たそかれ

自身の罪を世界になすり付けていたのだ。だがそれでも、まともに生きられない浅い考えの者たちは改めるべきだと思っている。
息が苦しい。


氷月がどれほど手を振り解いても雀はずっと手を握りしめた。震えが止まるまで、と言って、ずっと。結局雀が先に寝てしまい、氷月は雀の手の温かさに甘えた。毛布を肩までかけて寝顔を見つめ続ける。
これほど苦しい夜はないだろう。どうか朝日と同時に消えてくれますように。意味のない願い事を頭の中に浮かべる。
寝ても覚めても背後から何かが迫り来るようでまともに眠れなかった。手のひらは雀と同じ体温になっている。するりと手を引いて、家を出て基礎鍛錬に費やした。無駄な感情・思想を槍で殺すように。

鍛錬から戻ると雀は相変わらず笑顔を浮かべて朝食を作ってくれていた。守るために家へ連れてきたのに何故守られているのか。知らぬふりをして平常心を装う。

「雀さん」
「なに?」

きょとんと見上げる。誰よりも理不尽を知っているはずだがそんなもの知らないというような瞳が今や毒になっていた。

「ありがとうございます、手を、握ってくださって」
「あ、ああ!でも寝落ちしちゃったしなぁ〜それに氷月くんの手ってすっごい大きいんだね!」

思うほど綺麗な人間ではないと知って欲しい。見つめていたって伝わるはずもない。何度己に失望すればいいのだろう。



心苦しさは時間が経っても解放されることはなかった。一方で雀は心のつかえが取れたのか笑顔を増すばかり。光が当たれば影が濃くなるように氷月もまた影を落としていった。

雀と氷月が暮らし始めて二週間が経った。
だが雀の両親は手をこまねいて二人を見ているだけではなかった。

「いや〜なんっていうか?拉致とかなんとか言われて?資材を運ぶ船に乗せてもらってここまできたんだけど〜……」
「署へご同行願います」

氷月の目の前に現れたのは上井陽とキリサメだ。陽はまともに仕事をするかといわれたらグレーだ。仕事の成果は捕縛対象による。今回、相手が氷月だからこそキリサメが同行したに違いない。

「私だけでいいですね?」
「はい、そうです」
「で、でもさ〜一旦事情をここで聞くのもアリなんじゃねーの?」
「彼はいわば執行猶予状態。そんな中、拉致の訴えがあるならば本署で取り調べを行う必要があります」

むしろ渡りに船だった。もともと拒否するつもりもない。

「置き手紙をします。少し時間をいただけますか」
「構いません」
「ウエェ〜イ……本当に来るの…?」
「不安にならずとも、私は抵抗する気はありません。陽クンの面倒にはなりませんよ」

雀には薄情と言われるかもしれない。その罪悪感を込めて手紙にしたためた。そしてほむらに向けて同じく手紙を残す。

「準備は終わりました。いきましょう」

事情聴取とはいえ勾留される。雀には心配をかけてしまうものの、ほむらがうまくやってくれるだろう。何せ有能な右腕なのだから心配はない。
氷月は最初から選択肢を間違えていたから、こんなにも苦しくなっていることに気づいている。雀を“攫った”責任を負う準備はできている。正々堂々と証言を雀に代わり受け止めるため、二人の警察官の後についていった。


まず道場の様子がおかしいことに気づいたのは子どもたちだった。道場は空いているのに氷月はいない。子どもたち数名はほむらを探しに町へ出た。訓練用の槍を持つ子どもがいるのでもちろん周囲の注目を引く。
ほむらは彼らに気づくが近くに氷月がいないことで強い危機感を覚えた。

「みんな、どうして」
「ほむらねーちゃん!」
「氷月せんせーがいないんだけどどこ?」
「探しにきたんだけど見つけられなくて」

ほむらは氷月の身に何かあったのだと気づき、子どもたちを引き連れて道場へ戻った。道場には荒らされた痕跡もない。つまり自主的にどこかへ行ったのだ。
子どもたちにはしばらく道場を休む旨伝え、裏手の家へ向かう。玄関には手紙が差し込まれていた。

慌てて広げて読むと、警察へ事情聴取に行ったと言う。雀を頼むと言われるが頭が真っ白になった。
何せ今、この段階で“殺人の罪”で逮捕されることはないからだ。法の整備にはまだ時間がかかる。警察組織もやっと形になってきたくらいだ。それ以外で事情聴取されることがあるとすれば“雀のこと”だろう。

手紙を握りしめて雀のいるダム現場へ向かった。


「はい、承知しました。では納期は一週間後で…」

資材の電話をしている最中、外が騒がしい。早めに結論を持っていき、電話を切った。
プレハブから出ると何やら揉めている様子。仲裁しなければと割って入るとその中にはほむらがいた

