たそかれ

5755年4月。
旧愛知県に戻っていた氷月は復興のためダムの建設に協力していた。もちろん千空やチェルシーと繋がりのある生粋の学者が派遣されている。人々の労働力はいつになっても足りない。それどころか居住区管理すら人々の善性で成り立っており、しっかりとした基盤が必要だった。

あさぎりゲンがこの旧愛知県にきていたのは単純に愛知県の港が輸入輸出に都合のいい土地である故だ。つまり、太平洋工業ベルトの第一線で活躍していた名古屋港の再興。現地にいる人間として話が通じやすい氷月を訪れたのも納得がいく。

そうして、幼馴染である雀の頭を見つけて今に至る。葬式をしていたためか、雀の親族も見つけることができたらしい。懐かしい顔ぶれに、思わず手が震える。

「とりあえず近くにいた人はなんとか見つけたけど…この子の体だけどうも見つけられなかったらしいのよ」
「そうですか…」

いつしか雀の前で夕陽が落ちるのを見届けるようなっていた。氷月は立ちすくむばかりで何も言わない。今日もその手を土と汗まみれにしながら。

「人手が足りないし、ここまで綺麗に体が残ってるのも珍しいことだから明日、何人か復活させることになったよ」
「ええ、それが効率的でしょう…」
「ところで、野暮なこと聞いちゃうけどその子とは友だち?」

口ごもる。何も言えないまま、数秒経ってようやく浮かんだ言葉は情けなく、脈絡もない。

「二週間前に」

ゲンは静かに耳を傾ける。

「野菜を、届けた…ただ、それだけです」
「…そっか」

眉間に皺を寄せて、この胸の内を晴らしたい。石化光線で、もしかすれば過労死した者も生き返るのか?いや、聞きたいのはそんなことではない。もっと前提の話だ。

「私は……何を考えているんでしょうか」

笑うことなくゲンは穏やかに呟く。

「ん〜…たぶん……罪悪感、かなぁ」
「罪悪感」
「氷月ちゃんって本来しっかりしてるけど、この子を見てキャパシティが溢れちゃったかなって思うんだよね」
「私は彼女と…疎遠でした。何を……罪悪感など…今更」

そんな感情を抱く権利はない。雀を見放していた会社の人間と同じだ。

「人間って曖昧なんだよね。頭で決めたことと気持ちはチグハグでしょうがない。それに苦しんでるだけだよ。きっと」
「……雀は過労死しました。それでも体を繋ぎ合わせれば、生き返るんですか」
「ノーコメント、とだけ言っておこうかな」

雀の石化が解除されたら────
今までの行動の正当性が見いだせなくなる。
雀がちゃんと生きていけるようになる。
自分の罪を見られてしまう。
雀との「また今度」が叶う。

「私は……」

思っていた以上に石の世界での生きる指標を雀に預けていたのだ。
黄昏から夜になる。街灯もなく、暗闇になった。ゲンが簡易式のランプに火を灯す。

「労働力が足りない今、もしかすれば氷月ちゃんの意志に反することが起きるかもしれない。そうなった時は…氷月ちゃんが世界一周した話でもしてあげて」

雀のことは詳しくは知らない。けど科学王国の皆とアメリカにいき、宇宙船を作ったと言えば笑うに決まっている。

「少なくとも氷月ちゃんだけが、確実にしてあげられることだよ」
「流石、科学王国の外交官。ちゃんとしていますね」
「ドイヒ〜!確かに外交官みたいなことしてるけど本業はメンタリストだから!」

ゲンのおかげか少しだけ胸の重みが軽くなった気がする。思考もようやく回転しはじめた。重かった足を動かしてその場を離れた。
ランプを持ったゲンが、寝顔を見つめる。

氷月の理想はこの子のためにあったのだと、数年越しにようやく理解ができた。司の王国との停戦直後…司の妹が五体満足で復活して、そりゃ癇に障るだろう、と。渋い顔して見ていた。



実はですねー、今の科学では過労死くらいならなんとか蘇生ができてしまいましてー。などと嘘八百をゲンが親族に伝えて、死者の蘇生という禁断のワードを伝えることなく白𡈽雀は復活を遂げた。

