闇が見つけたもの
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パリン!
破裂した音が家中を駆け抜けた。
慌てて秋巳が飛び込む。
それよりコンマ1秒で先にいたのはセイバーだった。
カズマは古ぼけたデスクに向かい合っていたが、手の中にある瓶が粉々になっている。
さらに瓶の中身と思しき液体が包帯に染み込んでいた。
「わ、割ったのか!?」
「いや…その…」
「ていうか割れるもんなのかそれ!?
怪我は!?」
秋巳の言葉にカズマはキョトンとして、ゆっくり首を横に振る。
「………怒らないの?」
「お……怒るわけねぇだろ…若い頃使ってただけで、ただの置物状態だったし
気にしてない」
そのまま紙切れを取り出し、手のひらのガラスを落とした。
カズマは魔力操作の練習を、セイバーは見張り、秋巳はこれまでの情報を洗い、さらには昨日この街で起きた昏睡事件の情報も得ていた最中だった。
その張り詰めた状況の中、聞きなれない物音が聞こえたために2人は慌ててやってきた次第だ。
「カズマ、包帯を変えよう」
セイバーは椅子を引っ張り出してカズマの隣に並ぶ。
丁寧に包帯を解いて、液体でじんわりと濡れた手を拭った。
「はぁ…じゃあ俺は捜査に戻るからな…」
秋巳にとっては拍子抜けだ。
疲れた背中を見せつつメインデスクへと戻っていった。
部屋から完全に離れた後にカズマが小さく呟いた。
「…怒られるかと思った」
セイバーはその言葉に少しだけ微笑みつつ包帯を巻いた。
ああ、よかった、などとセイバー自身も思っていたのだ。
己は鈍感で、あまり人を見る目がない方だと自負していただけに先ほどの言葉はセイバーにも嬉しさを感じさせた。
聖杯戦争準備期間3日目だ。
長いようで短い残り3日間。
何はともあれこの陣営は協力者に恵まれ、最も満身創痍でありながら無事に過ごせている。
聖杯戦争についての疑問は尽きないが、まずは自分の命が優先であるとセイバーに言われたために目先の問題に取り組んでいる最中だ。
「カズマ、まず身の守り方を1つ得たことは良いとして
次に考えなければならないのは作戦だ」
「作戦」
「相手が2人がかりで襲ってくるのは予想できるだろう。
だがそれだけではない
必ず1人はカズマを狙うに違いない」
そうならないためにもセイバーは2人を抑え込むつもりではいるが数の有利を使わない間抜けはいない。
マスターを殺せば勝利すると分かっているのだから。
「速攻でカタをつけるべきだ」
「……案外脳筋だね」
「う………すまない……」
敵マスターは街一つを昏睡状態に出来る、何かしらの魔術を使うことができる。
ともすればこちらだって無理やり昏睡させられる可能性もあるのだ。
セイバーの言う通り速攻で、とは聞こえはいいがサーヴァント相手にすぐに決着がつくなど想像しづらい。
カズマは、まぁ、と淡白につぶやく。
「その意見には賛成だけど…」
要はどうやって敵を素早く倒すか、だ。
そんなのできるわけないのに、と先入観がよく喋る。
余計な思考をふるい落とし、1つだけ考えが浮かんだ。
「………運が良ければ、いけるかもしれない作戦あるけど…」
言ったら絶対に反対するだろうなぁ、なんてセイバーの思考を勝手に読み漁る。
ただでさえ善性が服を着て歩いているような英霊だ。
カズマの意見は退けられるだろう。
「それはカズマが危険に晒されるものなのか」
「さぁ
セイバーが頑張ってくれたら多分無事」
代償に、セイバーはカズマを軽蔑するかもしれない。そんな後付けを心の中で済ませた。
「とにかくライダーを引きつけてくれたらそれでいい」
結局はその時になってみなければわからない。
この作戦が通用すれば儲けもので、通用しなかった場合はセイバーに頑張ってもらうしかない。
頼りきり、と言うことではあるが、セイバーの言う通り速攻で決着をつけるとすればカズマの作戦が最も合理的だった。
ひた、とセイバーの素手がカズマの頰に触れる。
「任せてくれ」
「…まだ作戦言ってないけど」
「信頼の証だ」
セイバーの思考は読めない。
人が理想とする善性をセイバーは求めているが、得体の知れない人間を信じるという行動には理解ができなかった。
いいや、カズマにとって信じるという行動そのものがあやふやで、危険で、信じがたい。
それから、頭を撫でられた。
まるで幼子にするような、むず痒い感覚。
けれどこの温かさは初めてで拒絶できるものではなかった。
「……どうして、優しいの」
単純な疑問だ。
「なんで、優しいの」
ただ簡単なだけに、酷く意味がわからなかった。
カズマはセイバーに何もしていない。
益になる存在ではないはずだ。
仮に聖杯を求めていて、どうしても聖杯が欲しいというサーヴァントならばマスターを有効活用する意図が発生するだろう。
しかしセイバーはそうではない。
完全にカズマの理解の範疇を超えた人外そのものだった。
「俺が守りたいと思ったからだ」
「え」
益々意味がわからない。
一種の恐怖心を覚える。
何が目的だ?油断はするな。相手は人間以上の存在。平気で首なんか折れる。
ざわざわと脳裏に言葉が浮かんで、生唾を飲み込んだ。
「偽善だと、悪だと謗られようが
俺は俺が思う正義を成したい
だからカズマ、あなたは俺の正義なんだ」
「……ごめん…よく、わからない…」
「ああ、俺も上手く表現ができない
ただ、俺のエゴなのだろう
カズマには知っておいて欲しいと思っただけだ」
たしかに、それはエゴだ。
人間が持つ醜い部分だ。
勝手にそんな感情押し付けられても困る。
だが、そのエゴまみれの手がこんなにも温かいのは言葉に偽りがないからだろう。
「…そう」
◆
秋巳大輔は聖杯戦争の参加者ではない。
だからこそさまざまな疑問に目がいく。
常に命の危機に晒されているのは同じだが、わざわざ聖杯戦争後の“カズマの身元の保証”をセイバーから直々に頼み込まれたのだ。
これは同時に“聖杯戦争中は命の保証をする”と言ったものと同意義だ。
通常の参加者と違って“敵”は多いが、それでも少しは心の余裕ができた。
そうして大前提である疑問を立てる。
“なぜ時計塔は察知しないのか?”
