幼少期
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一部の女中が殺された。
理由は簡単だ。
数か月にわたり、私に毒を微量ながら盛っていたようだ。
首謀者はもちろんわかっている。
女中と内通していた側室だった。
曹丕の子に毒を盛ったという理由で、死刑など簡単にできる。
結局この宮中に女が4人ほど減った。
そして私は打って変わって余計部屋に閉じ込められるばかりだった。
だが、曹丕が命じた信頼できる女中が食事などの世話を任された。
とはいえ、外に出られないわけでもなく、
毒を克服した私に、曹丕が時折庭へ連れ出した。
そこでも書簡を片手に持っていたりはするが、曹丕にとっては息抜きのようなものなのだろう。
「母上は、弟の叡は元気にしていますか」
「ああ、もう少しすれば会わせてやろう
甄もお前の容体を心配していた故な」
以前と何不自由ない生活だが、曹丕と話をする機会が増えたのはいいことだ。
何より印象が変わった。
どこが、と言われれば少し返答に困る。
とにかく、とんでもない冷徹漢というわけではないと知った。
一度懐に入れた者には寛大、という言い方が正しいだろう。
「風がでてきたな
東郷、部屋に戻るぞ」
「はい」
曹丕も、父親として受け入れられそうだ。
そんな淡い希望を胸にただ日々を過ごす。
それから2年後。私が8歳のとき。
確かにそれまで、甄姫と会いたいと言えば、様々な理由で却下されていた。
うっすらと気づいてはいたが、軟禁されている。
部屋が変わったことは、毒を盛られた時点で部屋の特定をされないためにも必然的なことであったが。
それでも甄姫と顔を合わせていない。
私は部屋にやってきた曹丕に思い切って尋ねることにした。
もっと早めに聞けばよかったのだが、それでも軟禁前は一人でいることが多く、誰一人として会わないことに違和感を覚えていなかったのだ。
「あの…父上……
私は、ここのところ、母上にあっていなくて…」
「東郷、少し話をする
ここに座れ」
言われた通り座ると、曹丕は淡々と話す。
「お前をよく思わない者が多い故に隠してきた
甄はお前を可愛がってはいたが、男子が生まれれば見向きもしなくなった」
何も改めて真実を言わなくてもよくない?
無駄にショックを受ける。
「そして、お前をこのまま宮中のいざこざに巻き込まれてはたまらん
しばしよそへ預けることにした」
「…え、」
「案ずるな
事が落ち着けばすぐ宮中へ戻す」
けれどそれは事実、売り飛ばされるのと同意義では?
顔が青くなる私に、落ち着かせるように頭を撫でる。
たったそれだけで落ち着けるのなら、精神科医はいらないだろう。
「ど、どういう、ことですか
私は、どこにいくんですか」
「そこで学べ
全てを」
「待ってください、
父上、ひとりにしないで…」
曹丕は眉間のしわを深くする。
「東郷、お前をもとよりただの女として育てるつもりはない
この先もなお生き続けるのだとすれば
お前を次の世継ぎとする」
「………………は?」
「支度は済ませている
馬に乗り、案内人についていけ
そこでより強くなれ」
「ちょっ、ちょっと、え?
父上!?どういうことです!?
