たそかれ
東京に拠点を科学王国…今や科学特化地域と言っても差し支えない場所で「警察」という治安維持組織を立ち上げていた。とはいえ実際はまともな刑法もなく、誰かが傷つけられたら動く、海外からの要人の護衛などが主な仕事内容だった。言うなればただの民間警備。もっと悪くいうとマフィアの前身。
早く刑法の制定をすべきなのだがうまく進んでいないのが実情だ。一応、龍水が刑法に詳しい専門家を当てているらしいのだが、その専門家は創始者が上井陽なのだから頭を抱えているに違いない。
そしてその上井陽から、槍術の講師になってくれないかという相談の手紙だった。おそらく金狼とキリサメ、松風あたりから強く言われたのだろう。
ダムの建設のため道場に足を運ぶ者も今は少ない。そしてここらの治安は随分と落ち着いているように見える。
せっかくなので様子を見にいくためにも東京へ行くことにした。
昼間、建設学者や設計士とともに話をして現場に指示を出す声が聞こえる。氷月にとって雀の声は簡単に聞き分けられるものだった。
「偉そうに指示するくらいなら、こっちの要望も通せよ!どれだけ力仕事してると思ってんだ!」
「そうよ!馬車馬みたいに働かせて!」
「いいよな喋ってるだけで仕事してることになるんだから!」
雀に投げられる声に苛立ちながら近づくと、氷月の威圧よりも雀の声が響いた。
「よかった!私も荷が重かったんです!折衝業務なんて旧世界で懲り懲りなんです。引き継ぎをするのでやっていただけますか?」
しかし誰も引き継ぎを受けようとせず黙り込む。外国人に物おじせずコミュニケーションを取った唯一の人物だからこそ今の役目があることを彼らは自覚もせず雀を言葉のサンドバッグにしているだけなのだ。
だがあまりの沈黙に氷月は思わず笑う。
「ふ、ふ」
「あ、氷月くん」
「すみません、雀さんの返しが面白くてつい」
氷月が姿を現すと一目散に退散する。ロクに意見を持たない、愚集。などと嫌悪をマスクの下に隠した。
「一応休憩時間はこまめにしてるしシフト調整もしてるんだけど……やっぱり私マネジメント下手なのかなぁ…」
「十分ですよ。彼らは相手を選んで発言しています」
「それでも…給料は十分に出てるし食糧の配給だってある…不満があるってことはやっぱり何か嫌なことがあるんだよ」
そんなこと、あるはずないだろう。弱々しい女であるからこそ…そして働く人々の中でも年齢が低いから言っているだけだ。氷月はなぜそんなことにも気づかないのか疑問でならない。
「それにしても珍しいね。どうしたの?港のほうは?」
「着工まで時間がかかるそうです。まずは海岸の調査が来月始まります」
「そっかぁ、名古屋港、早くできるともっといろんなものが来て生活が楽になるよね!」
「ええ、そうですね」
「は!ってことは、もしかしてこの村に娯楽が少なすぎるのかも」
「はい?」
思考のぶっ飛び具合に氷月はたまに追いつけない。理解できる日本語を話しているだけ、千空の話よりも理解できるはずなのに。雀の思考メカニズムはいまだに慣れない。
「働いて食べて寝て…とかシンプルにキツくない?私はブラック企業経験者だから大丈夫だけど」
そういえば、龍水がやたら娯楽、食にうるさかった。普通の人は娯楽というものがなければ辛いらしい。暇さえあれば採掘、模擬戦闘、鍛錬、力仕事…そんな10年だった氷月にはピンとこないが雀がそういうのならそうかもしれない。無理やり思考を納得させた。
「そう、かもしれません」
「だよね。でもどうやって娯楽なんて…」
「実は近いうちに東京へ行くことにしました」
「え!?」
「私の知り合いは科学者です。よかったら娯楽についていろいろと聞いてみましょうか」
「いいの!?でも、何か理由があって行くんじゃないの?」
そんなに重要なことではない。ただ、様子を見に行くだけだと説明する。今や中間管理者としての仕事がある雀のほうが氷月より重要なポストにいると評価している。
「それより、先ほどのようなことがあれば船の通信機器を使って私の名前を出してください。すぐ戻ります」
「それは流石に悪いよ!それに私はブラック企業での売り上げ、歴代の粗利率ナンバーワンを更新したことあるんだから、あんなので根をあげたりしないよ」
そして雀は続けてこう言った。
「私はちゃんとしなきゃいけないんだから」
思わず顔を片手で挟んだ。むぎゅ、と指先で押してみると一層あどけない顔をする。
「なにすんの」
「もう十分ちゃんとしてます。倒れてしまわないように、今度は逃げることを覚えてください」
そっと手を離すと雀は両手を頬にやった。顔は赤くなっている。それに意識を持っていかれる氷月は、青臭いと思いながらも雀から目を離せなかった。
「んへ、でも氷月くんに連絡したらすっ飛んできてくれるんでしょ?」
「はい」
「ふふ、へへへ。氷月くんはちゃんとしてるね」
これは贖罪だ。かつて見放してしまった罪を精算しようとする行いにすぎない。だから雀の純粋な眼差しが痛くて額にデコピンした。
バチン!と空気まで震える。
「いっっった〜〜!!?急に何すんの!?今すっごい音した!!額割れてない!?」
「安心してください。少し赤くなってるだけです」
「全然大丈夫じゃないじゃん!!どうすんの痕残ったら!!」
はいはい、と適当に受け流して怒る雀を置いていった。
いつも一人でいる氷月の背中を見て、雀はまだ頬を赤くさせる。あんなに優しいやつだったかなぁ、と思うが氷月の今までの言葉は全て親愛にしては大きすぎる。自惚れてはいけないと思いながらも仕事に戻った。
◆
徒歩で移動の最中、またもやほむらが付いてきている。今回のことは伝えていないはずだが何故来たのかと問いかけると
「雀さんが教えてくれました」
と言う。
あの天然女、と悪口を思い浮かべそうだったが咳払いで追いやる。来てしまったのなら仕方がない。それに足手まといになるわけでもないのでペースを落とさず進み続けた。
五日後。科学チームが拠点を置く…今や科学都市では光が夜を照らしている。空を見上げて、すっかり見えなくなった星々に感慨深くなる。石世界になってからというもの、地上の光で星の光が打ち消される光景は久々だった。
