棘≠針
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「ヒーロー引退しようと思うんだけど」
ぼそりと、薄い唇が世間話のように言った。
豊満太志郎はその言葉の意味が分からず一拍置いて叫んだ。
「はああっ!?」
「何?意外?」
「や、意外っちゅーか…!」
電子タバコをふかすがニコチンは含まれていない。
メントールのすっきりとした匂いがあたりに広がっていた。
発言の主、月笛麗は夜の街をぼんやりと窓から眺めてはため息のように煙を吐く。
「だって…俺ら、薬物取締とかで結構いいコンビっちゅーかさぁ
……麗もヒーロー活動が軌道に乗ってええとこやのに」
「学生の頃、覚えてる?」
「何を?」
「ヒーロー志願の理由」
ヒーロー科に入学したばかりの生徒たちはクラス全体に自己紹介をする。
それぞれ熱い想いを胸に秘めて意気揚々と発言するのだが麗だけは違っていた。
太志郎もはっと思い出す。
『金のためにこの学科に来ました
ヒーローになってもっと稼ぐのが夢です』
不評、嫌悪、その他諸々の意見を投げられたのはいうまでもない。
それでも同じ学校生活を送っていれば麗の人となり、人生、思考はたったの2行だけでは収まらない事くらい分かっていた。
だからこそ、太志郎はひどく驚いた。
そしてここまで麗が築き上げた実績を勿体ないと嘆いた。
「まぁ…麗が引退を決めた理由は色々あるんやろうけど
俺は最後まで止めるで
同期で、頭のキレる良いヒーローや」
「そう………
じゃあね…太志郎
また明日も、よろしく」
「おん」
羽織りを翻して事務所から出る。
下駄の軽い音が遠ざかり、ファットガムは思わずため息をもらした。
ふわりと軽やかな匂いがまだ残っていて、やっぱりもう少しこの場に引き留めておくべきだったか、などと考え込む。
豊満太志郎ことファットガムと、月笛麗こと白蛇丸が薬物取締に手を組んだのは簡単だ。
単純に白蛇丸が薬物関係の情報網を持っていたからだ。
薬物と裏社会は切ってもきれない縁がある。
つまり白蛇丸は裏社会の人間であると示唆しているも当然だ。
だがファットガムはそんなことは気にしていない。
利害関係が一致しているから、というよりは同じ学舎で過ごした同期であり、白蛇丸の意思を汲み取っているからだ。
現にヒーローとして活動し、若年層に根強い人気が出てきたため、ファットガムは我ごとのように嬉しく思っていた。
それが突然引退を考えているなどと。
街で暴れ、個性を見せつける輩を取り押さえて警察に引き渡す。
もわり、と視界に煙が映った。
「おお、白蛇丸ちゃん」
「ちゃん付けやめて
部下が張り込んでたところには売人は来なかったっぽい
この騒ぎで移動したかな」
「はぁ…しゃーなし…むしろ今までが上手く行きすぎてたんやな
もっかい洗い直すか」
「さてね…
私は自分のエリアを見て回る
それに今日は用事もあって」
「へぇ、珍しいもんやな」
スーツを着込んだ部下が両脇に立ち、街の中を歩く。
和服を好む白蛇丸の出で立ちは極道そのものだが出身といい白蛇丸の強みといいだいたい当てはまっているので否定できない。
「わ、極道ヒーロー…」
「麻薬してたって噂じゃん、大丈夫なわけ?」
根も葉もない噂だが火がないところに煙は立たない。
遠ざかる白蛇丸の背中を見て、ファットガムもまたパトロールに戻った。
白蛇丸とつるみ始めたのは入学してからそう日は経っていない。
あの強烈な金の亡者宣言をしたのは、あえて振るいにかけたのではないかと今になって思う。
月笛麗、という名前は若者、とりわけ女性であれば知っている人間は多い。
それまでモデルをしており、顔立ちの良さ、クールさもあいあまって人気を博していた。
しかし急に姿を消したと思えばヒーロー科に入学。
その突拍子もない行動が異常であると分かったのはごく一部だ。
手首に纏わり付くトゲ。
それを手で外してはプラスチックの容器にいつも入れている。
