デイジー・ベル

ダンボール箱を運び、また忙しなく動く。キバナは今、引越しの手伝いをしていた。
というのも前回、リネアの自宅に不審者が不法侵入したためだ。そしてニュースとして報道も行われていよいよ早急に引っ越しを余儀なくされた。以前の住まいも立地のいいアパートだったのだがリネアはそれを上回る物件を見つけた。

トラックから荷物運ぶゴーリキーたちは一糸乱れぬ動きをしている。リネアは以前の間取りと同じくするため紙に家具を置く場所をメモし、業者と連携をとっていた。

朝早くから行われていた作業だが入念な下準備のためか昼過ぎには終了した。リネアは引越し業者とゴーリキーたちにサイコソーダを配り、笑顔で礼を伝える。もちろんキバナにも。

「手伝ってくださりありがとうございます」
「いい運動になった。力仕事ならいつでも呼べよ」
「はい!おうちも近くなったし、私嬉しいです!」

そう、キバナが住む場所から徒歩5分。平坦な道の先がリネアの住むアパートだ。業務終わりにチラシを手に持ちながらアパートの相談を持ちかけられた時は心の中でガッツポーズしたものだ。近くに住めば良いのにな〜、などと思っていたがキバナは無理に考えを追いやっていたその必要もなかった。

「ところで……一つだけ最後に手伝って欲しいものがあるんです」
「一つと言わずいくらでも言えよ」
「ありがとうございます、レコード機をこの図の場所に置いて欲しいんです」

何度も見た部屋の見取り図だ。キバナは最後の一仕事と言わんばかりに袖を捲り上げた。
部屋の中はダンボールに埋め尽くされている。リネアが太いペンで「レコードき」と書いている文字を見つけて箱を開けた。

「へぇ〜こりゃすげぇ。立派なレコード機だ」
「おじいちゃんが譲ってくれたんです。ラッパが大きくてかっこいいんです!」

リネアの言う通り金色のラッパは花のように開いている。普段は別のスピーカーで聴いているようだが休日の昼間はこのレコード機で音楽をきいているらしい。

慎重に持ち上げて棚の上に置く。レコード盤のジャケットが並ぶ中で立派にそびえるレコード機が部屋の雰囲気を完成させた。

「うん、いいな」
「そうだ、簡単ですがお昼作りますね」
「気にするなって。それに飯ならオレさまが作るぞ」
「大丈夫です!」

そう言ってリネアは冷蔵庫から保存パックに入った食材を取り出す。丸いシールがついてそれを触りながら何の食材か判別しているようだ。

「三日分の食材をあらかじめ切ってるんです!あとは炒めたりするだけでいいんです!」
「賢いな〜……」
「めんどくさい時は買ったりしますけどね……」

リネアは慣れた手際で調理を始めた。イエッサンはリネアの手伝いをしており、特に使い終わった調味料を棚へ戻していた。

「うん、パンも焼けたし……できました!」

フライパンで焼いたフォカッチャ。野菜スープとヴルスト。料理の腕もそうだが一人で作り上げることに驚いた。

「すげぇなリネア」
「がんばりました!あ、でもいつもはこんなに頑張らないですよ……?」

キバナはリネアの努力を見つめて昼食をいただく。いつも食べるのは自分か祖父のみ。味に自信がないのかキバナの感想をじっと待っていた。

「うん、うまい!」
「よかった……」
「というか一人で料理できるまで努力してるのに美味くないわけがない」

照れくさそうに笑った後、スープを飲む。春とはいえ肌寒い日は続く。食べる度に奥から温まっていく。

「ふふ、おうちで人と一緒に食べるの久しぶりです」
「ああ、オレもだ」

キャンプでも、パーティでも一緒に食事をしたのに家で食べるとまた違った味わいになる。
キバナとリネアは相思相愛だが線引きはしっかりしている。今までリネアの家の前まで行ったことはあるが上がったことはない。今回が初めてだ。
だからこそリネアは今回、キバナと二人きりになれて舞い上がっている。