翌日に警察組織へ顔を出せば銀狼は泣きわめき、松風は歓迎し、陽は顔を引き攣らせ…とにかくチグハグな反応に懐かしささえ感じる。いつかの司王国のように荒くれ者が多くいたものの、槍術で相手をしてやると借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「さすが、氷月殿…!毎度のことながらその動きに感服いたします」
「少し見ない間に松風くんも強くなりましたね。で、モズくんは」
キリサメの案内で発展している街を歩くと女をナンパしているモズの姿があった。背中から突き、コテンパンにしてやると涙目で地面にうずくまる。それを道場まで引きずって再度鍛えてやった。
「じいさんみたいに隠居してるから来ないと思ったのにさぁ」
「求められれば私は赴きます」
真面目に鍛錬を積み重ねているメンバー以外、ほぼほぼ顔面の構造を保てていない。サボりまくってナンパを繰り返しているモズだけは例外だ。
「せっかく来たんだ、千空たちにも顔を見せてやってくれ」
汗を拭いながら金狼は提案する。しかし今回は元からその予定でもあった。
「ええ、少し伺いたいことがあるので明日にでも」
「伺いたいこと、ですか」
ほむらでも初耳のことで復唱する。氷月が科学について全く興味がないわけではない。しかし千空に用事があるのは意外な事実でもあった。
「たいしたことではありません」
適任者である龍水がいない以上、千空…いや、タイムマシン開発チームに尋ねるほかない。いわゆる消去法だ。
「とにかく明日は午後から来ます」
「もう懲り懲りだよぉ〜…」
警察駐屯地を後に、臨時の労働者用宿舎へ戻る。しかし途中でほむらが尋ねた。今まで静かに従うだけだったので少し驚く。
「どういった用事があるのですか?」
「…特段、大したものではありません」
瑣末なことである。氷月はそう決めつけていたし重要なことでもない。ただ約束は果たさなければならないから行うだけだ。
「氷月様は、雀さんと出会って雰囲気が変わったように思います」
足を止めた。するとほむらはすぐに謝罪を口にする。
「申し訳ありません。出過ぎた物言いをしました」
「いや…ほむらクンがそう思うのなら……実際そうなのかもしれませんね」
誰かと長い間話すことなど苦手だ。しかし雀が相手ならいくらでも聞き手になれたし途中自分から話を始めることもあった。つまらないと思ったことはない。無駄な時間だなんて思えなかった。
氷月の人生をかけていた女なのだから、当たり前の結果なのかもしれない。
東京にきて二日目。科学チームのラボ通行証を申し出ている時だった。
「どうだ、龍水財閥が協力した科学施設は!」
「はい!すっごく清潔でギラギラですごかったです!」
ペンを思わず落とした。何せフロアにいたのは龍水と雀だったのだから。ペンを拾い直してテーブルの上に戻す。それから大股で二人に近づいた。
「何故ここにいるんですか」
「氷月!久しいな!俺のボディーガードになれ!」
「嫌です。雀さん、何してるんですか」
龍水の背中に隠れていたがこっそり顔を出す。するとその額には大きなガーゼが貼られていた。
怪我をしている。視認するや否や龍水を押し除けて顔を両手で掴む。
「どうしたんですか、コレは」
「た、大したことじゃないよ!」
大きな手で掴む様子は、まるで檻。雀の小さい顔を覆い、逃がさないようにしていた。
「現地でのトラブルが原因だ」
冷静な声が聞こえる。同時に氷月は雀のために合わせ持っていた外付けの人情を切り落とす。
「何人ですか」
「それよりも、だ。俺は雀が欲しい!」
いつもの人差し指と中指を立てたポーズ。呆気に取られている間、手のひらに熱を感じた。龍水から雀へ視線を移すと顔を真っ赤にして照れている。
「……雀さん、龍水くんはいつでも誰にでもこう言います」
「そ、そうなの?」
「いいや!有能な人材は龍水財閥の…いや、地球の宝だ!美女という点を度外視しても雀の能力は、欲しい!」
また手のひらが熱く感じる。
「こ、困ります!だめです!私、チョロくて惚れっぽいから…!」
「フゥン?何を困ることがある?貴様は美女であり有能だ!そして照れる姿が更に魅力的だ!何が何でも欲しいと思ったから今回の視察に連れてきた!」
「ちょ、ちょっと…!顔冷ましてきます…!」
氷月の手の檻から逃げていった。施設の外に出て顔を冷ます様子が見える。そして氷月が龍水を睨んだ。
「彼女を弄ばないでください」
「弄ぶ?俺は本気だ!」
「ですから……いえ、もういいです。それより」
二人のコントで頭に登った血が少しは引いたものの、どうやって報復してやろうかと思考を巡らす。
「雀は非常に優秀にマネジメントをしていた。乗組員全員が雀の名前を言えるほどにな。しかし何も知らない…透明性のない仕事が仇になったのか労働者が不満を爆発させた。すでに俺が介入して沈黙させている」
「………」
「それでも雀は俺に直談判してきたのだ。怪我をしてもなお、小規模でもいいから娯楽施設が必要だと」
「何をそこまで……彼らは雀さんを憂さ晴らしに使っているにすぎません。暴行罪で捕縛すべきです」
「俺は美女の尽力を無駄にはせん」
雀が堪えて業務を遂行したからこそその名前は龍水にまで届いた。そして直談判の機会を得られた。そこで雀が暴行を受けたからと言って集団を逮捕すればせっかく取り付けた「娯楽施設の開業」の意味はなくなってしまうだろう。それどころか雀の直談判が、逮捕の直談判だと捉えかねない。
「雀は俺の秘書として欲しい!」
「あげませんよ。雀さんは、ストレス耐性が無いので」
「む?ストレスなど感じさせん!フレックスタイム導入!休日は140日!有給も1時間から取得可能だ!」
そういうことを言っているのではないがそれほど龍水は本気なのだ。
「過労死した人にこれ以上働け、なんて言いたくはありません」
龍水は雄弁な口を閉ざした。すると頬の赤みが引いた雀が帰ってくる。
「ひゃ〜、もう顔真っ赤で汗まで出ちゃいました!」
「フゥン……さては氷月、俺に雀を取られるのが怖いのだな?」
「は?」
目まで開いて見下ろす。それを見た雀は震え上がる。こわ…と小声で怯えていた。
「雀、すぐにとは言わんがいい返事を待っているぞ」
「え!?は、はい!!」
「返事なんてしなくてもいいですよ」
龍水は颯爽と行ってしまった。雀は礼を述べてその背中に頭を下げ続ける。
「雀さん」
「はっ!氷月くん!龍水さんがね、娯楽施設作ってくれるって!みんなこれで楽しめるよね!それに港の着工も少し早まったんだよ!」
