幼少期
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両親である曹丕と甄姫が帰ってきてたったの三日後。
かの教師は職を解かれた。
可哀そうに、と思っていたら代わりに来たのはあの無精ひげで腰の低い男だった。
「こ、こんにちは、東郷姫」
しばらく部屋に缶詰めにさせられていた私にとってはとても嬉しい事件だ。
固まっていた表情筋が全力で笑顔を支える。
「徐庶さんだ!」
駆けより、袖を掴む。
「あの、あの、
あの文、一緒に読んだ文、練習してました」
「暗記していたのですか?
姫が賢すぎて、すべての文官が嫉妬しそうですね」
「でも、なんで、どうして、ここにきたんですか?」
「曹孟徳殿より直々の命令で東郷姫の教育を一任されました」
では数日前、名前を尋ねられたのはそういうことだったのか。
全くの杞憂で終わってほっとする。
それに慣れた人から物を教わることは存外に楽しい。
何より安心できる。
「今日からですか?今ですか?すぐですか?」
「ええ、そうですよ」
朗らかな笑顔に私もまた笑顔になる。
それからすぐに机に向かい、徐庶と竹簡を読む。
こそこそと隠れなくてもいい状況に、私は随分浮かれていたようで気が付くと授業の時間はゆうに過ぎていた。
女中に声をかけられて改めて気づいた。
「姫、お時間がもう過ぎてしまっています」
「え、」
「失礼しました
私もつい時間を忘れてしまっていたようです」
竹簡を巻き、片づける。
「明日もありますか?」
「明日だけではなく、明後日もありますよ」
「ほんとですかぁ!」
「ふふ、姫は母君に似て素敵な笑顔をされますね」
そんなこと言われたことがなく、お世辞だとしても少し照れてしまう。
「今日はありがとうございました
明日もよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、ありがとうございました」
徐庶に急な用事が入らない限り、明日も明後日もいろんなことを教えてくれる。
それだけで見聞が増えるし、何より彼は教え方がうまいし分かりやすい。
私でなくとも他の人間が同じ授業を受ければあっという間に文字など読めてしまうだろう。
部屋の外まで徐庶を見送り、さっそく明日が楽しみになっていた。
徐庶の授業を受け始めてあっという間に1か月が経った頃。
夜中に宮中があわただしくなっていた。
その喧噪に私は起こされ、少しだけ戸を開けた。
向こうの建物から明かりが漏れている。
何か問題が発生したなら女中がすぐに駆け込んでくるはずだ。
だとすれば一体なんなのだろうか。
私に気を回さずともよい、事件とは。
気になった私はひっそり部屋を出て野次馬しに行った。
大人に見つかればすぐ部屋に連行されるので、これはスニーキングミッションだ。
上手く角に隠れたり、死角に滑り込んだり。
こうしてうまく渦中の部屋の近くへ行くことができた。
そこからは、女性のうめき声が聞こえていた。
女中の励ましの声も聞こえる。
(も、もしかしてお産…!?)
生々しい悲痛の声。
医療が発達した現代ならまだしもここでは何も道具はない。
自分の力で産むしかない。
そういえば私も女だ。
いつか子供を産むのだろうと思ったのだが子供の脳みそはそう受け取るだけではなかった。
私がうっかり恐怖を感じてしまったがゆえに、どっと汗が溢れて、恐怖が倍増する。
やたら理解が速いのも考え物だ。
つまり私は将来的にああなるとわかったうえで、命を懸けて子供を産まなければならない、ましてや女は使い捨てにされるのが世の常。
私もいつかは悲鳴を上げながら使い捨てられると思い知った。
走ってその場を離れた。
多くの大人はそちらにかかり切りか、寝ているか、興味がないかだ。
走って逃げている間全く人に会わなかった。
気が付けばぽつんと、宮中のはずれにいた。
恐怖のままに走り続けていたために、迷子になってしまった。
(こ、怖かった……自分の体なのに感情だけ自分じゃない感じだ…)
まだ心臓と脳が驚いている。
とにかく私が落ち着くことが先だ。
深呼吸をしている途中、背後から大人の声がした。
今度は誰だ!?と振り返ると薄ぼんやり、明かりを持った男が立っていた。
「東郷姫!なぜこんなところに!」
近づいてきてようやくわかった。
