レン

ボクの目の前には光輝くナイルが一面に広がっていた。
事態がうまく飲み込めない。


「おお、目覚めたか」
「じいちゃん?!」

寝台の脇にはじいちゃんがいた。
肌は浅黒く焼けていて、頭には長い帽子をかぶってる。


「わしはお前さんのじいちゃんではない。神官のシモンだ」
「神官……? シモンって……アテムがいた古代エジプトの……」
「ここは冥界じゃ」
「ぼ、ボク死んじゃったの?!」
「あんずるな。お主の存在は稀薄だ。じきに現世に戻れるじゃろ」


シモン様はうなづいた。
ふっと思い出す。ここには前に来た。それもつい最近。
アテムに来るなと言われた場所……。


「……アテムは、アテムはここにいるの?」
「ファラオはお主には会えん」
「……どうして」
「……」

「もしボクが本当に死んだとしても……アテムはボクに会ってくれないの?」
「……」

シモン様は首を振った。

「……少し宮殿を散歩してみてはどうじゃ? ここでの時はゆるやかに流れる……長居しても現世に影響はないじゃろう」
「ただし、人に会っても名前を教えてはいかんぞ」
「どうして?」
「悪鬼は人に化けておるからの。名前を奪われたら現世に戻れぬ」
「あの……シモン様……」
「なんじゃ?」
「アテムは元気ですか?」
「……」


回廊に人気はなく烈陽がななめに差し込んでいた。
いくら歩いても部屋を覗いても人がいない。

(こんな寂しい場所にキミはいるの?)


天国っていうから、もっと沢山の人がいて賑やかなんだと思ってた。
これじゃまるで墓所だ。

ふと、泣き声が風に乗って聞こえてきた。
誘われるように泣き声に近づく。
バルコニーにキミはいた。

紅いマントがたなびいてる。
黄金の額当ての下の大きい目からは涙が流れていた。

12、3歳ぐらいの子だった。
アテムそっくり……というか本人そのものだ。
アテムは振り返った。


「誰だお前」
「あ……えっと……」
「賊か」
「ち、違うよ! ちょっと迷子になっちゃって……」
「迷子……? この宮殿は余が招いた者しか入れない」
「そんなこと言われても……ボクは気づいたらここにいただけで」
「どうして泣いてたの?」

アテムの顔が赤くなる。

「お前、無礼だとは思わないのか」

彼が泣いてるのを見たのは一回しかない。
あれはボクがアメリカでキミの身代わりになった時。
ボクはアテムの頭を撫でた。
ゆらっと波打つように目が揺れた。


「泣くのは恥ずかしいことじゃないよ」

にっこりと笑いかけると、アテムの顔がくしゃくしゃになった。


「お前の名は」
「えっと……」
『名前を教えてはいかん』

(……これはアテムだ。間違いない。小さいけど……ボクにはわかる)


「遊戯」
「変わった名だ」
「キミだって、ボクからしたら変だよ」
「ははは」
「ふふ」
「そうか……ようやくわかった。余が待っていた人物……」

アテムは欄干に腰かけて、丸い石を手で遊ぶ。



「ゲームしようぜ」
「えっと……」

いくら時間の経過が緩やかでも、そろそろ戻らないといけない。
みんなきっと心配してる。
それにバクラくんを倒さなきゃ。

「ごめんね、ボクそろそろ行かなきゃ」
「行く……?」
「うん。帰るんだ」
「また来るか?」

ボクは首を振った。
アテムはうつむいたまま。

「ボクとキミが住む世界は違うんだ……。もう……ここには来られない」
「……また、オレを置いていくのか」
「え……?」


アテムから黒い奔流があふれた。
ボクは回廊の奥へと吹き飛ばされた。
倒れたボクの右手に鎖がからみつく。

「封印の鎖を召喚……!」
「?!」

鎖を引き寄せられて回廊を引きずられた。
火花が散って目眩がする。


「逃げるんじゃ遊戯!!」
「シモン様!?」
「これはファラオの意識の一部。冥界からずっとお主を喚んでいた者じゃ! 地下に封印してたはずなんじゃが……」
「アテムの一部……?」
「ワシが食い止める! 早く逃げるんじゃ! 捕まったら最後、捕らわれたまま転生すらできんぞ!」

ボクは回廊を駆けだした。
振りかえらずにただ走る。走る。
風景はまったく変わらない。
いくら走ってもどこへも出ないし行けなかった。

「?!」

壁が崩れてボクは尻餅をつく。魔人がボクの前に立ちふさがった。
これは……盗賊王の精霊?!


(現世でアテムの体をバクラくんが乗っ取ってるから……?)

「相棒」
「アテム」

精霊獣ディアバウンドはシモン様をつかんでいた。
力を込めて潰そうとする。

「止めてアテム!」
「相棒、ここは冥界なんだぜ。痛みはないんだ」
「ボクには冥界のルールはわからない……だけど止めてって言ってるんだ!」
「オレとひとつになるんだ、相棒。そうすれば金輪際離れない」
「今のキミとひとつになる気はないよ」
「なに……」
「キミの心はバラバラだ。わかるんだ……ずっとキミとボクは一緒にいたから。キミの魂は、まだどこかにいる。だから……彼を置いてはいけないよ」

「アイツはオレを捨てたんだ。相棒。オレを置いて、勝手にお前を追いかけていった」
「……」
「ゲームをしようぜ、相棒」
「……ゲーム?」
「オレに捕まったら、お前はゲームオーバーだ」



「デュアハ!!」
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