それの代償が額の傷なら、なくてよかった。そんなもの要らない。けれど傷がなくなることはないし、雀の努力が還元されるわけでもない。
「ごめんね、せっかく聞いてくれるって言ってくれたのに」
指の背でガーゼを撫でた。
「……痛くは、ないですか」
「う、うん。平気だよ」
「せっかくですから、何か食べましょう」
「いいの!?じゃあ来る途中気になったお店があるんだ。一緒にいこ!」
氷月の腕を引いていつも通りに歩く。どうしてこうも世界は雀に優しくないのかと思わずにはいられない。それでもなぜ笑顔を浮かべていられるのかわからない。
氷月は雀のことを、何もわからないままだ。
◆
何故龍水と知り合いなのかという質問攻めにあったのでそれとなく東京に来た理由を話すことにした。すると指導している様子を見たいと言い出した。遊びではないと断ったところ、じゃあ街を観光すると代替案を出す。先ほどまでは龍水と一緒にいたからいいものの、人の出入りが激しいこの街で一人でいるのは得策ではない。仕方なく、じっとしているのならと見学を許可した。
「かわいいねェ〜!どこからきたの!?警察希望者カナ!?」
到着した途端これだ。
銀狼が雀にコナをかけている。褒めに耐性のない雀は顔を赤くしてまた照れていた。
「か、かわいくなんかないよ」
「何言ってるの〜!すんごく可愛いよ〜!!せっかくだから中を案内しよっか!?」
「必要ありません。彼女は私のツレです」
見下ろすと銀狼は一瞬にして小さくなった。そして道場へと引きずる。道場は相変わらず荒れた者たちの集まりだ。銀狼はまだかわいいもので暇さえあれば氷月の背後を狙おうとする者までいる。
しかし今日は無力な女ひとりいるだけで雰囲気が何故か引き締まる。氷月には到底理解できないことだが、純粋な市民である女子が一人いるだけでほとんどの男は如何にモテるかを考え始めていた。故に、顔立ちはできるだけ凛々しく、そして勤めて真面目に取り組む。
基礎鍛錬、集団鍛錬、そして模擬試合。雀は氷月の言いつけ通りじっと静かにしていたが模擬試合は見応えがあるせいか、勝敗が決まった後は笑顔で拍手していた。男たちのやる気が鰻登りである。
3時間交代の見回りで帰ってきたモズ、キリサメ。順次合流するもののモズは見かけない女が一人いることでピュウ、と口笛を吹いた。
「まぁまぁ良さげな子がいるじゃん。あれ志願者?」
「も、モズさん、あれは…」
「しかしちょっと貧相で幸薄そうなのが……」
氷月はモズに圧倒的なプレッシャーを与える。氷月の連れだと分かると笑みを浮かべた。
「へぇ〜!じゃあ本気の試合やろうぜ、俺が勝てば口説いてやる」
「寝言は寝て言ってください、モズくん」
警察組織でも実力者であるモズとの一騎打ち。宝島の一件を知っている者からすればあの激しい戦いを思い起こす。
だが何も知らない雀は氷月が試合に出ると知り声を出した。
「氷月くんがんばれ!」
不敵な笑みをしたモズは氷月を挑発する。
「へぇ?引退生活であの子引っ掛けてたってワケ」
「相変わらず、口数が多いですね。下手に構えてると死にますよ」
素早い槍の動き。試合という次元を超えた戦い。試合用の槍でなければ、それは殺し合いに等しい。
ワクワクしながら見ていた雀も次第に雰囲気の違いを悟り、顔色を変えた。試合などという体裁を忘れ去り、互いに容赦無く体に棒を当てまくる。
「両者そこまで!」
キリサメの声がなければどちらかが気絶するまで戦り合っていただろう。
「俺の勝ちだ!」
「最後、半歩前に出過ぎです。あのまましていたらモズくんの喉仏が潰れていましたよ」
それにしても最後の試合で二人はボロボロだ。ほむらは手際良く応急箱を用意していた。きっといつものことなのだろう。彼らが驚いていたのはあくまで高度な戦いであって、雀とは違う。
雀は内出血を抱えた皮膚の変色に、目を逸らしていた。
道場の片付けを始める。見学していたためか雀も手伝おうと声をかけるが氷月の目があるせいでやんわりと断られてしまった。
結局暇を持て余したので道場の外を掃除する。竹箒でざくざくと掃く音はなんだか懐かしい。学校の掃除を彷彿とさせた。
「見学者だから、掃除しなくていいのに」
「でも、お邪魔したからほんの気持ちだよ」
ほむらは雀をじっと見つめる。その視線の強さに雀は思い出した。
「そそそ、そういえば…!ほむらちゃんって氷月くんのどこが好きなの?」
「え…?」
「だって追っかけてきたんでしょ!熱量ないと無理だって!」
「わ、私は…その…」
「えいえいっ、言っちゃえよ〜!」
肘で小突く。調子に乗った後頭部をぐわしと掴む指圧に覚えがあった。雀が恐る恐る振り返ると氷月がいる。
「ひぃっ!?」
「ほむらクンを困らせないでください」
「ごめんごめん!ほうき、戻してくるね!」
逃げ足だけは早い。掃除道具を入れている網かごへ向かって走り出した。
「雀さんは突拍子もないことを言い出すので、基本放っておいてください」
「はい…」
「……個人的に友人関係になりたいのであれば、邪魔はしませんが」
今やほむらと雀の年齢は近しい。ぼんやりとした常識を元に、良識的な上司…仲間として言ってやるとほむらは少しだけ頬を赤らめた。
「雀さんは龍水くんとここまできたようです。今後のことを聞いておいてください。私は金狼くんと指導のことで話をしてきます」
「わかりました」
氷月は雀が戻ってくるのと同時に道場へ戻った。雀の頭にははてなマークがついている。
「何しにきてたの?」
「私が送り届ける。龍水のところに送れば良い?」
「あ、うん!宿舎を取ってもらったんだ。ほむらちゃんは?」
「私は労働者用の宿舎」
「どんなところ?」
「ただ寝泊まりする場所。6畳くらい」
「せま!お金かかるのはわかるけど、女の子なんだしもうちょっと安全なところに泊まろうよ〜」
「氷月様がいるところならどこでもいい」
雀は不意に口を閉ざす。警察組織の敷地を越えると雀は恐る恐る尋ねた。
「氷月くん…ほむらちゃんもそうかもしれないけど……どうして傷つけ合うことに慣れてるの?やっぱり石世界でいろんな旅をしたから?」
その質問はかなり的確で、ほむらが回答するには荷が重いものだ。特に、氷月のことに関しては。
「どうしても知りたいなら、氷月様本人に聞くべき。でもひとつだけ言っておきたい」
「なに?」
