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坂
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遠藤さくらと猫の少女の恩返し春の終わりの夜、乃木坂の寮から少し離れた公園で、遠藤さくらは一人でベンチに座っていた。ライブが終わってから、なんだか胸がざわざわして眠れなかった。メンバーには「ちょっと散歩してくる」とだけ言って出てきたけど、本当は誰にも言えない理由があった。
最近、どうしても「自分はここにいていいのか」という気持ちが頭から離れない。握手会で笑顔を振りまくたび、ステージで歌うたび、どこかで「借り物の時間」のように感じてしまう。そんな夜だった。公園の街灯の下、茂みの奥で小さな鳴き声がした。
「……にゃあ」覗いてみると、白と薄灰のまだ幼い猫が、ビニール袋に後ろ足を絡めて動けなくなっていた。
さくらは慌てて駆け寄り、そっと袋を外してやる。猫は震えながらも、すぐにさくらの膝に乗り、喉をゴローと鳴らした。「びっくりしたね……もう大丈夫だよ」猫はしばらくさくらの膝で丸くなっていたが、やがてぴょんと地面に降り、公園の奥へと歩き出す。
振り返って一度だけ「にゃあ」と鳴いた。まるで「ついてきて」と言っているようだった。さくらは、なぜかその声に従ってしまった。猫が導いた先は、公園の裏手にある古びた神社の境内。
誰もいないはずの場所に、月明かりだけが静かに落ちている。すると、猫の姿がふわりと光に溶けるように揺れた。次の瞬間、そこに立っていたのは――
白いワンピースを着た、猫耳の生えた少女だった。歳はさくらと同じくらい。瞳は夜でも金色に光り、長い髪の毛先が銀色に揺れている。
少女は、どこか恥ずかしそうに微笑んだ。「助けてくれて、ありがとう」
声は鈴のように澄んでいて、でも少し震えていた。さくらは言葉を失った。
少女は一歩近づいて、両手を胸の前で組む。「私は、猫の恩を返すために生まれた『猫又の末裔』……って、ちょっと大げさかな」
少女はくすっと笑った。
「名前は、ミリ。ミリって呼んでいいよ」「え、えっと……遠藤さくらです」
やっとのことでそう答えると、ミリは目を細めた。「さくら、って呼んでいい?」頷くと、ミリは嬉しそうに尻尾をぴんと立てた。「実はね、私、恩返しに来たの。さくらが助けてくれたから、私の一番大事なものでお返ししたい」「一番大事なもの?」ミリは少しだけ俯いて、それから顔を上げた。「私の『時間』」さくらは首を傾げる。「猫又にはね、人に自分の時間を少しだけ分けてあげられる力があるの。
その時間の中では、どんな願いでも一つだけ叶う。でも、代わりにその人は、私のことを絶対に忘れちゃダメ」ミリは真剣な目でさくらを見つめた。「さくらは、何を願う?」さくらは、しばらく黙っていた。頭の中を、いろんな言葉が駆け巡る。
もっと上手く歌いたい。
もっと笑顔でいられるようになりたい。
もっとみんなに愛されたい。
でも、どれも違う気がした。ふと、さくらは自分の胸に手を当てた。
ここ数ヶ月、ずっと重かった場所。「……私、自分がここにいていいって、本当に思えるようになりたい」言葉にした瞬間、涙がこぼれそうになった。ミリは驚いたように目を見開いて、それから優しく微笑んだ。「それ、いい願いだね」ミリはさくらの前に跪くように座り、両手をさくらの手に重ねた。
温かかった。まるで春の陽だまりみたいに。「目を閉じてて」さくらは目を閉じた。すると、世界がふわりと音を失った。
耳元でミリの声だけが響く。「さくらは、さくらでいいんだよ。
誰かに認められなくても、誰かに必要とされなくても、
さくらがここにいることそれ自体が、もう充分に意味がある」胸の奥に、ぽっと灯りがともるような感覚。
重かった塊が、ゆっくりと溶けていく。どれくらい時間が経っただろう。目を開けると、ミリはもう猫の姿に戻っていた。
白い猫は、さくらの足元で一度だけ喉を鳴らし、それから夜の闇へと歩いていった。振り返らなかった。
でも、さくらはわかった。
もう二度と会えないってことも、そして、それでいいってことも。寮に戻る道、さくらは初めて、空気が軽く感じられた。それからというもの、さくらは少しずつ変わっていった。
握手会で泣きそうな子に「大丈夫だよ」と自然に言えるようになった。
ステージで、完璧じゃなくても「今この瞬間が楽しい」と心から思えるようになった。メンバーには気づかれないくらい、ほんの少しずつ。
でも確実に。ある日、楽屋でふと鏡を見ると、
自分の瞳が、少しだけ金色に光ったような気がした。「……ありがと、ミリ」さくらは誰にも聞こえない声で呟いた。窓の外、春の風に新しい櫻の花びらが舞っていた。
きっと、あの猫は今もどこかで、誰かを待っている。そして、誰かが助けてくれたら、
また「時間」を分けてくれるのだろう。さくらはそう信じて、今日も笑顔でステージに立った。――