安心安全、そして信頼の徐庶だ。
「うう……えう…」
「あ、ああ、
な、なにかあったんですか、
ひどく汗をかかれているし…」
膝をついて私の顔を覗きこむ。
「お、女の人が、すごく、苦しそうで……」
「え…あ、
なるほど、もしかして今日が…」
察しが良すぎる。
徐庶は慌てていた表情からすぐ切り替わる。
「姫がきいたのはお産ですよ
赤ん坊が今生まれているんです」
「すごく、痛そうだった
かわいそう
私もああなる?しんじゃう?」
「あー、えっと、俺は…いえ私は男なので痛いとかそういうことはうまく説明できませんが…
どちらにせよ、あなたと血を分けた姉弟ですから、とても喜ばしいことなんですよ」
「ぜんぜんよろこばしくない」
「す、すみません…
私はこういうことはてんででして」
初めて徐庶の、参った、という態度を見れたのは少しだけ面白い。
なんでも知っている風な彼はそれはとても頼もしいのだが、こっちはなんだかからかい甲斐がある。
「…私もうまなきゃだめ?」
「それが魏を支える一族に生まれた者の使命の一つです」
「……………。」
「……もし姫がその時になれば、
同伴を認めてくださるのなら
きっと俺もお傍にいます。
そうすれば、少しは恐怖も和らぐでしょうか」
「…うん、約束してください」
「ええ、この徐元直、姫に誓いを立てます」
深々と礼をして、真面目に私に取り合ってくれる。
真剣に話をしてくれる。
例え徐庶が忘れても、私が忘れてしまっても、今はこれだけで心が落ち着けた。
「ところで…帰り方がわかんないです」
「あ、あはは…
では近くまでお送りします
足元に気を付けてくださいね」
部屋の近くにいけば案の定甄姫と女中が部屋の周りを探していた。
徐庶の袖をぎゅっと掴んで見上げる。
庇ってくれ、と。
しかし笑顔で
「さ、姫、お帰りはあちらでございます」
わざとらしくそんなことを言うのだ。
「ひどい!」
「何せここから先は男禁制ですので」
「そんなのうそだもん!徐庶部屋にきてる!」
その会話を甄姫が聞きつけ、私はこっぴどく怒られるのだった。
生まれた子供は、曹丕の側室の子。
しかも男の子だった。
今のところ、曹丕の後を継ぐ子とされているので、私に構いきりだった女中も赤子とその母親の世話にいっていた。
むしろ私はその方が都合がいい。
だらだらできるし、竹簡を読み漁ることもできる。
(ともあれあれだけ寵愛されてる甄姫よりも先に他の側室に子供が生まれたのは、
母上的に気に入らないだろうな)
なにより、先日、いつもよりひどく怒られたことがそれを物語っている。
あの時すでに赤ん坊は泣き叫んで、男の子だと判明したばかり。
気が立っているに決まっていた。
(そもそも、私は拾われた子だし…)
甄姫の立場が、秘密裏に危うくなっているといっても過言ではない。
余計なことを考えつつ、書庫から竹簡をもって部屋へ戻る。
読めなくとも、風土記は面白い。
ファンタジーのような民族のことまで書かれているのだから。
埃まみれで使われていない竹簡は私のおかげで存命しているといっても過言ではない。
女中から解放されたことでウキウキしていた私は、真横からの突然の衝撃に受け身を取れず、ただただ天井を見ている自分に驚いた。
(え……え?)
「どあっ!!?
だっ、大丈夫…っつか、申し訳ありません!!」
若い男が顔を覗きこむ。
体を起こすと、私はちょうど通路の角で何かに当たり、吹き飛ばされたようだと判明。
つまり、こいつが私にぶつかり、結果的に私が吹っ飛んでしまったのだ。
交通事故同様の案件だ。
「えっと……竹簡…」
「こ、これですか?」
「はい、ありがとうございます」
立ち上がり、埃をはたいてまた廊下を歩き始める。
「ちょちょっちょ!
東郷姫さま!
どこか痛い所とかないんですか!?
俺結構吹っ飛ばした自覚あるんすけど!?」
「?
痛くないですけど…」
「ね、念のため医者いきましょ!?ね!?」
「痛くないです
泣いてないですし、
謝ってくれたじゃないですか」
「そういうのは後からくるんですよ!」
「……でも、逆に私とぶつかったことが、父上や母上に知られたら、たぶんすごいことになっちゃいますよ」
「ウッ」
そのあたり、この男は自覚しているらしい。
確かに嫌な予感しかしない、とかなんとか呟いている。
「なので、なかったことにします」
「ででででも!