しかし大問題が起こる。

「は、発狂して逃げた!?」

ゲンは取り乱す親族にどうにかすぐ見つけると言うものの、この旧愛知県には人口が少ない上にダムの建築と港の再興を進めなければならない。一人のために大勢で探すことは避けたかった。

「…雀さんが、逃げたんですか」

そこに現れたのは既にこの地域での歩く治安維持として名高い氷月だ。しかも旧世界でも親族らと顔見知りのため信頼も厚い。

「あの子、起きて説明している間に急に泣き叫んで逃げていって…!」
「飼っていたウサギのことより生きててくれたことの方が、よっぽど良いことだろうに…!!」

ゲンが氷月の顔を見上げると、とんでもなく冷たい眼差しを送っていた。ただでさえ雀という女性に拗らせているのに火に油を注ぐような事態になっている。慌てて間に入った。

「ここらの地形もゴイスー変わってるしィ〜!詳しい氷月ちゃんが探しにいった方がいいかも〜!あとお願いします〜!!」

背中を無理やり押されつつ、ゲンが耳打ちする。

「愛娘が生き返ったんだからそりゃペットより喜んじゃうの!でもペットを蔑ろにしてるわけじゃないからね!」
「そんなこと…理解していますよ」
「理解してない顔だったけどナ〜」
「私は彼女の悲しみに寄り添うべき家族がああだから、苛立っているだけです」
「ああ、そうですか…」

とにかくいってきてね!と言われて氷月は探し始める。動物園から逃げ出した獰猛な生き物が日本に巣食うようになっている今、森の中を先に探すことにした。体力もない人間がそう遠くへ行けるはずもない。5分もすればすすり泣く声が聞こえた。

「雀さん」

声を出すとぴたりと静まり返る。槍の柄で草木をかき分けると木の下にうずくまって子どものように泣いている雀がいた。
随分と長い間、焦がれていた。目があっても何も声をかけられない。年齢もすっかり氷月が追い越していた。だから腫れた瞼がより子供ぽく見えるのも仕方のないことだ。

