たそかれ
部屋にいると、考え事をしてしまって良くない。雀はただ歩いていた。彷徨う、といってもいいくらい表情に正気はない。
あんなに優しい氷月が人を殺していた。その事実に愕然とするのは当たり前で、なおかつ幼馴染が殺人罪の執行待ちと知りやるせない気持ちになる。
今だけは一人になりたくて、できるだけ人気のない場所を選び続けた。掲示板に掲載されている地図を記憶して畑のある場所へと向かった。
街から離れるにつれ森が近づくが人の生活が随所に見られる。車輪で固められた道。整備された田んぼ。実に袋を付けられている木々。どれも旧世界のようで涙が出てくる。
さらに進むと岩肌が多い場所に出た。それでも歩き続ける。荒れた道に、じわじわと汗が溢れてきた。人の気配もなくなり、岩に腰掛ける。風が木々を揺らして雀の存在をかき消していた。
『あなたが特別だから氷月様は疵を負ったことを覚えていて』
ほむらの言葉を思い出す。落ち着いてきた今、雀が聞いてきた言葉に含まれた多くの意味があったのだと知った。
『過去を知っても、氷月様を否定することは許さない』
『もし氷月様から過去を明かされたときはどうか、ご自身の気持ちに従い受け止めて差し上げてください』
俯き、次第に膝を抱える。改めて何も知らなかったことに嫌悪していた。コーンシティではどんなことをしていたのか。どんな思いや理由があって殺したのか。そして疵、とは何なのか。
頭の中で考えていたってわからないけれど会いに行けず、さらに彷徨った。有休も今日で一週間となり、明日から仕事をしなければならないのにまだ東京にいる。
氷月のためにもなれず、仕事も中途半端にしている。後悔…とは少し違うがそれに似ている感情を持て余してさらに奥へ進んだ。
「は、か…?」
木をクロスにして地面に差し込んでいる。まさに墓だ。そして表面を平たく削られ、文字が彫られていた。指でなぞりながら汚れを落とすとかろうじて名前を読み取ることができた。
「ゴーザン…?ユーキ、レン…アカシ…キョーイチロー、モリト……」
人の名前だ。つまり本物の墓だ。さらに別の言葉を読んでいく。腐食が進み、一部分は読むことはできなかったものの、推測しながら解読した。
毒ガスにより逝去。そう彫られていた。彼らだと理解した。雀は静かに両手を合わせる。考えるよりも先に体が行動を始めた。氷月が雀のためにうさぎの墓を作ったように、雀もまた彼らのために墓を作ったのだ。
雀が東京へ行くため一週間が経過した時、とうとう現場監督がいないと騒ぎになる。しかも集落にもいないので行方不明者として東京の警察組織にも連絡が入るのだが数日前に事情聴取をしたばかり。
まだ東京にいるのだろうと、労働者宿泊所にいくとかれこれ三日は帰ってきていないという。たかを括っていた警察も雀の行方がわからなくなり捜索を開始していた。
行方不明の知らせを受けてあさぎりゲンもこれに加わる。ゲンは、雀がそう遠い場所に行ったとは考えず、仰々しい捜索網を縮小することを提案。それから近場の森を散歩するかのように一人で雀を探し始めた。
最後の目撃証言は運悪くも街を出て森へ向かったというだけだ。だがゲンならその後の足取りをある程度想像することができる。逃げているわけでもなく、何か目的の上で単独行動をしている。あるいはその場から離れられない事情があると仮定した。
旧司帝国のあたりはゲンは詳しい。懐かしさを覚えながら歩き回ると規則的な音がかすかに聞こえた。風が吹けば消えてしまいそうなものだが慎重に音の出どころを探る。
探し回ること1時間。ようやく雀を見つけた。静かに大きな安堵の息をこぼす。しかし何をしているのかわからず、わざと足音を立てて近づくと雀もゲンの来訪に気づいた。
「ゲンさん、どうしてここに」
