たそかれ
雀は日々努力を重ねた。たとえありきたりなものであってもコツコツ続けること自体は得意だった。そうすればきっと、ちゃんとしていない自分を認められるかもしれない。ウサギのワタタを一人にさせた罪も薄まるかもしれない。そんな思いを持ち続けていた。
目を覚ました。見知らぬ間取りにほんの少し覚醒が早くなる。ここは氷月が住む家で、昨晩から匿われていた。やっぱり戻らないとなぁ、という気持ちがじわじわ強くなるが氷月が雀を内側へ入れたあの時の体温は忘れられない。
布団を畳み居間へ向かうも氷月はいなかった。雀は今日も仕事があるので、一先ず支度をしなければならない。
台所には日持ちするようなもの…干し柿、干し芋、米、おそらく譲られたであろう干し魚があった。基本的に配給されるものばかりで食い繋いでいるらしい。人の家の台所に勝手に触っていいものかわからないまま立って眺めていると後ろから声をかけられる。
「おはようございます」
「あ、おはよう…って汗だくじゃん!」
「朝の基礎練習をしていました。雀さんこそ何をしているんですか」
タオルで汗を拭う。それにしても、今まで雀が見てきた氷月はきちんと着込み、肌の露出が一切なかったが今は上半身裸である。遠慮なくしっかり鍛えられた体を見る。
「ばきばきだ」
「何ですか急に。今日仕事はあるんですか」
「あるけど…朝ごはん作ろうか?」
「作っていただけるのなら有り難くいただきますが、米しかありません」
ですよね、と半笑い。仕方なく米を炊いて塩むすびにした。もしかして毎日こんな食生活なのだろうか。たしかに体を動かしている分、食事量はかなり多い。とはいえバランスよく食べて欲しい気持ちがある。
出来立てのおにぎりを頬張りながら氷月を見つめる。頬袋が片方だけ膨らんでいてかわいい。年上とは言っているがこういったところは年下に見えてしまう。
「今日は職場まで送迎します」
「え?なんで?」
「雀さんのご両親が問い詰めに来るかもしれません。彼らは冷静に話ができないでしょうし」
それはそうなのだが、氷月も道場を構える身。雀一人にかまけていられないだろう。口を開こうとした途端に氷月が話し始める。
「私の家で寝泊まりした以上、指示に従ってもらいます」
「へ!?」
今、氷月が雀のセリフの先読みをした。まさに、そんなことしなくてもいいよと言おうとしたところだったのだ。
「今夜、またこの家に戻るのならさらに翌日、私の指示に従ってもらいます」
「……これからも、送り迎えするってこと?」
「そうですが、何か」
「……」
ふっと笑ってしまう。難しく厳しく言っているがつまりは心配なのだ。
「氷月くん、かわいいね」
「は?ふざけているんですか」
「ふざけてなんかないよ。だって、その指示は私に有利なことばっかりなんだもん」
口数の多くない氷月はそれ以降黙り込んだ。口では勝てないし迂闊なことを言ってしまうからと、対策のつもりなのだろう。
「でも今日は帰りがけに自転車借りて買い物に行くことにしたから」
「……何故ですか」
「氷月くん、もっと食べなきゃ!いっぱい作ってあげるね!」
「結構です」
「私がいる間は私の指示にも従ってね?」
「……」
「そうだ!ほむらちゃんにも食べさせてあげなきゃ!呼んできてね、絶対!」
雀はその後バタバタと準備をして、氷月を引き連れて仕事へ向かう。もちろん道中に雀の家があるのだが両親の姿を見ることはなかった。
娘が男に連れて行かれた。血のつながった親ならば取り返しにくるものと思ったが来ることはなかった。雀は「そういう人だから別に」とあっけらかんとしていたが氷月は静かな怒りを水面下で抑えている。そもそも最初の頃からそうだった。最初、というのは旧世界の時だ。あの時はなんとも思わなかったが、仕事で朝帰りをし、昼に仕事に出る娘に対して「家事をしない」「しっかりしていない」などとよく言えるものだ。