私、女ですよ!?」
結局そのまま馬車の中へ投げ込まれるように、宮中から放り出された。
意味わかんねー!!と叫びたくなったが、実際に叫んでしまった。
「どういうこと!?」
案内人もさすがに気の毒な顔をしていた。
数日間馬車に揺られる。
何より一番大変そうなのはこの案内人だ。
私に構わず休むように言っても、気を使うばかり。
逆に私が気を使えば、恐れ多いと遠慮してしまう。
威光が強すぎるのも考えものだ。
時に雨が降り、時にカンカン照りで、馬を休ませて水を飲ませたり
とにかく目的地までが遠かった。
車に乗りたいと強く思うが馬は荷物も運んでいるので無理なことは言えない。
「長旅ご苦労様でした
目的地です」
曹丕から投げ出されて1週間以上は経っていた。
私は移動だけでヘロヘロになっている。
「案内ご苦労様でした」
「はっ」
ともあれ山奥にあるのは貧相な建物。
山小屋と言えばいいかもしれないが、今にも朽ち果てそうだ。
案内役が戸を叩く。
一体こんなところに何があるというのか。
私が訝しげに見ていると、案内人は合言葉を口にする。
余計私は眉をひそめる事になるが、その戸を開ければ驚きのあまり息が止まった。
「ご苦労様、曹子桓殿にこちらを」
「は、承りました」
顔つきが何一つ変わっていない。
いや、少しだけやつれているような気がするが、それでもわかる。
だって無精髭が生えているのだから。
案内人は私に一つ頭を下げ、そして役目を終えて宮中に戻っていく。
私は驚きを通り越して混乱していた。
「東郷姫さま、驚かせてすみません」
フードを外すと、妙に跳ねている髪といつもの困っていそうな顔つき。
「徐庶さん!!?」
「はい、そうです
よかった、忘れられなくて」
「忘れるわけないじゃないですか!!
なんで!?どうして!?」
「道すがら話しましょうか
俺の後についてきてください」
いやそう簡単に片付けられるはずがない。
嬉しくないわけがないが、まるでドッキリ大成功!みたいなテンションなのでむしろ腹がたつ。
曹丕に追い出されるわ1週間以上わけもわからず運ばれてその先に徐庶がいる?
私の心配をよそに二人は結託していたのか?
「この…バカッ!!」
「どぅふ!?」
思い切り腹を殴った。
一発では収まらない。
もう一発、肩を殴った。
「バカッ!!」
「ぐっ…!?
東郷姫、お、落ち着いて」
「落ち着けるわけないじゃんバカ!!」
「痛い!?」
最終的に頭を殴ってようやく気が済んだ。
「私ずっと徐庶のこと探してたのに!!
いろんな人に聞いて回ったのに!!
なんでこんなとこにいるの!!
なんで約束破ったの!!
なんで私をひとりにしたの!!」
「姫……もうしわけありま…
いだっ!?」
「うっさい!!徐庶のばーか!!」
勢いついでに腕を殴る。
私だけが翻弄されていたことと、徐庶が無事だったことが混じり合って悔しいのか嬉しいのかわからず涙が勝手に落ちる。
「姫
申し訳ありませんでした
どうか、泣かないでください」
徐庶は膝をついて私を覗き込む。
前よりゴツゴツした手が涙を拭いていく。
本当に子供のようにしゃくり上げてはうわ言で馬鹿と羅列する。
「もう、どこにもいきません
私はあなたの側から離れませんから」
「…徐庶嘘つく」
「本当です
では、誓いましょうか」
拳を手のひらに当てるので、冷静になった私は首を横に振った。
「…徐庶さんのことだから
理由があって、離れたんだと思う
だから…もう、誓わなくていい
…いっぱい殴ってごめんなさい…」
「いいえ、俺は大丈夫です
けれど本当に寂しい思いをさせてしまいすみませんでした
東郷姫、もう何も言わず離れることはありません
約束も、破りません」
私は思わず徐庶に抱きつく。
徐庶は驚いていたがただ黙って受け止めてくれた。
背中を撫でて、それからゆっくりと離れた。
「大丈夫ですか?」
「うん…」
「それじゃあ行きましょうか」
「うん…」
徐庶の後に黙ってついて行く。
ずいぶんな獣道で、今にも動物が飛び出してきそうだ。
それにここは中国大陸。虎なんかが出たらシャレにならない。
「徐庶さん、ここ、なんですか?」
「曹子桓殿からなんと言われてきましたか?」
「………えっと…放り出されただけのような」
徐庶は苦笑いをする。
何せ1週間も前のことなので、その間ずっと理解不能のまま過ごしたわけで、断片的なことしか覚えていなかった。
「たしか…あ、そう、そうです!
