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Little Fairytale -Ritsu-
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『ES』に戻ってきてから、約半日。
凛月はまだ目覚めていない。
医者は、普段使い慣れない歌の反動や、心へのダメージが重なって長めに休息をしているのではないかと言っていた。
身体的な異常はなく、勿論怪我もなく、『音』におかしなところもないため、ただ目覚めるのを待つしかないとのことだ。
俺はと言えば、鳴上さんの治癒に加えて『ES』に戻ってから別の管轄の『idol』の人からも特別な治癒を受けたこともあり、軽く剣を振れそうなくらいには回復していた。
その人も凛月の顔見知りらしく、状況を伝えると心配していた。見舞いということで紅茶の茶葉を預かったので、ありがたく頂戴しておいた。
重めのドアに、ノックを三回。
返事はない。これが朝のひとときであれば、何も考えずにそのまま部屋に入るのに。今は返事がないことが、とてももどかしい。
「凛月」
ドアを開けて、仄かに紅茶の香りのする室内に入って声をかけるが、やはり反応はない。
見舞いの茶葉をテーブルに置いて、顔色だけでも見て行こう。
そう思って、ベッドに近付く。
すると。
「ぅ……」
小さな、呻き声がした。
「凛月?」
声の主は凛月以外にいない。
もしかして、目が覚めたのか。淡い希望を抱いてベッドに歩み寄るが、横たわる凛月の目は閉じられたまま。
けれど、その表情は穏やかではなかった。
「や……め、て……ま……く……」
細い声は縋るように何事かを紡いで、途切れる。
次いで、浅い呼吸と共に身じろいで、汗で額に張り付いた前髪がはらりと揺れた。
うなされている。
悪夢を、見ているのだろうか。
「凛月……っ」
強い声で呼びかけるが、その瞳が開くことはない。
どうすれば目覚めるだろう。彼を、助けてやれるだろう。
根拠もなく、シーツに爪を立てるようにして力んだ彼の手を、握った。
その刹那。
「……!」
触れた凛月の手から、膨大な量の何かが、俺の中へ流れ込む感覚がした。
同時、一瞬のうちに周りの景色が変わる。曇天。森、と言うには木々の枯れた土地、否、自分の周りだけ、木々が枯れている。今も
「……な、いで……」
声がする。
「しなないで……」
悲痛に訴えかけるようなその声は、知らないのに、聞いたことがあるような、どうしてか、すごく大切な人の声であるような気がする。
遠くから、もう一人、聞き覚えのない声が響いた。
その声が呼びかける人物の名前に、確信する。
「……つ、凛月! 凛月、お兄ちゃんが、なんとかするから。だから、信じて、手を……!」
これは、『音』だ。
凛月の手から伝わる、彼の『音』。
彼が見る悪夢を、彼の記憶を、一緒に視ているのだ。
手を伸ばす。
茨の奥から、幼い少年の白い手が伸びてくる。
縋るように、その手に、触れた瞬間——
「……!」
景色は、凛月の私室に戻っていた。
気付けば、ベッドの傍の椅子に腰掛けている。
「あ……たぁくん……?」
ぼんやりと、凛月が目を開けた。その拍子に、目蓋の裏に貯めていたんだろう涙が一筋零れ落ちる。
握っていた手が、確かめるように柔く握り返された。
俺の姿を、確かに捉えた瞬間……弾けるみたいに、強い声が発される。
「馬鹿っ……! なんであんな庇い方……!」
怒気を含んでいるその声は、けれど震えていて。
悪夢の中で聞いた声と重なる。
先と違ってぎゅうと強く握られた手に、爪が当たりそうになる直前に力は解けて、紅い瞳が逸らされた。
一連の動作に胸が締め付けられて、思わず、口から漏れていた。
「ごめん」
想像の倍以上に暗く絞り出すような声音になってしまった謝罪に、瞬間的な熱が覚めるように、凛月が黙り込む。
そんな顔をさせたいわけじゃない。けれど、一番最初にまず伝えるのはこの言葉だと、決めてもいた。
濡れた瞳が迷うように揺れて、やがて小さく息を吐き出すと、ゆっくりと体を起こす。そうして俺を見て、乱暴に目元を拭った。
「……謝るのは、俺。俺が、油断したから。……たぁくんは俺の騎士だから、俺が対応できなかったら、ああしなきゃいけないこと、分かってる。でも、あの時、魔獣の爪が、もっと深く刺さってたら……」
鳴上さんの治癒は間に合わず、俺は死んでいたかもしれない。
言葉を続けなくても、凛月の言いたいことが、恐れていることが分かる。
騎士だから。そんなことは関係なく、体が動いていた。今の凛月の顔を見た後だとしても、そして、騎士という立場がなくなったとしても、もしも同じことがあれば、同じようにするだろう。
あの魔獣の爪が、自分ではなく凛月を傷つけたら。そんな光景は耐えられない。けれど、それは俺のエゴだ。結果として凛月は酷く心を乱している。
「……俺も、上手くやれなかった。もっとそばにいて、周囲を警戒しておくべきだった。だから、凛月のせいじゃない。って、言いたいけど、お互い反省するなら、凛月だけのせいじゃない、かな」
「たぁくん……」
離れた手を、もう一度握る。
凛月の心を、深く傷つけた事実は消えない。けど、今の俺は生きていると、この先は、心配しなくて良いのだと伝えるために。