「ご馳走様。すげー美味しかったぜ」
「ありがとうございます!私もキバナさんと一緒に食べられて嬉しいです!」
「じゃあオレさまが片付ける番」
「え!?ダメです!私がやります!」

こんなやり取りの間でもキバナは小さく笑っている。リネアにはその笑みがしっかり届いて抵抗をやめてしまった。キバナも同じく舞い上がっているのだ。

「今朝から疲れただろ、少し座ってのんびりしてな」
「……途中で帰ったりしませんか?」
「しないしない」

リネアは壁に手を伝わせ、棚に触れながら歩く。そのままレコードに触れた。慣れた手つきでジャケットからレコード盤を取り出し、機械にはめて針を乗せる。

昼下がりに相応しい落ち着いた音楽が流れ始めた。

「いい曲だな」
「はい、私のお気に入りなんです」

食器を洗い終えたキバナはリネアの隣に座る。手を握ってみればリネアは、ひゃっと驚く。

「つめたい!」
「ははは!あっためてくれよ!」
「やです!」

じゃれる二人を丸ごと音楽が包んでいるようだ。手の体温が戻ると恋人繋ぎをして身を預ける。キバナは最高の休暇だと思いながらリネアの頭にキスをした。
リネアも頭にキスされることに慣れつつあるが、どこか気恥ずかしさは残っている。照れる横顔を見つめながら大人気なくねだる。

「お返しは?」
「……」

リネアの口がぎゅっと閉じられる。指先がキバナの頬を探すので両手で顔を教える。まるで女王から冠を戴くようにキバナは頭を下げてリネアの口付けを受け取った。

明日から忙しい一週間が始まる。けれど今の感情を糧にどこまでも走り出せそうな気がしていた。



毎年春になるとエンジンシティで花の祭典が行われる。選りすぐりのガーデニアたちが草タイプのポケモンの成長具合とガーデニングの美しさを芸術として展示する祭りだ。ガラル地方の王家がガーデニングをこよなく愛していたことが起源とされており、今ではターフジムのジムリーダー、ヤローが主体的に開催している。

もちろんターフシティのスタジアム内にも同じようにガーデニングの作品が三日間並べられているのだが、エンジンシティでは五日間祭典が行われる。

人の出入りが多くなるということは同じくトラブルも起きやすいということ。警察だけでは人員が足りない部分をジムトレーナーが補うこともある。今回その人員補充のために声をかけられたのはナックルジムだった。

ナックルジムの名前も売ることができる上にかなり小規模だが出店も許される。これに乗らない手はない。警備スタッフの経験がある者、未経験の者、それぞれ体系を組んだ上で割り当てられた。キバナは当日エンジンシティに面したワイルドエリアのパトロールに入ることになっている。
一方リネアは視覚的な問題もありジムで留守番となった。花の祭典に加われないことに残念そうにしていたがリネアは自分から警備について力になれないと申告したのだ。
こうして祭典の当日、リネアを除くナックルジム一同はターフスタジアム、エンジンシティの双方で警備が始まった。

ナックルジムの事務所で開会式の見様を聞いているリネアは小さくため息をつく。人が混雑する場所でリネア自身役に立たないとわかっているのだがそれ以上に嫌な記憶が花の祭典にある。それをつい思い出してはため息をついてしまう。

何年も前のことに囚われている暇があるならジムを綺麗にすべきだと自分に叱る。箒を持って事務所はもちろん廊下、更衣室全て磨くのが今日のリネアの目標だ。イエッサン、サーナイトの協力のもと、汚れている箇所を見つけては丹念に掃除を続けていた。

そうして始まったリネアの大掃除なのだが、二時間後、突然の来訪客が現れる。ナックルジムの大きな城門は開け放たれているが今日は無人のため固く閉められている。代わりに裏口が微かに空いていた。その隙間を縫うようにポケモンがするりと入る。鼻歌のようにご機嫌な鳴き声はジムの中に響いてリネアの耳に届いた。