世継ぎにするとかなんとか言ってたんですけど!嘘ですよね!?」
「本気ですよ
あなたを2代目の皇帝にしようとしています。
ですので、東郷姫を俺に預けられました。」
「え」
それ以上は何も言えない。
本気なのだと知ってしまい、私は言葉を失った。
不安しか浮かばない。
歩みも止めたくなって、ただ徐庶を見上げるだけだ。
「大丈夫です、俺がお傍にいます
さっき約束したでしょう?」
「う、うん」
「俺が曹子桓殿から受けた命は、数年間、あなたに学問と剣術を教えることです
物覚えがいい東郷姫さまなら、きっと大丈夫ですよ」
不安しかないのだが。
それはつまり、戦の最前線に行く可能性だってあるということで。
場合によってはさっさと死んでしまうこともあり得る。
それに宮中だけでも側室同士の対立や、毒を仕込むことだってあるのだ。
そんなところのてっぺんに立つなど、無理というかしたくない。
獣道は長い間続いた。
時折徐庶が短剣で茂みを切り裂き、進んでいく。
そうしてようやくたどり着いたのはやっぱり山小屋。
先ほどよりはまだ生活感がある。
「ここは魏軍の少数精鋭が先兵として使う簡易基地です。
それを今は俺が使っているんですが
ここで俺の持てるすべてを姫にお教えします」
「……でも、私、全然、できる気がしないし…
怖いですし…」
「曹子桓殿はあなたに全幅の期待を寄せています
現在太子とされている曹礼殿よりも」
「でも、けど…」
「それが、魏を支える一族に生まれた者の使命です」
拾われただけなのに?
たったそれだけのことで、命をとして守らなければならないものがあの魏にあるとは思えなかった。
けれど、私の生きる道はそれしかないのだろう。
逆に言えば、徐庶もそうするしかない。
ほぼ直感的にそれを感じ取った。
なら、自分に言い訳をしよう。
優しい甄姫を守ろう。
甄姫が好きな曹叡を守ろう。
最後に優しくしてくれた曹丕のために頑張ろう。
いつまでも私に真摯でいてくれた徐庶がいてくれるなら、生きるしかない。
「わかりました…」
決断の一言はひどく弱弱しい。
けれど徐庶は膝をつき、拳を手のひらにあてて頭を下げた。
「これより、私はあなたの忠臣となります
この命が果てるまで、お傍におります」
■
それからというもの、私は学問や剣術に励むだけではなく、自前で野ウサギを狩ったり、食べられる食糧を手に入れて捌いた。
何を隠そう、サバイバルだ。
飲み水の確保だけでもこんなに苦労するとは思わなかった。
2年で徐庶が少しやつれたという感想は、ある意味驚嘆する。
2年間この生活を続けても゛少しのやつれ”で済まされるのだから。
それから、悪いものを食べたらすぐ吐くという悪い癖もついてしまった。
徐庶は死ぬほど驚いていて、私よりも青くなっていた。
ともあれあの毒のおかげで死にかけなのか、まだ大丈夫なのか、その判別がつくようになった。
「姫はたくましいですね」
「え?」
たしかに、サバイバル生活は数えるだけで2年は経っていた。
毎日壁に短剣で切り込みを入れて日数を数えていた。
1年目はとてもつらいし寒いし暑いし虫に刺されるわで大変だった。
だが人間追い込まれると色々な知恵を絞る。
虫が寄らないようにとりあえず葉っぱを燻したり、少しでも涼しくするために日の向きや風の通りを把握したり。
寒さは仕方がないので遠慮なく徐庶にくっついていたが。
その一年と慣れてきた2年目。
そのすべてを評価してくれたようだ。
「それをいうなら、徐庶さんだってすごいじゃないですか」
「いえ、なんというか…姫は幼少の頃より可憐な顔立ちをされていたので
それが余計際立つといいますか」
「顔?」
今思えば、鏡などというものはない。正しく自分の顔を把握するには銅鏡と言って、鉄の塊を限界まで磨き上げたものを゛鏡”と称して使っていた。
