デイジー・ベル

翌朝、リネアは目が覚めて昨日のキバナの言葉は夢だったのかもしれないと思っていた。いや、以前も映画を見に行ったことはある。だがどうにも信じられないでいるのは、勝手に緊張して勝手にドキドキしているからだろう。
念のため出かけられるように準備を始めた。パンを焼きながら顔を洗い、湯を沸かしながらポケモンたちにフーズを与える。ホエルオーには今日中に港に行き、海のプランクトンを食べてもらわなくてはならない。

とにかく大急ぎで準備をし歯を磨いているとチャイムがなった。慌てて洗面台で歯磨き粉を出して玄関に急ぐがまだ開けられない。

「き、キバナさんですか!?」
「ああ、おはようリネア」
「寒い中すみません!あと少し待っていてください!」

バタバタと廊下を走る。自分の住む家は真っ先に間取りを覚えるためクロバットがイタズラで妨害しない限りは走ることもある。それでもやはり、何かにぶつかることはある。

「い゛だっ!」

足の小指を打った。唸りながらバッグにボールを入れて財布とスマホロトムも仕舞う。この際髪の毛は結ばずそのままにした。
スキニーと黒のハイネック、そしてコートを羽織り玄関を開ける。

「お、お待たせしました」
「おう……なんだか焦らせたみたいだな……」
「いえ、ぜんぜん!」

玄関に立てかけている杖を持って玄関にしっかり鍵をかけた。

「あの…今日はエキシビジョン参加者のパーティがあると思うんですが……本当にドレス一緒に探してくださるんですか?」
「もちろんだ。むしろリネアは何を着るつもりでいたんだ?」
「す…スーツ…?」
「真面目だなぁ……まぁいい!ちょっと遠出にはなるがパーティは19時からだ。のんびり選ぼうぜ」

そう言ってキバナはリネアの手を握った。同時に思い出したのは昨晩のことだ。眠気に襲われていたがろくにお礼もしていないことに気づく。

「あっ!あの、昨晩は送っていただきありがとうございました」
「気にすんなよ、あれくらいお安いご用意だ」
「背負ってくださって…お、重かったと思います……」
「オレさまの身長いくつあると思う?リネアみたいなおチビちゃんは軽いもんだぜ」
「よかったら今日お礼させてください!いつもキバナさんにはお世話になりっぱなしですし」

小さく唸ってキバナは考えている。多少、無理な要求であろうとリネアは応じるつもりでいた。だがキバナの言葉は想定外なものだ。

「じゃ、オレさまの手、握っててくれ」
「え?」
「今日一日、こうやって握ってくれないか」
「そんな、気を使わず私にできることならおっしゃってください」
「気なんか使ってないぜ」

静かに伝えられるとリネアは思わず口籠もる。まるで手を繋ぐことはキバナの最大の報酬であると言っている。そしてリネアに握られることが嬉しいとも伝わる。

「早速だが、キルスクタウンに行くか。意外と穴場なんだぜ」
「は、はい」

キバナが多くの人に好かれる理由は、気さくで明るく、気遣いができるという一面があるからだと思っていた。だがこうして距離が縮まるとキバナの“人たらし”の部分があると強く感じる。もしかして誰にでもこう言っているのでは?と思い込むとリネアにほんの少し余裕が生まれた。

電車に乗って雪景色を眺める。チャレンジャーの時は雪山を越えなければならなかったことを思い出す。寒いし雪で足は取られるし、何度滑ったことか。雪山にはやはりいい思い出はない。

「よし、ついたぜ。段差気をつけろよ」
「はい」

手を取って電車から降りる。ナックルシティの空気とは全く違う。しんしんと積もる雪に匂いなどないはずなのに。

「ルリナがキルスクのショップが良いってSNSで言ってたんだよな」
「ルリナさんとは仲がいいんですか?」
「ただのジムリーダー仲間だよ。まぁ広告で一緒に写真撮ることも多いし…まぁ…言われてみれば仲はいいのかもな?」
「ルリナさんのお仕事は…正直よくわからないんですが、すごく芯のある話し方をされるし声も綺麗なので…みなさんが言うようにすごく綺麗な方なんだろうなって思います」