『なぁ、やっぱトゲって刺さったら痛いん?』
『……そりゃあね』
一瞬驚いた顔をして、すぐ無表情に。
『それ、自分でコントロールできへんの?』
『出来ていたら苦労しないよ』
モデルをしていたときは少なくとも針の類は無かった。
だがその頃は身体中、針が生まれては自分で取り、他者を傷つけないよう自衛しているようにしか見えなかった。
『大変なんやなぁ…あ、でも俺はヘーキやで
なんてったって脂肪吸着やからな
トゲも刺さらへん』
『……そう、なんだ』
麗は、針が沢山詰まった容器をぎゅっと握りしめていた。
それからだったか、顔を合わせば挨拶する程度から膝を突き合わす仲になり、十分友達と呼べる存在になった。
衝突してケンカすることもなく、円満で良好な関係だった。
それこそ付き合っている、などと揶揄されるほどには。
しかしそれも卒業までだった。
互いに別のヒーローとバディを組んだり、逆に白蛇丸は馬が合わず結局早期に独立して
遠くからファットガムも心配していたが連絡を取ることはできなかった。
むしろ白蛇丸が避けていたのではないかと思うほど、連絡先がコロコロと変わっていったのだ。
ようやくまともに連絡を取り合うようになったのは数ヶ月前だ。
薬物取締に協力していると知ったのか、急に事務所にやってきた。
『な、え!?麗!!』
『白蛇丸、ヒーロー名』
『あ、すまんすまん!
やー、でも久しぶりやんな!!
元気しとったか!?
えらいべっぴんになったなぁ!』
茶封筒を急に突きつけた。
『興味があると思ったから、持ってきた
要らなかったら壊して』
『え?』
『じゃあね、私もこれから仕事なんだ』
颯爽と、軽い下駄の音を立てて去っていく姿に唖然とした。
ともあれ中を見ればUSBメモリがあり、データを開くとファットガムが喉から手が出るほど欲しかった薬物の首謀者や関連者リストだった。
何故このデータが手に入ったのか
どうやって集めたのか
それを問いたださないわけにはいかなかった。
ヒーローとしてではなく、友人として。
会う約束をしたうえで、膝を突き合わせて麗の話を聞きたかった。
『データ、おおきにな』
木漏れ日から生まれたような涼しげな顔立ち。
光に当たれば単純に輝いていて、着物を着こなす麗はいくら歳をとっても綺麗だった。
それこそ見惚れるほどに。
そして電子タバコをふかしてみせた。
タバコ特有の匂いがしないため不思議に思ったが、麗はニコチンが嫌いなので、カートリッジだけをつけているのだとか。
それでも煙を吸うのは職業病らしい。
『太志郎の役に立ったなら、それはよかった』
『…そんでな
聞きたいことがあんねん』
『何?』
『警察の情報網でも、手に入れられなかったアレは
どうやって調べたん』
麗は電子タバコを懐に入れて、それから少しの間無言だった。
そうして絞り出すようにゆっくり言う。
『私はね、もともとそういう家の生まれだから
今はとっくに警察から取り潰しされてるけど
唯一の跡取りだった私を慕う舎弟を使って情報網を作った
舎弟の足を洗わせて、更生させるためにもね』
『そう、やったんか』
『太志郎がそっちの取締をしてるって聞いたから…
ああ、偶然だなって……
……信用できない?』
『そういう意味やない
そうやないけど』
麗は自分の腕を掴む。
俯いて表情は見えなかった。
『じゃあ………失望した?』
初めて感情の吐露を聞いた。
卒業してから、久々に会ってようやく長年の本音を知ることができたような気がした。
『んなこと…』
『太志郎には………失望されたく、なかった
だから…言えなかった
騙してたわけじゃ、ないんだよ』
小さくなる背中をさすって、ずっと不安を抱えていた身に寄り添った。
『麗、大丈夫、大丈夫やで』
今までの麗の在り方がすべて紐解かれた。
唯一信頼して打ち明けてくれたのであればそれに応えるべきだ。
初めて見る麗の涙に、太志郎までも涙した。
「それなのになぁ〜」
ぐったりとして、引退の話を思い出していた。