結局髪を結い上げるのは慣れたら自分でもできていたし、鏡などあまり見ていないのでちゃんと見たことがなかった。
そもそもまだ10歳なのでニキビなどできるはずもないし、自分の顔を触る分にはツルツルだし。
「顔…ですか……」
「もしかして…あまり気にされたことがないのですか?」
「はい」
「えっっっとお………」
私の受け答えはかなり予想外だったらしい。
すぐに水を汲んで来て、静かになった水面を私は覗き込む。
「……けっこう可愛い?」
「はい」
「うーん…でも父上も顔はいいですし、孟徳さまもなかなか渋くて……」
「ああ…周りがああですからね…」
「あっ、でも徐庶さんの顔もかっこよくて私好きですよ」
「あ、あまりからかわないでください」
「本当ですよ、私嘘は言いませんから」
「…さぁ、授業の続きです」
思い切り照れ隠しで話をそらされた。
自信がない人なのでほめ過ぎるとどうなるのだろうか。
顔が真っ赤になってぶっ倒れてしまう未来が見えてしまったのでそのまま話を流してあげた。
それより、徐庶はたくましい私を意外と言ったが、それを言うなら私こそ徐庶の剣の腕に意外性を感じた。
文官としての彼しか知らなかったので、するどい剣戟を初めて受けたとき全身の鳥肌が立った。
ついでに腰も抜けた。
これで人を殺したこともあるのだろう。
切っ先に殺気の気配を感じた。
その後の徐庶の笑顔は優しいものなのに。
まだまだ徐庶について知らないことがたくさん出てくるだろう。
けれどそのいずれも、私はいつだって受け止める準備は出来ている。
そうしてさらに2年。
私が12歳の時。
「徐庶さーん!人助けしたらこーんなに山菜いただきました!」
すっかり野生児になった私は殺したウサギと一緒に山菜を抱えて小屋へ戻ってきた。
「徐庶さん?」
入り口から見た背中はなんだか寂しそうにも見えてしまう。
なんだか話しかけづらくなって棒立ちした。
「ん、ああ、たくさんいただいたんですね
せっかくですから捌いて鍋にしましょうか」
「そ、それはいいんですけど…
何かあったんですか?」
「ええ、まぁ
曹子桓殿より便りが届きました」
「えっ」
「宮中に帰還せよとのことです」
反射的に徐庶の腕を掴む。
虚空の目に徐庶を映すと、笑われてしまった。
「大丈夫ですよ
もちろん、俺も一緒です」
「や、その、疑ったわけじゃないんですけど…」
ただ帰還しろというだけであんな空気を醸し出すとは思えなかったのだ。
「…ほんとに?」
「帰還命令の中に俺も入っているのは事実です
さて、ではこれからの話もしましょう」
山菜とウサギを脇に置いて話を聞く。
今までの、教授するだけの話ではないことに一抹の不安と緊張を抱えた。
「これから姫は帰還しだい、太子として迎えられます
ただし、あくまで性別は隠し通せとのこと」
「………えっと……」
「男として生きろ、とも仰っていませんが、そう受け取ってもいいかと」
「……それこそ世継ぎどうするんですか?」
「それは子桓殿に尋ねるほかないですね
しかし何も考えなしにそう言っているわけではありません
その点は信頼するしかありません」
確かに、急に女を太子として立てるには無理がある。
男尊女卑の時代の真っただ中。
そんなことすれば反乱やこれまでの内政転覆も考えられる。
(むしろそこまでのリスクを抱えてまで私を太子にする理由が見当たらないんだけど)
「姫、このまま帰還すれば通常の女性としての人生はおよそ歩めないでしょう」
「構いません
太子として名指しされたときからこうなるとわかっていましたから」
「…そうですか、わかりました
それでは明日、出立しましょう」
「じゃあ鍋しましょう!