氷月は感情をコントロールできると自負していたが思うようにはいかない。青空学校から道場へ通う子どもはなぜか大人よりも雰囲気のセンサーが敏感だ。
「先生怒ってる?」
「いいえ、怒っていませんよ」
「え〜!?今日は文句言わずにちゃんとやったじゃーん!」
休憩の合間に背中に子供が飛びつく。背の高くて大きな氷月は子供達にとっては立派な遊具になりうる。
「せんせーいなくても自主練したよ!」
「それより東京にいったんでしょ?タイムマシンできてた!?」
「おれもトウキョー行きてぇー!」
わらわらと集まる様子はなんとも懐かしい。少しは苛立ちも抑えられた気がする。
「さぁ、休憩は終わりです。次の練習をしましょう」
「はぁーい」
「俺今日ここー!」
「アッ君のとなりー!」
無邪気な子供はいい。善悪もわからない生き物と思えば、ちゃんとしているか、という曖昧な物差しで測らずに済む。真剣に向き合えばその分返ってくることが多い。
子どもたちを見送り、次は雀を迎えに行く。ダムの工事現場に向かうとプレハブの中が騒がしい。まずは聞き耳を立てる。
「これでは安全性が担保できません。材料の変更が必要です」
「けどこれだと納期がかかりますし、工期も遅れが出ます。コスト面もバカになりませんし…」
「なら完成後の定期検査を5年後、半年に一回のペースでお願いします」
「半年に一回!?」
「安全性の担保がない状態ならこのくらいの条件は不可欠です」
「こっちだって限りある資源でやってるんですよ!建築も知らない人が何を言うんです!」
「私たちは限りある命を守るために仕事をしています!」
仕事の会議が長引いている。氷月は大人しく待つことにした。
「これからこのダムは第一線で活動することになります!そんなダムに別の素材をあてがうなんて!」
「こっちだって交渉してやっと獲得したんです!」
「それはわかっています!ですがダムに付加価値を与えて復活者たちの自信に繋げなければこの街は発展しません!私にできることならなんでもします!お願いですから従来の素材に戻してください!」
長い長いため息が聞こえる。そして、なんとかかけ合います、とか細い声で返事をした。
「あ、ありがとうございます!!」
その後二十分ほど会議を重ねて、ようやくプレハブから出てきた。
「!?」
最初に出てきた男は驚いていたが雀と目が合うと笑顔で駆け寄る。
「氷月くん、待っててくれたの?」
「たまたま、早く着いただけです」
くるりと振り返り、会議をしていた男に向かって一礼する。
「お疲れ様でした、お先に失礼します」
「は、はい…」
十分離れた後、氷月は問いかける。いつもああなのか、と。氷月ほど男女の力の差を知っている者はいない。それに加えて雀という存在はか弱く守るべき存在になっていた。故に、氷月は疑問だった。なぜ力で勝てない相手に果敢に喰らいつくのか。
「えっと…会議外まで聞こえてた?」
「ええ」
「うーん…ちょっと今日は白熱しちゃったかな。でも資材の予算はカテゴリ毎に分けられてるし予算決済は私にも回ってくるからお金が足りないわけじゃないと思うんだよね。だからああやって食らいついたのもあるよ」
「恐ろしくはないのですか」
「そりゃ大声上げられたら怖いよ!でももう石世界はインフラ整ってきたしそういう水準ではなくなったから…戦争もないんだから話し合いで解決しなきゃね」
それから話題を切り替えて、夕飯の相談になった。雀はほむらにアレルギーがないかどうかを聞き出してこいと指示する。その間に雀は物質倉庫で買い物をするという。
「一時間後にここに集合ね!ほむらちゃんも連れてきてね!」
「わかりました」
役割分担を決めると雀は足取り軽く行ってしまった。背中を静かに見送るながら、氷月は確信する。家族がいてもいなくても雀にはどうでもいいことであると。何一つ心配になることはないと言わんばかり。
ゲンの言っていた言葉が頭の中に浮かんだ。本当に過労死だったのか、と。もうしばらく観察は必要ではあるが、時間を共有すれば答えも幾つか見えてくるに違いない。