キバナは微笑む。今日会ったらそっくりそのまま伝えてやれと言って街の中を歩き始めた。そして目当ての店にたどり着いたようだ。
カランとベルの音を立てて店へ入るとナックルジムリーダーが来たとわかり女性店員が黄色い声をあげた。

「キバナさま!な、何かお探し求めですか?」
「悪いな、オレさまじゃなくこっちが本命だ」

リネアは頭を下げる。期待させてしまったのは不可抗力とはいえ、リネアのドレスを買いに来たと知るとどう思われるかはある程度理解ができる。申し訳なさそうにしていると誰かが「あっ」と声を上げた。

「すっごく硬いイエッサンのトレーナーさん!」
「……すげぇ覚えられ方してるな。まぁ、今夜エキシビジョンのパーティなんだ。似合うドレスを見繕ってくれないか」
「もちろんです!あ、好きな色はありますか?」

あ、とキバナが横から声をかける前にリネアが伝えた。

「私、よく家族から青色が似合うって言われるんです。空の色のような…」
「わかりました!ちなみにスカートとパンツスタイルだとどちらが好きですか?」
「ええと……スカートが好きです」
「じゃあ店内にあるものを一緒に確認しましょうか!」
「はい、よろしくお願いします」

キバナはハラハラしていたが生地を触り確かめることでリネアはおおよそどんなものかイメージしているのだろう。とにかく口出しはせずに遠くからじっとリネアを眺めていた。

「こちらはターコイズブルーで、もう一方はナイトブルーなんですが、リネアさまはどちらが好ましいですか?」
「あ、ええと……すみません、色の詳細を教えていただけますか」

キョトンとする店員に代わり後ろから声をかけた。

「ターコイズブルーははっきりした強い青だな。空色よりもっと濃い。ナイトブルーは緑色が強く出てる」
「なるほど……でも今後着る機会もあまりなさそうだし…」
「何言ってんだ、昨日のバトルでとんでもなく盛り上がってるぜ。今後も呼ばれるに決まってるだろ」

リネアはキバナへ顔を向ける。少し言い淀んで、つぶやいた。

「キバナさんは……どっちが似合うと思いますか」
「うーん、オレさまの趣味で言うなら別のドレスだな!」
「ええ!?」
「けどリネアが着たいと思えばなんだって似合う。オレさまの好みにしたら、テンションダダ下がりだろ?」

それはそうなのだが、もっと具体的なアドバイスがほしいところだ。迷っていると店員が恐る恐る尋ねる。

「あの……差し出がましい質問なのですが……色が見えづらい、のでしょうか?」
「実は、光のみわかるだけで…色も光でぼんやり見えるくらいなんですがそれ以外は何も見えないんです」

キバナは店員が無言で驚く顔に肩を揺らして笑いを堪える。リネアにすぐ教えてやりたいが店員にもプライドがあるだろう。今はまだ堪えていた。

「だから生地でしか判別ができなくて…すみません」
「いえっ!いえいえ!とんでもないです!ドレスの詳細をお伝えしますね!」

袖がレースになっているもの。スカートの丈が長いもの。細かく説明を聞いてリネアはようやく試着してみたい服を見つけたようだ。

「このドレス、試着してみたいです」
「はい、よろしければお手伝いしましょうか」
「ありがとうございます、お願いします」

キバナはその間にレジに向かう。レジにいた店員もキバナを見上げて首を傾げていた。

「金額、先に払わせてくれ」
「あっ、はい!」

この後はバッグと上着も選ばせる予定だ。ざっくり計算して多めに金額を預けておく。するとタイミングよく試着を終えたリネアが更衣室から出てきた。

「リネア、どうだった」
「はい、すごく上品なデザインだと思ったのでこのドレスにします」
「じゃあ上着にバッグも買い揃えた方がいいぜ」
「あっ、そうですよね。じゃあ……」

