デイジー・ベル
エキシビジョンのパーティは選手だけでなく関係者までも招かれるそうだ。そのためマスコミも詰めかけると言う。その話を聞いてリネアはスーツでいかなくて良かったと心底安心していた。
「そういうわけで、レナ、手伝ってくれないか」
「私が呼び出されたのはそういう理由だったんですね」
案の定スタイリストもいないのでナックルジムの更衣室でレナはリネアのヘアメイクを手伝った。レナは気前良く承諾してくれたはいいものの、急に呼び出されていい気などしない。リネアは不安そうに呟いた。
「あの、お礼は必ずしますから」
「え?そんなの気にしなくっていいのに!私、可愛い子をもっと可愛くするの大好きなの!」
「でもせっかくの年末年始だし……やっぱりお礼をしないと割に合わないですよ」
そんなに言うなら、とレナはリネアに耳打ちした。
「キバナさまとはどこまで進んでるの?」
「えっ!?いやっ、そんなことないですっ!」
「またまたぁ〜」
リネアは全力で違うと言うもレナは信じていない。それもそのはず、いくらパーティがあるとはいえキバナと二人きりなのだから。今更どう繕っても遅い。
「キバナさまもリネアさんのことかなり気にしてるみたいだし……実はひっそり楽しみだったんだよね〜いつ二人はくっつくかな?って」
「なっ、えっ、えっと」
「可愛いドレス〜!質素だけど袖のレースがすごく綺麗!」
「そ、そうですよね、裏地もついてて着心地もいいんです」
スカートは膝丈で品の良さを感じる。ミッドナイトブルーとサルビアブルーが混ざり合う刺繍との足し引きがされているバランスのいいドレスだ。
「でもキバナさま、リネアさんのことよく見てるなぁって思うもの」
「は、はひ」
櫛で髪を梳かしオイルを馴染ませる。両サイドから編み込みをし、中央に集める。お団子ヘアの周囲に三つ編みを纏わせればパーティ用の髪型となる。
「ヘアピンは返さなくても大丈夫。うちにいっぱいあるんだ」
「ありがとうございますっ」
キバナの話になったりヘアメイクの話にもどったり、リネアはレナの手のひらでコロコロと遊ばれている。リネアの未成熟な反応が可愛くてレナもつい口が止まらなくなっていた。
「はぁ〜こんな可愛いリネアさんみたらキバナさま卒倒しちゃうかも」
「そ、そんなこと……」
「そんなことあるの!」
圧の強さに思わず、すみません、とつぶやく。仕上げにリップを塗って完成だ。
「さ!上着を着て完成!」
「ありがとうございました……お礼は…」
「キバナさまとの恋バナまた聞かせてくれたらオッケーだから!」
それまで着ていた服はロッカーに入れ。新たに荷物を肩に下げる。
レナはひと足先に更衣室から出てキバナに嬉々として報告した。
「キバナさま、リネアさんかなり可愛いですよ」
「マジか」
そんなことを言うものだからすぐに出ていけずに恐る恐る、まるでお化け屋敷に入るかのように忍び足で更衣室を出た。多くの素晴らしい人と出会っているキバナには自身の身なりはどうしても劣ってしまうだろう。落胆させてしまうことへの不安を抱えながらロビーに向かった。
「お待たせしました……」
「似合ってるぞリネア!レナ、ありがとうな!」
「いえいえ、お安いご用です。パーティ楽しんでください」
レナは意味深にリネアの両肩をたたき、ジムから二人を見送った。キバナは更衣室でのやり取りを知らないためリネアの左手を握る。
「あっ、あのっ!」
「なんだ?」
パーティ会場でも握るのか、と聞くほど勇気がない。キバナなら、嫌なら無理することはないといって手を離すだろう。理解しているからこそ不思議とそんな未来は勿体無いと思ってしまった。人々に見られる羞恥心よりも上回るこの感情に、レナが先ほど名前をつけたせいで顔を赤くしてばかりだ。
「どうした?」
「手袋……してるんですね」
「ああ、オレさまも着替えたからな」
「ええ!?どうして言ってくれなかったんですか!」
実におかしなことを聞くものだとキバナは言う。
「キバナさまはなんでも似合うからな!リネアは隣にサイコーにイケてる奴がいるってわかればいいのさ」
「それはそうですけど……私もキバナさんみたいに、褒めたいです」
実におかしなことにキバナの心臓が跳ね返る。
大抵の口説き文句は全て聞いてきたつもりだがリネアの言葉は純真で真っ直ぐに降り注ぐ日の光のようだ。ニヤけそうになる口元を押さえつつ、ジャケットを触らせた。
「紺色……黒に青を足したような暗い色のスーツだ。シャツは白。ネクタイはオレンジ。オレさまのパーカーもオレンジが入ってるからな、エキシビジョンのパーティだし差し色で入れてみた」
一つずつ触らせるとリネアは初めての生地に笑顔を見せた。
「素敵です。キバナさんがおしゃれするたびに、もう少し目が見えていればなあ、って思うんです」
「その分オレさまが教えてやるよ」
つん、と頬をつつかれる。以前、映画館へ行った時のこと。キバナはリネアの目が見えないという思いに同調も同情も、コメントすら差し控えていた。だが今は明確な答えを持ち合わせている。