「今……ポケモンの鳴き声?」

今日一日リネアがいるとはいえ鍵を閉めてしまえばポケモンを一晩閉じ込めてしまいかねない。今のうちに探すべくイエッサンと手を繋いで城内を歩いた。

微かな声を頼りに一歩ずつ進む。しかし入ってしまったポケモンはやけにスムーズに城の中を徘徊している。疑問を持ちながら追跡すること五分。ポケモンの鳴き声は聞こえなくなった。

「どこいっちゃったんだろう」

困った顔で立ち尽くす。イエッサンもリネアと同じく困った顔をしているに違いない。

すると、リネアの背後から突然鈴のような鳴き声が聞こえた。今まで遠く響いていたはずなのに真後ろから聞こえるのだから驚かないわけがない。

「うわぁっ!?」

跳ね上がって周囲を警戒する。リネアの様子に、驚かせた未知のポケモンは面白そうに笑っている。

「ここはポケモンが入っちゃダメなところなの、外に出て欲しいんだけど……」

イエッサンも出るよう説得しているが未知のポケモンの笑い声は続く。何一つ聞いてくれていないようだ。危害を加えていないので荒々しく追い返すのもかわいそうだ。何かきのみがないか腰のポシェットを探す。

すると再びリネアの背後からツンと突かれた。もちろんリネアは驚く。どうやら驚かせて遊んでいるようだがリネアにとってはひとたまりもない。
そして、盛大に驚いたリネアは勢い余って石壁に頭をぶつけてよろよろとへたり込む。

掃除をしていたため鈴のついた杖は事務所に置いてしまっている。そして未知なるポケモンとの遭遇と、驚いてしまい頭を勝手にぶつけたことで目が回る。

「うう………?」

まさに混乱のバッドステータスだ。イエッサンはすぐリネアの顔に触れて安心させようとしているがそう簡単に治るものではない。
しかもそれを見ていたサーナイトがボールからでて未知のポケモンへ攻撃を始めてしまった。狭い通路で反響する音にリネアの脳は攪拌されてしまう。
とうとうリネアは横に伏した。

「キバナ…さん…」



ワイルドエリア上空。エンジンシティに飾られた花、旗がキバナからもよく見える。天候も良く清々しい空にキバナも目を細めた。

「よし、上空は一旦終わりだ。お疲れさんフライゴン!」

高度をさげ、フライゴンは地上に降り立った。キバナもその背中から降りる。きのみを食べさせながら首を撫でてやると笑顔になる。

地上のパトロールはメインルートを中心に見て回る。祭りで気分が上がった観光客はそのままワイルドエリアに行ってしまうことが少なくない。スマホロトムに連絡がきていないか確認した後にワイルドエリアを進んだ。

ワイルドエリアの天候も驚くほど落ち着いている。まるで誰かが<にほんばれ>をしたようにも思える。そうしているとふとスマホロトムから着信の音。連絡してきたのはリョウタだ。

「キバナだ。どうかしたか」
「はい、ポケモンによるイタズラが頻発しているんです。しかも目撃者によると見たことないポケモンなんだとか…私たちも追っていますが姿すら見えない状況です」
「わかった、場所はターフタウンか?」
「はい、そうです」
「すぐ行く」

片手でフライゴンを出し再び背中に乗る。

「ターフタウンまで頼む!」

翼を大きく動かし浮遊する。もう一度強く羽ばたくと空を飛び始めた。日頃トレーニングと、時々ワイルドエリアを飛び回っているためかターフタウンまで時間はかからなかった。リョウタがキバナへ目印に旗を振っている姿が見えるとフライゴンは降下を開始する。

