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人間不信の少女 久保史緒里
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久保史緒里と人間不信の少女との出会い秋の終わりの東京、乃木坂46の劇場公演が終わった後の夜。
久保史緒里は、いつものように裏口からそっと抜け出し、誰もいないはずの公園に向かった。
メンバーには「ちょっと散歩してくる」とだけ言ってある。
本当は、ただ静かな場所で一人になりたかった。公園のベンチに座ると、街灯の下に小さな影があった。
高校生くらいの女の子。制服のスカートが少し汚れていて、膝を抱えてうつむいている。
手にはスマホがあるのに、画面は真っ暗のまま。
時々震える肩が、泣いているのか寒いのかわからない。史緒里は声をかけようとして、でもやめた。
自分も昔、同じようにここに座って誰にも会いたくなかった時期があったから。
だから、ただ隣のベンチに腰を下ろして、黙って空を見上げた。十分くらい経っただろうか。
少女がぽつりと言った。「……有名人?」史緒里は驚いて振り返る。
少女は顔を上げていなかったけど、確かに自分を見ていた。「えっと……うん、まあ」「な」「なんでこんなとこにいるの? ファンに囲まれてる方が楽じゃない?」棘のある言い方だった。でも、どこか疲れ切っている。史緒里は少し笑った。「逆だよ。私も、たまに人が怖くなるんだ。
笑顔作って、愛想よくして、でも本当は誰にも触られたくないときがある」少女が初めて顔を上げた。
目は腫れていて、睫毛が濡れている。「……嘘。アイドルがそんなこと思うわけないじゃん。
みんなに好かれたいんでしょ? だから笑ってるんでしょ?」「違うよ」
史緒里は静かに首を振った。「好かれたいのも本当だけど、
好かれすぎて、息ができなくなることもあるんだ」少女は唇を噛んだ。
しばらく黙ってから、小さな声で呟いた。「……私、人を信じられないの。
友達だと思ってた子に裏切られて、それからずっと。
誰かが優しくしても、どうせ裏があるって思う。
だから一人でいる方が楽で……でも、寂しくて死にそうで」史緒里は立ち上がって、少女の隣のベンチに移動した。
少し距離を取って、でも確かに隣に。「私も、昔そうだったよ」
「え……?」「デビューしたての頃、誰が本気で私のことを思ってくれてるのか
全然わからなくて。
笑顔の裏で何を考えてるかわからない人が多すぎて、
夜、楽屋で一人になった瞬間、泣いたこと何度もある」少女が目を丸くした。「でも……今は?」「今も、完全には信じきれてないよ」
史緒里は苦笑いした。「でもね、少しずつ、信じてもいい人がいるって気づいた。
全部じゃない。ほんの少しの人だけ。
それでも、その人たちがいるだけで、生きていけるって思えるようになった」少女は俯いたまま、震える声で言った。「……私には、そんな人いない」「だったら、今ここにいる私を
少しだけ、信じてみない?」少女が顔を上げた。
史緒里は真っ直ぐにその目を見ていた。「私は今、久保史緒里じゃなくて、ただの史緒里としてここにいる。
アイドルとしての顔は置いてきた。
だから、嘘はつかない。
あなたが寂しいって言ったら、寂しいねって言う。
信じられないって言ったら、無理に信じなくていいって言う」少女の目から、また涙がこぼれた。「……なんで、そんなこと」「私も、誰かにそう言ってほしかったから」その瞬間、少女がぽろぽろと泣き始めた。
声にならない嗚咽。
史緒里は何も言わず、ただそばにいた。どれくらい経っただろう。
少女が涙を拭って、小さく呟いた。「……私、佐藤美咲っていうの」「私は史緒里。よろしくね、美咲ちゃん」美咲は少しだけ笑った。
それは、とても小さくて、壊れそうで、でも確かに「笑顔」だった。「今日は……ありがとう。
でも、まだ信じられないから、また一人になりたいかも」「うん、いいよ。
でも、もしまた寂しくなったら、ここに来て。
私は、たまにここに来るから」美咲は頷いた。それから二人は、何も約束せずに別れた。それから一週間後。
同じ公園のベンチに、美咲はまた座っていた。
今度は、少しだけ背筋が伸びて。隣に、温かい缶コーヒーが置かれた。「遅くなってごめん。収録長引いちゃって」振り返ると、史緒里がマスクを外しながら笑っていた。美咲は、ほんの少しだけ、口角を上げた。「……待ってたよ」その顔、ずるい」「えー、私の笑顔に免じて許して?」「…………少しだけ、なら」二人は並んで缶コーヒーを飲んだ。
言葉は少なかったけれど、沈黙が怖くなかった。人間不信の少女は、まだ人を完全に信じられるようにはなっていない。
でも、たった一人の、嘘のない笑顔を、少しだけ信じ始めていた。それは、とても小さな、でも確かな始まりだった。
私のことなんて見えてないし見つけられないでしょ 住む世界が違うんだから
……違うよ。史緒里は缶コーヒーを握りしめたまま、静かに言った。「美咲ちゃんは、私のこと『遠い世界の人』だって思ってるんでしょ?