「ふふ、ふ」
「なんだよ」
「キバナさんが教えてくれるならなんだって知りたいです!」
つい頭を手で撫でそうになるがセットしているので引っ込める。代わりに背中をぽんぽんと叩いた。そして繋ぐ手はしっかりと離さない。
◆
シュートシティにある会場はすでに多くの来賓を出迎えていた。特に選手が会場へ入った時のシャッターは凄まじい。フラッシュが焚かれると視界は白で埋め尽くされていく。けれどリネアが慌てなかったのはキバナが愛想を振り撒きながらリネアの手を握ってくれていたからだ。
「ふうー、ようやく抜けた。リネア、大丈夫か?」
「うーん……フラッシュがすごくて……」
見えないが光がチカチカと点滅している。ずっと懐中電灯を至近距離で当てられているような感覚に、これが常人ならもっとひどかったろうと思う。
「こんばんは、リネア、キバナ」
「よおルリナ」
「こんばんわ……」
耳にシャッターの音がまだ残っている。リネアは珍しくルリナの顔がどこにあるかわからず虚空に挨拶した。
「おおかた初めてのフラッシュに追いついてないって感じね」
「ご明察」
ルリナはボーイに水をもらい、リネアの手に握らせた。
「緊張することはないわ。水を飲んで深呼吸すると少しは楽よ」
「はい……ありがとうございます」
「今日のキバナはリネアの保護者?」
「たぶん……」
へぇ、と言いながらルリナはキバナを見上げる。諌められるような気がするので肩をすくめてとぼける。
「オレさまはルリナのおメガネにかなわないことはしてないぜ」
「余計ムカつくわね。リネア、キバナにやなことされたらすぐいいなさい。遠慮はなしよ!」
「そんなことしてないよなー?」
大人二人からの圧には当然、リネアの中の優先度で対応するしかない。
「キバナさん私のことからかうんです」
「しっかりやらかしてるじゃない!」
「違う!オレさまなりの可愛がり方だ!」
バトルでは強くても女性には強く出られないらしい。キバナとルリナの問答を楽しく聞いているうちに緊張もほぐれていた。
パチン、と照明が落とされる。いよいよパーティが始まる。主催の企業である社長が登壇し挨拶を述べた。リネアは真剣に耳を傾けていたのだがキバナが不意に水のグラスを取り上げ代わりのグラスが渡される。
「とくせんリンゴジュースだ。社長さんに続けてかんぱーいって言うんだせ」
「は、はい」
キバナの言う通り、最後に乾杯の音頭がとられた。リネアが単語を口にする時、キバナはそっと手首を掴んで上へ持ち上げる。乾杯をする時、グラスを持ち上げることを初めて知った。
「それから一口飲む」
こくりと喉に通るまろやかな甘み。後味がスッキリしていて舌の上に長く残らない。
「美味しいです!」
「よかったな。随分いい飲み物揃えてるみたいだ」
「そういえばいろんなジムリーダーの方がいらっしゃるんですよね……挨拶に行った方がいいでしょうか?」
「そうだな。今年中に顔をつき合わせるのもこれで最後だし、一緒に回ろうぜ」
「ありがとうございます!」
リネアが手を握ろうとするとキバナはリネアの手を取り腕に沿えさせた。初めてキバナの手以外を触り体温が上がる。スーツの上からでも腕の硬さがよくわかる。
「こういうパーティでは男がエスコートするもんだ」
「で、でも私の方が立場は下ですし……こういったのは……初めてで……」
「そうだな……けどこうしたほうがリネアも転びそうになった時、オレさまに掴まりやすいだろ?パーティの時、大抵ハイヒール履いてるから昔からのパーティマナーで浸透してるのさ」
リネアの今の靴はパンプスだ。踵の底は低めだが金色のラインが入り電飾を反射させる。
だがリネアがパーティの中で聞く靴の音はどれもハイヒールだ。床を叩くような音は特徴的でよくわかる。だからこそキバナの説明に説得力もあった。
「なるほど……」
「もちろんイヤじゃなければ、だがな」
「……いえ、これも人生経験です。ぜひお願いします」
キバナはわざとらしく、仰せのままにと囁いた。きっと今のキバナは寝物語に聞いた白馬の王子様だ。女児の憧れと夢を詰め込んだ存在だからリネアはこんなにもときめいている。キバナの歩幅も、いつもより強く香る香水も、腕の熱さも、リネアはきっとすぐには忘れられない。
ジムリーダー一人一人に挨拶をする際、腕を組んで歩いていることに誰も言及はしなかった。その事にホッとするがやはりキバナとの距離感に慣れない。
全員に挨拶をし終えたあと、リネアはキバナの熱に当てられてしまった。というか、外と中の熱が同じで勝手にほてっている。
「ありがとうございます……私、少し休んできますね…」
「じゃあ壁のベンチまで送る。立ちっぱなしもキツイよな」
キバナはベンチまで付き添うだけではなく新しいグラスまで取り替えた。
「炭酸ジュース。匂いも爽やかでおすすめだ」
「何から何まですみません……」
