螺旋終に戻れず
「ここがお前の独房だ」
羅刹は判官の拘束を受けたまま幽囚獄へ連れられとうとう此処へ辿り着いた。常に黄昏時のような暗さは自分の衣服の白さえも霞んで見えた。
独房とはいえ窓もないただの一室。十畳ほどの広さに鉄の寝具と洗面台。それから随分年月を感じる鉄製の扉。ドアノブはなく手で押すとシャワーと便所が共に並んでいた。工作ができないようひどく狭い作りだがこの監獄ではマシな方だろう。
「スイレン、後はお前の仕事だ」
「はい」
屈強な幽府武弁は羅刹を独房へ入れた後代わりの看守へ引き継いだ。長い髪を雑に結んで輪のように後頭部に吊るしている。左目を隠すような長い前髪からのぞく目は視力を宿していないことが一目でわかった。
「こんにちは、今日から羅刹さんの専属看守を務めます。スイレンといいます」
「どうもよろしく」
「これから羅刹さんが起きている間、全ての時間、私が記録を取り続けます。ですので発言内容に気をつけてください」
「それはご忠告どうも」
「また、必要なものがあれば私が手配します。体調不良も教えてください。ここまでで質問はありますか?」
羅刹は首を横に振った。スイレンは淡々と説明を続ける。
「それではここでの規則を説明します。とはいっても羅刹さんはこの幽囚獄での開放時間はありません。ほとんどの時間をこの独房の中で過ごしてもらいます。ただし私の勤務時間も加味して就寝時間だけ守ってくださるようご協力をお願いします」
「はい、質問してもいいかな」
「どうぞ」
というか、スイレンを見てどうしても看守には見えない。商人として星を渡ってきた経験で、スイレンは見た目通りの年齢であると察していた。その上で、スイレンの業務は羅刹の発言・行動の記録だという。それも毎日。
「君はずっとここにいるつもりかい?」
「はい、それが私の仕事です」
「そうか…」
あっけらかんとした返事に、気にすることが野暮のような気持ちになった。
「事前にお伝えしますが、私は記録係です。プライベートはありませんが外部に漏らすことはありません。ほぼいないものと思ってください」
「それは無理があるんじゃないか?」
「次の説明に移ります」
羅刹がスイレンの存在を無視する前にスイレンが先に無視した。不自由ではあるが完全な独房。そして年下の少女が看守。少しはマシと思っていたがこれはこれで地獄のような気がした。羅刹は幽囚獄の厳しさをある意味再確認する。
「以上で終了します。私はここにいますので何かあれば声をかけてください」
スイレンはひとしきり説明を終えると独房の目の前にあるデスクに座った。そして先ほどの会話を記録し始める。旧式のタイプライターが廊下と独房に響く。羅刹はその音がいつか慣れる日が来るのだろうかと思いながら鉄の寝具に腰掛けた。
彼女を看守にしたのはおそらく景元の仕業だろう。情報を引き出すために同情しやすいスイレンという者を配置したに違いない。いや、しかしここの看守ということは十王司に属する者。仙舟同盟そのものから影響を受けない独立した機構に景元の意志は及ばないだろう。
「スイレン、と呼んでいいかな」
「はい、なんでしょう」
話している最中もタイピングを続けている。ばっちんばっちんと重たい音で声がかき消されそうだ。
「これからほとんどの時間を共に過ごすのだから敬語は外してくれないか。僕も堅苦しいのは苦手なんだ」
「……そうですか…あ、はい…ええと…」
早速混乱してタイピングの手が止まった。おかしくて気づかれないように笑う。独房の通路に面した部分は半分が細かい鉄の檻でできており、残り半分は堅い壁だ。その壁の向こうにスイレンがいる。
「じゃあ、羅刹さん、よろしく…」
「ああ、よろしく」
ジーッと音を出して紙を一枚捲る。
「それはそうと、君はこの幽囚獄でいうところの看守という役目なんだろうが…今まで見てきた仙舟人とは雰囲気が」
「ちょっと待って!」
突然制止の声。羅刹は思わず口をつぐんだ。スイレンは檻の前に立つ。
「さっき言ったよね、全部記録取らなきゃいけないの!羅刹さんのお喋りに付き合ってたら腱鞘炎になる!私に関する質問は一日一回にして!」
「わ、わかったよ」
はぁ、とスイレンは随分立腹した様子だ。先ほどと打って変わって激しく椅子を引いて座っていた。スイレンはタイプライターの音がうるさくてたまらないらしい。うるせーなぁ…とか、なんでこんなの使わなきゃいけないの…とか愚痴をこぼしていた。
「それで、私の雰囲気がどうかしたの」
「ん、ああ……気に触るなら質問を撤回するよ」
