青年期
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弟である本物の曹叡と対面をした。
私はただ、影であり、今までの功績もすべてあなたの物になるのだと。
ただ、曹叡はそれを聞いて顔を青ざめていた。
「わ、私は、姉上のような顔をしていません
そのような優秀な頭をしていません
父上、なぜそんなことをされたのですか」
曹丕はただ一言
「魏という国の人柱だ」
そう言い放った。
つまりは国を発展させるためだけの装置。
私たちは国を成長させるための経験値に過ぎないのだ。
「無論、お前が太子に相応しくない器であれば
曹礼を太子とし、東郷の功績を礼に受け渡す。」
それは皇帝の嫡子で、最も寵愛されたという甄姫の息子であるからこそ、逃げられない。
曹叡はどちらにせよ正面からぶつからなければならないのだ。
体が弱い曹叡は青い顔のまま、父の話を聞いているだけだった。
そして、戦が始まるとも伝えられた。
「東郷、貴様も付いて来い
戦の空気を肌で感じよ」
「はっ」
二つ返事の私を弟は凝視する。
こうでもしなければならなかった私の人生、なんなのだろうと思わなくもない。
転がされているだけだ。
曹丕が部屋を出て、この部屋には曹叡とわたしだけだった。
「あ、姉上…」
「気を確かに」
「しかしっ!何故姉上にそのような!まるで、男ではありませんか!」
「ええ、私は男です
胸を潰し、女を愛でました」
びく、と肩を跳ねる。
「私は、そんな……ただ、ただ皇帝になるだけならまだ話が通じます
しかし…姉上が…私の代わり…?
いいや違います
姉上の代わりが私ではありませんか!
父上はそこまでして姉上をっ!」
「被害妄想もいい加減にして
私は現に曹叡と名乗っています
町に降りることはほぼなく、執務でも顔を隠すことが大半です
それでもなおそう言い張りますか」
曹叡は黙り込む。
だが胸の内は晴れるはずない。
「それでは
私は失礼します
よくお休みになられますよう」
水の入った器を投げられた。
曹叡は実のところ、女の功績を受け入れるのが嫌なのだ。
司馬懿というこの魏きっての軍師から直々に教えを受けているのだから当然だ。
ましてや男尊女卑という時代の流れには逆らえない。
そのまま何も言わずに部屋を出た。
待っていた徐庶は物音から察していたのか布を取り出す。
「ありがとう」
曹叡の年齢で、普通に生きてきたのなら感情的になるのも仕方がない。
私だって逆の立場ならああなっていたはずだ。
というか幼い頃、実際にああなったことがある。
曹叡と同じく水をぶちまけた。
ただ静かに用意された自室まで。
息も殺してたどり着き、ようやく呼吸をする。
「すみません、今日は早めに休みます
徐庶さんも、私を気にせず休まれてください」
「ええ…
姫、大丈夫でしたか」
「私は大丈夫です
曹叡は、きっと心の拠り所がないからああなったのだと思うんです
私は幸いにもあなたがいますし」
「ま、また、姫はそういう事を…
私は心配しているのですが…」
「すみません、要らぬ言葉でしたか?」
「いえ、決してそういうわけではありません
ただ…照れが……すみません…大人がこのような調子で…謝るのはこちらの方です」
本当に照れているようで頰がほんのり赤い。
顔を片手で隠しているようだが、耳も赤くなっているので隠しきれてはいない。
久しぶりに徐庶いじりが出来て私はイキイキする。
にんまりと笑っているのに気づいた様子で呆れ気味に、まったく、とこぼしていた。
「ふふ、やっぱり徐庶さんといると落ち着きます
私はもう平気です
心配しないでください」
「…はい、分かりました。」
一つ礼をして、部屋を出る。
「お休みなさい」
「ええ、ゆっくりとお休みくださいませ」
今回、宮中に戻ってきたのは新年の挨拶だけではない。
曹叡に事実を話すこと、それから戦の会議が新年の祝いが終わった後日に行われるため、それの出席。
本来であれば武徳に徐庶を置いて年末年始も滞りなく執務を全うさせるのが良いのだろう。
だが未だに東郷という娘がしっかりしていると思っていないのか、わざわざ徐庶との帰還を命じられた。
確かに役職としては部長と似たようなもので、私の直近の部下…つまり副町長なるものは別に存在する。
有能な人材を登用させているのでよっぽどのことがない限りはヘマはしないだろう。
これでも部下には目配りをして随所補佐をしているつもりだ。
直近10名程度であればどんな仕事ぶりかは知っている。
だからこそ信頼し、憂う事なく徐庶を連れてきた。
しかし、逆に新年の祝いは私が出席するわけにもいかない。
それには曹叡が出ることになっている。
私は部屋の中で竹簡を読むか、筋トレをするかのどれかだ。
外では歓喜に沸く声が聞こえ、実に楽しそうである。
実際にどのようなものか、見てみたい気持ちが強い。