いっぱい食べましょう!」
どちらかというと私よりも徐庶のほうが心配しているように見えた。
そのためにもたくさん食べさせてやろう。
それからうんと安心させてやろう。
理由は簡単だ。
数か月にわたり、私に毒を微量ながら盛っていたようだ。
首謀者はもちろんわかっている。
女中と内通していた側室だった。
曹丕の子に毒を盛ったという理由で、死刑など簡単にできる。
結局この宮中に女が4人ほど減った。
そして私は打って変わって余計部屋に閉じ込められるばかりだった。
だが、曹丕が命じた信頼できる女中が食事などの世話を任された。
とはいえ、外に出られないわけでもなく、
毒を克服した私に、曹丕が時折庭へ連れ出した。
そこでも書簡を片手に持っていたりはするが、曹丕にとっては息抜きのようなものなのだろう。
「母上は、弟の叡は元気にしていますか」
「ああ、もう少しすれば会わせてやろう
甄もお前の容体を心配していた故な」
以前と何不自由ない生活だが、曹丕と話をする機会が増えたのはいいことだ。
何より印象が変わった。
どこが、と言われれば少し返答に困る。
とにかく、とんでもない冷徹漢というわけではないと知った。
一度懐に入れた者には寛大、という言い方が正しいだろう。
「風がでてきたな
東郷、部屋に戻るぞ」
「はい」
曹丕も、父親として受け入れられそうだ。
そんな淡い希望を胸にただ日々を過ごす。
それから2年後。私が8歳のとき。
確かにそれまで、甄姫と会いたいと言えば、様々な理由で却下されていた。
うっすらと気づいてはいたが、軟禁されている。
部屋が変わったことは、毒を盛られた時点で部屋の特定をされないためにも必然的なことであったが。
それでも甄姫と顔を合わせていない。
私は部屋にやってきた曹丕に思い切って尋ねることにした。
もっと早めに聞けばよかったのだが、それでも軟禁前は一人でいることが多く、誰一人として会わないことに違和感を覚えていなかったのだ。
「あの…父上……
私は、ここのところ、母上にあっていなくて…」
「東郷、少し話をする
ここに座れ」
言われた通り座ると、曹丕は淡々と話す。
「お前をよく思わない者が多い故に隠してきた
甄はお前を可愛がってはいたが、男子が生まれれば見向きもしなくなった」
何も改めて真実を言わなくてもよくない?
無駄にショックを受ける。
「そして、お前をこのまま宮中のいざこざに巻き込まれてはたまらん
しばしよそへ預けることにした」
「…え、」
「案ずるな
事が落ち着けばすぐ宮中へ戻す」
けれどそれは事実、売り飛ばされるのと同意義では?
顔が青くなる私に、落ち着かせるように頭を撫でる。
たったそれだけで落ち着けるのなら、精神科医はいらないだろう。
「ど、どういう、ことですか
私は、どこにいくんですか」
「そこで学べ
全てを」
「待ってください、
父上、ひとりにしないで…」
曹丕は眉間のしわを深くする。
「東郷、お前をもとよりただの女として育てるつもりはない
この先もなお生き続けるのだとすれば
お前を次の世継ぎとする」
「………………は?」
「支度は済ませている
馬に乗り、案内人についていけ
そこでより強くなれ」
「ちょっ、ちょっと、え?
父上!?どういうことです!?