「キバナさま!」

フライゴンの羽ばたきに目を細めながら名前を呼ぶ。

「おう、状況は?」
「全く手掛かりが掴めていません…飛行するポケモンであることは確かなのですが…」

すると人々が驚く声が遠くから聞こえる。
わあ!うおっ!きゃっ!?
驚きの声は単発で起こっているわけではない。人混みの中を一直線に突き進む何かがいるからこそ皆ポケモンの姿に驚いている。
キバナはリョウタの言葉を全て聞かないまま走り出した。確信はないが渦中のポケモンであるとキバナの予感が叫んでいる。

リネアとのエコーロケーションの成果がこんなところで出るとは思わなかったが、おおよそポケモンの位置は耳で捉えられている。
キバナは丘の上を、ポケモンはスタジアム前の道を。二人は並走していた。

「フライゴン!オレの手を掴め!」

右手を上げるとフライゴンはキバナの手をしっかり掴んで丘の上から滑空する。

「いいぞ!離せ!」

丘の下…人混みが終わる地上絵付近にキバナは着地した。そしてキバナの目の前に現れるのはキバナでさえも見たことのないポケモン。

「キバナさまっ!」

リョウタが息切れしながらキバナの名前を叫ぶ。キバナは無我夢中でそのポケモンを両腕で抱き留めた。
ぼすん!とキバナは仰向けにひっくり返る。ポケモンは目をパチクリさせながらキバナの腕の中にいた。

「ったく、人混みの中であんなに飛ばしちゃ危ないだろ?それにイタズラもお前の仕業か?」

淡い緑色。顔には黒い模様が特徴的だ。キバナから見て、どうも悪いポケモンには見えない。むしろフェアリータイプのような見た目だ。

「イタズラはこれでおしまい!きのみやるから大人しく帰っ……」

ポケモンはずい!とキバナの目の前にやってくる。至近距離で見つめられ、思わず冷や汗が流れる。そして、ポケモンがキバナの鼻先に触れた。



景色が歪み、キバナの後方へ飛んでいく。いや、キバナたちが飛んでいるのか。しかしそれも一瞬の出来事。新しい景色だと言わんばかりに再び見慣れた世界が前方からやってきた。

凄まじい勢いにキバナは思わずもう一度仰向けに倒れてしまう。倒れた瞬間の草の匂い。爽やかな風。そして胸の上にいるポケモン。

「な、なにしたんだ?」

ポケモンからすっかり腕を離したが、キバナから逃げる様子はない。

「おーい!そこの兄さん!そこは立ち入り禁止だ!」
「へ?」

キバナは起き上がる。背後にはターフタウンの地上絵が描かれている。立ち入り禁止であることは分かりきったことだ。なんならポケモンがあイタズラをしなければ入ることもなかった。