何せ幼い頃から暗殺に注意し、外に出されなかったのだから。
とうとう退屈を持て余し、自分の髪で三つ編みをしていた。
自分でも驚くほどのサラサラヘアーだ。
髪は念入りに洗って乾かしてはいるが、よもやここまで“強い”髪だと一周回って怖くなってしまう。
そうこうしていると、ドアの前に気配がする。
こんな時に来るのは徐庶くらいしかいない。
向こうが話す前にどうぞ、と言う。
「お見通しですね…」
「ええ、
ちょうどよかった
暇を持て余していたところです」
「髪を結ばれていたのですか?」
「遊んでいただけですよ
あまりにも暇なので。
徐庶さん三つ編み出来ます?」
「えっ!?」
ちゃっちゃ、と出来ていく三つ編みと編み込みに唸る。
「やってみます?」
「い、いえっ、恐れ多い
姫の御髪に触れるなんて」
「新年で無礼講です
たまにはいいじゃないですか
誰もこの宮中には居ませんし、刺客だって、盗賊だって今のお祭り騒ぎに夢中ですよ」
「ですが…」
「………もし、徐庶さんのご迷惑になるなら…いいんですけど…」
しおらしくすれば、分かりやすくオロオロし始める。
そしてとうとう折れた。
「で、では、ほんの少しだけ」
「はい、どうぞ
三つ編みはですね…」
徐庶の手を掴んで動かす。
ガラスの器を触れるような、ガチガチに緊張した指先が私にまで伝わる。
「編み込みもわかりました?」
「はい…」
「じゃあやってみてください」
何だかんだと容量が良くて器用な徐庶はあっという間に編み込みを覚えた。
久しぶりに女の子のような髪型が出来て私はつい笑顔を浮かべる。
高く結い上げて、どう?なんて聞いてみた。
「良くお似合いです」
「本当?」
「もちろんです」
私はそれで嬉しいのに、徐庶は一瞬だけ悲しい顔をしていた。
どうしてそんな顔をするのか分からずポカンとしてしまう。
「姫?」
「あ、えっと……こうやって髪で遊ぶのはとても久しぶりだったので、楽しいです」
「ええ、そうですね」
「母上に見せることが出来れば一番良いのでしょうけど
まぁ仕方のないことですね
そうだ、私の遊びに付き合っていただいたので、徐庶さんもゆっくりしてください
今お茶を淹れますから」
「いえ、俺のことは気にせず
今日くらいゆっくりしてください」
「それは私のセリフです
いつも徐庶さんが頑張っているのは知っていますし
それに………先日、父上が私と曹叡のことを魏の人柱と言いました
だとすれば、徐庶さんも…私と同じように、人柱となってしまっているんじゃないかと
…徐庶さんは、ただ私に文字を教えてくれただけなのに」
小さな私に、ただ一人の教師としていてくれただけで道連れにしてしまった。
こんなことになるくらいなら、ただ愚鈍なフリをしていればよかったのだ。
「だから、徐庶さんには出来るだけ恩返しというか…なんていうか…」
「姫、そのように抱え込まないでください
俺のような男には余りにも勿体ないお言葉です」
「まーたそんなこと言って…徐庶さんは自分の価値をわかってないなぁ」
「事実です
俺は…褒められた人間でもなければ姫からそのような言葉を頂けるほど立派な人間でもない
けれど、姫のお側に居ることが俺の生き甲斐なのです
俺の仕えるべき主があなたで良かった」
そこまでいうのなら、徐庶について深く考えるのはよそう。
逆に失礼にあたる。
「うん…私も、あなたがいてくれて良かった
けれどそれはそれとして、労いたい気持ちもあるので黙って座っていなさい」
「ご、強引な方だ…」
「ふふ、誰に似たんでしょうね」
ようやく本命の軍議が始まる。
私は顔を晒せないために、後ろに仕える兵士同様、ただ立ったままじっとしている。
魏を守る5将軍が集まり、錚々たる顔ぶれに私も息を飲んだ。
そうしてようやく曹丕と曹叡が姿を表す。
程なくして会議が始まる。
私は意見できる立場でもなし、文字通りただ今後の方針について聞くだけであった。
流石に2時間以上立ちっぱなしも苦しい。
どちらかといえば精神的にくるものがある。
紆余曲折あったものの、会議は結局呉を集中的に狙う方針に定まった。
現在蜀と呉が同盟関係にあり、魏は孤立している。
国力としては同盟組とほぼ同等であり拮抗していると言えども国二つを相手取っている状態だ。
芳しいはずがない。
しかし今の蜀は、肝心の国主は病に臥せっている。
諸葛亮未だ陣を敷いているが主が亡くなったとあらば一度は撤退するほかない。
それに兵力も少しずつ減っている。
だとすればここで蜀を追撃すると呉が出てくるのは必須。
ならば呉を攻めれば兵力の少ない蜀が増援で来ても魏はさほど困らないというわけだ。
軍全体の指揮は司馬懿が任命された。
曹叡は司馬懿の隣で安全が約束されている。
幹部全員が退出した後、ようやく私も部屋を出ることができた。
しかし息をつくのもつかの間。
まるで待ち伏せているかのようにつり目の男が通路にいた。
司馬懿だ。