私、女ですよ!?」
結局そのまま馬車の中へ投げ込まれるように、宮中から放り出された。
意味わかんねー!!と叫びたくなったが、実際に叫んでしまった。
「どういうこと!?」
案内人もさすがに気の毒な顔をしていた。
数日間馬車に揺られる。
何より一番大変そうなのはこの案内人だ。
私に構わず休むように言っても、気を使うばかり。
逆に私が気を使えば、恐れ多いと遠慮してしまう。
威光が強すぎるのも考えものだ。
時に雨が降り、時にカンカン照りで、馬を休ませて水を飲ませたり
とにかく目的地までが遠かった。
車に乗りたいと強く思うが馬は荷物も運んでいるので無理なことは言えない。
「長旅ご苦労様でした
目的地です」
曹丕から投げ出されて1週間以上は経っていた。
私は移動だけでヘロヘロになっている。
「案内ご苦労様でした」
「はっ」
ともあれ山奥にあるのは貧相な建物。
山小屋と言えばいいかもしれないが、今にも朽ち果てそうだ。
案内役が戸を叩く。
一体こんなところに何があるというのか。
私が訝しげに見ていると、案内人は合言葉を口にする。
余計私は眉をひそめる事になるが、その戸を開ければ驚きのあまり息が止まった。
「ご苦労様、曹子桓殿にこちらを」
「は、承りました」
顔つきが何一つ変わっていない。
いや、少しだけやつれているような気がするが、それでもわかる。
だって無精髭が生えているのだから。
案内人は私に一つ頭を下げ、そして役目を終えて宮中に戻っていく。
私は驚きを通り越して混乱していた。
「東郷姫さま、驚かせてすみません」
フードを外すと、妙に跳ねている髪といつもの困っていそうな顔つき。
「徐庶さん!!?」
「はい、そうです
よかった、忘れられなくて」
「忘れるわけないじゃないですか!!
なんで!?どうして!?」
「道すがら話しましょうか
俺の後についてきてください」
いやそう簡単に片付けられるはずがない。
嬉しくないわけがないが、まるでドッキリ大成功!みたいなテンションなのでむしろ腹がたつ。
曹丕に追い出されるわ1週間以上わけもわからず運ばれてその先に徐庶がいる?
私の心配をよそに二人は結託していたのか?
「この…バカッ!!」
「どぅふ!?」
思い切り腹を殴った。
一発では収まらない。
もう一発、肩を殴った。
「バカッ!!」
「ぐっ…!?
東郷姫、お、落ち着いて」
「落ち着けるわけないじゃんバカ!!」
「痛い!?」
最終的に頭を殴ってようやく気が済んだ。
「私ずっと徐庶のこと探してたのに!!
いろんな人に聞いて回ったのに!!
なんでこんなとこにいるの!!
なんで約束破ったの!!
なんで私をひとりにしたの!!」
「姫……もうしわけありま…
いだっ!?」
「うっさい!!徐庶のばーか!!」
勢いついでに腕を殴る。
私だけが翻弄されていたことと、徐庶が無事だったことが混じり合って悔しいのか嬉しいのかわからず涙が勝手に落ちる。
「姫
申し訳ありませんでした
どうか、泣かないでください」
徐庶は膝をついて私を覗き込む。
前よりゴツゴツした手が涙を拭いていく。
本当に子供のようにしゃくり上げてはうわ言で馬鹿と羅列する。
「もう、どこにもいきません
私はあなたの側から離れませんから」
「…徐庶嘘つく」
「本当です
では、誓いましょうか」
拳を手のひらに当てるので、冷静になった私は首を横に振った。
「…徐庶さんのことだから
理由があって、離れたんだと思う
だから…もう、誓わなくていい
…いっぱい殴ってごめんなさい…」
「いいえ、俺は大丈夫です
けれど本当に寂しい思いをさせてしまいすみませんでした
東郷姫、もう何も言わず離れることはありません
約束も、破りません」
私は思わず徐庶に抱きつく。
徐庶は驚いていたがただ黙って受け止めてくれた。
背中を撫でて、それからゆっくりと離れた。
「大丈夫ですか?」
「うん…」
「それじゃあ行きましょうか」
「うん…」
徐庶の後に黙ってついて行く。
ずいぶんな獣道で、今にも動物が飛び出してきそうだ。
それにここは中国大陸。虎なんかが出たらシャレにならない。
「徐庶さん、ここ、なんですか?」
「曹子桓殿からなんと言われてきましたか?」
「………えっと…放り出されただけのような」
徐庶は苦笑いをする。
何せ1週間も前のことなので、その間ずっと理解不能のまま過ごしたわけで、断片的なことしか覚えていなかった。
「たしか…あ、そう、そうです!