「過去を知っても、氷月様を否定することは許さない」
雀でさえも強い言葉に反応できなかった。それはほむらの強い決意の表れであるが故に。了承も拒否も同意も求めていない。ただ氷月という存在を追いかけてきたからこその発言だ。
龍水が宿泊しているホテルへと到着した。見てくれは労働者宿泊施設よりも少し豪華なくらい。旧世界のビジネスホテルのようなものだ。
「ありがとう、ほむらちゃんも気をつけて帰ってね」
「うん」
手を振ってその背中を見送る。ほむらの言葉を聞いて尚更、氷月とほむらの背中が遠く感じる。雀の知らない苦労と多忙を共に経験していることで、無意味な疎外感を味わった。
ホテルに入るといつでも身なりがしっかりしているフランソワが雀を出迎える。
「お帰りなさいませ、雀様」
「フランソワさん、ただいま戻りました。いつもご苦労様です」
「労りの言葉、ありがたく頂戴いたします。早速ですが夕食の準備が整っております。もうじき龍水様もお戻りになられます。共にお食事されますか?」
雀の表情は浮かない。フランソワは瞬時に見抜き、優しくも慎重に言葉を選ぶ。
「お疲れのご様子ですね。まずは湯船に浸かり癒されたのち、よろしければこのフランソワに悩みの種をお教えいただけますか?」
「フランソワさん…すみません…怪我をした時も今も…ずっと…お世話になりっぱなしで申し訳ないです」
「何をおっしゃいますか。あなたは優秀な対外交渉者。龍水様が私にあなたの身の回りの世話を言い渡したのは優秀な能力とこれまでの尽力に報いるためです。何も謙遜される必要はございません」
お世辞でもない事実を伝えられるたびに雀は涙腺が緩む。旧世界での苦労が、辛さが認めてもらえたようで胸が苦しくなるばかりだ。
「ごめんなさい、私、そうやって言ってもらえるとすぐ泣いちゃうんです…ちゃんとしなきゃいけないのに」
「それほど努力なさっていた証拠です。さあ、遠慮なくリラックスしてください。私はゲストにお喜びいただけることこそ、至上の喜びです」
涙目になる雀を毎回優しく包み込む。それでもフランソワに感謝を伝えて笑顔で眠りにつくことに双方喜びもあった。
だが今回のフランソワは少し違った。というのも龍水から、雀の出自についてはタブーであると言い渡されていたのだ。
氷月と同じ集落におり、あの氷月が気にかけていること。何より「過労死した人物をこれ以上働かせたくない」という言葉に龍水はゲンが情報共有してきた人物だと把握したのだ。
『すでに死亡した人物を復活させた。親族には死者蘇生については明かしていない。氷月が保護にあたっている』
メンタリストらしい難解な暗号だったが、解けると暗号化した理由が分かる程度に衝撃的だった。そして問題が浮上する。少し考えれば分かることだ。
『今後、死亡した人物を蘇生した場合、禁忌を知られる可能性が高くなる』
禁忌を知る者こそこの事実に汗をかく。今回はたまたま、氷月という信頼できる者がいたからよかったものの、労働力欲しさで復活させた場合最悪の事態が起こる。
何が何でも禁忌は隠し通さなければならない。故に近くに雀の禁忌を知らない者がいない場合は厳重に身辺を固めておくべきだと龍水は判断した。
「バレリアンを多めに、華やかな香りを添えたハーブティーでございます」
食事をし、入浴もした。それだけでも気持ちが落ち着いたのだがリラックス効果を高めるハーブティーを用意。旧世界でも味わったことのない芳醇で香しい匂いはすでに嗅覚が癒される。
「すっごく良い香り〜」
「ノンカフェインです。じっくりお飲みください」
「いただきまーす」
温かい飲み物で体の内側からほぐれる。味わい深くも日本茶のほろ苦さを感じて嬉しくなった。
「おいしい〜すっごくおいし〜」
「光栄でございます」
「すごいなぁ〜こんなに美味しいハーブティー淹れられるなんて、ちゃんとしてるなぁ」
騒動が起こってからというもの、フランソワは可能な限り雀の側にいた。その度に「ちゃんとしている」という言葉を耳にする。それは氷月の口癖だからこそはじめは驚いたものだ。口癖が移るほど、信頼関係があると証明している。
「ところでよく雀様は、ちゃんとしている、という言葉を口になさいますね」
「氷月くんの口癖うつっちゃったかも!ここ最近はずっと氷月くんと陽が沈むまでおしゃべりしてたんです」
「氷月様と仲がよろしいのですね」
だが、雀の心にはほむらの言葉が引っかかる。他人の目から見て仲はいいかもしれないが、氷月について何も知らないのだ。
「でも……今日、氷月くんが指導している様子を見学させてもらったんです。最後は多分一番強い人と試合だったと思うんですが…試合っていうか…殺し合いみたいで…みんな、槍捌きに驚いてて私だけ……氷月くんや相手の打撲やアザに目がいってしまったんです」
「それはさぞ驚きましたね」
「氷月くんは石世界でもかなり早く目覚めてたと思うんです。私の方が年上だったのに、もう7歳差だから……その間、何があったんだろうって思うと、何もわかってないんだなと実感しました」
フランソワは穏やかに雀の言葉を聞いていた。最後まで聴き終わると問いかける。
「氷月様の歩まれた十年間をお知りになりたいのですか?」
「…どうなんでしょう。知っても経験は埋まらないし、無理に人の過去や経歴を暴いても仕方ないことだと思うんです。ただ、とある人が言ったんです。氷月くんの過去を否定するのは許さない、と」
ほむら様ですね、という言葉を飲み込む。代わりに雀が使うソーサラーを見せた。
「カップの内側に模様がある理由はご存知ですか?」
「え?」
思わず手元のカップに目を落とす。美しい緑のツタ模様は菱形に彩られている。
「飲んでいる人を楽しませる、だけじゃないんですか?」
「ええ、実は分量をはかるためのものなのです」
「そうなの!?」
「むろん全てがそうではありません。しかし雀様が使用されているカップの絵柄はその役目を持っています」
へぇ〜!と目を輝かせながらカップを覗く。期待以上の反応に頬を綻ばせながらフランソワは続ける。
「それらを知っていれば確かに興味深く感じられるでしょう。しかしながら絵柄の美しさそのものは変化しません」
「それはそう」
「雀様は氷月様のご友人。その事実だけは何があっても変わりません。もし氷月様から過去を明かされたときはどうか、ご自身の気持ちに従い受け止めて差し上げてください」