「それはこっちのセリフ〜一人でどうしたの?それ…岩…?」
「はい、墓を、作ってます」
手はボロボロ。どこからか持ってきた岩はなだらかな表面をしていた。そしてゲンを一目見た後、手元の別の岩を使って水を混ぜ、研磨していた。
「氷月くんのこと聞きました。ショックで歩き回ってたらたまたまここに行き着いたんです」
ゲンが木の十字架を懐かしそうに見つめる。彫られた名前を同じく指でなぞった。雀は今も岩を必死に磨いてなだらかにしている。まさか、腰くらいまである岩をずっと研磨していたというのだろうか。ゲンは周囲の人物がかなり傑物と理解しているが、雀もまた常軌を逸した存在に近い。
「あの…まさかと思うけど…三日間ずーっとそれやってたの?」
「三日?」
「うん、あのね、実は雀ちゃんが氷月ちゃんと面会して三日経ってんのよね〜…」
雀は目を丸くして、今を見下ろす。
「え゛え〜〜〜!?」
「いやこっちのセリフ〜〜……ゴイスーな集中力…」
「い、言われてみればお腹空いたし頭痛いし節々が痛いかも…」
「あぁ〜じゃあまず休も?ね?一旦寝るところから始めよっか!」
まず最優先は睡眠。ゲンは雀を木陰に連れてこの場で寝るよう指示した。上着を脱いで肩にかける。
「俺はちょっと席外すけどまた戻ってくるからね」
「は、はい、わかりました」
「ジーマーで死んじゃうから寝て、ほんとにね」
「はい………」
(秒で寝た)
眠っている間に食事を買い、警察にも連絡をする。しばらくは任せてほしいと言い残し急いで雀の元へトンボ返り。雀は相変わらずぐっすり眠っているが、その寝顔は石化状態に見た顔つきと全く同じだ。ゲンは少し離れた場所で座り込み、雀が起きるまでのんびり待つ。
「ふわぁ〜〜…」
長い時間、花の仕込みをしながら待っていたが大きな欠伸が聞こえる。寝転がりながら大きく伸びをする雀。ゲンが覗き込んだ途端に雀はむにゃむにゃ言いながら再び目を閉じた。
(二度寝した…)
数分後、雀はゆっくり起き上がった。
「おはよ〜」
「家だと錯覚してました…すみません、ゲンさんがいるってことはもしかして大きな騒ぎになってますか?」
「まぁね〜でも連絡はしておいたし大丈夫。それより、墓の続きしたいんでしょ」
この程度はメンタリストでなくてもわかるだろう。これは雀のケジメだ。
研磨された岩の表面を見て雀は頷いた。
「できれば私一人でやりたいんです。氷月くんは私にワタタの墓を作ってくれました。だから今回は私がやります」
「氷月ちゃんはこういうの微塵もありがたがらないし、むしろ迷惑って思うかもよ?」
「自己満足だからいいんです。それに何より名前が消えてしまうのは、寂しいから…」
正しくは、有り難がらないものの、雀が墓を作ったのなら「雀の努力に賞賛をする」が氷月の反応だ。ゲンはあえてそう言い放っただけ。それでも雀の心は折れることなどないと確信した。
氷月は雀に己の理想を語ることはないだろう。真摯に生きる姿を前に氷月は口を閉ざす一方だ。名古屋から東京まで遥々やってきて告げたのは罪の告白のみ。墓まで作ったとあれば氷月は雀の眩しさに背を向けるはずだ。
「氷月ちゃんは絶対言わないだろうから、代わりに伝えておきたいことがあるんだよね〜」
「私は氷月くんから信頼されてないだけかもしれないし、言わないほうがいいんじゃないかと思うんですけど…」
「信頼なんかもうとっくの昔に飛び越えてるよ」
いつもの軽い口調からかけ離れた声音。優しくも雀を宥める言葉に胸が熱くなる。
「雀ちゃんがジーマーで大事だからこそ、氷月ちゃんは言えないのよ。やっぱりストレス与えちゃうし、ほら、死んじゃったっていうトラウマが氷月ちゃんにあるからね」
「……そう、ですね」