「氷月くん…」

久々に名前を呼ばれた。脳が痺れて、毛細血管が震える。全身に血が回った。思わず目の前に片膝をついて目を合わせる。

「……久しぶり、ですね」
「…うん」
「どうして、泣いているんですか」
「ウサギ、飼ってた。でも、世界が石になって、動物だけ石にならなかったってきいて」

また涙を流し始めた。

「私の、ワタタ、辛い時ずっとそばにいて、じっと温めてくれたのにっ、家の中にいたなら、どれだけお腹空かせただろうって!ひとりで、死んじゃったんだ…!」

声を上げて泣いている。これくらい、氷月も感情を表せば良かったのかもしれない。

「ひとりにさせちゃった!私のせいだ!!」

槍を置いて、雀を抱きしめた。

「あなたのせいではありませんよ。ちゃんと、わかってます」

雀の悲しみはどこか既視感があった。そのことは棚に上げて氷月はただ思ったことを口にする。

「誰のせいでもないんです」

細い腕が背中に回る。か細い力で目一杯抱きしめ返した。小さな熱は今氷月の腕の中にいる。あんなに遠かったものはこうしてそばにいる。

「生きてて、よかった」

氷月は静かに涙を落とした。



家族から、ペットのことより…などと言われてパニックになって走って逃げてしまったそうだ。足も素足で切り傷がある。
氷月は雀をおぶって集落に戻っていた。

「手当てをしましょう。少しなら傷薬の備品もあります」
「平気だよ、それより…ごめんなさい、年上なのに、ちゃんとしてなくて」

石化解除の名残なのか、彼女の髪はまだらに白く、鎖骨から肩にかけて復活者特有のヒビが入っていた。

「それを言うならとっくの昔に、雀さんの年齢なんて追い越してますよ」
「ええ!?何歳!?」
「32です」
「うそ!?7歳年上!?」

予想通りの反応に、マフラーの下に隠した口角をあげる。すると雀は後ろからマフラーをひょいっとめくった。

「何するんですか」
「笑ってる…年上になったからっていい気になってるんだ」
「ええ、そうかもしれませんね」

急ごしらえの道場は、床が竹でできておりあまりにも素朴な作りだ。しかしここで道場を開いていると知った雀は泣き腫らした顔で懐かしそうに見渡す。

「少し待っていてください」
「あっ、いいよ、このくらい。そこらへんの水で洗うから…」
「未知の細菌が発生している可能性があります」
「お願いします」

雀は手のひら返しで即答する。氷月は井戸水を煮沸消毒した後に桶ごと持ってくる。それから科学班から譲り受けた傷薬もそばに置いた。

「足を出してください」
「は!?いや、自分でするよ!ここまでしてもらって悪いし…」
「いいから」

白い素足を掴んだ。湯をかけたところから血色が良くなっていく。泥を落とし、傷口に沿って指先で洗った。

「氷月くん、そんなに面倒見良かったんだ…ああ、でも師範代してるくらいだもんね、そりゃそうか」
「……ご両親から、聞いたんじゃないですか」
「何を?」
「……あなたは、火葬直前だったんです」
「あ、うーん……」
「……どういう、感覚なんですか」

一人で死にゆく気分は。
ウサギを気にかける雀のように、氷月もまた雀のことを気にかけている。

「よく、わかんないや。寝て起きて…ワタタが死んじゃったってきいて……でもワタタはお腹空かせて…死んじゃったんだ……苦しかっただろうに」

指の間に挟まった石を抜いた。

「あんなに寄り添ってくれたのに、何も返せなかった…」
「墓を、立てましょう」
「墓?」
「ウサギの」

消毒を終えた後、雀は氷月の靴を借りて墓にふさわしい石を探した。できるだけ大きくて、運べそうなもの。加えて加工ができるのならなおよし。
クラフトで氷月もある程度の知識がついており、この石は堅い、この質感なら良さそうだと目星をつけて選定を続ける。そしてようやく縦長の石を見つけることができた。

「名前を彫りましょう」
「ワタタ!ワタタだよ!」
「雀さんがつけたんですか」
「うん!白い毛がぱやぱやしてたから」

可愛かったなぁと思いを馳せる。家にある簡易的な道具で不格好ながらも氷月は真面目に掘り進める。雀はその作業を眺めながらも時折泣いていた。
一方で氷月の汗が流れる。雀が袖で拭った。

「汗なんて流れるものですよ」
「でもドラマとかであるでしょ?オペ中にドクターが、汗!って」
「コント以外見たことはないですね」

にこにこしながら手元を見つめる。カタカナで表記された墓石ができた。

「不格好ですができました」
「すごい!氷月くん手先器用なんだね!」
「ところでこの墓石は私が見つけて私が彫りました」
「うん」
「ここに設置します」
「はぁ!?普通私の家の近くでしょ!?」
「ほぼ私のおかげです」
「言い出しっぺは氷月くんだからそれくらい当たり前でしょ!」

雀の反対意見など聞くまでもない。無視して地面に突き刺した。相変わらずぎゃあぎゃあと騒いでいるが、氷月が一つだけ確かなことを伝えた。

「辛くなったら、墓参りに来てください。ここの門はいつでも空いています」

下から見上げるまんまるな目がまた潤む。それから両腕を広げて氷月に抱きついた。

「暑いので離れてください」
「塩対応すぎ!照れてるんだ!」
「何をどう見たら照れてるように見えるんですか」
「はい、すみませんでした」

氷月はすぐ離れた雀に感謝した。でなければ今頃心臓の音を聞かれていただろう。

その後雀を家族の元に送り届ける。逃げ出した手前、戻ることに抵抗はあったようだが氷月が付き添うと言えばすんなり受け入れた。
案の定家族からは、氷月に迷惑をかけたことを非難されていたがそれらの声を遮ってでも雀に話しかけた。

「それでは、また」

雀ははにかんで手を振った。



夜になれば雀が墓参りに来るようになった。そのついでにあれこれ話もする。疎遠になっていたのが嘘のように、話題は尽きない。

「氷月様、お話中失礼します」

珍しい時間にほむらがやってきた。彼女は氷月に心酔しこの土地まで追いかけてきたのだ。一応は好きにしていいと言ったものの、まさかここまで来るとは思いもしなかったのが実情だ。