街1つを聖杯戦争の舞台として多くの事件を起こしている。
これは時計塔の魔術師によっては由々しき事態のはずだ。
神秘は秘匿されるべきもの。今後は衰退していく分野ではあるものの、その常識はいつだって普遍的だ。
だとすればこの聖杯戦争に時計塔、もしくは魔術協会が介入しないのはおかしな話だ。
現地にいない魔術師だってこれらの事件を連日ニュースで流せば、魔術関連のものだと察するであろう。
何故介入されないのか。
もしくは公認された戦争なのか。
はたまた、時計塔そのものが派閥の枠を超えて聖杯戦争に乗り出しているのか。
考えればキリがない。
煮え立ちそうな頭を掻き毟り、ため息をつく。
ともあれ自分の無力さに打ちひしがれていたのだ。
この1週間で得た情報はこの紙切れ一枚のみ。
秋巳は寝不足のクマを抱えて資料を机の上に乗せた。
とある人物の履歴書をコピーしたもののようで、全てフランス語だった。
「こいつが昏睡事件の主犯だ」
「え」
顔写真をよくよく見ると、詩絵李を攫おうとした変態と酷似していた。
名前はヤニック・ロペス
交通関係の仕事についているらしく、この街一帯に詳しい人物のようだった。
そして追加情報として秋巳は言う。
「そいつはお前たちと同じで、魔力を持った元一般人だ
魔術を扱えるような人間じゃない
おそらく周りの魔術師に簡易礼装でも与えられてるんだろうな」
「じゃあサーヴァントだけが厄介なだけか
ラッキー」
それでも眉間の深いシワは取れていない。
男を睨みつけては少し舌打ちした。
「万全なのか?
対抗策は」
「セイバーと考えた
万全じゃないけど」
一言で表すなら不機嫌だった。
何かしたつもりはない。勝手に秋巳がイラついているのだ。
「戻ってくるだろうな
お前らに戻ってきてもらわないと困るぞ
全参加者に命を狙われることになるんだからな」
「ああ、それで不機嫌なの
まぁその時はヴィクトルさんのところに転がり込めばいいんじゃない」
「ああもう!全く!!
つべこべ言わずに善処するだの頑張るだの、行きたくないだの言えばいいだろ!」
今夜、聖杯戦争が始まる。
とりわけ今週の抗争は、ライダーとアーチャーが交戦しただけで慌ただしいものではなかった。
見放されているのか、どうせ勝てると思っているのか。
どちらにしてもカズマにとって好都合ではある。
「おじさんの言ってる意味がわかんない」
「カズマ、恐らくアキミは…」
「みなまで言うな!
ほらさっさと寝ろ!朝まで見張っといてやる!」
秋巳の言いたいことを代弁しようとしたセイバー。
しかし秋巳が遮り、どっかりと椅子に座り込んだ。
肩をすくめてカズマはベッドに身を沈めた。
これから殺し合いをするのだと思いながら眠るなど、今後ないだろう。
一瞬で暗闇に落とされ、見えない糸で引っ張られるように例の空間へと誘われた。
自分の体を自覚するのにそう時間はかからない。
何せ全身を痛みが覆っているのだから。
そして後からやってきたセイバーは外套をカズマにかける。
「他に参加者はまだいないようだ
開戦までは息を潜めよう」
身隠しの外套は本当に便利だ。
頭まで被り、視界に映らなくなったところでセイバーも霊体化した。
真っ先に同じ空間にきたのは切敷矢継だった。
彼は何もない空間に向かって声を投げる。
「対策はしているのかい、一真ちゃん」
それに答える義理はない。
無視をした。
「僕はね、君が心配なんだよ
君はこの聖杯戦争で一番傷つき、負わなくていい傷を背負っている
そして、何より単独行動をしている
これは致命的だよ
情報戦では負けていると言ってもいい」
心配しているだと?笑わせる。
切敷の言葉は心配などではない。
カズマはほぼ直感的に分かった。
何より温かくない。
けれども心の裏では、少し早くその言葉を聞いていたらいい人なのかもしれない、と思わされていたと自覚している。
そうならなかったのは、ただひたすら優しいものがそばにあったからだろう。
少しだけその事に安堵していた。
無視を決め込んでいると分かれば切敷もそれ以上なにも言わなかった。
順に左翼陣営の生き残りが集まり、それぞれのマスターは口にする。
セイバー陣営はどこだ、と。
そもそも彼らにとって、姿を隠す意味すら分かっていないだろう。
それもそのはず。何故なら切敷を全面的に嫌っているからだ。
そんな単純で、子供のような理由で姿を消しているなど誰も思っていないだろう。
実際セイバーも少し驚いていたくらいだ。
ただカズマが本当に嫌悪しているのだと分かれば素直に頷いた。
逃げてもいいのだと言うように、外套をかけてくれた。
そのうち中央に旗を持つ少女が現れる。
『これより第3回戦を始めます
左翼・セイバー対右翼・ライダー
両者は前へ』
前へ、というより無理やり転移させられた。
だが依然としてカズマの姿は誰にも見えてはいない。
セイバーだけが、右翼陣営のライダーと対峙する。
「やはり2人で1騎だったか」
ただの感想をつぶやく。
金髪に赤い衣装がよく映える女海賊は綺麗に笑ってみせた。
「うちの愚鈍なマスターが迂闊に行動しなければバレなかった筈なんですが…」
「しょうがないよ
女の子に目がないど変態だったんだから」
ライダーが横目で軽蔑の眼差しを向ける。
単純に生理的にムリなのだろう。
人の良さそうな笑みを浮かべ続けるヤニック・ロペスはその言葉を気にもしていないようだ。
「ところで、そっちのマスター、女の子だったっけ?
