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Little Fairytale -Ritsu-
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討伐作戦の報告や反省会等、数日かけた諸々の業務がようやく一段落した。
あれから俺も凛月も特に体の不調はなく—相変わらず凛月は日中怠そうだが—、普段通りに過ごしている。
昏睡から目覚めた後に凛月が俺から取った距離については、それぞれが忙しなく、また、あまりにやり取りがいつも通りで……いや、これはただの言い訳だ。
何かと理由をつけて、踏み込んではいない。
凛月が人と距離を取るのは、彼が自分自身の心を守るために行っている行動のような気がして。
トラウマを吐露して、自身の無防備な心を晒して。そんな繊細な部分を、もう一度労るために。
もしもそうやって心のバランスを取っているのであれば、今踏み込むことは、凛月の、誰かに触れられたくない、まだ準備のできていないところに、土足で侵入してしまうことであるように感じてもいる。
そんな懸念もあり……『君の悪夢の一部を垣間見た』、と言い出すタイミングも逃し続けていた。
いつか伝えなければいけないとは思っている。勝手に見ておいて、黙っているのは良くない。だが、どうしても引っかかってしまう。
凛月が、隠していたいもの。
あの、黒い茨——
誰もそばにいないことを確認して、小さく、ため息を吐いた。
凛月は、多分もう少し、人に言えない何かを抱えている。
それは『隠したいから隠している』、と言うよりも、彼の性格からして、何かを恐れて言えない、のではないか。
そしてそれは、あの時話してくれたトラウマに関することでもあるのかもしれない。
全て、憶測に過ぎないけれど。
別に、当たっていないならそれで構わない。
本人に取って大して重要でもないけれど、ただ単に俺のことが気に食わないから話さないだけ、とかなら、それはそれでいい。
俺は凛月の『promiser』であり、騎士なのだから。彼が不足なく、加えてより幸せに、日常を過ごすことが出来ればそれが何よりのことで。
例えば、その先で彼も望むことがあれば、任務も立場も関係なく、彼のそばで守りたいと、そう考えてしまう気持ちもあるけれど。
……今は、もう少し彼との距離を測っていよう。
彼の望みが、何なのか。何かを恐れているのであれば、どうすれば少しでも、その『何か』から守ることができるのか。
関係は一進一退だ。
とはいえ、元々の距離感が近かったこともあり、少し後退したとしても毎日のように甘え倒してはくるのだが。
「……?」
そんなことを考えながら、自室の郵便受けを開ける。
『promiser』に就任してからは、騎士としての任務から離れたせいか、大分郵便物も少なくなったが……一通、真新しい封筒が入っているのが見えて、手に取った。
白地に見覚えのある紋章を視認して、思わず表情が強ばる。
『評議会』。この国の、政治を担う組織の紋だ。通常であれば、いち騎士個人に封書など送ることはない。
だが、『idol』に関することであれば別だった。
『評議会』は元々『idol』の簡易的な管理や依頼なども行っていたことから、『ES』のやり方に度々口を出してくるから注意しなさい、と、以前『ES』のトップが言っていた。
とはいえ、何故俺なのだろう。
現在の上司に当たる『ES』の人間か、もしくは『idol』である凛月本人宛であれば分かる。
もしや、自分で気づいていないだけで『promiser』として何かやらかしたのか。それとも、凛月が昏睡したことに対するお咎めか——
緊張しながら、自室に入ると同時に封を切る。
仰々しい文章の中に、書かれていたのは。
「血液検査の、指令……?」
しかも、対象は俺ではなく、凛月だった。
「は? 『評議会』? 俺の血を抜くって?」
