スィーモルグ

 あんなことを言われた日でも容赦無く悪夢はやってくる。夕食を取った後自分で茶碗を洗っていると陸奥守吉行がそばにやってきた。

「山鳥毛の言う通り何かあったがか?」
「うーん、少し……でも、どうでもいいと言うか」
「気にしちゅうならどうでもえいことじゃないやか」
「それは……そうなんだけど、多分ずっと付き合っていかないといけない気がしてるから、気にしないようにしてる」

 茶碗を拭き上げて食器棚に戻す。すると陸奥守吉行が神妙な面持ちで呟いた。

「まさか…男か!?」
「そんなわけないでしょう、君たちみたいなイケメンに囲まれてすっかり美的感覚が狂ったよ」

 人間社会という、コロニーで形成された生活というものは、本丸の中で生活をし戦うためだけに生まれた彼らにとっては想像もつかないだろう。むしろ想像ができたら怖い。とにかく大丈夫だと言うことを伝えた上で近侍からの報告、本丸事務処理を続けていった。まるで眠ることを避けるように、作業に没頭し続けた。
 おい、と肩を掴まれてようやく意識が返ってくる。顔を上げると骨喰藤四郎がこちらを見ていた。心配そうな表情に目を丸くさせる。

「もう日付を越す。そろそろ寝るべきだ」
「ああ、本当だ……」

 静かに息を吐く。早く休みが来ればいいのに。そう願ったとて時が超えるわけじゃない。粛々と秒針が傾くだけだ。

「大丈夫か」
「私ですか?」
「ああ」

 骨喰藤四郎からもそう言われてしまったなら仕方がない。認めたくはなかったがトモミはあの老年女性の言葉に深く傷ついている。自覚すると机に突っ伏して動けなくなった。

「主」
「寝たくない……」

 呟いた本音に骨喰藤四郎は何も返さなかった。こんなこと言われたからって困るのは刀剣たちだ。そもそも死にかけたことが何度もある彼らにとって、たかだか「彼氏」の有無について小言を言われたくらい、本当に些細なことだ。くだらないことだ。幻滅されたくなくて慌てて取り繕う。

「明日は、偉い人の…お茶を用意しないといけない仕事があって…ただ嫌だなって」
「わかった」

 骨喰藤四郎はおもむろに立ち上がり部屋から出ていってしまった。困惑するトモミを置いて足音は遠ざかる。気に障るようなことを言ったかもしれない。不安に思いながら恐る恐る部屋を出て後を追いかける。すると刀剣たち…いいや、藤四郎の兄弟たちがそれぞれ毛布や、トモミが買い与えたボードゲームを持って部屋に押し寄せたのだ。

「え?え?」

 余計に混乱しているところで骨喰藤四郎は言う。

「夜更かしをする」
「はい?」
「ほら主さんも!一緒にすごろくやろうよ!」「僕のコマはこれ!」「あーそれ俺が狙ってた色!」「早いもん勝ちだぜ」

 乱藤四郎がトモミの手を引いて一緒に混ざる。すると騒ぎを聞きつけた他の刀剣たちも酒やらつまみを持って部屋に次々と集まってきた。

「おっ!やってるねぇ!」「すごろくか!えいにゃあ!」「ったくうるせーと思ったら何やってんだ」「同田貫だってウズウズしてたくせに」

 トモミを取り囲み精一杯の笑顔でトモミを励まし、慰めていた。部屋に入りきれず廊下で晩酌をしている刀剣もいた。明日が早いのは皆同じだ。けどそんなことよりもただ刀剣たちは主を優先している。情けなさはまだあるが、嬉しさで涙が溢れていく。審神者となって初めて、眉をしならせ泣き出した。うめき声を出しながら、ぐちゃぐちゃになりすぎてわからなくなってしまった感情を放出する。

 ただでさえ滅多に泣かないトモミが人前で声を上げて泣くことで、余計に体力を使ったのだろう。慰めるために藤四郎兄弟たちがトモミを抱きしめたり撫でたりしている最中に寝落ちした。がくん、と崩れる体を兄弟たちはしっかり支える。

「今晩の寝ずの番は俺だ。このまま任に就く」

 トモミが寝たと分かれば皆静かに解散する。まるで事前に示し合わせたような阿吽の呼吸だ。賑やかだった部屋は今は寝息だけが聞こえる。骨喰藤四郎は目元が赤くなったトモミを一目みて、襖を閉めた。