「悪い、ただポケモンが暴れてたから……」
「ポケモン?ああ、その子か。大人しくていい子じゃないか。それに兄さんは見ない顔だな。観光客か?」

は?という顔をした。キバナ自身ガラル地方での知名度は重々理解している。特に女性人気が高いことも。だからキバナを知らない人間は化石のようなものだ。

「い、いやいや……冗談が面白いな」
「は?」
「オレさまはナックルジムの………」

視界に入ったターフタウンの「花の祭典」。貼られたチラシや掲げられたのぼり旗を掴んで見る。

今まで散々打ち合わせで見てきたものと全く違う。それにデザインが古い。

「な、なあ……今のターフタウンのジムリーダーって誰だっけ……」
「そりゃあもちろん」

キバナが聞いた名前は、ヤローの一つ前のジムリーダーだった。過去に飛んでいる。その事実が分かったと同時にキバナは近くを飛び回るポケモンの名前も分かった。

「お、おお、お前………!セレビィか!?」

セレビィは口に両手を当てて笑っている。突然過去に飛ばした挙句、笑っている事実にキバナは苛立つ。

「何してくれてんだお前〜〜〜!」
「ははは、ケンカするほど仲が良いってやつだな。兄さん、花の祭典を楽しんでくれよ!」

その人は去っていき、キバナは改めてとんでもないことになったと頭を抱える。

「元の時代に戻せって!笑うな〜〜!」

キバナの反応がよほど面白いのだろう。イタズラ好きなセレビィはキバナが怒りで勝手に疲労するまで笑い転げていた。





キバナは項垂れている。セレビィはそんなキバナの肩に乗っていた。所持金を使ってきのみを買いセレビィに与えた。しかし相変わらず元の時代に帰してもらえる気配はない。

もしこのまま帰ることができなかったらと思うとゾッとする。キバナが連れてこられた年代の、まだ子どものキバナはジムの攻略をし、まさにチャンピオンとなったダンデに勝利を打ち砕かれ挫折している頃だ。
つまり同一人物が二人いることになる。
さらに、リネアと年齢差が余計広まってしまうこと。どうすればいいんだとキバナは珍しく顔を手で覆っていた。

そんな時でも花の祭典は賑やかだ。いきいきとした草花にセレビィがつられてやってくるのも頷ける。

「じっとしてたって変わらねぇよな、気晴らしに歩くか」

セレビィもそれには賛成のようだ。短く、元気よく鳴いてキバナの後についていく。人混みから頭ひとつ出ているキバナはよく目立つ。セレビィはそんな頭に乗って草花を見つめていた。

「時代が変わっちまったってのに…花はキレイだな」

つい哀愁漂うセリフを口にする。もしかすれば気が変わって元の時代に戻してくれるかもしれない。無理やりポジティブに捉えて祭典を練り歩いた。

駆けていく子供たち。人々の笑い声。風が吹くと花びらが舞って景色は彩られる。
肌で感じるうちにキバナの鬱屈した気分も少しずつ晴れやかになっていった。

「あっ、あの、この種いくらですか」

妙に耳に馴染む声がキバナに届く。視線を声の主に向けるとポニーテールの子どもがいた。見間違えるはずもない。その姿はキバナの想い人、リネアだった。

キバナは口を押さえてリネアの後ろ姿を見つめる。

「か、かわいい〜………!」

キバナが知るリネアよりもっと小さく、背中のリュックはリネアが背負っているというより「リュックにリネアがついている」ようだ。

確かにリネアのことは好きだ。とはいえキバナの感動はリネアという見知った存在の子ども時代を見ることができたからだ。
仮にこれがダンデであっても可愛いと口にしていたかもしれない。おそらく。たぶん。

とにかくリネアは値段を店主に聞いていた。だが種が置かれた陳列棚にはハッキリ値段が書かれている。

「はぁ?100円だよ。文字も読めないのか?」
「ご、ごめんなさい……」
「それに、人と話すときは目を見て話すもんだよ。視線を逸らして失礼な子だ」

キバナはポケットから小銭を出す。

「100円だろ?ほら」

小銭受けの皿に音を立ててコインを置いた。子どもの後ろに大きな身長の大人がきて驚いたのだろう。店主は愛想笑いを浮かべて会計を済ませた。

「それ何の種だ?」

キバナはしゃがみ込みながら優しくリネアに問いかけた。リネアは知らない大人から声をかけられたと驚いているだろう。そんなリネアにセレビィが近寄る。

「え?ポケモン…?」
「ああ。セレビィっていうんだ」
「あ、あの……ポケモン好きなの…さわってもいい?」

オレのポケモンじゃないけど、と思いつつセレビィを見る。リネアをじっと見て小さく鳴くのみ。

「ああ、きっと大丈夫だ。そっと撫でてやると良い」

リネアの紅葉のような小さな手をすくいあげ、セレビィの手に触れさせた。セレビィもまた不安そうにキバナを見ている。ひとつ頷いて見せると今度はセレビィからリネアの指先を握った。
まるで距離感を掴めていない、友だちになりたてのようでキバナはつい笑った。