カチャン、と、珍しく響く音を立てて、凛月がティーカップをソーサーへ置いた。
レッスン終わりに私室で楽しむティータイムで業務連絡するのは如何なものかと思ったが、今日彼と合流する一番早いタイミングが今だ。申し訳なく思いつつも、『評議会』からの文書を渡す。
「……」
正直、凛月に対する指令が何故俺宛に届いている—宛名はしっかりと俺だった—のか甚だ疑問だし、第一凛月は『ES』に所属している『idol』なのだから、定期検診の時に血液検査くらいするだろうとも思うので、さっぱり意図は分からない。とはいえ、凛月に見せれば、何か心当たりがあるかもしれない。
案の定、文書に目を通す凛月は何か検討するようにしばし黙る。が、その表情は、稀に見る本気の不服顔だった。
「……俺さ、血液検査したくないんだよね」
「……?」
「だから『ES』の検診の時も、エッちゃんにお願いして、なるべくしないようにしてもらってる。どうしてもしなきゃいけない時は、事前に色々準備してもらって……」
「準備?」
「……」
予想外の言葉に、思わず反復して尋ねてしまう。
エッちゃん、というのは、『ES』のトップである天祥院英智のことだ。彼とは『ES』設立前からの付き合いとのことで、仲が良いらしく度々話題に出てくる。
けれど、天祥院英智は『ES』の秩序を守るために、ルールには厳しい、と噂だ。
俺も少しだけ話したことがあるが、俺から見ても、会話をするだけで相手に緊張感を与えるような、オーラのある人だった。
そんな人が、いくら友人とはいえ『検査が嫌だ』というだけで『idol』の健康に関わる事柄を免除するだろうか。
俺の言葉に対する凛月からの返事はない。
何かを、言うか言うまいか、悩んでいるようにも見える。
「検査が嫌なのは、針を刺すから?」
「……そういうわけじゃ、ないんだけど……。でも、『評議会』から命令が下ったってことは、もうエッちゃんにお願いするのも厳しくなってきたのかな。これはちょっと断りづらいや。仕方ない、大人しく検討するか……」
何故嫌なのかは、口にしづらいらしい。
針を刺すことが平気なら、血を抜かれる感覚が嫌、とかだろうか。
過去に怖い思いをしたり、体質的な問題で採血が極端に苦手な人がいるということを聞いたことがある。
けれど、そういった理由であれば、凛月は簡単に話すような気も、する。
今確かなのは、凛月が検査を、とても嫌がっているということだけだ。
「受けたくないんだな」
検討する、そう言って文書を畳んだ凛月に、声をかける。
合わせた深紅の瞳は、なんとも言えなそうな、けれどどうしようもないような、明るくない色をしていた。
「まぁ、そうだけど……。国からの命令を、バックれる訳には……」
「凛月」
彼の瞳は、いつでも明るい方がいい。
厳密には、瞳の色なんてそう変わらないけれど。細かいことはさておき。好きな紅茶を飲む時や、仲間達と談笑している時のような、きらきらと、輝いている方がいい。
理由は分からないが、目の前の紙切れが、彼からそれを、奪うというのなら。
「ちょ、たぁくん……!?」
凛月がテーブルに置いた文書を拾い上げて、自分の紅茶に角を浸した。そして、そのまま、紙を、裂く。
慌てて凛月が手を伸ばすが、ほんの少し遅い。
濡れた紙は哀れにも簡単に破れ、とても公文書としての機能は果たせないような状態になっていた。
「たぁくん、何やって……」
「重要な指令と思って、大事に読んでいたら、うっかり紅茶を零して破れてしまいました」
「は?」
「書類がないと検査時の証明ができませんので、大変お手数ですが再発行をお願いします」
突然の俺の言葉に、凛月は目を瞬かせながら固まっている。
けれど、やがて俺の言わんとしていることが分かったのか、確かめるように、恐る恐る口を開いた。
「たぁくん、まさか……」
ちらりと不安の色が見え隠れする問いかけに、大きく頷く。
「手続きして貰ってる間に、エッちゃんさんに相談しよう。なんともならないかもしれないけど、もしかしたら、なんとかなるかもしれない」