やはりまだ何か隠しているのだろうか。
それだけならいいが、麗のことなのでもっと打ち明けられない何かがあるのではないかと深く考えてしまった。
「いんや、俺らしくあらへん!」
ともあれ今はまだヒーローという存在であり、これからのことを考えていても仕方がない。
思考を切り替えて、明日乗り込む薬物組織の情報を頭に叩き込んだ。
白蛇丸は一足先に組織の位置どりをしているようだ。
なにせ今回の取締は一人でも逃せば組織は離散。
その離散先で新たな組織を作ることだって考えられる。
質の悪いプラナリアだ。
何よりこの組織は薬の製造方法を考案した。
これ以上の被害拡大を防ぐためにも今回の作戦は必ず成功させなければならない。
『白蛇丸、突入開始するよ』
無線から合図が聞こえる。
ブーツに履き替えた白蛇丸は何事もないかのように正面から入る。
正面の大きな扉の前でタバコをくわえる男たちは白蛇丸を見てギョッとした。
「白蛇丸…!?」
「極道女ヒーローじゃねえか!」
「やあ、どうも」
白蛇丸も電子タバコを吸い、そしてはいた。
「少し聞きたいことがあって…
この通りを真っ直ぐ行けば、県境になるのかな?」
「は?」
「聞きたいことがあるって言ったでしょう」
「あ、ああそうだよ…」
「具体的に地図で示してほしいんだけど…」
ばさりと薄暗い中紙を開く。
男たちはそれを覗くと、目を見開いた。
「お、おま…」
「……君はこのリストの中に名前があるかな?」
「あ、あぁ…?」
男たちは膝が崩れて倒れる。
「大丈夫、神経毒だから
3日たてば歩けるようになるよ」
男たちの肩にポンと慰めるように手を置いた。
そのまま扉を開けると中には薬を箱詰め作業している姿が。
「ファット、後ろからせめて」
通信を流して大規模な戦闘が始まった。
白蛇丸の煙と同時に作業員は無効化する。
急ぐ様子もなく、ただ歩きながら人間が倒れていく様は得体のしれない何かを発していると思うだろう。
煙を見せつけるようにはくと、勝てないと思ったものから逃げていく。
それをファットガムが次次に、金魚すくいのように捕らえていった。
「煙の個性ならガスマスクつけてりゃ楽勝じゃねぇか!」
強個性のヴィランが自前の武器と凶器を持って白蛇丸へとびかかる。
馬鹿正直にガスマスクを着けている姿を見て思わず苦笑する。
「何笑ってんだよ!」
しかし先頭に立つ人間から次々に膝をつく。
自由に動かない体に目を見張り、そして横を通り過ぎていく白蛇丸を恨めしそうに睨んだ。
「ファットのほうに行けば優しく捕まえてくれたのに」
電子タバコを懐に入れて、ヴィランたちをいなす。
次々と躱す身のこなしもそうだが、ただ横を通り過ぎただけで波のように倒れる。
得体のしれない個性に戦意が次第に失われていった。
挟み撃ちをする形で二人のヒーローは拠点を攻めていた。
中央ではちあうのは道理だ。
「白蛇丸!相変わらず煙だらけやなぁ」
「視界が悪いわけじゃなし
臭いわけじゃなし」
すう、と吸って、はきだす。
「そっちは終わった?」
無線で部下に呼びかける。
部下に作業員の回収をさせていたようだ。
問題ない、との報告に胸をなでおろした。
「ご苦労様。
そのまま警察に引き渡して任務完了」
『了解』
ファットガム側もすでに引き渡しが進んでおり現場保存と薬物採取も開始されていた。
「これでひと段落やなぁ」
「……。」
それでも白蛇丸は浮かない表情だ。
というかいつも無表情なのだが、ファットガムにとってはそれは浮かない顔に見えていた。
「なぁ、白蛇丸…」
一言声をかけようとしたところ、後方でぎゃあぎゃあと叫ぶ声がする。
暴れる余力を残した者がいたのかと二人は同時に駆け出す。
現場に向かうと結局取り押さえられあらがうように叫んでいただけだったのだが、それがどうにもおかしい。
薬物を吸った影響にしては思考は定まっているように見えた。
「皆神の思し召しなのだ!!そうだ!!皆神を信じないから天罰が下るのだ!!