「セレビィも嫌じゃないんだろ?ほら、こうやって」

リネアの手でセレビィの頭を撫でてみせる。リネアは見違えるほどの笑顔をつくった。

「すごい、初めて、ポケモン触ったの」
「そうなのか?」
「うん、可愛い」

笑い方は変わらない。愛おしさが込み上げて抱きしめたくなるがぐっと堪える。

「そういや家族は?」

キバナが見渡してもリネアの家族…祖父の姿はみえない。リネアは眉間に皺を寄せた。

「今、訓練の途中なの。花の祭典でお買い物して帰るの。だからおじいちゃんはここじゃなくて別の場所にいる」

リネアがスパルタと称していた訓練の最中のようだ。こんなに小さな子を人混みに放り込むなどキバナにはできそうにない。ましてや先ほどのように突然酷い言葉を吐かれることもある。

「……なあ、ああいうのしょっちゅうなのか?」
「なにが?」
「さっき店の人に言われてただろ?」
「うん……ついクセで目を開けちゃうんだけど……あ、私目が見えなくなって」
「ああ……そうだと、思った」

やっぱり今すぐ抱きしめてやりたい。こんなに小さな体でどれほど暴言を受けてきただろう。だがキバナがこの場だけで優しく尽くしてやっても意味がない。きっと先ほどのことはリネアの人生で数えきれないほどあるはずだ。だから祖父は心を鬼にして突き放している。

「もっと見えてればいいのに…そうしたらセレビィのことよく分かったのに」
「そうだな…けど、見えていてもさっきみたいにひどいことを言う人もいる。だから見えるものだけが全部じゃないってオレは信じてる」

リネアは静かに口を閉ざす。セレビィと手を繋いで黙り込んだ。数秒後、呟く。

「なんか、変な人」
「え゛」
「私のこと、ずっと前から知ってたみたい」

吹き出して、それから笑った。キバナはリネアの頭を撫でる。

「よく分かってるな!そうだぜ!」
「え?そうなの?お父さんの友達?」
「それを言ったらつまらないだろ?安心しろ!リネアの未来は明るいぜ!」

キバナは立ち上がり、リネアの背中を押す。

「気をつけて帰るんだぞ」
「う、うん……」

見えもしないのに、いつもキバナはリネアの背に向って手を振る。いや、リネアを見守っていたい気持ちがそうさせている。人混みに紛れるまでリネアを見つめ続けた。


「さて、オレらはこの後どうするか……」

ひとまずセレビィを連れてターフタウンを離れた。5番道路方面へ足を進める。するとそれまで頭に乗っていたセレビィは誘われるように森の中へ入ってしまう。

「おい、どこいくんだ?」

短く鳴いてキバナの方を振り返る。来い、と呼んでいるらしい。柵を乗り越え森の奥へ進む。セレビィは触覚を震わせながら森を進むがキバナは道なき道を進んでいる。

「ちょっ、と、待てって!」

草木を乗り越えついていく。すっかり森の中へ入り込みどの方向から来たか分からなくなってしまった。元の時代に帰るどころか森を抜けることができるかどうかも怪しくなってくる。
キバナはセレビィの直感を信じるしかない。