女の子なら殺さないであげるつもりだから安心してほしいな
それにほら、2対1っていうのも可哀想だし、それくらい先に言っておかないとね」
ぴく、とセイバーの眉間のシワが増えた。
こちらもまた癪に触ったのだろう。
ヤニックがあえて生かす、と言ったのは勝てると思い込んでいることと、何より女に対し”そういう事“を求めているからだ。
味方陣営から娼婦、と揶揄されただけでマスターの首に剣をあてがうセイバーが聞き逃すはずがない。
殺意を持って返そうとしたその時、姿を消し続けているカズマが言う。
「で、どっちがアン・ボニー?」
空虚な影が言葉を発したようなものだ。
ライダー陣営だけではない。
右翼、左翼どちらにも、この言葉は牽制となり得た。
「男っぽい方がメアリーかな
ほんと、気苦労が絶えないね、こんな男だと
分かるよ」
うちも母親は男にしか目がいってないから、と挑発をすればライダーは当然警戒をする。
戦う前に真名を暴かれた。
そして、同情をされた。
挑発を挑発で返そうと、アン・ボニーが口を開きかけたところでルーラーが旗を掲げた。
舞台は中世を思わせる街並み。
入り組んだ道と狭い路地が出現する。
『聖杯戦争ーーー開始!』
そして互いのサーヴァントが激突する。
力では圧倒的にセイバーが上をいくが、数の有利は覆せない。
メアリーが剣戟を繰り返し、的確に合間を縫ってアンが射撃する。
だがセイバーもライダーと対峙するのは3度目だ。
いつまでも引けを取るほどの騎士ではない。
2撃、3撃と繰り返すほどに全ての攻撃を撃ち返していた。
その隙にカズマは離れる。
サーヴァントにはカズマの位置がバレているものと考えて遮蔽物のある場所へ隠れる。
敵マスターも同様だった。
とはいえ2人がかりでセイバーを抑えているのだから身の危険などほぼ無いに等しい。
そうなればこれまでの行動予測もつきやすい。
絶対にマスターを狙ってくる。
これまで左翼陣営のマスターはサーヴァントの力を借りて姿を隠してきた。
今回カズマの取る行動は逆だ。
こちらも打って出る。
まだ走ることは難しい体だが、短期決戦を目指し無理やり動かした。
包帯を解き、素手で手の感触を確かめる。
ただ今回カズマにとって予想外であることはこの地形だった。
ただでさえ街の土地勘がないのに、海外の街並みなど法則性が読めない。
一方相手は交通網に詳しい人物だ。
先手はまずあちらに取られている。
そしてそれはマスターだけではない。
けたたましい音が連なった。
聞いたこともない音に何事かと一瞬勘ぐったが、ほぼ反射で身をかがめた。頭上で窓ガラスが割れ、ガラスが道路に撒き散らされる。
カズマの背を通り越して銃弾が地面にめり込んだ。
(遮蔽物無視かよ!)
やはり遠距離攻撃を持つ相手は厳しいかもしれない。
下手に目立てばアンの標的に
かといってカズマは敵に見つけてくれなければ次の駒が進められない。
(めんどくせぇ…)
ともあれ作戦は続けなければ。
外套を脱ぎ、慎重に進む。
逸る気持ちを抑えながら、周囲を警戒した。
「あぁ!やっぱり女の子じゃないか!」
後ろから声が聞こえた。
ギョッとして振り返ると、ヤニック・ロペスがいる。
正直気持ちが悪い。
何より気配が全くなかった。
足音もなければ生体音すらないように感じる。
そう、言わば生粋のストーカー体質。
追いかけ回すことに特化したような人間だと肌で感じた。
まずは走る。
が、それより早くアン・ボニーの銃弾が駆け抜ける。
転がるように交差する道を抜けて再び遮蔽物へ隠れた。
「殺さないから大丈夫大丈夫!」
「こいつの首切り落としていいかな」
脳内のセイバーが、ダメ、と言った気がした。
とにかく奴がカズマを追いかけ回すという図が出来上がったわけだ。
満身創痍のカズマを見てマスターは当然
「マスター見つけたから後は任せたよぅ!」
意気揚々と指示する。
手負いのウサギを見つけた狩人は今晩の食事のためにただ一匹を狙うに決まっている。
カズマにとっては想定内だった。
後はセイバーが、2人相手に時間を上手く稼いでくれるかどうかだ。
今回カズマがこの戦いに決着をつける。
殺意をひた隠し、そして追われる役に徹した。
◆
「おいおい、あいつやられるぜ」
緑衣の青年が顎をしゃくった。
あいつ、というのは右翼陣営・ライダーのマスターであるヤニックを指していた。
「アーチャーもそう見たか」
「今回も左翼陣営は相手が悪かった、いやタイミングが悪かった
けどそれを見越して戦略立ててる
こりゃ負け確定だな
どうすんだ、アインツベルンのご当主さま?」
黒いセイバーを隣に立たせる白い男。
作られたような顔つきは文字通り、アインツベルンよりデザインされたものであり、陶器の肌が赤い目をより浮き彫りにさせていた。
「あいつは元々数合わせだ
この聖杯戦争でのつなぎ目としての役割としてしか考えていない
だが、相手が秦民一真だったとはな
娯楽と考えればこの一戦は面白みがある」
「娯楽…?冗談じゃないわ…」
深くフードを被り、顔半分をマスクで覆い隠した薄暗い人物が恨めしく言う。
「私はこの戦争に勝って望みを叶えるためにいるのよ
あのクズにだって勝ってもらわなきゃ困るわ」
ただ特筆すべきはそれだけではなく、声が酷くしゃがれていた。
目元だけを見れば若者と分かるが声は老婆のそれでお世辞にも美しいとは言えない。
そして咳き込み、苦しそうな息を吐いた。
「おお…クリスティーヌ…美しき君…」
背中を丸める女に仮面をつけた美声の男が同様に目線を合わせる。
心配している素ぶりを見せているのだろう。
「今回…あの男が負けたら…私があのガキを殺しにいくわ…それで願いが1つ近くでしょう…」
「勇き意思、おお、なんと気高きことか
我が爪はクリスティーヌのためにあり、我が心はクリスティーヌのそれに従う…」
なんとまぁ暴走陣営が多いことで、などと言ってアーチャーは肩をすくめた。
今回の聖杯戦争、全員がその戦いに注目していた。
そんな中赤いコートを身にまとった痩身の女が言う。
「結局のところ、右翼陣営は“奴”に踊らされていたのか」
エオス=ゴッドスピードだ。
目の下のクマはまるで錘のように黒く、打って変わって肌は青白い。
セイバーのマスターが白ならエオスはまた別の、血濡れた白さだ。
「そういうことになるな
次の対戦で奴が出てくれば、容赦なく仕留めればいい
そして滞りなく聖杯戦争を続ければ望みの聖杯は手に入れられる
だれか1人にではなく、全員に、だ」
「ただ例外はあるがな」
ようやく口を開いたセイバーは後ろを振り返る。
そこには闇に埋まるひとりの子供、そしてそのサーヴァント。
次いで女がいた。
側から見れば囚われているようにも見えるだろう。
だがこれは右翼陣営の由々しき事態であり、応急処置でもあった。
1人は坂田金時。バーサーカーのサーヴァントだ。
すぐ近くにいるのは子供。バーサーカーのマスターであり名前はデボラ・フォン・アインツベルン。当主と呼ばれるセイバーのマスターの従姉妹にあたる。
もう一人は長い白銀の髪に美しい顔を持つ女サーヴァントだった。
女サーヴァントだけがその異質さを物語っていた。
捕らえているはずなのに目を閉じているだけのような気さえする。
動けないのではなく、あえて動く気がしないのだと瞼が語りかけているかのようだ。
「エオス、引き続き聖杯の守りを任せた
ダン卿、デボラにかけられている暗示魔術の解除を」
「心得ている」
「私は、マスターのいないランサーの相手をしよう
いいな、アーサー王」
ふと笑みを浮かべた。
黒い騎士はそれを待っていたと言わんばかりに剣を引き抜く。
「結界を張る
全員結界には近づくな」
アインツベルンの当主、ツェンゾール・フォン・アインツベルンは賽を投げた。
文字通り6面の固形物は黒い空間の地面に触れると一瞬で膨れ上がる。
ツェンゾールとアーサー王からなるセイバー陣営と、瞳を閉じた女サーヴァントを包み込み、内外からの情報を遮断した。
◆
男はこちらを品定めするよう、付かず離れずの距離を保ちながら追いかけていた。
やろうと思えばすぐに捕らえられるはずだ。
だがすぐにそれをしないのは、カズマが内臓の痛みに脂汗を滲ませ、うめき声をあげる様が楽しみで仕方がないからなのだろう。
恍惚とした顔でその様子を堪能していた。
「名前なんていうんだっけ?