「気にするな。しばらく経ったらまた声をかける」
会場は多くの会話で入り乱れている。気を鎮めるためにグラスを傾けるとキバナの言う通り果実の香りが広がった。レモンの優しい匂いとミントの爽やかさ。熱がこもる体には最適な飲み物だ。
リネアの体調を鑑みてこの飲み物を選んだとしたら感服するほかない。現にリネアはようやく深呼吸ができるくらい落ち着いている。
(キバナさんはやっぱりすごい……)
炭酸ソーダを一口飲むと甘酸っぱさが広がる。シュワシュワ弾ける感覚が体を起こす。アローラの暑い日差しの中で飲んだソーダを思い出した。
だから、リネアはこれ以上キバナに迷惑はかけられないと確信する。つきっきりで世話をしてもらうことは相手の時間を奪うことだ。そうならないようリネアは今まで人並みになれるよう努力した。
キバナは家族ではない。今は上司であり、尊敬する人だ。きっと、キバナならリネアに対してネガティブな感情を抱かないだろうとわかっていても、嫌われるのはこの世が消えてしまうくらい怖いもの。
できるだけ失望されないように、一人でやれるようにまだまだ努力しなければならない。
「こんばんはお嬢さん、ベンチで一人きりかい?」
全く聞いたことのない声だ。声がした方へ顔を上げるとすぐ隣に座り込む。スーツを纏った足がリネアの足に触れている。
「わ、私ですか?」
「君以外にここには誰もいないよ」
「ちょっと疲れてしまって休んでいました。邪魔だったのでしょうか?」
「いやいや!そんなことないよ!君みたいに可愛い子を放って置けなかっただけだ」
愛想よく返事はしているが素性がわからない者にはこちらから情報を与えない、ということを祖父と約束していた。幸運な事にそんな心構えは今まで必要なかったが今、この男性においては必要性を感じる。
「君は昨日、チャンピオンと組んでた子だろう?いやぁ見事だったよホエルオーとイエッサン!」
「恐縮です……」
「よかったら見せてくれないかな!特にあの可愛らしいイエッサン!」
「すみません、ポケモンたちは知人に預けているんです」
本当はバッグの中にあるのだが丸腰であると思わせておいた方がいい。少なくともリネアの状況を隠すための必要なブラフだ。
「そっか、それは残念だ。イエッサンとはどう出会ったんだい?」
「二ヶ月ほど前に、ゲットしました。ワイルドエリアで出会って……」
話をしている途中で男が遮る。申し訳なさそうな声を出していた。
「すまない、私はあまり耳が良くなくって……雑音が多いと聞き取りづらいんだ。もう少し静かな場所まで移動しないかい?」
「そ、そうなんですか……配慮が足りずすみません」
「そんなことはないよ。それに君もこのパーティの熱気にやられたんだろう?顔が赤いままだ」
「えっ」
思わず頬に手を触れる。赤いつもりはないのだが先ほどまでキバナのおかげで茹っていた。まだ赤みが引いていないのかもしれない。
「涼しい場所まで案内しよう。お互い少し休んだ方がいい。中座までまだ時間もある」
「そ……そうですね」
顔が赤いままだとキバナに余計な心配をかけてしまうかもしれない。そんな考えが過り立ち上がった途端、いつもより低い声が二人の間に入った。
「どうもテレビ局のディレクターさん」
「あっ、ど、どうもご無沙汰しております、キバナさん……」
キバナの声だがわざと圧をかけた声だ。やはり話しかけた男性は善良な人間ではなかったのかもしれない。
「リネアを連れてどちらまで?」
再びリネアが手に持っていたグラスを取り上げる。近くを通ったボーイに渡したようだ。
「お顔が赤いので、てっきり体調を崩されたのかと……はは…」
「涼しい場所で休んだほうがいいと、声をかけていただいたんです」
「へぇ〜?確かに少し顔が熱い」
キバナの手の甲がリネアの頬に触れる。
「今日、リネアの保護者はオレさまだ。場所さえ教えてくれたらオレが連れて行く」
「あ、あはは…どこだったかなぁ……すみません、リポートが入りますので失礼します」
足早に遠ざかる気配。キバナは容赦なく舌打ちをした。
「逃げ足だけは早いな。リネア、あいつが来てからさっきのグラス飲んだか?」
「い、いいえ、全然……」
「そうか、よかった。……腹減ってるだろ、リネアが食べられそうなもん見繕ってやるよ」
また迷惑をかけてしまう、と思ったがリネアの腹の虫は根を上げた。咄嗟にお腹を抑えたが止められない。
「確かに顔も少し赤い。飯よそったらベランダ行こうぜ。外の空気吸わなきゃな」
食べ物は何が好きか、食べられないものはあるか、と質問が続けられる。
キバナとふれあうたびに、キバナの好意が浮き彫りになっていく。リネアが明確に色をつけて仕舞えばすぐ答えは見えるだろう。
リネアの手を引いてキバナの言うベランダにたどり着いた。室内の温度で熱った体が冷まされる。
「さっき居た場所がホール。円形になっていて、今の場所はホールから突き出たベランダ。とは言っても外には出てないぜ。窓際に行くだけで空気全然違うだろ」