静かに頷いた。そして氷月は多くの人に見守られていることを実感した。ならば周囲に倣い、雀も可能な限り氷月を見守ろうと思ったのだ。
早く刑法の制定をすべきなのだがうまく進んでいないのが実情だ。一応、龍水が刑法に詳しい専門家を当てているらしいのだが、その専門家は創始者が上井陽なのだから頭を抱えているに違いない。
そしてその上井陽から、槍術の講師になってくれないかという相談の手紙だった。おそらく金狼とキリサメ、松風あたりから強く言われたのだろう。
ダムの建設のため道場に足を運ぶ者も今は少ない。そしてここらの治安は随分と落ち着いているように見える。
せっかくなので様子を見にいくためにも東京へ行くことにした。
昼間、建設学者や設計士とともに話をして現場に指示を出す声が聞こえる。氷月にとって雀の声は簡単に聞き分けられるものだった。
「偉そうに指示するくらいなら、こっちの要望も通せよ!どれだけ力仕事してると思ってんだ!」
「そうよ!馬車馬みたいに働かせて!」
「いいよな喋ってるだけで仕事してることになるんだから!」
雀に投げられる声に苛立ちながら近づくと、氷月の威圧よりも雀の声が響いた。
「よかった!私も荷が重かったんです!折衝業務なんて旧世界で懲り懲りなんです。引き継ぎをするのでやっていただけますか?」
しかし誰も引き継ぎを受けようとせず黙り込む。外国人に物おじせずコミュニケーションを取った唯一の人物だからこそ今の役目があることを彼らは自覚もせず雀を言葉のサンドバッグにしているだけなのだ。
だがあまりの沈黙に氷月は思わず笑う。
「ふ、ふ」
「あ、氷月くん」
「すみません、雀さんの返しが面白くてつい」
氷月が姿を現すと一目散に退散する。ロクに意見を持たない、愚集。などと嫌悪をマスクの下に隠した。
「一応休憩時間はこまめにしてるしシフト調整もしてるんだけど……やっぱり私マネジメント下手なのかなぁ…」
「十分ですよ。彼らは相手を選んで発言しています」
「それでも…給料は十分に出てるし食糧の配給だってある…不満があるってことはやっぱり何か嫌なことがあるんだよ」
そんなこと、あるはずないだろう。弱々しい女であるからこそ…そして働く人々の中でも年齢が低いから言っているだけだ。氷月はなぜそんなことにも気づかないのか疑問でならない。
「それにしても珍しいね。どうしたの?港のほうは?」
「着工まで時間がかかるそうです。まずは海岸の調査が来月始まります」
「そっかぁ、名古屋港、早くできるともっといろんなものが来て生活が楽になるよね!」
「ええ、そうですね」
「は!ってことは、もしかしてこの村に娯楽が少なすぎるのかも」
「はい?」
思考のぶっ飛び具合に氷月はたまに追いつけない。理解できる日本語を話しているだけ、千空の話よりも理解できるはずなのに。雀の思考メカニズムはいまだに慣れない。
「働いて食べて寝て…とかシンプルにキツくない?私はブラック企業経験者だから大丈夫だけど」
そういえば、龍水がやたら娯楽、食にうるさかった。普通の人は娯楽というものがなければ辛いらしい。暇さえあれば採掘、模擬戦闘、鍛錬、力仕事…そんな10年だった氷月にはピンとこないが雀がそういうのならそうかもしれない。無理やり思考を納得させた。
「そう、かもしれません」
「だよね。でもどうやって娯楽なんて…」
「実は近いうちに東京へ行くことにしました」
「え!?」
「私の知り合いは科学者です。よかったら娯楽についていろいろと聞いてみましょうか」
「いいの!?でも、何か理由があって行くんじゃないの?」
そんなに重要なことではない。ただ、様子を見に行くだけだと説明する。今や中間管理者としての仕事がある雀のほうが氷月より重要なポストにいると評価している。
「それより、先ほどのようなことがあれば船の通信機器を使って私の名前を出してください。すぐ戻ります」
「それは流石に悪いよ!それに私はブラック企業での売り上げ、歴代の粗利率ナンバーワンを更新したことあるんだから、あんなので根をあげたりしないよ」
そして雀は続けてこう言った。
「私はちゃんとしなきゃいけないんだから」
思わず顔を片手で挟んだ。むぎゅ、と指先で押してみると一層あどけない顔をする。
「なにすんの」
「もう十分ちゃんとしてます。倒れてしまわないように、今度は逃げることを覚えてください」
そっと手を離すと雀は両手を頬にやった。顔は赤くなっている。それに意識を持っていかれる氷月は、青臭いと思いながらも雀から目を離せなかった。
「んへ、でも氷月くんに連絡したらすっ飛んできてくれるんでしょ?」
「はい」
「ふふ、へへへ。氷月くんはちゃんとしてるね」
これは贖罪だ。かつて見放してしまった罪を精算しようとする行いにすぎない。だから雀の純粋な眼差しが痛くて額にデコピンした。
バチン!と空気まで震える。
「いっっった〜〜!!?急に何すんの!?今すっごい音した!!額割れてない!?」
「安心してください。少し赤くなってるだけです」
「全然大丈夫じゃないじゃん!!どうすんの痕残ったら!!」
はいはい、と適当に受け流して怒る雀を置いていった。
いつも一人でいる氷月の背中を見て、雀はまだ頬を赤くさせる。あんなに優しいやつだったかなぁ、と思うが氷月の今までの言葉は全て親愛にしては大きすぎる。自惚れてはいけないと思いながらも仕事に戻った。
◆
徒歩で移動の最中、またもやほむらが付いてきている。今回のことは伝えていないはずだが何故来たのかと問いかけると
「雀さんが教えてくれました」
と言う。
あの天然女、と悪口を思い浮かべそうだったが咳払いで追いやる。来てしまったのなら仕方がない。それに足手まといになるわけでもないのでペースを落とさず進み続けた。
五日後。科学チームが拠点を置く…今や科学都市では光が夜を照らしている。空を見上げて、すっかり見えなくなった星々に感慨深くなる。石世界になってからというもの、地上の光で星の光が打ち消される光景は久々だった。
翌日に警察組織へ顔を出せば銀狼は泣きわめき、松風は歓迎し、陽は顔を引き攣らせ…とにかくチグハグな反応に懐かしささえ感じる。いつかの司王国のように荒くれ者が多くいたものの、槍術で相手をしてやると借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「さすが、氷月殿…!毎度のことながらその動きに感服いたします」