確か日本人だったよね?」
まだカズマは走る。
カズマの作戦を完全に遂行させるためにはアン・ボニーの射程外にいなければならなかった。
セイバーがそれとなく後退し、カズマとの距離を離れさせる。
だが離れすぎると思惑がバレてしまうか、或いはカズマだけを狙いに定めるか。
その駆け引きが重要だった。
何より、ヤニックが油断しきった所でカズマの武器を発動しなければらない。
突如カズマの腹が自分で自分を抉るように、痛みが襲った。
一瞬息を忘れるほどの痛みに足が止まり、塀に手をつく。
「あぁ〜〜!大丈夫〜!?」
歓喜の声と同時にヤニックはカズマにしがみついた。
待ってましたと言わんばかりの顔だ。
カズマの両親とはまた違ったエゴと欲望の詰まった肉袋。
「すぐ楽にしてあげるからね」
「ぐっ!?」
胸ぐらを掴み上げて塀に押し付ける。
カズマの小柄な体はいとも簡単に男の手で抑圧された。
火傷の負った、皮がひきつる手では上手く力が入らない。
だが力などなくとも良かった。
肺が圧迫され、内臓が痛みをぶり返す。
その痛みこそがカズマのスイッチだ。
魔力を回せ、全身に張り巡らされた魔術回路を総動員し、男の魔術回路に接続。
「え?」
カズマとヤニックは確かに繋がった。
その一体感は、万能感はヤニックの意識を奪うに十分すぎる。
次の瞬間、カズマの魔力が噴き上がる。
膨大な魔力を肉袋に詰め込む。
噴き出した魔力が、失明した右目からも漏れ出ていた。
鬼火を宿す灰色の瞳を見てヤニックは今自分が“侵されている”ことに気づいた。
体の中にナニかが這い回る。
それだけではない、モーターが過剰に回り出したような、脳みそが煮えたつような、そんな異常な不快感が一瞬で全ての感覚を襲った。
「あアアア゛あ゛ぁっ!!?」
手を離そうとしても今度はカズマが離さない。
一度繋げ、注ぎ込んだ魔力がヤニックの体内で過剰に巡り、回し、躍動し、反芻し、破壊し尽くす。
「やめっっ、や、あ゛ッ!?おごぁっ!!?」
腕、足、目玉、体内から湯気が立ち上る。
血が噴き出し、内臓をかき回す。
制御しきれない魔力を注がれてヤニックは魔術回路をズタズタにされたのだ。
通常の人間でなければ存在し得ない臓器。
だがそれでも臓器だ。
破壊されれば隣接する神経や血管にも影響を及ぼし反響する。
「だしゅけてっ!!」
ヤニックにとっては生き地獄だろう。
蛇のようなそれが体の中から抜けず、今もなお中から壊し続けている。
終わらない痛みがいつまでも続く。
トドメにカズマのその“武器”の欠点を言う。
「悪いけど、それの戻し方わかんないんだよね
一生それかもしれないから頑張って」
所謂、ヤニックの体を這い回る魔力はただの魔力というにはあまりにも“劣化しきった汚いもの”だった。
ただ魔力を分け与えるだけなら何ら問題はない。
カズマも知り得ない、カズマだからこそこれが武器となったのは、質の悪い魔力だからこそだ。
つまるところ拒絶反応。
アレルギー反応。
そうして最後にヤニックが失神する頃には魔力回路は機能を果たしていなかった。
ヤニックから繋げていたパスはプツリと、小さく途切れた。
「えっ」
メアリーのカトラスがセイバーの剣に当たらず空を切る。
カトラスは欠けていない。
むしろ2人のコンビネーションは完璧でありセイバーを事実上追い込んでいた。
それは既に発動していたライダーの宝具からなっていた。
『比翼にして連理』
2、3度見えて手の内が明かされていたライダーが取った戦法もまた短期決戦だ。
凄まじい攻撃の嵐に、まるで自然を相手取っているような気さえ起こさせる。
だが、メアリーのカトラスは手から消えていた。
そして発動していたはずの宝具も効果が切れていると実感する。
「メアリー!」
アンが叫ぶ。
振り返ると自分の体が、霊体が崩壊していた。
そこでようやく自分のマスターが何らかの方法でやられたのだと知った。
「何を…あんな満身創痍で何をしたっていうのさ!!」
こちらの勝利だと自覚したセイバーは剣を静かに下ろした。
「情報を明かす必要性はない
ただカズマが勝った
それだけのことだ」
「ふざけるな!あのマスターは普通じゃない!!そもそも右翼も騙されてたようなもんだ!!