「氷月ちゃんは復興が進む前の…科学を発展させていく段階の時、そりゃもう腕っぷしは強いは頭はキレるわ…ゴイスー大変だったんだから!」
仕事で疲れていても大会での優勝、名声は雀にも届いていた。毎日社会の歯車になって必死に働いてもいい事はほんのちょっと。むしろそのほんのちょっとの良いことで生きながらえている感覚さえあった。氷月に嫉妬すらもしていた。
「でも今は初めて…雀ちゃんを力以外で守ろうとしてる。どうしても不器用になっちゃうわけ」
「そうは言ってくれますけど、本当に旧世界では……あまり会話もしていないんです。私が死ぬ二週間前、氷月くんが、野菜を届けにきた時に連絡先を交換しようって言っただけ…」
「聞きたいんだけど、それより前に話したりは?些細なことでもいいから教えてくれる?」
雀は記憶を遡る。あの頃は夜に帰宅することが多く、クレームの尻拭いばかりで泣いて帰っていたことを思い出す。それから、朝に会社から帰ってきた時に一度だけ氷月から話しかけられた。目星がついているものはそれくらいだ。
ゲンに伝えると、可能な範囲で答えてほしい、とさらに質問をされる。今、ゲンは氷月を語るためにも足りない情報を雀から保管していた。
いくつか回答すると数秒考えた後に笑顔で言う。
「うん!わかった!」
「な、何がですか?」
「今まで氷月ちゃんの行動理念の根底がわからなかったんだよね」
「根底?」
ゲンは一息ついて雀に告げる。
「今から氷月ちゃんのこと、出来る限り正確に伝えるけどショックを感じることも言っちゃうかも。でも雀ちゃんはずっと氷月ちゃんを見てきたし今も目を逸らしてないから、どうしても伝えたいんだ。いいかな?」
ゲンの言うことならたとえ憶測が含まれていようとも限りなく事実に近いだろう。ましてや共に旅をした仲間なのだから解像度は格段に上がっている。雀は拳を作ってまっすぐ見つめた。
「それは、私が知ったら…氷月くんの苦しんでることもわかるようになりますか?」
「うん」
「氷月くんが、困ったことがあったら私たちに相談してくれるようになりますか?」
「……そうだね、きっとそうだと思う」
なら、お願いします、と頭を下げた。高く登っていた太陽が傾き始める。
暁氷月は白𡈽雀を死なせてしまったことをひどく後悔している。これは確定事項だ。さらに本人が薄々感じていた理想…「人間の間引き」を実現させる「無自覚な大義」にもなってしまった。
なぜ雀という真面目な人間が、社会にとって有益な存在が死ななければならなかったのか。そう、雀を死に追いやったのは紛れもなく「頭の煮えた人間」のせいである、と少しでも考えたに違いない。
石世界で目覚めて全人類が石化した状態を見た時、暁氷月は決心するのにそう時間は掛からなかったはずだ。「理想の世界」を作る。善、悪、偽善、業、なんであれ物事に真摯に取り組む人間だけが選ばれる世界。もしそんな世界であれば白𡈽雀は死なずに済んだ。暁氷月もふざけた人間を見なくて済む。
たったそれだけの願いが彼にはあった。今や遠い夢の話である。夢は「夢」となり叶わぬものになっても、得た旅路は有意義であったに違いない。氷月はそれで満足していた。例え今でも社会を憎んでいても、氷月が認めた仲間との旅がこの上なく至高であったから。
だが白𡈽雀は石化し、生き返った。
「人類の間引き」という大義の中に白𡈽雀がいることを自覚してしまう。「人間の間引き」は「白𡈽雀が死ななくてよかった世界」だ。氷月は自身の理想が崩れていくのを感じただろう。見ていた夢はただのスクリーンでスイッチをオフにすれば一瞬で消える。
これまでの行動に意味をなくしたも同然である。
少しでも雀に人生の一部を賭けていた。それなのに初動を間違えてしまった。選択肢は一つしかないと盲目的になっていた。氷月はそのことに苛まれている。
