デイジー・ベル
ワイルドエリアでジムトレーナーのバトルをしアドバイスをする。それはそれで実のあるものなのだが、キバナにとってはワイルドエリアが終わった後が本番だった。
「今の音が<ふきとばし>です」
ごうごうと唸るような風の音。耳に掠めるとそれは音というよりも音割れを聞かされているようだった。
「ではこれは?」
鈴を鳴らすとオンバーンは翼を使って風を起こす。つむじ風からあっという間に立ち上る旋風は<たつまき>だ。
「風の勢いは同じだが風向きが違う……<かぜおこし>!」
「うーん、惜しいです。これはきっと<たつまき>ですね」
キバナが目隠しを外すとオンバーンが作っていた竜巻が目に入る。こうしてリネアの知覚を真似すれば真似するほど、リネアの凄さが身に染みる。
「はぁ〜……」
「訓練を始めてまだ一週間です。焦らず経験を積んでいきましょう」
「ああ、そうだな」
けれどこういう訓練を続けてもスキルとして身につけるには途方もない時間がかかる。しかも“目が見えている”ということが最も成長を妨げている要因でもあった。リネアはそのことに気づいており、このまま続けても意味はないと理解している。だからといってそのまま放っておくわけにもいかない。なぜならリネアはキバナのアドバイザーだからだ。
「あの、もし良ければ提案があります」
「なんだ?」
「映画、見にいきませんか?」
「映画」
リネアはスマホロトムに音声入力で検索をした。スマホロトムは検索した結果を映す。
「シュートシティの映画館でリバイバル上映されているんです。私、是非“聞いて”みたくて」
「オレさまは構わないが……」
「実は映画を聴くの好きなんです。でも部分的に限界があって……だから映画が終わったら、どういうシーンだったのか解説して欲しいんです」
「なるほど、いいぜ」
「そしてキバナさんはご自宅で目隠しした状態でもう一度映画を聞いてください」
キバナは油断してスケジュールを確認していたのだが、リネアの発言に手が止まる。いつも饒舌なキバナが押し黙るのでリネアは思わず笑う。
「リネア……さん。マジか」
「はい、一度見ているのできっとどういうシーンだったかわかると思います。映画も聞けて訓練にもなって一石二鳥です!」
先の見えない訓練を続けるよりはある程度可視化することのできる訓練をしたほうがいいとリネアは考えた結果だ。マンネリ化も防ぐことができるいい案だと思ったのだが咄嗟に我に帰る。
「あっ…でもキバナさんはお忙しいしトレーニングもありますよね。すみません……やっぱりなかったことに」
「オレさまは四六時中トレーニングしてるわけじゃないぜ。それにリネアと出掛けるのも楽しそうだ」
リネアはもう一度我に帰った。ガラル地方でも多くのファンを有するキバナと映画を見にいくなど、自分からパパラッチの波に飛び込むのと同じだ。今更ながら大丈夫なのかと不安を覚えるも、キバナは着々とスケジュールを空けている。
あくまでアドバイザーという立場だと自分に言い訳し、何かあればアドバイザーとして堂々と身分を証明しようと対策を考えていた。
「じゃあ……再来週で大丈夫か?パトロールも入っちまって、余裕があるのはその頃なんだが」
「だ、大丈夫です!無理なく積み重ねるのが訓練なので!」
「ああ、リネアの言う通りだな。ちなみにどんな映画か知ってるのか?」
キバナの問いかけに喜んで返事をする。30年前の映画だが後の映画に多大な影響を与えた演出……とくに音響の面で今も人気を博している。あらすじは荒野にある小さな村にマフィアがやってきて村の自衛官たちと対決をするアクション映画だ。
「私が聞いてきた中でかなりこだわった音を作り込んでいるんです。どうやったらあんなにリアルにできるんだろうって、おじいちゃんと一緒に“音探し”にいったこともあるんです!」
「へぇ〜、いいな、その“音探し”ってやつ」
「はい!すごく楽しいんです。意外と関係なさそうな物が使われていたりして……パンフレットに音の正体が載っているので、そこで答え合わせもできるんですよ」
キバナは楽しそうに話すリネアをじっと見つめる。リネアの祖父も同じ気持ちだったのだろうか。
「キバナさん?どうかしました?」
「ああ、なんていうか……リネアのお爺さんは厳しいって聞いていたからギャップに驚いただけだ」
目が見えなくとも世界を知る術はある。逆に目では見えないものもあるのだろう。リネアの耳にはいくつもの輝きが聞こえているに違いない。それを少し羨ましく思う。
◆
リネアは恥ずかしい格好はできないと思い、思い切って母に連絡をした。雇っている人と用事があって出掛けるがどんな服がいいか、と。母はスマホロトム越しにあらあらとにこやかに笑う。相手がキバナと知っているためか親身に相談に乗ってくれた。