テレビの中の人で、キラキラしてて、汚いところなんて一切知らない人で」美咲は俯いたまま、小さく頷いた。「でもさ」
史緒里はそっと、美咲の前にしゃがみこんだ。
目線を合わせるように。「私だって、毎日メイク落としたらただの寝不足の25歳だよ。
目の下のクマはコンシーラー三層塗りだし、
朝起きたら髪の毛爆発してるし、
コンビニでおにぎり落として店員さんに『大丈夫ですか?』って言われて
死ぬほど恥ずかしさで震えたこともある」美咲が、びくっと顔を上げた。「私も……好きな人に既読スルーされて三日泣いたことあるし、
握手会で『もう来ない』って言われて、トイレで吐いたこともある。
ステージの上では笑ってるけど、
裏ではメンバーと喧嘩して、楽屋で無言で睨み合った日だってある」史緒里は、少しだけ笑った。「だから、私も『住む世界が違う』って思われたこと、いっぱいあるよ。
でもね、違う世界にいるって思ってるのは、
実は私たちの方じゃなくて、
『そう思いたい』って思ってる美咲ちゃんの方なんじゃないかな」美咲の瞳が揺れた。「私はここにいるよ。
すぐそばに。
同じベンチに座って、同じ冷たい風に震えて、同じ缶コーヒー飲んでる。
見えてるよ。ちゃんと、見えてる」史緒里は、自分の手のひらをそっと差し出した。「触ってもいいよ。
あったかいし、ちょっと汗かいてるし、
全然キラキラしてない、普通の手だよ」美咲は震える指で、ほんの少しだけ、その手を触った。……あったかかった。「ねえ、美咲ちゃん」
史緒里は優しく微笑んだ。「私、見えてるよ。
ちゃんと、ここにいるよ。
だから、もう『見えてない』なんて言わないで。美咲は、初めて、史緒里の手をぎゅっと握り返した。「……うそつき」
小さな声で、でも確かに。「私なんかが……見えるわけ、ないのに」「見えてるってば」
史緒里は泣き笑いみたいな顔で言った。「こんなに泣いてる子、放っておけるわけないじゃん。
……私、バカだから」その瞬間、美咲の涙がまた溢れた。でも、今度は違った。怖い涙じゃなくて、
「信じてもいいのかな」って、試すような涙だった。史緒里はそっと、美咲の頭に手を置いた。「ゆっくりでいいよ。
私は逃げないから。
同じ世界に、ちゃんと、いるから」夜風が少しだけ優しくなった気がした。
同情してるの 偽りだよ
……違う。史緒里は、初めて少し強い声を出した。「同情じゃない」美咲がびくっと肩を震わせる。史緒里は自分の胸を、ぎゅっと握った。「同情だったら、こんなに苦しくないよ。
同情だったら、『可哀想だね』って言って、缶コーヒー置いて、
『がんばって』って背中押して、それで終わりでいいんだよ」彼女は一歩近づいた。「でも私は……それじゃ終われない。
美咲ちゃんがまた一人で泣いてるって思うだけで、
胸が締めつけられて、息ができなくなる。
今日も収録中、ずっと頭の隅に美咲ちゃんのことあって、
笑顔作るの必死だった」史緒里の声が、少し震えていた。「偽りなら、こんなに必死にならない。
偽りなら、こんなに……怖くない」「怖い?美咲が顔を上げた。「私……怖いの。
美咲ちゃんがまた『信じられない』って言って、
私の手を振り払って、どこか遠くに行っちゃうのが。
もう二度と会えなくなっちゃうのが。
それが、すごく、すごく怖い」史緒里の目にも、うっすらと涙が浮かんでいた。「同情って、こんなに自分を傷つけないよ。
同情って、こんなに……自分の心が痛くならない」彼女は深く息を吸って、吐いて、「私は、美咲ちゃんに、
『一人じゃない』って、
本気で思ってほしいだけなんだよ」静寂が落ちた。美咲は、唇を噛んで、震えて、「……なんで」
掠れた声で。「なんで、私なんかに……そこまで」史緒里は、ゆっくりと微笑んだ。それは、今までで一番素直で、一番脆い笑顔だった。「だって、私も、
昔、美咲ちゃんみたいな子に、
『お前は一人じゃないよ』って言ってほしかったから。 ……言ってくれる人がいなくて、
ずっと、ずっと、寂しかったから」美咲の瞳が、大きく見開かれた。史緒里は、もう一度、手を差し出した。「だから、今度は私が言う番だと思っただけ。
同情じゃなくて、
ただの……エゴだよ」美咲は、しばらくその手を見つめて、そして、震える指で、そっと、掴んだ。「……エゴ、なら」
小さな、小さな声で。「少しだけ……信じても、いい?」史緒里は、涙をこらえながら、ぎゅっと握り返した。「うん。
全部、預けて」その夜、初めて、
美咲は誰かの手を、離さなかった。偽りなんかじゃなくて、
ただの、痛いくらいの本音だった。
これからもずっと一人ぼっち
史緒里は、黙って美咲の隣に座り直した。
肩が触れるくらい、すぐ隣に。「……ずっと、一人ぼっち、か」美咲は膝を抱えたまま、小さく頷いた。史緒里は空を見上げた。
雲の切れ間に、星が一つだけ見えた。「私ね、実は今でも思うことがあるんだ」
静かに、ぽつりと言った。「『あぁ、私も結局、一人なんだな』って」美咲が顔を上げた。「デビューして12年。