「はい、電飾も無いように思います」
「ああ、少しはここで落ち着けるはずだ」
手にフォークを持たせる。大皿には出来立ての食事がある。リネアはそっと手前から口にする。
「チャーハン?ピラフ?」
「惜しい、パエリアだ」
「ええ…ほぼ一緒じゃないですか」
どれもリネアが食べやすいものを選んでくれたようだ。こういった気配りを感じるたびに、なんだか今の自分が残念に思えた。
「お腹いっぱい!とっても美味しかったです」
「うまいよな、いいシェフ集めてるんだってよ」
「すごいですね……ガラルリーグは」
食器を傍らのベンチに置く。改めて先ほどのことを尋ねた。
「あの、さっきのディレクターさん?とはお知り合いですか?」
「あ〜、まぁ……全く知らないってわけじゃないが……リネアは覚えなくていい奴だ」
「あまり良くない方なんですね」
「直球だな……」
キバナの態度からひしひしと伝わっていた。あの時キバナが来なかったらどうなっていたことやら。ポケモンたちが居ても明確に人を攻撃することなどあってはならない。今更ながら最悪の状況に背筋が凍る。
「今日、キバナさんとお出かけしてとても楽しかったです」
「ああ、オレさまも」
「だから、これからはあまりキバナさんの迷惑にならないように、がんばります」
「は!?」
キバナは目を丸くさせる。まさかそう来るとは思わなかった。少しは距離が近づいたかと思ったのに余計遠くなっていった。リネアは相変わらず、人との距離を取ろうとするクセがある。
「おいおい、夏にオレさまが出した宿題もう忘れたのか?」
「忘れたりなんかしてません!ただ、パーティの時なんか特に、キバナさんは私の面倒を見てくださって……キバナさんの時間を取らせてしまうことが申し訳なく思うんです」
俯くリネアを見つめる。するとキバナは閃いた。リネアの悩みなど大した事ないと一瞬で解決できる方法がある。
「なぁリネア、手、借りていいか」
「は、はい」
手を取るとキバナの頬に当てた。それも両手。キバナは逃げないよう指の間に指を絡めている。
「あ、あ、キバナさ」
「リネアはオレさまがどういう顔してるかわかんねーから怖がってんだ。あの時イエッサンにしたみたいに、触っていい」
「ひえ!?」
「嫌か?」
「いやっていうか、ああ、あの」
片手は額、眉。もう一方は耳。キバナが触らせることで輪郭が明確になっていく。
「私が、触って、イヤじゃないんですか」
震える声。リネア自身これほど恐々と声を捻り出したことはない。そんなリネアを包むようにキバナは答える。
「いやじゃないぜ」
キバナの手が下ろされる。リネアの手は戸惑いながらも自分の力で頬に触れた。鼻筋は高く、堀は深い。輪郭はがっしりとしていて、当然だが温かい。
ふと指先が口の端に触れた。キバナは顔を寄せて手のひらに唇を押し当てる。
リネアは泣き出しそうなほど顔が赤く、これまで以上に胸が高鳴る。
「う、ぅ」
思わず手を引っ込めるとキバナがすぐ近くにきた。内緒話をしている子供の距離だ。
「どうした?」
「っだ、だって、キバナさんが」
「ん?」
いっとう優しい声にリネアの感情は支配されていく。言葉にならず押し黙る。リネアのまつ毛が濡れた。これ以上はキャパシティを超えてしまうだろう。
「もう、いいのか?」
「わ、わかんないっ」
「だろ?」
そう言って今度はリネアの肩を軽く叩いて落ち着かせる。子どもに子守唄を聞かせるテンポで。その間二人は無言だった。中座はとっくに始まり、皆がステージに注目している間、キバナとリネアは隠れて影を重ねる。
数分後、キバナが触れていることに慣れてきた。呼吸も落ち着いている。今の状況に慣れているわけではないが。
俯いて縮こまっていたリネアが少しずつ顔を上げる。月明かりにリネアの肌が照らされてキバナは胸を打つ。
そっと白い手がキバナに伸ばされた。頬で受け止めるとリネアはしっかりと手の腹で撫でていく。
好きな人に顔を撫でられることは、キバナにとって極上のご褒美だ。
頬から唇まで確認される。耳から耳裏、後頭部。瞼、目尻。リネアはずっと顔を逸らさずキバナを見上げ続ける。
「キバナさんって……こんなに、優しい顔してたんですね」
たまらなくなり、そっとリネアを抱きしめた。そして互いの心臓が同じくらい高鳴っている。双方それを理解して、腕を離した。
「肌の色も違うんだぜ」
「え?」
「リネアの肌よりもっと深い色で、オレの目は空色だ」
リネアは思い切って口にしてみる。もはやここまできたのだから疑問の答えが欲しい。
「ど、どうして、こんなに好きでいてくれるんですか」
キバナはリネアの手を握る。可愛らしい表情を目に焼き付けた。
「なんでだろうな。オレにも、わからない」
もう一度、すがるように白い手を頬に当てた。二人の体温は同じだ。
「好きだぜ、リネア」
リネアは静かに涙をこぼした。嗚咽がもれないよう必死に声を抑えるので背中を撫でる。するとキバナの胸に飛び込んだ。容赦なく、一分の隙間なく抱きしめる。