その甲斐あって、今日はリブ生地のワンピースにジャケットを着ている。いつもポニーテールの髪は二つに分けて緩く結ぶ。定期的にサーナイトに「大丈夫かな?シワになってない?」と確認する。いい返事をするがいつもと違う格好にリネアは落ち着かない。普段人の目など気にしても仕方がないと思っているのにこういう時だけ気になってしまう。
「変じゃないかなぁ…リボン縦向きになってない?ちゃんとしてる?」
「ちゃんと結べてるぜ」
「ひぉあ!?」
背後からキバナの声。文字通りリネアが驚いて飛び上がるとキバナは面白そうに笑っていた。
「ははは!悪い!びっくりさせたな!」
「ふぅ、ふい……!ふいうち……!」
「珍しく足音で気づかないなと思ってたんだが、緊張してたのか」
キバナの声はいつもと同じ。リネアにはキバナがどういう格好をしているのかわからない。緊張しているのは自分だけと知り顔を真っ赤にさせた。
布が擦れる音。リネアはキバナが屈んだとわかる。影がかかり、皮膚の体感温度に差が生まれる。
「ん、ちゃんとオシャレしてくれて嬉しい。ありがとうな」
髪のリボンを指先で軽くつついた。その感触が伝わりリネアは珍しく無言を貫く。
「じゃあ行こうぜ、映画館」
「は、はい」
いつも通り、歩くキバナの裾を掴むがすぐ手を離した。というのもただ驚いた。触ったことのない布の感触。滑らかで艶があり、生地の目が全て揃えられた上質なもの。
「どうした?」
「し、シワになると、いけないと思って」
「すげぇ、今の一瞬で生地がわかったのか?」
「映画館までの道のりはスマホロトムに案内してもらいますから、先に行ってください!私は大丈夫です」
だがキバナはゆっくり手を取って、それでも裾を握らせた。
「これはシワにならねぇから大丈夫。それにいつも裾摘んでるだろ?少しでも手触りが良いのを選んできたんだ」
ぎゅっと握らせる。リネアは初めての感覚とキバナの気遣いに言葉を詰まらせた。ずっと心臓が強い鼓動生んでいる。リネアの溢れる感情に名前があることを知らない。
「色は暗い赤で……あっ、色って、わかるか?」
「は、はい……すこし」
「ワインレッドって言われる色なんだが、この生地はオレさまもお気に入りなんだ」
リネアは下唇を噛んでつぶやいた。
「……こんなに、目が見えないことを悔やんだことはありません」
今度はキバナが飛び上がった。何か不快なことを言ってしまっただろうか、やはり驚かせたのがまずかったか、グルグルと考えてリネアの前にしゃがむ。
「わ、悪い、そんな顔させるつもりじゃなかった」
考えながらもリネアの涙をどうしようかと考える。触れていいのかさえ分からない。キバナはリネアとの距離感を掴めずにいた。
「いえ、違うんです。キバナさんがどんな格好をしているのか、知りたくなったんですっ」
自分で必死に涙を拭う姿はどこか痛ましい。
「今までいろんな優しい人に恵まれてきました。けど、初めて……握らせてくれる服に気を配ってくれて、嬉しいのに、悔しくなってしまったんです」
リネアが持つハンカチは涙で色を濃くしている。
「ごめんなさい、急に変なことを言って。もう大丈夫です」
必死に切り替えようとする聡明さに胸を打たれるも、キバナにとって些細な気遣いがリネアの強い感情を呼び起こしたのならば責任を持たなくてはならない。そう思い手を包み込んだ。
「オレもうまく言えないが、こういうことで喜んでくれるならオレも嬉しい。けどリネアの悔しさに軽い気持ちで同調はできない。それは、ごめんな」
「い、いいえ!ちょっと緊張しておかしな考えをしてしまっただけだと思います!」
そうは言ってもリネアの人生は苦難に満ちていたはずだ。色が分かるということはある程度視力があったことを意味する。視力がなくなることの恐怖、辛さ。子どもが直面するにはあまりにも残酷だ。
「本当に腐らずここまでやれるのはすげぇよ。だからリネアのこともっと教えてくれないか。オレもリネアに伝えたいことがたくさんある」
泣いたり照れたり、今日のリネアは忙しい。特に今は耳まで真っ赤だ。
「ふ、ふつつかものですが……?」
キバナは吹き出した。そしてリネアの頭を撫でる。
「そりゃ意味が違うだろ!」
笑いながらキバナは改めて裾を握らせた。リネアは指先で生地を擦らせ、感触を確かめる。キバナと共に歩くにつれ、自然と疑問が膨れ上がっていった。
キバナはどういう格好をしているんだろう。顔の形、耳の形は?男性なので首も太いのだろう。手が大きいし腕もきっと両手で握っても回らないかもしれない。そういえば足の大きさは?歩幅は?