「一つ勘違いしてほしくないのは、氷月ちゃんは雀ちゃんのために暗躍したんじゃなくて自分のためだけにやったってこと。氷月ちゃん、我が強いでしょ?」
雀はゲンの言葉が重たく背中にのしかかる。過労死ならまだしも、自殺をしたのだから氷月の殺害行為に意味を持たせてしまったと確信している。
「わた、し……氷月くん責任を負わせるつもり…なくて…」
「うん、氷月ちゃんもそれは望んでない。彼らの死と雀ちゃんは無関係。それは俺が保証する」
「なら、どうして…氷月くんは私にそんなに気にかけてくれたんですか?どうして間引きなんてことを…私が死ななくてよかった世界なんて…」
ゲンが手のひらを見せる。くるりと翻すと瞬く間に花が一輪現れた。白色で優しい香りがする。
「わ!」
「雀ちゃんが、ちゃんとしてるから、でしょ?会話した回数なんて関係ない。氷月ちゃんは無意識にそんな世界を望んでしまった。たったそれだけの事実だと俺は思うよ」
花を差し出され、静かに受け取る。
「…ほむらちゃんの言っていた、疵がわかりました。氷月くんの過去を、私は否定できない」
それでも涙をこぼして後悔を口にした。
「私……なんで死んじゃったんだろう」
震える背中をゆっくり撫でる。雀が泣き止むまでゲンはそこから離れる事はなかった。
◆
雀は必死に名前を彫っていく。まるで体に刻み込むように。慣れない作業に手のひらが豆だらけになるが気にする事はなかった。そして時折自分の指を切ったり、トンカチで叩いてしまった時は、不器用だなぁと思って続きをする。
墓が完成したのはゲンと語らって一日後だ。地面に穴を掘り岩を差し込む。もうこれで彼らの名前は消えたりしない。
山で花を摘み、墓の前に供える。もう一度手を合わせてその場を離れた。
氷月の事情聴取…もとい拘束は解除された。行きは船できたが帰りは徒歩という。警察署の前で雀が立っていた。
「雀さん」
「帰ろ……って、もしかして船!?」
「いえ…徒歩です」
「よかった〜!帰りも一人だと心細くて死んじゃうところだった!」
いつもの笑顔。人を殺したと伝えたのに何故こんなにもいつも通りなのか。氷月には理解できない。
「いつ帰る?ついてっていい?」
「…雀さんが良いのであれば。午後には出発予定です」
「やったー!あ、でも私足腰弱いからペース落としてくれると助かる…」
「ええ……」
雀の手は怪我ばかりしている。他の外傷はない。何か仕事をしていたのかと推測するが心当たりはない。むしろ旧愛知県の集落で何かしていたのかもしれない。
氷月は小さく息をついた。雀を手放そうとしてもこうして目の前に戻ってきてしまうし、雀のことばかり観察してしまう。
「よる場所があります。時間まで街にいてください」
「置いてかない?」
「あなたみたいな貧弱な人、置いていったら行き倒れになるでしょう」
「でもここまで一人で来たんだよ!?」
またワンワンと鳴くように文句を言う。氷月はあしらって、「よる場所」へ向かった。雀は指示通り街へ行くことにしたようだ。遠ざかる氷月の背中に、一方的に待ち合わせ場所を叫んでいた。
田んぼ、畑の畦道を通り岩肌が剥き出しになった斜面を登る。孤独に歩き続けてたどり着いた場所は墓だった。
ただ氷月が驚いたのは、木の十字架でできた簡素なものではない。石に直接掘られた、立派な墓石だった。思わず近づき片膝をつく。指先で表面をなぞると滑らかで、優しい。
「は……」
乾いた笑いが出た。視線を下ろすと花が手向けられている。数は六本。雀の手が怪我をしていたのはきっとこういうことなのだろう。確信なんてものはない。だがこんなことをやる物好きは雀しかいなかった。
「…………」
すがるように、墓石に爪を立てる。氷月はしばらくそこから動けなかった。ぬくもりがまだここにある。