これって、そう言う事でいいんだよな、と自問自答しながら。
「そういうわけで、レナ、手伝ってくれないか」
「私が呼び出されたのはそういう理由だったんですね」
案の定スタイリストもいないのでナックルジムの更衣室でレナはリネアのヘアメイクを手伝った。レナは気前良く承諾してくれたはいいものの、急に呼び出されていい気などしない。リネアは不安そうに呟いた。
「あの、お礼は必ずしますから」
「え?そんなの気にしなくっていいのに!私、可愛い子をもっと可愛くするの大好きなの!」
「でもせっかくの年末年始だし……やっぱりお礼をしないと割に合わないですよ」
そんなに言うなら、とレナはリネアに耳打ちした。
「キバナさまとはどこまで進んでるの?」
「えっ!?いやっ、そんなことないですっ!」
「またまたぁ〜」
リネアは全力で違うと言うもレナは信じていない。それもそのはず、いくらパーティがあるとはいえキバナと二人きりなのだから。今更どう繕っても遅い。
「キバナさまもリネアさんのことかなり気にしてるみたいだし……実はひっそり楽しみだったんだよね〜いつ二人はくっつくかな?って」
「なっ、えっ、えっと」
「可愛いドレス〜!質素だけど袖のレースがすごく綺麗!」
「そ、そうですよね、裏地もついてて着心地もいいんです」
スカートは膝丈で品の良さを感じる。ミッドナイトブルーとサルビアブルーが混ざり合う刺繍との足し引きがされているバランスのいいドレスだ。
「でもキバナさま、リネアさんのことよく見てるなぁって思うもの」
「は、はひ」
櫛で髪を梳かしオイルを馴染ませる。両サイドから編み込みをし、中央に集める。お団子ヘアの周囲に三つ編みを纏わせればパーティ用の髪型となる。
「ヘアピンは返さなくても大丈夫。うちにいっぱいあるんだ」
「ありがとうございますっ」
キバナの話になったりヘアメイクの話にもどったり、リネアはレナの手のひらでコロコロと遊ばれている。リネアの未成熟な反応が可愛くてレナもつい口が止まらなくなっていた。
「はぁ〜こんな可愛いリネアさんみたらキバナさま卒倒しちゃうかも」
「そ、そんなこと……」
「そんなことあるの!」
圧の強さに思わず、すみません、とつぶやく。仕上げにリップを塗って完成だ。
「さ!上着を着て完成!」
「ありがとうございました……お礼は…」
「キバナさまとの恋バナまた聞かせてくれたらオッケーだから!」
それまで着ていた服はロッカーに入れ。新たに荷物を肩に下げる。
レナはひと足先に更衣室から出てキバナに嬉々として報告した。
「キバナさま、リネアさんかなり可愛いですよ」
「マジか」
そんなことを言うものだからすぐに出ていけずに恐る恐る、まるでお化け屋敷に入るかのように忍び足で更衣室を出た。多くの素晴らしい人と出会っているキバナには自身の身なりはどうしても劣ってしまうだろう。落胆させてしまうことへの不安を抱えながらロビーに向かった。
「お待たせしました……」
「似合ってるぞリネア!レナ、ありがとうな!」
「いえいえ、お安いご用です。パーティ楽しんでください」
レナは意味深にリネアの両肩をたたき、ジムから二人を見送った。キバナは更衣室でのやり取りを知らないためリネアの左手を握る。
「あっ、あのっ!」
「なんだ?」
パーティ会場でも握るのか、と聞くほど勇気がない。キバナなら、嫌なら無理することはないといって手を離すだろう。理解しているからこそ不思議とそんな未来は勿体無いと思ってしまった。人々に見られる羞恥心よりも上回るこの感情に、レナが先ほど名前をつけたせいで顔を赤くしてばかりだ。
「どうした?」
「手袋……してるんですね」
「ああ、オレさまも着替えたからな」
「ええ!?どうして言ってくれなかったんですか!」
実におかしなことを聞くものだとキバナは言う。
「キバナさまはなんでも似合うからな!リネアは隣にサイコーにイケてる奴がいるってわかればいいのさ」
「それはそうですけど……私もキバナさんみたいに、褒めたいです」
実におかしなことにキバナの心臓が跳ね返る。
大抵の口説き文句は全て聞いてきたつもりだがリネアの言葉は純真で真っ直ぐに降り注ぐ日の光のようだ。ニヤけそうになる口元を押さえつつ、ジャケットを触らせた。
「紺色……黒に青を足したような暗い色のスーツだ。シャツは白。ネクタイはオレンジ。オレさまのパーカーもオレンジが入ってるからな、エキシビジョンのパーティだし差し色で入れてみた」
一つずつ触らせるとリネアは初めての生地に笑顔を見せた。
「素敵です。キバナさんがおしゃれするたびに、もう少し目が見えていればなあ、って思うんです」
「その分オレさまが教えてやるよ」
つん、と頬をつつかれる。以前、映画館へ行った時のこと。キバナはリネアの目が見えないという思いに同調も同情も、コメントすら差し控えていた。だが今は明確な答えを持ち合わせている。
「ふふ、ふ」
「なんだよ」