「ほむらちゃん!」
「雀さん!これ!」

手紙を渡される。工事区域にほむらが来たため慌てて停めに来たのだろうが手紙を渡し、神妙な雰囲気に誰もが口を閉ざした。手紙を開けるとそれは氷月からの手紙だ。


雀さんへ
突然ですがしばらく家を空けることになりました。ですが心配には及びません。そのうち帰ってきます。何かあればほむら君を頼ってください。彼女は優秀です。


「家出!?」

声を上げると周りの男たちもなんだなんだと手紙を覗く。

「こんな別嬪捕まえて家出ってこたぁねぇだろ!」
「暁先生だろ?道場はどうしてんだ」

今までほむらを区域より外へ出そうとしていた態度が一変する。

「なにも、言ってない…子供達が私を呼んで、初めて知った」

ほむらにすら何も言わないということはあり得ない。信頼関係においては雀よりも厚く硬いのだから。では何故?と疑問が深まる。

「そういや、今日見慣れない二人組がいたなぁ…オールバックのにーちゃんと、やたら際どい服の女」

「雀さん、伝えたいことがある」
「うん、わかった。ごめんなさい、時間休を使います」


二人は慌てて区外へ出て周囲に人がいないことを確認した上で話し合う。

「氷月くんどうしたの?」
「警察の事情聴取に向かった、と…私への手紙には書いてあった」
「えっ、な、どうして」
「詳しくは言えないけど、氷月様は……法の整備が整えば、裁かれる立場にある。でもそれは今じゃない」
「は!?え!?」

混乱する雀の肩を掴んだ。ほむらは真剣に、視線を向ける。

「聞いて!」

そしてこの件を収めることができるのは雀しかいないということを理解できている。

「その件以外で事情聴取されるとすれば、考えられるのはひとつ」
「……お母さん、お父さん!」

雀は初めて頭に血が登った。身内に対して怒りを覚えることができるのだとわかった。そして怒りを抑えることも難しい。

「なんで…!いつもあの人たちは…!」
「雀さんが証言すれば氷月様は解放される。けど、氷月様を連行した先は東京」
「わかった、東京に行く」

即決。迷うことはない。ほむらも同じだった。

「道中は危険。私が案内する」
「集落の外で待ってて!20分で支度してくる!」

走り、有休申請をぶちかまし、そのまま白𡈽家…本来の雀の家へ向かった。
乱暴にドアを開けて荷物をリュックに詰め込む。水も入れている最中、母親が顔を覗かせた。

「やっと帰ってきたのね!まったく、手間かけさせて…」
「黙って、もう話したくない」
「親に向かってなんなのその口の聞き方は!!」
「私の稼いだお金で過ごせてるやつを親なんて思ったことない!!どうして氷月くんを警察に売ったの!!」
「あんなの拉致よ!!あんたのためを思って通報したに決まってるじゃない!!」
「私のこと思ったことなんかないくせに!!」

母親を押し退けると、少し見ない間に太ってきた父親が玄関に立ち塞がる。

「お前にはもっといい男がいる!もう仕事しなくてもいいんだ!楽に過ごせるぞ!」

そう言って何度も騙された。あれもこれも、と芋づるで悪意に満ちた出来事が思い出される。

「わかったら家にいなさ…」
「うっさい邪魔!!」

股間を蹴り上げた。聞いたことのない悲鳴をあげて地面へ倒れ込む。それを見届けて家へ出た。

「ふざけないでちょうだい!雀!雀ーー!」
「二度と顔見せんな!」

中指立てて走っていく。そしてほむらと待ち合わせの場所へ。肩で息をしながら走り続けるとほむらの姿が見えた。

「ほむらちゃん!」
「雀さん、大丈夫?」
「平気!早く行こう!親が追いかけてくるかも!」

続けて走る。体力のない雀だが、今は少しでも距離を稼いでおかなくてはならない。

「ごめんっ、ほむらちゃん、わたし、がっ…!ひょーがくんに、迷惑かけたからっ」
「……そんなことない。氷月様のすることに私は従うだけ」
「えほっ、はぁ、…っでも、私を庇ったりしなければ…」
「あなたは氷月様の特別」

走る足音。枯れ木を踏む。まだ日は落ち切っていない。雀自身の息切れの中でほむらは静かに伝えた。

「あなたが特別だから氷月様は疵を負ったことを覚えていて」
「…き、ず?」
「そして、私にとっても、雀さんは特別だと思う」
「…わた、しもっ、ほむらちゃんは特別だよ!」