そっちにいる…」
メアリーの激昂にアンは静かに口に手を添える。
「メアリー、ダメですわよ
きっと知らないのでしょう
知らないままにしておいたほうが、こちらの益になりますわ」
わなわなと小さな体が震える。
その姿だけはただ勝負事に負けて悔しい子供のよう。
2人はそれから光の粒となり消えた。
破裂した音が家中を駆け抜けた。
慌てて秋巳が飛び込む。
それよりコンマ1秒で先にいたのはセイバーだった。
カズマは古ぼけたデスクに向かい合っていたが、手の中にある瓶が粉々になっている。
さらに瓶の中身と思しき液体が包帯に染み込んでいた。
「わ、割ったのか!?」
「いや…その…」
「ていうか割れるもんなのかそれ!?
怪我は!?」
秋巳の言葉にカズマはキョトンとして、ゆっくり首を横に振る。
「………怒らないの?」
「お……怒るわけねぇだろ…若い頃使ってただけで、ただの置物状態だったし
気にしてない」
そのまま紙切れを取り出し、手のひらのガラスを落とした。
カズマは魔力操作の練習を、セイバーは見張り、秋巳はこれまでの情報を洗い、さらには昨日この街で起きた昏睡事件の情報も得ていた最中だった。
その張り詰めた状況の中、聞きなれない物音が聞こえたために2人は慌ててやってきた次第だ。
「カズマ、包帯を変えよう」
セイバーは椅子を引っ張り出してカズマの隣に並ぶ。
丁寧に包帯を解いて、液体でじんわりと濡れた手を拭った。
「はぁ…じゃあ俺は捜査に戻るからな…」
秋巳にとっては拍子抜けだ。
疲れた背中を見せつつメインデスクへと戻っていった。
部屋から完全に離れた後にカズマが小さく呟いた。
「…怒られるかと思った」
セイバーはその言葉に少しだけ微笑みつつ包帯を巻いた。
ああ、よかった、などとセイバー自身も思っていたのだ。
己は鈍感で、あまり人を見る目がない方だと自負していただけに先ほどの言葉はセイバーにも嬉しさを感じさせた。
聖杯戦争準備期間3日目だ。
長いようで短い残り3日間。
何はともあれこの陣営は協力者に恵まれ、最も満身創痍でありながら無事に過ごせている。
聖杯戦争についての疑問は尽きないが、まずは自分の命が優先であるとセイバーに言われたために目先の問題に取り組んでいる最中だ。
「カズマ、まず身の守り方を1つ得たことは良いとして
次に考えなければならないのは作戦だ」
「作戦」
「相手が2人がかりで襲ってくるのは予想できるだろう。
だがそれだけではない
必ず1人はカズマを狙うに違いない」
そうならないためにもセイバーは2人を抑え込むつもりではいるが数の有利を使わない間抜けはいない。
マスターを殺せば勝利すると分かっているのだから。
「速攻でカタをつけるべきだ」
「……案外脳筋だね」
「う………すまない……」
敵マスターは街一つを昏睡状態に出来る、何かしらの魔術を使うことができる。
ともすればこちらだって無理やり昏睡させられる可能性もあるのだ。
セイバーの言う通り速攻で、とは聞こえはいいがサーヴァント相手にすぐに決着がつくなど想像しづらい。
カズマは、まぁ、と淡白につぶやく。
「その意見には賛成だけど…」
要はどうやって敵を素早く倒すか、だ。
そんなのできるわけないのに、と先入観がよく喋る。
余計な思考をふるい落とし、1つだけ考えが浮かんだ。
「………運が良ければ、いけるかもしれない作戦あるけど…」
言ったら絶対に反対するだろうなぁ、なんてセイバーの思考を勝手に読み漁る。
ただでさえ善性が服を着て歩いているような英霊だ。
カズマの意見は退けられるだろう。
「それはカズマが危険に晒されるものなのか」
「さぁ
セイバーが頑張ってくれたら多分無事」
代償に、セイバーはカズマを軽蔑するかもしれない。そんな後付けを心の中で済ませた。
「とにかくライダーを引きつけてくれたらそれでいい」
結局はその時になってみなければわからない。
この作戦が通用すれば儲けもので、通用しなかった場合はセイバーに頑張ってもらうしかない。
頼りきり、と言うことではあるが、セイバーの言う通り速攻で決着をつけるとすればカズマの作戦が最も合理的だった。
ひた、とセイバーの素手がカズマの頰に触れる。
「任せてくれ」
「…まだ作戦言ってないけど」
「信頼の証だ」
セイバーの思考は読めない。
人が理想とする善性をセイバーは求めているが、得体の知れない人間を信じるという行動には理解ができなかった。
いいや、カズマにとって信じるという行動そのものがあやふやで、危険で、信じがたい。
それから、頭を撫でられた。
まるで幼子にするような、むず痒い感覚。
けれどこの温かさは初めてで拒絶できるものではなかった。
「……どうして、優しいの」
単純な疑問だ。
「なんで、優しいの」
ただ簡単なだけに、酷く意味がわからなかった。
カズマはセイバーに何もしていない。
益になる存在ではないはずだ。
仮に聖杯を求めていて、どうしても聖杯が欲しいというサーヴァントならばマスターを有効活用する意図が発生するだろう。
しかしセイバーはそうではない。
完全にカズマの理解の範疇を超えた人外そのものだった。
「俺が守りたいと思ったからだ」
「え」
益々意味がわからない。
一種の恐怖心を覚える。
何が目的だ?油断はするな。相手は人間以上の存在。平気で首なんか折れる。
ざわざわと脳裏に言葉が浮かんで、生唾を飲み込んだ。
「偽善だと、悪だと謗られようが
俺は俺が思う正義を成したい
だからカズマ、あなたは俺の正義なんだ」
「……ごめん…よく、わからない…」
「ああ、俺も上手く表現ができない
ただ、俺のエゴなのだろう
カズマには知っておいて欲しいと思っただけだ」
たしかに、それはエゴだ。
人間が持つ醜い部分だ。
勝手にそんな感情押し付けられても困る。
だが、そのエゴまみれの手がこんなにも温かいのは言葉に偽りがないからだろう。
「…そう」
◆
秋巳大輔は聖杯戦争の参加者ではない。
だからこそさまざまな疑問に目がいく。
常に命の危機に晒されているのは同じだが、わざわざ聖杯戦争後の“カズマの身元の保証”をセイバーから直々に頼み込まれたのだ。
これは同時に“聖杯戦争中は命の保証をする”と言ったものと同意義だ。
通常の参加者と違って“敵”は多いが、それでも少しは心の余裕ができた。
そうして大前提である疑問を立てる。
“なぜ時計塔は察知しないのか?”