あんなに優しい氷月が人を殺していた。その事実に愕然とするのは当たり前で、なおかつ幼馴染が殺人罪の執行待ちと知りやるせない気持ちになる。
今だけは一人になりたくて、できるだけ人気のない場所を選び続けた。掲示板に掲載されている地図を記憶して畑のある場所へと向かった。
街から離れるにつれ森が近づくが人の生活が随所に見られる。車輪で固められた道。整備された田んぼ。実に袋を付けられている木々。どれも旧世界のようで涙が出てくる。
さらに進むと岩肌が多い場所に出た。それでも歩き続ける。荒れた道に、じわじわと汗が溢れてきた。人の気配もなくなり、岩に腰掛ける。風が木々を揺らして雀の存在をかき消していた。
『あなたが特別だから氷月様は疵を負ったことを覚えていて』
ほむらの言葉を思い出す。落ち着いてきた今、雀が聞いてきた言葉に含まれた多くの意味があったのだと知った。
『過去を知っても、氷月様を否定することは許さない』
『もし氷月様から過去を明かされたときはどうか、ご自身の気持ちに従い受け止めて差し上げてください』
俯き、次第に膝を抱える。改めて何も知らなかったことに嫌悪していた。コーンシティではどんなことをしていたのか。どんな思いや理由があって殺したのか。そして疵、とは何なのか。
頭の中で考えていたってわからないけれど会いに行けず、さらに彷徨った。有休も今日で一週間となり、明日から仕事をしなければならないのにまだ東京にいる。
氷月のためにもなれず、仕事も中途半端にしている。後悔…とは少し違うがそれに似ている感情を持て余してさらに奥へ進んだ。
「は、か…?」
木をクロスにして地面に差し込んでいる。まさに墓だ。そして表面を平たく削られ、文字が彫られていた。指でなぞりながら汚れを落とすとかろうじて名前を読み取ることができた。
「ゴーザン…?ユーキ、レン…アカシ…キョーイチロー、モリト……」
人の名前だ。つまり本物の墓だ。さらに別の言葉を読んでいく。腐食が進み、一部分は読むことはできなかったものの、推測しながら解読した。
毒ガスにより逝去。そう彫られていた。彼らだと理解した。雀は静かに両手を合わせる。考えるよりも先に体が行動を始めた。氷月が雀のためにうさぎの墓を作ったように、雀もまた彼らのために墓を作ったのだ。
雀が東京へ行くため一週間が経過した時、とうとう現場監督がいないと騒ぎになる。しかも集落にもいないので行方不明者として東京の警察組織にも連絡が入るのだが数日前に事情聴取をしたばかり。
まだ東京にいるのだろうと、労働者宿泊所にいくとかれこれ三日は帰ってきていないという。たかを括っていた警察も雀の行方がわからなくなり捜索を開始していた。
行方不明の知らせを受けてあさぎりゲンもこれに加わる。ゲンは、雀がそう遠い場所に行ったとは考えず、仰々しい捜索網を縮小することを提案。それから近場の森を散歩するかのように一人で雀を探し始めた。
最後の目撃証言は運悪くも街を出て森へ向かったというだけだ。だがゲンならその後の足取りをある程度想像することができる。逃げているわけでもなく、何か目的の上で単独行動をしている。あるいはその場から離れられない事情があると仮定した。
旧司帝国のあたりはゲンは詳しい。懐かしさを覚えながら歩き回ると規則的な音がかすかに聞こえた。風が吹けば消えてしまいそうなものだが慎重に音の出どころを探る。
探し回ること1時間。ようやく雀を見つけた。静かに大きな安堵の息をこぼす。しかし何をしているのかわからず、わざと足音を立てて近づくと雀もゲンの来訪に気づいた。
「ゲンさん、どうしてここに」
「それはこっちのセリフ〜一人でどうしたの?それ…岩…?」
「はい、墓を、作ってます」