神はすぐそこにいるのに!!」
白蛇丸も肩をすくめる。
少し眠らせた方がいいと男のそばに寄る。
「君、寝た方がいい」
膝をつき、肩に手を置こうとした瞬間。
取り押さえられていた男の口から刃が飛び出た。
白蛇丸の首を抜けてそれは飛ぶ。
だが白蛇丸は引かず男の頭を地面に叩きつけて眠らせた。
「はっ、はぁっ、」
「白蛇丸!!」
首からは血が出ていた。
否、出る、というよりはあふれている、と表現するのが正しい。
着物が赤く染まった。
「く、そ
動脈」
「しゃべるな!」
警官が傷を抑える布を当てようとするが手で制す。
「針、」
茶を薄めたような針が白蛇丸の首から飛び出ている。
警官は顔が青くなるがファットは遠慮なくそれを折る。
「針で刃物の軌道変えたんか
よう反応するわ」
首をタオルで抑える。
騒ぎを聞きつけた一部の部下が白蛇丸の血をみて本人より大慌てだった。
救急車に運ばれる間もお嬢お嬢とまるで危篤のような声を出すものだからファットガムでさえ苦笑いだ。
動脈は切れ、派手に血は出たがさほど重傷というものでもなかった。
数週間すれば縫合する糸も抜けるとのこと。
首に分厚く巻かれた包帯を見て、首輪のようだとぼんやり考えこむ。
医者が病室から出ると入れ替わるようにファットガムがやってきた。
大きさが違いすぎて部屋が途端に小さくなったように感じる。
「大丈夫か?いたないか?」
「帰ってなかったんだ」
「そら目の前でケガしたんやったら知らんふりできへんやろ」
「……そう」
「舎弟くんたちは?」
「病院の迷惑になるから帰らせた
どうせ明日には退院だし」
ゆっくりと瞬きし、天井を眺める。
そんな白蛇丸の前髪をファットガムは分けた。
「え?」
「いや、麗の顔みえへんから」
「………………意味わかんない、見ないで」
「えぇ~…」
スッと通った鼻筋、長い睫毛と伏せがちの目。
白い肌は陶器のようだった。
「いやぁ~顔が良いってこういうことなんやなぁって思うわ」
「早く帰れば?