「少し見ない間に松風くんも強くなりましたね。で、モズくんは」
キリサメの案内で発展している街を歩くと女をナンパしているモズの姿があった。背中から突き、コテンパンにしてやると涙目で地面にうずくまる。それを道場まで引きずって再度鍛えてやった。
「じいさんみたいに隠居してるから来ないと思ったのにさぁ」
「求められれば私は赴きます」
真面目に鍛錬を積み重ねているメンバー以外、ほぼほぼ顔面の構造を保てていない。サボりまくってナンパを繰り返しているモズだけは例外だ。
「せっかく来たんだ、千空たちにも顔を見せてやってくれ」
汗を拭いながら金狼は提案する。しかし今回は元からその予定でもあった。
「ええ、少し伺いたいことがあるので明日にでも」
「伺いたいこと、ですか」
ほむらでも初耳のことで復唱する。氷月が科学について全く興味がないわけではない。しかし千空に用事があるのは意外な事実でもあった。
「たいしたことではありません」
適任者である龍水がいない以上、千空…いや、タイムマシン開発チームに尋ねるほかない。いわゆる消去法だ。
「とにかく明日は午後から来ます」
「もう懲り懲りだよぉ〜…」
警察駐屯地を後に、臨時の労働者用宿舎へ戻る。しかし途中でほむらが尋ねた。今まで静かに従うだけだったので少し驚く。
「どういった用事があるのですか?」
「…特段、大したものではありません」
瑣末なことである。氷月はそう決めつけていたし重要なことでもない。ただ約束は果たさなければならないから行うだけだ。
「氷月様は、雀さんと出会って雰囲気が変わったように思います」
足を止めた。するとほむらはすぐに謝罪を口にする。
「申し訳ありません。出過ぎた物言いをしました」
「いや…ほむらクンがそう思うのなら……実際そうなのかもしれませんね」
誰かと長い間話すことなど苦手だ。しかし雀が相手ならいくらでも聞き手になれたし途中自分から話を始めることもあった。つまらないと思ったことはない。無駄な時間だなんて思えなかった。
氷月の人生をかけていた女なのだから、当たり前の結果なのかもしれない。
東京にきて二日目。科学チームのラボ通行証を申し出ている時だった。
「どうだ、龍水財閥が協力した科学施設は!」
「はい!すっごく清潔でギラギラですごかったです!」
ペンを思わず落とした。何せフロアにいたのは龍水と雀だったのだから。ペンを拾い直してテーブルの上に戻す。それから大股で二人に近づいた。
「何故ここにいるんですか」
「氷月!久しいな!俺のボディーガードになれ!」
「嫌です。雀さん、何してるんですか」
龍水の背中に隠れていたがこっそり顔を出す。するとその額には大きなガーゼが貼られていた。
怪我をしている。視認するや否や龍水を押し除けて顔を両手で掴む。
「どうしたんですか、コレは」
「た、大したことじゃないよ!」
大きな手で掴む様子は、まるで檻。雀の小さい顔を覆い、逃がさないようにしていた。
「現地でのトラブルが原因だ」
冷静な声が聞こえる。同時に氷月は雀のために合わせ持っていた外付けの人情を切り落とす。
「何人ですか」
「それよりも、だ。俺は雀が欲しい!」
いつもの人差し指と中指を立てたポーズ。呆気に取られている間、手のひらに熱を感じた。龍水から雀へ視線を移すと顔を真っ赤にして照れている。
「……雀さん、龍水くんはいつでも誰にでもこう言います」
「そ、そうなの?」
「いいや!有能な人材は龍水財閥の…いや、地球の宝だ!美女という点を度外視しても雀の能力は、欲しい!」
また手のひらが熱く感じる。
「こ、困ります!だめです!私、チョロくて惚れっぽいから…!」
「フゥン?何を困ることがある?貴様は美女であり有能だ!そして照れる姿が更に魅力的だ!何が何でも欲しいと思ったから今回の視察に連れてきた!」
「ちょ、ちょっと…!顔冷ましてきます…!」
氷月の手の檻から逃げていった。施設の外に出て顔を冷ます様子が見える。そして氷月が龍水を睨んだ。
「彼女を弄ばないでください」
「弄ぶ?俺は本気だ!」
「ですから……いえ、もういいです。それより」
二人のコントで頭に登った血が少しは引いたものの、どうやって報復してやろうかと思考を巡らす。
「雀は非常に優秀にマネジメントをしていた。乗組員全員が雀の名前を言えるほどにな。しかし何も知らない…透明性のない仕事が仇になったのか労働者が不満を爆発させた。すでに俺が介入して沈黙させている」
「………」
「それでも雀は俺に直談判してきたのだ。怪我をしてもなお、小規模でもいいから娯楽施設が必要だと」
「何をそこまで……彼らは雀さんを憂さ晴らしに使っているにすぎません。暴行罪で捕縛すべきです」
「俺は美女の尽力を無駄にはせん」
雀が堪えて業務を遂行したからこそその名前は龍水にまで届いた。そして直談判の機会を得られた。そこで雀が暴行を受けたからと言って集団を逮捕すればせっかく取り付けた「娯楽施設の開業」の意味はなくなってしまうだろう。それどころか雀の直談判が、逮捕の直談判だと捉えかねない。
「雀は俺の秘書として欲しい!」
「あげませんよ。雀さんは、ストレス耐性が無いので」
「む?ストレスなど感じさせん!フレックスタイム導入!休日は140日!有給も1時間から取得可能だ!」
そういうことを言っているのではないがそれほど龍水は本気なのだ。
「過労死した人にこれ以上働け、なんて言いたくはありません」
龍水は雄弁な口を閉ざした。すると頬の赤みが引いた雀が帰ってくる。
「ひゃ〜、もう顔真っ赤で汗まで出ちゃいました!」
「フゥン……さては氷月、俺に雀を取られるのが怖いのだな?」
「は?」
目まで開いて見下ろす。それを見た雀は震え上がる。こわ…と小声で怯えていた。
「雀、すぐにとは言わんがいい返事を待っているぞ」
「え!?は、はい!!」
「返事なんてしなくてもいいですよ」
龍水は颯爽と行ってしまった。雀は礼を述べてその背中に頭を下げ続ける。
「雀さん」
「はっ!氷月くん!龍水さんがね、娯楽施設作ってくれるって!みんなこれで楽しめるよね!それに港の着工も少し早まったんだよ!」
それの代償が額の傷なら、なくてよかった。そんなもの要らない。けれど傷がなくなることはないし、雀の努力が還元されるわけでもない。