◆
復活者の数が増えてきて、ダムと港の建築に多くの人員が登用されていく。さらに交通網がこの旧愛知県にも手が加えられることになったようだ。
氷月の家でほむらと雀の三人で食卓を囲む。氷月もほむらも口数が多い方ではない。しかし雀はピーチクパーチクよく喋る。なので必然的に集落の最新情報を聞くことになる。
「あっ、ていうか私もしかして喋りすぎ?」
「まぁ…否定はしない」
「やっぱり?こんなに楽しいご飯初めてで、ウキウキしちゃって!ごめんね、お下品だね」
「構いませんよ。たまになら」
「えー!毎日するよ!」
むしろよく話題が尽きないものだと思うが、少し前までは氷月と雀は夕方一緒に喋り込んでいた。今更だったかと思いつつ和物を口にする。
「私仕事落ち着いたら農家しようかなぁ〜こんなに美味しいほうれん草、久々だよ〜」
ほうれん草の和物、里芋と豆腐の煮付け、芋と一緒に炊かれた白米。品数だけでいえばパッとしないだろうが量だけはかなりある。
「向いているかもしれませんね」
「でしょ?何育てようかなぁ!いっぱい育てたいな!レンコンもいいなぁ!」
レンコンの育て方を知っているのだろうか。いや、知らなくても喜んで泥の中に入っていきそうではある。
「ほむらちゃんは何食べたい?」
「…トマト」
「トマト!いいよね、美味しいよね!花つけると可愛いし真っ赤で丸いのがいいよね〜!チーズで挟んでオリーブオイルかけたら絶対最高だよ〜」
「…本当に、よく喋る人」
「ご、ごめんね、ちょっと黙っておくね…」
「嫌じゃないから…もっと話して」
雀は文字通り喋り続けた。片付けの時も、ほむらが帰る時に、残りの煮付けを渡す時も。泊まっていったら?と家主を差し置いて言うので軽く頭に拳を当てた。
「夜通しあなたの話を聞かせるつもりですか」
「まさか!私は別室で…二人のおしゃべりをききたいなぁ〜」
「私はあなたを物理的に寝かせる術を幾つも知っているんですよ」
「こわ……それ意識落とすってことじゃん…」
そんなくだらない掛け合いをしている中、ほむらはじっと雀を見つめていた。
「ご飯、美味しかった…また、食べに行きたい」
「私もほむらちゃんとご飯食べたい!ていうかランチしよ!氷月くん抜きで!」
勝手に行けばいいものを。いまだに勘違いしてる雀は氷月を見て勝ち誇った顔をするのだ。
「ほら氷月くん、しっかり送ってあげてね!送り狼になっていいよ!」
頬をぎゅっと摘んでうるさい口を強制的に黙らせた。ほむらを連れて一歩外に出ると先ほどまで聞こえなかったはずの蝉の音が響く。ほむらもそのことに気づき夜空を少し見つめていた。
「雀さんはよく喋る人です。うるさい時はうるさいと言って構いませんよ。それで落ち込むような性格ではありませんので」
「…いえ……嬉しいです。一つ話せば十返ってくるような人、初めてですから」
「まぁ…新鮮ではありますね」
「友人など、必要ないと思っています。新体操をしていた時から……けど、雀さんは優しすぎます……」
その優しさが仇になることを十分理解している。いや、そもそも仇とも思っていない。雀も、かつて殺意を向けた相手も、全てそういう人種なのだ。
「気が向いた時にだけ相手をしてあげてください」
孤独と孤高に慣れすぎた人間にとっては胸焼けするだろう。しかし雀が相手だとそう思えないのは、タブーが影響しているに違いない。本物の死を経験し、復活した者しか知らない孤独に、生者が口にする孤独など生ぬるい。
「ここまでで大丈夫です。雀さんの元へ行かれてください」
「ええ」
暗い夜道。目が暗闇に慣れ始める。東京と違ってここの空はまだ星々が見える。
「おかえり!明日の朝ごはんとお昼も仕込みができたよ」
電気の元で笑う雀にも似た輝きがあった。光を反射する額。皮膚を縫う糸が恨めしい。氷月は徐に応急処置の木箱を開ける。包帯を切るナイフを見つけた。
「雀さん、目を閉じて動かないでください」