触れ合う手がもう一度穏やかに握り返されて、少し間を置いてから、凛月が小さく頷いた。
その表情はまだ、浮かないままだ。
「……ごめん。さっきは、冷静じゃなくなって。俺……身近な人の、怪我……苦手で。戦いに行く人間としては、致命的でしょ? だから、あんまり悟られないように、してる。セッちゃんやリーダーは知ってるけど。……昔、俺を庇って大怪我した人、いるから」
そう言って、凛月は俯く。
もしかして、先の悪夢の光景だろうか。
……身近な人の、大怪我。まるで、今回のような。
幼少期に植え付けられた、強烈な恐怖と後悔。それを掘り起こすかのような出来事に、相当な痛みを感じたはずだ。夢の中で、繰り返すほどに。
押し留めてきた感情を吐露するように、凛月は続ける。
「俺を庇って、すごく大きな怪我をしたのに……歌を、やめなかった。当時の俺は、びっくりして、固まって、何もできなくて。痛くないのかな、なんて、思ったけど。痛いに決まってるじゃんね。とてつもないくらい、無理させて。結果的に、助かったけど……駆けつけてくれた人がいなかったら、死んじゃってたかもしれない、くらい……その子の『音』、どんどん、弱くなっていくのが……」
トラウマなんだ、と、最後の言葉は、消え入るように弱かった。
庇うことは、当然。そうしたいから。エゴだと分かった上で、飛び出した。
けれど、その先のことを一切、考えてはいなかった。怪我から庇うことはできていても、彼の気持ちを守ることは、到底できなかった。
「……怖かったこと、思い出させてごめん」
もう一度、始めの言葉を口にする。
後悔ばかりしている気がする。少し上手くできたと、彼の心に触れられたと思ったら、今度はこのざま。
ならば、俺なりに、けじめをつけたい。
「やっぱり、たぁくんが謝ることじゃ……。……?」
ない、そう続けようとしただろう凛月の手を握ったまま、徐に持ち上げて、俺の胸元へと当てる。
「たぁくん……?」
「どう?」
「どう、って……」
困惑するような凛月の声に、指をほどいて、凛月の掌が俺の左胸に触れるようにする。初めて『調律』を試そうとした時みたいに。その音が、より強く、聞こえるように。
答えを求めるように見上げる凛月の瞳を、黙って見つめ返す。
すると、ゆっくりと、口が開かれた。
「……生きてる」
「元気そう?」
その問いに、今度は凛月が体を近づけて、少し考えるようにしてから、そっと、俺の左胸に耳を当てる。
「……ん。……ちょっと、元気すぎる」
それはそれでいち。生きている、俺の心が、確かにここにある証拠だから。
前に同じようにされた時は、からかわれたという意識もあって羞恥心の方が強かったが、今はそうじゃない。
この心臓の早鐘も、凛月といる証だと、そう思える。大切に、思えてしまう。
騎士の『promiser』なんて、大した仕事のない、お飾りだと、そう思っていた。でも、予想外に、後悔だらけで。だと言うのに、今の立場を譲りたくないと思う自分がいる。
誇りだとか、気高さとか、そういうのは分からないけれど。
でも、これだけは確かな気持ちだった。
「俺は、凛月に相応しい騎士になりたい、って思う」
「え……」
俺の胸元に当てていた耳を離して、凛月が顔を上げる。
「凛月のことも、自分自身のことも、ちゃんと守れるような」
交わった視線を、逸らさずに見つめ返す。
無意識に、伸ばした手で白い頬に触れれば、宝石のような瞳が僅かに揺れた。
涙の跡を、なぞる。
君がもう、不安で泣くことがないような。
君がただ、君の歌声を、届けたい相手へ届けることだけを考えられるような。
そんな騎士に。
再び潤んだ瞳が、はっと開かれた。
そして、何かを、言いたそうな顔をして、俯く。
そのまま、俺の肩口に額を当てて、いつも通りの声音で言葉が返された。
「……頑張って、どこに出しても恥ずかしくない騎士になってね」
そう続けて、体が離された。
瞳を伏せて、そっと微笑む。
どこに出しても、か。
一体、その言葉の前に何を言いたかったのだろう。
近付いていた彼の本音が、ほんの少しだけ、遠ざかった、そんな気がする。
踏み込むまいか、けれど、逡巡しているうちに。
部屋のドアが、勢いよく叩かれる音がした。
「凛月先輩! お目覚めですか……!? 『
同時、返事もしていないのにドアが開かれる。
朱桜はとても耳が良い。部屋の外からでも、凛月が目覚めたことに気付いたのかもしれない。『音』を感じる力だから、この場合感覚が鋭いと言った方が正しいかもしれないが。
「スーちゃん、心配かけてごめんねぇ」
「よかったです……体は平気なのですか? 皆さん、凛月先輩がいなくて寂しそうにしていて……」
後輩との談笑を、邪魔するわけにもいかない。
部屋を出るついでに、月永さん達も呼んで来よう。戻ったら、紅茶の見舞いのことも伝えなければ。
そう考えて、立ち上がる。
部屋を出る、直前。
脳裏に、あの蠢く茨が蘇った。
しかしそれは一瞬の出来事で、指先が固まった瞬間に、何事もなかったかのように消えてゆく。
あれは、なんなのだろう。
深い闇を思わせる、何もかもを絡め取って飲み込んでしまいそうな、幾重にも重なった黒い茨。
普段の凛月が扱う力とは、まるで違う。
けれど、あの茨が放つのは——
ほんの少しだけれど、感じた。
あの『音』は、凛月の『音』だった。