「キバナさんが教えてくれるならなんだって知りたいです!」
つい頭を手で撫でそうになるがセットしているので引っ込める。代わりに背中をぽんぽんと叩いた。そして繋ぐ手はしっかりと離さない。
◆
シュートシティにある会場はすでに多くの来賓を出迎えていた。特に選手が会場へ入った時のシャッターは凄まじい。フラッシュが焚かれると視界は白で埋め尽くされていく。けれどリネアが慌てなかったのはキバナが愛想を振り撒きながらリネアの手を握ってくれていたからだ。
「ふうー、ようやく抜けた。リネア、大丈夫か?」
「うーん……フラッシュがすごくて……」
見えないが光がチカチカと点滅している。ずっと懐中電灯を至近距離で当てられているような感覚に、これが常人ならもっとひどかったろうと思う。
「こんばんは、リネア、キバナ」
「よおルリナ」
「こんばんわ……」
耳にシャッターの音がまだ残っている。リネアは珍しくルリナの顔がどこにあるかわからず虚空に挨拶した。
「おおかた初めてのフラッシュに追いついてないって感じね」
「ご明察」
ルリナはボーイに水をもらい、リネアの手に握らせた。
「緊張することはないわ。水を飲んで深呼吸すると少しは楽よ」
「はい……ありがとうございます」
「今日のキバナはリネアの保護者?」
「たぶん……」
へぇ、と言いながらルリナはキバナを見上げる。諌められるような気がするので肩をすくめてとぼける。
「オレさまはルリナのおメガネにかなわないことはしてないぜ」
「余計ムカつくわね。リネア、キバナにやなことされたらすぐいいなさい。遠慮はなしよ!」
「そんなことしてないよなー?」
大人二人からの圧には当然、リネアの中の優先度で対応するしかない。
「キバナさん私のことからかうんです」
「しっかりやらかしてるじゃない!」
「違う!オレさまなりの可愛がり方だ!」
バトルでは強くても女性には強く出られないらしい。キバナとルリナの問答を楽しく聞いているうちに緊張もほぐれていた。
パチン、と照明が落とされる。いよいよパーティが始まる。主催の企業である社長が登壇し挨拶を述べた。リネアは真剣に耳を傾けていたのだがキバナが不意に水のグラスを取り上げ代わりのグラスが渡される。
「とくせんリンゴジュースだ。社長さんに続けてかんぱーいって言うんだせ」
「は、はい」
キバナの言う通り、最後に乾杯の音頭がとられた。リネアが単語を口にする時、キバナはそっと手首を掴んで上へ持ち上げる。乾杯をする時、グラスを持ち上げることを初めて知った。
「それから一口飲む」
こくりと喉に通るまろやかな甘み。後味がスッキリしていて舌の上に長く残らない。
「美味しいです!」
「よかったな。随分いい飲み物揃えてるみたいだ」
「そういえばいろんなジムリーダーの方がいらっしゃるんですよね……挨拶に行った方がいいでしょうか?」
「そうだな。今年中に顔をつき合わせるのもこれで最後だし、一緒に回ろうぜ」
「ありがとうございます!」
リネアが手を握ろうとするとキバナはリネアの手を取り腕に沿えさせた。初めてキバナの手以外を触り体温が上がる。スーツの上からでも腕の硬さがよくわかる。
「こういうパーティでは男がエスコートするもんだ」
「で、でも私の方が立場は下ですし……こういったのは……初めてで……」
「そうだな……けどこうしたほうがリネアも転びそうになった時、オレさまに掴まりやすいだろ?パーティの時、大抵ハイヒール履いてるから昔からのパーティマナーで浸透してるのさ」
リネアの今の靴はパンプスだ。踵の底は低めだが金色のラインが入り電飾を反射させる。
だがリネアがパーティの中で聞く靴の音はどれもハイヒールだ。床を叩くような音は特徴的でよくわかる。だからこそキバナの説明に説得力もあった。
「なるほど……」
「もちろんイヤじゃなければ、だがな」
「……いえ、これも人生経験です。ぜひお願いします」
キバナはわざとらしく、仰せのままにと囁いた。きっと今のキバナは寝物語に聞いた白馬の王子様だ。女児の憧れと夢を詰め込んだ存在だからリネアはこんなにもときめいている。キバナの歩幅も、いつもより強く香る香水も、腕の熱さも、リネアはきっとすぐには忘れられない。
ジムリーダー一人一人に挨拶をする際、腕を組んで歩いていることに誰も言及はしなかった。その事にホッとするがやはりキバナとの距離感に慣れない。
全員に挨拶をし終えたあと、リネアはキバナの熱に当てられてしまった。というか、外と中の熱が同じで勝手にほてっている。
「ありがとうございます……私、少し休んできますね…」
「じゃあ壁のベンチまで送る。立ちっぱなしもキツイよな」
キバナはベンチまで付き添うだけではなく新しいグラスまで取り替えた。
「炭酸ジュース。匂いも爽やかでおすすめだ」
「何から何まですみません……」
「気にするな。しばらく経ったらまた声をかける」