メンバーも、スタッフも、ファンも、家族も、みんな近くにいるのに。
夜中にふと目が覚めると、
『誰も本当の私を知らない』って思って、
布団の中で丸まって泣くこと、まだあるよ」美咲の目が揺れた。「でもね」
史緒里は、ゆっくりと美咲の方を向いた。「『ずっと一人ぼっち』って言葉、
実はすごく怖い嘘なんだって、最近気づいた」「……嘘?」「うん。
だって、『ずっと』なんて、誰も約束してないもん。
未来のことは、誰にもわからない。
明日、地震が来るかもしれないし、
世界が終わるかもしれないし、
……誰かが、突然、あなたのことを
一生懸命守りたくなるくらい、大切だって思うかもしれない」史緒里は、美咲の手をそっと両手で包んだ。「『これからもずっと一人ぼっち』って、
それは、あなたが今、
自分自身に言い聞かせてる呪いの言葉なんだよ」美咲の唇が震えた。「私には、そんな呪い、解けないよ……」「じゃあ、私が解く」史緒里は、まっすぐに美咲の目を見た。「美咲ちゃんが『一人ぼっち』って言うたびに、
私はここに来る。
100回言ったら100回。
1000回言ったら1000回。
『うるさいなあ、もう来なくていいよ』って
美咲ちゃんに嫌われるまで、来る」美咲が、息を呑んだ。「だから、『ずっと』なんて言わないで。
せめて、『今は』って言って。
今は、一人ぼっちで、つらくて、寂しくて、
誰のことも信じられなくて、
それでいいから」史緒里は、美咲の涙を、指でそっと拭った。「『今は』なら、私がいるよ。
今、この瞬間だけでも、
隣にいるよ」美咲が、声を上げて泣き始めた。「うそ……うそだよ……
どうせ、いつか忘れる……
どうせ、私のことなんて……」「忘れない」史緒里は、美咲を、そっと抱きしめた。「私は、忘れっぽいけど、
痛いことは、全部覚えてるタイプなんだ」美咲の体が、小さく震えた。「……私、明日死のうと思ってた」史緒里の腕に、力がこもった。「だったら、明日まで、生きてて」「……え?」「明日まででいいから。
私がまたここに来るから。
缶コーヒー、ホット持ってくるから。
明日の夜、8時。
来なかったら、死んでもいい」美咲が、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。「……約束、破ったら?」「破らないよ」
史緒里は、泣き笑いで言った。「私、アイドルが約束破ったら、
ファンが悲しむでしょ?
……私の一人の、大切なファンが」美咲は、初めて、
小さく、でも確かに、
頷いた。「……明日まで、なら」「うん。明日まで」二人は、ぎゅっと手を握り合ったまま、
夜の公園で、長い間、黙っていた。星が一つ、また一つと見えてきて、
「ずっと」は、ほんの少し、遠のいた。明日まで、でいい。
その明日が来たら、また明日まで、でいい。そうやって、
「ずっと」は、いつか、溶けていくから。
抱きしめる 離して 嫌 触らないで
史緒里は、すぐに腕を離した。ごめん。
美咲の体からぱっと離れて、両手を高く上げた。「ごめんね。
勝手に触って、嫌だったよね」美咲は膝を抱えたまま、肩で息をしていた。
体が小刻みに震えている。
「触らないで……嫌……」と、掠れた声で繰り返す。史緒里はベンチの端まで移動して、
できるだけ距離を取った。
30センチ、50センチ、1メートル。
美咲が少しでも楽になる距離まで。「もう触らない。約束する」
静かに、でもはっきりと言った。「ここにいるだけでいい?
声だけ届けばいい?」美咲は顔を膝に埋めたまま、
小さく、こくりと頷いた。史緒里は、ゆっくり息を吐いた。「……私、昔、握手会で無理やりハグされたことがあって。
そのとき、すごく怖かった。
笑顔作らなきゃいけないのに、体が固まって、
あとで楽屋で震えが止まらなかった」美咲の肩が、ぴくりと動いた。「だからわかるよ。
触られたくない気持ち。
『優しさ』だって言われても、
それが自分を壊すときもあるってこと」静かに、静かに、声だけ届ける。「だから、もう絶対に触らない。
手を出すことも、近づくこともしない。
美咲ちゃんが『いいよ』って言うまで、
この距離で、ずっと待ってる」風が吹いた。
冷たい夜風が、二人の間を通り抜ける。美咲が、ほんの少しだけ顔を上げた。
涙でぐちゃぐちゃだけど、史緒里をちらりと見た。「……本当に、触らない?」「うん。本当に。
約束する。
アイドルが約束破ったらダメでしょ?」美咲の唇が、震えた。「……私、触られるの、怖いの。
優しくされても、急に裏切られる気がして……
体が、拒否しちゃう」「知ってるよ」
史緒里は優しく微笑んだ。「拒否していいよ。
嫌って言っていいよ。
私、傷つかないから」美咲が、ぽろぽろとまた涙をこぼした。「……ごめんね」「謝らないで。
美咲ちゃんは、何も悪くない」史緒里は、自分のコートのポケットからハンカチを出して、
ベンチの上に、そっと置いた。「これ、使う?