「……もしかして私が本当に仙舟人か気になってる?」
「まぁね」
記録を取った後、スイレンは口にした。
「羅刹さんってすごいね。私は羅浮生まれの短命種だよ」
「やっぱり」
「どうしてわかったの?」
「立ち振る舞いかな?具体的には表現が難しいけど経験から何となくわかったんだ」
「へぇ」
これで羅刹の今日の質問の時間は終わりだ。何をするでもなく沈黙が続いた。そう、ここには何もない。心許ない灯りと、スイレンという看守のみ。
何の意味もなく時間を過ごす。羅刹には何もない。この虚無の時間こそが第一の刑罰なのだろうと思えた。それまでが商人という話すことで利益を生む者であった故に、羅刹が感じる苦痛は人一倍だろう。
唯一の話し相手でもあるスイレンは羅刹が黙っていても仕事をしていた。行動も記録の範疇にあると言っていたのを思い出す。精神を保つための話し相手を腱鞘炎にさせて嫌われたくない。そのためにも発狂寸前までは会話を堪えようと思っていた。
監獄に入り四日目。スイレンは挨拶と共に檻につけられたポストに何かを入れた。
「おはよう羅刹さん。それは差し入れ」
羅刹はポストに真っ直ぐ向かい差し入れなる物を受け取った。重厚な表紙と重ねられた紙に、小説であることに気づいた。
「ありがとう、暇で暇で頭がおかしくなりそうだったんだ」
「や……でも、私も質問は一日一個って言ったせいで…羅刹さんの少ない自由を縛っちゃったから」
「そんなこと、……あぁ、まぁそこそこにキツかったけど、こうして本を持ってきてくれたんだ。嬉しいよ」
スイレンは遠慮がちに笑った。それからすぐ壁の向こうに隠れてしまう。だが本を通してそこにいる実感が強く湧いた。表紙を開き中表紙を見るだけで心が潤う。その後は水を飲み干すように一日中小説を読み耽った。そのせいで日暮れには身体中が痛み、眼精疲労が襲う。ばきぼきと節々が鳴る音にスイレンは顔を出した。
「大丈夫?」
「長いこと読んでしまったから体が固まってしまった」
「……電気暗いね。発注して取り替えるよ。それから鉄のベッドはあんまりだよね…注文はかけてるからもう少し我慢してね」
この三日間、ずっと壁の向こうで仕事をしていると思いきや意外とこの独房のことを見ていたらしい。スイレンの心配りに感謝しながら小説の最後の一ページをめくった。
羅刹は判官の拘束を受けたまま幽囚獄へ連れられとうとう此処へ辿り着いた。常に黄昏時のような暗さは自分の衣服の白さえも霞んで見えた。
独房とはいえ窓もないただの一室。十畳ほどの広さに鉄の寝具と洗面台。それから随分年月を感じる鉄製の扉。ドアノブはなく手で押すとシャワーと便所が共に並んでいた。工作ができないようひどく狭い作りだがこの監獄ではマシな方だろう。
「スイレン、後はお前の仕事だ」
「はい」
屈強な幽府武弁は羅刹を独房へ入れた後代わりの看守へ引き継いだ。長い髪を雑に結んで輪のように後頭部に吊るしている。左目を隠すような長い前髪からのぞく目は視力を宿していないことが一目でわかった。
「こんにちは、今日から羅刹さんの専属看守を務めます。スイレンといいます」
「どうもよろしく」
「これから羅刹さんが起きている間、全ての時間、私が記録を取り続けます。ですので発言内容に気をつけてください」
「それはご忠告どうも」
「また、必要なものがあれば私が手配します。体調不良も教えてください。ここまでで質問はありますか?」
羅刹は首を横に振った。スイレンは淡々と説明を続ける。
「それではここでの規則を説明します。とはいっても羅刹さんはこの幽囚獄での開放時間はありません。ほとんどの時間をこの独房の中で過ごしてもらいます。ただし私の勤務時間も加味して就寝時間だけ守ってくださるようご協力をお願いします」
「はい、質問してもいいかな」
「どうぞ」
というか、スイレンを見てどうしても看守には見えない。商人として星を渡ってきた経験で、スイレンは見た目通りの年齢であると察していた。その上で、スイレンの業務は羅刹の発言・行動の記録だという。それも毎日。
「君はずっとここにいるつもりかい?」
「はい、それが私の仕事です」
「そうか…」
あっけらかんとした返事に、気にすることが野暮のような気持ちになった。
「事前にお伝えしますが、私は記録係です。プライベートはありませんが外部に漏らすことはありません。ほぼいないものと思ってください」
「それは無理があるんじゃないか?」
「次の説明に移ります」