 人間に話しかけられる。なぜこんなにも話しかけられるんだろう。みんなが見ている気がして落ち着かない。すると周りの人間の目が増えて、トモミが着ていたはずの服がなくなっていた。体を隠そうとしても全ての方位から見られている。恥ずかしい、逃げようと走ってもまた別の人たちに見られる。怖い、どうすればいいのかわからない。助けを求めるために声をあげればますます注目を浴びてしまうだろう。さめざめと泣いていると肩に上着をかけられた。

「すまない、俺は背格好が低い」

 不器用でも隠そうとしてくれている。トモミに背を向けながらも前に立ち続けていた。よかった、これで隠れられる。安心しながらも半乾きの頬の感触を覚えながらじんわりと夢が溶けていった。

 トモミは翌日も変わらず出勤する。へし切り長谷部は心配そうにしきりに「いざとなったら呼んでください」と口にする。ひとつ可笑しそうに笑って血色のいい頬をしながら本丸を出た。

「小鳥はいつもああなのか」

 山鳥毛の言葉に顔を上げたのは石切丸だ。馬の放牧をしている間、馬房の掃除を進めている。おが屑を掃き、新しく敷き詰めると香ばしくいい匂いが厩を覆った。そろそろひと段落つくだろうと山鳥毛はブラシを置き先ほどの質問を繰り出す。話しかけられた石切丸は少し考えて言葉を選んでいるようだ。

「あまり自分の考えを言うような主ではないからね。それに争いごとは苦手なようだ」
「そうか」

 抽象的な言葉で石切丸に問いかけたのだが、的確に返答をした。おそらく多くの刀剣は主人であるトモミのことをそれとなく観察し続け、同じように問いかけていたのだろう。

「心配そうだね」
「……ああ」

 公園で泣いていたことは誰にも言わなかった。それよりも本丸で泣いた時のほうが、辛そうだったからだ。しかし主の異変に誰もが深く踏み込めないのは、主が未だ分厚い壁を建てているからだろう。

「私たちの仕事は、歴史を守ること。不用意に主に干渉してはならない」

 山鳥毛の考えを言い当てるように、凛と言葉を放つ。

「それが、この本丸の暗黙の了解だ」
「あれだけ、泣いていてもか」
「ああ、助けを求めない限りはね」

 そのような境界を引けるわけがなかった。山鳥毛は寒さに凍える小鳥を見て手を伸ばさずにはいられない。無論、他の刀剣たちも助けたいと思う気持ちはあるのだろう。だが助けようと動いたところで助けられるのか。人間と刀剣のあり方の違いが、双方に手を伸ばせない所以であった。

 昼の休憩で、採れたての野菜を持っていく陸奥守吉行に声をかけた。この本丸での一番の古株。最も重要なことは皆、陸奥守吉行に伝えることが第一のルールだ。

「夕方、小鳥を出迎えにいくのはどうだろうか」
「トモミを?」

 少し怪訝な顔をしていたが、陸奥守吉行も昨晩の主の泣き方に異常を感じ取っていたらしい。真面目に考えては唸る。

「やけんど……うーん」
「やはり悪手だろうか」
「いんや、そがなことやないき。単純に、トモミを困らせちゅう」
「それも…そうだな」

 やめておくべきか、と山鳥毛は自身の中で帰結したが心配なのも事実。そんな新人の様子がおかしい事も陸奥守吉行は気づいていた。

「まぁいってみるのもええやか。嫌がることはないきに」
「そ、そうか?」
「おん、長谷部にちくとゆうてくる。代わりに厨房に野菜、持って行っとうせ」
「ああ、引き受けた」

 自分自身、喜んでいるのを自覚していた。刀剣が初めて見た人間を主と認識するならばこれは定められた…そうあるべしと決定づけられた感情なのかもしれない。けれど山鳥毛が感じる心に理屈で説明しようがそれはどうでもよかった。どうでもいいと跳ね除けるくらいの言い分があった。なぜなら山鳥毛は夢の中で主に、大好き、と言われたのだから。



 一日の業務がようやく終わる。今日はやたらと忙しく、ビルの中を駆け回っては搬入業者が予定より早くきたり、逆に遅くなってしまうといった連絡があったり。とにかく腰を落ち着けて仕事などできなかった。逆に昨日夜更かししてしまったので体を動かして眠気を取ることができたのは幸いだったかもしれない。