もう一回言うけど、早く帰れば」
「2回も言われた……」
約3メートルの男がしゅんとしているのはなかなかに面白い。
しかし、それよりも麗自身、くすぐったい自分の感情をどうにかしたくてトゲのような発言を繰り返していた。
「あ、でもな、麗」
愛嬌のある顔が安心させるようににこりと笑顔を作る。
「俺は麗の味方やからな
なんかあったらちゃんと頼るんやで」
ほんのり、麗の頬が紅潮する。
個性のせいか、感情の起伏もさほど強くなければそれが顔に出ることなどほとんどない。
そんな麗の顔が赤くなるのは太志郎にとっても初めてで、その後の言葉が煙のように消えた。
「あっ、赤くなっとる~!」
「早く帰れバカ!」
小学生じみた言葉しか出せずに逃げるように病室を出た。
ぼそりと、薄い唇が世間話のように言った。
豊満太志郎はその言葉の意味が分からず一拍置いて叫んだ。
「はああっ!?」
「何?意外?」
「や、意外っちゅーか…!」
電子タバコをふかすがニコチンは含まれていない。
メントールのすっきりとした匂いがあたりに広がっていた。
発言の主、月笛麗は夜の街をぼんやりと窓から眺めてはため息のように煙を吐く。
「だって…俺ら、薬物取締とかで結構いいコンビっちゅーかさぁ
……麗もヒーロー活動が軌道に乗ってええとこやのに」
「学生の頃、覚えてる?」
「何を?」
「ヒーロー志願の理由」
ヒーロー科に入学したばかりの生徒たちはクラス全体に自己紹介をする。
それぞれ熱い想いを胸に秘めて意気揚々と発言するのだが麗だけは違っていた。
太志郎もはっと思い出す。
『金のためにこの学科に来ました
ヒーローになってもっと稼ぐのが夢です』
不評、嫌悪、その他諸々の意見を投げられたのはいうまでもない。
それでも同じ学校生活を送っていれば麗の人となり、人生、思考はたったの2行だけでは収まらない事くらい分かっていた。
だからこそ、太志郎はひどく驚いた。
そしてここまで麗が築き上げた実績を勿体ないと嘆いた。
「まぁ…麗が引退を決めた理由は色々あるんやろうけど
俺は最後まで止めるで
同期で、頭のキレる良いヒーローや」
「そう………
じゃあね…太志郎
また明日も、よろしく」
「おん」
羽織りを翻して事務所から出る。
下駄の軽い音が遠ざかり、ファットガムは思わずため息をもらした。
ふわりと軽やかな匂いがまだ残っていて、やっぱりもう少しこの場に引き留めておくべきだったか、などと考え込む。
豊満太志郎ことファットガムと、月笛麗こと白蛇丸が薬物取締に手を組んだのは簡単だ。
単純に白蛇丸が薬物関係の情報網を持っていたからだ。
薬物と裏社会は切ってもきれない縁がある。
つまり白蛇丸は裏社会の人間であると示唆しているも当然だ。
だがファットガムはそんなことは気にしていない。
利害関係が一致しているから、というよりは同じ学舎で過ごした同期であり、白蛇丸の意思を汲み取っているからだ。
現にヒーローとして活動し、若年層に根強い人気が出てきたため、ファットガムは我ごとのように嬉しく思っていた。
それが突然引退を考えているなどと。
街で暴れ、個性を見せつける輩を取り押さえて警察に引き渡す。
もわり、と視界に煙が映った。
「おお、白蛇丸ちゃん」
「ちゃん付けやめて
部下が張り込んでたところには売人は来なかったっぽい
この騒ぎで移動したかな」
「はぁ…しゃーなし…むしろ今までが上手く行きすぎてたんやな
もっかい洗い直すか」
「さてね…
私は自分のエリアを見て回る
それに今日は用事もあって」
「へぇ、珍しいもんやな」
スーツを着込んだ部下が両脇に立ち、街の中を歩く。
和服を好む白蛇丸の出で立ちは極道そのものだが出身といい白蛇丸の強みといいだいたい当てはまっているので否定できない。
「わ、極道ヒーロー…」
「麻薬してたって噂じゃん、大丈夫なわけ?」
根も葉もない噂だが火がないところに煙は立たない。
遠ざかる白蛇丸の背中を見て、ファットガムもまたパトロールに戻った。
白蛇丸とつるみ始めたのは入学してからそう日は経っていない。
あの強烈な金の亡者宣言をしたのは、あえて振るいにかけたのではないかと今になって思う。