「ええっ!?だ、だめだよ!ほむらちゃんにそういうの言わなきゃ!!」
「頭煮えてるんですか君は」
手のひらで目を隠す。そして縫った糸の繊維を刃先で崩して抜いた。
「何したの?」
「抜糸しました」
「え!?」
はい、と糸を見せる。雀は額を抑えてこう言った。
「忘れてた!」
「でしょうね」
「うわ〜でも写真に撮っておきたかったなぁ、私のぬいぐるみみたいに縫われたおでこ」
こうやって、今まで自分の不運や不幸を笑い話にして乗り越えてきたんだろう。これからもきっとそうするに違いない。
氷月は傷痕を親指で撫でる。
「あまり一人で抱え込まないでください」
甘い言葉だとかお世辞だとは全く思えない言葉に雀は直感で理解する。
「何か……責任感じてる?」
でこぼこした傷跡。指の腹で何回もなぞった。こんなことをしても傷痕は消えたりしない。時間が解決してくれるものだ。だが氷月が抱える罪悪感だけは一生消えないだろう。
「私が怪我したのはたまたまだよ」
「違います」
もっと前の話がしたいだけだ。氷月は何も言えず黙り込む。
「…私が死んだこと?」
頷いた。
「氷月くん、言ってくれたじゃん。誰のせいでもないって」
「いえ……私は」
何もできなかった、と言う前に雀が飛び込んできた。すぐ離れることなく、背中に腕を伸ばす。
「氷月くん」
雀の体が服越しに伝わる。硬直していた氷月の名前を呼ばれて心臓が激しく高鳴り始めた。
「ぎゅってして。少しだけでいいから」
声が耳だけではなく肌、そして体内へ。恐る恐る雀の背中を抱きしめる。細くて柔らかくて、とても温かい。服越しでもこんなに熱いものかと知らされる。
「ありがとう、あの時、見つけてくれて、ワタタの墓も作ってくれて」
何も話すことはできない。雀を抱きしめているだけで精一杯だ。
「それから、ごめんね。またねって言ったのに死んじゃって」
過労死なら、仕方のないことだ。雀の心音を感じる。氷月と同じく大きく鼓動を強める。するとゆっくり腕を離した。氷月も同じく雀の背中に回す力を緩める。
「私、自殺したんだ」
脳が殴られたような衝撃に目を見開く。手が震えて今にも雀が消えそうに思えた。
「だから、氷月くんは何も気に病むことはないんだよ」
完璧な笑顔に嫌気がさした。石化から解除した時にウサギを「一人にさせた」と泣いていたのも、自殺したからだ。今の謝罪だってそうだ。雀のいろんな言葉が線で結ばれていく。
「氷月くんには守られてばっかりだから、言わなきゃって思ったんだ……」
「何故……」
「もうわかるでしょ?ちょ〜ブラック企業と、ちょ〜大変な両親。今は子どもを産めってすっごい言ってくる!原人かって話だよね〜!」
「笑い話に、しないでください」
たった一人の命がどれほど大切か身に染みると同時に自身の疵がジクジクと主張してくる。彼らも誰かにとっての、そういう存在であると仮定してしまえば耐えられなくなりそうだった。
「でも実際のところ、私ちゃんとしてないから」
「してます、ちゃんとしています!」
肩を掴んで言い聞かせた。声を荒げて何度も言った。冷や汗ばかりかいてみっともなくなるまで。
「ごめん、びっくりさせたよね…ちょっと、肩痛い…」
手を離す。すると氷月の手はまだ震えていた。自分で震えを止めるよう手を握る。
「氷月くん、今こうやって一緒にいてくれてすごく嬉しいんだよ。だから大丈夫」
岩のようにごつごつとした手を上から包む。撫でて震えが止まるように、まじないをかけているように見えた。
「氷月くんさえ良ければ、もう少しこうしてていい?」
結局震えは止まらなかった。それは雀が自殺していたという事実だけではなく、命を直視してしまったからだ。もう雀を失いたくないと思えば思うほど背中にのしかかる重みに耐えられない。
「ありゃ、止まんないね……ごめんね、急に変な話したから」
こうして手を繋いでいることだけが氷月の救いになっていた。いや、もともとこれだけを望んでいたのかもしれない。昔も今も。