私を見るなり笑みを浮かべる。
「初めまして
姓は司馬、字を仲達、名を懿と申します」
この対応、やはり司馬懿も私の存在を知っているらしい。
曹叡の教育係なのだから当たり前ではある。
しかしこのタイミングで私に話しかける意味があるのだろうか。
「噂はかねがね聞き及んでおります、仲達殿
数々の戦で挙げた功績、誠に見事であります」
「遠い地でも私の噂を耳にしているとは恐悦至極」
嫌味を言いたいだけなら早く消えて欲しい。
私はあまりこのようなところに長居したくない。
「して、仲達殿は私にわざわざ挨拶をするだけのためにここでお待ちになっていたと?」
「いいえまさか
おりいったお話をしたいと思っておりました
立ち話もなんですのでこちらへ」
一人で司馬懿について行っていいものか。
出来れば徐庶を連れて行きたかったが生憎彼は会議には出られなかった。
いや、司馬懿はそれを見込んでここで待っていたのだ。
なら腹をくくるしかない。
黙ってついていくことにした。
用意された一室は客間だった。
無論新年の祝いが終わった今では客人などいるはずもなく、絶対に人がないとすぐにわかる。
わざとそのような部屋を選んだのだろう。
「それで、話とは」
「ええ、次の戦についてです。
我が司馬一族も馳せ参じ、次期太子である曹叡様の安全を守るつもりですが…
戦果は上々のほうがよろしいでしょう。
あらかじめあなた様には我が策を伝えておきます
ですのでそれに先んじて出立し、先陣で華々しい功績をお上げください」
「……一番槍になれと?」
「簡単に言えばそうです
しかしまたとない機会であるのも事実
曹叡様の身に箔を付けるには最高のものかと」
「曹叡様は戦は好まれません
それに過度な露出は褒められたものではありません
確かに次期太子となるなら箔があるに越したことはない
しかしあまりにも危険が生じます
大変申し訳ありませんが、お断りいたします」
「ほう、それは徐元直が戦に出られないから、ということでしょうか?」
戦に出られるない?
いや、確かに随分と前にそんなことを言っていた気がする。
しかし直接尋ねていないし徐庶も私には言っていない。
「まさか、あれほど長い時間共に行動していながらなにも聞かされていないのですか
ははぁ、元直殿もお人が悪い」
「構いません
それでも元直は私の師であり忠臣です」
「本当にそう言えるのでしょうか」
「…先程から貴殿は何が言いたい」
苛立ちを隠せず睨む。
感情が現れた私に向かってあざ笑うような、そんな笑い声を出す。
「そう警戒しないでいただきたい
私とて魏の未来を案ずる軍師
そして魏として未だ嘗てない皇帝の器をお持ちのあなたには信頼を寄せているのです
だからこそ、あの徐元直は危険です
即刻離れた方が良い」
「徐元直が危険な男であるならば私はとっくに墓の中だ
私の忠臣を蔑むならばこの話はなかったことにしたい」
「まぁお待ちを」
司馬懿は立ち上がり歩く。
私の横を通り過ぎて背後に回りまた横を過ぎる。
ぐるぐると回っているようだ。
「あの男はとある人物に誓いを立てています
誰かが口を割ったわけではなく行動からわかります
ですので、絶対に、いくら貴方様が戦場で戦うとあっても同じく前線に出ることがないでしょう」
ゆっくりと私の周りを回遊魚のように歩き、言葉が右から前から左からと巡ってくる。
「故に我が息子をつけます
自分で言うのもなんですが腕は立つ
少なくとも、絶対に戦わない徐元直よりは戦いにおいては信頼できるでしょう」
「…いいや、たとえ元直が出ることがなくとも私は構わない
一人で戦地に赴くことは猿でもできよう
それに、先程私に策を伝えるといったな
目まぐるしく変わる戦場で、いくつかの策で戦場が有利になるはずもない
あなたは私を意のままに操ろうとしているのか?
さらには息子をつけるなどと」
「特に頭の回る息子、司馬師は我が意図を汲み取る
それに、既に武徳の地で内政の手腕を振るっておられるあなた様には近いうちに武功を挙げられることも要求されるはずです
その時、同じ理由で断ると言うのですか?」
「っ……しかし、」
司馬懿は真後ろに立ち言い放った。
「人を切り捨てる恐怖、今のうちに体感した方が慣れが早い」
私は立ち上がる。
「私は、少なくとも私の部下を切り捨てることなど絶対にしない!
この話はなかったことにする!」
それから部屋を出た。
一直線に部屋に戻りたかったが、脚が重い。
きっと奴の狙いは徐庶の失墜だ。
私から徐庶を離そうとしている。
思い通りになってたまるものか。
徐庶は私が絶対に守る。
その為にも、一度誓いについて聞かなければならない。
足取りは急ぎ、用意された徐庶の部屋へ向かった。
トントン、と叩けばすぐに返事があるはずなのだが、無言。
いや、誰もいないようだ。
(徐庶が私に何も言わず何処かに行くなんて…
まさか…司馬一派が!?)