キバナの足音に耳を傾けながら街路樹を進む。
108分間の映画を見終わり、カフェでリネアは質問する。
「私いつもおじいちゃんに聞いてもはぐらかされて明確に答えてくれないんですが……マフィアたちが飲食店に入るシーン、あの部分ずっと足音が聞こえているのにどうして扉が開く音がするんですか?」
キバナは先ほど見た映画の記憶を遡る。家でも目隠しした状態で見なければならないためしっかり注意深く見ていたのだ。
「たぶんそれは酒場のことだな。ああいうアクションのことを西部劇って言って、大抵は酒場があるんだ」
「なるほど、だから瓶が割れる音がたくさんあるんですね」
「そうそう、それに西部劇の酒場のお決まりのパターンは、扉の上下が吹き抜けになってる」
「それは、どういう……」
口で説明するのも難しいため、カフェのテーブルに置かれたシートを2枚抜き、酒場の扉を擬似再現する。丁寧に畳んでリネアに触らせた。
「この正方形の扉が入り口の中央にある。だから外の音が室内にも聞こえてたんだ」
「なるほど!そういうものだったんですね!」
それじゃあ次は……と続けて質問をする。しかし質問を経てリネアが音をどう判断しているか、そのヒントを教えてくれているようだ。
質問にできる限り答えていくとリネアはすっきりしたようだ。長年気になっていたことが解消され清々しいだろう。
「ありがとうございます。私、本もまともに読めないからいろいろ教えてくれてとても嬉しいです」
「この程度なんてことないぜ。さて、オレさまは映画の音響で特訓ってわけだな」
「はい、でもよければこれを」
バッグから取り出したのは先ほどみたDVD。しかもかなり豪華なもので立体音響付きだった。
「いいのか?かなりレアものみたいだが」
「いえ、むしろ聞いてほしいんです!語れる人が増えて私も嬉しいですし!」
以前言っていた通り、映画史の音響の部分で名作とされているため立体音響化されたようだ。リネアは訓練の入門編としては最適であるとも太鼓判を押す。
「分からないこととか、是非連絡してください。何分何秒まで言ってくれたら解説もできますから」
「熱意すげぇ……」
ともあれエコーロケーションの入り口にようやく立てたのだ。少しでも身につけばバトルでも判断の一助になるに違いない。耳だけのリネアの察知能力が、目のあるキバナに備わればダンデとチャンピオンに大きく近づくだろう。
「でも、今日はリバイバル上映に付き合ってくださりありがとうございました」
「オレさまも楽しかったぜ。けど、このまま帰すのも良くないよなぁ〜」
「へ?」
今のキバナはきっと悪い顔をしているのだろう。キバナはわるだくみをする子どものように言う。
「カフェの前にバトルコートがある。オレらでダブルバトル仕掛けようぜ」
「えっ!い、いいんですか?」
「よし決まり!」
カフェを出て突き当たりに向かって歩くと白熱したバトルの音が聞こえる。リネアはつい杖の鈴を鳴らして現状を把握した。
「ヨクバリスとマッスグマのバトルですね!ヨクバリスが優勢で今<いかりのまえば>を放ったと思います!」
「その通り。オレさまとリネア、一体ずつ出してダブルバトル、戦術はどうする?」
「キバナさんとダブル!楽しみ!えっと、えっと、じゃあやっぱりオンバーン……」
そう言ったのに飛び出したのはゴルバットだ。リネアの頭にかじりついて反抗している。
「ちょっと!ゴルバット!」
「ははは!いいぜ、ゴルバット、一緒にバトルだ」
「もう〜……キバナさんはどの子出しますか?」
「オレさまはヌメルゴン」
キバナのヌメルゴンの特性は「そうしょく」だ。リネアが気づいた表情をすると嬉しそうに笑う。
「いっちょかましてやろうぜ、オレたちのデビュー戦だ」
「はいっ」
何気ない休日。いつも練習で使われるバトルコートにナックルシティのキバナが現れるなど誰も予想できなかった。しかも連れている少女とタッグを組んでダブルバトルをするという。
貴重な機会に皆名乗りをあげるがポケモンの体力も考えて2戦が限度だろう。トレーナー4名が二組に分かれる。
「相手が作戦会議してる間、写真撮ろうぜ」
「ええっ、私も!?」
「ゴルバットとヌメルゴンもだ!ロトム頑張って撮ってくれよ〜」
一先ずキバナと言えばドラゴンポーズが有名ときく。リネアはそれとなくポーズをするとシャッター音が聞こえた。