俺もそれじゃおさまりつかないと言いますか!」
子供相手に何必死になっているんだこいつは。
天然パーマとタレ目という強個性の男は5歳の私に平服しているようにしか見えない。
「えっと……じゃあ、もし私が何かをお願いしたら、言うこと聞いてくれますか?」
「はい!ええもちろん!」
「じゃあ、名前教えてください」
「姓は李、字は曼成、名は典といいます」
つまり、李典、という名前らしい。
古代中国は名前が回りくどい上にわざわざ字で呼んでやらないといけない点がとても面倒だ。
「李典さん、私がお願いしたら必ずやってくださいね、約束ですよ」
「ええ、もちろんですとも!」
「じゃあさっそくですけど…」
「今!?」
「は?」
「いえ、なんでもありません」
私も物を頼む予定などなかったのだが。
ふと気づいたことがあった。
「甘いもの、って…
市場で売ってますか?」
「甘味、ですか?」
「ぜんぜん食べたことないんです」
「そうですね…じゃあ、いくつか見繕って買ってきます
甘いものならなんでもいいですね?」
「はい」
「では、1週間後、今よりもう少し日が傾いた頃
外の鍛錬場にある背の高い木はご存知ですか?」
「はい、知ってます」
「そこで待ち合わせしましょう
おすすめの甘味、期待しててください」
私とぶつかった時の対応は真面目ではあるが、こいつ何故かノリがやたら軽い。
本当に信頼に足る人物か、そもそも毒など入れてこないか心配でとある人物に聞いてみた。
安心と信頼、そして教授の徐庶だ。
私専用のウィキと言っても過言ではない。
「あの、李曼成って人知ってますか?」
「ええ、知ってはいますが…どこで存じ上げたのですか?」
「えっと、ちょっと、ご挨拶をしただけです
優しかったのでどんな人かなって」
徐庶はそうですか、と私の言い訳に納得してくれたらしい。
疑いもせず人物像を教えてくれた。
「気さくで明るい人物です。
学もたしなんでいますし、少なくとも彼を嫌っている人は見たことありませんね」
「へぇ…」
「それに、ああ見えて忠実な男なので、きっと東郷姫さまにも良くしてくださいますよ」
徐庶が手放しでほめるほどだ。
信頼できる男であるとタグ付けされた。
それならば遠慮なく甘味を受け取りに行けるというもの。
一体どんなものをくれるのか、今から楽しみで仕方がない。
「いまのところ世継ぎは礼様とされたようで」
「東郷姫は女で、子桓様の血が流れているかわからないとのうわさではないですか
ともあれこれで安泰ですわね」
女中のひそひそと話す声が聞こえる。
腹違いの弟…まぁ血のつながりはないので他人なのだが。
結局礼という弟が太子となったようだ。
ここ最近、甄姫が私に姿を見せないことも、それが原因なのだろうか。
「東郷」
「ひえっ!?」
振り向くと、何故かそこに曹丕と、眼帯の怖いおじさんが立っていた。
この宮中に鬼が二匹もいる。
もはや人間の風貌には見えなくなってしまった。
「ち、父上、おひさしぶりです」
「土産をやる」
「え?」
ぽん、と手のひらに乗せられたのは桃だ。
両手でも溢れるほどの大きさ。
「すごい!きれい!」
「桃だ
甄に剥いてもらえ」
「ありがとうございます!
母上もきっと喜ばれます!」
一応、髭のおじさんにも頭を下げてその場を離れる。
甄姫にわざわざ剥かせるよう仕向けるあたり、甄姫のことを気にかけているようだ。
「珍しいな、お前が果実をやるなど
それともあれか、血を気にしているのか」
「東郷はあの戯言程度、気にするほど愚鈍ではない」
甄姫に大きな桃を見せれば笑顔になっていた。
父上からもらったと言えばやはり微笑んでいたが少しだけ憂う表情を持つ。
子供のことでまだ考えているのだろう。
「母上、あの……」
「どうしたの?」
「……母上、私……母上といっしょにいます」
「急にどうしたの?」
「なんだか、悲しそうな顔していたから…」
「……そう、ごめんなさいね
心配をかけてしまうなんて」
抱き寄せられる。
子供を産むことは怖い事だ。
それでも、命をとしても曹丕との子が欲しいのは、それほど曹丕への感情が大きいことを示している。
「母上のこと私が守りますよ、
だって私の母上ですもん
母上は父上の奥様ですけど
私の母上は母上だけです」
頭を撫でてより強く抱きしめられる。
「ええ…そうね
私も、東郷、あなたのことを守ります
あなたは私の子ですから…」
嘘まみれだが、私にはいい薬だ。
かの教師は職を解かれた。
可哀そうに、と思っていたら代わりに来たのはあの無精ひげで腰の低い男だった。
「こ、こんにちは、東郷姫」
しばらく部屋に缶詰めにさせられていた私にとってはとても嬉しい事件だ。
固まっていた表情筋が全力で笑顔を支える。
「徐庶さんだ!」
駆けより、袖を掴む。
「あの、あの、
あの文、一緒に読んだ文、練習してました」
「暗記していたのですか?