手はボロボロ。どこからか持ってきた岩はなだらかな表面をしていた。そしてゲンを一目見た後、手元の別の岩を使って水を混ぜ、研磨していた。
「氷月くんのこと聞きました。ショックで歩き回ってたらたまたまここに行き着いたんです」
ゲンが木の十字架を懐かしそうに見つめる。彫られた名前を同じく指でなぞった。雀は今も岩を必死に磨いてなだらかにしている。まさか、腰くらいまである岩をずっと研磨していたというのだろうか。ゲンは周囲の人物がかなり傑物と理解しているが、雀もまた常軌を逸した存在に近い。
「あの…まさかと思うけど…三日間ずーっとそれやってたの?」
「三日?」
「うん、あのね、実は雀ちゃんが氷月ちゃんと面会して三日経ってんのよね〜…」
雀は目を丸くして、今を見下ろす。
「え゛え〜〜〜!?」
「いやこっちのセリフ〜〜……ゴイスーな集中力…」
「い、言われてみればお腹空いたし頭痛いし節々が痛いかも…」
「あぁ〜じゃあまず休も?ね?一旦寝るところから始めよっか!」
まず最優先は睡眠。ゲンは雀を木陰に連れてこの場で寝るよう指示した。上着を脱いで肩にかける。
「俺はちょっと席外すけどまた戻ってくるからね」
「は、はい、わかりました」
「ジーマーで死んじゃうから寝て、ほんとにね」
「はい………」
(秒で寝た)
眠っている間に食事を買い、警察にも連絡をする。しばらくは任せてほしいと言い残し急いで雀の元へトンボ返り。雀は相変わらずぐっすり眠っているが、その寝顔は石化状態に見た顔つきと全く同じだ。ゲンは少し離れた場所で座り込み、雀が起きるまでのんびり待つ。
「ふわぁ〜〜…」
長い時間、花の仕込みをしながら待っていたが大きな欠伸が聞こえる。寝転がりながら大きく伸びをする雀。ゲンが覗き込んだ途端に雀はむにゃむにゃ言いながら再び目を閉じた。
(二度寝した…)
数分後、雀はゆっくり起き上がった。
「おはよ〜」
「家だと錯覚してました…すみません、ゲンさんがいるってことはもしかして大きな騒ぎになってますか?」
「まぁね〜でも連絡はしておいたし大丈夫。それより、墓の続きしたいんでしょ」
この程度はメンタリストでなくてもわかるだろう。これは雀のケジメだ。
研磨された岩の表面を見て雀は頷いた。
「できれば私一人でやりたいんです。氷月くんは私にワタタの墓を作ってくれました。だから今回は私がやります」
「氷月ちゃんはこういうの微塵もありがたがらないし、むしろ迷惑って思うかもよ?」
「自己満足だからいいんです。それに何より名前が消えてしまうのは、寂しいから…」
正しくは、有り難がらないものの、雀が墓を作ったのなら「雀の努力に賞賛をする」が氷月の反応だ。ゲンはあえてそう言い放っただけ。それでも雀の心は折れることなどないと確信した。
氷月は雀に己の理想を語ることはないだろう。真摯に生きる姿を前に氷月は口を閉ざす一方だ。名古屋から東京まで遥々やってきて告げたのは罪の告白のみ。墓まで作ったとあれば氷月は雀の眩しさに背を向けるはずだ。
「氷月ちゃんは絶対言わないだろうから、代わりに伝えておきたいことがあるんだよね〜」
「私は氷月くんから信頼されてないだけかもしれないし、言わないほうがいいんじゃないかと思うんですけど…」
「信頼なんかもうとっくの昔に飛び越えてるよ」
いつもの軽い口調からかけ離れた声音。優しくも雀を宥める言葉に胸が熱くなる。
「雀ちゃんがジーマーで大事だからこそ、氷月ちゃんは言えないのよ。やっぱりストレス与えちゃうし、ほら、死んじゃったっていうトラウマが氷月ちゃんにあるからね」
「……そう、ですね」
「氷月ちゃんは復興が進む前の…科学を発展させていく段階の時、そりゃもう腕っぷしは強いは頭はキレるわ…ゴイスー大変だったんだから!」