触られたくなければ、そのままでいいよ」美咲は、しばらくそれを見つめて、
震える手で、ゆっくりとハンカチを拾った。そして、自分の顔を拭った。「……ありがとう」「ううん」二人の間に、沈黙が落ちた。でも、今度の沈黙は、
少しだけ、温かかった。触れなくても、
声は届く。距離があっても、
「ここにいるよ」は、伝わる。美咲は、膝を抱えたまま、
小さく呟いた。「……まだ、怖いけど
……少し、安心した」史緒里は、優しく微笑んだ。「それでいいよ。
少しで、いいよ」夜はまだ長い。でも、
もう、完全に一人じゃない。
偽善者
美咲の声は、掠れて、でも鋭かった。「……偽善者」史緒里は、ぴくりとも動かなかった。
ただ、静かにその言葉を受け止めた。「……うん」
数秒後、小さく答えた。「偽善者かもしれない」美咲が、驚いたように顔を上げた。「私、確かに『いいことしてる』って思いたい部分、あるよ。
『誰かを救えた』って思えたら、自分が少しだけ価値ある人間になれる気がするから。
……汚いよね」美咲の目が、揺れた。「握手会で泣かれたとき、
『この子を支えてあげなきゃ』って思った瞬間、
頭のどこかで『私は優しいな』って自己満足してたこともある。
それが偽善だって、ちゃんとわかってる」史緒里は、自分の膝の上で手を組み、
ぎゅっと握りしめた。「だから今も、もしかしたら
美咲ちゃんを助けることで、
昔の自分を救おうとしてるだけかもしれない。
……最低だよね」風に言われても、仕方ない」初めて、史緒里の声が震えた。「でも、ね」彼女は、まっすぐに美咲を見た。「偽善でも、
ここに座ってるのは本当だよ。
寒いのに、帰らないのは本当。
美咲ちゃんが『死のう』って言ったとき、
胸が張り裂けそうになったのも、本当」史緒里は、ゆっくりと息を吐いた。「偽善者が一人、
目の前で泣いてる子を放っておけない。
それだけ。 ……それが、全部偽りだとしても、
今この瞬間、
私はここにいるよ」美咲は、唇を噛んで、
俯いたまま、長い沈黙を守った。やがて、「……最低」
小さな声で。「最低の……偽善者」史緒里は、かすかに笑った。「うん。最低だよね」美咲が、ふと顔を上げた。「……でも」
震える声で、続けた。「最低な偽善者が、
こんな時間まで、
私のそばにいてくれるなんて……
思わなかった」史緒里の目が、少し潤んだ。「私も、
こんなに最低な自分を、
誰かに見せられるなんて、
思わなかった」二人は、しばらく無言で、
夜空を見上げていた。偽善者と、
人間不信の少女。完璧じゃない、
汚い部分も全部見せ合って、
それでも、
まだ、隣にいる。「……明日も、来る?」美咲が、ぽつりと聞いた。「来るよ。
偽善者のくせに、しつこいから」美咲の口元が、
ほんの少しだけ、緩んだ。それは、まだ笑顔とは言えないけど、
「嫌いじゃない」って顔だった。偽善でも、
嘘でも、
温かさは、確かに伝わっていた。
寒い夜 寒いの温めようかと布団に入る
良い大丈夫だから
美咲は、ぽつりと呟いた。「……寒い」史緒里は自分のコートを脱ごうとしたけど、すぐに思いとどまった。
触られたくないって言われたばかりだ。「寒いね……」二人の吐く息が、白く夜に溶ける。美咲は膝を抱えたまま、小さく震えている。
唇が少し青くなっていた。史緒里は、そっと自分のマフラーを外して、
ベンチの上に、ふわりと置いた。「これ、使ってくれる?
触られたくないから、置くだけにするね」美咲はそれを見て、
震える手でマフラーを拾い、
自分の首に巻いた。「……あったかい。
史緒里の匂いがした。「……ありがとう」「ううん」しばらく沈黙。美咲が、ぼそっと言った。「……寒い夜って、
布団に入って、
誰かと一緒に温めようか、って思うこと、ある?」史緒里は、静かに頷いた。「あるよ」「でも……私には、そんな人、いない」美咲の声が、震えた。「誰も、私のこと、
温めてくれない」史緒里は、ゆっくりと息を吸って、「……ねえ、美咲ちゃん」「なに?」「今から、私の家に来ない?」美咲が、びくっと顔を上げた。「え……?」「ダメ?