「うんうん、よく撮れてる。後でリネアにも送るからな!お爺さんに送ってもいいぜ」
「あ、ありがとうございます!きっとおじいちゃん喜びます」
すると相手の準備は終わったようだ。バトルが始まる。胸の高鳴りを鎮めようとリネアは深呼吸した。
「ああ、ドキドキします」
「だな!楽しめよ!」
リネアはゴルバットを、キバナはヌメルゴンを出した。鈴を鳴らして環境確認に入る。
相手もポケモンを出した。
「へぇ!ジャランゴとシンボラーか!さてはオレさまのすなあらしを警戒したな?」
キバナがポケモンの名前を口にすることでリネアのサポートに入る。
そして審判が宣言を始めた。
「先攻、ジンテツ、フィオ。後攻、キバナ、リネア。ダブルバトル────開始!」
「ジャランゴ、ゴルバットに<ドラゴンクロー>!」
「シンボラー、同じく<ねんりき>!」
やはりゴルバットを先に落とす狙いだ。リネアは叫ぶ。
「耐えます!ゴルバット!いけるね!」
今回ゴルバットは元よりサポート。キバナは不敵に笑う。
「サンキュー!ヌメルゴン、シンボラーに<かみなり>!」
弱点を明確に突く攻撃。ゴルバットが攻撃を耐え抜いた直後にシンボラーに命中した。シンボラーは戦闘不能となるがリネアは“戦闘不能になったことを見越し“てゴルバットに向かって声を張り上げる。
「ゴルバット!ヌメルゴンに向かって<ギガドレイン>!」
ヌメルゴンの「そうしょく」はくさタイプの攻撃を無効にした上で自身の攻撃力をあげる。キバナのバトルでは相手にくさタイプの技を打たせて成り立つが、ヌメルゴンの特性は有名だ。だからこそ火力のないゴルバットの穴を埋めるためにヌメルゴンの火力を底上げする。
1ターンをすぎれば純粋なすばやさ勝負となる。
「決めろ!<なみのり>!」
ジャランゴに波が襲いかかる。攻撃力があがったヌメルゴンの<なみのり>は強烈だ。これでもまだ立ち上がるのならゴルバットが次の行動を起こせる。
リネアが鈴を鳴らす。すると審判が結果を告げた。
「ジャランゴ、シンボラー戦闘不能!キバナ、リネアの勝利!」
リネアはすぐゴルバットを迎えにいく。
「よく耐えたねゴルバット!!」
いつもの声でゴルバットも喜び翼でリネアに抱きついた。ゴルバットは一説によると体重55キロもあるらしい。リネアは当然、地面に伏せることになる。
「ゴルバット!リネアが埋もれる!ちょっと離れようぜ!!」
キバナが必死に引き剥がすと、ゴルバットは白い光に身を包んだ。誰もが目を見張る。ゴルバットは今の勝利で進化を始めるのだ。
「え?ゴルバット?なんだかすごく明るいけど…」
「リネア!進化だ!」
「はい!?」
眩しい光が卵のようにゴルバットを覆い、そして姿を変えた。ゴルバットよりも大きな体躯に翼は4枚に増えた。
「く、クロバットに、進化した」
キバナが呟くと観客が歓声を上げた。リネアは両手でクロバットに触れる。丸みがあるフォルムと耳はゴルバットの時より長くなった。
「ありがとうクロバット!」
リネアがクロバットに抱きつくと一つ鳴いて嬉しそうに翼を高速で動かす。
「ちょっ、ちょっと待て!飛ぶなクロバット!」
嬉しさのあまりリネアが抱きついたまま飛び立とうとしていたのでキバナが阻止する。この時ほど背が高くて良かったと思ったことはない。キバナほどの高身長でなければ今頃クロバットとリネアは大空に羽ばたいていただろう。
「とにかく、おめでとうクロバット、リネア」
「はい!ありがとうございます!」
「と言うわけで、次も出なきゃ損だよな、クロバット!」
クロバットはキバナと気が合うらしい。リネアは「私に懐いてるのに」と言って少し拗ねていたが風を切るクロバットの翼の音を聴いて誇らしい笑顔を浮かべていた。
「今の音が<ふきとばし>です」
ごうごうと唸るような風の音。耳に掠めるとそれは音というよりも音割れを聞かされているようだった。
「ではこれは?」
鈴を鳴らすとオンバーンは翼を使って風を起こす。つむじ風からあっという間に立ち上る旋風は<たつまき>だ。
「風の勢いは同じだが風向きが違う……<かぜおこし>!」
「うーん、惜しいです。これはきっと<たつまき>ですね」
キバナが目隠しを外すとオンバーンが作っていた竜巻が目に入る。こうしてリネアの知覚を真似すれば真似するほど、リネアの凄さが身に染みる。