振り返り、急ぎ足で来た道を戻る。
「あっ!?」
「わっ!!」
角でぶつかってしまった。
しかしぶつかった主は私が倒れぬよう背中を支えて抱きしめる。
「お、お怪我はありませんか?」
「!!
げ、元直殿
申し訳ありません、前をよく見ずに」
慌てて離れる。
徐庶に何かあったのではないかと心配になっていたが杞憂となって、少し恥ずかしい。
「何か私にご用でも?」
「ええ、少しだけ話が…………え……」
徐庶はフードをしていた。
私と話すときは必ず脱いでいたのに。
目を合わせても脱ぐ様子がない。
微かに見える頰は、いつもと様子が違う。
「ちょ、ちょっと」
手を伸ばすと徐庶は一歩下がる。
そのまま私は歩を詰め、壁に追いやる。
「じっとして」
そのまま頰を触った。
熱があり、腫れている。
「どうしたの、殴られているじゃないか!」
「気になさらないでください
些細なことですので」
「些細なことではない!
大事なことだよ!」
すぐに冷やさなければ。
口の内を切っているのかもしれない。
だとすればそこらの水で口をゆすぐとばい菌が入るだろうから一度煮沸消毒して、冷ましたものを。
そんなことを考えていると徐庶は微笑んで私の手を下ろした。
「ありがとうございます
けど、本当に…俺は平気です
大丈夫ですから」
「大丈夫なわけないだろ
誰に殴られた?
一体誰がこんなことを!」
それには微笑みで受け流されて答えてくれない。
そのもどかしさに、顔を歪めると徐庶は困った顔をした。
「落ち着いてください
あなたがそう気をもむことではありません
これもいつかは治ります」
「………君はいつも…そうやって……」
大事なことは私に話さず置いていってしまう。
私だって同じくらい徐庶を大事に思っている。
かけがえのない人だ。
「っ、申し訳ありま…」
「もういい
いいよ
言わなくていい
言いたくないような内容でもあるなら、無理に聞いた私が悪いんだ
すまない、元直殿」
「あ、っ」
「それじゃあ、私は会議で疲れたから」
心労がたまっていく。
重しとなって辛かった。
それから、戦の出立が決まった。
徐庶は司馬懿の言った通り、何故か出陣には指名されておらず私をただ黙って見ていた。
「ただ身の安全だけをお考えください…」
「ああ、分かっているとも」
一度も徐庶のほうは見れなかった。
なんだか癪だったのだ。
此の期に及んでも私に真実を打ち明けないことが。
あれだけ私を信頼していると言っていたくせに。
別にそういう誓いを立てているならば無理に戦えと強要しない。
ただ、教えてほしいだけなのだ。
私だけ知りたがりの子供のようで、恥ずかしい。
一般兵に混ざり先陣部隊で果てしない道を進んだ。
時折休憩を挟みながらも進軍は続く。
大勢いれど、性別を知られてはならない。
顔を隠し、会話をせず、口の聞けないフリをして、私は孤独との戦いをしていた。
余計徐庶が恋しくなって、泣きつきたくて仕方なくて。
情けなくなって自分を叱責するごとに心のどこかがすり減っていった。
「ここに陣を敷く!
急ぎ本拠地を構えよ!」
司馬懿の言葉に兵はヘトヘトになりながら陣を敷いた。
曹叡も疲弊した様子でそれを見る。
「そこの兵、お前には別の任を与える
中へ来い」
司馬懿は私をわざわざ指名して簡易的な建物の中へ招いた。
「不躾な呼び方で申し訳ない」
「構いません
そうあるべき存在です
それで、何か」
見せたのは上物の着物。
いや、戦闘用にあつらえた衣服だ。
「あの話はなかったことにと!」
「いつかは人を切らねばならない
それは分かっているでしょう
あなたの父上もそうしてきた
現実を見るべきです」
私は人を切るのが嫌だっただけなのか?
いや、それもある。
人は殺したくない。
怖い。怖くてたまらない。
誰か側に
(ダメだ…誰もいない…)
手が震える。
もう殺さなければならないという選択肢しかなかった。
(なきたい、にげたい、こわい、こわい、かえりたい、いやだ、こわい)
しかし手は伸びてそれを掴んだ。
「着替えたら再び私の元へ
きっとお似合いですよ」
司馬懿は近くの椅子に座った。
まるで私を観賞用の人形のように見て笑っている。
そうか、ならばと額当てを外し、帯ひもを解いた。
「んなっ!?何を!?」
「あなたが着替えろと仰った
いちいち外に出てこの上物の衣類を見せびらかせと?