触らないよ。約束する。
ソファで寝てくれればいい。
布団は別に用意する。
ホットミルクも出すし、
暖房もガンガンつける」美咲の目が、揺れた。「……どうせ、断られると思ってた」「断らないよ」「でも……私、汚いし……
制服も汚れてるし……
お風呂も何日も入ってなくて……」「シャワーもあるよ。
新しいタオルも出す。
私の服、貸すから」美咲は、唇を噛んだ。「……信じられない」「うん。信じなくていい。
でも、寒いのは本当でしょ?」美咲は、しばらく黙って、
そして、小さく頷いた。「……いいの?
本当に?」「うん。
偽善者だからね。
寒い子を放っておけないの」美咲が、初めて、
くすっと笑った。「……最低」「でしょ?」二人は立ち上がった。史緒里は一歩距離を取って歩き、
美咲は少し遅れてついてくる。夜道を、並んで歩く。触れ合わない。
でも、確かに、二人で。家に着くと、史緒里はドアを開けて、
「どうぞ」とだけ言った。美咲は、恐る恐る中に入った。暖房の温かさと、
ほのかな甘い匂い香り。「……あったかい」「うん。
今日は、もう寒くないよ」美咲は、玄関で立ち止まって、
ぽつりと呟いた。「……ありがとう」史緒里は、優しく微笑んだ。「お風呂、先に入って。
服、ここに置いとくね。
私はリビングで待ってる」美咲は、ゆっくりと頷いた。その夜、美咲は、
久しぶりに、
誰かの家で、
温かい布団に入った。一人じゃない温もりの中で、
少しだけ、
安心して眠れた。たとえ明日、また怖くなっても、
今夜だけは、
寒くない。それだけで、
十分だった。
華やかな世界で生きてる世界の人なんだから私みたいな一般人なんてただの暇潰し
美咲は、史緒里の部屋のソファの端に小さく座ったまま、
膝の上で指を絡ませて呟いた。「……華やかな世界で生きてる人なんだから、
私みたいな一般人なんて、
ただの暇つぶしでしょ」史緒里は、キッチンでホットミルクを温めながら、
ふっと息を吐いた。「暇つぶし……かぁ」ミルクをカップに注いで、
美咲の前にそっと置く。
もちろん、触れない距離で。「確かにね。私、毎日テレビ出て、雑誌出て、
ライブして、握手会して、
キラキラしてるって言われる。
……でもさ」史緒里は自分のカップを持ち、
美咲と正反対のソファに腰を下ろした。「私、あの華やかな世界で
一番怖いのが『暇』なんだよ」美咲が顔を上げた。「撮影が終わって、楽屋でメイク落として、
マネージャーさんが『お疲れ様でした』って帰って、
一人になった瞬間……
何もすることがなくて、
スマホ見ても通知なくて、
誰からも必要とされてなくて、
ただ天井見上げてる時間がある」史緒里は、少し自嘲気味に笑った。「そのとき思うんだ。
『私、今、何のために生きてるんだろう』って」カップを両手で包みながら、続ける。「だから……
美咲ちゃんに会ったとき、
初めて『必要とされてる』って思えた」美咲の目が、揺れた。「嘘だよ……」「嘘じゃない」
史緒里は首を振った。「華やかな世界にいるからこそ、
『ただの暇つぶし』じゃ済まされないんだよ。
私、明日死のうとしてる子を放っておけない。
それは、暇だからじゃなくて、
……放っておいたら、自分が死にそうだから」静かに、でも確かに。「美咲ちゃんは、私の
『生きてる実感』なんだよ」美咲は、唇を噛んで俯いた。「……私なんかで、そんな……」「うん。私なんかで、美咲ちゃんが
『明日まで生きてみよう』って思ってくれたら、
それだけで、私の今日が救われる」史緒里は、初めて、少しだけ笑った。「だから、
暇つぶしどころか、
命がけの、
一番大事な時間なんだよ、ここは」美咲は、ホットミルクをそっと口をつけて、「……あったかい」小さな声で呟いた。「……味、する」史緒里は、目を細めた。「よかった」二人の間に、
初めて、本当の意味での
静かな温もりが広がった。華やかな世界の住人も、
ただの一般人も、今、この部屋の中では、
ただの、
「寂しかった人」同士だった。それで、
十分だった。
翌朝の目覚めを描いて
朝、7時12分。カーテンの隙間から、冬の低い陽射しが細く差し込んでいる。
部屋の中はまだほんのり暖房の温もりが残っていて、
空気だけが少しだけ冷たい。美咲は、史緒里が貸してくれた大きすぎるパジャマに包まれて、
リビングのソファの上でゆっくりと目を開けた。最初は自分がどこにいるのか、わからなかった。
天井が違う。匂いが違う。布団の感触が違う。
……死んでない。体を起こすと、首が少し痛い。
昨日の記憶が、ざわざわと戻ってくる。公園で泣いたこと。
「明日まで生きてて」と言われたこと。
ここに来たこと。
お風呂に入って、史緒里のTシャツを着て、
「……おやすみ」と小さく言ったら、
史緒里が「うん、おやすみ」と答えてくれたこと。全部、本当だった。美咲はぼんやりと部屋を見回した。キッチンの方から、かすかにトーストの焼ける匂いと、
コーヒーの香りが漂う。史緒里はもう起きていて、
白いニットにデニムという、テレビで見るよりもずっと素朴な格好で、
フライパンを軽く振っている。「……あ、おはよう」美咲が顔を出すと、史緒里が振り返って、
少し照れくさそうに笑った。「おはよう。よく眠れた?」美咲は、小さく頷いた。「……うん。
久しぶりに、夢見なかった」史緒里の顔が、ぱっと明るくなる。「よかった。
じゃあ、朝ごはん。トーストとスクランブルエッグでいい?