「はぁ〜……」
「訓練を始めてまだ一週間です。焦らず経験を積んでいきましょう」
「ああ、そうだな」
けれどこういう訓練を続けてもスキルとして身につけるには途方もない時間がかかる。しかも“目が見えている”ということが最も成長を妨げている要因でもあった。リネアはそのことに気づいており、このまま続けても意味はないと理解している。だからといってそのまま放っておくわけにもいかない。なぜならリネアはキバナのアドバイザーだからだ。
「あの、もし良ければ提案があります」
「なんだ?」
「映画、見にいきませんか?」
「映画」
リネアはスマホロトムに音声入力で検索をした。スマホロトムは検索した結果を映す。
「シュートシティの映画館でリバイバル上映されているんです。私、是非“聞いて”みたくて」
「オレさまは構わないが……」
「実は映画を聴くの好きなんです。でも部分的に限界があって……だから映画が終わったら、どういうシーンだったのか解説して欲しいんです」
「なるほど、いいぜ」
「そしてキバナさんはご自宅で目隠しした状態でもう一度映画を聞いてください」
キバナは油断してスケジュールを確認していたのだが、リネアの発言に手が止まる。いつも饒舌なキバナが押し黙るのでリネアは思わず笑う。
「リネア……さん。マジか」
「はい、一度見ているのできっとどういうシーンだったかわかると思います。映画も聞けて訓練にもなって一石二鳥です!」
先の見えない訓練を続けるよりはある程度可視化することのできる訓練をしたほうがいいとリネアは考えた結果だ。マンネリ化も防ぐことができるいい案だと思ったのだが咄嗟に我に帰る。
「あっ…でもキバナさんはお忙しいしトレーニングもありますよね。すみません……やっぱりなかったことに」
「オレさまは四六時中トレーニングしてるわけじゃないぜ。それにリネアと出掛けるのも楽しそうだ」
リネアはもう一度我に帰った。ガラル地方でも多くのファンを有するキバナと映画を見にいくなど、自分からパパラッチの波に飛び込むのと同じだ。今更ながら大丈夫なのかと不安を覚えるも、キバナは着々とスケジュールを空けている。
あくまでアドバイザーという立場だと自分に言い訳し、何かあればアドバイザーとして堂々と身分を証明しようと対策を考えていた。
「じゃあ……再来週で大丈夫か?パトロールも入っちまって、余裕があるのはその頃なんだが」
「だ、大丈夫です!無理なく積み重ねるのが訓練なので!」
「ああ、リネアの言う通りだな。ちなみにどんな映画か知ってるのか?」
キバナの問いかけに喜んで返事をする。30年前の映画だが後の映画に多大な影響を与えた演出……とくに音響の面で今も人気を博している。あらすじは荒野にある小さな村にマフィアがやってきて村の自衛官たちと対決をするアクション映画だ。
「私が聞いてきた中でかなりこだわった音を作り込んでいるんです。どうやったらあんなにリアルにできるんだろうって、おじいちゃんと一緒に“音探し”にいったこともあるんです!」
「へぇ〜、いいな、その“音探し”ってやつ」
「はい!すごく楽しいんです。意外と関係なさそうな物が使われていたりして……パンフレットに音の正体が載っているので、そこで答え合わせもできるんですよ」
キバナは楽しそうに話すリネアをじっと見つめる。リネアの祖父も同じ気持ちだったのだろうか。
「キバナさん?どうかしました?」
「ああ、なんていうか……リネアのお爺さんは厳しいって聞いていたからギャップに驚いただけだ」
目が見えなくとも世界を知る術はある。逆に目では見えないものもあるのだろう。リネアの耳にはいくつもの輝きが聞こえているに違いない。それを少し羨ましく思う。
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リネアは恥ずかしい格好はできないと思い、思い切って母に連絡をした。雇っている人と用事があって出掛けるがどんな服がいいか、と。母はスマホロトム越しにあらあらとにこやかに笑う。相手がキバナと知っているためか親身に相談に乗ってくれた。
その甲斐あって、今日はリブ生地のワンピースにジャケットを着ている。いつもポニーテールの髪は二つに分けて緩く結ぶ。定期的にサーナイトに「大丈夫かな?シワになってない?」と確認する。いい返事をするがいつもと違う格好にリネアは落ち着かない。普段人の目など気にしても仕方がないと思っているのにこういう時だけ気になってしまう。