仕事で疲れていても大会での優勝、名声は雀にも届いていた。毎日社会の歯車になって必死に働いてもいい事はほんのちょっと。むしろそのほんのちょっとの良いことで生きながらえている感覚さえあった。氷月に嫉妬すらもしていた。
「でも今は初めて…雀ちゃんを力以外で守ろうとしてる。どうしても不器用になっちゃうわけ」
「そうは言ってくれますけど、本当に旧世界では……あまり会話もしていないんです。私が死ぬ二週間前、氷月くんが、野菜を届けにきた時に連絡先を交換しようって言っただけ…」
「聞きたいんだけど、それより前に話したりは?些細なことでもいいから教えてくれる?」
雀は記憶を遡る。あの頃は夜に帰宅することが多く、クレームの尻拭いばかりで泣いて帰っていたことを思い出す。それから、朝に会社から帰ってきた時に一度だけ氷月から話しかけられた。目星がついているものはそれくらいだ。
ゲンに伝えると、可能な範囲で答えてほしい、とさらに質問をされる。今、ゲンは氷月を語るためにも足りない情報を雀から保管していた。
いくつか回答すると数秒考えた後に笑顔で言う。
「うん!わかった!」
「な、何がですか?」
「今まで氷月ちゃんの行動理念の根底がわからなかったんだよね」
「根底?」
ゲンは一息ついて雀に告げる。
「今から氷月ちゃんのこと、出来る限り正確に伝えるけどショックを感じることも言っちゃうかも。でも雀ちゃんはずっと氷月ちゃんを見てきたし今も目を逸らしてないから、どうしても伝えたいんだ。いいかな?」
ゲンの言うことならたとえ憶測が含まれていようとも限りなく事実に近いだろう。ましてや共に旅をした仲間なのだから解像度は格段に上がっている。雀は拳を作ってまっすぐ見つめた。
「それは、私が知ったら…氷月くんの苦しんでることもわかるようになりますか?」
「うん」
「氷月くんが、困ったことがあったら私たちに相談してくれるようになりますか?」
「……そうだね、きっとそうだと思う」
なら、お願いします、と頭を下げた。高く登っていた太陽が傾き始める。
暁氷月は白𡈽雀を死なせてしまったことをひどく後悔している。これは確定事項だ。さらに本人が薄々感じていた理想…「人間の間引き」を実現させる「無自覚な大義」にもなってしまった。
なぜ雀という真面目な人間が、社会にとって有益な存在が死ななければならなかったのか。そう、雀を死に追いやったのは紛れもなく「頭の煮えた人間」のせいである、と少しでも考えたに違いない。
石世界で目覚めて全人類が石化した状態を見た時、暁氷月は決心するのにそう時間は掛からなかったはずだ。「理想の世界」を作る。善、悪、偽善、業、なんであれ物事に真摯に取り組む人間だけが選ばれる世界。もしそんな世界であれば白𡈽雀は死なずに済んだ。暁氷月もふざけた人間を見なくて済む。
たったそれだけの願いが彼にはあった。今や遠い夢の話である。夢は「夢」となり叶わぬものになっても、得た旅路は有意義であったに違いない。氷月はそれで満足していた。例え今でも社会を憎んでいても、氷月が認めた仲間との旅がこの上なく至高であったから。
だが白𡈽雀は石化し、生き返った。
「人類の間引き」という大義の中に白𡈽雀がいることを自覚してしまう。「人間の間引き」は「白𡈽雀が死ななくてよかった世界」だ。氷月は自身の理想が崩れていくのを感じただろう。見ていた夢はただのスクリーンでスイッチをオフにすれば一瞬で消える。
これまでの行動に意味をなくしたも同然である。
少しでも雀に人生の一部を賭けていた。それなのに初動を間違えてしまった。選択肢は一つしかないと盲目的になっていた。氷月はそのことに苛まれている。
「一つ勘違いしてほしくないのは、氷月ちゃんは雀ちゃんのために暗躍したんじゃなくて自分のためだけにやったってこと。氷月ちゃん、我が強いでしょ?」