月笛麗、という名前は若者、とりわけ女性であれば知っている人間は多い。
それまでモデルをしており、顔立ちの良さ、クールさもあいあまって人気を博していた。
しかし急に姿を消したと思えばヒーロー科に入学。
その突拍子もない行動が異常であると分かったのはごく一部だ。
手首に纏わり付くトゲ。
それを手で外してはプラスチックの容器にいつも入れている。
『なぁ、やっぱトゲって刺さったら痛いん?』
『……そりゃあね』
一瞬驚いた顔をして、すぐ無表情に。
『それ、自分でコントロールできへんの?』
『出来ていたら苦労しないよ』
モデルをしていたときは少なくとも針の類は無かった。
だがその頃は身体中、針が生まれては自分で取り、他者を傷つけないよう自衛しているようにしか見えなかった。
『大変なんやなぁ…あ、でも俺はヘーキやで
なんてったって脂肪吸着やからな
トゲも刺さらへん』
『……そう、なんだ』
麗は、針が沢山詰まった容器をぎゅっと握りしめていた。
それからだったか、顔を合わせば挨拶する程度から膝を突き合わす仲になり、十分友達と呼べる存在になった。
衝突してケンカすることもなく、円満で良好な関係だった。
それこそ付き合っている、などと揶揄されるほどには。
しかしそれも卒業までだった。
互いに別のヒーローとバディを組んだり、逆に白蛇丸は馬が合わず結局早期に独立して
遠くからファットガムも心配していたが連絡を取ることはできなかった。
むしろ白蛇丸が避けていたのではないかと思うほど、連絡先がコロコロと変わっていったのだ。
ようやくまともに連絡を取り合うようになったのは数ヶ月前だ。
薬物取締に協力していると知ったのか、急に事務所にやってきた。
『な、え!?麗!!』
『白蛇丸、ヒーロー名』
『あ、すまんすまん!
やー、でも久しぶりやんな!!
元気しとったか!?
えらいべっぴんになったなぁ!』
茶封筒を急に突きつけた。
『興味があると思ったから、持ってきた
要らなかったら壊して』
『え?』
『じゃあね、私もこれから仕事なんだ』
颯爽と、軽い下駄の音を立てて去っていく姿に唖然とした。
ともあれ中を見ればUSBメモリがあり、データを開くとファットガムが喉から手が出るほど欲しかった薬物の首謀者や関連者リストだった。
何故このデータが手に入ったのか
どうやって集めたのか
それを問いたださないわけにはいかなかった。
ヒーローとしてではなく、友人として。
会う約束をしたうえで、膝を突き合わせて麗の話を聞きたかった。
『データ、おおきにな』
木漏れ日から生まれたような涼しげな顔立ち。
光に当たれば単純に輝いていて、着物を着こなす麗はいくら歳をとっても綺麗だった。
それこそ見惚れるほどに。
そして電子タバコをふかしてみせた。
タバコ特有の匂いがしないため不思議に思ったが、麗はニコチンが嫌いなので、カートリッジだけをつけているのだとか。
それでも煙を吸うのは職業病らしい。
『太志郎の役に立ったなら、それはよかった』
『…そんでな
聞きたいことがあんねん』
『何?』
『警察の情報網でも、手に入れられなかったアレは
どうやって調べたん』
麗は電子タバコを懐に入れて、それから少しの間無言だった。
そうして絞り出すようにゆっくり言う。
『私はね、もともとそういう家の生まれだから
今はとっくに警察から取り潰しされてるけど
唯一の跡取りだった私を慕う舎弟を使って情報網を作った
舎弟の足を洗わせて、更生させるためにもね』
『そう、やったんか』
『太志郎がそっちの取締をしてるって聞いたから…
ああ、偶然だなって……
……信用できない?』
『そういう意味やない
そうやないけど』
麗は自分の腕を掴む。
俯いて表情は見えなかった。
『じゃあ………失望した?』
初めて感情の吐露を聞いた。
卒業してから、久々に会ってようやく長年の本音を知ることができたような気がした。
『んなこと…』
『太志郎には………失望されたく、なかった
だから…言えなかった
騙してたわけじゃ、ないんだよ』
小さくなる背中をさすって、ずっと不安を抱えていた身に寄り添った。
『麗、大丈夫、大丈夫やで』
今までの麗の在り方がすべて紐解かれた。