コーヒーも淹れてあるよ」美咲はソファから降りて、
裸足でぺたぺたとキッチンに近づいた。テーブルには、二人分の皿が並べてある。
トーストの上に、ちょっと焦げ目がついたスクランブルエッグ。
小さなサラダと、ミニトマトが三つ。すごく、普通の朝ごはんだった。美咲は椅子に座って、
ぼんやりとそれを見つめた。「……こんなの、
いつぶりだろう」史緒里は向かいに座って、
コーヒーを一口飲んでから言った。「私も、誰かと朝ごはん食べるの、
ほんとに久しぶり」美咲はトーストを手に取って、
小さくかじった。……おいしい。塩気がちょうどよくて、
バターがじんわり溶けて、
なんだか涙が出そうになった。史緒里は、黙ってそれを見ていた。「ねえ」
美咲が、ぽつりと呟いた。「私……まだ、怖いよ。
今日も、明日も、
また一人になるんじゃないかって」史緒里は、静かに頷いた。「うん。私も怖いよ」「でも」
美咲は、トーストを置いて、
初めて、自分から史緒里の目を見た。「今、この瞬間だけは……
温かい」史緒里が、ふっと笑った。「うん。
今、この瞬間は、
二人で朝ごはん食べてる」美咲の口元が、
ほんの少しだけ、上がった。まだ笑顔とは言えないけれど、
「泣いてない」顔だった。外は冬の朝。
でも、この小さな部屋の中だけは、春みたいに、
少しだけ、優しかった。美咲はコーヒーを一口飲んで、
小さく呟いた。「……おいしい」史緒里が、目を細めた。「よかった」朝は、まだ始まったばかり。
でも、
今日という一日が、
死ぬ日じゃなくなったことだけは、
確かに、わかった。
トラウマが蘇り手を拒絶する
朝食の後、
史緒里が「お皿下げようか?」と立ち上がったときだった。美咲が、突然、
「っ……!」小さな悲鳴を漏らして、椅子ごと後ろにのけぞった。史緒里が無意識に手を伸ばしかけた。
皿を取ろうとしただけなのに、
その手が美咲の目の前を通った瞬間。美咲の顔から、血の気が引いた。「触らないで……!」
両手を振り払うように振り上げて、
テーブルに肘をぶつけて、
カップが倒れ、コーヒーがこぼれる。「……ごめん、ごめん!」
史緒里は慌てて手を引っ込めた。美咲は息を荒げて、
体を丸め、耳を塞ぐようにして震え始めた。目が、完全に別の場所を見ている。「やだ……やだやだやだ……
触らないでって言ったのに……
痛い、痛いよ……やめて……!」掠れた、子供のような声。史緒里は、すぐに膝をついて、
できるだけ低い姿勢で、
でも決して近づかずに、「美咲ちゃん……ここは私の家だよ。
今、安全なところにいるよ」美咲の肩が、びくびく跳ねる。「嘘……嘘だ……
また、優しくして、急に……
押さえつけて……
『いい子だね』って言いながら……」涙が止まらない。体が、記憶に支配されている。史緒里は、自分の手を、
ぎゅっと自分の胸に押し当てて、「見てて。
私の手、今ここにある。
美咲ちゃんに触らない。
ずっと、ここに置いてる」ゆっくり、ゆっくり、
自分の手のひらを美咲に見せるように上げて、
そのまま頭の上に置いた。「もう動かさない。
約束する」美咲の呼吸が、少しずつ、
でも確実に、浅くなっていく。「……痛い……
腕、掴まれて……
逃げられないって……」「もう誰も掴まないよ」
史緒里は、静かに、繰り返す。「美咲ちゃんは、もう逃げなくていい。
ここは安全。
私は敵じゃない」美咲が、震える手で自分の腕を掴んだ。
昔の痣のあった場所を、
爪が食い込むほど強く。「痛かった……
やめてって言っても笑ってて……
『お前が悪い』って……」史緒里の目にも涙が浮かぶけど、
声を震わせないように、必死で抑える。「うん……
ひどいことをされたよね。
全部、本当だよね。
美咲ちゃんは悪くない。
ぜんぶ、相手が悪い」美咲が、
ぽろぽろと泣きながら、
初めて、史緒里を見た。「……信じられない……
また、騙される……」「うん。
信じられなくてもいい。
でも、
今、私がここにいて、
手を上げてるのは本当だよ」史緒里は、ゆっくりと、
自分の両手を、頭の上で組んだまま、
微笑んだ。「ほら。
もう、触れられないでしょ?」美咲の瞳が、
少しだけ、焦点を取り戻す。呼吸が、少しずつ落ち着いて。「……史緒里……?」「うん。ここにいるよ」美咲は、震える唇で、