ひたむきに進むこと数分。セレビィはまた短く鳴いて素早く飛んでいってしまった。

「ちょ、どこいくんだよ!」

野生ポケモンはキバナの必死に走りに呆然と見るばかり。枝で傷ができても茂みを越えて、ようやくセレビィの背中が見えた。
他の木々より大きな木の前で立ち尽くしている。

「はぁ…はぁ…急に、飛んでいくなよ……」

息切れながら疲れた両足を動かす。手で掻き分けながらセレビィに近づくと、木の根本に人が倒れていた。
キバナは慌てて駆け寄り、その人物が誰なのかを知る。

「リネア!?」

紛れもなく、キバナが知るリネアが気を失っていた。抱き上げ脈を測る。そのまま額に手を当てた。

「気を失ってるだけ、か?」

それまで元気だったセレビィが不安な声をあげる。上目遣いでキバナを見つめる。

「お前なぁ……オレだけならまだしも、リネアまで巻き込んだのか?」

経緯は分からないが、どうやらセレビィはリネアをこの時代に連れてきたようだ。もしかすればリネアをどうにかしたくて誰か過去に来てくれる人を探していたのかもしれない。

「まぁいい、ここじゃリネアを介抱してやれない。元の時代に戻してくれ」

ようやく意思疎通ができた。セレビィは笑顔で頷き、木に手をかざす。波紋のように樹木が脈打ち、ゲートが開いた。その瞬間、再びキバナの周囲を取り囲んでいた景色が前方へ飛ぶ。そして、後方から別の景色がやってきた。
時空を渡ることはそれなりに負荷がかかるらしい。キバナは側頭部に手を当てて顔をしかめる。だがキバナがいる場所はターフタウンの地上絵ではない。ナックルジムの中だ。

周囲にはリネアのモンスターボールが転がっている。何が起こったのかは後で監視カメラを見るとして………怒りの形相でボールから出てきたサーナイトを見て大体の顛末は把握した。

「サーナイト、リネアは気絶してるだけだ。セレビィも反省してるし、まずリネアを休ませてやろうぜ」

セレビィは随分としおらしくなってキバナの背中に隠れていた。サーナイトほどの実力があるポケモンに凄まれたら誰だってそうなるだろう。
とにかく医務室に運ぶことにした。



目が覚めても、眠っていても、リネアの視界には何もない。瞼を閉じ続けることがラクだと思うようになったのはいつだろう。
気絶した体の倦怠感に息をつく。そういえば背中が柔らかい。まるでベッドの上のようだ。

「リネア?大丈夫か」
「え?」

リネアの頬を包むように触るのはキバナだ。温かい手のひらは泣きたくなるほど優しい。

「ナックルジムで倒れてた。どこか痛むところはないか?」
「大丈夫だと思います…けどキバナさんはどうしてここに」

不意にポケモンの鳴き声が聞こえる。ナックルジムに入ってしまったポケモンだと気づいた。

「あ!ジムに入ってきた子だ!捕まえてくれたんですか?」
「ん、まぁな……それより、何かされたのか?サーナイトがとんでもなく怒ってたぜ」

実際にどういう状況だったのかはリネアも曖昧だが、感じたことを言葉にするとキバナは意味ありげに「ふーーん」と言った。

「なるほどな〜〜お前リネアを驚かせたのか」

言い訳するように何度か鳴いたもののキバナの視線はそれすら許さない。結局ベッドの腕に座り込んで、そっとリネアの手に触れた。

「もう驚かせちゃダメだよ。でも、私が倒れてびっくりしたよね」

リネアはポケモンを両手で抱き上げる。

「仲直りしようね」

そっと抱きしめるとポケモン──セレビィもリネアに抱きついた。キバナはやり取りを見つめながら、改めてリネアの尊さを実感する。サーナイトは余計怒りに溢れているが。

「サーナイトも、驚かせてごめんね。こっちにおいで」

サーナイトはセレビィを摘み上げリネアと引き離した後抱きしめあった。リネアに頬擦りしては怒りの感情を受け流している。

その間にキバナはターフタウンにいるリョウタと連絡を取り合う。案の定あの後忽然と姿を消したことからナックルジムメンバーは大騒ぎになっていたらしい。心配かけたことを謝り、一先ず無事であることを伝えた。

連絡が終わりもう一度医務室に戻るとリネアの手持ちポケモンがボールから出ていた。とんでもない物量にキバナは軽く笑う。

「相変わらずスゲーな、リネアのポケモンは……」
「はい、みんな大好きです!」

オンバーンの翼に包まれながらモゴモゴと喋るリネアは面白い。そしてセレビィも大所帯に笑っていた。

「そういや、リネアを驚かせたポケモン、セレビィって言うんだぜ」
「セレビィ……?どこかで聞いたことあるような」
「時渡ポケモンっていって、過去と未来を自由に行き来するんだと」
「ええ!?すごい!でもなんで!?」

