スィーモルグ

 山鳥毛は最近になってやってきた刀剣だ。というのも政府がいつまで経っても戦力を増強しようとしないこの本丸の主、善知鳥トモミに痺れを切らして急かしてきた結果だ。だがこれまで全く増強していないというわけではない。定期的に鍛刀はしているし一日に一回は出陣、一ヶ月に一回は遠征にだって向かわせている。
 メール、口頭でも出陣回数増やせませんかとか言われたが、審神者にはノルマというものがない。ノルマが無いなら必要最低限の仕事をしていればいいだろうと思ったのだ。そもそも普通の審神者と違ってトモミには別の仕事があった。
 ともあれ政府からの注意を無視し続けていたところ、新しい刀剣を鍛刀し、育成しなければクビと言われてしまったのだ。トモミは自分がクビになり後から来る審神者に全て任せるのも一つの道だとは思ったのだが、その政府からの通達を知った陸奥守吉行が一瞬悲しそうにした。
 陸奥守吉行はトモミが選んだ最初の刀剣だ。短刀たちを引き連れ危ない行軍をしても文句も言わず毎日トモミを支えてくれた。戦友を超えた相棒のような存在だった。そんな彼が悲しい顔をしたのだ。
 通達を伝えたのは陸奥守吉行だけだ。陸奥守吉行だからこそ言った。しかしその行為は驕りで満ち溢れていたのだ。
 ごめん、と謝りその日からできるだけ日常のペースを崩さず出陣回数を増やし始めた。そうしてやってきたのが、山鳥毛だった。

 審神者の会議で南泉一文字を連れている人を見たことがある。かつて山鳥毛という刀剣の縁が強まっているため鍛刀できる可能性があるとかなんとか言っていた。そんなときに南泉一文字がつぶやいていたのだ。お頭はすごい!…にゃ!と。

 確か彼がきたのはたまたま政府主催の強化訓練がされていた時だったと思う。ざっくり言うと特殊空間で刀剣たちを本番のように送り込み戦闘をしてもらう、といった内容だ。これ幸いと戦力強化に乗っかりマイペースに進めていたところ運良く彼の縁が引っかかりトモミの本丸にやってきた。

 それはともかく、ようやくクビの危機を免れ山鳥毛の強化をのんびりしていくだけだと思った矢先の今日。薄暗い廊下の向こうに今晩の寝ずの番がきた。トモミは四つん這いになり襖を開けると正座している山鳥毛がいた。

 思わず飛び退く。

「すまない、驚かせてしまったかな」
「い、いえ、そんなことは」

 乱れた髪を手でとかす。緊張している。刀剣はとても顔が良く優しく、それぞれに魅力的な個性がある。そのためトモミはあえて刀剣たちと深く関わらず運営に専念しようと思ったほどだ。情が生まれては仕事ができない。しょっちゅうときめいてしまう。しかしこの山鳥毛はそんな一線を“声”で破壊してきた。
 そう、トモミは山鳥毛の声に心底弱い。

 もともと男性経験がなく、男性への苦手意識が多少はある。この本丸の刀剣たちへもそうだ。食事もすれば汗もかく。血は流れるしそれ相応の感情だって備え付けられている。
 今まで一線を引いていたこともあいあまって、ただ声が好みであるというだけでどうすればいいのかわからなかった。

「では改めて、今晩の寝ずの番を任された。安心して眠るといい」

 逆に眠れない、と言いたい。もともと特異体質で不眠気味なのだが悪化してしまうだろう。

「慣れない出陣や畑仕事で疲れているんじゃないですか?いくら刀剣とはいえ、無理は禁物です」
「なに、今週の近侍…長谷部殿が気を利かせてくれて夕刻にはうたた寝ができた。その分、小鳥が安心できるよう尽力するつもりだ」

 仕事ができすぎる長谷部には感謝しかない。しかしいくらトモミの内情を知らないとはいえ、泣き言をこぼしたくなる。
 トモミはずっと自分の髪を手櫛で整えていた。特異体質のおかげか肝は据わっている方だと自認していたがこんなことで動揺してしまうとはまだまだだ。なんならずっと髪を触っていることすら気づかなかった。山鳥毛は、ずい、と近寄る。石化したかのように固まるトモミをよそに髪を触る腕をそっと下ろした。