再び店員と上着を確認して回る。時間はかけつつもドレスに合うよう考え抜いていた。キバナはただじっとそれを眺める。


「お待たせしました。えっと、この三点の会計をお願いします」
「ええ、ではキバナさまより金額いただいておりますのでそのままでお待ちください」
「はぃ!?」

素っ頓狂な声にキバナは笑いを堪える。息を殺しているとリネアはキバナを探すため店内をキョロキョロし始めた。キバナが黙っているせいでどこにいるかわからないのだ。リネアが驚いている様子はただの人と変わりない。じっと堪えているととうとう名前を呼ぶ。

「キバナさんっ」

ふっと笑う息が漏れてしまう。リネアは聞き逃さずキバナに詰め寄った。

「キバナさんにたくさんお世話になってるのにお金まで出していただくなんて困ります!」
「そう怒るなよ。昨日の頑張り賞ってことで」
「でも……」
「オレさまの顔を立てるってことで今回は譲ってくれよ」

そう言われるとリネアは言い返す言葉がない。今は何を言ってもキバナに口で勝つことなどできないのだ。
結局キバナの厚意に甘えることになりリネアはどうにも居心地が悪い。しかもドレスが入っている紙袋までキバナが持っているのだから。
もしかしてキバナに好意を持たれているのでは?と思うが耳でしか収集できないため、恋模様に聡いわけでもない。確認する度胸もないので長いものに巻かれる状態となっていた。

「さて、だいぶ時間もあるし近場に美味い店があるんだ。食っていくか」
「次こそは絶対譲りませんからね」
「わかったわかった」

本当に分かっているのかさえ疑問だがキバナに素直についていく。キバナがキルスクタウンに何度か訪れているのはこおりタイプの使い手であるメロンの対策をするからだろう。その分街にも詳しく美味しい食事の店も知っていた。
出来立ての料理の匂いは何物にも勝る。特に寒い雪の中を歩いてきた身としてはステーキが音を立てて焼かれる音だけで食欲が唆られる。

「ところでどうしてダンデと組んでたんだ?」
「実は、ダンデさんが人づてに私のことを聞いたようなんです。最初はダンデさんはチャレンジャーの中から一人選んでくれ、と運営に頼まれていた様なんですが知人は忙しいから無理とハッキリ断られたらしく…」

チャンピオンはあちこち飛び回っているし弟のホップは研究で忙しいのだろう。となるとリネアが選ばれたのも納得がいく。

「ネズさんが私とダンデさんの橋渡しをしてくれて、今月初めにようやくお会いできたんです」
「なるほどな、ネズが一枚噛んでたのか」
「けどダンデさんのバトルはすごかったです。私もペアを組ませていただいてとても勉強になりました」

ネズは運営側に回ることはないだろうが、芽のあるチャレンジャーをそのままにしておくことはできなかった様だ。

リネアはサイコロ状にカットされたステーキをフォークで食べる。まだ口に入れるには熱かったようだがリネアの頬が赤くなるとキバナもつい微笑む。

「うはぁ、おいしい!」
「ダンデやネズたちとジムを回ってる時、みんなでここのステーキ食ったんだ。外は寒いしバトルはしんどいし……けど今も味は変わってねぇ。ここで食べるたびに初心に帰れる気がする」
「友人と食べるものって、特別ですよね。人間ってものを忘れる時、音から忘れるそうです。持論になりますが、逆に味覚は長く覚えていられるんじゃないかなって思います」

リネアだからこそ、その持論は説得力がある。リネアがそう言うのだからそうなんだと思い水を飲んだ。

「あっ」
「どうした?」
「いえ……そんなにお時間取らせませんから……後で9番道路に行ってもいいですか?」
「オレさまも付き合うが……何か用事か?」
「そんな大したことじゃないんです!30分ほどお時間頂くだけなので!」

食事を終えるとリネアはキバナの背中を押してレジの前に立つ。リネアは片時もキバナから“耳”を離さなかった。つまり支払いはまだ済んでいないはずだった。

「先ほどキバナさまからお会計を頂戴しました」
「嘘でしょ……」

愕然とするリネアにまたキバナは笑いを堪えている。ある種ドッキリを仕掛けられている気分だ。

「何故……こんなことを……」

滅多に動揺しないリネアが見たことないくらい眉間に皺を寄せている。深く息を吐いて笑わないようにするが、リネアの耳には息が踊っているように聞こえる。つまりは笑いを堪えきれていない。