「ごめんね、せっかく聞いてくれるって言ってくれたのに」
指の背でガーゼを撫でた。
「……痛くは、ないですか」
「う、うん。平気だよ」
「せっかくですから、何か食べましょう」
「いいの!?じゃあ来る途中気になったお店があるんだ。一緒にいこ!」
氷月の腕を引いていつも通りに歩く。どうしてこうも世界は雀に優しくないのかと思わずにはいられない。それでもなぜ笑顔を浮かべていられるのかわからない。
氷月は雀のことを、何もわからないままだ。
◆
何故龍水と知り合いなのかという質問攻めにあったのでそれとなく東京に来た理由を話すことにした。すると指導している様子を見たいと言い出した。遊びではないと断ったところ、じゃあ街を観光すると代替案を出す。先ほどまでは龍水と一緒にいたからいいものの、人の出入りが激しいこの街で一人でいるのは得策ではない。仕方なく、じっとしているのならと見学を許可した。
「かわいいねェ〜!どこからきたの!?警察希望者カナ!?」
到着した途端これだ。
銀狼が雀にコナをかけている。褒めに耐性のない雀は顔を赤くしてまた照れていた。
「か、かわいくなんかないよ」
「何言ってるの〜!すんごく可愛いよ〜!!せっかくだから中を案内しよっか!?」
「必要ありません。彼女は私のツレです」
見下ろすと銀狼は一瞬にして小さくなった。そして道場へと引きずる。道場は相変わらず荒れた者たちの集まりだ。銀狼はまだかわいいもので暇さえあれば氷月の背後を狙おうとする者までいる。
しかし今日は無力な女ひとりいるだけで雰囲気が何故か引き締まる。氷月には到底理解できないことだが、純粋な市民である女子が一人いるだけでほとんどの男は如何にモテるかを考え始めていた。故に、顔立ちはできるだけ凛々しく、そして勤めて真面目に取り組む。
基礎鍛錬、集団鍛錬、そして模擬試合。雀は氷月の言いつけ通りじっと静かにしていたが模擬試合は見応えがあるせいか、勝敗が決まった後は笑顔で拍手していた。男たちのやる気が鰻登りである。
3時間交代の見回りで帰ってきたモズ、キリサメ。順次合流するもののモズは見かけない女が一人いることでピュウ、と口笛を吹いた。
「まぁまぁ良さげな子がいるじゃん。あれ志願者?」
「も、モズさん、あれは…」
「しかしちょっと貧相で幸薄そうなのが……」
氷月はモズに圧倒的なプレッシャーを与える。氷月の連れだと分かると笑みを浮かべた。
「へぇ〜!じゃあ本気の試合やろうぜ、俺が勝てば口説いてやる」
「寝言は寝て言ってください、モズくん」
警察組織でも実力者であるモズとの一騎打ち。宝島の一件を知っている者からすればあの激しい戦いを思い起こす。
だが何も知らない雀は氷月が試合に出ると知り声を出した。
「氷月くんがんばれ!」
不敵な笑みをしたモズは氷月を挑発する。
「へぇ?引退生活であの子引っ掛けてたってワケ」
「相変わらず、口数が多いですね。下手に構えてると死にますよ」
素早い槍の動き。試合という次元を超えた戦い。試合用の槍でなければ、それは殺し合いに等しい。
ワクワクしながら見ていた雀も次第に雰囲気の違いを悟り、顔色を変えた。試合などという体裁を忘れ去り、互いに容赦無く体に棒を当てまくる。
「両者そこまで!」
キリサメの声がなければどちらかが気絶するまで戦り合っていただろう。
「俺の勝ちだ!」
「最後、半歩前に出過ぎです。あのまましていたらモズくんの喉仏が潰れていましたよ」
それにしても最後の試合で二人はボロボロだ。ほむらは手際良く応急箱を用意していた。きっといつものことなのだろう。彼らが驚いていたのはあくまで高度な戦いであって、雀とは違う。
雀は内出血を抱えた皮膚の変色に、目を逸らしていた。
道場の片付けを始める。見学していたためか雀も手伝おうと声をかけるが氷月の目があるせいでやんわりと断られてしまった。
結局暇を持て余したので道場の外を掃除する。竹箒でざくざくと掃く音はなんだか懐かしい。学校の掃除を彷彿とさせた。
「見学者だから、掃除しなくていいのに」
「でも、お邪魔したからほんの気持ちだよ」
ほむらは雀をじっと見つめる。その視線の強さに雀は思い出した。
「そそそ、そういえば…!ほむらちゃんって氷月くんのどこが好きなの?」
「え…?」
「だって追っかけてきたんでしょ!熱量ないと無理だって!」
「わ、私は…その…」
「えいえいっ、言っちゃえよ〜!」
肘で小突く。調子に乗った後頭部をぐわしと掴む指圧に覚えがあった。雀が恐る恐る振り返ると氷月がいる。
「ひぃっ!?」
「ほむらクンを困らせないでください」
「ごめんごめん!ほうき、戻してくるね!」
逃げ足だけは早い。掃除道具を入れている網かごへ向かって走り出した。
「雀さんは突拍子もないことを言い出すので、基本放っておいてください」
「はい…」
「……個人的に友人関係になりたいのであれば、邪魔はしませんが」
今やほむらと雀の年齢は近しい。ぼんやりとした常識を元に、良識的な上司…仲間として言ってやるとほむらは少しだけ頬を赤らめた。
「雀さんは龍水くんとここまできたようです。今後のことを聞いておいてください。私は金狼くんと指導のことで話をしてきます」
「わかりました」
氷月は雀が戻ってくるのと同時に道場へ戻った。雀の頭にははてなマークがついている。
「何しにきてたの?」
「私が送り届ける。龍水のところに送れば良い?」
「あ、うん!宿舎を取ってもらったんだ。ほむらちゃんは?」
「私は労働者用の宿舎」
「どんなところ?」
「ただ寝泊まりする場所。6畳くらい」
「せま!お金かかるのはわかるけど、女の子なんだしもうちょっと安全なところに泊まろうよ〜」
「氷月様がいるところならどこでもいい」
雀は不意に口を閉ざす。警察組織の敷地を越えると雀は恐る恐る尋ねた。
「氷月くん…ほむらちゃんもそうかもしれないけど……どうして傷つけ合うことに慣れてるの?やっぱり石世界でいろんな旅をしたから?」
その質問はかなり的確で、ほむらが回答するには荷が重いものだ。特に、氷月のことに関しては。
「どうしても知りたいなら、氷月様本人に聞くべき。でもひとつだけ言っておきたい」
「なに?」
「過去を知っても、氷月様を否定することは許さない」
雀でさえも強い言葉に反応できなかった。それはほむらの強い決意の表れであるが故に。了承も拒否も同意も求めていない。ただ氷月という存在を追いかけてきたからこその発言だ。