「……私は」
振り絞った言葉はやっぱり脈絡がない。
「君がいない世界が、大嫌いでした」
雀は微笑む。ただそれだけだ。
目を覚ました。見知らぬ間取りにほんの少し覚醒が早くなる。ここは氷月が住む家で、昨晩から匿われていた。やっぱり戻らないとなぁ、という気持ちがじわじわ強くなるが氷月が雀を内側へ入れたあの時の体温は忘れられない。
布団を畳み居間へ向かうも氷月はいなかった。雀は今日も仕事があるので、一先ず支度をしなければならない。
台所には日持ちするようなもの…干し柿、干し芋、米、おそらく譲られたであろう干し魚があった。基本的に配給されるものばかりで食い繋いでいるらしい。人の家の台所に勝手に触っていいものかわからないまま立って眺めていると後ろから声をかけられる。
「おはようございます」
「あ、おはよう…って汗だくじゃん!」
「朝の基礎練習をしていました。雀さんこそ何をしているんですか」
タオルで汗を拭う。それにしても、今まで雀が見てきた氷月はきちんと着込み、肌の露出が一切なかったが今は上半身裸である。遠慮なくしっかり鍛えられた体を見る。
「ばきばきだ」
「何ですか急に。今日仕事はあるんですか」
「あるけど…朝ごはん作ろうか?」
「作っていただけるのなら有り難くいただきますが、米しかありません」
ですよね、と半笑い。仕方なく米を炊いて塩むすびにした。もしかして毎日こんな食生活なのだろうか。たしかに体を動かしている分、食事量はかなり多い。とはいえバランスよく食べて欲しい気持ちがある。
出来立てのおにぎりを頬張りながら氷月を見つめる。頬袋が片方だけ膨らんでいてかわいい。年上とは言っているがこういったところは年下に見えてしまう。
「今日は職場まで送迎します」
「え?なんで?」
「雀さんのご両親が問い詰めに来るかもしれません。彼らは冷静に話ができないでしょうし」
それはそうなのだが、氷月も道場を構える身。雀一人にかまけていられないだろう。口を開こうとした途端に氷月が話し始める。
「私の家で寝泊まりした以上、指示に従ってもらいます」
「へ!?」
今、氷月が雀のセリフの先読みをした。まさに、そんなことしなくてもいいよと言おうとしたところだったのだ。
「今夜、またこの家に戻るのならさらに翌日、私の指示に従ってもらいます」
「……これからも、送り迎えするってこと?」
「そうですが、何か」
「……」
ふっと笑ってしまう。難しく厳しく言っているがつまりは心配なのだ。
「氷月くん、かわいいね」
「は?ふざけているんですか」
「ふざけてなんかないよ。だって、その指示は私に有利なことばっかりなんだもん」
口数の多くない氷月はそれ以降黙り込んだ。口では勝てないし迂闊なことを言ってしまうからと、対策のつもりなのだろう。
「でも今日は帰りがけに自転車借りて買い物に行くことにしたから」
「……何故ですか」
「氷月くん、もっと食べなきゃ!いっぱい作ってあげるね!」
「結構です」
「私がいる間は私の指示にも従ってね?」
「……」
「そうだ!ほむらちゃんにも食べさせてあげなきゃ!呼んできてね、絶対!」
雀はその後バタバタと準備をして、氷月を引き連れて仕事へ向かう。もちろん道中に雀の家があるのだが両親の姿を見ることはなかった。
娘が男に連れて行かれた。血のつながった親ならば取り返しにくるものと思ったが来ることはなかった。雀は「そういう人だから別に」とあっけらかんとしていたが氷月は静かな怒りを水面下で抑えている。そもそも最初の頃からそうだった。最初、というのは旧世界の時だ。あの時はなんとも思わなかったが、仕事で朝帰りをし、昼に仕事に出る娘に対して「家事をしない」「しっかりしていない」などとよく言えるものだ。
氷月は感情をコントロールできると自負していたが思うようにはいかない。青空学校から道場へ通う子どもはなぜか大人よりも雰囲気のセンサーが敏感だ。
「先生怒ってる?」
「いいえ、怒っていませんよ」