花の祭典だからかも、と適当に言えばリネアは納得する。改めてセレビィの頭を撫でて、伝説とも言えるポケモンを実感していた。

「どうしてか分からないんですが……なんだか懐かしい。実は私、花の祭典が苦手だったんです」
「そうなのか?」

キバナの中では花の祭典はリネアのためにあるようなものだと思っていた。それくらい親和性があり、リネアも好きだろうと思っていたのだ。

「あまりいい思い出がないんです。あ、でも警備については目が見えないからお力になれないどころか迷惑をかけてしまうので辞退しました!」

真面目なリネアをみて微笑む。キバナはいい思い出になれなかった過去を知っている。口に出せないままリネアの言葉を受け止めた。

「でも…みんなと行けたら……きっと楽しいかも」
「今はオレだけじゃない。ポケモンたちも、リョウタやレナもヒトミもいる。一人で悪い思い出抱えなくていいんだぜ」

手がキバナに伸びる。その手を包んだ。

「あ、あの……」
「ん?」

身を乗り出し耳を傾ける。

「瞼……ずっと、閉じるのが、クセなんです」
「ああ」

言葉ひとつ口にすることも、リネアにとっては苦しいものだろう。

「お、怒られ、たり、目が合わないから……」
「うん」

呼吸をして自分を落ち着かせるよう努力している。その背中を撫でて言葉を待ち続けた。

「キバナさんの前では……瞼を、開けたいって思うんです……根拠はないけど」

片腕で抱きしめ、側頭部にキスをした。

「嬉しい」

かつては目を開けてしまうことがクセで、今は目を閉じ続けることがクセになっている。これから少しでもリネアが臆せず瞼を開けられるよう、キバナはずっと側にいると心に誓った。

リネアの指が絡む。キバナといつものように恋人繋ぎをして、城門より硬かった瞼がキバナだけに開かれる。
それは朝日よりも輝いて、キバナの網膜にまで鮮烈に残る瞳の色。リネアの瞳孔に、鏡のようにキバナが映る。文字通り、キバナが独り占めしていた。

額にキスをして呟く。

「綺麗だ」

例え視線が合わなくてもリネアはキバナを見つめている。

「瞼を開けてくれて、ありがとう」

思いがけない感謝の言葉にリネアは涙腺を緩ませる。本来こんな話をするつもりはなかったのに今はなぜか、どうしてもキバナに伝えたかった。

「キバナさん、ずっと見てくれて、ありがとう」

涙を拭い、ただ静かに手を握り合った。




リネアとデートをする日。何故かセレビィがそばにいる。キバナはじっとりとした目でセレビィを見た。

「ところでセレビィをゲットしたのか?」
「え?いいえ、ただ遊びに来てるみたいです。時々うちに来て一緒に音楽聴いて、気が済んだら帰って行きますよ」

いつか、リネアの引越しの日を思い出す。キバナは己を律してあの日以降リネアの家に上がることはなかった。だがポッと出のセレビィが、あの日のキバナのようにリネアとの時間を楽しんでいる。
その事実に口を尖らせた。

「リネアの家じゃなくてもオレさまん家でいいんだぜ?オレさまのポケモンたちが可愛がってやるからさぁ」
「別の意味に聞こえるんですけど気のせいですよね……」

セレビィはキバナをからかうように笑って飛び去っていく。まさかキバナのこの反応を見るためだけにいたのだろうか。余計キバナの目つきはじっとりとする。

「遊びにいっちゃいましたね……私たちも行きましょう」
「ああ、そうだな」

リネアの格好や、三つ編みを褒めながら手を繋ぐ。そして笑うリネアは微かに瞼を開ける。美しさに見惚れながら、キバナは歩幅を合わせて歩き始めた。
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