「何かありましたか」
「いえ、東京の科学王国からの手紙です」
「この文字は…陽くんでしょうか…」
「ところで、そちらの方は」

振り返ると雀は目を見開いて氷月に詰め寄る。

「彼女!?」
「は?」
「こんな可愛い彼女いて私と話していいわけなくない!?ごめんね!ミジンもそんなつもりないから安心してね!」

鳥のように去ってしまった。ほむらは勘違いされて顔を赤くしているがまんざらでもない様子。氷月は眉間を押さえた。

「遅くに届けてくださってありがとうございます」
「い、いえ…あの、先ほどの方は」
「幼馴染です」

キッパリと答えたが、正直ほむらより雀の勘違いをなんとかしたいばかりだ。あの性格なので無駄に妄想を飛躍させてしまうに違いない。

昼間はダムの建設に集落のほぼ全員が打ち込む。しかしそれだけでは足りずに急遽復活液を用意して食糧、備蓄を計算しながら石化解除も行う。合わせて他の地区から労働力を借りることもあった。
今回は港の開発にやってきた船乗りがそうだ。

皆英語を話しているせいか、生粋の内気な日本人たちはなかなか協力体制が進まない。氷月は折衝能力があるわけでもなく、時間が解決するのを待つばかりだった。だが今回違ったのは雀の存在だ。辿々しい英語ながらも意思疎通を図り、周囲を仕事ができる体制へ巻き込んでいく。社会の中間管理職を経験しているだけあってか、この場だけで言うなら折衝能力、対外能力はずば抜けていた。

短い期間の手伝いでも誰もが雀の名前を覚えて帰っていく。そして雀も英語を少しずつ学んでいた。

「氷月くん」

後ろから呼び止められると両腕にとうもろこしが抱えられていた。

「それはコーンシティのものですか」
「え!なんでわかったの!」
「数年前に行っていたものですから。嫌というほど見てきましたよ」
「そうなの!?なんで!?…って、あんまり長居すると彼女さんも面白くないよね」
「ほむらは護身術の教官であってそういった関係ではありません」
「……じゃあなんで様付け?」

知らん……とか言えるはずもなく。黙っていると訝しげな表情を見せた。

「まさか…期待させるだけ期待させて…そういう…」
「違います」
「じゃあ一体何プレイ?」
「そういうものではありません。以前私の演舞を見たようで、その時から慕ってくれているだけです」
「……にしたって年下に様付けで呼ばせるの良くないよ」

正論を言われるが、氷月も何度か苦言しようとは思っていた。しかしあの熱視線に何も言えなかったのだ。

「あんな可愛い子、他にいないよ〜?責任とってお嫁に貰っちゃおうよ〜」
「それで、そのとうもろこしはいただいていいんですか」
「ちょっと!嫌というほど見たんじゃないの!話をそらさないの!」

一房取り上げて、そのまま厨房へ行き皮を剥いた。雀はその手捌きを眺めている。

「何作るの?」
「教えません」
「ケチ!」

コーンの粒をもぎる。氷月の手の動きを目で追うものだからつい一粒、もぎって口元に寄せてみると手ずから食べた。

「何食べてるんですか」
「目の前に持ってきたら食べるに決まってるよ」
「だとしても男の手から食べるものじゃありません」
「またお母さんみたいなこと言ってる」

米を研いでコーンと一緒に鍋に入れる。火に息を吹きかけて調整すること20分。甘く香ばしい匂いが漂い始めた。

「いい匂い〜お腹すいた〜!」
「おにぎりで配ってまわりますから、手伝ってください」
「もちろーん!一番乗りで食べていいんでしょ?」
「そのくらいの特権は許しましょう」
「やったー!」

どれだけ夢見ていただろう。こんな他愛無い日常を。胸が熱くなる想いが宿っていた。

出来立てのコーンご飯をよそい、食卓に運ぶ。いつか見た、痩せこけて苦しそうな表情はもう見当たらない。

「いっただきまーす!」

しゃく、と口に甘みが広がる。米のほのかな甘味と合わさって膨れ上がる。出来立ての熱によって香りが部屋いっぱいに広がった。

「おいしい!料亭開けるよ!」
「道場で手一杯ですよ」
「それもそうか!」
「雀さんが開いてみては?」
「ダメ!私は味見係!」
「ちゃんとしてください」
「出た!私はもうちゃーんと働いてるからいいんです」

氷月は見つめる。雀の一挙一動を焼き付ける。口にする食事よりも、今は雀が喜ぶ姿を見ていたい。

「きっとみんな喜ぶよ!いっぱい配ろうね!」
「ええ…そうですね」
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