世継ぎにするとかなんとか言ってたんですけど!嘘ですよね!?」
「本気ですよ
あなたを2代目の皇帝にしようとしています。
ですので、東郷姫を俺に預けられました。」
「え」
それ以上は何も言えない。
本気なのだと知ってしまい、私は言葉を失った。
不安しか浮かばない。
歩みも止めたくなって、ただ徐庶を見上げるだけだ。
「大丈夫です、俺がお傍にいます
さっき約束したでしょう?」
「う、うん」
「俺が曹子桓殿から受けた命は、数年間、あなたに学問と剣術を教えることです
物覚えがいい東郷姫さまなら、きっと大丈夫ですよ」
不安しかないのだが。
それはつまり、戦の最前線に行く可能性だってあるということで。
場合によってはさっさと死んでしまうこともあり得る。
それに宮中だけでも側室同士の対立や、毒を仕込むことだってあるのだ。
そんなところのてっぺんに立つなど、無理というかしたくない。
獣道は長い間続いた。
時折徐庶が短剣で茂みを切り裂き、進んでいく。
そうしてようやくたどり着いたのはやっぱり山小屋。
先ほどよりはまだ生活感がある。
「ここは魏軍の少数精鋭が先兵として使う簡易基地です。
それを今は俺が使っているんですが
ここで俺の持てるすべてを姫にお教えします」
「……でも、私、全然、できる気がしないし…
怖いですし…」
「曹子桓殿はあなたに全幅の期待を寄せています
現在太子とされている曹礼殿よりも」
「でも、けど…」
「それが、魏を支える一族に生まれた者の使命です」
拾われただけなのに?
たったそれだけのことで、命をとして守らなければならないものがあの魏にあるとは思えなかった。
けれど、私の生きる道はそれしかないのだろう。
逆に言えば、徐庶もそうするしかない。
ほぼ直感的にそれを感じ取った。
なら、自分に言い訳をしよう。
優しい甄姫を守ろう。
甄姫が好きな曹叡を守ろう。
最後に優しくしてくれた曹丕のために頑張ろう。
いつまでも私に真摯でいてくれた徐庶がいてくれるなら、生きるしかない。
「わかりました…」
決断の一言はひどく弱弱しい。
けれど徐庶は膝をつき、拳を手のひらにあてて頭を下げた。
「これより、私はあなたの忠臣となります
この命が果てるまで、お傍におります」
■
それからというもの、私は学問や剣術に励むだけではなく、自前で野ウサギを狩ったり、食べられる食糧を手に入れて捌いた。
何を隠そう、サバイバルだ。
飲み水の確保だけでもこんなに苦労するとは思わなかった。
2年で徐庶が少しやつれたという感想は、ある意味驚嘆する。
2年間この生活を続けても゛少しのやつれ”で済まされるのだから。
それから、悪いものを食べたらすぐ吐くという悪い癖もついてしまった。
徐庶は死ぬほど驚いていて、私よりも青くなっていた。
ともあれあの毒のおかげで死にかけなのか、まだ大丈夫なのか、その判別がつくようになった。
「姫はたくましいですね」
「え?」
たしかに、サバイバル生活は数えるだけで2年は経っていた。
毎日壁に短剣で切り込みを入れて日数を数えていた。
1年目はとてもつらいし寒いし暑いし虫に刺されるわで大変だった。
だが人間追い込まれると色々な知恵を絞る。
虫が寄らないようにとりあえず葉っぱを燻したり、少しでも涼しくするために日の向きや風の通りを把握したり。
寒さは仕方がないので遠慮なく徐庶にくっついていたが。
その一年と慣れてきた2年目。
そのすべてを評価してくれたようだ。
「それをいうなら、徐庶さんだってすごいじゃないですか」
「いえ、なんというか…姫は幼少の頃より可憐な顔立ちをされていたので
それが余計際立つといいますか」
「顔?」
今思えば、鏡などというものはない。正しく自分の顔を把握するには銅鏡と言って、鉄の塊を限界まで磨き上げたものを゛鏡”と称して使っていた。
