマッチのこと聞かれたんでしょう」
「それは……いえ、よくわからないけど、タチの悪い取材は話を盛られてあることないこと書かれるわ」
リネアはゴシップに疎い。それは必然的に情報格差が発生していることに直結していた。故に自身が置かれている立場を知ることは今の段階では不可能だった。
野生ポケモンがナックルシティに入り、住民に危害を加える前にジムトレーナーたちが追い返す。そんな仕事をリネアも任されていた。すっかりナックルジムに馴染み人間関係は良好。このまま人の助けになる仕事を続けていけたらいいなと考えていた。
「なぁ、あの杖の子」「ああ、あの噂だろ」
リネアは声が聞こえた方向を見てしまう。明らかにリネアの話をしていたが顔を向けた瞬間話を止めた。
「次の地区にいきましょう!」
「あ、はい!」
リョウタの呼びかけに応じて駆け足で向かう。
いくら情報が無いとはいえ、リネアの身の回りで起きる異変に気がついてはいた。
今のようなことだけではない。駅のホームへ向かうとそれまで話していた声がシンと止んで代わりに鈴の音が響く。電車が到着するアナウンスだけがいつも通り構内を騒がせる。その違和感にじんわりと汗をかいて逃げるように電車へ飛び乗る。
買い物をしていると突然写真を撮る音が聞こえ、話しかけられてSNSに掲載する許可すら求められる。純粋に応援の気持ちからきている言葉では無いことは明白だ。丁重に断った後、後ろから微かに聞こえてしまう。「あの噂本当っぽいよね」と。
日常生活が何かによって侵食されていく。これは目が見えても“みえない”ものだ。リネアは直感でそれを理解し、自分の手に負える範疇にないことすらわかっていた。
一方、キバナはガラルリーグ運営の長であるダンデに呼び出される。キバナもダンデがその肩書きを背負っていることを理解した上で執務室を訪れた。
「ああ、きてくれたかキバナ」
「どうも、今回は委員長と呼べばいいか?」
いつものにこやかな笑顔から、ダンデが憂いを帯びる。
「そうか…やはり、キバナも察していたか」
「そりゃもう、オレさまのダイレクトメッセージはぱんぱんだ。リネアのことでな」
ソファーに座り、改めて話をする。
ことの発端はエキシビジョンマッチでダンデとリネアが組んだ時だ。多くの観衆、多くのテレビ中継がされていた。当時の視聴率は年末であることも合い余ってその年の最高記録を更新した。
そして、SNSにも映像が多く出回る中で誰かがポッとつぶやいたのだ。
“もしかして目が見えてないんじゃないの?”
初めは小さな火種で、コメントを見た人もそんなわけあるかと反論していたが徐々に情報が集まり始めた。いつも杖をついている、鈴を鳴らしている、階段を登る時に杖で距離を測った上で“足元を見ていない”、サーナイトが常にそばにいる。
明かされていない事実を明かすのは人間のサガだ。そしてとうとうインフルエンサーまでもがその事に意見し始めたら止めることなどできない。今SNSはリネアの視覚問題で燃え始めたばかりだった。
「チャレンジャー推薦状とガラルリーグに登録されたリネアくんの情報……そのいずれにも視覚のことは明記されていない。キバナ、彼女の目についていつ知った?」
「……さぁ?」
「はぐらかさないでくれ。正直、オレは彼女と面と向かって会ったのはエキシビジョンマッチの時だ。そしてその時に視覚について知った」
「リネアを罰するつもりか?」
ライバルでもあり友人でもある二人の間に緊張が走る。なぜならキバナはリネアを心から好きだからだ。あんなに努力しているのに今更過ぎたことを掘り返され、騒ぎ立てるSNSにうんざりしつつ、怒りを覚える。
「いいや、そもそもガラルリーグには出場者の条件は“推薦状があるかどうかのみ“だ。障害がある者は出場してはならないというルールは存在しない。オレはリネアくんを守るために状況を確認したいだけだ」
ダンデはキバナを真っ直ぐ見つめる。バトルの時と同じ熱さを感じて、ついため息が出る。
「……オレさまもバトルの時に気づいた。大体の奴らがそうだろ。あいつは障害を持っているとバレないために訓練を重ねてきた。これまでの人生の大半を使って……」
重たい沈黙が続く。キバナの目の前でリョウタ、ヒトミ、レナと戦っていたあの時、キバナは確信を持てずにいた。客観的であればあるほどリネアの偽装は完璧だった。だからこそ当事者としてバトルをした時の衝撃は忘れられない。バトルで感動を覚えるなど後にも先にもリネアだけだ。