街1つを聖杯戦争の舞台として多くの事件を起こしている。
これは時計塔の魔術師によっては由々しき事態のはずだ。
神秘は秘匿されるべきもの。今後は衰退していく分野ではあるものの、その常識はいつだって普遍的だ。
だとすればこの聖杯戦争に時計塔、もしくは魔術協会が介入しないのはおかしな話だ。
現地にいない魔術師だってこれらの事件を連日ニュースで流せば、魔術関連のものだと察するであろう。
何故介入されないのか。
もしくは公認された戦争なのか。
はたまた、時計塔そのものが派閥の枠を超えて聖杯戦争に乗り出しているのか。
考えればキリがない。
煮え立ちそうな頭を掻き毟り、ため息をつく。
ともあれ自分の無力さに打ちひしがれていたのだ。
この1週間で得た情報はこの紙切れ一枚のみ。
秋巳は寝不足のクマを抱えて資料を机の上に乗せた。
とある人物の履歴書をコピーしたもののようで、全てフランス語だった。
「こいつが昏睡事件の主犯だ」
「え」
顔写真をよくよく見ると、詩絵李を攫おうとした変態と酷似していた。
名前はヤニック・ロペス
交通関係の仕事についているらしく、この街一帯に詳しい人物のようだった。
そして追加情報として秋巳は言う。
「そいつはお前たちと同じで、魔力を持った元一般人だ
魔術を扱えるような人間じゃない
おそらく周りの魔術師に簡易礼装でも与えられてるんだろうな」
「じゃあサーヴァントだけが厄介なだけか
ラッキー」
それでも眉間の深いシワは取れていない。
男を睨みつけては少し舌打ちした。
「万全なのか?
対抗策は」
「セイバーと考えた
万全じゃないけど」
一言で表すなら不機嫌だった。
何かしたつもりはない。勝手に秋巳がイラついているのだ。
「戻ってくるだろうな
お前らに戻ってきてもらわないと困るぞ
全参加者に命を狙われることになるんだからな」
「ああ、それで不機嫌なの
まぁその時はヴィクトルさんのところに転がり込めばいいんじゃない」
「ああもう!全く!!
つべこべ言わずに善処するだの頑張るだの、行きたくないだの言えばいいだろ!」
今夜、聖杯戦争が始まる。
とりわけ今週の抗争は、ライダーとアーチャーが交戦しただけで慌ただしいものではなかった。
見放されているのか、どうせ勝てると思っているのか。
どちらにしてもカズマにとって好都合ではある。
「おじさんの言ってる意味がわかんない」
「カズマ、恐らくアキミは…」
「みなまで言うな!
ほらさっさと寝ろ!朝まで見張っといてやる!」
秋巳の言いたいことを代弁しようとしたセイバー。
しかし秋巳が遮り、どっかりと椅子に座り込んだ。
肩をすくめてカズマはベッドに身を沈めた。
これから殺し合いをするのだと思いながら眠るなど、今後ないだろう。
一瞬で暗闇に落とされ、見えない糸で引っ張られるように例の空間へと誘われた。
自分の体を自覚するのにそう時間はかからない。
何せ全身を痛みが覆っているのだから。
そして後からやってきたセイバーは外套をカズマにかける。
「他に参加者はまだいないようだ
開戦までは息を潜めよう」
身隠しの外套は本当に便利だ。
頭まで被り、視界に映らなくなったところでセイバーも霊体化した。
真っ先に同じ空間にきたのは切敷矢継だった。
彼は何もない空間に向かって声を投げる。
「対策はしているのかい、一真ちゃん」
それに答える義理はない。
無視をした。
「僕はね、君が心配なんだよ
君はこの聖杯戦争で一番傷つき、負わなくていい傷を背負っている
そして、何より単独行動をしている
これは致命的だよ
情報戦では負けていると言ってもいい」
心配しているだと?笑わせる。
切敷の言葉は心配などではない。
カズマはほぼ直感的に分かった。
何より温かくない。
けれども心の裏では、少し早くその言葉を聞いていたらいい人なのかもしれない、と思わされていたと自覚している。
そうならなかったのは、ただひたすら優しいものがそばにあったからだろう。
少しだけその事に安堵していた。
無視を決め込んでいると分かれば切敷もそれ以上なにも言わなかった。
順に左翼陣営の生き残りが集まり、それぞれのマスターは口にする。
セイバー陣営はどこだ、と。
そもそも彼らにとって、姿を隠す意味すら分かっていないだろう。
それもそのはず。何故なら切敷を全面的に嫌っているからだ。
そんな単純で、子供のような理由で姿を消しているなど誰も思っていないだろう。
実際セイバーも少し驚いていたくらいだ。
ただカズマが本当に嫌悪しているのだと分かれば素直に頷いた。
逃げてもいいのだと言うように、外套をかけてくれた。
そのうち中央に旗を持つ少女が現れる。
『これより第3回戦を始めます
左翼・セイバー対右翼・ライダー
両者は前へ』
前へ、というより無理やり転移させられた。
だが依然としてカズマの姿は誰にも見えてはいない。
セイバーだけが、右翼陣営のライダーと対峙する。
「やはり2人で1騎だったか」
ただの感想をつぶやく。
金髪に赤い衣装がよく映える女海賊は綺麗に笑ってみせた。
「うちの愚鈍なマスターが迂闊に行動しなければバレなかった筈なんですが…」
「しょうがないよ
女の子に目がないど変態だったんだから」
ライダーが横目で軽蔑の眼差しを向ける。
単純に生理的にムリなのだろう。
人の良さそうな笑みを浮かべ続けるヤニック・ロペスはその言葉を気にもしていないようだ。
「ところで、そっちのマスター、女の子だったっけ?