小さく、呟いた。「……怖い……
まだ、怖いよ……」「うん。怖くていい。
私は動かないから。
美咲ちゃんが『もう大丈夫』って思うまで、
このままでいる」美咲は、ゆっくりと、
自分の体を抱きしめた。自分を守るように。そして、
長い沈黙のあと、「……手、
下げても……いいよ」小さな、小さな声で。史緒里は、ゆっくりと手を下ろして、
でも、やっぱり自分の膝の上に置いた。「ありがとう」美咲は、まだ震えながら、
でも確かに、「……ごめんね」「ううん。
謝らないでくれて、ありがとう」朝の光が、
二人を優しく包んだ。トラウマは、
まだそこにある。でも、
今は、
少しだけ、
少しだけ、
遠くにいた。それだけで、
今日も、
生きていける。
社交辞令
美咲は、コーヒーの染みが残ったテーブルを見つめたまま、
ぽつりと呟いた。「……社交辞令でしょ」史緒里は、瞬きもせずに、
ただ静かに首を横に振った。「違うよ」美咲が、かすかに唇を歪める。「だって……
『またごはん食べようね』とか
『いつでも連絡して』とか
みんな、そうやって去っていくんだもん。
優しい顔して、社交辞令言って、
次の日にはもう私のこと忘れてる」史緒里は、ゆっくりと立ち上がった。
でも、近づかない。
キッチンのカウンターに寄りかかって、
美咲の目線の高さまで体を低くする。「私は、社交辞令が大嫌いなんだ」美咲が顔を上げた。「握手会で、
『絶対また来ます!』って言われて、
次の週に来なかった子が何百人もいる。
『史緒里ちゃんのこと大好きです!』って泣きながら言って、
卒業したらSNSもブロックしてた子もいた。
……だから、私も言えるよ。
社交辞令って、楽だよね。
相手を傷つけずに、きれいに離れられる」史緒里は、自分の胸を軽く叩いた。「でも、私はもう疲れたの。
きれいに別れるの。
だから、もう言わない。
『またね』とか『いつでも』とか」美咲の瞳が揺れた。「……じゃあ、どうするの?」史緒里は、スマホを取り出して、
ロックを外し、
美咲の目の前で、
自分のLINEのトーク画面を開いた。一番上に、
「美咲ちゃん♡」という名前で、
まだ何も書かれていない空白のトークルーム。「これから、ここに全部書く」美咲が息を呑む。「今日、帰ったら、
『今、無事に帰れた?』って送る。
返事なかったら、明日の朝、『おはよう』って送る。
それも返事なかったら、夜に『生きてる?』って送る。
それでも返事なかったら、
学校でも職場でも探しに行く」史緒里は、まっすぐに美咲を見た。「社交辞令なら、
こんな面倒なこと、しないよ」美咲は、唇を震わせて、「……しつこい」「うん。
めちゃくちゃしつこい。
ストーカーって言われてもいい」史緒里は、スマホをテーブルに置いたまま、
美咲の方へ、画面が見えるようにスライドさせた。「だから、
『もう来ないで』って言いたいときは、
はっきりそう書いて。
それなら、私は二度と現れない。
でも、それ以外は、
全部本気で送る」美咲は、スマホを見つめたまま、
長い間、黙っていた。やがて、
震える指で、スマホをそっと引き寄せた。「……ブロック、してない」「うん。してない」「……通知、オンにしてる」「うん。ずっとオン」美咲は、スマホを胸に抱えて、
小さく呟いた。「……嘘だったら、
殺す」史緒里は、初めて、
少しだけ笑った。「いいよ。
殺されてもいい」美咲は、俯いたまま、
でも確かに、「……明日も、
メッセージ、待ってる」史緒里の目が、優しく細まった。「うん。
朝7時30分に、『おはよう』って送るね」社交辞令じゃない。
面倒で、しつこくて、
でも、確かに、
「本当」の約束だった。美咲は、スマホをぎゅっと握りしめて、
初めて、
ほんの少しだけ、
安心したような顔をした。
パニックを起こす少女の手を握る 温かい
美咲の呼吸が、突然、詰まった。「……っ、は……は……!」胸を掻き毟るようにして、
体がのけぞり、ソファから滑り落ちそうになる。フラッシュバックが襲ってきた。
暗い部屋、押さえつけられる腕、
「暴れるなよ」と笑う声。
全部が一気に蘇って、
視界が歪み、耳がキーンと鳴り始めた。「やだ……やだやだやだ……!