「せっかくの髪が傷んでしまう、どれ、櫛で梳こうか」
「だ、大丈夫です」
「だが気になるんだろう?それとも髪に触れるのは不敬だったか?」

 トモミはたったこれだけの会話で耳まで赤くさせる。悪い感情は抱いていないと知り山鳥毛は微笑む。そして近くにあったブラシを見つけてしまった。

「使ってもいいかな?」
「はい…」

 まるで子供の髪を梳くようだ。癖っ毛のある髪を優しく整え磨く。山鳥毛が腕を動かすたびにいい匂いがした。いや、刀剣たちは誰も彼もいい匂いがする。一説には神域からの香が漏れているだとかなんとか。現実逃避をしていると声をかけられる。

「小鳥、これでよりきれいになった」
「ありがとう、ございます」
「なに、気にするな。いつも目をかけてくれている。まだまだ足りぬだろうが少しでも恩返しになればと思ったまでだ」

 気にかけているのはただ新入りという理由だからだ。それなりに経験を積めば目を離す。それに命をかけて戦っている上に寝ずの番までしてくれる刀剣たちに頭が上がらないのはトモミの方だった。

「……あの、どんな夢になるか……私でもわかりません」
「ああ、そのように聞いている」
「もし、不快な夢になってしまったら、申し訳ありません」
「謝るな。悪い夢を見ると知りつつ目を閉じるのは苦痛だろう」
「と、取り乱すこともあるかもしれません」
「夢とは思考が定まらぬもの。その程度で見限ることは一生ないさ」

 枕元のペットボトルを取り水を飲んだ。今までひどい夢を見ていたがどの刀剣たちも朝には笑顔でおはようと言ってくれた。その度に少し泣いて、悪夢を晴らしてくれた礼を言う。
 山鳥毛の返答などわかりきっていた。

「それでは、眠ります。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ、小鳥」

 眠る間際にメロいこと言わないでくれ。切実に思う。そもそも小鳥ってなんだ。




 ショッピングモールにいた。これから何を買うでもなくぶらぶら歩くのだ。客は多く、みなモールへ向かっている。開店セールかもしれない。流れに沿って進む。するとなんだかみなの様子がおかしい。振り返ると巨人が人間たちを追いかけている。巨大すぎてどこへ向かうつもりなのか見当もつかない。もちろん走って逃げているが、いつしか私にだけついてくるようになった。巨人の腕が長すぎて、腕を振るたびに当たりそうだ。息を荒くさせながら逃げ続け、ショッピングモール内に入った。追いかけられているのが私だけと知り誰もが左右に分かれて見ているだけ。「たすけて!」と声を出しても無表情でこちらを眺めるだけだ。わけがわからなくて泣きながら走り続けると空間が裂けた。目の前には白い服の美丈夫が立っていた。空間が裂けたせいか、観客は壁紙となってペロンとうなだれている。

「もう大丈夫だ。悪い夢などではない」

 片腕で抱かれながら、優しく呟く。その熱と声の重さに頭の中が真っ白になった。じんわりと胸の奥から心臓の音が響く。額を当てて、分厚い体に腕を回して目を閉じた。彼は何も言わずただ受け止めている。あたたかく、これほど安心できることに脳みそまでが喜んでいる気がした。

「ありがとう……だいすき」

 どきっ、と男性の心臓が強く跳ねた。



 目を開けると山鳥毛は廊下に座り込んでいる。見事なほど清々しい目覚めだった。起き上がり廊下にいる山鳥毛に挨拶した。

「おはようございます」
「おはよう、小鳥」

 いつも隙間から目が見えるくらいにかけているグラスが、今日はより深く目頭にまでつくくらいの位置にあった。

「あんなに短い悪夢初めてでした。ありがとうございます」
「そ、そうか…それは何よりだ」
「では出勤の支度をします。寝ずの番の任は以上で終了です」
「承知した」

 襖を閉じてスーツに着替える。前髪をピンで留めて真面目な職員としての皮を被る。荷物を持って襖を開けるとまだ山鳥毛がそこにいた。

「あの、どうかしましたか?もしかして体調が悪いとか」
「そうではないんだ……ただ」

 ちらりとサングラス越しに見えた目尻の入れ墨が少し赤くなっていた。やっぱり何かあったのでは、と山鳥毛の言葉を待っていたが何も返ってこなかった。

「いいや、私は問題ない。時間を削いですまなかった」

 足早にいってしまった。かわりばんこに来たへし切り長谷部は朝からにこやかな挨拶をしたが山鳥毛の様子がおかしいことに気づいたらしい。あんなに笑顔だったのに真顔で物騒なことを言い出した。