姫が賢すぎて、すべての文官が嫉妬しそうですね」
「でも、なんで、どうして、ここにきたんですか?」
「曹孟徳殿より直々の命令で東郷姫の教育を一任されました」
では数日前、名前を尋ねられたのはそういうことだったのか。
全くの杞憂で終わってほっとする。
それに慣れた人から物を教わることは存外に楽しい。
何より安心できる。
「今日からですか?今ですか?すぐですか?」
「ええ、そうですよ」
朗らかな笑顔に私もまた笑顔になる。
それからすぐに机に向かい、徐庶と竹簡を読む。
こそこそと隠れなくてもいい状況に、私は随分浮かれていたようで気が付くと授業の時間はゆうに過ぎていた。
女中に声をかけられて改めて気づいた。
「姫、お時間がもう過ぎてしまっています」
「え、」
「失礼しました
私もつい時間を忘れてしまっていたようです」
竹簡を巻き、片づける。
「明日もありますか?」
「明日だけではなく、明後日もありますよ」
「ほんとですかぁ!」
「ふふ、姫は母君に似て素敵な笑顔をされますね」
そんなこと言われたことがなく、お世辞だとしても少し照れてしまう。
「今日はありがとうございました
明日もよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、ありがとうございました」
徐庶に急な用事が入らない限り、明日も明後日もいろんなことを教えてくれる。
それだけで見聞が増えるし、何より彼は教え方がうまいし分かりやすい。
私でなくとも他の人間が同じ授業を受ければあっという間に文字など読めてしまうだろう。
部屋の外まで徐庶を見送り、さっそく明日が楽しみになっていた。
徐庶の授業を受け始めてあっという間に1か月が経った頃。
夜中に宮中があわただしくなっていた。
その喧噪に私は起こされ、少しだけ戸を開けた。
向こうの建物から明かりが漏れている。
何か問題が発生したなら女中がすぐに駆け込んでくるはずだ。
だとすれば一体なんなのだろうか。
私に気を回さずともよい、事件とは。
気になった私はひっそり部屋を出て野次馬しに行った。
大人に見つかればすぐ部屋に連行されるので、これはスニーキングミッションだ。
上手く角に隠れたり、死角に滑り込んだり。
こうしてうまく渦中の部屋の近くへ行くことができた。
そこからは、女性のうめき声が聞こえていた。
女中の励ましの声も聞こえる。
(も、もしかしてお産…!?)
生々しい悲痛の声。
医療が発達した現代ならまだしもここでは何も道具はない。
自分の力で産むしかない。
そういえば私も女だ。
いつか子供を産むのだろうと思ったのだが子供の脳みそはそう受け取るだけではなかった。
私がうっかり恐怖を感じてしまったがゆえに、どっと汗が溢れて、恐怖が倍増する。
やたら理解が速いのも考え物だ。
つまり私は将来的にああなるとわかったうえで、命を懸けて子供を産まなければならない、ましてや女は使い捨てにされるのが世の常。
私もいつかは悲鳴を上げながら使い捨てられると思い知った。
走ってその場を離れた。
多くの大人はそちらにかかり切りか、寝ているか、興味がないかだ。
走って逃げている間全く人に会わなかった。
気が付けばぽつんと、宮中のはずれにいた。
恐怖のままに走り続けていたために、迷子になってしまった。
(こ、怖かった……自分の体なのに感情だけ自分じゃない感じだ…)
まだ心臓と脳が驚いている。
とにかく私が落ち着くことが先だ。
深呼吸をしている途中、背後から大人の声がした。
今度は誰だ!?と振り返ると薄ぼんやり、明かりを持った男が立っていた。
「東郷姫!なぜこんなところに!」
近づいてきてようやくわかった。
安心安全、そして信頼の徐庶だ。
「うう……えう…」
「あ、ああ、
な、なにかあったんですか、
ひどく汗をかかれているし…」
膝をついて私の顔を覗きこむ。
「お、女の人が、すごく、苦しそうで……」
「え…あ、
なるほど、もしかして今日が…」
察しが良すぎる。
徐庶は慌てていた表情からすぐ切り替わる。