「変じゃないかなぁ…リボン縦向きになってない?ちゃんとしてる?」
「ちゃんと結べてるぜ」
「ひぉあ!?」
背後からキバナの声。文字通りリネアが驚いて飛び上がるとキバナは面白そうに笑っていた。
「ははは!悪い!びっくりさせたな!」
「ふぅ、ふい……!ふいうち……!」
「珍しく足音で気づかないなと思ってたんだが、緊張してたのか」
キバナの声はいつもと同じ。リネアにはキバナがどういう格好をしているのかわからない。緊張しているのは自分だけと知り顔を真っ赤にさせた。
布が擦れる音。リネアはキバナが屈んだとわかる。影がかかり、皮膚の体感温度に差が生まれる。
「ん、ちゃんとオシャレしてくれて嬉しい。ありがとうな」
髪のリボンを指先で軽くつついた。その感触が伝わりリネアは珍しく無言を貫く。
「じゃあ行こうぜ、映画館」
「は、はい」
いつも通り、歩くキバナの裾を掴むがすぐ手を離した。というのもただ驚いた。触ったことのない布の感触。滑らかで艶があり、生地の目が全て揃えられた上質なもの。
「どうした?」
「し、シワになると、いけないと思って」
「すげぇ、今の一瞬で生地がわかったのか?」
「映画館までの道のりはスマホロトムに案内してもらいますから、先に行ってください!私は大丈夫です」
だがキバナはゆっくり手を取って、それでも裾を握らせた。
「これはシワにならねぇから大丈夫。それにいつも裾摘んでるだろ?少しでも手触りが良いのを選んできたんだ」
ぎゅっと握らせる。リネアは初めての感覚とキバナの気遣いに言葉を詰まらせた。ずっと心臓が強い鼓動生んでいる。リネアの溢れる感情に名前があることを知らない。
「色は暗い赤で……あっ、色って、わかるか?」
「は、はい……すこし」
「ワインレッドって言われる色なんだが、この生地はオレさまもお気に入りなんだ」
リネアは下唇を噛んでつぶやいた。
「……こんなに、目が見えないことを悔やんだことはありません」
今度はキバナが飛び上がった。何か不快なことを言ってしまっただろうか、やはり驚かせたのがまずかったか、グルグルと考えてリネアの前にしゃがむ。
「わ、悪い、そんな顔させるつもりじゃなかった」
考えながらもリネアの涙をどうしようかと考える。触れていいのかさえ分からない。キバナはリネアとの距離感を掴めずにいた。
「いえ、違うんです。キバナさんがどんな格好をしているのか、知りたくなったんですっ」
自分で必死に涙を拭う姿はどこか痛ましい。
「今までいろんな優しい人に恵まれてきました。けど、初めて……握らせてくれる服に気を配ってくれて、嬉しいのに、悔しくなってしまったんです」
リネアが持つハンカチは涙で色を濃くしている。
「ごめんなさい、急に変なことを言って。もう大丈夫です」
必死に切り替えようとする聡明さに胸を打たれるも、キバナにとって些細な気遣いがリネアの強い感情を呼び起こしたのならば責任を持たなくてはならない。そう思い手を包み込んだ。
「オレもうまく言えないが、こういうことで喜んでくれるならオレも嬉しい。けどリネアの悔しさに軽い気持ちで同調はできない。それは、ごめんな」
「い、いいえ!ちょっと緊張しておかしな考えをしてしまっただけだと思います!」
そうは言ってもリネアの人生は苦難に満ちていたはずだ。色が分かるということはある程度視力があったことを意味する。視力がなくなることの恐怖、辛さ。子どもが直面するにはあまりにも残酷だ。
「本当に腐らずここまでやれるのはすげぇよ。だからリネアのこともっと教えてくれないか。オレもリネアに伝えたいことがたくさんある」
泣いたり照れたり、今日のリネアは忙しい。特に今は耳まで真っ赤だ。
「ふ、ふつつかものですが……?」
キバナは吹き出した。そしてリネアの頭を撫でる。
「そりゃ意味が違うだろ!」
笑いながらキバナは改めて裾を握らせた。リネアは指先で生地を擦らせ、感触を確かめる。キバナと共に歩くにつれ、自然と疑問が膨れ上がっていった。
キバナはどういう格好をしているんだろう。顔の形、耳の形は?男性なので首も太いのだろう。手が大きいし腕もきっと両手で握っても回らないかもしれない。そういえば足の大きさは?歩幅は?