「リネアくんのチャレンジャーとしての功績は剥奪せず、リーグとしてルールの規制が甘かった旨を公表する。しかしそうするとリネアくんの障害を明かさなければならなくなる」
「……」
真実を明かすということは、リネアがこれまで願っていた「目が見えなくてもバトルはできる」という希望を打ち消すことになる。軽率にバトルをすれば後ろ指をさされるだろう。過剰に保護する者も現れるだろう。それはリネアの気持ちを無視した決断だった。かといってこのまま放置すれば火は燃え盛る一方だ。ナックルジムにまで影響するのは目に見えている。
「リネアくんに、オレから説明したい」
「いや、オレさまが伝える」
ダンデはキバナに気を遣った。だがそこで自分から伝えると反論するのも想定していた。ダンデは苦しい予想の的中に眉をひそめて微笑む。
「そうか……」
「ただ……決断には時間をくれないか。リネアに、選ばせたい」
「ああ」
キバナは表情に何の感情も浮かばせることなくローズタワーを後にした。SNSを開けばリネアのことばかり。バトルの内容ではなく個人の容姿を舐め回すように見ている。無意識に奥歯を噛み締めたままナックルジムへ戻った。
活気あふれるジムはここ最近静かだ。リネアもその事を薄々感じ取っているのだろう。
「リネア、話がある」
ジムへ戻り早速リネアに声をかけると重々しく頷いた。別室へ移動し、パイプ椅子に座らせる。半分物置きと化した空き部屋は寒々としている。キバナは隣に座り手を握る。
「真面目な話だ。リネアも勘付いているかもしれないが、目のことでいろいろ言われてる」
「……私が、チャレンジャーだったから、ですか?」
「ああ。同時にリーグ運営委員会にも火が移ってる」
「私が黙ってたからですか?」
「違う、お前は何も悪く無い」
いや、どうなのだろう。キバナは中立的に伝えようと思ったが傷つくリネアの表情を見て擁護を口にしてしまった。
「わ、私が、謝罪すれば迷惑をかけずに済みますか」
「……いいや、それでは鎮まらない。チャレンジャーの推薦条件を曖昧にしていたことを主に指摘されてる。リネアがバトルをすることと、関係はない」
「でも……」
震えている手を強く握った。キバナの唇すら震えてしまう。歯を噛み締めて心を鬼にする。リネアの顔を見てしまうと緩んだ言葉を選んでしまうから、目を閉じて俯いた。
「リーグは…ダンデはリネアを守ると言ってる。だが、そうするためにも、目のことを打ち明ける必要があるんだ」
リネアは黙り込んだ。
「もしかすれば、今までみたいにバトルはできないかもしれない。けど、今の段階で公表して波風が落ち着けばバトルもできるはずだ……」
今リネアの顔を見ることはできない。己の無力さに打ちひしがれる。
「ここ最近、パパラッチも横行してる。ほとぼりが冷めるまでは……長めの休みをとって安全な場所に……」
キバナの手に涙が落ちた。つい顔を上げるとリネアは呆然としたまま泣いていた。胸が苦しくなって抱きすくめる。
「き、キバナさんに、ご迷惑、を」
「そんなもん気にすんな!」
「ダンデさん、も、ジムリーダーの、皆さんにも……私は、なんてことを」
「リネアはバトルがしたかっただけだ!そうだろ!?何も悪くない!」
「でも私は障害を黙っていました!」
キバナが感じていた矛盾をリネア自身の口から放り出された。びくりと腕が震えて緩める。リネアはキバナの肩をそっと押し返す。
「……公表に同意します。それから……ジムも、お休みをいただきます」
「リネア……」
「もっと早く言えばよかった……こんな、大事になるくらいなら……チャレンジャーにならなければ……」
リネアは椅子から立ち上がる。静かに部屋を出て取り残されたキバナは追いかけることなどできなかった。リネアにとって都合のいい言葉を選んでいた。そう自覚したからだ。
◆
ガラルリーグ運営委員会は、前回大会のチャレンジャーであるリネア選手に関する一連の報道およびSNS上の反応について、慎重に状況を注視しております。
当該大会におけるチャレンジャー推薦制度につきましては、当時の規定に基づき適切に運用されており、身体的事情の申告を義務付ける明確な規定は設けられておりませんでした。そのため、リネア選手の大会参加は制度上認められたものであり、前回大会における成績および功績を否定するものではございません。