「姫がきいたのはお産ですよ
赤ん坊が今生まれているんです」
「すごく、痛そうだった
かわいそう
私もああなる?しんじゃう?」
「あー、えっと、俺は…いえ私は男なので痛いとかそういうことはうまく説明できませんが…
どちらにせよ、あなたと血を分けた姉弟ですから、とても喜ばしいことなんですよ」
「ぜんぜんよろこばしくない」
「す、すみません…
私はこういうことはてんででして」
初めて徐庶の、参った、という態度を見れたのは少しだけ面白い。
なんでも知っている風な彼はそれはとても頼もしいのだが、こっちはなんだかからかい甲斐がある。
「…私もうまなきゃだめ?」
「それが魏を支える一族に生まれた者の使命の一つです」
「……………。」
「……もし姫がその時になれば、
同伴を認めてくださるのなら
きっと俺もお傍にいます。
そうすれば、少しは恐怖も和らぐでしょうか」
「…うん、約束してください」
「ええ、この徐元直、姫に誓いを立てます」
深々と礼をして、真面目に私に取り合ってくれる。
真剣に話をしてくれる。
例え徐庶が忘れても、私が忘れてしまっても、今はこれだけで心が落ち着けた。
「ところで…帰り方がわかんないです」
「あ、あはは…
では近くまでお送りします
足元に気を付けてくださいね」
部屋の近くにいけば案の定甄姫と女中が部屋の周りを探していた。
徐庶の袖をぎゅっと掴んで見上げる。
庇ってくれ、と。
しかし笑顔で
「さ、姫、お帰りはあちらでございます」
わざとらしくそんなことを言うのだ。
「ひどい!」
「何せここから先は男禁制ですので」
「そんなのうそだもん!徐庶部屋にきてる!」
その会話を甄姫が聞きつけ、私はこっぴどく怒られるのだった。
生まれた子供は、曹丕の側室の子。
しかも男の子だった。
今のところ、曹丕の後を継ぐ子とされているので、私に構いきりだった女中も赤子とその母親の世話にいっていた。
むしろ私はその方が都合がいい。
だらだらできるし、竹簡を読み漁ることもできる。
(ともあれあれだけ寵愛されてる甄姫よりも先に他の側室に子供が生まれたのは、
母上的に気に入らないだろうな)
なにより、先日、いつもよりひどく怒られたことがそれを物語っている。
あの時すでに赤ん坊は泣き叫んで、男の子だと判明したばかり。
気が立っているに決まっていた。
(そもそも、私は拾われた子だし…)
甄姫の立場が、秘密裏に危うくなっているといっても過言ではない。
余計なことを考えつつ、書庫から竹簡をもって部屋へ戻る。
読めなくとも、風土記は面白い。
ファンタジーのような民族のことまで書かれているのだから。
埃まみれで使われていない竹簡は私のおかげで存命しているといっても過言ではない。
女中から解放されたことでウキウキしていた私は、真横からの突然の衝撃に受け身を取れず、ただただ天井を見ている自分に驚いた。
(え……え?)
「どあっ!!?
だっ、大丈夫…っつか、申し訳ありません!!」
若い男が顔を覗きこむ。
体を起こすと、私はちょうど通路の角で何かに当たり、吹き飛ばされたようだと判明。
つまり、こいつが私にぶつかり、結果的に私が吹っ飛んでしまったのだ。
交通事故同様の案件だ。
「えっと……竹簡…」
「こ、これですか?」
「はい、ありがとうございます」
立ち上がり、埃をはたいてまた廊下を歩き始める。
「ちょちょっちょ!
東郷姫さま!
どこか痛い所とかないんですか!?
俺結構吹っ飛ばした自覚あるんすけど!?」
「?
痛くないですけど…」
「ね、念のため医者いきましょ!?ね!?」
「痛くないです
泣いてないですし、
謝ってくれたじゃないですか」
「そういうのは後からくるんですよ!」
「……でも、逆に私とぶつかったことが、父上や母上に知られたら、たぶんすごいことになっちゃいますよ」
「ウッ」
そのあたり、この男は自覚しているらしい。
確かに嫌な予感しかしない、とかなんとか呟いている。
「なので、なかったことにします」
「ででででも!