会場は多くの会話で入り乱れている。気を鎮めるためにグラスを傾けるとキバナの言う通り果実の香りが広がった。レモンの優しい匂いとミントの爽やかさ。熱がこもる体には最適な飲み物だ。
リネアの体調を鑑みてこの飲み物を選んだとしたら感服するほかない。現にリネアはようやく深呼吸ができるくらい落ち着いている。
(キバナさんはやっぱりすごい……)
炭酸ソーダを一口飲むと甘酸っぱさが広がる。シュワシュワ弾ける感覚が体を起こす。アローラの暑い日差しの中で飲んだソーダを思い出した。
だから、リネアはこれ以上キバナに迷惑はかけられないと確信する。つきっきりで世話をしてもらうことは相手の時間を奪うことだ。そうならないようリネアは今まで人並みになれるよう努力した。
キバナは家族ではない。今は上司であり、尊敬する人だ。きっと、キバナならリネアに対してネガティブな感情を抱かないだろうとわかっていても、嫌われるのはこの世が消えてしまうくらい怖いもの。
できるだけ失望されないように、一人でやれるようにまだまだ努力しなければならない。
「こんばんはお嬢さん、ベンチで一人きりかい?」
全く聞いたことのない声だ。声がした方へ顔を上げるとすぐ隣に座り込む。スーツを纏った足がリネアの足に触れている。
「わ、私ですか?」
「君以外にここには誰もいないよ」
「ちょっと疲れてしまって休んでいました。邪魔だったのでしょうか?」
「いやいや!そんなことないよ!君みたいに可愛い子を放って置けなかっただけだ」
愛想よく返事はしているが素性がわからない者にはこちらから情報を与えない、ということを祖父と約束していた。幸運な事にそんな心構えは今まで必要なかったが今、この男性においては必要性を感じる。
「君は昨日、チャンピオンと組んでた子だろう?いやぁ見事だったよホエルオーとイエッサン!」
「恐縮です……」
「よかったら見せてくれないかな!特にあの可愛らしいイエッサン!」
「すみません、ポケモンたちは知人に預けているんです」
本当はバッグの中にあるのだが丸腰であると思わせておいた方がいい。少なくともリネアの状況を隠すための必要なブラフだ。
「そっか、それは残念だ。イエッサンとはどう出会ったんだい?」
「二ヶ月ほど前に、ゲットしました。ワイルドエリアで出会って……」
話をしている途中で男が遮る。申し訳なさそうな声を出していた。
「すまない、私はあまり耳が良くなくって……雑音が多いと聞き取りづらいんだ。もう少し静かな場所まで移動しないかい?」
「そ、そうなんですか……配慮が足りずすみません」
「そんなことはないよ。それに君もこのパーティの熱気にやられたんだろう?顔が赤いままだ」
「えっ」
思わず頬に手を触れる。赤いつもりはないのだが先ほどまでキバナのおかげで茹っていた。まだ赤みが引いていないのかもしれない。
「涼しい場所まで案内しよう。お互い少し休んだ方がいい。中座までまだ時間もある」
「そ……そうですね」
顔が赤いままだとキバナに余計な心配をかけてしまうかもしれない。そんな考えが過り立ち上がった途端、いつもより低い声が二人の間に入った。
「どうもテレビ局のディレクターさん」
「あっ、ど、どうもご無沙汰しております、キバナさん……」
キバナの声だがわざと圧をかけた声だ。やはり話しかけた男性は善良な人間ではなかったのかもしれない。
「リネアを連れてどちらまで?」
再びリネアが手に持っていたグラスを取り上げる。近くを通ったボーイに渡したようだ。
「お顔が赤いので、てっきり体調を崩されたのかと……はは…」
「涼しい場所で休んだほうがいいと、声をかけていただいたんです」
「へぇ〜?確かに少し顔が熱い」
キバナの手の甲がリネアの頬に触れる。
「今日、リネアの保護者はオレさまだ。場所さえ教えてくれたらオレが連れて行く」
「あ、あはは…どこだったかなぁ……すみません、リポートが入りますので失礼します」
足早に遠ざかる気配。キバナは容赦なく舌打ちをした。
「逃げ足だけは早いな。リネア、あいつが来てからさっきのグラス飲んだか?」
「い、いいえ、全然……」
「そうか、よかった。……腹減ってるだろ、リネアが食べられそうなもん見繕ってやるよ」
また迷惑をかけてしまう、と思ったがリネアの腹の虫は根を上げた。咄嗟にお腹を抑えたが止められない。
「確かに顔も少し赤い。飯よそったらベランダ行こうぜ。外の空気吸わなきゃな」
食べ物は何が好きか、食べられないものはあるか、と質問が続けられる。
キバナとふれあうたびに、キバナの好意が浮き彫りになっていく。リネアが明確に色をつけて仕舞えばすぐ答えは見えるだろう。
リネアの手を引いてキバナの言うベランダにたどり着いた。室内の温度で熱った体が冷まされる。
「さっき居た場所がホール。円形になっていて、今の場所はホールから突き出たベランダ。とは言っても外には出てないぜ。窓際に行くだけで空気全然違うだろ」
「はい、電飾も無いように思います」
「ああ、少しはここで落ち着けるはずだ」