「というかいつ支払ったんですか?」
「まぁまぁ、次は9番道路だったな。用事を済ませにいこうぜ」
「質問に答えてください!」

キャンキャンと怒るがイワンコのようにしか見えない。キバナはのらりくらりかわすだけなのでリネアはぎゅっと手の甲をつねった。
痛かったはずなのにキバナは大きく笑った。街に響きそうな声にリネアは逆に驚く。今日のキバナはナックルジムで感じる姿とは違う。

「痛くつねったはずなんですが……」

リネアの左手を握って離さない。キバナの熱が手を伝う。同時に向けられる好意に確信を持ちつつあった。

「礼儀正しいのはいいことなんだけどよ。リネアがムキになったりオレさまにイタズラするのは、嬉しいんだよな。わかるか?ジグザグマが懐いてきた感じ」
「わ、わかりませんけど……」

要するにリネアの口調が少しずつ解けているのを感じてキバナは嬉しいのだ。

「ところで寒くないか?」
「大丈夫です。ほら、ヤクデ印のカイロ」

ポケットに入れていたカイロをキバナと繋ぐ手で持つ。キバナの手もこれで温まるだろうとささやかながら今日のお礼をした。もちろん口に出すことはないが、キバナの寒さを少しでも取り除けたらと思った結果だ。

「ありがとな」

溌剌としたいつもの言い方ではない。親愛を超えた言葉にリネアもう何も言えない。


9番道路にたどり着くとリネアは広い場所を確認してもらった上でホエルオーを出した。出てきた瞬間の鳴き声で空気が振動し周囲のポケモンは驚いて逃げていく。

「でっけ〜〜……」
「ホエルオー、お腹空いてるでしょ?ゆっくり食べておいで」

たしかにこの大きさを気軽に外に出すことはできない。それにフーズの費用もバカにならないだろう。

「ホエルオーはホエルコの時からフーズとプランクトン両方を食べるんです。この大きさになってからはプランクトンのみですが……」
「そりゃそうだろうなあ」
「だから……本当は年明けにお伝えしようと思っていたんですが、実家に帰ろうと思うんです」

今度はキバナが言葉を失った。え?と聞き返すとリネアは淡々と返事をする。

「実家と言っても、両親の故郷はアローラ地方で…ガラル地方は私でも生活しやすいだろうからっておじいちゃんの家に小さい頃からお邪魔してたんです」

「帰るって、ジムは?」

オレのアドバイザーは?と脳内で反復する。

「お暇をいただこうと思っています。ホエルオーもアローラの両親のところに預けた方がのびのび過ごせますし、アローラも時間があれば冒険しようかなって」

それがリネアの選択ならキバナは口出しする権利はない。そうか、と言ってただ海を眺めていた。漂う氷塊が沈んでいくのを見るたびにキバナはどうしようもないと言い聞かせる。

「だからアローラのお土産いっぱい買ってきますね!」
「えっ」

沈黙が続く。リネアは首を傾げて、おもむろに音声認識を起動しスマホロトムが検索する。

「お暇:仕事から離れること。辞去すること。……ジキョ?」
「お別れの挨拶をして去ることだな」
「ええっ!?ご、ごめんなさい!変な言葉を言ってしまいました!私、本を読むこともできなくって…できるだけ丁寧に話をするよう躾けてもらったんですがやっぱり……こういうところでダメなんです……」

結局リネアは長めの休みを取る、ということを言いたかったらしい。恥ずかしくて顔を真っ赤にさせているので、キバナは直前のショックなどどこかへ飛んでいってしまった。

「なぁんだ!てっきり、オレさまのこと嫌になって出ていくのかと思った!」
「そんなことないですよ!キバナさんも、ジムの皆さんもすごく優しくていろんなことを教えてくださって……他のジムリーダーさんから誘われても断ると思います!」
「……ダンデでも?」

意地の悪い質問にリネアはわざとらしく考える。

「ちょっと迷いますねえ」
「おい!話と違うだろ!」
「きゃあー!」

両手で頬を摘まれたり押しつぶされたりとキバナのされるがまま。ホエルオーが帰ってくるまで二人の笑い声は寒空の海に響いていた。
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