離して……離してよ……!!」美咲は自分の腕を爪で掻きむしり、
床に崩れんげのように倒れ込み、
体を丸めて激しく震え始めた。史緒里は、一瞬で膝をついた。でも、触れない。
約束は守る。でも、美咲の指が、自分の喉を掴もうとしている。「……美咲ちゃん!」史緒里は、もう我慢できなかった。そっと、でも確かに、
震える美咲の右手首を、両手で包み込むように掴んだ。触れた瞬間、
美咲の体がびくんと跳ねた。「離して……! やだ……!」でも……史緒里は、力を入れない。
ただ、温かく、包むだけ。「大丈夫……
私だよ。史緒里だよ。
痛くしない。
絶対に、痛くしないから」美咲の目が、恐怖でいっぱいなのに、
どこかで史緒里を探している。「……あったかい……?」掠れた声。史緒里は、涙をこらえながら、
美咲の手を、自分の胸の前まで、そっと引き寄せた。「うん。
私の手、あったかいよね?」美咲の指が、
最初は硬直していたのに、
少しずつ、少しずつ、
史緒里の指に絡みついてきた。「……怖い……
でも……あったかい……」「うん。怖くてもいい。
あったかいのは本当だよ」美咲の震えが、
まだ止まらないけど、
爪を立てる力が、抜けていく。「……離さないで……
今だけ……離さないで……」史緒里は、ぎゅっと、でも優しく、
美咲の手を握り返した。「離さない。
ずっと、こうしてる」美咲の涙が、
史緒里の手の甲に、ぽたり、ぽたりと落ちる。熱い。
でも、冷たくない。「……史緒里の手……
あったかい……
嘘じゃない……」「うん。
嘘じゃないよ」美咲は、まだ震えながら、
でも確かに、
史緒里の手を、
自分の胸に押し当てた。心臓の音が、伝わるように。「……ここに、いて……
……お願い」史緒里は、涙をこぼしながら、
美咲の手を、離さなかった。「いるよ。
ずっと、ここにいる」パニックは、まだ完全には収まらない。でも、
手の温もりだけは、
確かに、
美咲の中に残った。それは、
今まで誰もくれたことのない、
本物の温かさだった。
いじめに合っていた辛い
美咲は、ソファの端で膝を抱え、
震える声で、初めて、全部を話した。「……いじめられてたの。
中学のときから、ずっと」史緒里は、黙って聞いていた。
手を膝の上に置いたまま、ただ、耳を澄ませて。「最初は、小さなことからだった。
『なんかムカつく』って理由で、
私の机に落書きされたり、
靴箱にゴミ入れられたり……
でも、だんだんエスカレートして」美咲の指が、自分の腕をぎゅっと掴む。
爪が食い込むほど強く。「クラスの女子のリーダーが、
『あいつ、キモいよね』って言ったら、
みんなが急に私を見なくなった。
挨拶しても無視。
グループLINEから外されて、
教室に入ると、みんなが一斉に黙る」涙が、ぽろぽろと落ちる。「トイレで囲まれて、
『死ねって言われた。
スマホで撮られて、
『拡散されたくなかったら言うこと聞け』って……
お金取られたり、
夜中に呼び出されて、
『土下座しろ』って……」美咲の声が、途切れ途切れになる。「先生に相談したけど、
『我慢しなさい』って言われただけ。
親にも言えなくて……
だって、『学校行きたくない』って言ったら、
『甘えてる』って怒られたから」史緒里の目にも、涙が溜まっていた。「だから、
私、誰かを信じられなくなった。
みんな優しい顔して、
裏で笑ってるって思っちゃって……
だから、一人でいるしかなくなった」美咲は、顔を上げられずに、
ぽつりと呟いた。「……辛かった。
毎日、死にたいって思ってた」史緒里は、ゆっくりと息を吸って、「……うん。
辛かったね」それだけ言った。責めない。
慰めない。
ただ、受け止める。「私もね」
静かに、続けた。「中学のとき、
クラスで完全に無視された時期があった。
乃木坂に入る前、
『あの子、アイドル気取りでウザい』って、
陰で言われてて……
一ヶ月間、誰とも話さなかった」美咲が、びっくりしたように顔を上げた。「私も、
『死ね』って書かれた手紙、
ロッカーに何十通も入れられてた。
だから、わかるよ。
……本当に、辛いよね」美咲の涙が、また溢れた。「でも……
私なんて、アイドルなのに……
美咲ちゃんに比べたら……」「違うよ」
美咲は、首を振った。「辛さは、比べられない。
私も、華やかな世界にいるからって、
傷つかないわけじゃない。
……同じだよ。
私たち、同じ穴に落ちてたんだ」美咲は、震える唇で、「……なんで、
誰も、助けてくれなかったの?」史緒里は、そっと、でも確かに、「ごめんね」
美咲の前で、頭を下げた。「私が、そのとき、
美咲ちゃんの隣にいられなくて、ごめんね」美咲が、目を丸くした。「でも……
今、ここにいるよ」史緒里は、ゆっくりと手を差し出した。
でも、触れない。
ただ、掌を上にして、待つ。「もう、誰も美咲ちゃんを傷つけない。
私が、守る」美咲は、その手を見つめて、
長い間、黙って、
そして、震える指で、
ほんの少しだけ、
史緒里の指先に触れた。「……信じても、
いい?」「うん。
今度は、絶対に裏切らない」美咲は、泣きながら、
初めて、自分から、
史緒里の手を、ぎゅっと握った。辛かった過去は、
まだ消えない。でも、
今、この瞬間、
「一人じゃない」ってことが、
確かに、伝わった。それは、
いじめられた少女にとって、
初めての、
救いだった。