「え〜!?今日は文句言わずにちゃんとやったじゃーん!」
休憩の合間に背中に子供が飛びつく。背の高くて大きな氷月は子供達にとっては立派な遊具になりうる。
「せんせーいなくても自主練したよ!」
「それより東京にいったんでしょ?タイムマシンできてた!?」
「おれもトウキョー行きてぇー!」
わらわらと集まる様子はなんとも懐かしい。少しは苛立ちも抑えられた気がする。
「さぁ、休憩は終わりです。次の練習をしましょう」
「はぁーい」
「俺今日ここー!」
「アッ君のとなりー!」
無邪気な子供はいい。善悪もわからない生き物と思えば、ちゃんとしているか、という曖昧な物差しで測らずに済む。真剣に向き合えばその分返ってくることが多い。
子どもたちを見送り、次は雀を迎えに行く。ダムの工事現場に向かうとプレハブの中が騒がしい。まずは聞き耳を立てる。
「これでは安全性が担保できません。材料の変更が必要です」
「けどこれだと納期がかかりますし、工期も遅れが出ます。コスト面もバカになりませんし…」
「なら完成後の定期検査を5年後、半年に一回のペースでお願いします」
「半年に一回!?」
「安全性の担保がない状態ならこのくらいの条件は不可欠です」
「こっちだって限りある資源でやってるんですよ!建築も知らない人が何を言うんです!」
「私たちは限りある命を守るために仕事をしています!」
仕事の会議が長引いている。氷月は大人しく待つことにした。
「これからこのダムは第一線で活動することになります!そんなダムに別の素材をあてがうなんて!」
「こっちだって交渉してやっと獲得したんです!」
「それはわかっています!ですがダムに付加価値を与えて復活者たちの自信に繋げなければこの街は発展しません!私にできることならなんでもします!お願いですから従来の素材に戻してください!」
長い長いため息が聞こえる。そして、なんとかかけ合います、とか細い声で返事をした。
「あ、ありがとうございます!!」
その後二十分ほど会議を重ねて、ようやくプレハブから出てきた。
「!?」
最初に出てきた男は驚いていたが雀と目が合うと笑顔で駆け寄る。
「氷月くん、待っててくれたの?」
「たまたま、早く着いただけです」
くるりと振り返り、会議をしていた男に向かって一礼する。
「お疲れ様でした、お先に失礼します」
「は、はい…」
十分離れた後、氷月は問いかける。いつもああなのか、と。氷月ほど男女の力の差を知っている者はいない。それに加えて雀という存在はか弱く守るべき存在になっていた。故に、氷月は疑問だった。なぜ力で勝てない相手に果敢に喰らいつくのか。
「えっと…会議外まで聞こえてた?」
「ええ」
「うーん…ちょっと今日は白熱しちゃったかな。でも資材の予算はカテゴリ毎に分けられてるし予算決済は私にも回ってくるからお金が足りないわけじゃないと思うんだよね。だからああやって食らいついたのもあるよ」
「恐ろしくはないのですか」
「そりゃ大声上げられたら怖いよ!でももう石世界はインフラ整ってきたしそういう水準ではなくなったから…戦争もないんだから話し合いで解決しなきゃね」
それから話題を切り替えて、夕飯の相談になった。雀はほむらにアレルギーがないかどうかを聞き出してこいと指示する。その間に雀は物質倉庫で買い物をするという。
「一時間後にここに集合ね!ほむらちゃんも連れてきてね!」
「わかりました」
役割分担を決めると雀は足取り軽く行ってしまった。背中を静かに見送るながら、氷月は確信する。家族がいてもいなくても雀にはどうでもいいことであると。何一つ心配になることはないと言わんばかり。
ゲンの言っていた言葉が頭の中に浮かんだ。本当に過労死だったのか、と。もうしばらく観察は必要ではあるが、時間を共有すれば答えも幾つか見えてくるに違いない。
◆
復活者の数が増えてきて、ダムと港の建築に多くの人員が登用されていく。さらに交通網がこの旧愛知県にも手が加えられることになったようだ。