キバナの足音に耳を傾けながら街路樹を進む。
108分間の映画を見終わり、カフェでリネアは質問する。
「私いつもおじいちゃんに聞いてもはぐらかされて明確に答えてくれないんですが……マフィアたちが飲食店に入るシーン、あの部分ずっと足音が聞こえているのにどうして扉が開く音がするんですか?」
キバナは先ほど見た映画の記憶を遡る。家でも目隠しした状態で見なければならないためしっかり注意深く見ていたのだ。
「たぶんそれは酒場のことだな。ああいうアクションのことを西部劇って言って、大抵は酒場があるんだ」
「なるほど、だから瓶が割れる音がたくさんあるんですね」
「そうそう、それに西部劇の酒場のお決まりのパターンは、扉の上下が吹き抜けになってる」
「それは、どういう……」
口で説明するのも難しいため、カフェのテーブルに置かれたシートを2枚抜き、酒場の扉を擬似再現する。丁寧に畳んでリネアに触らせた。
「この正方形の扉が入り口の中央にある。だから外の音が室内にも聞こえてたんだ」
「なるほど!そういうものだったんですね!」
それじゃあ次は……と続けて質問をする。しかし質問を経てリネアが音をどう判断しているか、そのヒントを教えてくれているようだ。
質問にできる限り答えていくとリネアはすっきりしたようだ。長年気になっていたことが解消され清々しいだろう。
「ありがとうございます。私、本もまともに読めないからいろいろ教えてくれてとても嬉しいです」
「この程度なんてことないぜ。さて、オレさまは映画の音響で特訓ってわけだな」
「はい、でもよければこれを」
バッグから取り出したのは先ほどみたDVD。しかもかなり豪華なもので立体音響付きだった。
「いいのか?かなりレアものみたいだが」
「いえ、むしろ聞いてほしいんです!語れる人が増えて私も嬉しいですし!」
以前言っていた通り、映画史の音響の部分で名作とされているため立体音響化されたようだ。リネアは訓練の入門編としては最適であるとも太鼓判を押す。
「分からないこととか、是非連絡してください。何分何秒まで言ってくれたら解説もできますから」
「熱意すげぇ……」
ともあれエコーロケーションの入り口にようやく立てたのだ。少しでも身につけばバトルでも判断の一助になるに違いない。耳だけのリネアの察知能力が、目のあるキバナに備わればダンデとチャンピオンに大きく近づくだろう。
「でも、今日はリバイバル上映に付き合ってくださりありがとうございました」
「オレさまも楽しかったぜ。けど、このまま帰すのも良くないよなぁ〜」
「へ?」
今のキバナはきっと悪い顔をしているのだろう。キバナはわるだくみをする子どものように言う。
「カフェの前にバトルコートがある。オレらでダブルバトル仕掛けようぜ」
「えっ!い、いいんですか?」
「よし決まり!」
カフェを出て突き当たりに向かって歩くと白熱したバトルの音が聞こえる。リネアはつい杖の鈴を鳴らして現状を把握した。
「ヨクバリスとマッスグマのバトルですね!ヨクバリスが優勢で今<いかりのまえば>を放ったと思います!」
「その通り。オレさまとリネア、一体ずつ出してダブルバトル、戦術はどうする?」
「キバナさんとダブル!楽しみ!えっと、えっと、じゃあやっぱりオンバーン……」
そう言ったのに飛び出したのはゴルバットだ。リネアの頭にかじりついて反抗している。
「ちょっと!ゴルバット!」
「ははは!いいぜ、ゴルバット、一緒にバトルだ」
「もう〜……キバナさんはどの子出しますか?」
「オレさまはヌメルゴン」
キバナのヌメルゴンの特性は「そうしょく」だ。リネアが気づいた表情をすると嬉しそうに笑う。
「いっちょかましてやろうぜ、オレたちのデビュー戦だ」
「はいっ」
何気ない休日。いつも練習で使われるバトルコートにナックルシティのキバナが現れるなど誰も予想できなかった。しかも連れている少女とタッグを組んでダブルバトルをするという。
貴重な機会に皆名乗りをあげるがポケモンの体力も考えて2戦が限度だろう。トレーナー4名が二組に分かれる。