 いつも通りオフィスの鍵を閉めて、鍵を警備員に預ける。すると金曜日の飲み会にいくグループがビルの前で集まっていた。トモミはその中にいつもちょっかいを出してくる男性職員がいるのに気づき、植え込みの木に隠れながら通り過ぎようとしたのだがうまくいかなかった。

「あっ!トモミちゃーん!」

 一人ならまだしも二人も仲間を引き連れてやってきた。顔を引き攣らせながらトモミは先手を打つ。

「すみません急いでいるので」
「まぁまぁそんなこと言わずに」
「タクシー代くらい出すって」

 あっという間に囲まれた。まるで刀剣たちの戦いと同じような心境だ。どうにか逃げ出す方法はないかと思っていると、同じ職場の老年女性がやってきた。

「あらトモミさん、いいわねぇモテモテじゃない」
「そうなんですよ!俺たちトモミちゃんのこと大好きで」
「彼いないんでしょ?よみどりみどりよ!」

 元よりこの女性の助けなど期待していない。しかし退路をより狭めてくるなんて誰が予想できただろうか。睨みつけたくなる気持ちを堪える。とにかくこれ以上人の多い場所に止まりたくはない。その分、厄を吸い取ってしまうからだ。

「飲みにいこうよ」「大丈夫、飲むだけだからさ」

 肩を後ろから掴み背を押される。触られたくない一心で抵抗する直前、この退勤の賑やかな空気の中に強烈な稲妻が走ったような気がした。とにかく表現しようのない強さがこちらを見ている。初めてのことで皆が周囲を見渡すと、白いシャツに黒のジーンズを履いた、極めて人相の悪いモノがこちらを見ていた。

「さ、山鳥毛さま」

 誰かがそう口にした。自分の勤めている場所がどういうところか事情を知らない老年女性とトモミ以外は深く頭を下げる。
 あれはまごうこと無くトモミの山鳥毛だ。何故ここに?という気持ちと助かったという安堵の気持ち、そして急に来ても困るという複雑な感情がうずまき呆然としてしまった。
 するとそんなトモミを見てか、頭を下げさせなければと思ったのだろう。先ほどまでヘラヘラしていた男はトモミの頭を掴んで下げさせた。

「ほ、本日は、どちらから参られ……え、あ」

 近づく山鳥毛に礼儀正しく問うたはずが、手首を掴んで曲げられている。ぎり、と大きな手が掴んだ箇所から鬱血を生んでいた。

「触るな」
「も、申し訳ありません」

 勢いよく頭を下げさせたためかトモミの髪はボサボサになっていた。そんな髪を優しく指先でとく。

「さぁ、帰ろう、小鳥」

 山鳥毛の特性は、審神者を小鳥と呼称することだ。トモミが審神者であることをこの場の職員全て知るところとなった。全ての視線がトモミの背中に向けられている気がする。思わず息がむせ返り咳をした。

「ん、寒いか?体を冷やしてはいけないな」

 おもむろにジャケットを脱いで肩にかけられる。抱きしめられたあの体温を思い出した。ああ、もうなんでもいいや。諦めのような思いを抱いて振り返る。トモミよりも呆然とした表情の彼らがいた。
 とても、胸が軽くなった。

「お疲れ様でした」

 ぺこ、と軽く頭を下げて、迎えに来てくれた山鳥毛の袖を小さく摘む。ビルから離れて、携帯を見るとへし切り長谷部からの連絡がはいっていた。きっかり時間から場所まで明記された上で山鳥毛が迎えると。

「あの、ありがとうございます。迎えに来てくださって」
「小鳥」
「はい?」
「あんなふうに、粗末な扱いをされているのか」

 思わず山鳥毛の腕を両手で握った。すると驚いた風にトモミを見下ろす。じわりじわりと目元の刺青が赤く染まる。

「今日までは、そうでした」
「……」
「でも、明日からは違うと思います」
「そうか」
「ありがとうございます。胸がスッとしました」

 サングラスの位置を調整して、照れくさそう。体の大きな男性の姿をしているがこういうところはまるで男の子みたいだ。

「……また、何かあれば言ってくれないか。私でなくとも、他の言いやすい者に。皆言わないが心配しているんだ」
「そうですね……じゃあ、次から、相談するようにします」

 山鳥毛は満足気に微笑む。それからトモミの手を握った。トモミは驚いてびくりと肩を跳ねさせたのだが山鳥毛は気にすることなく、優しく包み込む。本丸にたどり着くまではずっと手を握って離さなかった。
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