一方で、本件を契機として、リーグ運営の在り方や競技環境の公平性について、さまざまなご意見が寄せられていることを真摯に受け止めております。今後の制度運用および具体的な対応につきましては、関係各所と協議のうえ、慎重に検討を進めております。
また、本件に関連して、選手個人に対する過度な取材行為や誹謗中傷、憶測に基づく発言が確認されております。これらの行為は、選手の競技活動および私生活に重大な影響を及ぼす可能性があるため、当委員会としては強く自制をお願い申し上げます。
ガラルリーグ運営委員会
────────
キバナは朝からこの声明文をみて頭を抱える。確かにSNSからリネアを守ろうという意志はあるが保護するかどうか、リネアに対しどう守るのかが明らかにされていない。さらに声明文の背景にはどちらかというと「火消し」の目的が見え透いている。
キバナの想定通り、結局は何も決まっていない点が指摘されていた。さらにはリネアが謝罪会見を開くべきという意見さえ出ている。
これじゃあ晒されたも同然だ。
たまらずダンデに電話をする。繋がった瞬間キバナは湧き上がる怒りを抑えられなかった。
「ダンデッ、あの声明文はどういうことだ。リーグはリネアを守ってやるんじゃないのか」
「キバナ、落ち着け。オレもそのつもりだ。今はこの声明文を出して追加でリネアくんへの保護について出す」
「初っ端からリネアの保護を出すと特別対応してるって見なされるからか!?」
「ああ、そうだ」
あっけらかんとした肯定にキバナは愕然とする。
「いいか、キバナにとっては耳が痛い話だろうが、リネアくんは意図的に黙っていた。そうする理由はすぐわかるはずだ」
「言えばチャレンジャーになれないだろ!」
「そうだ、なれない。オレがさせない。キバナもそうするはずだ」
言葉が詰まる。髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら唸った。
「今のお前は、リネアくんに肩入れしすぎている」
「当たり前だろ!あんなに頑張ってんだぞ!?」
「頑張っているから危険な目に合わせていいとでも?」
「そうは言ってねぇ!」
「キバナ……このまま議論を交わしても平行線だ。リーグでできること。オレができること。できる限り尽くしていく。リネアくんの選択肢を狭めることになったとしても、少しでも明るい未来を見せてやれるようサポートするのが今の精一杯なんだ」
頭ではわかりきった事を言われて無性に苛立ちが収まらない。まるで負けを宣言するかのような屈辱さえ感じる。
「……リネアくんのことは任せる。後のことは、こちらに一任してくれ」
「………」
返事はできないまま電話を切った。キバナは着替えてリネアの家まで走る。まだ住所を知られていないようだがいつ何が原因で特定されるかわかったものではない。
黄土色の玄関をみてチャイムを鳴らす。壁越しに音が聞こえるが返事はない。取材を警戒しているかもしれないと察して声をかけた。
「オレだ、キバナだ!」
だが返事はない。スマホロトムで連絡しても反応はない。焦ったくなり、つい電気メーターを見る。すると無人同様、1ミリもメーターは動いていなかった。
まさか、居ないのでは?と気づく。キバナは慌ててナックルジムへ向かう。いつものジムリーダーの格好をしていないラフなキバナに人々は驚きながら眺める。
ジムを開けたばかりのヒトミでさえ驚いていた。
「き、キバナさま!?」
「リネアの書類どこにある!」
「え、ええと…」
アドバイザーになる際、書類を書いてもらった。そこにはリネアの祖父の住所が書かれている。
「悪い!しばらく留守にする!」
「ええっ!?」
電車を乗り継ぎ、シュートシティ方面の山奥。住所と地図アプリを頼りにキバナは急いで走った。番地を何度か目で確認した後、息を吐く暇もなくチャイムを鳴らす。
面倒そうに玄関がゆっくりを開かれる。ドアを開けたのは以前一度会ったリネアの祖父だった。
「朝からすみません!」
「き、キバナさん、どうしてここに」
「リネアさんは、帰っていますか」
「いいえ、うちには居ませんが……」
そうですか、と言い深く頭を下げて次の思い当たる場所へ足を進める。だが、服をむんずと掴まれて行手を阻まれた。
「キバナさん、昨今のうちの孫のことで世間を騒がせています。まずはその件、謝罪します」