「山鳥毛が粗相をしましたか」
「そんなことしてませんよ」

 すっぱりと訂正してやらないとへし切り長谷部はあれこれ心配をしてくるし本人にさえ突撃してしまう恐れがある。トモミは朝と昼は外で食べる。刀剣たちがまだ少ない頃は同じようにみんなと混じっていたのだが、あれこれ気を遣わせてしまっていると後から気づいた。陸奥守吉行との相談と協議の結果、夕飯だけ混じって食べることにした。遠くから刀剣たちの声が響く。ここもすっかり大所帯だと感心しながら本丸の裏口から鍵を開ける。

「それじゃあ、行ってきます」
「どうぞお気をつけて」

 へし切り長谷部は深く頭を下げて見送ってくれる。軽く手を振って、今日も人間社会の歯車になりにいった。
 トモミの仕事は時の政府内での事務処理だ。とはいえただの臨時職員という扱い。金銭はもちろん内部的な運用に関わることはできない。では具体的に何をしているかというと、所内に郵便物を届けたり逆にシュレッダーされたゴミを収集手配したり。つまりは雑用だった。
 しかしながらトモミが時の政府内にいることそのものが重要である。トモミの特異体質は人間に付きまとう、運・難・厄を吸収し浄化をすることができる。要するに人間空気清浄機。ただしそれらは「悪夢」として放出されるため、悪夢に耐えきれず発狂する前に刀剣たちに物理的に干渉し解決してもらうという手段をとっている。トモミは審神者という職を得たと同時に政府内で遡行軍からもたらされるありとあらゆるナニカを未然に防いでいるのだった。
 もちろんこれらの情報はトップシークレットである。政府の高官たちがそれらを知っているはずもない。そのため顔色の悪い、安い月給で働く変な女、という印象を持たれていた。
 政府の役人たちにとって審神者は最前線の指揮官そのものだ。審神者を適度にコントロールしつつ、そこそこにご機嫌伺いをしなければならない者たちにとって「低学歴」「みすぼらしく見える」だけの女は格好のおもちゃでありちょっかいを出していい相手でもあった。

「トモミちゃんまだ連絡先教えてくれないの?」
「回収業者の時間が迫っておりますので」
「まぁまぁそんなこと言わずにさ。今度飲み行こうよ」
「携帯を家に忘れたので交換できません」

 こうして毎回あしらうのだが、こうしてあしらわれるのも彼らにとっては遊びの一環だ。廊下を曲がり、角で耳を澄ますと男性職員の話し声が聞こえる。

「またダメだったよ〜」
「相変わらずガード固いなぁ〜」
「じゃあ明日俺な!お前ら賭けた金額忘れんなよ!」

 なんとも残念な生き物だ。トモミの職場でもある小さな事務室に戻ると定年退職後の女性と新卒の若い女性が雑談をしていた。

「おかえりトモミちゃん」
「先輩遅いですよ〜そういえばこの間の合コン考えてくれました!?」
「すっごくかっこいい人よ〜ホラ」

 携帯画面を見せられるがそこに写っていた普通の男性に愛想笑いをする。審神者をして一番の実害は平均的な顔立ちの男性に対して何も感じなくなった、というところだろうか。絶世の美男子に囲まれるせいで美的感覚が狂っていくのはある意味恐ろしい。