私の裸体が見たくないのであれば、男色家という噂を立てられたくなければどうぞ一度外へ」
わざとらしく髪をほどき、布で押さえている胸を見せた。
すると司馬懿は慌てて外へ出る。
それが可笑しくてクスクスと笑ってやった。
私はただ、影であり、今までの功績もすべてあなたの物になるのだと。
ただ、曹叡はそれを聞いて顔を青ざめていた。
「わ、私は、姉上のような顔をしていません
そのような優秀な頭をしていません
父上、なぜそんなことをされたのですか」
曹丕はただ一言
「魏という国の人柱だ」
そう言い放った。
つまりは国を発展させるためだけの装置。
私たちは国を成長させるための経験値に過ぎないのだ。
「無論、お前が太子に相応しくない器であれば
曹礼を太子とし、東郷の功績を礼に受け渡す。」
それは皇帝の嫡子で、最も寵愛されたという甄姫の息子であるからこそ、逃げられない。
曹叡はどちらにせよ正面からぶつからなければならないのだ。
体が弱い曹叡は青い顔のまま、父の話を聞いているだけだった。
そして、戦が始まるとも伝えられた。
「東郷、貴様も付いて来い
戦の空気を肌で感じよ」
「はっ」
二つ返事の私を弟は凝視する。
こうでもしなければならなかった私の人生、なんなのだろうと思わなくもない。
転がされているだけだ。
曹丕が部屋を出て、この部屋には曹叡とわたしだけだった。
「あ、姉上…」
「気を確かに」
「しかしっ!何故姉上にそのような!まるで、男ではありませんか!」
「ええ、私は男です
胸を潰し、女を愛でました」
びく、と肩を跳ねる。
「私は、そんな……ただ、ただ皇帝になるだけならまだ話が通じます
しかし…姉上が…私の代わり…?
いいや違います
姉上の代わりが私ではありませんか!
父上はそこまでして姉上をっ!」
「被害妄想もいい加減にして
私は現に曹叡と名乗っています
町に降りることはほぼなく、執務でも顔を隠すことが大半です
それでもなおそう言い張りますか」
曹叡は黙り込む。
だが胸の内は晴れるはずない。
「それでは
私は失礼します
よくお休みになられますよう」
水の入った器を投げられた。
曹叡は実のところ、女の功績を受け入れるのが嫌なのだ。
司馬懿というこの魏きっての軍師から直々に教えを受けているのだから当然だ。
ましてや男尊女卑という時代の流れには逆らえない。
そのまま何も言わずに部屋を出た。
待っていた徐庶は物音から察していたのか布を取り出す。
「ありがとう」
曹叡の年齢で、普通に生きてきたのなら感情的になるのも仕方がない。
私だって逆の立場ならああなっていたはずだ。
というか幼い頃、実際にああなったことがある。
曹叡と同じく水をぶちまけた。
ただ静かに用意された自室まで。
息も殺してたどり着き、ようやく呼吸をする。
「すみません、今日は早めに休みます
徐庶さんも、私を気にせず休まれてください」
「ええ…
姫、大丈夫でしたか」
「私は大丈夫です
曹叡は、きっと心の拠り所がないからああなったのだと思うんです
私は幸いにもあなたがいますし」
「ま、また、姫はそういう事を…
私は心配しているのですが…」
「すみません、要らぬ言葉でしたか?」
「いえ、決してそういうわけではありません
ただ…照れが……すみません…大人がこのような調子で…謝るのはこちらの方です」
本当に照れているようで頰がほんのり赤い。
顔を片手で隠しているようだが、耳も赤くなっているので隠しきれてはいない。
久しぶりに徐庶いじりが出来て私はイキイキする。
にんまりと笑っているのに気づいた様子で呆れ気味に、まったく、とこぼしていた。
「ふふ、やっぱり徐庶さんといると落ち着きます
私はもう平気です
心配しないでください」
「…はい、分かりました。」
一つ礼をして、部屋を出る。
「お休みなさい」
「ええ、ゆっくりとお休みくださいませ」
今回、宮中に戻ってきたのは新年の挨拶だけではない。
曹叡に事実を話すこと、それから戦の会議が新年の祝いが終わった後日に行われるため、それの出席。
本来であれば武徳に徐庶を置いて年末年始も滞りなく執務を全うさせるのが良いのだろう。
だが未だに東郷という娘がしっかりしていると思っていないのか、わざわざ徐庶との帰還を命じられた。
確かに役職としては部長と似たようなもので、私の直近の部下…つまり副町長なるものは別に存在する。
有能な人材を登用させているのでよっぽどのことがない限りはヘマはしないだろう。
これでも部下には目配りをして随所補佐をしているつもりだ。
直近10名程度であればどんな仕事ぶりかは知っている。
だからこそ信頼し、憂う事なく徐庶を連れてきた。
しかし、逆に新年の祝いは私が出席するわけにもいかない。
それには曹叡が出ることになっている。
私は部屋の中で竹簡を読むか、筋トレをするかのどれかだ。
外では歓喜に沸く声が聞こえ、実に楽しそうである。