手にフォークを持たせる。大皿には出来立ての食事がある。リネアはそっと手前から口にする。
「チャーハン?ピラフ?」
「惜しい、パエリアだ」
「ええ…ほぼ一緒じゃないですか」
どれもリネアが食べやすいものを選んでくれたようだ。こういった気配りを感じるたびに、なんだか今の自分が残念に思えた。
「お腹いっぱい!とっても美味しかったです」
「うまいよな、いいシェフ集めてるんだってよ」
「すごいですね……ガラルリーグは」
食器を傍らのベンチに置く。改めて先ほどのことを尋ねた。
「あの、さっきのディレクターさん?とはお知り合いですか?」
「あ〜、まぁ……全く知らないってわけじゃないが……リネアは覚えなくていい奴だ」
「あまり良くない方なんですね」
「直球だな……」
キバナの態度からひしひしと伝わっていた。あの時キバナが来なかったらどうなっていたことやら。ポケモンたちが居ても明確に人を攻撃することなどあってはならない。今更ながら最悪の状況に背筋が凍る。
「今日、キバナさんとお出かけしてとても楽しかったです」
「ああ、オレさまも」
「だから、これからはあまりキバナさんの迷惑にならないように、がんばります」
「は!?」
キバナは目を丸くさせる。まさかそう来るとは思わなかった。少しは距離が近づいたかと思ったのに余計遠くなっていった。リネアは相変わらず、人との距離を取ろうとするクセがある。
「おいおい、夏にオレさまが出した宿題もう忘れたのか?」
「忘れたりなんかしてません!ただ、パーティの時なんか特に、キバナさんは私の面倒を見てくださって……キバナさんの時間を取らせてしまうことが申し訳なく思うんです」
俯くリネアを見つめる。するとキバナは閃いた。リネアの悩みなど大した事ないと一瞬で解決できる方法がある。
「なぁリネア、手、借りていいか」
「は、はい」
手を取るとキバナの頬に当てた。それも両手。キバナは逃げないよう指の間に指を絡めている。
「あ、あ、キバナさ」
「リネアはオレさまがどういう顔してるかわかんねーから怖がってんだ。あの時イエッサンにしたみたいに、触っていい」
「ひえ!?」
「嫌か?」
「いやっていうか、ああ、あの」
片手は額、眉。もう一方は耳。キバナが触らせることで輪郭が明確になっていく。
「私が、触って、イヤじゃないんですか」
震える声。リネア自身これほど恐々と声を捻り出したことはない。そんなリネアを包むようにキバナは答える。
「いやじゃないぜ」
キバナの手が下ろされる。リネアの手は戸惑いながらも自分の力で頬に触れた。鼻筋は高く、堀は深い。輪郭はがっしりとしていて、当然だが温かい。
ふと指先が口の端に触れた。キバナは顔を寄せて手のひらに唇を押し当てる。
リネアは泣き出しそうなほど顔が赤く、これまで以上に胸が高鳴る。
「う、ぅ」
思わず手を引っ込めるとキバナがすぐ近くにきた。内緒話をしている子供の距離だ。
「どうした?」
「っだ、だって、キバナさんが」
「ん?」
いっとう優しい声にリネアの感情は支配されていく。言葉にならず押し黙る。リネアのまつ毛が濡れた。これ以上はキャパシティを超えてしまうだろう。
「もう、いいのか?」
「わ、わかんないっ」
「だろ?」
そう言って今度はリネアの肩を軽く叩いて落ち着かせる。子どもに子守唄を聞かせるテンポで。その間二人は無言だった。中座はとっくに始まり、皆がステージに注目している間、キバナとリネアは隠れて影を重ねる。
数分後、キバナが触れていることに慣れてきた。呼吸も落ち着いている。今の状況に慣れているわけではないが。
俯いて縮こまっていたリネアが少しずつ顔を上げる。月明かりにリネアの肌が照らされてキバナは胸を打つ。
そっと白い手がキバナに伸ばされた。頬で受け止めるとリネアはしっかりと手の腹で撫でていく。
好きな人に顔を撫でられることは、キバナにとって極上のご褒美だ。
頬から唇まで確認される。耳から耳裏、後頭部。瞼、目尻。リネアはずっと顔を逸らさずキバナを見上げ続ける。
「キバナさんって……こんなに、優しい顔してたんですね」
たまらなくなり、そっとリネアを抱きしめた。そして互いの心臓が同じくらい高鳴っている。双方それを理解して、腕を離した。
「肌の色も違うんだぜ」
「え?」
「リネアの肌よりもっと深い色で、オレの目は空色だ」
リネアは思い切って口にしてみる。もはやここまできたのだから疑問の答えが欲しい。
「ど、どうして、こんなに好きでいてくれるんですか」
キバナはリネアの手を握る。可愛らしい表情を目に焼き付けた。
「なんでだろうな。オレにも、わからない」
もう一度、すがるように白い手を頬に当てた。二人の体温は同じだ。
「好きだぜ、リネア」
リネアは静かに涙をこぼした。嗚咽がもれないよう必死に声を抑えるので背中を撫でる。するとキバナの胸に飛び込んだ。容赦なく、一分の隙間なく抱きしめる。
これって、そう言う事でいいんだよな、と自問自答しながら。