女の子なら殺さないであげるつもりだから安心してほしいな
それにほら、2対1っていうのも可哀想だし、それくらい先に言っておかないとね」
ぴく、とセイバーの眉間のシワが増えた。
こちらもまた癪に触ったのだろう。
ヤニックがあえて生かす、と言ったのは勝てると思い込んでいることと、何より女に対し”そういう事“を求めているからだ。
味方陣営から娼婦、と揶揄されただけでマスターの首に剣をあてがうセイバーが聞き逃すはずがない。
殺意を持って返そうとしたその時、姿を消し続けているカズマが言う。
「で、どっちがアン・ボニー?」
空虚な影が言葉を発したようなものだ。
ライダー陣営だけではない。
右翼、左翼どちらにも、この言葉は牽制となり得た。
「男っぽい方がメアリーかな
ほんと、気苦労が絶えないね、こんな男だと
分かるよ」
うちも母親は男にしか目がいってないから、と挑発をすればライダーは当然警戒をする。
戦う前に真名を暴かれた。
そして、同情をされた。
挑発を挑発で返そうと、アン・ボニーが口を開きかけたところでルーラーが旗を掲げた。
舞台は中世を思わせる街並み。
入り組んだ道と狭い路地が出現する。
『聖杯戦争ーーー開始!』
そして互いのサーヴァントが激突する。
力では圧倒的にセイバーが上をいくが、数の有利は覆せない。
メアリーが剣戟を繰り返し、的確に合間を縫ってアンが射撃する。
だがセイバーもライダーと対峙するのは3度目だ。
いつまでも引けを取るほどの騎士ではない。
2撃、3撃と繰り返すほどに全ての攻撃を撃ち返していた。
その隙にカズマは離れる。
サーヴァントにはカズマの位置がバレているものと考えて遮蔽物のある場所へ隠れる。
敵マスターも同様だった。
とはいえ2人がかりでセイバーを抑えているのだから身の危険などほぼ無いに等しい。
そうなればこれまでの行動予測もつきやすい。
絶対にマスターを狙ってくる。
これまで左翼陣営のマスターはサーヴァントの力を借りて姿を隠してきた。
今回カズマの取る行動は逆だ。
こちらも打って出る。
まだ走ることは難しい体だが、短期決戦を目指し無理やり動かした。
包帯を解き、素手で手の感触を確かめる。
ただ今回カズマにとって予想外であることはこの地形だった。
ただでさえ街の土地勘がないのに、海外の街並みなど法則性が読めない。
一方相手は交通網に詳しい人物だ。
先手はまずあちらに取られている。
そしてそれはマスターだけではない。
けたたましい音が連なった。
聞いたこともない音に何事かと一瞬勘ぐったが、ほぼ反射で身をかがめた。頭上で窓ガラスが割れ、ガラスが道路に撒き散らされる。
カズマの背を通り越して銃弾が地面にめり込んだ。
(遮蔽物無視かよ!)
やはり遠距離攻撃を持つ相手は厳しいかもしれない。
下手に目立てばアンの標的に
かといってカズマは敵に見つけてくれなければ次の駒が進められない。
(めんどくせぇ…)
ともあれ作戦は続けなければ。
外套を脱ぎ、慎重に進む。
逸る気持ちを抑えながら、周囲を警戒した。
「あぁ!やっぱり女の子じゃないか!」
後ろから声が聞こえた。
ギョッとして振り返ると、ヤニック・ロペスがいる。
正直気持ちが悪い。
何より気配が全くなかった。
足音もなければ生体音すらないように感じる。
そう、言わば生粋のストーカー体質。
追いかけ回すことに特化したような人間だと肌で感じた。
まずは走る。
が、それより早くアン・ボニーの銃弾が駆け抜ける。
転がるように交差する道を抜けて再び遮蔽物へ隠れた。
「殺さないから大丈夫大丈夫!」
「こいつの首切り落としていいかな」
脳内のセイバーが、ダメ、と言った気がした。
とにかく奴がカズマを追いかけ回すという図が出来上がったわけだ。
満身創痍のカズマを見てマスターは当然
「マスター見つけたから後は任せたよぅ!」
意気揚々と指示する。
手負いのウサギを見つけた狩人は今晩の食事のためにただ一匹を狙うに決まっている。
カズマにとっては想定内だった。
後はセイバーが、2人相手に時間を上手く稼いでくれるかどうかだ。
今回カズマがこの戦いに決着をつける。
殺意をひた隠し、そして追われる役に徹した。
◆
「おいおい、あいつやられるぜ」
緑衣の青年が顎をしゃくった。
あいつ、というのは右翼陣営・ライダーのマスターであるヤニックを指していた。
「アーチャーもそう見たか」
「今回も左翼陣営は相手が悪かった、いやタイミングが悪かった
けどそれを見越して戦略立ててる
こりゃ負け確定だな
どうすんだ、アインツベルンのご当主さま?」
黒いセイバーを隣に立たせる白い男。
作られたような顔つきは文字通り、アインツベルンよりデザインされたものであり、陶器の肌が赤い目をより浮き彫りにさせていた。
「あいつは元々数合わせだ
この聖杯戦争でのつなぎ目としての役割としてしか考えていない
だが、相手が秦民一真だったとはな
娯楽と考えればこの一戦は面白みがある」
「娯楽…?冗談じゃないわ…」
深くフードを被り、顔半分をマスクで覆い隠した薄暗い人物が恨めしく言う。
「私はこの戦争に勝って望みを叶えるためにいるのよ
あのクズにだって勝ってもらわなきゃ困るわ」
ただ特筆すべきはそれだけではなく、声が酷くしゃがれていた。
目元だけを見れば若者と分かるが声は老婆のそれでお世辞にも美しいとは言えない。
そして咳き込み、苦しそうな息を吐いた。
「おお…クリスティーヌ…美しき君…」
背中を丸める女に仮面をつけた美声の男が同様に目線を合わせる。
心配している素ぶりを見せているのだろう。
「今回…あの男が負けたら…私があのガキを殺しにいくわ…それで願いが1つ近くでしょう…」
「勇き意思、おお、なんと気高きことか
我が爪はクリスティーヌのためにあり、我が心はクリスティーヌのそれに従う…」
なんとまぁ暴走陣営が多いことで、などと言ってアーチャーは肩をすくめた。
今回の聖杯戦争、全員がその戦いに注目していた。
そんな中赤いコートを身にまとった痩身の女が言う。
「結局のところ、右翼陣営は“奴”に踊らされていたのか」
エオス=ゴッドスピードだ。
目の下のクマはまるで錘のように黒く、打って変わって肌は青白い。
セイバーのマスターが白ならエオスはまた別の、血濡れた白さだ。
「そういうことになるな
次の対戦で奴が出てくれば、容赦なく仕留めればいい
そして滞りなく聖杯戦争を続ければ望みの聖杯は手に入れられる
だれか1人にではなく、全員に、だ」
「ただ例外はあるがな」
ようやく口を開いたセイバーは後ろを振り返る。
そこには闇に埋まるひとりの子供、そしてそのサーヴァント。
次いで女がいた。
側から見れば囚われているようにも見えるだろう。
だがこれは右翼陣営の由々しき事態であり、応急処置でもあった。
1人は坂田金時。バーサーカーのサーヴァントだ。
すぐ近くにいるのは子供。バーサーカーのマスターであり名前はデボラ・フォン・アインツベルン。当主と呼ばれるセイバーのマスターの従姉妹にあたる。
もう一人は長い白銀の髪に美しい顔を持つ女サーヴァントだった。
女サーヴァントだけがその異質さを物語っていた。
捕らえているはずなのに目を閉じているだけのような気さえする。
動けないのではなく、あえて動く気がしないのだと瞼が語りかけているかのようだ。
「エオス、引き続き聖杯の守りを任せた
ダン卿、デボラにかけられている暗示魔術の解除を」
「心得ている」
「私は、マスターのいないランサーの相手をしよう
いいな、アーサー王」
ふと笑みを浮かべた。
黒い騎士はそれを待っていたと言わんばかりに剣を引き抜く。
「結界を張る
全員結界には近づくな」
アインツベルンの当主、ツェンゾール・フォン・アインツベルンは賽を投げた。
文字通り6面の固形物は黒い空間の地面に触れると一瞬で膨れ上がる。
ツェンゾールとアーサー王からなるセイバー陣営と、瞳を閉じた女サーヴァントを包み込み、内外からの情報を遮断した。
◆
男はこちらを品定めするよう、付かず離れずの距離を保ちながら追いかけていた。
やろうと思えばすぐに捕らえられるはずだ。
だがすぐにそれをしないのは、カズマが内臓の痛みに脂汗を滲ませ、うめき声をあげる様が楽しみで仕方がないからなのだろう。
恍惚とした顔でその様子を堪能していた。
「名前なんていうんだっけ?