穏やかに笑う。いつも無表情だったがこんなに綺麗に笑うのだと知って胸が苦しくなる。

「ここから東京まで、木に巻かれた黄色いテープを目指して進めばたどり着く」
「え!?」

不意に足を止める。ここから先は獣道となっていた。影が深まり、こんな中を進める勇気はない。

「どうして、一緒に氷月くんむかえに行こうよ!」
「ううん、雀さんがいくべき。それに、私は追手の相手をする」

遠くからライトが見えた。警備隊に通報したに違いない。

「大丈夫、警備隊なら悪いようにはされないし、うまく逃げられる」
「う、う……お願い、絶対、ちゃんと逃げてね、何かあったら私のせいにして!いい!?」

雀はほむらを抱きしめる。ほむらもまた雀の抱擁を受け止めて目を閉じた。

「絶対連れて帰るから!安心して!」
「うん」

さらに走り続けた。雀は氷月の過去を見つめるべきであるし、目を逸らすべきでもない。氷月が人生と命をかけて少しでも雀のために戦ったのだからそれに報いらなければ嘘だ。

ほむらは影に覆われる背中を見届けて、警備隊へ走り出した。





黄色いテープを目印に進み続ける。陽が沈むその瞬間まで走った。夜はじっと息を潜めて動物に遭遇しないよう注意を払う。そして持ってきた水も節約しなければならない。山蛭を投げ捨てながらかろうじて踏み固められた獣道を行く。
氷月もほむらもこの道を歩いたのだろう。あの二人の体の強さと雀の貧弱さが浮き彫りになる。二日目、三日目と突き進むが疲弊の色が濃くなっていった。何よりほぼ食べ物がない。途中で見つけたアケビ、木苺を見つけては歩きながら食べている。
もし、あと三日もこの状態が続くならいよいよ生命の危機を感じるだろう。キツくとも雀は休憩よりも歩くことを最優先にした。

黄色い目印が青い目印に変わる。周囲を見渡すも黄色い目印はない。半信半疑のまま先へ進む。距離感などは全くわからないが今度は紫色の目印になっている。色が変化していたのは警戒などの意味ではないようだ。ほっとしつつしばらく歩き続けたところで、木々の隙間から建築用クレーンが見えた。クレーンを追いかけるように走った。途中で転んでしまっても止まれなかった。
雀はようやく東京に到着したのだ。

人が行き交う通りを見て安心してしまうが、まずは足を休ませたい。以前ほむらが労働者用の宿泊施設があると言っていた。疲労で膝をガクガクさせながら掲示板の地図を頼りに、宿泊施設へ辿り着いた。

「あ…あの…今日、泊まれますか…」

ボロボロな風貌にスタッフは驚いていたが頷く。運良く空いていたのかはわからないが、とにかく部屋を取ることができた。渡された鍵で指定の部屋を開ける。中は灯りも最低限でまるで独房のようだ。それでも安心して眠れるだけマシ。部屋に荷物を置いて座り込むとそのまま寝てしまった。

こんなに疲れたせいか、旧世界の夢をみた。クレーム対応をしながらタスク処理をし、新人教育まで行う。業務を回すためにも書類チェックをしてデータを次々に送信しなければならない。クライアントとの会議にも出席して、スタッフ同士のいざこざに仲裁に入る。夜勤明けで帰って昼間に起きてまた業務を回さなければならない。それでなくとも昼間に起きてできるだけ家事をしなければならない。「あんたは寝て起きるだけでいいわね」と夜勤を終えて睡眠を取った後に実の親からそう言われたら寝ていられないだろう。
唯一の癒しは白くてふわふわのウサギ、ワタタだ。耳を手入れする仕草が可愛くて、言葉を話さない動物に救われていた。どれだけ苦しくても私にはワタタがいるから、と言い聞かせて毎日を乗り越えてきた。


目を覚ます。旧世界などとっくの昔に終わったはずなのに業務の手順だけは覚えている。胸がつかえて息がしづらい。とにかく風呂に入っていないことを思い出して浴場へまっすぐ向かった。かなり汚れていたのか髪を洗うと砂が落ち、足や腕には山蛭に噛まれた跡が残っていた。それから漠然と空腹を思い出す。しかし食堂は朝の7時から開くらしい。今は5時だ。部屋へ戻りさらに仮眠を取った。



次の夢は見覚えのある民家だった。家の床や襖がしっかりしているので旧世界のイメージが入っている。だが雀のいる場所は氷月の家だった。

「氷月くん」

縁側に座る氷月は雀を見ることなくまっすぐ前を見つめている。

「氷月くんは今までどんな旅をしたの?」

ゆっくりと雀を見る。

「ちゃんとしている、と認めた仲間と…世界一周しました」

思わず笑いそうになった。いくら氷月でもそれはないだろうと。コーンシティに居たことがあるのは聞いたが世界一周など、きっと雀が持つ幻想だ。脳内で自分を嘲笑う。

「…楽しかった?」
「過酷で、有意義でした」
「そっかあ」

何故こんな夢を見ているんだろう。くだらない幻想を氷月に押し付けてはいけないと頭ではわかっているが夢は許してくれない。

「もしそこに君がいれば、と妄想をしてしまいます」
「ははは、世界一周でしょ?私きっと耐えられなくて死んじゃうよ」

氷月も少しだけ笑っていた。また前を見据える。

「でも氷月くんと同じ時に目覚めたらよかったのに。そしたら親も邪魔をしないし、世界一周にも行けたと思う。氷月くんとなら頑張れるかも」
「そうですね…私が諦めずに雀さんを探していれば…私が世界に罪をなすりつけることなどなかったはずなのに」