氷月の家でほむらと雀の三人で食卓を囲む。氷月もほむらも口数が多い方ではない。しかし雀はピーチクパーチクよく喋る。なので必然的に集落の最新情報を聞くことになる。
「あっ、ていうか私もしかして喋りすぎ?」
「まぁ…否定はしない」
「やっぱり?こんなに楽しいご飯初めてで、ウキウキしちゃって!ごめんね、お下品だね」
「構いませんよ。たまになら」
「えー!毎日するよ!」
むしろよく話題が尽きないものだと思うが、少し前までは氷月と雀は夕方一緒に喋り込んでいた。今更だったかと思いつつ和物を口にする。
「私仕事落ち着いたら農家しようかなぁ〜こんなに美味しいほうれん草、久々だよ〜」
ほうれん草の和物、里芋と豆腐の煮付け、芋と一緒に炊かれた白米。品数だけでいえばパッとしないだろうが量だけはかなりある。
「向いているかもしれませんね」
「でしょ?何育てようかなぁ!いっぱい育てたいな!レンコンもいいなぁ!」
レンコンの育て方を知っているのだろうか。いや、知らなくても喜んで泥の中に入っていきそうではある。
「ほむらちゃんは何食べたい?」
「…トマト」
「トマト!いいよね、美味しいよね!花つけると可愛いし真っ赤で丸いのがいいよね〜!チーズで挟んでオリーブオイルかけたら絶対最高だよ〜」
「…本当に、よく喋る人」
「ご、ごめんね、ちょっと黙っておくね…」
「嫌じゃないから…もっと話して」
雀は文字通り喋り続けた。片付けの時も、ほむらが帰る時に、残りの煮付けを渡す時も。泊まっていったら?と家主を差し置いて言うので軽く頭に拳を当てた。
「夜通しあなたの話を聞かせるつもりですか」
「まさか!私は別室で…二人のおしゃべりをききたいなぁ〜」
「私はあなたを物理的に寝かせる術を幾つも知っているんですよ」
「こわ……それ意識落とすってことじゃん…」
そんなくだらない掛け合いをしている中、ほむらはじっと雀を見つめていた。
「ご飯、美味しかった…また、食べに行きたい」
「私もほむらちゃんとご飯食べたい!ていうかランチしよ!氷月くん抜きで!」
勝手に行けばいいものを。いまだに勘違いしてる雀は氷月を見て勝ち誇った顔をするのだ。
「ほら氷月くん、しっかり送ってあげてね!送り狼になっていいよ!」
頬をぎゅっと摘んでうるさい口を強制的に黙らせた。ほむらを連れて一歩外に出ると先ほどまで聞こえなかったはずの蝉の音が響く。ほむらもそのことに気づき夜空を少し見つめていた。
「雀さんはよく喋る人です。うるさい時はうるさいと言って構いませんよ。それで落ち込むような性格ではありませんので」
「…いえ……嬉しいです。一つ話せば十返ってくるような人、初めてですから」
「まぁ…新鮮ではありますね」
「友人など、必要ないと思っています。新体操をしていた時から……けど、雀さんは優しすぎます……」
その優しさが仇になることを十分理解している。いや、そもそも仇とも思っていない。雀も、かつて殺意を向けた相手も、全てそういう人種なのだ。
「気が向いた時にだけ相手をしてあげてください」
孤独と孤高に慣れすぎた人間にとっては胸焼けするだろう。しかし雀が相手だとそう思えないのは、タブーが影響しているに違いない。本物の死を経験し、復活した者しか知らない孤独に、生者が口にする孤独など生ぬるい。
「ここまでで大丈夫です。雀さんの元へ行かれてください」
「ええ」
暗い夜道。目が暗闇に慣れ始める。東京と違ってここの空はまだ星々が見える。
「おかえり!明日の朝ごはんとお昼も仕込みができたよ」
電気の元で笑う雀にも似た輝きがあった。光を反射する額。皮膚を縫う糸が恨めしい。氷月は徐に応急処置の木箱を開ける。包帯を切るナイフを見つけた。
「雀さん、目を閉じて動かないでください」
「ええっ!?だ、だめだよ!ほむらちゃんにそういうの言わなきゃ!!」
「頭煮えてるんですか君は」
手のひらで目を隠す。そして縫った糸の繊維を刃先で崩して抜いた。