唯一信頼して打ち明けてくれたのであればそれに応えるべきだ。
初めて見る麗の涙に、太志郎までも涙した。
「それなのになぁ〜」
ぐったりとして、引退の話を思い出していた。
やはりまだ何か隠しているのだろうか。
それだけならいいが、麗のことなのでもっと打ち明けられない何かがあるのではないかと深く考えてしまった。
「いんや、俺らしくあらへん!」
ともあれ今はまだヒーローという存在であり、これからのことを考えていても仕方がない。
思考を切り替えて、明日乗り込む薬物組織の情報を頭に叩き込んだ。
白蛇丸は一足先に組織の位置どりをしているようだ。
なにせ今回の取締は一人でも逃せば組織は離散。
その離散先で新たな組織を作ることだって考えられる。
質の悪いプラナリアだ。
何よりこの組織は薬の製造方法を考案した。
これ以上の被害拡大を防ぐためにも今回の作戦は必ず成功させなければならない。
『白蛇丸、突入開始するよ』
無線から合図が聞こえる。
ブーツに履き替えた白蛇丸は何事もないかのように正面から入る。
正面の大きな扉の前でタバコをくわえる男たちは白蛇丸を見てギョッとした。
「白蛇丸…!?」
「極道女ヒーローじゃねえか!」
「やあ、どうも」
白蛇丸も電子タバコを吸い、そしてはいた。
「少し聞きたいことがあって…
この通りを真っ直ぐ行けば、県境になるのかな?」
「は?」
「聞きたいことがあるって言ったでしょう」
「あ、ああそうだよ…」
「具体的に地図で示してほしいんだけど…」
ばさりと薄暗い中紙を開く。
男たちはそれを覗くと、目を見開いた。
「お、おま…」
「……君はこのリストの中に名前があるかな?」
「あ、あぁ…?」
男たちは膝が崩れて倒れる。
「大丈夫、神経毒だから
3日たてば歩けるようになるよ」
男たちの肩にポンと慰めるように手を置いた。
そのまま扉を開けると中には薬を箱詰め作業している姿が。
「ファット、後ろからせめて」
通信を流して大規模な戦闘が始まった。
白蛇丸の煙と同時に作業員は無効化する。
急ぐ様子もなく、ただ歩きながら人間が倒れていく様は得体のしれない何かを発していると思うだろう。
煙を見せつけるようにはくと、勝てないと思ったものから逃げていく。
それをファットガムが次次に、金魚すくいのように捕らえていった。
「煙の個性ならガスマスクつけてりゃ楽勝じゃねぇか!」
強個性のヴィランが自前の武器と凶器を持って白蛇丸へとびかかる。
馬鹿正直にガスマスクを着けている姿を見て思わず苦笑する。
「何笑ってんだよ!」
しかし先頭に立つ人間から次々に膝をつく。
自由に動かない体に目を見張り、そして横を通り過ぎていく白蛇丸を恨めしそうに睨んだ。
「ファットのほうに行けば優しく捕まえてくれたのに」
電子タバコを懐に入れて、ヴィランたちをいなす。
次々と躱す身のこなしもそうだが、ただ横を通り過ぎただけで波のように倒れる。
得体のしれない個性に戦意が次第に失われていった。
挟み撃ちをする形で二人のヒーローは拠点を攻めていた。
中央ではちあうのは道理だ。
「白蛇丸!相変わらず煙だらけやなぁ」
「視界が悪いわけじゃなし
臭いわけじゃなし」
すう、と吸って、はきだす。
「そっちは終わった?」
無線で部下に呼びかける。
部下に作業員の回収をさせていたようだ。
問題ない、との報告に胸をなでおろした。
「ご苦労様。
そのまま警察に引き渡して任務完了」
『了解』
ファットガム側もすでに引き渡しが進んでおり現場保存と薬物採取も開始されていた。
「これでひと段落やなぁ」
「……。」
それでも白蛇丸は浮かない表情だ。
というかいつも無表情なのだが、ファットガムにとってはそれは浮かない顔に見えていた。
「なぁ、白蛇丸…」
一言声をかけようとしたところ、後方でぎゃあぎゃあと叫ぶ声がする。
暴れる余力を残した者がいたのかと二人は同時に駆け出す。
現場に向かうと結局取り押さえられあらがうように叫んでいただけだったのだが、それがどうにもおかしい。
薬物を吸った影響にしては思考は定まっているように見えた。
「皆神の思し召しなのだ!!そうだ!!皆神を信じないから天罰が下るのだ!!