「遠慮します。家の手伝いで忙しいし…」
「またそんなこと言って!独身でアラサーになって子供もできずに孤独死したらどうしちゃうんですか!」

 余計なお世話だと言ったことはない。彼女なりにトモミを見て不安しかないのだろう。だがそういった話はトモミにとってはこれまでも、これからも不要な縁であった。周囲に「人間」がいればいるほど、多くの悪いナニカを巻き取ってしまう。自分に降りかかるナニカ、は浄化されないのに周囲の人にだけ浄化の恩恵が与えられるのは不公平だ。そう思ってしまうトモミは自分自身を嫌悪している。

 今日もまた仕事を続けて、少しでも空いた時間に本丸で作成しなければならない書類や報告書を進める。そうこうしていると一日の勤務が終わった。この職場のいいところは臨時職員であるが故に残業は無いことだ。スタッフ3名で構成される我々は早々に仕事を切り上げて各自帰っていく。トモミは毎回しっかり戸締りをした上で最後にオフィスを後にする。しかし今回は老年女性がトモミを待っていたようだ。

「トモミさん、こんなこと言いたくは無いけどこの職場にきて5年でしょう?そろそろいい人見つけたほうがいいんじゃ無い?」
「……いえ、そういうことに興味は」
「興味なくても子供はどうするの?老後は誰がお世話してくれるの?」
「……」
「そうね、経験がないなら仕方ないけど……男性から愛されるって結構いいものよ?」

 怒りを超えて何も言えなかった。目を丸くして黙って女性を見ていたためか、慌てて帰って行った。本丸への帰路は7パターン用意している。これは万が一何者かに疑われ、追跡されることを想定したものだ。だが今日はむやみやたらに街灯の下を歩き続けた。もう何もしたくない。いや、本丸では皆がトモミの世話を焼いてくれるので、正確には「人間の形をしたものに会いたくない」だ。
 明日どうやって出勤すればいいんだろうとか、これからどうやって帰ろうとか、そんなことばかり考えて結局公園でぼーっとするしかなかった。全くもってクソな体質に生まれたせいでクソな人生になったものだ。まさに今現在進行形で悪夢ではないか。歩き疲れたパンプスを脱ぎ散らかし、ベンチに横になる。

「小鳥!」

 ぼんやりしていた思考が引き戻される。起き上がると公園の入り口で山鳥毛が立っていた。走ってきてトモミの肩を掴む。

「ようやく見つけた!心配したんだぞ」

 携帯をみるとまだ20時を回ったくらいだ。確かに遅くなる連絡はしていないが、時折する残業だと今くらいの時間に終わったりする。つまりまだ心配される時間ではない。

「ご、ごめんなさい…?」
「しかもこんな所で横になって……ほら、木屑がたくさんついてしまっているぞ」

 背中や肩の汚れを払ってくれる。それから髪についていた砂を一つずつ丁寧に落とした。それが優しくて、悪夢だと思っていた矢先に刀剣が現れるものだから余計安心してしまい目の前で涙が溢れ返った。

「ああ、そんなに泣かなくても大丈夫だ」

 泣き止むまでずっと背中を撫でる。脱いだパンプスも揃えて履かせるなど一から十までしてもらってばかりだ。

「どうした?なにかあったのか?怖い夢をみたのか?」
「いえ、違うんです……少し嫌なことがあって」
「私に言えることか?私にできることは?」
「だ、大丈夫ですよ。泣いてスッキリしました」

 それでも山鳥毛は困ったような顔をして見つめる。あの人から言われた言葉を伝えた所で深い意味で理解はしづらいはずだ。人の人生に寄り添ってきたとはいえ根本的に違うのだから。

「それより心配かけてすみませんでした。みんなも探しているんですか」
「いや……ふと私が心配になってしまった。杞憂と言われながら飛び出したら小鳥が横たわっていたからそれはもう驚いたぞ」
「すみません、疲れてしまって」

 言い訳を伝えると、山鳥毛はトモミを緩く抱きしめた。驚いて肩を跳ねさせたが抱擁はすぐ解放される。

「ならば、巣に帰ろう」
「はい…」

 実際のところ刀剣たちにとって人間ごときの隠し事などお見通しだ。しかしそれを指摘しないのは彼らの優しさ故だ。傷を深掘りしないことが最善であるとわかっている。それでも山鳥毛は無理な笑顔をするトモミを見ていられなかった。たったそれだけの理由しかなかった。
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