雀は氷月の手を握った。感覚などない。握っていても氷月の皮膚は空虚なものだ。

「氷月くん、悪いことしたの?」
「はい」
「じゃあ…私が見ててあげるね。もう悪いことしないようにって」

泣き出しそうな顔をして笑っていた。氷月が握る力が強く込められた気がするがこれもまた幻想。夢の中の長話など霞のように消えていった。





おかしな夢をみた氷月は頭を抑えながら目を覚ます。司法に詳しい者からの質問、そして現状確認が続いている。当初モズが冷やかしに来ていたが氷月の様子の変化に口をつぐむ。今では軽口の代わりに適当な雑談をしてはキリサメに引きずられて帰っていくのが恒例になりつつあった。

「氷月さん、面会です」
「面会、ですか」

面会などするような相手は全て警察組織にいる。一体誰が何のために、と疑問を抱きながら部屋に入る。

「は?」

氷月は目を見開いた。顔に疲弊の色を乗せながら、紛れもなく氷月の目の前……檻越しにいる。

「な、何、してるんですか」
「それはこっちのセリフなんだけど」

雀は珍しく怒りを声に宿す。怒ったところを見たことがないせいか、氷月はギクリとする。とにかく席に座ると、雀は大きくため息をついた。

「私の両親のせいだよね」
「……」
「今、事件の当事者で私の証言をまとめてもらってるから」
「……」
「早めに、解放されると思うから安心して」
「……ありがとうございます」

すると今度は大きな瞳に涙を浮ばせる。またもや氷月はぎょっとして、見えるはずのない心臓がどったんばったん動き回っていた。

「しんどいから、ほんと…やめて、私のせいで、一人でどっかいっちゃうの…」
「すみません。ですが手紙……いえ、なんでもありません」

手紙を残しておいた。というセリフを言い切る前に雀がまた睨む。そもそも言葉というジャンルの中でも雀はかなり上位に食い込むほど、口喧嘩では負け知らずだ。少なくとも氷月の中では。どんなクレームも、不利な案件も正々堂々、真っ向から立ち向かい勝利を学んだ。そんな相手に氷月が口で勝てるなど思うわけがない。

「なんで、一人でいっちゃったの?ほむらちゃんびっくりしてたよ。なんで相談してくれなかったの?」

相談、と言われて一瞬言葉の意味が理解できなかった。氷月という人生の中で相談など考えたこともなかったしその経験は極端に少ない。特に石世界となった今、相談というより会議をすることのほうが多くなっていた。
改めて、雀はあまりにも優しすぎると思わされた。ほむらが同行していないことに何か理由があるのだろう。さらにたった一人、森を進んだ経験もない普通の女が300キロを超える距離を踏破した。氷月のためだけに。

無意識に拳をキツく握りしめる。雀の光は氷月にとって辛すぎる。

「残念ですが、私が東京まで連行されたのは雀さんを誘拐したという点だけではありません。前科があるからです」
「前科…?」

口にするのを躊躇った。雀はまた氷月の前から飛び立ってしまうだろう。雀を手放したくないという心をもっていたことに氷月自身驚いていた。しかし雀を手放して困るのは氷月だけ。雀は一人で生きていけるくらい、ちゃんとしているのだ。

「人を殺しました」
「……なにか、あったの?」
「なにも。確認のためだけに殺しました。なんならゲンくんに聞いてみるといいですよ」
「え……え、ど、どうして?」
「確認のため、と今言ったはずです」
「ちが、ちがうよ、なんで殺したのかって…状況を聞きたいの」
「山から吹き下ろす硫酸の毒ガスが本物か確かめるために突き落としました」
「……」
「ですので、法の整備が整い次第、裁かれるのを待っている状況です。その執行猶予もあり、ここで拘束されています」

雀は呆然としていた。疲労の色からさらにストレスで上塗りされている表情。

「ここまできていただいたのにすみません。無駄足にさせてしまいましたね」

何も言わない。氷月をじっと見ている。

「雀さん…疲れているように見えます。早めに休んだほうがいいでしょう」

そう言って席を立った。面会は終わった。氷月の胸に残った重厚な虚無。こんなものでは贖罪にはなり得ないだろう。いっそのこと雀から罵ってくれたほうが気が楽になる。
6/7ページ
スキ