実際にどのようなものか、見てみたい気持ちが強い。
何せ幼い頃から暗殺に注意し、外に出されなかったのだから。
とうとう退屈を持て余し、自分の髪で三つ編みをしていた。
自分でも驚くほどのサラサラヘアーだ。
髪は念入りに洗って乾かしてはいるが、よもやここまで“強い”髪だと一周回って怖くなってしまう。
そうこうしていると、ドアの前に気配がする。
こんな時に来るのは徐庶くらいしかいない。
向こうが話す前にどうぞ、と言う。
「お見通しですね…」
「ええ、
ちょうどよかった
暇を持て余していたところです」
「髪を結ばれていたのですか?」
「遊んでいただけですよ
あまりにも暇なので。
徐庶さん三つ編み出来ます?」
「えっ!?」
ちゃっちゃ、と出来ていく三つ編みと編み込みに唸る。
「やってみます?」
「い、いえっ、恐れ多い
姫の御髪に触れるなんて」
「新年で無礼講です
たまにはいいじゃないですか
誰もこの宮中には居ませんし、刺客だって、盗賊だって今のお祭り騒ぎに夢中ですよ」
「ですが…」
「………もし、徐庶さんのご迷惑になるなら…いいんですけど…」
しおらしくすれば、分かりやすくオロオロし始める。
そしてとうとう折れた。
「で、では、ほんの少しだけ」
「はい、どうぞ
三つ編みはですね…」
徐庶の手を掴んで動かす。
ガラスの器を触れるような、ガチガチに緊張した指先が私にまで伝わる。
「編み込みもわかりました?」
「はい…」
「じゃあやってみてください」
何だかんだと容量が良くて器用な徐庶はあっという間に編み込みを覚えた。
久しぶりに女の子のような髪型が出来て私はつい笑顔を浮かべる。
高く結い上げて、どう?なんて聞いてみた。
「良くお似合いです」
「本当?」
「もちろんです」
私はそれで嬉しいのに、徐庶は一瞬だけ悲しい顔をしていた。
どうしてそんな顔をするのか分からずポカンとしてしまう。
「姫?」
「あ、えっと……こうやって髪で遊ぶのはとても久しぶりだったので、楽しいです」
「ええ、そうですね」
「母上に見せることが出来れば一番良いのでしょうけど
まぁ仕方のないことですね
そうだ、私の遊びに付き合っていただいたので、徐庶さんもゆっくりしてください
今お茶を淹れますから」
「いえ、俺のことは気にせず
今日くらいゆっくりしてください」
「それは私のセリフです
いつも徐庶さんが頑張っているのは知っていますし
それに………先日、父上が私と曹叡のことを魏の人柱と言いました
だとすれば、徐庶さんも…私と同じように、人柱となってしまっているんじゃないかと
…徐庶さんは、ただ私に文字を教えてくれただけなのに」
小さな私に、ただ一人の教師としていてくれただけで道連れにしてしまった。
こんなことになるくらいなら、ただ愚鈍なフリをしていればよかったのだ。
「だから、徐庶さんには出来るだけ恩返しというか…なんていうか…」
「姫、そのように抱え込まないでください
俺のような男には余りにも勿体ないお言葉です」
「まーたそんなこと言って…徐庶さんは自分の価値をわかってないなぁ」
「事実です
俺は…褒められた人間でもなければ姫からそのような言葉を頂けるほど立派な人間でもない
けれど、姫のお側に居ることが俺の生き甲斐なのです
俺の仕えるべき主があなたで良かった」
そこまでいうのなら、徐庶について深く考えるのはよそう。
逆に失礼にあたる。
「うん…私も、あなたがいてくれて良かった
けれどそれはそれとして、労いたい気持ちもあるので黙って座っていなさい」
「ご、強引な方だ…」
「ふふ、誰に似たんでしょうね」
ようやく本命の軍議が始まる。
私は顔を晒せないために、後ろに仕える兵士同様、ただ立ったままじっとしている。
魏を守る5将軍が集まり、錚々たる顔ぶれに私も息を飲んだ。
そうしてようやく曹丕と曹叡が姿を表す。
程なくして会議が始まる。
私は意見できる立場でもなし、文字通りただ今後の方針について聞くだけであった。
流石に2時間以上立ちっぱなしも苦しい。
どちらかといえば精神的にくるものがある。
紆余曲折あったものの、会議は結局呉を集中的に狙う方針に定まった。
現在蜀と呉が同盟関係にあり、魏は孤立している。
国力としては同盟組とほぼ同等であり拮抗していると言えども国二つを相手取っている状態だ。
芳しいはずがない。
しかし今の蜀は、肝心の国主は病に臥せっている。
諸葛亮未だ陣を敷いているが主が亡くなったとあらば一度は撤退するほかない。
それに兵力も少しずつ減っている。
だとすればここで蜀を追撃すると呉が出てくるのは必須。
ならば呉を攻めれば兵力の少ない蜀が増援で来ても魏はさほど困らないというわけだ。
軍全体の指揮は司馬懿が任命された。
曹叡は司馬懿の隣で安全が約束されている。
幹部全員が退出した後、ようやく私も部屋を出ることができた。
しかし息をつくのもつかの間。
まるで待ち伏せているかのようにつり目の男が通路にいた。