結局髪を結い上げるのは慣れたら自分でもできていたし、鏡などあまり見ていないのでちゃんと見たことがなかった。
そもそもまだ10歳なのでニキビなどできるはずもないし、自分の顔を触る分にはツルツルだし。
「顔…ですか……」
「もしかして…あまり気にされたことがないのですか?」
「はい」
「えっっっとお………」
私の受け答えはかなり予想外だったらしい。
すぐに水を汲んで来て、静かになった水面を私は覗き込む。
「……けっこう可愛い?」
「はい」
「うーん…でも父上も顔はいいですし、孟徳さまもなかなか渋くて……」
「ああ…周りがああですからね…」
「あっ、でも徐庶さんの顔もかっこよくて私好きですよ」
「あ、あまりからかわないでください」
「本当ですよ、私嘘は言いませんから」
「…さぁ、授業の続きです」
思い切り照れ隠しで話をそらされた。
自信がない人なのでほめ過ぎるとどうなるのだろうか。
顔が真っ赤になってぶっ倒れてしまう未来が見えてしまったのでそのまま話を流してあげた。
それより、徐庶はたくましい私を意外と言ったが、それを言うなら私こそ徐庶の剣の腕に意外性を感じた。
文官としての彼しか知らなかったので、するどい剣戟を初めて受けたとき全身の鳥肌が立った。
ついでに腰も抜けた。
これで人を殺したこともあるのだろう。
切っ先に殺気の気配を感じた。
その後の徐庶の笑顔は優しいものなのに。
まだまだ徐庶について知らないことがたくさん出てくるだろう。
けれどそのいずれも、私はいつだって受け止める準備は出来ている。
そうしてさらに2年。
私が12歳の時。
「徐庶さーん!人助けしたらこーんなに山菜いただきました!」
すっかり野生児になった私は殺したウサギと一緒に山菜を抱えて小屋へ戻ってきた。
「徐庶さん?」
入り口から見た背中はなんだか寂しそうにも見えてしまう。
なんだか話しかけづらくなって棒立ちした。
「ん、ああ、たくさんいただいたんですね
せっかくですから捌いて鍋にしましょうか」
「そ、それはいいんですけど…
何かあったんですか?」
「ええ、まぁ
曹子桓殿より便りが届きました」
「えっ」
「宮中に帰還せよとのことです」
反射的に徐庶の腕を掴む。
虚空の目に徐庶を映すと、笑われてしまった。
「大丈夫ですよ
もちろん、俺も一緒です」
「や、その、疑ったわけじゃないんですけど…」
ただ帰還しろというだけであんな空気を醸し出すとは思えなかったのだ。
「…ほんとに?」
「帰還命令の中に俺も入っているのは事実です
さて、ではこれからの話もしましょう」
山菜とウサギを脇に置いて話を聞く。
今までの、教授するだけの話ではないことに一抹の不安と緊張を抱えた。
「これから姫は帰還しだい、太子として迎えられます
ただし、あくまで性別は隠し通せとのこと」
「………えっと……」
「男として生きろ、とも仰っていませんが、そう受け取ってもいいかと」
「……それこそ世継ぎどうするんですか?」
「それは子桓殿に尋ねるほかないですね
しかし何も考えなしにそう言っているわけではありません
その点は信頼するしかありません」
確かに、急に女を太子として立てるには無理がある。
男尊女卑の時代の真っただ中。
そんなことすれば反乱やこれまでの内政転覆も考えられる。
(むしろそこまでのリスクを抱えてまで私を太子にする理由が見当たらないんだけど)
「姫、このまま帰還すれば通常の女性としての人生はおよそ歩めないでしょう」
「構いません
太子として名指しされたときからこうなるとわかっていましたから」
「…そうですか、わかりました
それでは明日、出立しましょう」
「じゃあ鍋しましょう!
いっぱい食べましょう!」
どちらかというと私よりも徐庶のほうが心配しているように見えた。
そのためにもたくさん食べさせてやろう。
それからうんと安心させてやろう。