「何したの?」
「抜糸しました」
「え!?」
はい、と糸を見せる。雀は額を抑えてこう言った。
「忘れてた!」
「でしょうね」
「うわ〜でも写真に撮っておきたかったなぁ、私のぬいぐるみみたいに縫われたおでこ」
こうやって、今まで自分の不運や不幸を笑い話にして乗り越えてきたんだろう。これからもきっとそうするに違いない。
氷月は傷痕を親指で撫でる。
「あまり一人で抱え込まないでください」
甘い言葉だとかお世辞だとは全く思えない言葉に雀は直感で理解する。
「何か……責任感じてる?」
でこぼこした傷跡。指の腹で何回もなぞった。こんなことをしても傷痕は消えたりしない。時間が解決してくれるものだ。だが氷月が抱える罪悪感だけは一生消えないだろう。
「私が怪我したのはたまたまだよ」
「違います」
もっと前の話がしたいだけだ。氷月は何も言えず黙り込む。
「…私が死んだこと?」
頷いた。
「氷月くん、言ってくれたじゃん。誰のせいでもないって」
「いえ……私は」
何もできなかった、と言う前に雀が飛び込んできた。すぐ離れることなく、背中に腕を伸ばす。
「氷月くん」
雀の体が服越しに伝わる。硬直していた氷月の名前を呼ばれて心臓が激しく高鳴り始めた。
「ぎゅってして。少しだけでいいから」
声が耳だけではなく肌、そして体内へ。恐る恐る雀の背中を抱きしめる。細くて柔らかくて、とても温かい。服越しでもこんなに熱いものかと知らされる。
「ありがとう、あの時、見つけてくれて、ワタタの墓も作ってくれて」
何も話すことはできない。雀を抱きしめているだけで精一杯だ。
「それから、ごめんね。またねって言ったのに死んじゃって」
過労死なら、仕方のないことだ。雀の心音を感じる。氷月と同じく大きく鼓動を強める。するとゆっくり腕を離した。氷月も同じく雀の背中に回す力を緩める。
「私、自殺したんだ」
脳が殴られたような衝撃に目を見開く。手が震えて今にも雀が消えそうに思えた。
「だから、氷月くんは何も気に病むことはないんだよ」
完璧な笑顔に嫌気がさした。石化から解除した時にウサギを「一人にさせた」と泣いていたのも、自殺したからだ。今の謝罪だってそうだ。雀のいろんな言葉が線で結ばれていく。
「氷月くんには守られてばっかりだから、言わなきゃって思ったんだ……」
「何故……」
「もうわかるでしょ?ちょ〜ブラック企業と、ちょ〜大変な両親。今は子どもを産めってすっごい言ってくる!原人かって話だよね〜!」
「笑い話に、しないでください」
たった一人の命がどれほど大切か身に染みると同時に自身の疵がジクジクと主張してくる。彼らも誰かにとっての、そういう存在であると仮定してしまえば耐えられなくなりそうだった。
「でも実際のところ、私ちゃんとしてないから」
「してます、ちゃんとしています!」
肩を掴んで言い聞かせた。声を荒げて何度も言った。冷や汗ばかりかいてみっともなくなるまで。
「ごめん、びっくりさせたよね…ちょっと、肩痛い…」
手を離す。すると氷月の手はまだ震えていた。自分で震えを止めるよう手を握る。
「氷月くん、今こうやって一緒にいてくれてすごく嬉しいんだよ。だから大丈夫」
岩のようにごつごつとした手を上から包む。撫でて震えが止まるように、まじないをかけているように見えた。
「氷月くんさえ良ければ、もう少しこうしてていい?」
結局震えは止まらなかった。それは雀が自殺していたという事実だけではなく、命を直視してしまったからだ。もう雀を失いたくないと思えば思うほど背中にのしかかる重みに耐えられない。
「ありゃ、止まんないね……ごめんね、急に変な話したから」
こうして手を繋いでいることだけが氷月の救いになっていた。いや、もともとこれだけを望んでいたのかもしれない。昔も今も。
「……私は」
振り絞った言葉はやっぱり脈絡がない。
「君がいない世界が、大嫌いでした」
雀は微笑む。ただそれだけだ。