司馬懿だ。
私を見るなり笑みを浮かべる。
「初めまして
姓は司馬、字を仲達、名を懿と申します」
この対応、やはり司馬懿も私の存在を知っているらしい。
曹叡の教育係なのだから当たり前ではある。
しかしこのタイミングで私に話しかける意味があるのだろうか。
「噂はかねがね聞き及んでおります、仲達殿
数々の戦で挙げた功績、誠に見事であります」
「遠い地でも私の噂を耳にしているとは恐悦至極」
嫌味を言いたいだけなら早く消えて欲しい。
私はあまりこのようなところに長居したくない。
「して、仲達殿は私にわざわざ挨拶をするだけのためにここでお待ちになっていたと?」
「いいえまさか
おりいったお話をしたいと思っておりました
立ち話もなんですのでこちらへ」
一人で司馬懿について行っていいものか。
出来れば徐庶を連れて行きたかったが生憎彼は会議には出られなかった。
いや、司馬懿はそれを見込んでここで待っていたのだ。
なら腹をくくるしかない。
黙ってついていくことにした。
用意された一室は客間だった。
無論新年の祝いが終わった今では客人などいるはずもなく、絶対に人がないとすぐにわかる。
わざとそのような部屋を選んだのだろう。
「それで、話とは」
「ええ、次の戦についてです。
我が司馬一族も馳せ参じ、次期太子である曹叡様の安全を守るつもりですが…
戦果は上々のほうがよろしいでしょう。
あらかじめあなた様には我が策を伝えておきます
ですのでそれに先んじて出立し、先陣で華々しい功績をお上げください」
「……一番槍になれと?」
「簡単に言えばそうです
しかしまたとない機会であるのも事実
曹叡様の身に箔を付けるには最高のものかと」
「曹叡様は戦は好まれません
それに過度な露出は褒められたものではありません
確かに次期太子となるなら箔があるに越したことはない
しかしあまりにも危険が生じます
大変申し訳ありませんが、お断りいたします」
「ほう、それは徐元直が戦に出られないから、ということでしょうか?」
戦に出られるない?
いや、確かに随分と前にそんなことを言っていた気がする。
しかし直接尋ねていないし徐庶も私には言っていない。
「まさか、あれほど長い時間共に行動していながらなにも聞かされていないのですか
ははぁ、元直殿もお人が悪い」
「構いません
それでも元直は私の師であり忠臣です」
「本当にそう言えるのでしょうか」
「…先程から貴殿は何が言いたい」
苛立ちを隠せず睨む。
感情が現れた私に向かってあざ笑うような、そんな笑い声を出す。
「そう警戒しないでいただきたい
私とて魏の未来を案ずる軍師
そして魏として未だ嘗てない皇帝の器をお持ちのあなたには信頼を寄せているのです
だからこそ、あの徐元直は危険です
即刻離れた方が良い」
「徐元直が危険な男であるならば私はとっくに墓の中だ
私の忠臣を蔑むならばこの話はなかったことにしたい」
「まぁお待ちを」
司馬懿は立ち上がり歩く。
私の横を通り過ぎて背後に回りまた横を過ぎる。
ぐるぐると回っているようだ。
「あの男はとある人物に誓いを立てています
誰かが口を割ったわけではなく行動からわかります
ですので、絶対に、いくら貴方様が戦場で戦うとあっても同じく前線に出ることがないでしょう」
ゆっくりと私の周りを回遊魚のように歩き、言葉が右から前から左からと巡ってくる。
「故に我が息子をつけます
自分で言うのもなんですが腕は立つ
少なくとも、絶対に戦わない徐元直よりは戦いにおいては信頼できるでしょう」
「…いいや、たとえ元直が出ることがなくとも私は構わない
一人で戦地に赴くことは猿でもできよう
それに、先程私に策を伝えるといったな
目まぐるしく変わる戦場で、いくつかの策で戦場が有利になるはずもない
あなたは私を意のままに操ろうとしているのか?
さらには息子をつけるなどと」
「特に頭の回る息子、司馬師は我が意図を汲み取る
それに、既に武徳の地で内政の手腕を振るっておられるあなた様には近いうちに武功を挙げられることも要求されるはずです
その時、同じ理由で断ると言うのですか?」
「っ……しかし、」
司馬懿は真後ろに立ち言い放った。
「人を切り捨てる恐怖、今のうちに体感した方が慣れが早い」
私は立ち上がる。
「私は、少なくとも私の部下を切り捨てることなど絶対にしない!
この話はなかったことにする!」
それから部屋を出た。
一直線に部屋に戻りたかったが、脚が重い。
きっと奴の狙いは徐庶の失墜だ。
私から徐庶を離そうとしている。
思い通りになってたまるものか。
徐庶は私が絶対に守る。
その為にも、一度誓いについて聞かなければならない。
足取りは急ぎ、用意された徐庶の部屋へ向かった。
トントン、と叩けばすぐに返事があるはずなのだが、無言。
いや、誰もいないようだ。
(徐庶が私に何も言わず何処かに行くなんて…
まさか…司馬一派が!?)