確か日本人だったよね?」
まだカズマは走る。
カズマの作戦を完全に遂行させるためにはアン・ボニーの射程外にいなければならなかった。
セイバーがそれとなく後退し、カズマとの距離を離れさせる。
だが離れすぎると思惑がバレてしまうか、或いはカズマだけを狙いに定めるか。
その駆け引きが重要だった。
何より、ヤニックが油断しきった所でカズマの武器を発動しなければらない。
突如カズマの腹が自分で自分を抉るように、痛みが襲った。
一瞬息を忘れるほどの痛みに足が止まり、塀に手をつく。
「あぁ〜〜!大丈夫〜!?」
歓喜の声と同時にヤニックはカズマにしがみついた。
待ってましたと言わんばかりの顔だ。
カズマの両親とはまた違ったエゴと欲望の詰まった肉袋。
「すぐ楽にしてあげるからね」
「ぐっ!?」
胸ぐらを掴み上げて塀に押し付ける。
カズマの小柄な体はいとも簡単に男の手で抑圧された。
火傷の負った、皮がひきつる手では上手く力が入らない。
だが力などなくとも良かった。
肺が圧迫され、内臓が痛みをぶり返す。
その痛みこそがカズマのスイッチだ。
魔力を回せ、全身に張り巡らされた魔術回路を総動員し、男の魔術回路に接続。
「え?」
カズマとヤニックは確かに繋がった。
その一体感は、万能感はヤニックの意識を奪うに十分すぎる。
次の瞬間、カズマの魔力が噴き上がる。
膨大な魔力を肉袋に詰め込む。
噴き出した魔力が、失明した右目からも漏れ出ていた。
鬼火を宿す灰色の瞳を見てヤニックは今自分が“侵されている”ことに気づいた。
体の中にナニかが這い回る。
それだけではない、モーターが過剰に回り出したような、脳みそが煮えたつような、そんな異常な不快感が一瞬で全ての感覚を襲った。
「あアアア゛あ゛ぁっ!!?」
手を離そうとしても今度はカズマが離さない。
一度繋げ、注ぎ込んだ魔力がヤニックの体内で過剰に巡り、回し、躍動し、反芻し、破壊し尽くす。
「やめっっ、や、あ゛ッ!?おごぁっ!!?」
腕、足、目玉、体内から湯気が立ち上る。
血が噴き出し、内臓をかき回す。
制御しきれない魔力を注がれてヤニックは魔術回路をズタズタにされたのだ。
通常の人間でなければ存在し得ない臓器。
だがそれでも臓器だ。
破壊されれば隣接する神経や血管にも影響を及ぼし反響する。
「だしゅけてっ!!」
ヤニックにとっては生き地獄だろう。
蛇のようなそれが体の中から抜けず、今もなお中から壊し続けている。
終わらない痛みがいつまでも続く。
トドメにカズマのその“武器”の欠点を言う。
「悪いけど、それの戻し方わかんないんだよね
一生それかもしれないから頑張って」
所謂、ヤニックの体を這い回る魔力はただの魔力というにはあまりにも“劣化しきった汚いもの”だった。
ただ魔力を分け与えるだけなら何ら問題はない。
カズマも知り得ない、カズマだからこそこれが武器となったのは、質の悪い魔力だからこそだ。
つまるところ拒絶反応。
アレルギー反応。
そうして最後にヤニックが失神する頃には魔力回路は機能を果たしていなかった。
ヤニックから繋げていたパスはプツリと、小さく途切れた。
「えっ」
メアリーのカトラスがセイバーの剣に当たらず空を切る。
カトラスは欠けていない。
むしろ2人のコンビネーションは完璧でありセイバーを事実上追い込んでいた。
それは既に発動していたライダーの宝具からなっていた。
『比翼にして連理』
2、3度見えて手の内が明かされていたライダーが取った戦法もまた短期決戦だ。
凄まじい攻撃の嵐に、まるで自然を相手取っているような気さえ起こさせる。
だが、メアリーのカトラスは手から消えていた。
そして発動していたはずの宝具も効果が切れていると実感する。
「メアリー!」
アンが叫ぶ。
振り返ると自分の体が、霊体が崩壊していた。
そこでようやく自分のマスターが何らかの方法でやられたのだと知った。
「何を…あんな満身創痍で何をしたっていうのさ!!」
こちらの勝利だと自覚したセイバーは剣を静かに下ろした。
「情報を明かす必要性はない
ただカズマが勝った
それだけのことだ」
「ふざけるな!あのマスターは普通じゃない!!そもそも右翼も騙されてたようなもんだ!!
そっちにいる…」
メアリーの激昂にアンは静かに口に手を添える。
「メアリー、ダメですわよ
きっと知らないのでしょう
知らないままにしておいたほうが、こちらの益になりますわ」
わなわなと小さな体が震える。
その姿だけはただ勝負事に負けて悔しい子供のよう。
2人はそれから光の粒となり消えた。