俺もそれじゃおさまりつかないと言いますか!」
子供相手に何必死になっているんだこいつは。
天然パーマとタレ目という強個性の男は5歳の私に平服しているようにしか見えない。
「えっと……じゃあ、もし私が何かをお願いしたら、言うこと聞いてくれますか?」
「はい!ええもちろん!」
「じゃあ、名前教えてください」
「姓は李、字は曼成、名は典といいます」
つまり、李典、という名前らしい。
古代中国は名前が回りくどい上にわざわざ字で呼んでやらないといけない点がとても面倒だ。
「李典さん、私がお願いしたら必ずやってくださいね、約束ですよ」
「ええ、もちろんですとも!」
「じゃあさっそくですけど…」
「今!?」
「は?」
「いえ、なんでもありません」
私も物を頼む予定などなかったのだが。
ふと気づいたことがあった。
「甘いもの、って…
市場で売ってますか?」
「甘味、ですか?」
「ぜんぜん食べたことないんです」
「そうですね…じゃあ、いくつか見繕って買ってきます
甘いものならなんでもいいですね?」
「はい」
「では、1週間後、今よりもう少し日が傾いた頃
外の鍛錬場にある背の高い木はご存知ですか?」
「はい、知ってます」
「そこで待ち合わせしましょう
おすすめの甘味、期待しててください」
私とぶつかった時の対応は真面目ではあるが、こいつ何故かノリがやたら軽い。
本当に信頼に足る人物か、そもそも毒など入れてこないか心配でとある人物に聞いてみた。
安心と信頼、そして教授の徐庶だ。
私専用のウィキと言っても過言ではない。
「あの、李曼成って人知ってますか?」
「ええ、知ってはいますが…どこで存じ上げたのですか?」
「えっと、ちょっと、ご挨拶をしただけです
優しかったのでどんな人かなって」
徐庶はそうですか、と私の言い訳に納得してくれたらしい。
疑いもせず人物像を教えてくれた。
「気さくで明るい人物です。
学もたしなんでいますし、少なくとも彼を嫌っている人は見たことありませんね」
「へぇ…」
「それに、ああ見えて忠実な男なので、きっと東郷姫さまにも良くしてくださいますよ」
徐庶が手放しでほめるほどだ。
信頼できる男であるとタグ付けされた。
それならば遠慮なく甘味を受け取りに行けるというもの。
一体どんなものをくれるのか、今から楽しみで仕方がない。
「いまのところ世継ぎは礼様とされたようで」
「東郷姫は女で、子桓様の血が流れているかわからないとのうわさではないですか
ともあれこれで安泰ですわね」
女中のひそひそと話す声が聞こえる。
腹違いの弟…まぁ血のつながりはないので他人なのだが。
結局礼という弟が太子となったようだ。
ここ最近、甄姫が私に姿を見せないことも、それが原因なのだろうか。
「東郷」
「ひえっ!?」
振り向くと、何故かそこに曹丕と、眼帯の怖いおじさんが立っていた。
この宮中に鬼が二匹もいる。
もはや人間の風貌には見えなくなってしまった。
「ち、父上、おひさしぶりです」
「土産をやる」
「え?」
ぽん、と手のひらに乗せられたのは桃だ。
両手でも溢れるほどの大きさ。
「すごい!きれい!」
「桃だ
甄に剥いてもらえ」
「ありがとうございます!
母上もきっと喜ばれます!」
一応、髭のおじさんにも頭を下げてその場を離れる。
甄姫にわざわざ剥かせるよう仕向けるあたり、甄姫のことを気にかけているようだ。
「珍しいな、お前が果実をやるなど
それともあれか、血を気にしているのか」
「東郷はあの戯言程度、気にするほど愚鈍ではない」
甄姫に大きな桃を見せれば笑顔になっていた。
父上からもらったと言えばやはり微笑んでいたが少しだけ憂う表情を持つ。
子供のことでまだ考えているのだろう。
「母上、あの……」
「どうしたの?」
「……母上、私……母上といっしょにいます」
「急にどうしたの?」
「なんだか、悲しそうな顔していたから…」
「……そう、ごめんなさいね
心配をかけてしまうなんて」
抱き寄せられる。
子供を産むことは怖い事だ。
それでも、命をとしても曹丕との子が欲しいのは、それほど曹丕への感情が大きいことを示している。
「母上のこと私が守りますよ、
だって私の母上ですもん
母上は父上の奥様ですけど
私の母上は母上だけです」
頭を撫でてより強く抱きしめられる。
「ええ…そうね
私も、東郷、あなたのことを守ります
あなたは私の子ですから…」
嘘まみれだが、私にはいい薬だ。