「……」
やや大雑把な俺の暴論に、凛月は言葉を失っているようだった。
やりすぎだろうか。お節介だったかもしれない。そんな懸念も浮かぶが、破れてしまったものはもう変わらない。
引かれたとしても、時間稼ぎができたのなら重畳だ。
長い沈黙の後、凛月が視線を落として、言う。
「検査くらいで、って思わないの?」
我慢は至極真っ当だった。
だが、その問いかけに対する返事も、簡潔だ。
それをしたくない理由は分からないけれど、『したくない』のであれば、行動する理由としては十分。
「思わない。受けたくないなら、受けなくていいと思う」
勿論、それをしないことで凛月の健康状態が損なわれるのであれば、もう少し考えるけど。
でも、凛月は元々トップに相談した上で、必要な場合は検査を行っていると言っている。
ならば、無理に『評議会』の命令の元で行う必要はない。
「それは、だけど……」
言葉を探すように、凛月は俯いて、自身の膝の上でぎゅっと拳を作った。
「……うん。受けたく、ない。ありがとう。たぁくん」
その表情は不安と、大きな安堵で。
想像以上にこれは、彼にとって深刻な問題なのかもしれないと、脳内で独り言ちる。
「俺からエッちゃんに話してみるよ。たぁくんも、そばにいてもらっていい?」
当然、頷いた。
俺がいることで何か力になれることがあるかは分からないが、それでも、凛月がそう望むのであればそうしたい。
凛月も納得してくれて、後は一緒にトップへ相談する。
一先ずはこの話は一段落かと、そう、思っていると。
「ねぇ、たぁくん」
凛月から、改めて声をかけられた。
普段なら、暗い話はごめんだと、凛月の方からすぐに砕けた口調に戻りそうなところを、凛月の口調は、その表情は、硬いままだ。
自然と、姿勢を正す。どうしてか、そうしないといけない気がして。
これから凛月が言おうとしている言葉を、ちゃんと真っ直ぐに受け止めないと、凛月が、俺からまた、距離を取ってしまうような気がして。
数秒間の静けさが、何十秒にも感じる。
再び口を開いた凛月の声は、僅かに震えていた。
「たぁくんは、俺の味方になってくれる?」
その瞳が、縋るように俺を見つめるのを見て、文章なんて組み立てないままに、声を返していた。
「なるよ」
言葉にしてしまえば呆気ない。
けれど、凛月に出会って、俺は騎士になって初めて誰かを、たった一人を、守りたいと思っている。
例えそれが、立場や理念に、そぐわない感情だとしても。
「たぁくんは……」
もう一度、続けられる声に耳を傾ける。
何度尋ねられても、答えは変わらない。
だから。
凛月の紡ぐ言葉が、例え俺の予想を大きく超えるものだとしても。
彼の未来を、俺自身の未来を、揺るがすものだとしても。
できうる限り、受け入れたい。
そう、思っている。
「……たぁくんは、もしも俺が……例え、化け物でも、俺のそばにいてくれる?」
「前にも、言った通り。凛月は凛月だ」
揺らぐ深紅が、様々な色を帯びる。
それは、喜びなのか、希望なのか、恐れなのか、切望なのか。
全てを読み取って確信に繋げるには、自身を『化け物』であると仮称する彼の、その心情に対しても、言葉の意味に対しても、未だ理解が足りなくて。
けれど、せめて俺の本心が、そのまま凛月に伝わっていればいい。
そして、凛月の中にある仄暗い心の憂鬱を、ほんの少しでも、取り除けていたら、尚いい。
「……たぁくん、俺……」
細く、でも確かに胸の奥から絞り出してくれていた言葉が、とうとう詰まる。
「……ううん。なんでも、ないや」
そう締めくくられる会話に、追求はしなかった。
まだ、もしくは、この先もずっと、言えないことがあったとしても。
俺のやることも、伝えたいことも変わらない。
夢の話も、この感情の答えも、凛月が望んだその時に、いつでも話そう。
君が歌うような、とっておきの物語ではないかもしれないけれど。
君の心に、一筋でも多く、陽の光が差すような明日がいいから。