「いえ、オレのほうこそ……リネアさんを守れなかった。責任はオレにあります」
「リネアは、きっと逃げたんでしょう」
「へ」
祖父は玄関を開けたまま家へ上がり込む。呆然とするキバナに振り返った。
「上がってください。少し落ち着かれるといい」
「は、はい…」
リネアが逃げた。その意外すぎる事実にキバナはショックなのか、安心なのか、よくわからない感情を持った。
リネアは強くてしなやかだ。竹のように節々が分厚く、雨風に負けない柔らかさで折れることはない。そんな偶像を立てていた。
「どうぞ」
リビングには幼いリネアの写真。バッジをゲットした眩しい笑顔の写真だって飾られている。
勧められるままに椅子に腰掛け茶を口にした。
「リネアは人の目を気にする子です。きっと多くの方にご迷惑をおかけしたことに罪悪感を覚えたんでしょう」
「以前も、こういうことが?」
「アローラの家から逃げ、ガラルへ来たこともその内の一つです」
ハッとさせられた。幼馴染からの暴言が酷いこともガラルへきた原因の一つだと思い出す。
「私にも責任があります。幼い頃から逃げ癖のあったリネアを追い込み、一人でできるよう厳しく育てました。そして、心を通わせているはずのキバナさんに相談もせず、頼ることもせず、また一人で逃げ込ませてしまった……」
祖父は語る。だがそれを言うならキバナも同罪だと思った。個室で話した時、中立で話そうとした。ガラルリーグとなんら変わらない立場を取ろうとした。さらに感情に負けてリネアへ無責任な擁護まで口にした事実。
「そして、何よりチャレンジャー推薦状をもらえた際、視覚障害について書かないよう指示したのは私です」
キバナへ深々と頭を下げる。
「申し訳ございません」
涙が込み上げてきそうだ。何故、ここまで孫を思う人が謝罪しなければならないのか。孫の夢を応援したいという気持ちまで踏みにじられている。
「……オレは、リネアさんは悪くないと、本気で思っています」
「そのお気持ちだけで十分です」
「リネアとバトルする度に!スゲェって思うんです!あんな強いトレーナー、今まで見たことない!なのに、どいつもこいつもリネアの見た目ばっかり見てやがる!目が見えなくてもバトルができることを、誰も見ちゃいない!」
嗚咽混じりに怒りを撒き散らした。祖父は黙って聞く。言葉にしたことで冷静さを取り戻したキバナは打って変わって静かに謝罪した。
「すみません。取り乱しました」
そんなキバナに向かって微笑む。
「リネアを愛してくださりありがとうございます」
溢れた涙を自分で拭っている途中でそんな言葉を恥ずかしげもなく言うものだから、つい目を丸くした。遅れて顔に熱を持つ。
「い、いや、オレは……そう、かもしれません、が」
「リネアの“見る目”は正しかったということが証明されて私は嬉しいです」
「その、あと五年猶予期間を設けると話し合ってますンで……ええと」
しどろもどろするキバナはテレビで見かける姿と大きく違う。目の前にいるキバナこそが等身大なのだろう。祖父はつい笑ってしまった。
「リネアは幸せ者だ。やはりそれだけでも、チャレンジャーになった価値はあると、確信しました」
「いえ、その……ありがとうございます」
「キバナさん、お忙しい中重ねてご無礼を承知でお願いします。どうか、リネアのそばにいてやってください」
膝の上に乗せる拳を強く握る。
「守ってくれとは言えません。ただ、居てやるだけでいいんです……多くは望みません。どうかお願いします」
リネアの祖父と話して、キバナはリネアが逃げたことへショックを受けてよかったと思った。リネアはキバナが思うほど強くもない。ただ必要に迫られて強くなってしまっただけなのだ。本当は、泣き虫で甘えん坊で寂しがり屋で、人のことばかり気にしてしまう……なんてことない人物像。
大人として、リネアへ強い好意を寄せる者として、キバナ自身としてやるべきことに一本の道が見えた。
「オレは、リネアさんが好きです。努力家で、真面目で……とにかく、いろんなリネアさんが好きです。ありがとうございます。オレがやるべき事を見出すことができました」
キバナはもう一度祖父へ頭を下げて、家を後にした。
SNSでは憶測が憶測を呼び油が注がれ続ける。一方でキバナはそんなことより足を動かし、リネアを追いかけた。
本日最後の便…船のチケットを買い、乗り込む。船が出す汽笛の音を聞きながら夜の潮風を浴びた。