雀はゲンの言葉が重たく背中にのしかかる。過労死ならまだしも、自殺をしたのだから氷月の殺害行為に意味を持たせてしまったと確信している。
「わた、し……氷月くん責任を負わせるつもり…なくて…」
「うん、氷月ちゃんもそれは望んでない。彼らの死と雀ちゃんは無関係。それは俺が保証する」
「なら、どうして…氷月くんは私にそんなに気にかけてくれたんですか?どうして間引きなんてことを…私が死ななくてよかった世界なんて…」
ゲンが手のひらを見せる。くるりと翻すと瞬く間に花が一輪現れた。白色で優しい香りがする。
「わ!」
「雀ちゃんが、ちゃんとしてるから、でしょ?会話した回数なんて関係ない。氷月ちゃんは無意識にそんな世界を望んでしまった。たったそれだけの事実だと俺は思うよ」
花を差し出され、静かに受け取る。
「…ほむらちゃんの言っていた、疵がわかりました。氷月くんの過去を、私は否定できない」
それでも涙をこぼして後悔を口にした。
「私……なんで死んじゃったんだろう」
震える背中をゆっくり撫でる。雀が泣き止むまでゲンはそこから離れる事はなかった。
◆
雀は必死に名前を彫っていく。まるで体に刻み込むように。慣れない作業に手のひらが豆だらけになるが気にする事はなかった。そして時折自分の指を切ったり、トンカチで叩いてしまった時は、不器用だなぁと思って続きをする。
墓が完成したのはゲンと語らって一日後だ。地面に穴を掘り岩を差し込む。もうこれで彼らの名前は消えたりしない。
山で花を摘み、墓の前に供える。もう一度手を合わせてその場を離れた。
氷月の事情聴取…もとい拘束は解除された。行きは船できたが帰りは徒歩という。警察署の前で雀が立っていた。
「雀さん」
「帰ろ……って、もしかして船!?」
「いえ…徒歩です」
「よかった〜!帰りも一人だと心細くて死んじゃうところだった!」
いつもの笑顔。人を殺したと伝えたのに何故こんなにもいつも通りなのか。氷月には理解できない。
「いつ帰る?ついてっていい?」
「…雀さんが良いのであれば。午後には出発予定です」
「やったー!あ、でも私足腰弱いからペース落としてくれると助かる…」
「ええ……」
雀の手は怪我ばかりしている。他の外傷はない。何か仕事をしていたのかと推測するが心当たりはない。むしろ旧愛知県の集落で何かしていたのかもしれない。
氷月は小さく息をついた。雀を手放そうとしてもこうして目の前に戻ってきてしまうし、雀のことばかり観察してしまう。
「よる場所があります。時間まで街にいてください」
「置いてかない?」
「あなたみたいな貧弱な人、置いていったら行き倒れになるでしょう」
「でもここまで一人で来たんだよ!?」
またワンワンと鳴くように文句を言う。氷月はあしらって、「よる場所」へ向かった。雀は指示通り街へ行くことにしたようだ。遠ざかる氷月の背中に、一方的に待ち合わせ場所を叫んでいた。
田んぼ、畑の畦道を通り岩肌が剥き出しになった斜面を登る。孤独に歩き続けてたどり着いた場所は墓だった。
ただ氷月が驚いたのは、木の十字架でできた簡素なものではない。石に直接掘られた、立派な墓石だった。思わず近づき片膝をつく。指先で表面をなぞると滑らかで、優しい。
「は……」
乾いた笑いが出た。視線を下ろすと花が手向けられている。数は六本。雀の手が怪我をしていたのはきっとこういうことなのだろう。確信なんてものはない。だがこんなことをやる物好きは雀しかいなかった。
「…………」
すがるように、墓石に爪を立てる。氷月はしばらくそこから動けなかった。ぬくもりがまだここにある。
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