神はすぐそこにいるのに!!」
白蛇丸も肩をすくめる。
少し眠らせた方がいいと男のそばに寄る。
「君、寝た方がいい」
膝をつき、肩に手を置こうとした瞬間。
取り押さえられていた男の口から刃が飛び出た。
白蛇丸の首を抜けてそれは飛ぶ。
だが白蛇丸は引かず男の頭を地面に叩きつけて眠らせた。
「はっ、はぁっ、」
「白蛇丸!!」
首からは血が出ていた。
否、出る、というよりはあふれている、と表現するのが正しい。
着物が赤く染まった。
「く、そ
動脈」
「しゃべるな!」
警官が傷を抑える布を当てようとするが手で制す。
「針、」
茶を薄めたような針が白蛇丸の首から飛び出ている。
警官は顔が青くなるがファットは遠慮なくそれを折る。
「針で刃物の軌道変えたんか
よう反応するわ」
首をタオルで抑える。
騒ぎを聞きつけた一部の部下が白蛇丸の血をみて本人より大慌てだった。
救急車に運ばれる間もお嬢お嬢とまるで危篤のような声を出すものだからファットガムでさえ苦笑いだ。
動脈は切れ、派手に血は出たがさほど重傷というものでもなかった。
数週間すれば縫合する糸も抜けるとのこと。
首に分厚く巻かれた包帯を見て、首輪のようだとぼんやり考えこむ。
医者が病室から出ると入れ替わるようにファットガムがやってきた。
大きさが違いすぎて部屋が途端に小さくなったように感じる。
「大丈夫か?いたないか?」
「帰ってなかったんだ」
「そら目の前でケガしたんやったら知らんふりできへんやろ」
「……そう」
「舎弟くんたちは?」
「病院の迷惑になるから帰らせた
どうせ明日には退院だし」
ゆっくりと瞬きし、天井を眺める。
そんな白蛇丸の前髪をファットガムは分けた。
「え?」
「いや、麗の顔みえへんから」
「………………意味わかんない、見ないで」
「えぇ~…」
スッと通った鼻筋、長い睫毛と伏せがちの目。
白い肌は陶器のようだった。
「いやぁ~顔が良いってこういうことなんやなぁって思うわ」
「早く帰れば?
もう一回言うけど、早く帰れば」
「2回も言われた……」
約3メートルの男がしゅんとしているのはなかなかに面白い。
しかし、それよりも麗自身、くすぐったい自分の感情をどうにかしたくてトゲのような発言を繰り返していた。
「あ、でもな、麗」
愛嬌のある顔が安心させるようににこりと笑顔を作る。
「俺は麗の味方やからな
なんかあったらちゃんと頼るんやで」
ほんのり、麗の頬が紅潮する。
個性のせいか、感情の起伏もさほど強くなければそれが顔に出ることなどほとんどない。
そんな麗の顔が赤くなるのは太志郎にとっても初めてで、その後の言葉が煙のように消えた。
「あっ、赤くなっとる~!」
「早く帰れバカ!」
小学生じみた言葉しか出せずに逃げるように病室を出た。