「相手が作戦会議してる間、写真撮ろうぜ」
「ええっ、私も!?」
「ゴルバットとヌメルゴンもだ!ロトム頑張って撮ってくれよ〜」
一先ずキバナと言えばドラゴンポーズが有名ときく。リネアはそれとなくポーズをするとシャッター音が聞こえた。
「うんうん、よく撮れてる。後でリネアにも送るからな!お爺さんに送ってもいいぜ」
「あ、ありがとうございます!きっとおじいちゃん喜びます」
すると相手の準備は終わったようだ。バトルが始まる。胸の高鳴りを鎮めようとリネアは深呼吸した。
「ああ、ドキドキします」
「だな!楽しめよ!」
リネアはゴルバットを、キバナはヌメルゴンを出した。鈴を鳴らして環境確認に入る。
相手もポケモンを出した。
「へぇ!ジャランゴとシンボラーか!さてはオレさまのすなあらしを警戒したな?」
キバナがポケモンの名前を口にすることでリネアのサポートに入る。
そして審判が宣言を始めた。
「先攻、ジンテツ、フィオ。後攻、キバナ、リネア。ダブルバトル────開始!」
「ジャランゴ、ゴルバットに<ドラゴンクロー>!」
「シンボラー、同じく<ねんりき>!」
やはりゴルバットを先に落とす狙いだ。リネアは叫ぶ。
「耐えます!ゴルバット!いけるね!」
今回ゴルバットは元よりサポート。キバナは不敵に笑う。
「サンキュー!ヌメルゴン、シンボラーに<かみなり>!」
弱点を明確に突く攻撃。ゴルバットが攻撃を耐え抜いた直後にシンボラーに命中した。シンボラーは戦闘不能となるがリネアは“戦闘不能になったことを見越し“てゴルバットに向かって声を張り上げる。
「ゴルバット!ヌメルゴンに向かって<ギガドレイン>!」
ヌメルゴンの「そうしょく」はくさタイプの攻撃を無効にした上で自身の攻撃力をあげる。キバナのバトルでは相手にくさタイプの技を打たせて成り立つが、ヌメルゴンの特性は有名だ。だからこそ火力のないゴルバットの穴を埋めるためにヌメルゴンの火力を底上げする。
1ターンをすぎれば純粋なすばやさ勝負となる。
「決めろ!<なみのり>!」
ジャランゴに波が襲いかかる。攻撃力があがったヌメルゴンの<なみのり>は強烈だ。これでもまだ立ち上がるのならゴルバットが次の行動を起こせる。
リネアが鈴を鳴らす。すると審判が結果を告げた。
「ジャランゴ、シンボラー戦闘不能!キバナ、リネアの勝利!」
リネアはすぐゴルバットを迎えにいく。
「よく耐えたねゴルバット!!」
いつもの声でゴルバットも喜び翼でリネアに抱きついた。ゴルバットは一説によると体重55キロもあるらしい。リネアは当然、地面に伏せることになる。
「ゴルバット!リネアが埋もれる!ちょっと離れようぜ!!」
キバナが必死に引き剥がすと、ゴルバットは白い光に身を包んだ。誰もが目を見張る。ゴルバットは今の勝利で進化を始めるのだ。
「え?ゴルバット?なんだかすごく明るいけど…」
「リネア!進化だ!」
「はい!?」
眩しい光が卵のようにゴルバットを覆い、そして姿を変えた。ゴルバットよりも大きな体躯に翼は4枚に増えた。
「く、クロバットに、進化した」
キバナが呟くと観客が歓声を上げた。リネアは両手でクロバットに触れる。丸みがあるフォルムと耳はゴルバットの時より長くなった。
「ありがとうクロバット!」
リネアがクロバットに抱きつくと一つ鳴いて嬉しそうに翼を高速で動かす。
「ちょっ、ちょっと待て!飛ぶなクロバット!」
嬉しさのあまりリネアが抱きついたまま飛び立とうとしていたのでキバナが阻止する。この時ほど背が高くて良かったと思ったことはない。キバナほどの高身長でなければ今頃クロバットとリネアは大空に羽ばたいていただろう。
「とにかく、おめでとうクロバット、リネア」
「はい!ありがとうございます!」
「と言うわけで、次も出なきゃ損だよな、クロバット!」
クロバットはキバナと気が合うらしい。リネアは「私に懐いてるのに」と言って少し拗ねていたが風を切るクロバットの翼の音を聴いて誇らしい笑顔を浮かべていた。