龍水が宿泊しているホテルへと到着した。見てくれは労働者宿泊施設よりも少し豪華なくらい。旧世界のビジネスホテルのようなものだ。
「ありがとう、ほむらちゃんも気をつけて帰ってね」
「うん」
手を振ってその背中を見送る。ほむらの言葉を聞いて尚更、氷月とほむらの背中が遠く感じる。雀の知らない苦労と多忙を共に経験していることで、無意味な疎外感を味わった。
ホテルに入るといつでも身なりがしっかりしているフランソワが雀を出迎える。
「お帰りなさいませ、雀様」
「フランソワさん、ただいま戻りました。いつもご苦労様です」
「労りの言葉、ありがたく頂戴いたします。早速ですが夕食の準備が整っております。もうじき龍水様もお戻りになられます。共にお食事されますか?」
雀の表情は浮かない。フランソワは瞬時に見抜き、優しくも慎重に言葉を選ぶ。
「お疲れのご様子ですね。まずは湯船に浸かり癒されたのち、よろしければこのフランソワに悩みの種をお教えいただけますか?」
「フランソワさん…すみません…怪我をした時も今も…ずっと…お世話になりっぱなしで申し訳ないです」
「何をおっしゃいますか。あなたは優秀な対外交渉者。龍水様が私にあなたの身の回りの世話を言い渡したのは優秀な能力とこれまでの尽力に報いるためです。何も謙遜される必要はございません」
お世辞でもない事実を伝えられるたびに雀は涙腺が緩む。旧世界での苦労が、辛さが認めてもらえたようで胸が苦しくなるばかりだ。
「ごめんなさい、私、そうやって言ってもらえるとすぐ泣いちゃうんです…ちゃんとしなきゃいけないのに」
「それほど努力なさっていた証拠です。さあ、遠慮なくリラックスしてください。私はゲストにお喜びいただけることこそ、至上の喜びです」
涙目になる雀を毎回優しく包み込む。それでもフランソワに感謝を伝えて笑顔で眠りにつくことに双方喜びもあった。
だが今回のフランソワは少し違った。というのも龍水から、雀の出自についてはタブーであると言い渡されていたのだ。
氷月と同じ集落におり、あの氷月が気にかけていること。何より「過労死した人物をこれ以上働かせたくない」という言葉に龍水はゲンが情報共有してきた人物だと把握したのだ。
『すでに死亡した人物を復活させた。親族には死者蘇生については明かしていない。氷月が保護にあたっている』
メンタリストらしい難解な暗号だったが、解けると暗号化した理由が分かる程度に衝撃的だった。そして問題が浮上する。少し考えれば分かることだ。
『今後、死亡した人物を蘇生した場合、禁忌を知られる可能性が高くなる』
禁忌を知る者こそこの事実に汗をかく。今回はたまたま、氷月という信頼できる者がいたからよかったものの、労働力欲しさで復活させた場合最悪の事態が起こる。
何が何でも禁忌は隠し通さなければならない。故に近くに雀の禁忌を知らない者がいない場合は厳重に身辺を固めておくべきだと龍水は判断した。
「バレリアンを多めに、華やかな香りを添えたハーブティーでございます」
食事をし、入浴もした。それだけでも気持ちが落ち着いたのだがリラックス効果を高めるハーブティーを用意。旧世界でも味わったことのない芳醇で香しい匂いはすでに嗅覚が癒される。
「すっごく良い香り〜」
「ノンカフェインです。じっくりお飲みください」
「いただきまーす」
温かい飲み物で体の内側からほぐれる。味わい深くも日本茶のほろ苦さを感じて嬉しくなった。
「おいしい〜すっごくおいし〜」
「光栄でございます」
「すごいなぁ〜こんなに美味しいハーブティー淹れられるなんて、ちゃんとしてるなぁ」
騒動が起こってからというもの、フランソワは可能な限り雀の側にいた。その度に「ちゃんとしている」という言葉を耳にする。それは氷月の口癖だからこそはじめは驚いたものだ。口癖が移るほど、信頼関係があると証明している。
「ところでよく雀様は、ちゃんとしている、という言葉を口になさいますね」
「氷月くんの口癖うつっちゃったかも!ここ最近はずっと氷月くんと陽が沈むまでおしゃべりしてたんです」
「氷月様と仲がよろしいのですね」
だが、雀の心にはほむらの言葉が引っかかる。他人の目から見て仲はいいかもしれないが、氷月について何も知らないのだ。
「でも……今日、氷月くんが指導している様子を見学させてもらったんです。最後は多分一番強い人と試合だったと思うんですが…試合っていうか…殺し合いみたいで…みんな、槍捌きに驚いてて私だけ……氷月くんや相手の打撲やアザに目がいってしまったんです」
「それはさぞ驚きましたね」
「氷月くんは石世界でもかなり早く目覚めてたと思うんです。私の方が年上だったのに、もう7歳差だから……その間、何があったんだろうって思うと、何もわかってないんだなと実感しました」
フランソワは穏やかに雀の言葉を聞いていた。最後まで聴き終わると問いかける。
「氷月様の歩まれた十年間をお知りになりたいのですか?」
「…どうなんでしょう。知っても経験は埋まらないし、無理に人の過去や経歴を暴いても仕方ないことだと思うんです。ただ、とある人が言ったんです。氷月くんの過去を否定するのは許さない、と」
ほむら様ですね、という言葉を飲み込む。代わりに雀が使うソーサラーを見せた。
「カップの内側に模様がある理由はご存知ですか?」
「え?」
思わず手元のカップに目を落とす。美しい緑のツタ模様は菱形に彩られている。
「飲んでいる人を楽しませる、だけじゃないんですか?」
「ええ、実は分量をはかるためのものなのです」
「そうなの!?」
「むろん全てがそうではありません。しかし雀様が使用されているカップの絵柄はその役目を持っています」
へぇ〜!と目を輝かせながらカップを覗く。期待以上の反応に頬を綻ばせながらフランソワは続ける。
「それらを知っていれば確かに興味深く感じられるでしょう。しかしながら絵柄の美しさそのものは変化しません」
「それはそう」
「雀様は氷月様のご友人。その事実だけは何があっても変わりません。もし氷月様から過去を明かされたときはどうか、ご自身の気持ちに従い受け止めて差し上げてください」
静かに頷いた。そして氷月は多くの人に見守られていることを実感した。ならば周囲に倣い、雀も可能な限り氷月を見守ろうと思ったのだ。