振り返り、急ぎ足で来た道を戻る。
「あっ!?」
「わっ!!」
角でぶつかってしまった。
しかしぶつかった主は私が倒れぬよう背中を支えて抱きしめる。
「お、お怪我はありませんか?」
「!!
げ、元直殿
申し訳ありません、前をよく見ずに」
慌てて離れる。
徐庶に何かあったのではないかと心配になっていたが杞憂となって、少し恥ずかしい。
「何か私にご用でも?」
「ええ、少しだけ話が…………え……」
徐庶はフードをしていた。
私と話すときは必ず脱いでいたのに。
目を合わせても脱ぐ様子がない。
微かに見える頰は、いつもと様子が違う。
「ちょ、ちょっと」
手を伸ばすと徐庶は一歩下がる。
そのまま私は歩を詰め、壁に追いやる。
「じっとして」
そのまま頰を触った。
熱があり、腫れている。
「どうしたの、殴られているじゃないか!」
「気になさらないでください
些細なことですので」
「些細なことではない!
大事なことだよ!」
すぐに冷やさなければ。
口の内を切っているのかもしれない。
だとすればそこらの水で口をゆすぐとばい菌が入るだろうから一度煮沸消毒して、冷ましたものを。
そんなことを考えていると徐庶は微笑んで私の手を下ろした。
「ありがとうございます
けど、本当に…俺は平気です
大丈夫ですから」
「大丈夫なわけないだろ
誰に殴られた?
一体誰がこんなことを!」
それには微笑みで受け流されて答えてくれない。
そのもどかしさに、顔を歪めると徐庶は困った顔をした。
「落ち着いてください
あなたがそう気をもむことではありません
これもいつかは治ります」
「………君はいつも…そうやって……」
大事なことは私に話さず置いていってしまう。
私だって同じくらい徐庶を大事に思っている。
かけがえのない人だ。
「っ、申し訳ありま…」
「もういい
いいよ
言わなくていい
言いたくないような内容でもあるなら、無理に聞いた私が悪いんだ
すまない、元直殿」
「あ、っ」
「それじゃあ、私は会議で疲れたから」
心労がたまっていく。
重しとなって辛かった。
それから、戦の出立が決まった。
徐庶は司馬懿の言った通り、何故か出陣には指名されておらず私をただ黙って見ていた。
「ただ身の安全だけをお考えください…」
「ああ、分かっているとも」
一度も徐庶のほうは見れなかった。
なんだか癪だったのだ。
此の期に及んでも私に真実を打ち明けないことが。
あれだけ私を信頼していると言っていたくせに。
別にそういう誓いを立てているならば無理に戦えと強要しない。
ただ、教えてほしいだけなのだ。
私だけ知りたがりの子供のようで、恥ずかしい。
一般兵に混ざり先陣部隊で果てしない道を進んだ。
時折休憩を挟みながらも進軍は続く。
大勢いれど、性別を知られてはならない。
顔を隠し、会話をせず、口の聞けないフリをして、私は孤独との戦いをしていた。
余計徐庶が恋しくなって、泣きつきたくて仕方なくて。
情けなくなって自分を叱責するごとに心のどこかがすり減っていった。
「ここに陣を敷く!
急ぎ本拠地を構えよ!」
司馬懿の言葉に兵はヘトヘトになりながら陣を敷いた。
曹叡も疲弊した様子でそれを見る。
「そこの兵、お前には別の任を与える
中へ来い」
司馬懿は私をわざわざ指名して簡易的な建物の中へ招いた。
「不躾な呼び方で申し訳ない」
「構いません
そうあるべき存在です
それで、何か」
見せたのは上物の着物。
いや、戦闘用にあつらえた衣服だ。
「あの話はなかったことにと!」
「いつかは人を切らねばならない
それは分かっているでしょう
あなたの父上もそうしてきた
現実を見るべきです」
私は人を切るのが嫌だっただけなのか?
いや、それもある。
人は殺したくない。
怖い。怖くてたまらない。
誰か側に
(ダメだ…誰もいない…)
手が震える。
もう殺さなければならないという選択肢しかなかった。
(なきたい、にげたい、こわい、こわい、かえりたい、いやだ、こわい)
しかし手は伸びてそれを掴んだ。
「着替えたら再び私の元へ
きっとお似合いですよ」
司馬懿は近くの椅子に座った。
まるで私を観賞用の人形のように見て笑っている。
そうか、ならばと額当てを外し、帯ひもを解いた。
「んなっ!?何を!?」
「あなたが着替えろと仰った
いちいち外に出てこの上物の衣類を見せびらかせと?
私の裸体が見たくないのであれば、男色家という噂を立てられたくなければどうぞ一度外へ」
わざとらしく髪をほどき、布で押さえている胸を見せた。
すると司馬懿は慌てて外へ出る。
それが可笑しくてクスクスと笑ってやった。