羅刹がスイレンの存在を無視する前にスイレンが先に無視した。不自由ではあるが完全な独房。そして年下の少女が看守。少しはマシと思っていたがこれはこれで地獄のような気がした。羅刹は幽囚獄の厳しさをある意味再確認する。
「以上で終了します。私はここにいますので何かあれば声をかけてください」
スイレンはひとしきり説明を終えると独房の目の前にあるデスクに座った。そして先ほどの会話を記録し始める。旧式のタイプライターが廊下と独房に響く。羅刹はその音がいつか慣れる日が来るのだろうかと思いながら鉄の寝具に腰掛けた。
彼女を看守にしたのはおそらく景元の仕業だろう。情報を引き出すために同情しやすいスイレンという者を配置したに違いない。いや、しかしここの看守ということは十王司に属する者。仙舟同盟そのものから影響を受けない独立した機構に景元の意志は及ばないだろう。
「スイレン、と呼んでいいかな」
「はい、なんでしょう」
話している最中もタイピングを続けている。ばっちんばっちんと重たい音で声がかき消されそうだ。
「これからほとんどの時間を共に過ごすのだから敬語は外してくれないか。僕も堅苦しいのは苦手なんだ」
「……そうですか…あ、はい…ええと…」
早速混乱してタイピングの手が止まった。おかしくて気づかれないように笑う。独房の通路に面した部分は半分が細かい鉄の檻でできており、残り半分は堅い壁だ。その壁の向こうにスイレンがいる。
「じゃあ、羅刹さん、よろしく…」
「ああ、よろしく」
ジーッと音を出して紙を一枚捲る。
「それはそうと、君はこの幽囚獄でいうところの看守という役目なんだろうが…今まで見てきた仙舟人とは雰囲気が」
「ちょっと待って!」
突然制止の声。羅刹は思わず口をつぐんだ。スイレンは檻の前に立つ。
「さっき言ったよね、全部記録取らなきゃいけないの!羅刹さんのお喋りに付き合ってたら腱鞘炎になる!私に関する質問は一日一回にして!」
「わ、わかったよ」
はぁ、とスイレンは随分立腹した様子だ。先ほどと打って変わって激しく椅子を引いて座っていた。スイレンはタイプライターの音がうるさくてたまらないらしい。うるせーなぁ…とか、なんでこんなの使わなきゃいけないの…とか愚痴をこぼしていた。
「それで、私の雰囲気がどうかしたの」
「ん、ああ……気に触るなら質問を撤回するよ」
「……もしかして私が本当に仙舟人か気になってる?」
「まぁね」
記録を取った後、スイレンは口にした。
「羅刹さんってすごいね。私は羅浮生まれの短命種だよ」
「やっぱり」
「どうしてわかったの?」
「立ち振る舞いかな?具体的には表現が難しいけど経験から何となくわかったんだ」
「へぇ」
これで羅刹の今日の質問の時間は終わりだ。何をするでもなく沈黙が続いた。そう、ここには何もない。心許ない灯りと、スイレンという看守のみ。
何の意味もなく時間を過ごす。羅刹には何もない。この虚無の時間こそが第一の刑罰なのだろうと思えた。それまでが商人という話すことで利益を生む者であった故に、羅刹が感じる苦痛は人一倍だろう。
唯一の話し相手でもあるスイレンは羅刹が黙っていても仕事をしていた。行動も記録の範疇にあると言っていたのを思い出す。精神を保つための話し相手を腱鞘炎にさせて嫌われたくない。そのためにも発狂寸前までは会話を堪えようと思っていた。
監獄に入り四日目。スイレンは挨拶と共に檻につけられたポストに何かを入れた。
「おはよう羅刹さん。それは差し入れ」
羅刹はポストに真っ直ぐ向かい差し入れなる物を受け取った。重厚な表紙と重ねられた紙に、小説であることに気づいた。
「ありがとう、暇で暇で頭がおかしくなりそうだったんだ」
「や……でも、私も質問は一日一個って言ったせいで…羅刹さんの少ない自由を縛っちゃったから」
「そんなこと、……あぁ、まぁそこそこにキツかったけど、こうして本を持ってきてくれたんだ。嬉しいよ」
スイレンは遠慮がちに笑った。それからすぐ壁の向こうに隠れてしまう。だが本を通してそこにいる実感が強く湧いた。表紙を開き中表紙を見るだけで心が潤う。その後は水を飲み干すように一日中小説を読み耽った。そのせいで日暮れには身体中が痛み、眼精疲労が襲う。ばきぼきと節々が鳴る音にスイレンは顔を出した。
「大丈夫?」
「長いこと読んでしまったから体が固まってしまった」
「……電気暗いね。発注して取り替えるよ。それから鉄のベッドはあんまりだよね…注文はかけてるからもう少し我慢してね」
この三日間、ずっと壁の向こうで仕事をしていると思いきや意外とこの独房のことを見ていたらしい。スイレンの心配りに感謝しながら小説の最後の一ページをめくった。
